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2011年8月21日 (日)

暁の明星 宵の流星 #154

何かを引き千切られたかのような激しい痛みがアムイを襲った。
痛みが酷すぎて声も出ず、自分はそのまま意識を手放したらしい。

「旦那」

遠い所からどこかで聞いたような声が、意識に響いた。
「旦那」
まるで自分を呼び戻そうとするその声が、段々近づいてくる。
「旦那、しっかりしておくれや」
気が付くと、身体を揺さぶられているような気がする。
そう…だ。
自分は確か、餓鬼地獄に落ちて、その獄の責任者である……魔王に…確か…。
「旦那ってば!!」
その声が耳元で強く響き、アムイははっとして目を覚ました。
「お、お前は…」
頭がガンガンして、尚且つ開けた目がちかちかする。
まだ微かに痛む頭頂を手で庇いながら、アムイはゆっくりと起き上がった。
視線を下に落とすと、見張り役として入り口にいた、先ほどの邪鬼が大きな目をしてこちらを見つめていた。
「俺は…」
「ああー、ホントに亡者の魂(たま)になっちまって…。
ガイド(案内役)の方はどうされたんすか?何でこんなことに…」
「亡者の魂って…!じゃあ俺は」
「邪悪鬼(じゃあっき)様の怒りに触れなさったね?あの方は中途半端がお嫌いな方でね。
まあ、それはいいとして、何をしたのかは知りませんが、ちょっとまずいことになってますだね」
「見張り役のお前が何でここに…?
という事は、俺は入り口に戻ってきてしまったのか…」
と、頭を抑えながら、きょろきょろと辺りを見回すアムイに、邪鬼が溜息混じりにこう言った。
「いんや。餓鬼地獄の上部、“待合の間”におるだね。
ここは魔王様に直に呼び出される極悪人が、一時閉じ込められる檻さ。
オラは旦那を案内した責で、ここに呼ばれたがや。
詳しいことを報告する義務があってね」
「…そうだったのか…。申し訳ない、お前に迷惑が掛かってしまったな…」
「オラのことはご心配無用ですよ、旦那。
意外と此処は、役回りの鬼には事務的な扱いをするでね。
問題なのは旦那の方ですよ。
これから魔王様の前に引っ立てられて、どのようなことをされられるか…」
ちょこんと正座して自分を見上げる餓鬼に、憐れむような表情が浮かんでいる。
「どのような…。地獄鳥の餌にでもされるのかな…」
「旦那は肉界(地上、人界のこと)に戻るお気持ちはあるのですかえ?」
アムイの呟きには答えず、いきなり餓鬼は問うた。
「もちろんだ。此処で目的を果たしたら、俺は必ず戻らなければ…」
と、アムイは言いかけて、今更に、自分の状態が本当にまずいのだという事に、はっきりと気が付いた。
「ならば尚更、オラの言う事を聞いておくれや。
旦那は肉界でつけられた名以外に名前をお持ちかい?」
「名前?それが何を…」
「この獄界の者達に、肉界で生まれたときにつけられた名を絶対に教えてはいけませんよ。
そうなれれば、魔王様に肉界での名を掴まされ、その名を与えられた元の世界には戻れなくなる。
…つまり、完全に死人になるっつー、しかも、最悪にもこの獄界から逃れなくなるね」
「そうなのか」
アムイは驚いて邪鬼の顔を覗き込んだ。
「はい。何せその世界で生まれた時につけられた名は、その魂(たま)の符号ですからに。
その名から魂の全てを引き出すこともできるし、その名が付いていた肉界での全てを読み取れますからね。
名って不思議なんすよ。
…一応、名がわからなくとも、魂(たましい)本体を読み取れることもできるんですがね。それをするには天界の情報書庫を開けなくちゃならんで意外とやっかいなんすよ、下々のもんには。でも、その時に付けられた名がわかれば、そこからその魂の情報を読み取る事ができるんで、素性を明かされてまずいお方は、必ずや本当の名(真名・まな)を名乗りませんね。相手に己を明かされてしまうんで。しかも最悪の場合、相手に支配される恐れもありますんでね。
まぁ、そういうこともあって名のない亡者は結構面倒らしいです」
確かに高位になればなるほど、呼び名が増えていく者がいる。そして滅多に本当の名を口に出さない。
口にするのは親、親戚か、家族。親しい友人くらいだろうか。
それはこのことから来ているのかもしれないな、と、アムイは率直にそう思った。
「なら、絶対に名前を教えなければいいんだな」
アムイの問いに邪鬼はウンウンと頷くと、こう聞いてきた。
「旦那は異名をお持ちかね?」
「異名?」
そういえば、付けられた名以外に名があるか、と聞かれていた事をアムイは思い出した。
「肉界でも、この世界でも、天でも。高位のものが与えたもう一つの名は、魂を牛耳られなく、かつそのものを表せるという便利なものだて。…ま、肉界ではあまり持っているものが少ないと思うんで、役職名でもあだ名でも何でもよいんだが…」
「異名は…持っている…」
ポツリと言うアムイに、餓鬼はぱっと明るい顔になった。
「なら、名を聞かれたらそれを言えばいいがや。
そうすればそれ以上本当の名を追求されずに済みますよ。 
それだけ高位のものが与えた名というのは、全世界に通用するありがたいものだね。
…ということは、やはり旦那は……」
「何だ?」
目を丸くするアムイに、餓鬼は言いかけて笑いながら首を振った。
「いや、何でもないすよ。ま、正規な異名をお持ちなら、大丈夫でしょ。
まかりなりにも地獄の魔王様には、その場でつけた場当たりな名は通用しませんですからね。
それが嘘か真かを見抜くお力は物凄いものだて。ま、それがお役目のひとつだから当たり前なんでしょうけど」
そこで餓鬼は屈強な茶色の鬼に呼ばれて、その場を去ることになった。
去り際に、餓鬼は小声でアムイに言った。
「いいですか。獄界でも時間は流れておりますに。2回目の夜になる前に、できれば此処を出て下せ…。
そうしなければ、旦那は肉界での死を迎えます。元に戻るのが厳しくなる。
オラもなるべく、穏便に済ませるよう、魔王様に取り計らってみるがね」
「すまないな…そこまでよくしてくれて…」
「いんや。旦那を此処に案内したオラの責任もあるがや。…じゃあ、頑張って」
餓鬼はそう言って片目を瞑ると、ひょこひょことその場を去って行った。

しばらくして、アムイは大柄な赤い鬼に連れられて、邪悪鬼魔王(じゃあっきまおう)の広間に通された。
そこはただ広いホールのような場所で、ドーム型の天井 には、まるで絵の具で塗りたくった様な天体の様子が描かれていた。よく見ると、そこから人の形をした亡者が、何人も縄で吊るされている。
そして、広間の奥には巨大な玉座にこれまた巨漢な体躯をした魔王が鎮座して、こちらをじっと睨みつけていた。
その魔王の周りには、赤や茶、緑などの様々な色の鬼達が控えていた。
まるで値踏みするような鬼達の視線。ここに入ってアムイは、一斉に彼らの注目を浴びた。 
気が付くと目の前だけでなく、後方にも鬼が多数、自分の様子を窺っていた。どうも野次馬らしい。
「どうだね、霊体だけとなった感想は」
邪悪鬼魔王の裂けた大きな口から、唸るような低い声が響いた。
「此処での声がよく聞こえるようになった」
アムイは抑揚のない声で答えた。
まっすぐに見据えるアムイに、邪悪鬼魔王は興味津々な眼差しを向けた。
「面白い男よの。このわしの前で顔色一つ変えぬ。
さて、どうしてくれようか。ここでの落とし前を」
「………それは知らなかった事といえ、本当に申し訳ないと思っている。
でも、俺にだって色々とあるんだ.、って言うか、俺の魂(たま)を肉から無理矢理引き千切るだけじゃなかったのか?
一応それでチャラになったのでは…」
「口答えとは生意気な。ここで扱いしやすくするために、お前を霊体にしたんだ。
文句言うな。
…まぁ、いい。お前、人界での名前は何という?」
そう言いながら邪悪鬼魔王は、目の前にある机の上に広げている大きな台帳に、朱色の羽がついたペン先を向けた。
「………暁…の明星」
アムイのぼそっとした返事に、周囲の鬼達はどよめき、目の前の魔王は片眉を上げた。
「それは異名じゃな。ふぅん、誰かに入れ知恵でもされおったか」
と、魔王はニヤリと口の端を上げた。誰かを思い出している様子だった。
多分先ほど報告にいった邪鬼の事を思い返していたのであろう。
しかし、思わぬところで、アムイの異名を聞いた鬼達のどよめきは一向に納まらなかった。かえって興奮して各々好き勝手に喚き、喧騒はまったく止みそうにも無い。
「おい、聞いたか!【暁の明星】だとよ!」
どうやらその理由は、アムイの異名にあるらしかった。
「【暁の明星】とな?何とまあ、どえらい名前の奴がきたもんじゃ」
「暁っていったら男を惑わす女神の名前じゃねぇか、男なのに女神の名がくっついているのかよ!」
「いやいや、肉界では男にも暁くらいつけてるようだぞ」
「だけど、絶世な美女の神だぜ、暁を司る女神はさー。まぁ、肉界で知ってる奴いるかはわからんが」
鬼達の半ばからかうような会話に、アムイはむっとしながら問うた。
「ここでは暁という女神が定番なのか?人界では暁とは、夜明け前という意味で扱っている言葉だが」
「だから夜明け前を担当する女神なんだよ、暁姫は。オイラは見たことないが、えらいベッピンさんらしいぜ。
何ていうか…男の欲望を目覚めさせるために生まれてきたようなお人らしい」
「ま、彼女がいないと、天空で朝の訪れが来ないとも言われているしなぁ。
天体でいう太陽の君も、姫にはぞっこんだからさー。だから彼女を追いかけて追いかけて肉界に朝をもたらすわけなのよ」
ニヤニヤしながら好き勝手に言っている鬼達を一瞥すると、アムイは正面にいる魔王に険しい顔を向けた。
「それが俺の異名と何の関係があるんだよ。いくらこの世界では女神の名前だからといって、人界では関係ない」
「まぁ、そうだ。だがなぁ、此処じゃ女っけが皆無なんでね、鬼達がざわめくのも無理はない。
特に暁姫は夜明けを担当するために妹姫の月の女神と共に夜に存在する。
闇に棲むこやつらがお目にかかれる可能性の強い女神の一人でね。
しかも若くて色気たっぷりな多情な女神とくれば、この界隈で人気なのは仕方あるまい。
その名前と同じ者…しかも男が来たんだ。興奮するのも無理なかろうよ」
邪悪鬼魔王は無表情に言うと、さらさらとペンを紙に走らせながら話を続けた。
「それにこれは異名であろう?人界での異名は高位の者…特に天体の名は、それに加え徳の高い者しか付けられぬ格別なもの。その者がこの事を知らずして付けるわけがない。異名とはあらゆる意味が込められて然るべきなのだ」
魔王の意味深な言い方に、アムイは益々眉根を寄せた。
そういえば、いつの間にか異名が付いていたな、と。今更ながらアムイは思い出した。
幼い自分を脅かしたあの日から、数ヶ月間は記憶が曖昧だった。
気がついたら聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)で当たり前のようにこの名で呼ばれていた。

《ねえ、キイ?皆がおれのこと、暁って呼ぶんだけど…》
いささか不思議になって、門下生となったその夜、隣で寝ていたキイを起こして聞いてみた。
《異名を貰ったらしいよ》
事も無げに言うキイに、自分は益々不思議に思ったものだ。
《い…みょう?って、何…?》
《高位の者から授かりしもう一つの名さ!
お前は“暁の明星”。俺は“宵の流星”。
武人として武道を極め、名を馳せるには格好の名だろ!?
しばらく世間で使う時は、俺はこの名を使おうと思ってるんだ》
《…どうして…?》
自分の呟きに、キイはアハハ、と高笑いすると、自慢げにこう言ったのだった。
《だって、カッコイイから!》

今思えば、あんな事を言ってはいたが、多分あのキイの事だ。
自分達の素性を隠すために、少しでも異名で世に出たかったのかもしれない。
だがこんな所で、この異名がこのように役立つとは、あの時は微塵にも思ってもみなかったが…。
と、ぼんやりとそう思ったアムイに、魔王の声が耳に届いて我に返った。
 
「…しかも明星…とな…。ふぅーん」
「何だよ…」
アムイは思わずぼそっと口の中で呟いた。
まるで、その異名から自分の全てを読み取られているという不快さ。
今、それをひしひしと感じていた。
しばらくして、突然魔王のペン先が止まった。
「ほう、お前があの噂の魂(たま)であったか」
「………?」
勝手に一人で納得している魔王に、アムイは苛立ちを覚えた。
しかも、何故か天下の大魔王に対し、段々と恐怖心が薄れてきている自分にも驚いていた。
「おい、一体何の事を言っているんだ?」
言葉使いも乱暴になり、その都度魔王の側近と思われる鬼達に睨まれる。
だが、魔王はアムイの態度にはお構いもなく先を進めた。
「それでも罪は罪じゃな…さぁて、どうしてくれようかのぉ」
じぃぃ、と探るようにアムイを見ていた魔王は、ニヤ、とまた口の端で笑った。
「わしの鳥に一度喰われてみるかね?」
「…は?」
「この広い地獄界の中でも、最高の凶暴さと美しさを持っておる。
いつの間にか此処に住み着いた緋色の怪鳥でね。今はわしが飼っておる。
…こやつの真名はわからぬが、ここでは炎獄の地獄鳥(じごくちょう)と皆は呼んでるな」
と、魔王が言い終わらぬうちに、鬼が両脇からアムイの腕を拘束し、がっしりと逃げられないよう力を込めた。
(…やはり鳥に食わせる気かよ…)
はぁっと溜息をついて、アムイは首を振った。
「恐ろしいであろう?霊体とはいえ喰われている最中は、肉を引き千切られる感覚そのままだからなぁ。
耐え切れるかな?生きたまま喰われるというその恐怖と激痛の再現に」
「………」
言葉無く己を睨み続けている目の前の男に、魔王はニヤリとすると、顎で手下の鬼を促した。
「連れて行け」
その言葉に、両脇の鬼達は物凄い力でアムイを引っ張り立てた。
「随分と乱暴だな」
アムイは顔を歪めると、目の前の魔王に文句を言った。
「口の減らない男だ」
魔王が呆れたようにそう呟いた時だった。

グワァァァーン!!!

鈍い音と共に、ホール全体が大きく揺れた。
「なっ、何だ!?」
「まさか…」
周囲の鬼達も血相を変えてどよめいた。
天井がゆらゆらと揺れ、吊り下がっていた亡者が幾人か落ちてくるほどの衝撃だった。
「またか!」
思わず邪悪鬼魔王は叫んでいた。

ドゴォォォーン!

その衝撃はなかなか止まず、短い間隔を空けて、何度も恐ろしげな音と共にその場を揺さぶり続ける。
「た、大変ですっ!魔王様」
揺れに翻弄されながら、一匹の鬼が息を切らして駆け込んで来た。
「また暴れだしたのじゃな?」
「はいぃーっ!でも今回は全く他の者も手がつけられませんっ!
魔王様、どうかお助けください!」
よほど慌てていたのか、その鬼は勢い余って魔王の足元に頭から突っ込んで転がった。
「うむ。仕方のない」
邪悪鬼魔王はそう呟くと、うんしょ、と巨大な身体をその場から起こして立ち上がった。
その様子を呆然と眺めていたアムイを、魔王はじろりと見下ろすと、その大きな手でアムイの胴体を掴んだ。
「なっ!何する…」
「お前も一緒に来い、好都合だ」
「は?」
きょとんとしているアムイには目もくれず、魔王は重たい身体をどしどしと言わせて歩き始めた。
「おい!どこへ行くんだ?俺に何しようとするんだよ!」
アムイは魔王の手の中でもがいたが、全く微動だにしない。
みしみしと揺れる廊下を過ぎると、突然外に出たのかと思われるようなただっ広い空間になった。
そこは真っ赤な世界だ。
溶岩が吹き荒れるような殺伐とした不毛な場。
噴き上がる熱い蒸気。熱砂まみれでのたうち苦しむ亡者達。
折り重なるように高く積まれた霊魂の山。
…その彼らの上を踏み潰すかのように大暴れしている、緋色の巨大な怪鳥が目に飛び込んできた。
真っ赤な火の様な舌を鋭い口ばしから覗かせ、何ともいえない奇声を発している。
まるで人の赤子のような甲高い鳴き声。
全身は緋色の羽毛に覆われ、その羽を大きく広げ動かすたびに熱風が周囲を巻き込み、炎が立ち昇る。
その姿は一見すると、まるで伝説の東の鳳凰。いや、煉獄の炎を火龍と共に操る火の鳥である不死鳥に似ていた。
(※鳳凰は元は風の属性である東の守護神であるが、南の火の属性である朱雀と混同されて、火の鳥・不死鳥となって火龍と共に南の国の守護神ともなっている。なので、東では鳳凰は風の鳥、南になると火の鳥とされる。ただその姿は緋色の羽毛ということで共通されているが、鳳凰は雌雄があって、鳳が赤で凰が青色をしているされ、単性である不死鳥は赤い翼を持つとされる)
教典絵巻でしか知らないその姿を思い浮かべたアムイだが、やはり地獄にあって地獄鳥と云われるだけある不気味な姿に思わず目を背けた。
目は血走って黄色く不気味に光り、己の出す炎に焼かれたのか所々に剥げて黒くなった所があり、頭頂 には盛り上がった瘤があり、お世辞にもその姿は見られたものではなかった。
同じ火を扱う鳥とはいえ、絵巻に描かれている神鳥のような崇高な美しさが微塵にも感じられない。
ただ、その緋色の羽だけが、この地獄の中にあって、唯一讃えられるものかもしれない。
そう思い直して、アムイは恐る恐るその鳥をもう一度直視した。

ギャァァァーッ
ギィァァァ!

地獄鳥は興奮して鳴きながら、足元の亡者を踏み潰し、炎で焼いた。
その度に焼かれる亡者の阿鼻叫喚が周囲を揺るがす。
さながらに、これこそが地獄絵。アムイの喉が緊張のために上下に動いた。
その様子に気が付いてか、邪悪鬼魔王は面白そうな顔で、アムイを覗き込んでこう言った。
「たまにこの鳥はわしの思うようにならなんだ。
どうも発作的に苛付いて当り散らすようなのじゃな。原因はわからんが。
で、いつもは鬼どもや罪人を餌にして黙らせるんじゃが、丁度いい。
お前、こいつに何回か喰われてやってくれんか」
「な、何回か!?おい、さっきは一度って…」
「こうなったらわしでも手に負えんからなー。お前のような新鮮な亡者なら、鳥も満足しそうだ」
魔王の勝手な言い草に、アムイはカチンときた。
「このっ!離せ!!そんな簡単に喰われてたまるか!!」
自分の手の中で大暴れするアムイに、呆れたような溜息を付くと、いとも簡単にアムイを地獄鳥の前に放り投げた。
「うぁ!」
アムイは弧を描きながら、何と鳥の後ろ首辺りに落ちた。

キェェェー!

甲高い声を発すると、鳥は首を左右に動かしてアムイを足元に振り落とした。
「ぐ!」
アムイは咄嗟に身体を縮め、我が身を守るように転がった。
そのお陰で痛みは少なく、すぐに逃げ出せそうだ。
そう判断して、立ち上がろうと顔を上げた途端、目前に鳥の顔があってアムイは仰天した。
じっとこっちを窺うように、鳥は首をもたげ、自分の顔を覗き込むようにこちらを見ている。
アムイの背に、冷たいものが流れたような気がした。
(…ふっ。霊体だけとなってる筈なのに、身体の感覚は人界と変わらないんだな …)
自分を喰おうとしている鳥を目の前にして、いささかどうでもよい事を、アムイは頭の片隅でぼんやりと思っていた。
すると突然、細めていた鳥の両目がくわっと見開き、地獄鳥は細高い声でキェーと長くひと鳴きすると、がばっとその大きな口ばしを開いた。
「!!」
アムイの身体が硬直し、鳥の喉から針のように飛び出てくる赤い舌に、恐怖のあまり思わず目を瞑って顔を背けた。
そんな彼に、遙か遠くから、楽しんでいるような魔王の声が耳に轟いた。
ところが魔王は、アムイに蔑むような言葉を浴びせるわけでもなく、思いも寄らぬ問いかけをしてきたのだ。

「さあ、主(ぬし)がまことの【暁の明星】という名を授かりし者であるのならば、答えは簡単にわかる筈であろう?
…夜明け前の明るき星なら、その真実を見抜く目で、全ての理(ことわり)、全ての本来の姿が…」

何故か、その邪悪鬼魔王の言葉を聞いた途端、固まっていたアムイの指に力が甦った。

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.

「これは完全に仮死状態に陥っておるのう」
キイ達の知らせを受けて、ざっとアムイを診た昂老人(こうろうじん)は、深い息を漏らした。
「仮死状態…」
呟くキイに、昂は頷きながら説明した。
「うむ。大体、奈落に落ちると宣言しながらも、息があったというのがそもそも不思議じゃった。
普通は死後の世界、とりわけ地獄界に行くとなると、完全に一時、ここで肉体を捨てねばならないのだ。
つまり魂が身体から完全に抜けた状態になるという…な」
「じゃ、何で今までアムイは息があったんだ?」
昂はじっとキイの顔を眺めると、いきなりトン、と人差し指で彼の胸元を突付いた。
「もう一人のアムイは、お主のここにちゃんとおるかね?」
キイはハッとした。そうだ。
確かに今、自分の中でアムイの傷ついた子供の心を預かっている。
そうか…!だからこの子の魂が地上の自分の中にいるために、それが今生の繋がりとなっていたのだ。そのために、冥府へ行った筈のアムイの霊魂が完全に肉体から離れていなかった…。細い鎖で繋がれていたのはそういう事だったのか…。
「では、何故?何でいきなり息が止まった?」
そう、そのかろうじて繋がっていた鎖が突然切れたのだ。だからアムイは完全に息が止まった。
「憶測するに、唯一つ。
…わしも死後の世界には詳しくないからはっきりとはわからぬが、本当にアムイは地獄界に落ちたのであろうと。
多分何者かによって、霊線の絆を断ち切られたか…」
その言葉に、その場に居た誰もが恐ろしさに震えた。
「アムイ…」
「とにかくアムイの身体を冷やしておかないと駄目じゃ。
今は呼吸も止まり、脈もなく、身体も低体温。どう見ても死体と変わらんが…。
魂が戻れば蘇生する可能性あるわけじゃからな、それまで肉体の状態を維持しておかなければならん。
その反対に仮死状態といえど、このまま魂(たま)が戻らなければ肉体も完全に死を迎える。
そうすりゃお主の中にいる幼いアムイの心も本体を追って冥府へ行かざるを得ないであろう。
……長く持って1週間…。これから寒くなる時季で助かったわい」

こうしてキイ達i一行は、迎えに来たリシュオン達と共に、彼らが停船している小さな漁港を目指していた。
その漁港を少し行った所に小さな入り江があり、そこだと中型の船なら難なく目立たずに停船できた。
リシュオンは北の王の計らいで、この場所を提供してくれた事に感謝した。
北の王ミンガンは、自分達が今、大陸の運命を将来左右するであろう人物と関わっているという事に、薄々感じていたらしかった。しかし、彼は何も詮索せず、西の王子であるリシュオンを信頼してくれて思うようにしてくれた。
「とにかく、かえってアムイが仮死状態になったのは都合よかったかもしれませんよ」
リシュオンは、昂老人が加工した特殊な布(食べ物などを保存するために作った薬品を染み込ませたもの)にくるまれ、キイに背負われたアムイをちらっと見やった。
それに対し、昂老人も同意して頷いた。
「そうじゃの。…南軍の存在が消えたとはいえ、他に誰に狙われているかわからぬ。
特にアムイの“金環の気”。既存している高位の“気”である故に、微量に洩れても目立ちやすい。
封印されておらぬ今の状況では、ちょっとした事でアムイの存在に気が付かれてしまう筈じゃ。
…気術に精通しておる者、アムイの“気”を知る者、それに…邪眼を持つ…あの若者なら、いとも簡単に探られてしまう恐れがある」
邪眼を持つ若者とは、はっきり明言しなくとも、それがシヴァの息子、【姫胡蝶】カァラを指すのは、誰もがわかっていた。
確かにあの男ならば、アムイの微かな“気”を追って、自分達の居場所を嗅ぎ付けて来るだろう。
…キイは、アムイに並々ならぬ関心を抱いていたカァラに危機感を持っていた。
ティアンがいない今、一番の脅威は彼かもしれなかった。
(カァラ…か。つまりあいつの後ろにいる、荒波州…。これは一段と気を引き締めねぇと)
ずしりと重いアムイの身体を感じながら、キイはきつく唇を噛み締めた。
「さぁ、もう少しで今夜野宿できる場所に到達します。…キイ、大丈夫ですか?」
リシュオンの労(いた)わる様な言葉に、天下無敵の【宵の流星】は不敵に笑った。
「誰に向かって言ってるんだい?リシュオン。アムイの一人ぐらい、何ともねぇよ」
「そうですか…?なら、いいのですが…」
キイにそう言われても、確かに死人同様の、自分と同じくらいの体躯の人間を背負って山を下っているのだ。
彼への身体の負担は計り知れないものがあるだろう。リシュオンでなくても、誰もがそう思った。
それで何人かが交代を申し出たが、キイは頑としてアムイを他人の手に渡さなかった。
そんな彼を傍で見ていたイェンランの胸はざわめいた。
キイのアムイへの深い愛着を、その態度で生々しく感じ取ったからだ。

とにかく山の麓(ふもと)一歩手前、この森林の中で一行は夜を明かさなければならなかった。
漁港に行くまでは丸々二日以上はかかる。早馬で不眠不休で来ても、一日では足りない場所にあるのだ。
特に仮死状態の人間を連れての強行軍。慎重に進むしかなかったのである。
(アムイ…。早く俺の所に戻って来いよ)
キイは心の中で呟くと、薄暗くなっていく空をふと見上げ、そこに白くて丸い存在を確認すると小さく溜息をついた。
(今宵は珍しく、先月同様、満月が見事に姿を現しそうだ…)
月…。ネイチェルとサクヤが逝ってしまった時に、その妖しげな光を注いでいた闇を照らす存在…。

どうか月光の君よ。
闇を模索する魂に、慈愛と導きの光を与えたまえ。
そして月を支配する女神よ。
その光をもって今生の世界に辿る道筋を照らし出したまえ…。

真摯なキイの祈りが天に通じたのであろうか。その答えの代わりに一筋の小さな星が夕闇を流れた。
でもそれは、他の誰もが見落としてしまうほどの、本当に本当に小さな流星であった。


.................................................................................................................................................................................


思わぬ邪悪鬼魔王の言葉に、緊張で固まっていた関節が緩んでくるのを、アムイは不思議に感じていた。

「心の目でしかと見よ!お前が真に暁の申し子であるのなら、その目で真実を見抜ける筈なのだ」

何故、魔王はこれから喰われようとする自分に、このような事を突然言い出したのか…。
霊魂である筈のアムイの心臓が熱く高鳴り、魔王の言葉を受けて、同時に強く瞑っていた目を恐々と開き、鳥の正面を見据える。
何かが…。忘れていた何かを思い起こそうとするかのように、アムイは目を細めた。

「さあ、暁よ。お前の心の目に何が映る?何が見える」

せかすような魔王の声に、アムイは口元を震わせた。
「何が…?何が…って………!」
目の前では気が狂ったように威嚇する怪鳥の恐ろしげな顔が迫ってきていた。

その瞬間だった。
まるで突然落雷を受けたような衝撃をアムイは全身に受けた。
いきなり、目の前が大きく開けたような感覚がアムイを襲ったのだ。

「ああ、お前…」

突然、鳥の顔を見つめていたアムイの目から涙が零れた。

「何ていうことだ…」


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