« 暁の明星 宵の流星 #150 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #152 »

2011年7月23日 (土)

暁の明星 宵の流星 #151

《いいですか?アムイ。いつも言っているように、外では私の事を父と呼びなさい》
《ごめんなさい…お父さん…》

幼いアムイはいつもの癖で、うっかり外出中に彼の事を名前で呼んでしまう事が多かった。
その度に彼に諭された。
滅多に笑わない端正な顔で。
凛とした佇まい。誰もが憧れ羨むような清廉さで。
アムイにとって、彼は生涯の英雄(ヒーロー)だった。
こういう人間に自分もなりたい、こういう武人に自分もなるんだ…。アムイはいつもそう思っていた。
無口で、何をするにも格好よくて、強くて、いつも無表情で何を考えているのかわからなかったけど。
だけど思えばそんな彼は、近くに父アマトがいる時だけ、穏やかで、優しい笑みをたたえていた…。
大人になった今ならその意味もわかるが、幼いアムイはまだ無邪気で、素直に父と共にいる時の彼が好きだった。
父が傍にいれば、いつも彼は滅多に見せない微笑を見せてくれるから…。
その時だけは、自分にも優しい声で、優しい笑顔を向けてくれるから…─。

アムイの幼い記憶の中での、東の将軍ラムウはこのようなものだった。

生涯の憧れ、生涯の師匠…。
18年前に自分の大事な父を目の前で殺し、さらに自分を貶め、否定した言葉を投げかけられ、アムイの心をずたずたにした彼…。そのショックが自分を封印するきっかけになった原因だったとしても…。
それでもアムイの心の奥底では、彼を恐れてはいても、完全に否定できなかった。
無意識のうちにアムイは、彼の姓を名乗るのを許していたからだ。
それだけが、ラムウと自分の唯ひとつの繋がりのように思っていたのかもしれない。
もちろんその事に気がついたのは、大人になって記憶の封印を解いてからではあったが、完全に自分を否定されたあの時の心の傷は生々しく残っており、今でも震えるほど彼が恐ろしくもあった。

その、アムイの鬼門ともされる人物が今、このような場所で、このような憐れな姿で、自分の目の前にいた。


『アマト…さま…』


「ラムウだ…!間違いない…」
アムイの声は震えていた。
まさか、こんなところで彼の魂と出くわすとは…!

ラムウと思われる亡者は、傍にいるアムイには全く気が付かないようであった。
何やら呪文のような言葉をずっと呟いている。
耳に飛び込んできたその言葉は、アムイの全身を凍らせるほどの威力があった。

『……さま…』
どこから声が出ているのか、しゃがれてくぐもった声…。あの朗々として、凛としたラムウの声とは思えない。だが…。
『どこ…に…おられるのです…。アマト…さま…』
アムイは目をぎゅっと瞑った。
『どなたか…私の王子を…ご存じないか…。アマトさま…私の王子…。どこに?ああ、どこにおられるのか…!』
間違いない、父の名を呼び、探し回っているのがその証…。
彼の声は悲痛な叫びとなってアムイを揺さぶった。
『アマトさま、本当にどこにおられるのか…!酷い目にあっておられるのではないか?
ああ、それともさ迷って心細い思いをされているのではないだろうか…?
誰か…ああ、神よ!私をアマトさまの所へ!お守りしなくては、この私がお守りしなくては…。
私の神王、私の王子…。アマト様を裁かれるなら、私を…代わりにこの私を…』
思わずアムイは耳を塞ごうとした。
きつく瞑った目からは、じわっと涙が滲み出た。

ここまでラムウは自分の父を…!!
死してまでして…。気が付いているのかわからないが、己がこの地獄に落ちてまでも…!

「ラムウ…」
食い縛った歯の隙間から、彼の名がもれた。
「ラムウ…やめてくれ。もうやめてくれ…」
この自分の声が、キイのように父から譲られたものなら、ラムウは外の存在に気が付いてくれたかもしれないだろう。だが…。
ラムウの魂は目の前のアムイには全く気が付いていないようだった。
ふらふらと、そしてぶつぶつと言葉をくり返し、どこへ行くともなくさ迷い続ける。
これが東の鳳凰とまで呼ばれ、国で賞賛された男の末路なのか!
アムイはゆっくりと目を開け、その事実を逃げずに受け止めようとした。
彼の憐れな姿が涙でかすむ。
アムイが呆然とその姿を見ていた時だ。
今までぱたりと止んでいた父アマトの声が、頭上の方で辛そうに響いた。
『……ラムウはこのままだと、無意識にも無間地獄に落ちてしまう…』
「父さん?一体今まで…」
『……すまない…アムイ…。どうしても辛くて、言葉が出なかったんだよ…。
ラムウは私の…大事な人間でもあったんだからね…』
「自分を殺した人間でも…?」
思わずアムイは正直な気持ちをアマトに問いかけた。
『…そうだ。いくら身勝手な行動だったとしても、彼は彼なりに私を思っていた。
…それは最期の時に嫌というほどわかったからね。…それに彼をこうさせてしまった原因は自分にもあるから…』
父の苦悶した声で、父が、いや父もかなり心を痛めているのがアムイにはわかった。
子供の自分ではわかり得ない…生前の二人の歴史があるのだろう。きっと自分以上に辛いに違いないのだ。
アマトの苦しそうな声は、アムイの心をかき乱しながらも続いていく。
『ラムウは死んでからも…ずっとあのまま、自分の心に囚われているままで。…その想いが強すぎて、それに固執し過ぎて、現実の世界に気が付けない…。だからここから出られない。混沌と、さ迷い続けている…』
そしてアマトは一息つくと、涙声で息子に語った。
『…もう…私すら彼はわからないんだよ…。何度も彼を此処から救いたくて、私は一生懸命語りかけた。
だけど、私の声は彼には届かない。それだけ今の私と、彼の間には深い隔たりがあるんだ…』
「父さん…」
父の悲しみを知って、アムイは居た堪れなかった。
その沈痛な言葉で、アムイは悟った。父がどれほど彼を思って、心を砕いてきたのかを。
だがきっと、ありのままに映し出されるこの世界では、いくらラムウが死して父と共に居たいと望んだとしても、波動が合わなければ会える筈もない…。しかも特に自分を殺すという一番の契約違反を犯しているとなると、その死んだときの思いが強すぎて、それに囚われ、自分か誰かに気付かされない限り、永劫に繰り返す地獄に落ちる。
…まさに、今のラムウであった。


彼は生前、敬虔なオーン信徒であり、それ故に盲目で高潔過ぎた。
それが過ぎたために客観性に乏しくなり、自分の物差しでしか周囲を測れなくなっていたのだ…。
大いなるものを信仰し、糧とし学びとするのは素晴らしい事であるが、それが組織となる宗教となると、難しくなるのは世の常である。
宗教が悪いとは言わない。が、それも全て調和の世界では、バランスの上に立っている。
何事もその調和や中庸が必要なのである。
信仰が過ぎ、宗教に陥れば、それは己の視野を狭くすると同じ。
バランスを欠き、真実にも気付けずに、崩壊する危惧も出てくるものだ。
─だから彼は己の世界しか見えない地獄にいる。
死しても尚、これが全てだと思い込んだ自分だけの想念の世界から抜けられないのだ。
どれだけ外の世界が広いのかも、見方を変えればどれだけ楽になるのかも、思い込み激しく、執着の過ぎた魂にはわかる筈もない…。
それはきっと己が気付くまで、自分自身で囲う、永遠と続く魂(たましい)の檻のようなものである。


「…どうしたら、いい?俺、どうしたら…」
アムイは震える唇で、そう呟いた。
父と同じく、アムイだってこんな彼を放っておける事なんて出来る筈もないのだ。
ぼんやりとしたラムウの憐れな姿。その姿が生前の光り輝くばかりの彼の姿と重なった。
「ラムウ!!」
その時のアムイは、彼への恐怖よりも、懐かしさが、切なさが勝っていた。
無意識のうちに、アムイはラムウの身体(ここでは霊体であるが)に衝動的に飛びついていていた。
彼の縮こまった背を抱きかかえるようにして、アムイはしがみつき、揺さぶった。
「ラムウ!!目を覚ませ!俺だよ、アムイだ!!」
それでもラムウの魂は、ぶつぶつと言葉をくり返し、目はうつろで何も映ってはいない。
「ラムウ!気が付いてくれよ!ここから早く目を覚ましてくれ!!」
アムイは泣きながら、彼の背を抱きしめた。
まるで嘘みたいだ。
本当にこれが自分の憧れていたラムウなのか…。
自分よりも遙か大男と記憶していた生前の彼と違って、今、感じている彼はまるで老人のように枯れ果てて弱々しく、大人になった自分がすっぽりと余裕で抱きかかえられるほど小さく…。
「頼む、頼むよ、ラムウ…。父さんだって、こんな貴方を望んでなんかいやしない。
こんな貴方を見て、どれだけ悲しんでいるか…」
泣いても叫んでも、全くといっていいほど相手に届かないもどかしさをアムイは痛感した。
「頼むから、この檻から出てきてくれよ…。外の世界に気付いてくれ!
本来の自分に戻ってくれよ…!!」
そう叫んでアムイははっとした。
(本来の自分に…)
突如として、泣きそうなキイの顔が脳裏に浮かんだ。
(ああ、キイ!!)
アムイはキイの言葉無き積もり積もった思いを、自分も同じ立場になってやっと理解したのだ。
─…キイの悲痛なまでの自分への深い思い。今実感を伴って、はっきりとアムイは悟った。

《待ってる…》

アムイの心にキイの言葉が突然響いた。
(キイ…?)
顔を上げたが、もちろんキイの姿は無い。

《待ってる…。俺は待ってるぞ…》

父と似た声─…だけどもうアムイには、キイと区別がつくようになっていた。
ずっと父と会話していたからか、それとも、やはり自分の片割れ。魂が本能的に察知したのか…。
とにかく、はっきりとアムイはキイの溢れる想いを、何故か今この時になって全身で受け取ったのだった。

《お前が自分の殻を壊して抜け出して、自分の目で外界を見、本来の自分を取り戻し、再びこの俺の元に戻るのを。
この地獄から這い上がり、この高見を昇り、再び俺と共に肩を並べてられる事を。
ずっと…ずっと…俺は待つ─…》

(キイ…!)
深い、深いキイの自分への切ないまでの想いを今、アムイは全身に感じていた。
わかっていたようで…本当は全く気付いてなどなかったのだ。
キイが、これほどまでに自分の目覚めを待ち望んでいた事を…。

(今のラムウはまるで…俺と同じじゃないか…)
きゅっとアムイの心が痛み出した。
そう。自分の思い込みが生んだ恐怖という殻…檻に閉じ篭り、己を見失って外界に出る事が出来ない…。
囚われているものは違っても、その感情に翻弄されている。
まるで今の自分と似たような状態のラムウと再会し、キイと同じ立場になってみて初めてわかったのだった。
(キイ…ごめん。本当にごめん。…お前にこんな思いを、俺はさせていたのか…!)
涙ながらにアムイは決意した。
ラムウを呼び戻すには、並大抵の思いでは駄目だろう…。
アムイはしっかりとラムウの両肩を掴むと、幼い頃に彼と過ごした数々の思い出を思い起こし、その感情を言葉と共に、ありったけの思いを込めて彼にぶつけた。
「思い出して、ラムウ!俺とキイと、そして父さんと。そして皆と共に旅をした事を。
俺は楽しかった。貴方と共に過ごせて、本当に楽しかった。
いつもラムウは小さな俺を肩に乗せてくれたよね?
剣だってたまに教えてくれたじゃないか!
ラムウはいつだって一番強くて、頼りになって…」

アムイの執拗な叫びに、ラムウの身体がしばらくして反応した。
今まで呟いていた呪文のような言葉が止んだのだ。
「ラムウ?」
期待を込めて、アムイはラムウの正面に回り、彼の顔を覗き込んだ。
ふるふると彼は震えると、うつろな灰色の目をゆっくりとアムイに向けた。
「ラムウ!」
まさか…自分に気が付いてくれたのでは…。
アムイの淡い期待も、次の彼の言葉で、一気に吹き消されてしまった。
『おお、これは…。どなたか存ぜぬが、教えてくれぬか。今、人を探しているのだが…。』
「ラムウ…」
自分の呼びかけが、完全に彼の耳には入っていない様子であった。
誰かが話しかけていた事に気が付いたにしても、その内容までは彼の頭には届いていないようだ。
『これはよい所でお会いした。
─アマト=セドナダ…。
この者なのだが、どこかでお会いした事はないか』
「おい、しっかりしてくれ!俺だよ!アムイだよ!!わかるか!?」
アムイは必死になってラムウを激しく揺さぶった。
だが長い間、自分の檻に入っていたラムウに、すぐにわかれというのは無理な様であった。
『あの方は一体どこにおられるのか…。私はあの方をお捜ししなければ…。
この身に代えてもお守りし、神の許しを請いに行かなければならないのです。
早く見つけなければ。きっと心細い想いをされているのに違いない…』
「ラムウ…俺の事がわからないのか…」
悲嘆に暮れたアムイは、むなしくなって彼を揺さぶるの止めた。
そんな簡単には、彼の長くて深い、囚われている思いを解放するなんて事はできないのだろう。
だが、自分の呼びかけを理解してないとしても、それでも他者であるアムイの存在に気付いたのは、いい傾向なのではないだろうか?
アムイはそう思い立って、やり方を変えてみた。
今まで自分の思いの丈だけを相手にぶつけていただけなのを、今度は相手の気持ちに同調してみようと思ったのだ。
「……わかった。貴方は人を捜しているんだね。その人が、どんな人か教えてくれないか?
貴方がここまで思うほど、きっとその人は素晴らしい人なんだろうね」
アムイの優しい問いかけに、ラムウが一瞬ピクリと身体を震わせた。
「貴方の、大事な人…なんだろう?…早く、その人に会いたいのだろう?」
『………そう……。私は……』
ラムウの身体が小刻みに揺れ、自分からアムイの身体に手を差し伸ばし始めた。
(ラムウ…!)
自分の問いに反応した!
アムイは咄嗟に彼のその手を取った。
「私は?」
『会い…たい…』
「……ラムウ…」
『お会いしたい…あの方に…!会って…会って…。……お詫びしたい…』
震えながらラムウは、徐々にアムイにすがりついた。
『ああ…、お詫びしなければ…!』
「詫びる?誰に?…神に?」
『神…?いや、違う。…あの方に、アマト様に、全てに…!私はお詫びしなければ…』
思いも寄らない彼の言葉に、アムイは一瞬声を詰まらせた。
ラムウの震えは、彼の魂の中心からくるものの様であった。
今まで頑なに囚われていた思いが、他者の存在に気付いた事で、崩れてきたのだ。
そして、アムイの自分に同調する波動に誘導されるように、本人の素の魂が現れ始めたようだ。
『そう、だ。私はどうして…此処にいる?私は…ずっと…お詫びしたかった…のに…』
枯れたような声色が、徐々に力強さを帯びてきた。
アムイはその言葉が、ラムウの本当の魂の声に感じられた。
そう、長き執着の思いに囚われていたとしても、本人の魂の深い部分、本質ではきちんと自分をわかっていたのだ。
アムイはきつく、ラムウの手を握り、万感の思いを込めてこう言った。
「貴方はもう、わかっている。本当の意味を元々知っている。
……悪い夢はもう過ぎたんだ…。この世に来ても尚、囚われなくてもいいんだよ。
手放そう、その執着を。そうすれば、きっと、貴方が真実に会いたい人に絶対会える。
ちゃんと自分の思いが通じる。自分がこれから本当にどうしたらいいかだってわかる。
心の底から詫びれば、己のした事を認識すれば、きっと…」
最後はまるで自分自身の御魂(みたま)に言い聞かせているようだった。
「新たに自分をやり直せる事だって…可能な筈だ」
アムイの頬は再び涙で濡れていた。
今まで通じなかった思いがこうして繋がり、波動が高まっていく様を、小さな感動を伴ってアムイの心を震わせ、それが涙となってこぼれた。
その涙は先ほどとは全く違う、慈愛の涙、そのものであった。
その雫は頬を伝い、ぽとっとラムウの手に落ちた。
『ああ…ああ…』
ラムウの手が輝き始めた。彼は信じられない、というような表情で、その自分の手を見ていた。
「貴方の大事な人に、自分の魂が叫ぶ本当の気持ちを伝えよう…。
だから此処から出ておいで…。
ラムウ、貴方の大事な人の魂は…ずっと、ずっと長い間、貴方が目覚めて真実に気付く事を、ずっとずっと待ち望んでいるんだよ。それをわかって欲しい。その人の貴方への思いを。─大きな愛を…」
『ああ!アマト様!!』
ラムウの空虚な目に光が戻り、彼の目からも涙がこぼれた。
その涙はどんどん溢れ、とめどなく流れていくと同時に、彼の体が光輝き始めた。
「ラムウ…!」
徐々に彼の魂は、ずたずたの悲惨な姿から、生前の、輝くばかりの美しい姿と戻っていった。
アムイはただその光景を、感動を持って言葉も無く見守っていた。
『そうです…。私はあの方にずっと詫びたかった。
あの方を、自分の愚かで浅はかな…自分勝手な思いで…。結局壊してしまった…!
自分の思い込みで、あの方の“生”を無理やり絶ってしまった…!
お詫びしてもしたりないほど…。そうだ、私はずっと、あの方を捜して、謝りたかったのだ…!』
「…よかった…。そうだね、それが貴方の魂が本当に望んでいた事なんだね…」
『それから…それから…私はたくさんの者達にも謝罪し、償わなければならない…!
私が真実に対して盲目だったために、傷つけた数多(あまた)の魂に…!!』
「ラムウ!」
アムイは嬉しかった。心底喜びに震えた。
目の前の彼は、自分が生前覚えていた彼の姿、美しい姿そのものであった。
『……ありがとう…』
ぽつりとラムウの魂はそう言うと、アムイの手を握り返した。
『どこのどなたかは存じませんが、私の目を覚まさせてくれて、本当に感謝する…。
どうお礼を言ったらいいか、わからないくらいだ』
「ラムウ、俺は…」
胸が苦しくて、言葉が出ない。
(…ここまできても…ラムウは俺の事がわからないのか…)
アムイは嬉しい反面、落胆した。
確かに彼が覚えているだろう自分は、年端も行かない子供であった。
だとしても、父アマトによく似ていると誰しもが言う今の姿、それすらもラムウにはわからないというのであろうか。
素の魂に戻りつつある彼には、そのような今生の、仮の器である人の姿などには、関心が無いのかもしれないのかもしれない。だがそうだとしても、ラムウにとっての自分が、その程度しかない存在であったという事に、アムイはがっくりと気落ちした。
輝かしく微笑みすら浮かべ始めたラムウの表情とは逆に、アムイの顔に陰りが見え始めた。
いけない、と思っても、あの時の感情が思い起こされた。
……この目の前の人に、疎まれ、蔑まれ、否定された時の、あの苦しくも哀しかった感情が再び…。

『………そういえば…』

落ち込むアムイに突然、ラムウは思い出したかのように呟いた。
『あの子はどうしただろうか…』
その言葉に、暗く沈んでいたアムイの心はどきっと早鐘を打った。
『私には償わなければならない魂はたくさんあるが、……そうだ…。何で私は今まで忘れていたのだろう』
「あの子…って…」
アムイの呟きに気付いているのかいないのか、それはラムウの表情からは推し量れなかったが、彼は穏やかで、悲しそうな声で言葉を続けた。
『…ああ…そうだ…。あの子がいた…。
あんなに純真無垢で、優しかったあの子を…』
「……」
『私には義理の息子と契った子がいた筈だ…。
どんなにあの子を愛したくて、でもできなかった自分が本当に悔やまれる…。
それなのに、あの子は本当にまっすぐに、こんな穢れた私に純粋な思いを寄せてくれていた…。
なのに、ああ、それなのに…。
目くらな私はあの子を思い切り傷つけてしまった…。自分の置かれた状況で、私はその子を忌むべきものと信じ込んでいたんだ…。だけど、本当はそうじゃなかった…。本心では、あの子を…私はあの純真無垢な天の子を…』
繫がれた手から彼の想いが映像となって、アムイに雪崩れ込んでくる。
初めて小さな身体を抱き上げた時の事、優しく頭を撫でてあげた事…。そしてその子を肩に乗せた時の小さな重み…。
父らしい事をそんなにしたわけではなかったが、ラムウの思いは、その子供と過ごした優しい時間に溢れていた。
『愛していた…。あの子は自分にとって必要な子だったんだ…。
闇に向かおうとする私の、最後の抑制だった…。あの子は…』
ラムウの目から、解放の涙が流れ落ちた。
『あの子は私を、良心に戻す最後の鍵だったのだ…。
なのに…愚かな私は全く…気が付いていなかった…』
「ラ、ラムウ……」
『ああ、そこの方よ、お願いがある』
ラムウは他人行儀に目の前にいるアムイに語りかけた。
『もし、もし私の義理の息子に会うような事があったら、どうか伝えていただけないか』
アムイは息を呑んだ。
彼にとって、その義理の息子は多分、永遠に小さな子供のままなのかもしれない。
だから目の前にいるアムイが、その子供だったとは、彼の頭にはこれっぽちもないのだろう。
『…お前を傷つけ、苦しめて、悲しい思いをさせてすまない、と。
許してくれなくていい、だがいつか、この私が己自身を取り戻し、魂の刑期を終えたら必ずお前を守ると約束すると。
必ずや自分がした罪を償うと…。
そして、本当は愛していたと…』
「ラムウ!?」
そう言いながら、ラムウの身体が光の粒子に包まれ、消え始めた。
ふと、彼の背後、上のほうに目をやると、小さくも暖かな白光が現れていた。
それはまるで、気が付いたラムウの魂を喜んで迎えに来た、彼の案内人(ガイド)のようだった。
『不思議だな』
消えかかるラムウの手を懸命に追うアムイの手を眺めながら、彼は呟いた。
『何故だろう、あの子と同じものをそなたには感じる…。
この懐かしい、柔らかで芳醇な波動…。
だからなのか、最後にあの子の事を思い出せた。
よかった。本当にありがとう…』
「ラムウ、待って!その子供は俺だよ!今、目の前にいる俺なんだよ!」
うっすらと小さな光に戻りつつあるラムウに、アムイは叫んだ。
『………絶対に…伝えて…。そう…その子の名前は…確か…』
声もどんどん小さくなって、途切れ途切れになっていく。
「ラムウ!!」
アムイの手が宙を掴んだ。
『そう…アムイ…』
遙か彼方で聞こえたのが最後、気が付くとラムウの存在はこの場から綺麗に消えていた。
アムイは宙を掴んでいた己の手を、ただ呆然と眺めていた。
“愛していた”と、その言葉がアムイの心を温かく包んでいく。
(ラムウ…)
思わぬラムウの心を知って、アムイに満たされた思いが湧いてくる。それがひとつひとつ、アムイの心に刺さっていた棘を溶かし始めた。アムイは俯きながら、差し出していた己の手をゆっくりと下ろした。
救われたのは、相手だけではなかった…。
自分もまた彼によって、自分を傷つけた本人のお陰で、心の傷を癒されたのだ。
(…もう、伝わっているよ、ラムウ。俺の心に。お前の本当の思いが…)

その時、アムイの中心から熱い思いが沸き起こってきた。

“本来の自分自身に戻るんだ”

誰とは無く、そう何かが言った。

“いや、戻れる。魂の本質に、自分を戻す事ができる…”

それは自分の魂の源の声であったか、それがアムイに気力を呼び戻していった。


『ありがとう、アムイ』
呆然と佇むアムイに、やっと父アマトが呼びかけた。
「あ…」
父のその小さな声に、アムイは我に返った。
「父さん…そこに居たんだね…」
感慨深げにアムイがそう言うと、アマトは申し訳ないようにこう言った。
『……本体が別にある私には、地獄にあるラムウの魂には声は届かない。
だから、私は見守る事しかできなかった…。すまないな、アムイ。そしてありがとう…』
「父さん…。でも、よかったね。完全ではなかったけど、声、届いたよ、ラムウに」
アムイの言葉に、アマトは頷いたようであった。
『そう、直接ラムウの魂に働きかけるには、私は遠く成り過ぎた…。
もしかしたら、近くに存在できるお前なら、と私は希望を抱いていたのだよ。
お前が直接飛び込んでくれたお陰で、ラムウは気付くきっかけができた。
…これから本来の自分の行くべきところで、罪を償い、禊ぎ祓いながら己の魂を磨いていくこととなるだろう…。
それが上手くいけば、再び生きた世に転生し、人生をやり直す許しも与えられるだろう…。
本当に、本当にありがとう、アムイ』
そこでアムイは、此処に来る時に言いかけていた父の言葉を思い出した。
「そういえば、父さんは何か言いかけたよね? ほら、此処に出る直前に…」
アマトは一息つくと、アムイに説明し始めた。
『実は、必ずやお前はラムウの魂と出会うと私は思っていた。
それが何故かと言うと…。
─あの時言いかけたのは、自分が死した後、追うようにラムウが自ら命を絶ったとき、彼の負の波動がお前を揺さぶり、そのせいで鍵を失ってしまったということだ…。私は宙でそれを見ていたのだよ』
「なんだって…。それじゃあ…」
『鍵は翻弄されたお前から飛び出し、嘆き苦しんでいるラムウの魂の波動に引きずられ、共に地の底に落ちていった…。
最初は何を見たのかわからなかったのだが、……しばらくして己も地の底で禊した後、天に向かうときに全て悟った。
だから必ずや鍵の行方は、ラムウの魂の近くにあると思っていた…』
父の説明に、アムイの魂も納得した。
「そうか…。だから俺は無意識のうちに…引かれるようにしてこの地獄の近くに流れ着いたのか…」
『天から預かりし万物の鍵は、持ち主であるお前にしか見つけられはしない…。
惹かれるようにして此処に来て、さ迷うラムウを見つけたということは、鍵はこの地獄にあるということなのだな…』
父アマトもまた、自分が腑に落ちたように呟いた。
『だから必ずお前はラムウと出会うと思っていた…。
私だって彼を救いたくて、何度も魂に話しかけた…。だが、ラムウは私すらわからなくなってしまっていた。
お前にもわかったと思うが、それだけ深い、自分だけの思い込みの檻にはまってしまっていた。
自分が天に上がってからは、尚更私の声も届かなくなってしまった。
この魂は、地獄の底…入り口でさえ、もう行く事は出来ないから…。
何かのお役目、天から許されない限り、此処には天界の者は入れない』
「だから俺のガイド(案内)を買って出てくれたの?」
『一番の理由は、お前の魂を自分が守りたかったからだけどね、アムイ。
…キイの時は何もしてやれなかったし、生き残ったお前が闇の中で苦しんでいるのもよく知っていた。
だからお前ともう一度、直接話もしたかった。…お前がラムウのように、自分の檻に入ってしまっていた時は、いくら私達が語りかけても、全く届かないだろうしね』
「父さん…」
父アマトの深い愛情に、アムイは素直に喜んだ。
そう、自分はこうして、ちゃんと愛されてきたんだ…。
父さん、ラムウ、キイ、そして…。
アムイは頭を振ると、意を決したようにアマトに言った。
「必ず俺は、鍵を見つけてみせる。…ラムウが此処にいたという事はきっと、いや、絶対にここら辺りにある筈だ。
必ず見つけて…そして、戻る!
皆の…キイの元へ」
『そうだ、アムイ。私は…』
父の声がほっとしたような響きで言いかけたその時、何か地の底からごぉぉ、という唸りが昇ってきた。
「な、なんだ!?」
アムイが言ったと同時に、突然地が揺らぎ、どこぉんと大きな音と共に地面が崩れた。
「うわぁあ!」
アムイの身体は高く放り出された。そして身を翻したアムイは、どんどん崩れる地面に足場を探して、壊れる岩と岩の間を飛び跳ねた。
周りに気が付くと、驚く事に地面だけでない、この世界自体が崩壊を始めていたのだ。
「父さん!!」
アムイは助けを呼んだ。
『アムイ!!どこかに、どこかつかまる所を探せ…、アムイ!』
父の声がどんどん遠くなっていく。
「マジ、かよ…!」
思わずアムイは呟いた。
『アムイ─……!…─!!』
遙か遠くで父の声がしたかと思うと、ぶつっとその存在が途切れた。
「とっ、父さん!!?」
まさか!まさかガイド(案内)の存在が消えるなんて…。そんな事が…!
アムイの背に嫌な感覚が走った。
崩れる世界に、アムイは今、飲み込まれそうになっていた。
「く、くそ!」
もがき抜け出そうとするアムイをあざ笑うかのごとく、崩壊した世界は今度、物凄い力によって下の方へと吸引され始めた。
「う、うわ!」
もちろん、アムイも共に、大きな力で地の底の底(アムイは本能的にそう感じた)に引っ張り込まれていく。
「う、わぁぁぁーっ」

≪誰がこの場を荒らしていいと言ったのか!!≫

吸い込まれていくアムイの耳に、突然ドスの効いた声がつんざいた。

≪わしの許可なしに、何故にこの場以外の異質な波動を出し、此処の秩序を乱したのか!!≫

(こ、これは…)
アムイの脳裏に、あの小さな邪鬼の言葉が甦ってきた。

“そうさね。餓鬼地獄を担当されてる魔王様だ。おっかねぇぞ。
地獄でも3本の指に入る怖さだ”

(ま、まさか)
アムイは焦った。

“………まぁ、なるべく邪悪鬼様にもお会いしないよう、目的を果たしなね。
地獄一凶暴な怪鳥を飼っているんだ。機嫌を損ねたら本当にあの方は恐ろしいからさ”

≪この場を崩壊した者を、許すわけにはいかん!!
地獄鳥の餌としてくれるわ≫

その恐ろしい怒声は、地の底、奥深くからビリビリと世界を震わした。

アムイは身震いし、腹を括った。

もう間違いない。
自分は今、この餓鬼地獄担当の魔王である、邪悪鬼魔王(じゃあっきまおう)に召喚されつつあるのだ。
地獄でも3本の指に入るというほどの…地獄の大魔王に…!


にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説へ
にほんブログ村

|

« 暁の明星 宵の流星 #150 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #152 »

自作小説」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 暁の明星 宵の流星 #151:

« 暁の明星 宵の流星 #150 | トップページ | 暁の明星 宵の流星 #152 »