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2011年9月

2011年9月29日 (木)

暁の明星 宵の流星 #161 その①


自分で自分を受け入れていないからこそ、
苦しくなる。

涙を止めていたのは自分。
涙を許さなかったのも自分。

それに気付いたお前は、
もう全てから閉じなくていいのだよ。

今ある神聖なる自分こそ
受け止め、許し、慈しんであげるのだ。

怒りも恐れも、悲しみも恨みも、
全て受け入れ、受け止めてあげよう。
そして手放す、解放する。
自然に返してあげるのだ。


……ほら。
今軸が立った。
自分の心に芯が通った。

お帰り、アムイ。
この時を、俺はどれだけ待った事か。

大地のように安定し、不動なものであればあるほど
大海のように深く、静寂であればあるほど
あの暁に映える明星のごとき輝きであればこそ

俺は安心してお前に全てを委ねられる。


キイの艶やかな低音の声が月夜に響き、まるで音楽を奏でるように周辺を魅了する。
月の光が二人を優しく包み、本来の対の魂(たま)を歓迎しているようであった。

「同じ目線に立ってこそ、双璧となる…か」
アムイが照れたように俯きながらそう呟いた。
「ん?」
キイが片眉を上げて不思議そうな顔をする。
「……キイ。俺、向こうの世界で、いろんな事があった。
いろんな収穫があった。……多分、お前にはもうわかっているかもしれないけど…。
大地の鍵を持つ俺には…“金環”を持つ俺には、冥界は避けて通れない事だと。
それは地の奥深く、地の管轄でもあるからだ。
俺はその世界を避ける事はできない…。それは生死関わらず、数多の魂と関わりあう宿命を持っているからだ。
…そうだろう?」
「…ああ、そうだ」
「恐れという枷が俺を檻に閉じ込めていた。
……愛する者を失う恐怖に、自分が耐えられなかったからだ。
でも、これは俺の…今まで培われてきた…業、でもあるわけだな」
アムイはふっと笑うと、再び顔を挙げ、しっかりとキイの目を見た。
「お前と同じ目線となってこそ、真の双璧となる、と言ってくれたのは…父さんだ。
俺は向こうで、色んな再会を果たしてきたぞ」
ニヤッと笑うアムイの目に、うっすらと光るものがあった。
「…そうか…!…そうだろうな…、お前、すっきりとしたいい顔になってる」
キイの声は震え、見詰める瞳が賞賛の色に輝く。
「……本当は俺、怒っていたんだぞ。お前が余りにも秘密主義だからさ」
少しだけ、アムイは口を尖らした。
「…ああ…ごめん。それは…」
口ごもるキイに、アムイはポンポンと肩を叩くと、軽く頷いてこう言った。
「……お前の事だ。それって全て俺を思っての事なんだろう?
例えばお前の寿命。あの頃の俺は異常に失う事を恐れていたものな…。
お前がそう言わざるを得ない状況だった、というのは…今ならよくわかる。
ああやって、暗示をかけるように言ってくれていたお陰で、俺は安心する事ができた。
本当に…俺こそごめん、だ。
俺こそお前を守らなくてはならないのに、結局ずっと反対に守られて来たんだよなぁ。
待たせて…本当に悪かった…」
「アムイ…!」
感極まったキイは、形振り構わず、いきなりアムイにがばっと抱きついた。
「ちょっ、く、苦しいったら、キイ!…と、え?あれ?
……おま…、泣いてるの!?」
「悪いかよっ!」
「キイ…」
自分の肩に顔を埋め、全身を震わすキイを、アムイはぐっと抱き寄せた。
その相方からは、懐かしい花の香りが漂ってくる。
(ああ…俺、本当に帰ってきたんだなぁ…)
アムイはやっと、自分の居るべき場所に戻ってきたと実感した。
ふわふわした感覚から、そして夢見るような感じから、今はどっしりと実感を伴って足が地についている。
「やっと、ね。今度こそ俺はお前を守れる。
お前が今まで俺を守ってきてくれたように、今度は俺がお前を命懸けて守護するんだ。
……心の底から、今、こうしてお前に宣言できる事が嬉しい …」
「……」
「今まで、辛い思いさせてごめん。…これからは、お前を支える礎(いしずえ)となる。
だから、お前がやろうとしている事を貫いてくれ。
俺は黙ってお前についていく。
お前が何を企てていようが、世の中に一石を投じようが、はたまた天下を取るつもりだろうとも、俺ができる事は、何でもやる。俺もお前も、今生悔いのないように…。折角、こうして同じ世界、同じ時代に共に生きることを許されたんだ」
アムイは、肩を揺らして涙をすすっているキイを抱く手に力を込めた。
「以前お前は俺に、“この俺を使え”と。
“自分だけでなく、人の為にと願うのなら、この俺を使い倒してくれれば本望”だと、そう言ってくれたよな?
その言葉、全てお前に返すぞ!」
力強く言い切るアムイに、とうとうキイが決壊した。
「うぁわん!アムイぃ~~!!」
突然顔を上げて大声で号泣するキイに、アムイはぎょっとした。
「おいっ、キイ」
「だってぇ~!俺のアムイがぁ~!ずびっ、泣かせる事をぉぉ」
「わかったっ!わかったから、頼む!泣き止んでくれ…」
半ば呆れながらも、でも内心嬉しくて、アムイはキイの背中をポンポンと叩いて宥める。
天下の【宵の流星】の有様にぎょっとしたのはアムイだけでなく、特に初めて遭遇した南の国の武将は面食らっていた。
先ほどとは打って変わったような、無邪気な子供のような振る舞い…。
どれが本当の彼だろうか、南の二人の武将は混乱した。


相変わらず己の感情に正直な奴…。

アムイはそういうキイを愛しく思った。
大の男が、周囲を気にせず声を出して泣くなんて、これっぽちも恥ずかしい事だなんて思っていない。
感極まって泣く、その正直で素直な感情の吐露こそ、キイの魅力でもあるのだ。
かといって全てが明け透けではなく、真に知られたくない内情や思考は、決して表に出さず、相手に読まれる事はない。
喜怒哀楽に素直なくせに、何を考えているのかわからない、と思わせる相反したところが、キイを神秘的に見せ、益々周囲を魅了する。

誰もが焦がれ、己のものにしたいと願う…俺のキイ。
もう二度と、誰にもお前を渡すものか。特にお前を狙い、利用しようとする奴らには。
そのような不埒な奴らから、俺は絶対にお前を守ってみせる…。

「ホラホラ、いい大人が声出して泣いてるんじゃないわよ」
思わずアムイもキイにつられて泣きそうになったその時、いつの間にやって来ていたのか、シータがイェンランを伴って二人の前に現れた。
「だってさぁぁ」
「とにかくここを移動しましょ。アムイが復活してくれて嬉しいんだけど、派手に“気”を空間に洩れさせちゃって、目立って仕方ないわよ。…アタシでさえ目が覚めちゃったくらいなんですからね」
その言葉にアムイが真顔になった。
「…そうだな、確かに。…おい、キイ、早くここから移動しよう」
アムイの硬い声に促され、キイは引きずられる様にしてその場を後にし、四人は洞窟の方とは反対方向に早足で歩き出した。わけのわからないという表情のイェンランの背を押しながら、シータは皆に言った。
「気がついていたでしょ?」
「ああ」
ちらっと後ろを目で確認しながら、アムイは言った。
「誰かが他にもいたな」
「えっ!そうなの?」
イェンランがびっくりして目を大きく見開いた。
「確かに、ここまで無防備に気配を晒せば、その場にいたどこかの誰かさん以外にも、気付く輩はいるだろうな」
キイもさらっとそう答えると、額にかかる髪を書き上げ、益々歩を速めた。
「今、老師(昂老人)が皆を起こして北東の方に連れ出してくれてる。アタシ達はちょと回り道して合流しましょう。
…確実に、居場所を知らせてしまったようなものだからね」
「すまない」
アムイの謝罪に、シータはにこっと微笑んだ。
「謝らなくてもいいわよ。だって、獄界から戻ってきたばかりなんでしょ?
そりゃまだ無防備に意識が曖昧でも仕方ないものね。
……それより、アンタ凄いじゃない。あの妖艶な姫胡蝶(ひめこちょう)の誘惑に動じないなんて!」
はたしてシータはどこから見ていたのだろうか。
「誘惑…?ああ、あれか」
「俺も驚いた。よく我慢したよな」
そう言うキイも全く動じなかったくせに、と、イェンランは心の中で呟いた。
ま、キイの場合、男と見抜いた時点で、範疇になかったのだろうが。
そうだとしても、傍から見て男だろうがあのカァラの色気は半端ではなかった。
女であるイェンランでさえも、ゾクゾクっとするほどだった。
それに全く反応しないで彼と対峙したアムイは……凄い、というのだろうか?
「ははっ!不能とかまで言われちゃってたなぁ」
面白がってキイはからかったが、当のアムイはきょとんとしてこう答えた。
「だって普通、子供に欲情はしないだろう」
当たり前だ、というようにきっぱりと言い放ったアムイに、皆一瞬黙った。
…子供?…あの見るからにフェロモン丸出しの…姫胡蝶が?
何かの冗談…と皆はアムイを盗み見たが、本人はいたって真面目だった。
「あれは傷ついた子供だ」
真顔で呟いたアムイに、キイとシータは合点がいった。
「そう、アムイにはそう見えるのね」
「……心眼開き、か。正体を見破られちゃ、あの姫胡蝶とて動揺して逃げ出すわな」
イェンランには何故二人が納得しているのか、よくわからなかったが、話の内容でアムイにはカァラの別の姿を見ていた、というのは何となく理解した。
アムイの心の目には、どんなにカァラの表面が色気振り撒く大人の姿であろうが、きっと小さな子供に映っていたに違いない。だからこそ、彼の振る舞いにも動ぜず、まるで親が子を慈しむような態度で、彼を翻弄したのであろう。
昔からアムイは人と同調しやすい部分を持っていた。なまじ相手の気持ちがわかってしまうために引きずられ、取り込まれてしまうのも少なくなかった。わかってしまうからこそ、自分がどう対処したらいいかわからなくなって混乱し、本来の心根の優しさも相俟って、そのまま相手の意のままになってしまうのだ。

だが、どうよ?今のアムイは。
どっしりと自分の中央に芯が通って、真実を見極める眼が前よりも鋭く、相手に翻弄されず、かえって相手に多大な影響を与える存在になっている。

キイは今まで自分が耐えてきた事が、報われた気持ちで一杯だった。
だが、荒療治とはいえ、大きい犠牲を払って手に入れたのだという事は、キイも重々わかっている。
何かを得る為には、何かを失う、とはよく聞く話だが、失ったものの大きさには、誰も何も代わりなどない。
そうだとしても、今生きている者は、これからもまだ前を見て、進んでいかなくてはならないのだ。
今生を生ききる為に。
キイは黄泉の国にいるサクヤに、そっと感謝を捧げた。
まだこの時には、アムイがサクヤと生と死の境目で契りを交わしていたとは知らなかったが、サクヤの存在がアムイに影響し、甦らせたのは明白で、その彼を今生失った事が、アムイに悪影響を及ぼさないかと不安になった。
(……このような運命であったとしても、彼には生きていて欲しかったなぁ…)
生きて、共に天の計画を遂行したかった。
キイは歩きながら、じっとサクヤを思って黙祷した。


...........................................................................................................................................................................

一方、木陰に隠れていた南のリンガ王女一行であったが、アムイ達がこの場を去ろうとしたのに慌てて、自分達も追いかけようとしていた。
だが、それも一人の隠密の出現によって中断された。
「お待ち下さい、リンガ王女」
小柄な若い隠密は、厳かに、だが切羽詰った様子で行こうとしていた三人の後方から声をかけた。
「お前…?」
いぶかしむリンガに、すぐに察したモンゴネウラが隠密に答えた。
「大帝の隠密だな?どうかしたのか。何かあったのか?」
「すぐさま北の中央都市にお越し下さい」
「どういうことだ?」
隣のドワーニも、その隠密の様子に不穏なものを感じ取っていた。
「……大帝がお怪我をされて…」
「兄君が!?」
リンガは青ざめた。
「それはどういう事だ、詳しく話せ」
モンゴネウラの厳しい声が森の静寂を破った。
「はい。実はティアンが大帝に怪我を負わせて逃亡しました」
その言葉に三人は固まった。
「どういうことなの!ティアンは兄君の軍隊に捕らえられて…もう国に戻ったかと思ってたわ」
「そうだ。大帝を守護する屈強な精鋭達が集う部隊だぞ!?
あんな男に簡単にやられるわけが…」
ドワーニが信じられない、といった様子で言葉を続ける。
「しかも我が大帝に傷をつけるなどと…!」
「…あの男には他に仲間がいたのでございます」
隠密の言葉に、二人の武将は青ざめた。
「仲間だと?」
「はい。ティアンの闇組織の者らしいです。
南の宰相として我が国に来る前から密かに結成していた組織だったらしく…。
私が調べた所、本拠は中央国ゲウラに潜伏していたようです」
「何てことだ!」
ドワーニは怒りで全身を震わせた。
「あの男、我が大帝の恩も無にして…」
ギリギリと歯軋りするドワーニを押しのけ、リンガは隠密に詰め寄った。
「それで!?兄君様の怪我は!?」
「はい、幸い命には別状ございませんでしたが…。かなり争われ、深く右肩を斬りつけられました」
「重傷なの?」
「……今だお熱が下がりませんので…」
リンガはくらっと眩暈を起こしそうになった。
それを力強くモンゴネウラが彼女を支える。
「意識ははっきりしているから、大帝様はこのような事で王女を煩わすな、と…。ですが」
「わかった。すぐに大帝の元に伺おう。
お前達隠密は、悪いがこのまま暁達を見失わないでくれ。頼む」
「承知しました」
力の抜けたリンガを抱えると、モンゴネウラは優しくこう言った。
「大丈夫ですよ、王女。我が君がこのような事で潰れるわけがない。
大帝も貴女のお顔を見れば、回復なさります」
「…そう…、そうよね、モンゴネウラ…。
わたくしがしっかりしないと…」
「そうですとも」

こうしてリンガ王女達は、アムイの行方を気にしつつも、北の首都でもある中央都市へと向かったのである。


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2011年9月23日 (金)

ちょっと息抜き

先日の台風、凄かったですねぇ。
久しぶりに生きた心地がいたしませんでした。

連日、(自分にしては)怒涛の更新で、先月に比べたら頑張ってるなーと、自画自賛。
ですが。
書きたいことが山ほどあるのに、自分の文章力のないせいで、日々落ち込みながら進んでいる毎日です。

ううう、早くこの章を書ききりたい…。
と、言いつつ、まだこの章は続きます…。

本当に構成ミスだ…。

お付き合いいただいている方には、本当に頭上がりません。

実のところ、この作品にだけ没頭したいのですが。
秋になると子供の行事が目白押しで、お馬鹿な自分は、もう一杯一杯でこなさなくてはならず、容量オーバーでショートしないか、ひやひやしております。

ということで、こうしてたまに息抜きを


現在、起動しているのはこのブログぐらいで、たまにアメブロに戻ったり、もう一つのブログに行ったりしています。
裏話的には、別館にたま~に書いていますが、不定期更新のため、ほとんどアクセスありません(汗)

ので、たまにこうして息抜きの合間に、別館の話もしようかな~と、思ってます。

これまた言い訳みたいな話になってしまいますが、当初、この話を書くにあたって、初めてだということもあり、簡潔に物語を進めていく予定でした。
いくらぶっつけ本場とはいえ、無駄な話やエピを入れないで書こうと決めていました。
……実際初めて見て、自分の悪いところが全開になってしまい、結局話が膨らみすぎて長くなる…、本当に自己満足な作品となって、反省しきりです…。
将来この物語を改稿して、別の所に出そうかとも思っているのですが、そうなるとかなり削る事になるでしょう。
……そういう思惑があるので、せめてぶっつけライブのこの場では、書いているうちに出てくる内容を大事にしたいなぁと、これまたすごい自己中な考えで、最後まで突っ走る事にしました。

それでも今書いている物語の中に、出てこないエピや話は意外とたくさんあるのでそれをいつかどこかで公開しようと思っています。
多分、ここか、あとは別館とか。
別館はまだまだ充実していませんが、ここで書けなかったエピを短編で公開しようという計画もあるので、ご興味ある方はのぞいてくださいまし。(もちろん、その時はここでお知らせします)

それよりも、まず、この作品を完成させなくちゃ…←耳にタコ…

ということで。
別館を覗いてくださった方はご存知かと思いますが、【異名】について、色々書いております
久々に初めから自分のを読み返していたのですが、最初は【別名】って書いていたんですねぇ。
で、自分のお気に入り【セドの太陽】の異名のこぼれ話をちらりと書いたのですが、いやん、そうすると他の方々の異名が必要になってくるのではっ!?と、焦りました。
……ああ、行き当たりばったりの恐怖、ふたたび…。


このような話にお付き合いいただき、本当に本当に恐縮です。
たまにこうしてつぶやかせていただいて、息抜きして、続き頑張ろうと思います。
…今日は祝日だけど、仕事入ってますので…連休中には次回を公開できると思います。
これからもよろしくお願いしますm(_ _)m

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たまに話に出てくるザイゼム王の一人娘、中央国ゲウラ初の女元老院・フィオナ嬢(二度の結婚歴アリ)
※ちなみにこの本編には登場予定はありません…。

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2011年9月19日 (月)

暁の明星 宵の流星 #160 その②

…完全に…こいつのペースにはまってしまっている!
もうこれ以上、この男と対峙しているのは危険だ…!
カァラはやっとそう判断し、悔しいがここで撤退する事に決めた。
自分を─…今の自分の立場を守るために。
だからといって、このまま尻尾を巻いて逃げるのもプライドが許せない。
だが一方で、完全に負けを認め、彼に全てを委ねたがっている自分がいる事にも苛立ちを覚えていた。
カァラは怒ったようにアムイから離れ、立ち上がると見下ろしながらこう言った。
「……もういい。あんたは俺にわかったような口を利きながら、結局は光である宵のものなんだ。
こんなんで俺を従わせようなんて、…その手に乗るものか!」
そんなカァラに、アムイは心外だな、というような顔をした。
「俺は別にお前を従わせるつもりはないし、怒らせるつもりもなかった。
ただ、お前が望んで俺に向かってきたから、受けただけだ。
言っただろう?好きにすればいい、と。
逃げも拒絶もしない、お前の気の済むまで、黙って受けてやる、と」
カァラは羞恥でぶるぶると震えた。
「……畜生。俺の事、偉そうに語っておきながら、それを俺自身が望んだって?
無責任な事、言ってんじゃねぇよ!!」
マズイ、と思いながら、カァラは自分が泣きそうになるのを自覚し、懸命に堪えていた。
何で俺が泣かなくちゃならない。何で涙が出そうになるんだよ。
それは相手に自分を素性を暴かれ、指摘された悔しさ?
それとも自分の誘惑が通じず、あしらわれたという恥辱?
…それとも…。

本当の所、混乱した感情のはけ口を、カァラは持て余していた。
こんなに激しく、自分の感情に翻弄されるのは初めてだった。
何も感じない。何も信じない。自分だけの檻の中で守られている…自分。
それを壊されたくない気持ちと、光への解放の誘惑。
この二つの感情がせめぎ合い、カァラを感情的にさせていた。

やっと築き上げた己の世界を手放す事は、今の自分を否定し、壊してしまうと同じ。
簡単に手放せるほど自分は単純ではないし、むしろ闇の魅力を知ってしまっている今の自分ならば尚更だ。
しかし…。
この男が発するこの魅惑の世界に全てを委ね、闇から解放されてみたい、という思いがあるのも否定できない。
だからこそ、この男に惹かれる自分が恐ろしい。この男がくれる無償の愛の手にとことん溺れてしまいたいという自分の気持ちが許せない。
……これじゃあ親父と一緒じゃないか。

自分の父親ほど、闇に染まっている人間はいない。だからこそ悪しき魅力のある男でもあった。
まるで麻薬のように、堕落と破滅に向かうスリルある魔の媚薬みたいな男。
この男に、“改心“というものを望めない事は、息子である自分がよくわかっている。
父親に対して多少の侮蔑はあるが、この男の血を受け継いでいる事は紛れもない事実で、それを否定した事はない。
その父親を、あそこまで腑抜けにしてしまった。
【暁の明星】…この男の凄さは、悪である父親を改心させるを通り越して、まるで麻薬患者のように廃人とさせてしまった事なのだ。
それだけこの男の持つ力は絶大だという事。
単なる興味本位で近づくと、かえって痛い思いをする。
特に魔性や悪しきものを持つ人間が手を触れれば、引き返すことのできない所まで持っていかれてしまうだろう。
悪しき者にとって、そのような底知れない恐ろしさが暁にはあるのだ。

カァラの邪眼はそう告げていた。
今の自分のように、父はこの男の密腺…大地の愛に触れてしまった。
特に父親は、巨多なその甘美な力を極限に与えられ、己の本性を晒され戻された。
極悪を極限の愛によって中和す…。そのような現象が、信じられない事だが自分の父親に起こったのだ。
完全に悪だった父だからこそ、廃人とまでなるような有様となったのだ。
それと対する【宵の流星】が持つ“気”は、神気とされるだけあって、暁の持つ大地の“気”を、純度高く精製し、より精錬されたような印象を受けた。
いや、元がその力なのであろう。それが地に降り、地を創った後に留まり、まるで熟成させるがごとく地に篭った。
……そうなのか…!
元はきっと同じ力であったのだ。それが役割を与えられ、変化していった。
元は宇宙の大愛の力。……有無を言わさぬ浄化と創造の“光輪“。
熟成煉られ安定と創生の“金環”。……似ていて非なるこの“気”が合わされば……。
今は違う役割となっている二つを再び合わせる事で、新たな磁場を生み出そうとしているのでは…。

そう考えると、益々カァラは苛立った。
……暁を支配するなど、そして宵を支配するなど、到底無理ではないか。
二人の間に入り込む事など、できやしないのではないか。
何故なら二人でひとつ、だから。
天地合わさり、世界は一つなのだから。

カァラの胸に、羨望を伴う激しい痛みが突き刺さった。
だが、あえてそれを無視する。

他の者が脅かす事などできないくらいの…二人の宿命の絆。
それは彼らの奥底にある歴然とした事実ではある。
そうではあるのだが…。

「……はは…!ははは、おかしい!あはははっ!」
急にカァラは笑い出した。
皆はとうとう彼が壊れてしまったのかと疑った。
ただでここを去るわけにはいかない。逃げるんじゃないという名目のために、この男に一矢報いたい。
追い詰められた思いで、感情に翻弄されながらも、カァラは必死になってアムイを邪眼で覗いていたのだ。
その結果、最後の最後で自分が気づいた事…。
「だからあんたは男なんだ」
その言葉に、アムイではなくキイが青ざめた。
他の皆はカァラの言葉の意味がわからず、ただ目を丸くするばかりだ。
「せっかく今生で魂の片割れに出会えたというのに、残念だね。
こうまでしなきゃ、この力を使うのは難しい、というわけか。
互いに一つに戻ろうとする、その飽くなき激情の流れ。それを引き止めようとする肉体の枷。
それこそ二人に課せられた激流の堰(せき)。
まるで一箇所だけ、激流をわざと塞き止め、それを他の流れへと導き入れるように。
ま、あんたは今まで女の生で苦労してきたんだ。
今生はせいぜい男としての生を全うするんだね!」
カァラは思わせぶりにそう言い捨てると、その場を去ろうと踵を返した。
「カァラ」
「何?」
アムイが呼び止めたが、カァラは振り向く事ができなかった。
やっと取り戻したプライドを、ここで崩すわけにはいかない。
「お前の邪眼が何を見たのか知らないが、確かに俺とキイの間には堰があるかもな。
……でも、愛の形というのは一つじゃないだろう?
それだけじゃない、時間と共に愛の形も中身も変化していくものだ。
この想いが苦しくとも、俺は今生、あいつと同じ世界で生きる事を許されただけで幸せだ。
……いつか、この苦しみは必ず昇華される。
俺はそう信じているんだ。……この世にあいつがいる限り」
アムイの真摯な告白に、キイは胸を詰まらせた。
まずい。俺、泣きそうだ…。
キイが目を潤ませているのを見たイェンランも、また彼とは違った別の思いで胸が詰まっていた。
それは嫉妬…?というには単純すぎる。憧憬ともいうべき二人の絆。
……こんなの見てしまったら、自分が立ち入る隙がないのを痛感してしまうではないか…。
奇遇にもイェンランと同じ思いを、言葉を聞いていたカァラも、リンガ王女も感じていた。

……この世に己の魂の半身がいるかどうかはわからない。
でも、互いの不足を補うようにして、求めて止まないもう一人の自分を、人は無意識のうちに捜しているのかもしれない。

「だからキイはすでに俺の一部でもあって、選ぶとか、そういう次元の存在ではないんだよ。
それはきっとあいつもそうだ。
今生では肉によって結ばれなくとも、俺にとって唯一無二の存在だ」
その言葉が再びカァラを刺激した。
彼の顔を見ないようにと努めていた気持ちが決壊し、思わずアムイを振り返る。
まるで心奪われた相手に決まった相手がいて、速攻に振られたような、嫌な感情がカァラを支配し、その目には憤りが浮かんでいる。
「だったらそいつ以外の人間に、そんな甘い蜜をちらつかせるんじゃねぇよ!!
簡単に受け入れて、人の心を丸裸にして、全てを委ねさせるようになんてするなよ!
そこまでしておきながら、結局肝心なあんた自身はくれないんだろう?
あんたの心に依然とその人間がいる限り、どんなに焦がれても、独り占めしたくても、…あんたは俺のものには完全にはならない」
そこまで言って、カァラははっとして、頬を真っ赤に染めた。
“誰のものに”が"俺のものに”と、つい無意識で言ってしまった事に。
それに自分でもわかっていた。これは八つ当たりだ。
最初に近づいたのは自分だ。そしてこの男は拒否しなかっただけだ。
それが思いの外に危険な魅力があって、心を奪われそうになったからといって、逆切れするのも恥ずかしい。
そんな事ぐらい、カァラだって充分わかっている。
だが、このように懐の大きい甘い優しさは、ともすれば相手を不幸にする事もあるのだ。
それだけ人間というものは欲深いもので、全てを独占し手に入れられないのであれば、初めから優しくするな、とカァラは思う。いや、誰だって思うだろう。
まぁ、それはカァラの個人的な感情の結果であって、触れたこの男の真の優しさはもっと大きい所にあるようだ。
この男が真に持つもの。それはきっと深くてもっと奥行きの広い、常人では計り知れない大地の愛の領域。
ただ、人間は浅はかで愚かだから、それを個人の愛情と勘違いしてしまうのだ。


「どうか闇を恐れるなかれ」
赤くなっているカァラを憂いた表情で見つめ、まるで詩を朗読するようにいきなりアムイは呟いた。
意表を突かれたカァラは、眉根を寄せて怪訝そうにアムイの顔を見る。
そんなカァラに臆する事もなく、アムイは言葉を続けた。
「光が生まれたと同時に闇も生まれた。
光あればそれが影を作り闇となり、そして闇の中にこそ光が存在する。
光が強いほど闇は濃くなり、その闇を通して光を見出すのが宇宙の学び。
…魂の進化にとっては、それは必要な事…。
だから本来闇とは、それ自体何も恐れる事はない。
闇は光と同じように、ただ、そこにあるだけ」
それは自分が獄界で出会った天神の語った話であった。
この世界に戻ってから、獄界で起こった事が時間と共に記憶が薄れつつあって、この事を教示してくれた天神の御名も、実は思い出せないでいた。だが、このように教えてくれた、という事実は覚えていて、それがまるで天上の詩のように、すらすらとアムイの口から飛び出てきたのだ。
「そう、だから」
アムイはそこで、瞳を伏せた。
まるで再度、己に言い聞かせるように、ゆっくりと吟味するように言葉を紡ぐ。

「闇も光も表裏一体で、誰の中にも存在する。
それは俺にも、そしてお前にもだ。
お前の言う闇も、俺が持つとする光も、互いに存在しているものだ。
……だから、俺はお前が尋ねたように、どちらかを選ぶ事はしない。
闇でもなく、光でもなく。上でもなく下でもなく、右でもなく左でもない。
……俺は己の中央を往く。自分の魂(たま)の中心に向かう。
それと同時に、闇であり、光である。上下であって、左右であるごとく、中心より広がっていく。
そして中庸を貫き相剋排他よりも相生和合を目指す。
……恐れるな。
恐れを乗り越え、受け止め離せ」
アムイの言葉は空気を振動し、カァラだけでなく、聞こえている他の者達の心にもストンと落ちていく。
特にキイは、歓喜の表情を隠せない。

(よくぞ、よくぞここまで…!アムイ、俺は凄く嬉しいよ)
アムイにとって、獄界はどんな所だったのかは計り知れないが、本人を見る限り、いい影響をもたらしてくれたのは、一目瞭然だ。
まだ完全ではないが、本来のアムイの素が見え隠れしている。
キイにはそれがはっきりと感じられ、心の中で安堵の溜息を漏らした。
よかった。歯を食いしばって耐えてきた甲斐があった。
アムイを信じきって、見守っていてよかった。
嬉しくて、叫び出しそうなくらいだ。

ここでキイは不思議な感覚…いや、忘れていた記憶の一部が再現された。
それは遙か遠く、人間である前の記憶かもしれない。

ずっとずっと待ち続けた時間。
戻って来るのをただひたすら待ち続けていた気持ち。
短くも、再び共に一つに溶け合うその歓喜を。
別れ、戻り、そして再びまた別れ。
幾度となく続けてきた天の計画。
その度に自分はもっと強くなろうと決意するのだ。
その想いがあるからこそ、自分は誰よりも強くあろうと思うのだ。

あの一体感を、あの恍惚とした共有を、もう一度味わいたいがために。


アムイはゆっくりと立ち上がると、おもむろに右手をカァラに差し出し、彼の手を取った。
思わずびくっとカァラは身を竦ませる。まるで怯えた子ウサギのようだ。
「……お前がどういう風に俺を見たのかわからないが、これが俺だ、カァラ。
変わっていくのは世の常で、変化していくからこそ魂は先を行く。
その中にあって、俺は在るがままに、こうして在るだけだ。
様々な姿を変えても、核は変わらずそこに在る、大地のように。
……だから、恐れ、焦燥に駆られなくても、何も案ずる事はない。
恥じ入る事などあるものか。
お前が必要ならば、いつだって俺はこの扉を開ける。
それを自分に活かすかは、お前次第だ」
その言葉に、カァラは口元を震わせ、アムイの手を振り払った。
「もう、いい」
きゅっと唇を噛み締め、触れた手をもう一つの手で庇うように胸に寄せると、カァラは急いでこの場を駆け去った。
結局、逃げ出すように退散してしまった。羞恥で顔が赤く染まり、悔しくて顔が上げられない。
カァラはそのまま、リンガ達のいる森の方向へと走った。
もちろん邪眼を発動させていた時、周りで複数の見物人がいるなんて事、すでにカァラにはお見通しだった。
きっと…自分の邪眼とは違う、正の心眼を持つあの男も、多分気づいていたに違いない。
だから互いに向きあってながら、それと並行して他方にも意識が向かっていたのである。
カァラ自身は、誰かに対するあてつけのために。
そしてアムイは、カァラに語っていながらも、全体に向けて言葉を意識して発していた、というように。


呆然としているリンガ王女達の姿が見え始めると、カァラは走ることを止め、大股でずんずんと彼らの傍に近づいた。
いきなりこちらに向かって来たカァラに驚くリンガ達は、声もなくその場で立ち竦んでいる。
カァラはリンガの横をわざと通り過ぎると、ピタッと歩を止め、思わせぶりにこう言った。
「……王女、貴女は大変な男を愛してしまったようだ」
リンガは息を潜めて、カァラを凝視している。
その彼女の様子をちらりとカァラは見やると、皮肉な笑みを浮かべた。
「悪い事は言わないよ、あの男はやめた方がいい。
扱い間違うと、身を滅ぼすよ?……並の人間じゃ、あの男は手に入れられない」
リンガはかぁっと頭に血が昇るのを感じ、全身に震えが沸き起こるのを止められないのに愕然とした。
「勝手な事、言わないで!」
噛み締めた歯の隙間から、自分のものではないような声が出た。
「貴女だって、見てたでしょ?
……あの男は諸刃の剣だ。よほどの覚悟がない限り、自滅するよ」
ニヤニヤと当て付ける様にそう言い捨てると、カァラはそのまま悠然とリンガの前を去って行った。
「………」
悔しい。何も言い返せなかった…。
リンガは蒼白となって、ただ、去っていくカァラの背を睨みつけていた。
だとしても。
また別のアムイの顔を見たとしても。
いや、かえってまずい事になった、とリンガは思った。
先ほどのカァラとアムイの絡み。
確かにカァラの言う様に、彼はある意味危険かもしれないのは、傍から見てもよくわかった。
だが、それで気が引けるわけでなく、反対に強烈に惹かれている自分に戸惑いを感じていた。
(ああ、でも、どうしよう…)
リンガは不安と焦燥。国に対する責任や、彼を欲しくて仕方がない自分の気持ちを持て余していた。
彼女の葛藤を、幼い頃から見守ってきたモンゴネウラには、手に取るようにわかっていた。
隣にいるドワーニも、眉間にしわを寄せて何かを考え込んでいる。
「…王女、どうします?このまま暁の元に行きますか?」
突然モンゴネウラはそう言って、無言のまま突っ立っているリンガに優しく声をかけた。
「……お前、止めないの?」
ポツリと彼女はそう呟いた。
モンゴネウラは、彼女の声が震えていた事に、相当のショックを受けているのだと理解した。
「ええ。本音を言えば、このまま手を引いていただきたい。
私は貴女の幸せも、国の安泰も守る役目がありますからな。
……あの男は諸刃の剣…確かに」
モンゴネウラはそう言ってリンガの傍に寄った。
「ただ、まだ余りにも情報が少ないと私は思いますのでね。
暁自身の件が、宵を手にしようとする我が国にとって、どういう存在となるのか。
脅威となるか、強力な助力となるか。
それはまだ五分五分と言っていいでしょうな…」
モンゴネウラの言葉に、今まで沈黙していたドワーニが口を開いた。
「暁のいる所、宵は必ず現れる…。またその逆も然り。
そう誰かが言っていましたな…。
ならばある意味これは好機かもしれませんぞ。
……こうして暁の姿が現れた、という事は、近くに必ず宵の姿もある、という事で…」
と、言っている最中に、何者かが暁の前に姿を現したのに気が付いて、ドワーニは慌てて口を閉じた。


煌々とした月を背景に、優雅な足取りでアムイの前に進むその姿。
この世のものとも思えない、溜息が出るほど優美で魅惑的なその御姿。
モンゴネウラとドワーニはその圧倒するような輝く姿に息を呑み、反対にリンガは眉を顰(ひそ)めた。
これは間違う筈もない。
これが全大陸がこぞって手に入れたがっているという…セドの王子…。
【宵の流星】キイ・ルセイ=セドナダなのか。
南の二人の屈強な武将は、ただただその迫力に鳥肌を立たせ、食い入るように見入っている。
男であって、美しい姿を誇る姫胡蝶とは、全く違った質の美しさだった。
力強さ…。目を引くほどのカリスマ性。そこに立っているだけで、王としての貫禄は充分であった。
あの豪胆で有名なゼムカ族のザイゼムや、闇の気術士であるティアンが躍起になって執心するのも無理はない。
この男が…宵なのか。
うっとりと目を奪われている従者二人に、リンガは面白くなさそうに口を尖らせると、近づくアムイとキイに嫉妬の眼差しを向けた。
どうも、彼女はキイが気に食わないようだ。
それもそうだろう。
あの魔性のカァラにして、宵と暁の関係をほのめかすように吐露され、相手への想いを本人の口からも聞いてしまっては、過去すでに二人の仲の良さを目の当たりにしていた彼女にとって、不快この上もない事である。


「アムイ」

月夜に響く声も、宵を彩るような忘れられない心地よさを感じさせる低音だ。
まるで夢を見ているような、そんな二人の逢瀬に妙な緊張感が漂う。
まあ、これは見ている側だけの事であって、当の本人達は嬉しさと、安らぎの中にいたのだが。

やっと、こうして目を合わせ、言葉を交わせる事ができる…。
目を潤ませて、極上の笑みを浮かべ、キイは優しい声で囁いた。

「お帰り」

その言葉に、アムイも微笑んだ。
遠くで二人を見守るイェンランにも、彼を追い求めるリンガにも、今まで見せた事もない極上の笑みで。

「ただいま」

そう言うアムイの目にも、涙が浮かんでいた。
二人はそう言い合うと、まるで磁石が引きあう様に近づき、向き合って互いの手を取り見つめ合った。

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2011年9月17日 (土)

暁の明星 宵の流星 #160 その①

今更こんな感情に気が付いてどうしろというんだ?
駄目だ。絶対、駄目だ。
この男に取り込まれてはいけない。


「俺の事をわかった風に言うな!
誰が辛かった?誰が泣いてる?誰に向かってそんな事を言う!」
激昂したカァラの叫びが静寂を破り、月夜に響き渡った。
カァラとしては精一杯否定したつもりだったが、かえって傍から見れば、単に図星を突かれて虚勢を張っているとしか思えない有様だった。
「俺はね、自分を惨めだとか、可哀そうだとか、そんな風に他人から思われるのはだいっ嫌いなんだよ!
親でも兄弟でも何でもないあんたに、知ったように言われる筋合いはないね!!」
カァラは気が付いていなかったが、完全に己の被っていた面が吹き飛んで、素の感情があらわになっていた。
あの妖艶で、涼しげな表情で達観しているような、いつのも彼とは全く違う姿だった。
カァラは興奮する余り、目の前の男をどうしても傷つけたくなった。
そうしなければ、自分が相手に負けてしまいそうだったからだ。
今のカァラはまさしく手負いの獣と化していた。牙をむき出し、己を守るために…。
「俺の事、そんな風に言えないじゃないか、あんただって」
カァラはアムイに向かって拳を振り上げた。
「あんただってガキの頃、女に玩具にされてたじゃん!俺と同じく」
その言葉に、遠くで見ていたキイの顔色が変わる。
カァラは拳を無我夢中でアムイの胸に向かって打ちつける。
「あんただって大罪人の子じゃないか!!
王家で忌み嫌われてたのだって、王族のくせに名簿にも名を載せられなかったのだって、いくら王子の種でも、元々聖職者が禁忌を破って生んだ子供だからだろ!!
しかもその王子である父親は神聖な巫女を孕ませた大罪人。
神に背いた者同士から生まれたのがあんただ!
その巫女の腹から生まれた兄貴より、あんたの方が数倍穢れてる!呪われた生まれじゃないか!
そんな奴が、何知ったような綺麗事を言ってるんだよ!!」
カァラのアムイへの罵倒にキイは青ざめ、思わず出て行きそうになった。
だが、アムイの顔を見た彼はハッとし、思いとどまった。
(……わ、笑っている…?)
そう、アムイは微かだったが、目を少しだけ細め、口元に笑みを浮かべていたのだ。
(アムイ…)
キイはアムイが今までとは違う事を本能で感じ取った。
あの、全ての贖罪を背負ったような面持ちで生きてきたアムイが…。

カァラの言葉はキイだけでなく、立ち聞きしていたリンガ王女達にも波紋を起こした。
(アムイが聖職者の子供…?)
リンガは信じられない、というような顔で、アムイを凝視している。
その後ろで、モンゴネウラは眉をしかめた。
(なんと…。暁の出生には、こんな事実があったのか…。
しかもあの太陽の王子の国を負われた罪状が…巫女陵辱?何ていう事だ…!)
異教徒である南の国の者には、関係ないといえばそうなのであるが、大陸全体の事を考えると、どうしても大陸宗教の要であり、統括組織でもある、神国オーンの天空飛来大聖堂(てんくうひらいだせいどう)を無視する事なんてできない。しかもオーンの巫女、といったら、オーンだけでなく、全大陸にとっても、神の声を聞く唯一の存在として神聖であるのは常識でもある。
(…ということは、まさか…。
先ほど言っていた兄貴、とは…まさか【宵の流星】の事なのか?
これは凄い事を聞いてしまったかもしれん。
まさか神王の血筋者(ちすじもの)が巫女を陵辱して生ませた子だったとは…。
しかもその弟となるであろう暁は…多分他の聖職者が生んだ子か。
全く難儀な事だ。セド王家の生き残りは…二人とも諸刃の剣だな…)
そう、この事実が好(よ)きものとして受け入れられるか、それとも忌み嫌われるか、それはそのオーン次第という事だ。
普通に考えれば、それは背徳で物凄いスキャンダルな事なのだが、また別の角度から見れば、その大罪を犯したのが王太子までなっていた直系の王子、というのがミソだ。
元々オーンとセドナダ家は縁が深い。親戚も同然。
……創始の時代に別れていた神が、これによって原始に戻ったという見方をする者がいてもおかしくはない。
その二つの血を合わせ持つ、【宵の流星】。
もしかしたら彼の持つセドの秘宝とは、これに関するものなのではないか。
そうなればこれは怖ろしい。
“神”という名の元で…彼こそ大陸の頂点に立つに相応しくも、一番近い所にいる人物という事になる。
だからこそ、あのティアンが躍起になって手に入れたがるのだ。
モンゴネウラは冷や汗を掻きながら、ちらり、とリンガ王女の顔を見る。
彼女は口元をきっと結び、蒼白となって二人を睨んでいた。
王女とて馬鹿ではない。
この事実が彼女の恋の行方に、明暗を分けるであろう事をちゃんと把握しているようだ。
(しかも暁は聖職者が生んだ子…となれば、これはまた微妙だな)
異教とはいえ、オーンは別格。
その聖職者が神に背き禁忌を犯した末に生んだ子が罪の子であるという認識は、神国に近い所にある南の国でも浸透している。
オーンが許さず、聖職者から生まれた子を罪とするならば、いくら神王の血を引くとはいえ、一国の王家の娘と子を生(な)す事は周囲から忌み嫌われるだろう…。
モンゴネウラはリンガ王女を思って溜息をついた。

そういう意味から、結局はオーン次第という事なのである。
オーンが認めてこそ、罪も解け、反対にその血脈に価値が高まる。
だが同じ聖職者でも巫女となると、これまた話は違ってくる。
陵辱された証としたら、特にその子供は背徳の子として脅威になるだろう。
しかも創立されてからそのような大それた事態、前例のなかった事もあり、これこそオーンの判断がものを言う。
もちろん巫女を陵辱されたとなると、その怒りは計り知れないものがあるだろうが、神に一番近い巫女の生んだ子は、神の血を持つとも考えられる。しかも、その絶対神の妹女神の子孫である、神王の種である。
それでも陵辱の罪状は全て当の父親が負うだろうが、生まれた巫女の子は神の申し子、と考えるのが本来のオーン教の筈だ。
話は遡るが、当時、セドを攻め入り、姉である姫巫女の生んだキイを殺そうとしたオーンの現・最高天空代理司(さいこうてんくうだいりし)サーディオの考えは、そこにあった。
彼は天から、神の申し子を天の宝と共に、地上の人間が奪った、と考えた。
確かに姉への仕打ちに怒り狂っていただろうが、それと同時にキイの事は自分の甥である事実よりも、天の子であるという認識を優先したのだ。だからこそ、天に返すためにキイを殺そうと考えたわけである。

はっきり言うと、そこが巫女の子であるキイと、単に聖職者の子であるアムイとの違いである。
両方とも、結局はオーン教の“許し”や“認め”を必要とするが、格といえばキイの方が上である。
将来の神王となっても、キイの場合、誰も文句はないであろう。

(この事実が明るみになり、オーンがどのような判断を下すかが肝だな。
なにせセド王国は完全に滅んでいる。国民(くにたみ)だって少数が難民となって散り散りになってしまっている。
…再興再建すら難しいだろうが、オーンが認め、後ろ盾になれば…神王の位だけでも復活するかもしれん)
そうなれば南のリドン帝国も、弟である暁の存在価値を見出すかもしれない。
もちろん、それは宵が神王と立ち、暁を正統な弟であると宣言すれば、という事だ。
だが果たして、そのように上手くいくであろうか…。
またしても嫌な予感がモンゴネウラを支配する。
まだ単に暁が東の荒くれ者であった方が気が楽だった。…しかも…。
モンゴネウラにはもう一つ、【暁の明星】について、気にかかる事があった。
あの魔性と言われる姫胡蝶を、まるで赤子のように扱うとは。あの誘惑に動じないとは。
…この男、こんな肝の据わった男だったか?


「凄いな、お前の邪眼は。そこまでわかるのかい?」
アムイのやけに明るい声に、一斉に皆は彼に注目した。
あれだけ自分や親を貶めるような事を言われたのに、全く怒る様子でもなく、かえって面白がっているような態度。
「何だと?」
カァラはアムイをきっと睨んだ。
相手の反応に何でも突っかかるようでは、もうすでに勝敗が決まっているようなものである。
「……俺は支配するつもりなどないよ」
淡々とした言葉に、カァラはまたびくっと身を竦めた。
「何も怖がる必要ない」
カァァーッと再び勢いよく血が昇るのを感じたカァラは、もうこんな自分に我慢ができなかった。


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2011年9月15日 (木)

暁の明星 宵の流星 #159 その②

キイが微かな異変に気が付いたのは、今まで胸に預かっていた小さな光の存在が消えてしばらくしてからだ。
思いがけずに自分はぐっすりと眠り込んでいたようだ。
全く自分らしくない。
月の光に癒されて、ふらりと散策していた森の中の大きな木の下に座ったのは覚えている。
そこから記憶が飛んでいるのだから、よほど疲れていたんだろう。
自分の胸から、大切な人間の一部がどこかに行ってしまった感覚に、キイは気が付き目を開けた。
どこに行った…?
キイはおもむろに身体を起こし、前にかかった長い髪を手ではらい、溜息をついた。
予感はしていた。
自分の片割れの存在がどんどん大きく感じていたからだ。
アムイはこの世界に戻ってきたのかもしれない…。
だとしたら、自分は確かめなければならないだろう。

地に囚われている愛する魂よ、お前は本来の自分を取り戻す事ができたのか?
この自分の手の中に戻ってきてくれたのか?

キイが小さな決意をし、その場からゆっくりと立ち上がった時だった。
「アムイ!」
自分の左側から、少女の声がする。
「アムイ!どこ?アムイ!」
「お嬢ちゃん?」
どんどん近づく声に驚きながら、キイは小さく叫んだ。
その声にイェンランも気がついたらしい、ガサガサ音を立てて、彼女の小さな黒い頭が草の合間からひょこっと現れた。
「キイ?」
少し遠慮がちで、かなり動揺しているというような声。
キイは保護欲を掻き立てられて、彼女を安心させるような優しい笑みを浮かべた。
「どうかしたか、お嬢ちゃん。…アムイに何かあったのか?」
いつもと変わらぬキイの優しい声に、イェンランは心底ほっとした。
有難さを感じつつ、彼女はキイに慌ててこう言った。
「ア、アムイがいないの!」
「いない?」
「ええ。ついうっかり私、寝ちゃって…。気がついたら姿がなかったの。
どうしよう、キイ。誰かにさらわれたって事、ないよね?」
彼女の震える指を、キイは無意識のうちに自分の片手で覆った。
ドキン、とイェンランの胸は高鳴る。
「…落ち着きな、お嬢ちゃん。
俺の感覚だと、どうやらあいつ、この世界に戻ってきたようだ」
「や、やっぱりそう?私もそんな気がして…」
「だから外に捜しに来たんだね」
彼女が慌てて頷くのを、キイは目を細めて見やると、優しく提案した。
「多分…そんな遠くには行ってはいないと思う。…ずっと肉体を使ってなかったんだからね。
一緒に捜してくれるかい?」

こうして快く同意してくれた彼女と、アムイを捜しに来たらこのざまだ。

目の前で絶世な美人と絡み合っている自分の片割れを見て、キイは憤りを抑えるのにかなり苦労していた。
月を背景にし、半身起こしているアムイに上から圧し掛かり、今にでも押し倒さんとするのは、紛れもなく…
「カ、カーラ…」
イェンランが目を見開いて口の中で呟いた通りだ。

畜生。
あいつ、言っていた事を実行しやがった。

普段の自分なら、見つけた次第、相手を引き剥がそうと躍起になる所だ。
だが、そうしてはならない、今の状況を崩してはならない、というような“気”が、まるで結界のようにその二人の間に張り巡らされていて、キイは一歩も動けなかった。
二人の世界を誰も壊すな、というような張り詰めた空気…。

面白くねぇ。
だが、ここで手を出しちゃいかん…。

噴き上がる激しい感情を懸命に堪える必要が、今のキイにはあった。
それは、自分の相方を信じきるという…、大事な最終段階でもあったのだ。

そしてキイは決意していた。
これからどんな行為を目にしようと、最期まで目を逸らさない、という事を。

...................................................................................................................................................................................

ちゅっと軽く音を立てながら、カァラはアムイの唇を吸った。
甘い芳香がカァラの五感を刺激し、口づけを深くするに従って、自分にしては珍しくその行為に溺れそうになる。

違う…。

カァラの頭の片隅で、警鐘が鳴った。
確かに【暁の明星】の唇は魅惑的だった。己の父親が夢中になったのも無理はない、と思ったくらい。
でも、違う…。
その思いが口づけるたびにカァラを支配していく。
自分の技巧を駆使して、男を昂ぶらせる事など、いとも簡単な筈だった。
だが、両手で相手にあらゆる愛撫を施しても、肝心の相手の反応がない。
妖艶な仕草とは裏腹に、カァラの内心はかなり焦燥に駆られていた。
ここまでして全く反応がない事に、カァラはプライドをいたく傷つけられ、とうとう痺れを切らした。
カァラは唇を離すと、勢いよくアムイを押し倒し、激しく言い放った。
「おい!あんた不能か?」
噛み付くようにそう怒鳴って、カァラはアムイの顔に自分の顔を近づけた。
アムイは困ったような顔をして、カァラを見つめた。
その目に宿る慈愛の色に、カァラは完全に頭に血が昇った。
「何だよ!そんな憐れんだような目で俺を見て…」
「憐れんでいる…?」
「見るな、見るなよっ!そんな目で…」
カァラはアムイの首に顔を埋めて揺さぶった。
「落ち着けよ」
アムイの声は至って冷静だった。それが尚更、カァラを落ち着かせなくする。

マズイ…。

カァラはごくっと唾を飲み込んだ。
許せない。俺を支配しようとするなんて、許せない。
そんな思いがふつふつと沸き起こり、ふっと息を吐くと、きゅっとくちびるを噛み締め、再びアムイの顔を見る。
(……あんたの心を見てやる…)
どうしてそう思ったのか、アムイの深く引き込まれそうな瞳を見て、カァラはそう決意した。
反抗する感情と、手を伸ばしたいという誘惑。
初めて自分に起こっている激しい感情の渦に、カァラは翻弄され始めていた。
キッと彼はアムイの目を見据えると、ふたたびアムイの唇に自分の唇を寄せた。
繋がる部分から、相手の“気”が流れ込んでくる感覚に、カァラは喉を鳴らした。

これが、俺の親父を夢中にさせた…暁の“気”…。

それは普通に“金環の気”だ、と言われてしまえばそうだった。
だが、それがアムイ自身から発せられるものは、想像もつかなかったほどの芳醇な香りだった。
この人間だからこそ。
そのような言葉がカァラの頭にこだました。

この男は普通じゃない…。

そう思ったのは、カァラが深く、アムイの深層に潜り込もうとした時だった。

ミルク色の、なんとも言えない甘美な泉。魅惑の果実。
そして、誰もが焦がれ、その甘い世界に浸りたくなる…帰りたくなる…至福の宮。
男であり、女であり、父であり、母である。
それは魂が知っていた。
分け隔てのない、至上至極の愛の泉。

カァラは無意識のうちに、その甘美なものを味わおうと、どんどんアムイの奥へとのめり込んでいく。

魂は知っていても、今生での自分が味わう事のなかった…自分にとって…禁断の…。

突然カァラの脳裏に、女の冷たい手の感触が甦ってきた。

(そうだよ…こんな甘くて、あったかいものに触れられた事なんて…生まれてから一度もなかった…)
漠然とそう思いながら、カァラは今触れている男の温もりに安らぎさえ覚え、貪欲に貪りたくて両手で相手の身体をまさぐった。
(気持ちいい…)
それは肉体を突き抜ける快感とはまた違う、精神的な悦楽と言ってよかった。
その感触にカァラは夢中になる。


物心ついた時には、自分の周りは大人だらけだった。
彼らは事務的にしか自分に触れてこなかった。
《食事が済んだら、このクスリを飲むように》
《身体を洗ったら、ここに横になって》
入れ替わり立ち代り、無表情な大人達は自分に勝手に指示し、まるで物のように扱った。
一体、自分の何を調べているんだろう…。
幾度となく繰り返すその扱いに、カァラは慣れ切ってしまって、すでに何も感じなくなっていた。
それでも初めの頃は、自分は母親と共に暮らしていた。
昼間は研究所なる場所に連れて来られ、夕方には敷地内にある屋敷に、母親という女のいる部屋に帰された。
だけど自分は優しく抱かれた記憶はない。
疎ましく思われているというのは、歳を重ねるにつれてわかってきた事だ。
その女はいつも汚いものを見るような目で、自分を見ていた。
《 穢れた子供》
そう言って蔑むような目で自分を見下ろす。
それでも自分はその女の庇護を、初めは求めていたように思う。
夜になるといつも一人、自分の部屋に閉じ込められた。
火事になるといけないからと、灯りもつけない真っ暗な寒々とした部屋に。
何度、その女を泣いて呼んで、恐怖を訴えてきただろうか。
それでも女は来なかった。
たまにやって来る、父親という男との享楽に耽っていたからだ。

《おい、カァラ、お前の“気”を調べてやる。こっちへ来い》
ある夜、ふらりと家に立ち寄った父親と言う男は、幼い自分にこう言い、その夜は母ではなく自分を部屋に連れ込んだ。
女の憎しみのこもった眼が自分に向けられるのを、肌でじりじりと感じながら。
享楽的で、気まぐれで、その吸気という体質のために、相手を意のままにしてしまうその男は、確かに見た目は危うい魅力のある人間だった。
だが、道徳心という欠片を全く持たない男で、その時、その男に自分がされた振る舞いを自分は今でも思い出したくない。
ただ、いたく自分の“気”と身体がお気に召したのか、それ以来、頻繁にこの男は自分に会いに来るようになった。
この事が、すでにこの男に囚われていた女を、狂気に走らせたのには充分だった。
《お前なんか、いなくなればいい》
母親は美しい女だった。その美しい顔を嫉妬で歪め、まるで獄界の鬼のような顔で、自分の首に指を這わせた。
《私よりお前を得るために、私はお前の父親に無理矢理快楽の奴隷にされた。
お前のせいで、私の人生は狂わされた。
ああ、憎い。
元凶であるお前も、私を蹂躙し思うままに私を従わせるあの男も、それをけしかけたあの男も!
憎い、憎い、憎い!
あれだけ私を利用するだけ利用して、結局は道具のように捨てられた。
この気持ちがお前にわかるものか。
…何のために、私は女の身でありながら……気術を習得してきたのか……!!》
悲痛な叫び。
自分の首を徐々に締め上げる指の感触よりも、その呪いの口上の方が恐ろしかった。
その時の恐怖で、カァラのもう一つの目が覚醒し、発動した。
自分の見た女の姿は、自尊心と、快楽によって崩される自己との葛藤で、埋め尽くされていた。
未曾有の自己嫌悪と囚われた思い。嫉妬と後悔と欲望と独占欲…そして憎悪。
これほどの負の感情の坩堝(るつぼ)をこの先にも見たことはない。
男に無理矢理従わされ、快楽によって支配され、欲しくもない子供を生まされ、面倒を見させられ、不本意なのにいつのまにか心まで虜にされていた男への執着。…そんな自分自身への嫌悪。
その憎悪の象徴がカァラだった。
延々と続くかのような、哀しいまでの痛みと苦しみ。
…気がついたら女は自滅していて、すでにこの世界の住人ではなくなっていた。
くっきりとカァラの細い首筋に、指の痕を残して。

後から聞いたことだが、母親はカァラの自己防衛で発動した邪眼の波動をもろに被り、今まで父親であるシヴァに吸気されていた事も相まって、脆くなっていた生気が枯れてしまったらしい。
ある程度自由の利く中央国ゲウラの役人の娘として生まれた母親は、美貌と才知を持ち合わせていて、あの初の女元老院といわれる、ゼムカのザイセム王の娘として有名なフィオナ嬢のように、将来を有望された存在だったと聞いた。
それが、なまじっか気術の才能があったために…。
女としても稀有な最高位の気術取得者として、あの闇の気術士ティアンに目を付けられたのだ。
その非道なティアンの勝手な思惑で、実験体として生まれた自分だったが、母譲りの美貌が災いし、美少年趣味のティアンの夜の奉仕もさせられる事になったのは、母親が亡くなってすぐの事だった。
さすがに研究の都合もあって、父親と同様、最後の線まではいかなかったが、ここでティアンと接する内に、彼の野望と欲望を目の当たりにしたのだ。

キイ・ルセイ=セドナダという少年への飽くなき欲望である。

自分はこの子の身代わりだったのか…。
そう理解するのに時間はかからなかった。
ティアンが触れてくるたび、カァラの邪眼は面白いほどにこの男の真実を映してくれたから。
そうしてカァラの幼い心に、しっかりとキイ…【宵の流星】の存在が刻み込まれたのだ。

成長するにつれ、己の立場が理解できてくると、カァラにはやけに冷めた目で世の中を見るクセがついていた。
邪眼で世の中の汚い部分を見続けたせいか、いや、この能力のお陰で、異常な日常を送るカァラは、精神的に壊れずに済んだのかもしれない。

何も感じない。
何も信じない。

腐肉な事に、この世に生まれた事を呪いながらも、生への執着は人一倍あったようだ。
生きている限りは、この世にあらゆる意味で君臨したい。
誰にも脅かされず、そして誰も自分を支配せず。
自分を道具のように扱い、支配した数多の人間達に、いつまでもいい様にされたくない。
今度は自分がそいつらを支配し、駒のように扱うんだ。
快楽を与え、相手を意のままにするという父親譲りの力が自分にもあると知ってから、カァラは自分の思うとおりに生き、何事にも浸食されずに生きてきた。……そうしなければ、きっと自分は生きて来れなかった…。

思い出したくもない、自分の過去を…どうして…今になって記憶が…。
まるで誰かに自分の事を知られているような…知られて…。

その時カァラはハッとした。
相手を覗き、支配しようという自分が、反対に暁の魅惑の“気”に陶酔し、その気持ちのよさから己を晒しつつあるのに。

(怖い…!)
突如として、カァラは物凄い恐怖に襲われた。
(引き込まれる!!)
カァラは初めて得体の知れない恐慌に襲われ、自分を見失いそうになった。
(取り込まれる!この男に!やだ!やめて!)


物陰で二人を無言で見ていたキイとイェンランは、カァラの様子がおかしい事に気がついた。
蒼白となったカァラが、勢いよくアムイから自分の身体を引き離したからだ。

ちょうどその時、カァラの後を追いかけてきたリンガ王女一行も、現場に到達した。
キイ達のいる場所の反対方向からやってきた彼女らも、カァラがアムイの上に跨って、押し倒している光景がすぐに目に入った。
直視したリンガはかぁっと頭に血が昇り、二人を引き離そうと弾丸のごとく躍り出ようとした。
「お待ち下さい、王女!」
彼女を後ろから抱き上げ、制止したのは護衛のモンゴネウラである。
「何するの、モンゴネウラ!どうして止めるのよ!」
真っ赤になっていきり立っているリンガに、モンゴネウラは冷静に指摘した。
「何か様子がおかしいですぞ」
「えっ?」
「確かに、姫胡蝶殿(ひめこちょうどの)の様子が…」
隣にいたもう一人の護衛ドワーニ将軍も、アムイとカァラの様子にいぶかしんだ。


アムイから身体を引き剥がしたカァラは、確かに傍から見ても様子が変だった。
じっとりと嫌な汗を噴出し、ぶるぶると全身震えている。
「どうした?」
下からカァラを見上げていたアムイは、きょとんとした顔でそう言った。
(お、親父の二の舞いになる所だった…)
呆然とカァラはそう思い、自分で自分の身体をきつく抱きしめた。
身体の震えが止まらない。
この恐怖は、自分が自分でなくなりそうな、いや、知らない世界に引き込まれそうな、そういう恐怖に似ていた。
例えば、普通の人間ならば悪しき事や、魔の囁き、破滅の世界に足を踏み入れるとなると、抵抗の気持ちと共に未知の世界への恐怖に慄く。悪の道への甘美な誘惑に引きずられそうな、今までの世界が壊されそうな、そのような葛藤もまた然り。
それが今、カァラ自身に起こっていたのだ。
元々魔性の世界の住人だったカァラにとって、悪魔の誘惑というのは、何の抵抗もない事だ。
だからこのような自分が、反対に至福の愛の誘惑に、根強い恐怖を抱くのは、至極当たり前であった。
何故ならそれは、今の自分を否定されると同じだからだ。

そう、自分が今、この男によって引き込まれそうになった…蜜腺…。
自分が今まで遭遇した事が無い、至福で無欲な愛という、未知の感覚だった。

「カァラ?」
名前を呼ばれ、まるで自分を労わっている様な優しいしぐさで、アムイは彼の頬に指をはしらせた。
びくっとしてカァラはその優しい感触に身を竦める。
未知の感覚への恐れが色濃く現れている瞳は、アムイの慈愛に満ちた表情を映す。
アムイはゆっくりと半身を起こすと、自分の膝の上で震えているカァラに、まるで怯える動物を宥めるような素振りで、優しく触れた。
温かな掌でカァラの顔と頭を撫でながら、まるで泣きじゃくる子供をあやすような口づけを、彼の髪と頬に落とした。
カァラの震えは止まらない。止まらないどころか、益々息が上がってくる。
「やめろ…!」
耐え切れなくなって、カァラは叫んだ。
「触るな!俺をそんな風に触るな!」
カァラは激昂し、アムイの手を払いのけようとし、頭を左右に振った。
居心地の悪さに、カァラはこの男から逃げ出したくなった。
なのにどうしてか、一方ではその手に陶酔し、もっと味わいたくなる自分がいて、カァラは愕然とした。
今まで自分をこのような手で触れる男…いや、人間はいなかった。
誰もが冷たく心のない手で、または欲望に滾った手でしか自分に触れてこなかった。
……そんなものだと、自分は思っていた。
だから初めて無欲で何の見返りもない手で触れられて、カァラはパニックになったのだった。
それは親が子供を無条件に愛するような感覚。
カァラが一度も触れた事もない、味わった事のない……感覚。


こんなの、嫌だ…!

嫌だ、嫌だ、嫌だ…!!

こんなの俺じゃない。

お願いだから、そんな手で俺に触らないで。

そんな感覚、俺に教えないでくれよ!!

悲痛なまでの感情が、動揺しているカァラに襲い掛かる。

知りたくない。いや、知っては駄目だ。
こんな感覚、知りたくもない。

カァラは己を守るように、ぎゅっと眼を瞑り、両手で自分の耳を塞ぐ。

小さな小さな自分が、蹲って泣いている映像が脳裏に浮かんだ。

今更そんな感覚、知りたくもないよ。
知ってしまったら、気づいちまうじゃないか。
自分がどれだけ惨めだったか。
自分がどれだけ傷ついていたのか。
……自分がどれだけその感覚に飢え、与えられない無念さに涙し、絶望していた事を。

お願いだ、思い出させないで。
小さい頃の自分を。
封印していた自分の心を。
暴かないで。
自分がどれだけ不幸な子供だったかを。
その甘美な誘惑で、俺を翻弄しないで。

そんなことをしたら、やっと繕ってきた自分の鎧が崩れてしまう。
惨めな自分を思い出したら、ここまでやってきた自分が壊れてしまう。
甘い汁を知って、自分がどうなるかも怖い。
あの女のように、わずかな愛なんてものにしがみついて、失う事を恐れて、破滅した。
なりたくない…。あんな風に、愛に支配されたくない。


嫌だ、そんなの嫌だ!!!

カァラの恐怖は、極限にまで達していた。
理性では止められない涙が頬を濡らす。
自分が今まで築き上げてきた世界が、完全に崩壊してしまいそうな恐怖。
バラバラになりそうな感情の葛藤。

…そう、こんな感覚を知ったら、自分はもう、今までのようにいられない…。

「怒り…」
突然ポツリとアムイが呟いた。
カァラはびくっとしてアムイの顔を見る。
「お前を今まで生かしてきたのは…怒りだ」
見る見るうちに血の気が失われる。
この男によって、自分が暴かれていく。
怒り…。そう、怒りだ。
「お前は自分と、この世の全てに怒りを感じている。
母という女への怒り。
それがお前が女という性を憎んだ結果だ。
父という男への怒り。
それがお前の男という性を呪った源だ。
…お前は…自分が男の身で女となる事で、両の性に怒りを感じ、呪っている」

「俺は…。違う、そんな事はない…!俺はただ…ただ…」
カァラは動揺したが、それを認めたくなかった。
認めたら、自分をなくしそうで、支配されそうで。……壊れてしまいそうで。

「お前が無意識のうちに、男である自分が女の役割を喜んでするのは、その結果、お前自身のように呪われた子供を作らないで済むからだ。……自分が女になれば、そうして男を取り込めば、子供を作らず、快楽だけを貪れるから。
お前はあまりにも母…女を忌み嫌っているために、女の中に入れない。
女を拒否する。
そうしなければ、否応なく子供ができてしまう。それが怖いからだ。
だから自分が女となって、男を受け入れる。そうすれば子供はできない。
しかも男を自分の虜にさせる事で、男も自分の子供を作れない」

カァラは冷たいもので心臓を鷲掴みにされたような気がした。
雄弁となったアムイの声だけが、静寂な森に響き渡る。
カァラだけでない、その言葉を耳にした誰もが、息を詰めて身体を強張らせていた。
抵抗を続けているカァラに、アムイは責めるでもなく、説教するでもない、ただ、あるがままの声色で、はっきりと告げた。

「こうしてお前は父母を、世の中を、生命(いのち)を呪って生きてきた。
そうしなければ、この生き地獄で生きていけなかったからだ。
その怒りが活力となって、お前自身を生かしてきた。
自分の存在理由に憤り、魔と同化する事によって、世の中の全てに復讐しようとしている」

動けないでいるカァラに、アムイは追い討ちをかけるようにして静かに言った。

「君の中で小さな子供が泣いている。ずっと…辛かったんだね…」
カァラの何かが弾け、物凄い勢いで自衛本能が働いた。

「うるさい!…わかったような事、言うな!!」
カァラは大声で叫び、アムイの手を振り払った。


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2011年9月12日 (月)

暁の明星 宵の流星 #159 その①

もうすぐ冬が来るのだろう、意外に空気が冷たいのに、思わずぶるっと身体を震わせる。
月の光に誘われたアムイは、ひんやりとした外気に身を晒していた。
その肌を刺激する感覚。
今いる世界が実体を伴っているのだという事を、自分は感じたかったのかもしれない。
踏み締める草の音が、心地よく自分の肉体に響き、徐々にそれが自分の五感を研ぎ澄まそうとしてるようだ。
己を包むこの月の光のお陰か、やっと、物質の世界のものであると肉体が思い出してきた。
それでも、前とはどこかしら感覚が違うのを、アムイは気がついていた。
まるで生まれ変わったかのよう…。
肉体の感覚は鋭くなっていくが、内面はまだ夢を見ているような心地が続いていた。
目覚めたばかりのアムイには、先ほどまであの世で体験した事が、まだ生々しく残っているのだ。
あの世の者が言っていた通り、現実の世界に戻っていけば、いつかはあの世での記憶も感覚も薄れていくのだろうが…。

「ああ、戻ってきたんだ…」
声に出して言ってみる。声帯を通して、じんじんとした響きが全身を駆け巡る。
ふつふつと沸き起こる力。
これが本来自分の持っている力である事実を、アムイは月の光の中で噛み締めていた。

..........................................................................................................................................................................................

月の光の中で佇む男の影。
闇夜を馬で走るカァラの邪眼が突然反応した。
その鮮烈なイメージは、カァラの確信を益々大きくさせた。

「見えた!」
興奮してカァラは叫ぶ。
自分はまだ【暁の明星】に直接会った事はないが、自分の父の記憶を覗いていた彼には、それが目当ての人間だとすぐにわかった。
やはり自分の予感は確かだった。思いのままに馬を走らせて正解だった。
カァラが向かっていた方向…それはキイ達が中間地点と選んだ野宿をしている場所…小さな洞穴がいくつもある森林だった。
カァラの感覚では、目当ての人物は今、無防備な状態で外にいるのに間違いなかった。
今まで彼の気配が全く感じられていなかったのに、突如としたこの圧倒される彼の“気”の感覚に、カァラは己の心臓が破けてしまうかと思うほどの衝撃を受けたのだ。
(これが…暁…)
カァラの期待は膨らんだ。
本当の事を言えば、自分はずっと宵の君にこだわっていた。
何故なら彼の代わりに自分が生ませられたといっても過言ではなかったから…。
初めて対峙した彼は、カァラの思ったとおりの清廉な魂(たま)で、見るからに天からの化身そのものだった。
だが結局その魂(たま)を、己の魅力で闇に引きずり込めなかった事に、自分は少々腹を立てていた。
本当ならば、宵の君は自分のような立場になっていた筈だったのに…。
そうすれば自分は生まれなくてよかったのに…。
カァラの気持ちはそこでいつも燻(くすぶ)り続ける。
だからキイを挑発するために、わざと彼の大事にしている相方の名前を出して煽ったのだ。
カァラにとって宵の相方である暁の存在は、あまり大したものではなかった。
だが、あの非道な父親を壊し、尚且つ虜にしている事で、カァラは改めて彼に興味を持った。
確かに邪眼では、宵と暁の関係を大体見ていたつもりだったが、宵の君に囚われていた彼にとって、それはただの二人の情報に過ぎなかった。そこに隠されている真実など、カァラにはどうでもよい事で…。
でも、暁に興味がある、と言ったときの、あの宵の君の動揺。
これが益々カァラの好奇心に火をつけたのだ。

もし…もしこの俺が、宵の大事な暁を自分の虜にしたのなら…。

そう思うと、わくわくして胸が躍る。
自分が繋がろうとしているこの二人を引き離すのも愉快だろう。
でも、それが自分の嫌いなあのティアンを喜ばすような事になるというのは、いささか面白くないけれど。


いきなり馬の足を速めたカァラに、こっそりと後を追っているリンガ王女一行も、只ならぬものを感じていた。
(もしやアムイを見つけたのでは?)
そう思うとリンガの心は焦燥で焼け付くようだ。
(姫胡蝶、貴方の考えはわかっているわ!
アムイに手を出していいのは、このわたくしだけよ!
絶対、阻止してやるんだから!)
リンガはそう息巻いた。
その気迫は、彼女の背中を追いかける二人の従者にもひしひしと感じられた。
(ああ…完全に頭に血が昇ってらっしゃる…)
王女の幼き頃からの護衛であるモンゴネウラは、困ったように舌打ちした。
こうなると彼女は誰にも止められない。この自分でさえも…。
男に対していつも余裕である我が王女は、一体何処にいってしまったのか…。
その彼女をここまで盲目にさせる【暁の明星】を、モンゴネウラは心底脅威に感じた。
この男の存在が、将来王女にとって禍因(かいん…わざわいの起こるもと)となるのではないか。
モンゴネウラはふと、そのような嫌な予感に襲われて、冷や汗をかいた。


..............................................................................................................................................................................................

【暁の明星】と思われるその“気”の存在が、段々とカァラに近づいてくる。
煌々とした満月。
その月の光のせいで、周りの星はかすんで見え 、心なしかつまらなそうにしている。
勢いよく馬を走らせていたカァラは、ある場所に差し掛かると突如として馬を止め、勢いよく降り立った。
「姫胡蝶様」
追ってきた彼の護衛も慌てて馬から飛び降りる。
「しっ!」
カァラは護衛を制すると、素早く小さな声で命令した。
「ここから先は俺ひとりで行く。お前は馬を見ていてくれ」
「し、しかし」
「大丈夫。何かあったらいけないから、ここで待機していてくれ」
有無を言わせないカァラに、護衛も黙って従うしかなかった。

カァラは逸る胸を抑えつつ、草木を掻き分け、目当ての人物の元へと急いだ。
カサリ…。
少し奥まった茂みから出た瞬間、カァラは息を呑んだ。
(いた…!)

茂みを抜けた先は、小高いなだらかな丘が続き、柔らかな草がまるで絨毯のように敷き詰められていた。
目の前に開けた景色は、そこだけ何者かが集まるような広場のようで、鬱蒼とした森林がその場を囲うようにぐるりと存在していた。小さいけれど、空を見るには絶好な場所だ。
事実、前方で浮かんでいるまぁるい大きな月は、何の障害物もなく、その美しい姿を煌々と晒している。
珍しくカァラはワクワクしていた。
何か宝物でも見つけたような、そんな高揚感が彼を支配していた。
その原因である人物が、月を背にし、片膝を立てた格好で腰を下ろし、じっと目を瞑って月の光を堪能していた。
初めて見るその男が、目当ての人物だとカァラは確信した。
自分が思っていたより、意外と男らしい容姿をしている。
宵の君とは全く違う、でもどこか似ている所がある、普通に見ても、精悍で綺麗な顔立ちの、とても魅力的な男だ。
黒い髪は襟足まで長く伸び、それがさらさらと風に揺れている。
カァラはゆっくりと彼に近づくと、そっと両膝を付いて相手に顔を近づけた。
「【暁の明星】?」
耳元で、囁くように呼んでみる。
ピクリ、と彼の瞼が微かに動いた。


まだ夢うつつだったアムイの耳に、艶やかな吐息と共に自分の名が聞こえてきた。
うっすらと目を開けると、そこに少女のような可憐な顔が、こちらを興味津々と覗き込んでいるのが目に映った。 
「お前は?」
アムイは思わずそう尋ねていた。

なんて吸い込まれそうな黒い瞳…!
カァラは息を吸い込んだ。どうしてだが胸の動機が激しくなった。
だがその反面、カァラの邪眼はしっかりと目の前の男を観察していた。
その眼に映るもの……怒涛の情報が互いを飛び交い、互いを探る沈黙の時間が過ぎていく。

しばし、言葉なく互いに見詰め合った後、最初に口を開いたのはカァラだった。

「…あんた…、かなり業の深い魂(たま)をしているね…」
それは率直な感想だった。
何だ?
宵の君と元は同じ魂(たま)の筈なのに、まったく違う…。
宵の君…キイの魂(たま)は天上の香りがし、ある意味まっさらな純度の高い印象があった。
だけど、この男の魂はその真逆。……あらゆる艱難辛苦(かんなんしんく)を受けてきた印象だ。
まるで地に沈み込みそうな、重くて、でもそれが魔のものとは違う、鍛錬され熟成した重みがある。
これだけの業…。一度や二度の転生ではこうはいかないであろう。
まるで…。そう、これはまるで…。
「…まるで、大地の引力に囚われて、転生を繰り返してきたみたいな…」
カァラの独り言のような言葉に、アムイはふっと笑った。
その笑みが、何故かカァラの心をざわつかせる。
「だけど、それがもう今生では究極となって……清算されるための…最終段階…。
ああ、そうか…」
カァラはごくり、と喉を鳴らした。
「だから天と地に分かれたんだ…。究極に…引き合い支えあうために…」
「お前はシヴァの息子か?」
突然そう言われて、カァラは言葉に詰まった。
「キイから少しお前の事を聞いていた。それに…シヴァと似た波動を感じる…。だからわかった」
淡々とした語り口調に、カァラはいつもの調子が出ない自分に焦りを感じた。
「そう。あの時はあんたに会えなくて残念だったな。…ずっと部屋に引き篭もっていて姿を見なかったし、会いたくて仕方なかったよ…」
カァラはなるべく色っぽくなるように、声色を甘ったるく変えてアムイの耳元で囁いた。
「何が目的?」
なのに全く動揺した素振りの無い声。カァラはむっとした。

自分の色香に惑わされない男がいるなんて信じられない…。
いや、いたっけ一人。
この自分をひと目で男と見抜いた…あいつと。

プライドが許さないカァラは、気を取り直すと、まるで誘惑するように艶かしく指をアムイの頬に滑らした。
「目的?もちろんあんた…暁殿(あかつきどの)に決まっているじゃないか。暁殿…というよりも暁の君(あかつきのきみ)だよね?あんたも立派な王子様だっけ」
「それが?」
「……俺、宵の君に振られてしまったんだよ。
弟のあんたが慰めてくれる?」
「………」
じっと自分を見つめる目に、何だか落ち着かない。だが、そんな事にひるむような自分ではない。
カァラはぐいっとアムイの身体に跨る様にして、大胆にも身体を密着させ、顔を近づけた。
「……あんたは…誰かさんみたいに男が絶対に駄目、ではないでしょ?」
アムイは身じろぎもしないで、カァラの身体を受け止めている。
「女みたいな男なら…大丈夫そうだよ」
この俺みたいなねと、カァラはクスリと笑うと、大胆にもはっきりと言った。
「…ねぇ、俺を抱いてみない?…これだけ業の深い魂だもの。
あんたには大した事ない経験だろ?…一緒に…闇に堕ちようよ、俺と」
魔性の囁き…。カァラは今まで何人の男をこうして己の魔性に引きずり込んだのだろう。
甘美な地獄に甘んじて落ちていく男達。
カァラは何人もそうして数多の男を毒牙にかけてきたのだ。
いつだって、自分にかかればどんな男でも自分に支配される。

それに気が付いたのは、一人でティアンの研究所を飛び出した10歳の時から、2年経ってからだった。
もう、何もかもが嫌だった。
研究の対象として大人達におもちゃにされるのも、ティアンの性癖につき合わされるのも、…そしてたまにやってくる実の父親の、子供を子供と思っていない仕打ちも。
路頭に迷っていた自分を最初に拾ってくれたのは、羽振りのいい商人の中年の男だった。
最初は善意で自分を助けてくれたものだと思っていた。
その男にくっついて各国を回って2年目の夏、その男に無理矢理慰み者にされたのだ。
その様な行為は、途中までなら何度となく研究所で繰り返されていたから、カァラには何の気持ちも湧かなかった。が、その時に男は所詮考えている事は皆同じなどと、まるで女のように思ったのは覚えている。
だが、ここで自分を抱いた男の変化を目の当たりにし、カァラは自分の肉体が武器になる事を知った。
必ず自分を抱いた男は自分に心酔し、溺れ、意のままになっていく。
それがカァラは面白くて仕方がなかった。
結局、その自分の魅力に気付いたカァラは、幾人もの男達の間を渡り歩き、彼らを争わせながら、相手の格をグレードアップしていったのだ。
眩いばかりの美貌と若さの17歳の時、小国の王が自分を見初め、女のように着飾らせ【姫胡蝶】などと異名まで付けて、溺愛してくれた。カァラにとって、初めての居心地のよさを感じていた場所だった。…でも結局、その国を滅ぼしてしまった。
男達が自分を取り合い、自滅した。
そして転々と男達の間を渡り歩き……。今は東の荒波州の提督に囲われている身だ。

カァラはわざと挑発するように、アムイの頬をぺろっと舐めた。
「俺ならあんたに最高の快楽を与え、嫌な事を全て忘れさせてやれるよ。
どう?堕ちてみない?」
カァラをじっと見つめていたアムイは、重い口を開くと、思ってもみない言葉を発した。
「………そこまで言うのなら好きにすればいい。
…俺は逃げも拒絶もしない、お前の気の済むまで…黙って受けてやるから」
その真意の読めない言葉と表情にカァラは苛立ちを覚えた。
「わかった…!じゃあ好きにさせてもらうよ」
そう答えて、カァラは自分の柔らかな赤い唇を、アムイの唇に重ね合わせた。

........................................................................................................................................................................................

《好きにすればいい…》

思わぬアムイのその言葉を耳にした二人は、ぎょっとしてその場に立ち竦んだ。
森林の端、ある大きな木の陰で、キイとイェンランは声も出ず、月明かりに照らされた妖艶な雰囲気な二人の様子を凝視していた。
アムイの一見投げやりとも思えるその科白にキイは耳を疑い、その場を動けなかった。
「キ、キイ…?」
後ろにいたイェンランが、おずおずと彼を見上げながら小声で呟く。
そんな彼女に、キイは無言で静かにするように手で制した。
いつものキイならば、アムイに魔の手が迫っていれば、血相を変えて阻止する所である。
だが、何故かその時のキイは、自分がその現場に乗り込んではいけないような、そのような感覚がふつふつと湧いてきて、自らの足を硬直させた。
それは次の瞬間に起きた、二人の濃厚なキスシーンを目の当たりにした事も関係があるかもしれなかった。
(嘘…!アムイ!?)
イェンランも息を詰めて、二人の行為を信じられない思いで見つめていた。

張り詰めた、他者を寄せ付けない二人だけの世界がそこにあったのである。


艶かしい吐息の合間に、悩ましげなカァラのささやきが月夜に響く。

「宵の君と、俺…。光と闇の、どちらを選ぶ?
…完全に今生、肉体的に結ばれない相手と、あんたに最高の快楽を与えられるこの俺と。
ねぇ、答えてよ、暁の君……、俺のアムイ…」

その言葉に、キイが勢いよく息を吸い上げたのに、イェンランはどきっとした。
彼の拳が、白くなるほどきつく握られ、微かに震えている。
(キイ…)
いけないと思いつつ、イェンランはそろりとキイの顔を見上げて息を呑んだ。

そこには、死にそうな思いでじっと何かに耐えている、悲痛な面持ちの白い顔があった。
こめかみからは汗が浮き出て、目は眼光鋭く前方を睨み、きつく結ばれた口元が微かに震え、何かの衝動を懸命に押さえ込んでいるその姿…。
今まで彼女が見たこともない、知らない顔の男がそこにいた。

まるで見てはいけないものを見てしまったかのように、イェンランはすぐにキイから視線をはずした。

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2011年9月 9日 (金)

暁の明星 宵の流星 #158 その②

温かい…。まるで陽だまりのような、優しい温もり。
いつの間にかアマトの腕の中で、アムイは7歳の少年の姿になっていた。
「父さん、父さん」
少年のアムイは泣きじゃくり、何度も何度も父を呼びながら、懐かしいその温もりを堪能した。
そんなアムイを、父アマトはしっかりと抱きしめながら、片方の手で優しく頭を撫でる。
「ご免なさい、父さん。おれ、おれ…あんな事言って父さんを拒否して。
父さんの事、一番知っていた筈なのに、悪いように言って責めて…!
本当にご免なさい…!」
とにかく、謝りたかった。アムイは懸命に父の胸の中で、今までの思いの丈を声に出した。
最期の時も、そして大人になっても、ずっと父を責め続けていた事。
父を悪く言う事によって、己を正当化していた事。
今まで積もり積もった事を、アムイは全て吐き出した。
それを父は静かに黙って聞いていてくれた。
時折、わかっているよという感じで、アムイを抱く手に力が入る。
アムイはそれが嬉しくて、そして何ともいえない安らぎに浸った。

父の胸の中で泣くだけ泣いて、気がつくとアムイはもとの成人した姿に戻っていた。
顔を上げると、優しく微笑む父の顔が間近にあった。

そうか…。俺はもう、父親の身長を超えていたのだな…。

何故かぼんやりと、アムイはそう痛感した。
「本当に、大きくなったなぁ、アムイ」
自分の思った事がわかるのか、父アマトは感慨深げにこう言った。
「こうして成人した姿に会える時がくるとは…。お前のガード(守護)役を申し出てよかった…」
自分と似た面持ちの、でもやはり少し自分とは違う、父の顔がほころんでいた。
「…そう、そうだった、父さん!」
アムイは父の言葉で思い出した。
「俺のために、分魂を飛ばしてまで獄界に来てくれたんだよな?
俺、嬉しかった。父さんがいてくれなかったら、俺、ここまで来れなかったよ…」
アマトはうんうん、と軽く頷きながら、うっすらと瞳に涙を滲ませている。
「……必ず、“金環の気”を持つお前は、冥府へ来ると思っていた。…地の“気”を持つお前に冥府は避けて通れない世界でもあったからね。だから、成人したお前と、こうして直に接する機会は、この時しかない、と私も思っていた。
……だが、驚いたなぁ。まさか冥府通り越して獄界とはね。
さすが私の息子。やる事が半端なく大胆だ」
そう言いながら、アマトは笑った。
「…という事は、父さん。…こうして触れ合えるってことは、これ、父さんの本体なんだよな?
…声もはっきりと聞こえる…」
アムイは少し離れ、父の両肩に自分の手を置くと、目の前の本人をまじまじと見つめた。
「そうだよ、アムイ。やっと、本体が降りてこられる位置まで、お前は来てくれたんだ」
「じゃ、ここは」
「そう。お前の肉体のある世界との境だ。……もう安心していい。
お前の友人が邪鬼悪霊を抑えてくれている。……いい友達を持ったな、アムイ」
その言葉に、アムイは涙が溢れた。
「……父さん、俺は」
「アムイ」
泣きながら何か言おうとする息子を、アマトは宥める様に話し始めた。
「人の死とは辛いもの。特に深く懇意にしていた者ならば尚更だ。
それは残された者だけでない、残して旅立たなければならない者とて同じ。
……もう、物質の世界では触れ合う事ができない。別次元に旅立てば、周波数が合わなければ…また、“許し”もなければ、思いを交わす事も難しくなる。
……でも、それが天の摂理。生と死、出会いと別れ。
そうしてあらゆる魂と触れ合いながら、人は生きていくのだよ。
転生を繰り返してきたお前なら、もうすでにわかっている筈だ。思い出せる筈なのだ。
…恐怖、という枷をはずせば、それでいい」
「……恐怖という枷…」
「それがお前の覚醒を妨げていた一つだ。
お前の柔らかで優しい魂を咄嗟に守ろうと発動した感情でもある。
……多分、それがお前の本来の力も封印してしまった。
何故そうなったのかは、あらゆる見方があると思うが、ただ、それがお前の今生での無駄と考えるのは浅はかだと思う。
必要だから、そうなった。そう思いなさい」
「俺に必要だったから…?ずっと苦しんで来たのは、俺に必要…?」
「苦しみもまた、乗り越える事によって糧となる。
ただ、お前の場合、様々な要因が絡み合って作用していた。だから時間がかかってしまった。
……まずは、お前自身が己を守ろうと自分を封印した事。
魔がお前の覚醒を邪魔し、魂を潰そうと画策してなった事。
それがかえってお前の本来の力を温存する事になった事。
時間をかけてじっくりと、まるで熟成させる美酒のごとく、お前の本来の魂を寝かせている時間も必要だったのだ。
その間、キイが頑張ってくれた。……キイでなければ、ここまでできなかった」
キイの名が出た途端、父の声は心なしか震えていた。
「キイ…」
「だからこれからは、お前はキイと共に高みに昇っていかなくてはならないよ。
キイの働き、お前の働き。
天と地は互いに支えあい、そしてどちらも欠けてはならない。
同じ目線になって初めて、双璧となる」
「……」
じっと俯くアムイに、アマトはポンポンと頭を掌で軽く叩いた。
「お前は私の性質を受け継いで、お人好しの部分があったからなぁ。
……キイもそんなお前が危なっかしくて仕方なかったんだろう。
でも、もう大丈夫だ。己の力を思い出し、信じきれば、簡単に乗り越えられる。
お前はそのくらい大きな器の持ち主だ」
「本当に、そうだろうか…」
「お前の場合、その鋭い心の眼で真実を見抜く力が大きい。そういう者は得てして他人の心や波動を感じやすく、その者の気持ちを自分のごとく理解しやすい。つまり同調し易いのだ。
一見、長所のように思えるが、それができるだけでは駄目なのは、今までのお前が一番よくわかっているだろう?
それは相手を受け入れて引きずられやすくなったり、相手の気持ちを理解しすぎる分、相手と同化してどうしたらいいかわからなくなる。それが良き者ならばいいが、悪しき者であったら、己が破滅する。
相手を受け入れ、適切な処理ができるには、自分というしっかりした芯がなければならないのだよ。
自分の適格な判断…相手の幸(こう)を基準とした正確な判断ができてこそ、この力はお前の武器となり利点となる。
自然の摂理に沿った基準と、お前のその大きな大地の懐があれば、そして己の軸がきちんと立っていたら、もう人に脅かされ、浸食される恐れはなくなる。
いいか、アムイ。もうお前はその事に目覚めていい時だ。いや、目覚めなければならない」
きっぱりとした父の言葉に、アムイの心は引き締まった。
「わかった…。ありがとう父さん」
アムイの振り切ったような清々しい表情に、アマトも安堵の笑みを浮かべた。
「……さ、早くキイの元に戻りなさい。あの子の苦労を考えると、父として何もできない自分が歯がゆかったが…」
と、少し悲しげに眉を曇らせる父に、アムイの心は痛んだ。
父とキイの確執は、やはりまだ消えていないものなのだろうか…。
「これで少しはあの子の役に立てたかな……」
ポツリと小さく呟く言葉が、アムイには痛々しく響いた。
「父さん、あのさ…」
アムイがキイの事を言おうと口を開いたが、アマトは笑って話を変えた。
「お前は何も心配しなくていい。このまま進んで行きなさい。
あの黄色の光がお前を人界に導いてくれる」
「黄色の光?」
そう言われてふと頭上を見やると、チカチカと小さな黄色い光が煌いている。
「この光は、あの時助けてくれた…!」
そう、見覚えのあるこの光。自分がミカ神王大妃の亡霊に引きずられた獄界から逃げる時、助けてくれた黄色い光だ。
アマトはアムイの驚いている様子ににっこりと笑うと、その正体を言って益々アムイを驚かせた。
「この黄色い光はずっとお前の事を心配して見守っていた光だ。…名前は月光、というけどね」
「月光!?って、まさか…!」
「…母さんだよ」
「母さん…!」
アムイは黄色い光を凝視した。心なしか光は照れて、困ったように不規則に瞬いた。
「天のルールで、獄界においてのガード(守護)およびガイド(案内)役は一人、って決まっているんだ。
本当はネイチェルもお前に会いたかったんだと思うよ。
特に月の女神の光。闇夜にあって、私よりも獄界に近しい場所にいるからね。
でも彼女は私にその役を譲ってくれた。…それでもお前が心配で、こうして光だけになって照らしてくれていた」
アムイの涙腺がまた緩みかけ、慌てて手でそれを払う。
「お前は、一人じゃないんだよ。孤独を感じる必要はないし、お前の友人が言っていたように、お前が望めばこうして繋がれる。……それを、お前に思い出して欲しかった…」
「父さん…母さん…」
「忘れるな、アムイ。お前は愛されている。どのような次元であろうが、お前を愛している魂が、光が存在している事を…」
アムイは力強く頷くと、小さく「ありがとう」と呟いた。
涙が出そうで、声をはっきりと出せなかったのだ。
アマトはポンっとアムイの肩を叩くと、促すように方向を指差した。
「行きなさい、お前の必要としている世界へ」
「父さん」
「会えて嬉しかった」
アムイはもう一度大きく頷くと、黄色い光、月光に視線を向けた。
月光はチカッと大きく瞬くと、すうっと動き始めた。
「行ってくる、父さん」
アムイの力強い声に、アマトは満足そうに頷いた。

月光は闇夜を照らす慈悲の光。
それは闇を支配する世界では分け隔てなく存在する光。
闇夜を照らす光を追えば、冥府と人界の橋渡しをしてくれる月が、必ず目的の場所に導いてくれる。
アムイは母である月光に導かれ、闇夜を走った。


今、帰るから。
自分が自分でいられるように。
もう、大丈夫だから。

逸(はや)る気持ちを抑え、アムイは懸命に走る。

気がつくと、目の前に大きな満月が眩しく輝いていた。
闇を照らし出す、夜の天体。
アムイはその光の中に飛び込んだ。


...............................................................................................................................................................................................

煌々と輝く満月の光。
いつの間にかキイは眠ってしまっていた。
木に寄りかかるようにして眠るキイの胸から、ふわり、と小さな光の玉が飛び出した。
その小さな淡い光を放つ玉は、ふわりふわりと浮かびながら、ある方向に向かって移動し始めた。
その事にキイはまだ気づかず、ぐっすり寝入ってしまっているようだ。
光はのろのろと他の者が寝静まっている洞窟の一ヶ所にすっと入って行く。
その小さな洞穴にたどり着くと、光の玉は小さな男の子の姿と変貌した。
黒い髪、黒い瞳。その子は口元をわななかせながら、その洞穴の奥に進んだ。
割と広めのその洞穴には、子供が一人通れそうな亀裂があって、そこは外界にも通じていた。
そこから外の新鮮な空気が流れ込み、また、明るい月の光も差し込んで、灯りなくても充分明るかった。
その近くでイェンランが、地面に敷いた布の上に顔を埋め、突っ伏して眠っていた。
彼女の脇を音もなく前に進んだ少年は、その先に居た一人の男の姿を目にし、顔を歪めた。

……それはまるで絵画のように、幻想的な光景であった。
月の光に照らされた端正な横顔が、微動だにせずに、ぼんやりと浮かんでいる。
彼は今までそこで横たわっていたのだろうか。身体にかけられていた布を取り去った形跡があり、彼のために敷き詰められていた沢山の布がくしゃくしゃに乱れていた。
その上に、当の本人は上半身を起こした状態で、呆然と月の光を見つめていた。
まるで今しがた寝起きたばかりの表情だった。
男の姿を見るや否や、少年の目から大粒の涙が零れた。
その気配に、男も気がついて少年を振り向く。
しばし互いを見つめ合った後、言葉を最初に発したのは少年の方だった。

「ねぇ、どうして迎えに来てくれなかったの…?」
哀しげな少年の涙声に、男は申し訳ないかのように呟いた。
「ご免…遠くに行ってた」
少年はしゃくり上げた。
「おれ…おれ…ずっと待ってたのに…」
「ご免な。…今まで、どうしていた?」
その問いに少年は涙を拭くと、ポツリ、と言った。
「うん。ずっとね、キイが抱っこしていてくれたよ。…優しくて、あったたかったよ」
その答えに、ふっと笑うと男は俯いた。
「そう…キイが…。……よかったな」
「でも、ね」
ん?とまた顔を上げて少年の顔を見る。
「やはりおれ戻らなきゃ、って思ったの」
「うん、そうだね」
少年はふるふると震えると、また大きな目から涙をこぼした。
「……おれのこと…ずっと、いらないと思ってた…?」
男は…アムイは目をきつく閉じた。

この傷は人から付けられたものではない。
自分で付けた傷なのだ。

自分で自分を貶め、否定するたびに、小さなこの子は痛めつけられ、血を流し続けたのだ。
そしてずっとずっと、心の奥の闇にこの子を自分は閉じ込めてきた。
───忌み嫌われた自分…。
だけど本当は追い詰め、傷つけ、嫌っていたのは己自身だった。

アムイの口から悔いの言葉が洩れた。
「悪かった…」
小さな自分は目を大きく見開いて、今の自分を見る。
その瞳に涙がまた溢れそうになるのを見て、アムイは言い知れぬ感情が沸き起こってきた。
「ああ…おいで…」
アムイは小さな自分に手を差し伸べる。

やっと。
やっとこの当時の自分を受け入れられる。

小さな自分は顔をくしゃくしゃにすると、勢いよく自分の胸に飛び込んできた。
アムイはその小さな、傷だらけの自分を抱きしめる。
闇の箱を手にした時、最初に抱いた感じとは違う、確かな存在を感じていた。

「ご免…、ごめんな…!」
アムイの声も涙で震えている。
「ずっと嫌っていてごめん。ずっと痛い思いをさせてごめん。
……ずっと…否定し続けて…本当に悪かった…」
その言葉に小さな自分は号泣した。
「…本当だよ!ずっと…ずっと痛かったよ…!
ずっと…怖かった!…苦しかった…」
「そうだね、辛かったね。苦しかったよね。
…長い間怖い思いをさせてしまった」
アムイも、込み上げる感情に抗えずに嗚咽した。
小さな自分を胸に固く抱き、互いに泣き合った。
「もう、おれは戻っていいの…?」
おずおずと顔を上げて呟く自分に、アムイははっきりと告げる。
「ああ!もちろんだよ!戻っておいで…。
いや、一つに戻ろう!」
幼い自分が安心したような満面の笑みをほころばした。それはまるで満開の桜の花のようだった。
その途端、小さな自分はぱぁっと光り輝き、突如として腕の中で弾け飛び、細かな粒子となってアムイの全身を覆った。
きらきらと光の粒子を受けながら、アムイは上を向いてじっと目を閉じた。
どくどくと己の血の流れる音がする。
……気持ちがいい…。
ふわふわとした気分のまま目を開けると、岩壁の隙間から柔らかな月の光が差し込んで、それが自分を誘っているかのように見えた。
アムイはふらりとその場から立ち上がると、まるでその月光に引き寄せられるように、軽い足取りで外に続く出口に向かって歩き始めた。


微かな物音で、イェンランはふと目が覚めた。
(やだ、私寝ちゃってる…?)
慌てて身体を起こすと、辺りの様子が前と違うのに目を瞬(しばた)いた。
あれ…?何かさっきと違う…?…ええ?
寝ぼけた頭がそこではっきりと覚めた。
「アムイがいない!」
がばっとその場から立ち上がると、イェンランは慌てて洞穴の中を探し回った。
「ええ?どうして?何でアムイがいないの…?」
そんなの答えは決まっている。
誰かに連れ去られたか、自分で出て行ったか、だ。
…自分で出て行った…?まさか!
イェンランはその考えに動転して、形振り構わず外に向かって走り出した。

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2011年9月 8日 (木)

久々の、物語の途中ですが

いつもご訪問いただきまして、本当にありがとうございます。

別館ではたまに呟いてはおりますが、ここでこうして呟きますのも、久々かと…。

先日更新しました#158ですが、その時間帯にご訪問下さった方ならお分りかと思いますが、一時仮投稿という形で更新いたしました。
しかも、#158その①って何?って思われた方もいらっしゃるのではないかと思いまして。

ここ最近、更新が遅れに遅れているのは自分でもよくわかっていまして、8月なんて3回!くらいしか更新できませんでした。
夏は暑いのもそうですが、やる事が多すぎて、書けなかったというのが悔しかった…

別館もなかなか手を加えてやれなくて、焦りばかりを感じます。


で、9月。
新学期も始まった、ということで。
もう最後の方でもあるし、ちょっとここらで書き方を変えようかと思いめぐらしていたわけです。

とにかく、最後の最後になればなるほど、ページ内の文章が長い!
最初の頃なんて、こんなに長くなる(長くする)予定ではなかったので、短くポンポン更新していました。
(だから毎日更新、なんていう荒業ができたのでしょう…)
今なんて凄い量…と自分でも思います。
携帯サイトで見ると一目瞭然です。
本当はページ数をあまり増やしたくなくて、1ページが長くなるのも仕方がないかな、と思って今まで来たのですけれど、そうすると更新が遅くなってしまう…。一応、週一のペースでやっているつもりですが、どうも上手くいかない…。
一番、自分が梃子摺っている部分にきたのもあって、どうも3~4回にかけて書き溜めていると、更新もなかなかできずに時間が過ぎ、また1ページの長さがかなtり長くなるというのに、ちょっと疲れを感じていました。


本当ならば、最終の方ですし、できればストレス感じなく突き進みたかったのですが、どうも今の書き方ですと、自分が持ちそうにもありません…(情けない)

それと、最後の方になって、この物語がこんなに長くなるとは思わなかった自分の構成ミスが発覚。
最初13章…今14章と言っていましたが、これ、やはり15章にすべきではないかと…。
うぁわぁー
結局ぶっつけ本番で書いている事が原因なのであって、進み具合がまどろっこしくも似たような内容で進んでいるようで、かなり反省しております。

当初考えていた時は、こんなに長い物になるつもりは全くなかったんだけどな…。
簡潔なわかり易い文章を書けない、かといって凝った言い回しもできない自分の欠点を目の当たりにしてしまった感じです。

で、反省しつつ、開き直るのが自分でして、ここまできたらもう、完結させるのが先だ、と腹を括り。

とにかくその時に書き上げたら更新する、という荒業をしてしまおうかと…。
最初の頃のように…。
今回の#158.本当はまだ続いています。
なので仮投稿として、その日に書き上げたものを区切りのよいところでその①として更新しました。
溜めて更新した方がいいのか、それともその都度更新した方がよいのか…。
今でも悩む所ですけど、しばしお付き合いいただけると助かります。
とにかく話を進めなくてはなりません。

なのでこれからは、できればマメに更新しようと思っています。

こんな長い物語にお付き合いいただいている方には、本当に感謝してもし足りません。
大体長編なんて、避けられるというのも知っていますので。

これからもよろしくお願いします…。

夏バテ、夏カゼの2重苦に苦しんでおります。
皆様もお体にはお気をつけ下さい

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2011年9月 7日 (水)

暁の明星 宵の流星 #158 その①

※本投稿いたしました。
訂正更新(本投稿)が17時を過ぎましたことお詫びいたします。
詳細については仮投稿時に書いたように、本日の夜中~明日にかけて更新致します。
中途半端で申し訳ございませんせんでした。  kayan.


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満月…だからか?
眠れない…。
胸がずっとざわついて、胃が落ち着かない。
あまりにも寝返りを打っていたせいだろうか、隣で寝ていた相手が居心地悪そうに手を伸ばし、自分を引き寄せた。
「眠れないのか?」
半分、寝ぼけたような声。
「ごめん、起こした?」
「……夕べから何か変だったぞ。そわそわして、落ち着かない…。
あの最中だってお前は上の空だった。……どうした?もしかして、俺以外に好きな男でもできたのか」
最後の方は、嫉妬交じりの怒気の含んだ声だった。
「そんな…こと、ない、けど」
と、思い巡りながら言い淀んだ事に、相手は益々気分を悪くしたようだ。
「カァラ」
低く、くぐもった声でそう呼ばれ、意外に筋肉質な彼の体躯に、華奢なカァラは組み敷かれる。
彼──荒波州(あらなみしゅう)提督アベル=ジンが自分を本名で呼ぶ時は、かなり個人的感情が絡んでいると思ってよかった。
ふと見上げると、間近にアベルのぎらぎらした瞳とぶつかった。
「アベル…」
「他の男に気持ちを移したというなら、その男を殺す」
まるで脅迫…、とうっすらカァラは思う。
一見冷たそうな面持ちの何処に、こんな剥き出しの感情が潜んでいるのか。
いや、とカァラは心の中で苦笑した。
荒波州きっての冷酷で何事にも動じない男から、このような激情を引き出したのは、自分、だ。
どんなにクールで取り澄ましたプライドの高い男でも、カァラを抱くと、誰しもがこのように盲目的に自分を独占したがる。
それはそれで、カァラは面白い、と思う。だってそれは自分に夢中だという証に他ならないからだ。
男と女では、どちらが嫉妬深くて、独占欲が強いのだろうか。
ただこれほど男を虜にして、今までその矛先がカァラ自身に向けられた事は少なかった。
カァラに夢中になった男達は恋敵が現れると、、必ずといっていいほどその矛先をその相手の男に向ける。
これは男の性(さが)なのかな、と、男でもあるカァラはふと思う。
自分のものとするために、戦って奪い合うのだ。
たまに戦いに自信のない男が、カァラを道連れに心中しようとしたが、そんな弱い男は論外だ。
カァラは強い男が好きだった。
そんな男達が自分を取り合って、殺し合うのを傍観するのが好きだった。
…自分を切望している…自分が必要とされている…そう感じるだけで、カァラの気分は高揚した。
ああ、でも…。
このような嫉妬、というような感情にはさほど男女に違いなどないのかもしれない。ただその出方が異なるだけで。

昔、自分が愛妾として請われ、数多の妻や妾達のいる宮殿に連れて行かれたことがあった。
そこではひとりの君主をめぐり、互いに牽制し合っていた…。
女と女の醜い争い…。

そうか、かえって…、とカァラは考える。
よく男が気移りすると女は相手の女を憎む、というが、その反対で女が気移りすれば男は当の女を憎む、と聞く。
これは主従関係が意味しているのではないか、と思う。
男は支配している女の心変わりは許せないものなのだ。己のプライドが許さないからではなかろうか?
ならば、こうして男の独占欲を煽り、互いの男達を憎ませて戦わせている自分というのは何なのか。
その男達にとってこの自分は、己の支配下に乏しいという認識があるせいではないだろうか。
つまり自分の方が優位である、という事だ。
確かに、自分は誰にも支配されたくない。どちらかというと自分が支配したい、陰から主導権を握りたい性質(タチ)である。だからたまに己の所有物と勘違いして、自分に対し滅茶苦茶な振る舞いをする男もいるが、それは死を持って考えを改めてもらう。
そう、この【姫胡蝶】カァラの身も心は、誰一人として独占出来る筈もないのだ。
もちろん、相手を支配するために、“お前のものだ”と甘く囁くが、本当の所、本心ではない。
その機微がわかる大人の男が実はカァラは好きだった。

そんな事をうつらうつら考えていたら、突如として、カァラは自分を生んだ女の事を思い出した。
…自分はあの女のようにはなりたくない…。
苦々しい想いがカァラに甦る。
父の毒牙にかかり、身も心も奪われた末に自分を生んだ女。
非道で奔放な男に翻弄された可哀そうな母親。
その男への独占欲から、嫉妬に狂って実の息子を殺そうとした…母親。
……今でもその女が自分の首にかけた、白い指の冷たさを思い出す。

「カァラ?」
アベルの不機嫌な声で、カァラははっと我に返った。
「何を考えていた?」
その男の事でか?と言いたげな眼差しに、カァラは溜息をつく。
「違うよ、アベル。……何か胸がざわついて仕方ないんだ…」
「胸がざわつく?」
「うん。まるでどっかから何かやってくる…?みたいな?」
「予感…か?」
「予感?ああ、そう、だ。予感だ」
彼の言葉に、今しがた気がついた、というような顔で、カァラは呟いた。
「おいおい、大丈夫か?しっかりしてくれ」
アベルもそんなカァラの様子に、やっと柔らかい態度に戻った。
「お前がそういう事を言うのは、“何か”を感じ取っている時だ。
それが喜び事だったり、不吉な事だったり…。
何か重大な出来事がやってくる、と感じているのではないか?どうだ」
「そう…、何だろ。確かに大きな事が動きそうだって感じと、……この世ではない所で何かが起こっている…ような?」
「この世ではない…。つまり、天か地獄か黄泉の国か…。
まぁ、お前のもう一つの眼が何かを捕らえて疼いているんだろう。
そういう訳なら仕方ないな。……許してやる」
そう言うとアベルはカァラの柔らかな髪にくちづけた。
「ねぇ、アベル。俺に少し時間をくれない?この予感をちょっと確かめたい」
安堵したアベルが再び恋人に愛撫を施そうと動いた途端、いきなりそう言われ、怪訝そうに眉根を寄せた。
「時間?…また単独行動するって事か?」
それはこの前、自分の願いで【宵の流星】に会いに行った時の事を指していた。
「…だめ?」
精一杯愛らしくカァラは相手に擦り寄る。こうすれば、大抵の男は自分の言いなりになるからだ。
「多分そんなに時間かからないで戻って来れるよ。
…もしかしたら、貴重な情報も手に入れて来れるかもしれない…」
カァラは思わせぶりな言葉を投げかけた。
「…という事は、宵に関係しての事だな」
アベルはそう呟くと、ふーっと溜息をついてカァラの身体を解放した。
今の彼には、東の国統一の野望が一番大きかった。
共和国を築いた、神の子孫といわれるセドナダ王家の生き残り…。
滅したと思われるその国の後継者が生きて存在していたのだ。
その事実は、統一を夢見る東の民なら願ってもない美味しいものであった。
国民(くにたみ)のない神王を手に入れ、自分の州や民族の頂点と据える。
(もちろんその為にも自分達のトップと婚姻を結び、ゆるぎない関係を結ぶつもりである)
東では2番目に大きい州、荒波は昔から勢力の強い三つの豪族が支配してきた。
州の最高位である州長(州知事)には必ずこの豪族の中から選出されてきた。
普通、海軍提督ともなれば、他では州知事同様であるが、荒波では別になっている。
海軍が発展している荒波には、海軍もまた大きな権力のひとつでもあった。
昔から、州知事と海軍提督の2本の柱で州を動かしてきた、というのも過言ではない。
現州知事となっているリッサ家や、もう一つの豪族にも年頃の娘がいないため、結局、16歳の妹を持つアベルに有利となる筈だ。
もし今、宵…キイ・ルセイ=セドナダを荒波に迎い入れようとするならば、その自分の妹と結婚させるつもりだ。そうすれば、完全にジン家が荒波の実権を握る事になるだろう。
そして神王復活させ、妹を神王大妃に据え、世継ぎを生ませれば…。
東の国統一だって夢ではなくなる。
それにカァラの話が本当ならば、宵の君には神の力があるという事。
これは東のみならず、もしかして大陸を制覇する事だって夢ではないかもしれない。
そう考えると、アベルはゾクゾクしてくるのだ。
「わかった。…だが、一人は物騒だ、護衛を連れて行け。…無茶な事はするなよ?」
「うん」
カァラはにっこりと微笑むと、軽くチュッと音を立てて、アベルの唇にくちづけした。

その当のアベルは内心、複雑だった。
今の所、宵の君を手に入れる事が、自分の最優先する事だと信じ、そのためにカァラを傍に置いていたつもりだった。
彼の邪眼は自分にとって利用価値もあった。
それに男好きのする扇情的なカァラに興味もあったし、彼の噂だって知っていた。
自分は世継ぎの心配はないから、そんな噂は全く恐れるものではなかったし、自分は元々女よりも男の方が趣味だったから、何の問題もない。
東の統一にも、自分の欲情にも、カァラは都合のいい人材だっただけだ。

そう…最初は本当にそんな軽い気分でカァラを囲う事になった筈だったのが、今はどうだ?
この俺がこの細くて白いしなやかな身体に溺れ、翻弄されるとは…。

今まで何でも手に入れてきた自分なのに、この男を抱くと全て手に入らないような焦燥感がやけに募る。
もっと、もっと自分だけのものにしたい…。ある種の飢えが、アベルを占領し、満足してもすぐに飢餓感が自分を襲うのだ。
この底なし沼のような甘美な劣情…。このような事は、今まで自分にはなかった感情だった。
魔性…。確かに皆が言っていたとおり、自分は大変な相手に捕まってしまったのかもしれない…。
麻薬のような甘美な魔物。
それはカァラが元々持つ、小悪魔的な性格にも起因していると思う。
彼は本来自由な人間だ。いつも甘い声で“貴方だけ”、と囁いても、気まぐれで何を考えているのかわからないところがあった。
独占しようにも、するりと上手にかわし、事の首謀者の癖に一歩引いて傍観している。しかもそれを楽しそうに見ているのだ。
他の人間ならば苛つくのだろうが、不思議な事にカァラにはそのような感情が起きない。
とらえどころのない謎の多いところが、彼の魅力でもあるからだ。
だが今まで人に執着した事がなかったそんな彼が、宵と暁には異常な関心を持っているのだ。
アベルはそれを、彼の好奇心が今のたまたま彼らに向いているだけだと思っていた。
だが、時を長くしてわかった事だが、どうやらそれだけではないらしい。
詳しくはわからないが、カァラと彼らには因念じみたものをどうしても感じてしまうのだ。
それがどういう意味であれ、今の所、自分も宵の君を手に入れたい。その為にカァラが必要なのも承知している。
だからアベルは、この件に関してはわざと目を瞑り、カァラの自由にさせようと決心していた。
たとえ、カァラの並々ならぬ関心を寄せている憎い存在だとしても、己の嫉妬で他のチャンスも潰すわけにいかないのだ。
そういう面では、アベルはさすが海軍提督だ。そのプライドがかろうじて彼のカァラへの暴走を抑えていた。
宵の君を荒波の所有とし、東を統一するまでの辛抱だ…。
アベルはそう心に刻み込んでいた。


その数時間後、満月の下、カァラは黒いマントに身を包み、警護の者一人と共に馬を走らせていた。
この、胸騒ぎ。
ワクワクするような躍動感。
これが決してカァラにとって不吉な感覚ではないのは、時間が経つにつれ、己の魂が教えてくれていた。
「ああ、月が」
思わず彼の美しい赤い唇から、溜息のような言葉が洩れた。
きっともうすぐ、この胸のときめきの原因がわかるであろう…。多分、そう、きっと…。
それが自分の父親を腑抜けにしてしまった男との邂逅も意味しているのでは、と、カァラの胸は踊り、期待に全身が打ち震えた。
本人は意識していなかったが、それはまるで恋の予感と似ていたかもしれなかった。
その予感は、しばらくして確信へと変わる。

月の光の導きによって。


..........................................................................................................................................................................................................

「王女、やはり【姫胡蝶】がお忍びで宿を出られましたな」
モンゴネウラの落ち着いた声が、闇夜に響く。
それを聞いていた南の王女、リー・リンガはこくんと頷くと、手にしていた馬の手綱を握り返した。
「行くわよ、モンゴネウラ、ドワーニ。あの男の後をつけるわ」
緊張した声でそう言うと、リンガは馬を走らせた。
その後を黙って二頭の馬が追いかける。
(絶対…絶対あの男はアムイの元に行くに違いない…!)
そう思うとリンガは吐きそうになるほど落ち着かなくなる。
絶対にあの男にアムイを会わせてならない…。
そのような警鐘が、彼女の頭でずっと鳴り響いていた。
(アムイは私のものよ!誰にも渡さないんだから…)
リンガはそう心の中で叫ぶと、ぎらぎらと前方に眼を向けた。


その少し前、【姫胡蝶】を追うリンガ一行の様子を窺っていた一つの人影があった。
彼女らが出発したと同時に、その人影も馬に飛び乗り、彼女らに気づかれないように馬を走らせた。

煌々とした月明かりの中、様々な思惑を持った者達が、運命の糸に向かって動き始める……。


............................................................................................................................................................................................

どのくらい走っただろうか。
いつの間にか激しかった風は止み、唸り声もなくなり、豪華に彩られていた宮殿のような広間もなくなり、アムイはただ、薄明るい紺色の空間を一人歩いていた。
自分の足音だけが反響するのを、まるで人事みたいに聞いていた。
静かな、静かな空間。
この方向でいいのだろうか?
アムイは自問自答した。
気がつくと、父アマトの声もしない。
ただ呆然と前に進んでいるだけだった。
こうして歩いて行けば 、いつか元いた世界に戻れるのだろうか…。
ふと、アムイの心に不安が込み上げる。

キイが辛そうな顔でずっと自分の傍に居る姿が脳裏に浮かび、たとえようもない衝動に胸が苦しくなった。
(キイ!)
やっとアムイはここにきて、キイの事をゆっくりと考えられるようになったのだ。

どれだけ相手に苦しい想いをさせてきたんだろう。
どれほど心配かけて、どんなに辛くて悲しい気持ちをさせてしまったのか…。
それなのにあいつは、何でもないよ、という平気な顔して笑うんだ。
お前の暗い表情を、俺が知らないとでも思っているのか…!

そう思っていたのに、俺はあいつの気持ちも考えず、勝手に地獄に落ちて、勝手に終わらせようとしていたんだ…。
何て身勝手な、何て浅はかな…。

ぐるぐるぐると、自責の念が再び湧いてきた。
いけない、いけない…。
アムイは自分を責めるのを止め、なるべく客観的に自分の心の内を見ようと努めた。
ああそうか、と、突如アムイは思い当たった。
こんなに自暴自棄になったのは、キイが自分よりも寿命が短いという事実を知ってからだ。
そこまで気づいて、アムイは何処からともなく聞こえてくる声に耳を傾けた。
それは自分の心の奥底から自然と沸き起こってくる思い、のようだ。

《せっかく、やっと今生で共にいられるようになったのに…。どうして先に帰るんだよ》
《あんなに自分と死ぬまで一緒にいるって…約束したのに、どうして》
《もう離れたくない、ずっと傍にいようって、あれだけ言ったのに…》

アムイはその恨みがましい自分の心の声に、呆れたと同時に苦笑いした。
まるで、子供(ガキ)の戯言…だな…。

ただその幼い叫びの分、自分の素直な感情であるのは間違いない。
その時になって、アムイはどれだけキイと今生を共に生きたかったのか、という事を痛切に感じた。
そして少し再確認したのだ。
自分達が元々一つの魂(たま)であった事。
それがある時真っ二つに別れ、引き離された事。
そして自分達は…。

気がつくと、また両頬が生ぬるいもので濡れていた。
「ちくしょう、参ったな、本当に涙腺、緩くなり過ぎ」
今まで涙が枯れていたのだ。
その通りがよくなり、感情の解放がし易くなったのだから、仕方のない事だ。
恥ずかしいと思っても、涙腺は正直者で、どんどん今までの溜めていたものを、外に出そうとしている。

そこで、ふと、芽生えた疑問…。

俺は 無駄に人生を過ごしてきたのではないだろうか…、という…。

この18年もの間、自分は一体何をしてきたんだ?
恐怖に縮こまり、恐れのために人を遠ざけ。
自分が見境なく相手を受け入れてしまう事も、理不尽だと思っても従ってしまう事も、相手に引きずられそうになる性質も。
全て己の恐怖心が招いた事。

表面は強く鍛えられたとしても、内面はこんなにも脆くてボロボロだった。

「キイ、ご免よ…。こんなに時間がかかってしまうとは…。無駄に時間だけが過ぎて…。
大切なお前との時間も…無駄に過ごして…」
アムイの胸中に悔しさが沸き起こったその時、突然、自分の前方で父の声がした。

「アムイ、人生には無駄な事など一つもないぞ」
「と、父さん…?」
アムイは目を疑った。
生前の父と変わらぬ若い姿で、アムイを待っているかのように目の前に佇むのは父、アマト=セドナダであった。
あれほど会いたくて会いたくて仕方がなかった……もうすでにこの世の者ではない人…。
それが実体を伴うようなはっきりとした姿で、アムイの目前で微笑んでいたのだ。
「父さん!」
アムイの心は、あの幼い七歳の頃に戻っていた。
父さん…!父さんにはうんと感謝の言葉を言わなければ…!こんな自分を心配して、力を貸してくれた…。
いや、それよりもアムイは謝りたかった。
心の底から謝って、自分の言葉で謝って…!
最期の時、父を傷つけ悲しい思いをさせて死なせてしまった事を…。
そして、そして…!!

「よく、ここまで来たね、アムイ」
父は生前と変わらぬ満面の優しい笑顔で両手を広げ、アムイを待ち受けていた。
まるでアムイの気持ちは充分わかっているよ、というような風情で。
「父さん!」

アムイは父の懐かしい腕の中に飛び込んだ。


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2011年9月 4日 (日)

暁の明星 宵の流星 #157

「やだなぁ、何泣いてんの、天下の【暁の明星】がさ。
意外と泣き虫だったんだねぇ。オレ知らなかったなぁ」
目の前の男にニヤリとされながら指摘され、思わずアムイは、自分の頬を手で触って確認した。
確かにいつの間にか、知らないうちに頬が涙で濡れている。
「…っば、馬鹿言うな!これはだなっ…」
と、アムイが赤くなって反論しようとした時、

ドゴォン!!

突然大きな音がして地面が割れたかと思うと、そこから無数の手が飛び出て、アムイを襲い、地に引きずり込もうとした。
「うぁあっ!」
「兄貴っ!」
サクヤはぶんっと銀の太刀を大きく振り回すと、地面から吹き出た亡者の手を白い閃光で焼いた。
「うぎゃぁー!」
「ひいぃーっ!」
白い炎に焼かれて悶絶している亡者からアムイを引き剥がし、サクヤはそのままアムイを引きずるようにして走り出した。
「サクヤ!」
「早く逃げるよ、兄貴!いつまでも此処にいたらマズイ」
アムイは素直にサクヤに引っ張られながら、薄暗闇を懸命に走った。

うぉぉぉ…。

先ほどと同じ、風に乗って後方から唸り声が追ってくる。
「…くそっ、しつこいな」
サクヤはそう呟くと、くるりと振り向き、もう一度銀の太刀を地面に奮った。

バリバリバリーッ!!

太刀から放たれた閃光が後方を走り、追ってきたと思われる多勢の亡者を攻撃した。
遠くからその亡者達の阿鼻叫喚の悲鳴が地を響かせる。
「す、凄いな…それ…」
思わずアムイはサクヤの握る太刀を見て呟いた。
「ああ、これ?」
サクヤはにっと笑うと、少し自慢そうにこう言った。
「必要ならば使え、と」
「へ?」
「冥府をうろうろしていたら、玉葱みたいな頭をした小鬼がくれた」
「玉葱みたいな…頭の小鬼?」
アムイの脳裏に、獄界の見張り役である、ずんぐりとして愛嬌のある餓鬼の姿が浮かんだ。
(まさか…な…)
「彷徨う悪しき念をなぎ払う、“白銀の太刀”だって。これ持ってると悪霊とか抑えられるんだって。
小鬼が言っていた」
「何でそのような太刀をお前に…」
思わず呟いたアムイに、サクヤはちょっと思わせぶりに笑って答えた。
「ある人がね、オレなら使いこなせるからって…」
「え…?」
再び問い質そうと口を開いたアムイを遮って、サクヤはざっと辺りを見回した。
「あれか」
突然一ヶ所に視線を定めると、サクヤは急いでアムイに言った。
「兄貴、ゆっくり話をしたいけど、とにかく時間が迫ってる。
いい?あそこで光っている切れ目に向かって走るよ。こうなったら強行突破だ」
意味もわからずアムイはサクヤに引っ張られると、とにかく前方で縦に亀裂の入った空間を目指して走り出した。
「サ、サクヤ…!!」
その途端、空間がぐにゃり、と歪んだ。
「早く!あの亀裂に突っ込むよ!」
歪み始めた空間全体が、悪しき亡者の数多の姿と化して、逃げ切ろうとする二人を襲って追いかけてくる。
悪霊に引きずられそうになるアムイを、サクヤはしっかりと支え、力強く誘導する。
まるで生前と立場が逆転してしまったようだ。
霊体でのサクヤの力は、アムイよりも数段も上だった。
「へへっ、気分いいねぇ。一度はこうして兄貴をオレ自身の力で護りたかったんだ。
いっつも、護られてれてばかりいたからね。
兄貴の役に立つ事、それがオレの望みでもあったからさ」
あの世に来て叶った…というようなニュアンスの言葉に、アムイの胸は切なさで痛んだ。
「サクヤ…、俺はっ…」
「ほら、飛び込むよ、兄貴。歯を食いしばって!!」
アムイはそのサクヤのパワーに護られて、目指す裂け目に飛び込んだ。

パリーン!!!

突如、視界が眩しくなって、気が付くと、ただ広い空間にアムイは転がっていた。
「サクヤ…?」
アムイはのろのろとその場に手を付いて身体を起こし、辺りを見回した。
「ここは…?」
目が慣れてくると、その周辺がはっきりと目の前に姿を現した。
まるで何処かの宮殿の大広間のように、凝った装飾をされた壁や天井がきらきらと静かな光を放っていて、床はつるりとした大理石のようで、それが延々と足元に広がっている。
呆然としていると、自分の後方で、ごうごうとした唸り声と様々な罵声がくぐもって聞こえているのに気が付いた。
「サクヤ!?」
アムイは反射的にその声がする方向に振り向いて驚いた。

その方向には、巨大な円形の扉が存在し、その扉を必死に閉じようと奮闘するサクヤの姿があったからだ。
重厚で見事な装飾が施された銀色の扉。サクヤの身の丈よりも3倍は大きく、その奮闘振りからかなりの重さと推察できる。
アムイの聞いた声は、閉めようとする扉とあいた空間から洩れ、しかも多数の亡者と思われる無数の手が、そこから出ようと隙間から飛び出そうとうごめいていたのだ。

彼はかなりの数であろう亡者…ここまでくると悪霊といっても過言でもない…に、かなり苦戦を強いられているようだった。
懸命に閉めようとするが、途中50センチくらいの所から頑として扉は動かないでいる。
そこから飛び出そうとうごめく悪霊達を押さえ込みながら、サクヤは小さく毒付いた。
「くそ、シツコイな!これじゃ埒が明かないじゃん。
しょーがない、結界でも張るかなぁ…」
「サ、サクヤ…」
呆然として近づくアムイに気が付いたサクヤは、一瞬手を止めて振り返った。
「やぁ、兄貴」
サクヤはアムイに身体を向けると、後ろ手に扉を必死で押さえながら思いっきり苦笑した。
「これは…」
「ああ、ちょっと待ってて、兄貴。今簡単に結界張るんで…」
いつもと変わらぬサクヤの当たり前のような態度に、アムイは彼が、もうこの世の者ではない事実をうっかり忘れてしまいそうになった。
サクヤは銀の太刀を左の手に出現させると、口の中で何やら呪文を唱えながらその太刀を扉の前で振り回した。
それが見えない結界となって、扉は中途半端に開いたまま、この場から遮断された。
出るに出られなくなった悪霊達の怒りの呻きが、扉の向こうから聞こえてくる。
「さぁ、行って」
「え?」
「ここに誘導してくれたのは、兄貴のお父さんだ。
ここは地獄界、冥界、そして人界の三界が同時に存在する結び目だ。
時間がない事を危惧して、無理に3つの世界の空間を結び、中間の空間に穴を開けて道を作った。
こうした事で三界の距離は互いに近接し、近距離で行き来できるようになるんだ。
凄いね、兄貴のお父さんって、この世界ではこういう事ができる立場の人だったんだね」
「父さんが…」
「だからここからなら、冥界を通らなくても、直接人界…元の世界に戻れる筈だ」
そうサクヤが説明した途端、バリン!とガラスの砕けたような音が響き、ドゴォ、ドン!と扉が前後に揺さぶられた。
「あちゃー、やっぱ駄目、か」
どうやら張った結界が取れかかっているらしい。
「ね?だから早く行って。ここはオレに任せて」
「でも…、そうしたらお前は…」
無理に作った空間の結び目。そのひとつである獄界の境目を完全に封じないと、そこから悪霊が抜け出して人界にでも出てこられたら大変な事になる。
この状況を見て、そんな事くらいアムイにだってわかる。
それをサクヤは一人で必死に食い止めようとしているのだ。
「お前一人置いて、俺がそんな事できるわけないじゃないか。
……ずっと…ずっと…俺はお前を護れなかった事を…どんなにか悔やんで…」
泣くまい、と思っていたが、そんなアムイの意に反して目から大きな涙の粒が零れた。
「兄貴…、お願いだからそうやって自分を責めないでくれよ。
オレがこうしてここにいる意味が無になっちまうじゃないか。
…オレが勝手にそうなったんだ。兄貴のせいじゃない」
「だけど、お前はオレを助けようとして…」
「あのね、兄貴。これはオレの運命で、使命だったんだよ。
…いや、そういう言い方が嫌だったら言い直す。
あれはオレの寿命だった。…天に定められた寿命。
だからオレは後悔していない。その寿命の最後の時を、兄貴のために使えたんだから」
「サクヤ…」
「でも本音を言うと、もうちょっとまだ生きて兄貴と一緒にいたかったなぁ。
約束…守れなくてゴメンね?それだけは謝りたかった…」
心なしか、サクヤの瞳も潤んでいた。

ガン!ゴゥン!

悪霊達の暴れ具合も増して、結界が弱まり、扉は今にでも開きそうだ。
サクヤは涙を振り払うかのように、思いっきり口元を引き締めると、突然アムイの頬を両手で挟んだ。
「サクヤ?」
サクヤはじっとアムイの目を見ると、にっこりしながらこう言った。
「兄貴、いいこと伝授してやるよ」
アムイは何事かと思って、サクヤの顔を凝視した。
「辛い時、苦しい時。特にそれが敵前であればあるほど。
それが人であれ、目に見えぬものであれ。
……笑え。どんな酷い状況でも笑顔となれ。
笑って対象を油断させる…。それが自分を守る武器となる」
「…!」
「“お前の笑顔はそれだけの破壊力がある。ここぞという時に使ってみろ”
…なんてね。これはある人の受け売りだけど」
と、ちょっとバツが悪そうにサクヤはぺろっと舌を出すと、恥ずかしそうに笑った。
「でも、本当だよ?兄貴の笑顔は厄害や不浄のもの、究極に悪しきものでさえ、吹き飛ばすほどの威力があるよ。
もっと自分を信じて。もっと自分の本当の力を認識して」
「…サクヤ、俺は…」
俯こうと目を伏せるアムイに、サクヤは彼の頬を軽くパチン、と叩いた。
「あーにきっ!もう時間がないからね?しっかりしてくれよ。
兄貴はもう気が付いているはずだ。
オレも兄貴も、いつだって一人じゃないことを。
兄貴が信じ求めれば、いつだってオレは兄貴の傍にいるからね。
…誰も兄貴を脅かす事はない。それが例え兄貴自身でさえも…。
宿命的に兄貴を孤独に置く事があっても、兄貴が望めば無数の想いと繋がる事ができる」
アムイの頬に光る涙を指で拭ってやりながら、サクヤは優しく断言した。
「だから失う事を恐れる必要は何もないんだ、兄貴の場合。
生死を越えて、兄貴は自分が望めばいつだって、こうして繋がる事ができる人なんだよ。
それを信じれば、【暁の明星】に恐れるものは何もない」
サクヤの自信溢れるその言葉に、アムイは全身に熱いものが駆け巡るのを感じていた。

嬉しい…。
アムイは素直に嬉しかった。心から感謝した。
失っていた自信が、サクヤの言葉によって呼び起こされていくのを。
「それにねぇ、兄貴みたいに中途半端な霊体じゃない分、ここじゃオレの方が強いから!心配ご無用ってんだ」
へへーんっ、と得意げに鼻を鳴らすサクヤに、アムイの気持ちも浮上した。
「言うじゃないか。生前で俺の要求も応えられなかったくせにさ」
「へ?」
気を取り直したアムイの相変わらずの軽口に、サクヤはきょとん、と目を丸くした。
「えっと…オレ、何か兄貴に要求されてたっ…け?」
その顔にアムイはぷっと吹き出すと、いつものごとく尊大に言い放った。
「俺の事を“兄貴”って呼ぶな!」
「ありゃ」
「何度言ったらお前はわかるんだよ。一回も俺を名前で呼ばないでさっさと死んじまって、どれだけ俺は…」
アムイの剣幕に、サクヤはまぁまぁと両手で制すると、ちょっと照れ臭そうにこう言った。
「……それはごめん…。まぁ、さ、それはオレにも心の準備っつーもんがあってね…」

ガダダン!!

物凄い音に二人はハッと我に返り、今の自分達の状況を思い出して顔を強張らせた。
「とにかく、ここはオレが守る。
そのために境の見張り番の証、白銀の太刀を貰い受けたんだ。
心配しないで。オレを信じて元の世界に戻ってくれ」
「サクヤ、お前はまさか…」
まさかサクヤは最初から、自分がこういう立場になると知っていたのではないか…?
ふと、アムイはそんな気がしてならなかった。
最初から、この世界の結び目を作り、それを見張る門番が必要で、その役目を…。
「兄貴!よく聞いて!このまま反対方向に走って。
絶対後ろを…オレの方を見ちゃいけないよ。わかったね」
「でも、そうしたらお前はこの結び目で一人に…」
まだ心が揺れ動いているアムイに、サクヤはきっぱりと嗜めた。
「兄貴には、貴方を待っている大事な人がいるでしょう!
オレの事なら大丈夫。…ここにいれば、いつだってオレは兄貴の近くにいられるから」
「サクヤ、お前…」
サクヤは再び白銀の太刀を手に握ると、今にでも壊されそうな勢いの扉に立ちはだかった。
「サクヤ!」
「早く!もう時間がないよ、兄貴。もたもたしていたら魂が肉体に戻れなくなる!」
扉を太刀の光で押さえ込みながら、サクヤは顔だけアムイに向け、切なそうに笑った。
「兄貴が……人界での務めを果たして天に帰る時になったら、その時ついでにオレを迎えに来てくれればいい。
……そしたら一緒に…天に帰ろう、兄貴。それまで、オレはここで待っているから」
アムイは無言で頷いた。もちろん、必ず迎えに来るとも…。
そう言ってやりたかったのに、どうも上手く言葉が出ない。
だが、サクヤにはアムイの気持ちがよく伝わっていた。
彼はふっと安心したように笑うと、小さく呟いた。
「…兄貴が…本来の場所に戻り、本来の自分を取り戻したら…」
「サクヤ…」
「……名前で呼ぶよ」

最後は本当に消え入るような小さな声だった。
だけど、アムイにはしっかりとサクヤの気持ちが届いていた。

ガガガーン!!
「お前らの好きにさせねぇ!覚悟しろ!!」
サクヤはそう叫ぶと、果敢に扉に向かって行った。
「サクヤ!」
するとアムイの邪魔をするかのように、ごぉぉ、と唸るような風が起こり、彼の視界を遮った。
『走れ』
目を開けようとするアムイの頭上で言葉が響いた。
『こっちに走れ、アムイ』
それはもちろん、父アマトの声だ。
アムイは半分視界を遮られながらも、声のする方に走り出した。
『急げ、こっちだ』

アムイは父の声に誘導されながら、吹きすさぶ嵐のような風を潜り抜け、静かで穏やかな場所に出るまで走り続けた。


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「やっぱり綺麗な満月だ」
皆が寝静まった後、キイは眠れなくてふらりと森を散策していた。
こんな所を他の人間に見られたら、大目玉を食らいそうであったが、“気”も封印されているし、ほんの少しだけだから、と、皆が野宿している場所から、ちょっと離れた場所で月を見ていた。
煌々と明るい月。
この山林にひっそりと存在した数ヶ所の小さな洞穴。人が一人か二人しか入れないその場所で、それぞれ皆は別れて野宿していた。
今、アムイの身体は交代でイェンランが見ていてくれている。
もう少ししたら代わってやらないと、とキイはぼんやりと思っていた。
あまり彼女に負担をかけても申し訳ない。

あれ以来、イェンランとは話す機会がないまま、ここまで来てしまった。
キイとて、あんな怖い思いまでさせたことを、酷く後悔していた。
だったらそんな事するな、という話だが、どうも彼女だといつものポーカーフェイスな調子が出てこない。
いや、彼女にああいう事を言われるまでは、まだ自制心は働いていたのだ。
いくらこの少女が、アムイと共通点があろうとも…いや、アムイとの共通項をいくつか見つけようが、彼女はまだ小さな女の子、と懸命に言い聞かせていたからだ。

「この俺様がなぁ…。女の子に心を乱されるとはね…」
自虐的に呟いて、キイは力なくははっと笑った。
黒い髪で黒い瞳。怯えた大きな目が、アムイの幼少の頃に重なった。
多分あの時から、イェンランの事は気になっていたのだと思う。
あの時自分が自由な身だったら…。
キイは今でもそう悔やんでいる。
そうしたら、彼女を自由にさせてやれたかもしれない。あのような生きた地獄に戻さなくて済んだかもしれない…。

《問題はこれから。お嬢だってアンタと出会わなければ、今がなかったわけでしょう?
あの子はアンタと違って後悔なんかしていないわよ。……強い子よ…》

シータの言葉が身に染みる。
そうなのだ。もう済んでしまった事なのだ。
自分よりも彼女の方が、前を向いている分強い。
キイは彼女ともう一度話をした方がいいだろう、と思った。
やはりこうして気まずいままではいたくない。

キイはう~ん、と背伸びをした。
まだもう少し。
こうして月の光を存分に浴びてから、彼女に会いに行こう…。
キイはそう思ってその場に座って目を閉じた。

しばしの安息…。

だがそれが嵐の前の静けさである事を、今のキイはまだ気が付いていなかった。


 

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