暁の明星 宵の流星 #161 その①
自分で自分を受け入れていないからこそ、
苦しくなる。
涙を止めていたのは自分。
涙を許さなかったのも自分。
それに気付いたお前は、
もう全てから閉じなくていいのだよ。
今ある神聖なる自分こそ
受け止め、許し、慈しんであげるのだ。
怒りも恐れも、悲しみも恨みも、
全て受け入れ、受け止めてあげよう。
そして手放す、解放する。
自然に返してあげるのだ。
……ほら。
今軸が立った。
自分の心に芯が通った。
お帰り、アムイ。
この時を、俺はどれだけ待った事か。
大地のように安定し、不動なものであればあるほど
大海のように深く、静寂であればあるほど
あの暁に映える明星のごとき輝きであればこそ
俺は安心してお前に全てを委ねられる。
キイの艶やかな低音の声が月夜に響き、まるで音楽を奏でるように周辺を魅了する。
月の光が二人を優しく包み、本来の対の魂(たま)を歓迎しているようであった。
「同じ目線に立ってこそ、双璧となる…か」
アムイが照れたように俯きながらそう呟いた。
「ん?」
キイが片眉を上げて不思議そうな顔をする。
「……キイ。俺、向こうの世界で、いろんな事があった。
いろんな収穫があった。……多分、お前にはもうわかっているかもしれないけど…。
大地の鍵を持つ俺には…“金環”を持つ俺には、冥界は避けて通れない事だと。
それは地の奥深く、地の管轄でもあるからだ。
俺はその世界を避ける事はできない…。それは生死関わらず、数多の魂と関わりあう宿命を持っているからだ。
…そうだろう?」
「…ああ、そうだ」
「恐れという枷が俺を檻に閉じ込めていた。
……愛する者を失う恐怖に、自分が耐えられなかったからだ。
でも、これは俺の…今まで培われてきた…業、でもあるわけだな」
アムイはふっと笑うと、再び顔を挙げ、しっかりとキイの目を見た。
「お前と同じ目線となってこそ、真の双璧となる、と言ってくれたのは…父さんだ。
俺は向こうで、色んな再会を果たしてきたぞ」
ニヤッと笑うアムイの目に、うっすらと光るものがあった。
「…そうか…!…そうだろうな…、お前、すっきりとしたいい顔になってる」
キイの声は震え、見詰める瞳が賞賛の色に輝く。
「……本当は俺、怒っていたんだぞ。お前が余りにも秘密主義だからさ」
少しだけ、アムイは口を尖らした。
「…ああ…ごめん。それは…」
口ごもるキイに、アムイはポンポンと肩を叩くと、軽く頷いてこう言った。
「……お前の事だ。それって全て俺を思っての事なんだろう?
例えばお前の寿命。あの頃の俺は異常に失う事を恐れていたものな…。
お前がそう言わざるを得ない状況だった、というのは…今ならよくわかる。
ああやって、暗示をかけるように言ってくれていたお陰で、俺は安心する事ができた。
本当に…俺こそごめん、だ。
俺こそお前を守らなくてはならないのに、結局ずっと反対に守られて来たんだよなぁ。
待たせて…本当に悪かった…」
「アムイ…!」
感極まったキイは、形振り構わず、いきなりアムイにがばっと抱きついた。
「ちょっ、く、苦しいったら、キイ!…と、え?あれ?
……おま…、泣いてるの!?」
「悪いかよっ!」
「キイ…」
自分の肩に顔を埋め、全身を震わすキイを、アムイはぐっと抱き寄せた。
その相方からは、懐かしい花の香りが漂ってくる。
(ああ…俺、本当に帰ってきたんだなぁ…)
アムイはやっと、自分の居るべき場所に戻ってきたと実感した。
ふわふわした感覚から、そして夢見るような感じから、今はどっしりと実感を伴って足が地についている。
「やっと、ね。今度こそ俺はお前を守れる。
お前が今まで俺を守ってきてくれたように、今度は俺がお前を命懸けて守護するんだ。
……心の底から、今、こうしてお前に宣言できる事が嬉しい …」
「……」
「今まで、辛い思いさせてごめん。…これからは、お前を支える礎(いしずえ)となる。
だから、お前がやろうとしている事を貫いてくれ。
俺は黙ってお前についていく。
お前が何を企てていようが、世の中に一石を投じようが、はたまた天下を取るつもりだろうとも、俺ができる事は、何でもやる。俺もお前も、今生悔いのないように…。折角、こうして同じ世界、同じ時代に共に生きることを許されたんだ」
アムイは、肩を揺らして涙をすすっているキイを抱く手に力を込めた。
「以前お前は俺に、“この俺を使え”と。
“自分だけでなく、人の為にと願うのなら、この俺を使い倒してくれれば本望”だと、そう言ってくれたよな?
その言葉、全てお前に返すぞ!」
力強く言い切るアムイに、とうとうキイが決壊した。
「うぁわん!アムイぃ~~!!」
突然顔を上げて大声で号泣するキイに、アムイはぎょっとした。
「おいっ、キイ」
「だってぇ~!俺のアムイがぁ~!ずびっ、泣かせる事をぉぉ」
「わかったっ!わかったから、頼む!泣き止んでくれ…」
半ば呆れながらも、でも内心嬉しくて、アムイはキイの背中をポンポンと叩いて宥める。
天下の【宵の流星】の有様にぎょっとしたのはアムイだけでなく、特に初めて遭遇した南の国の武将は面食らっていた。
先ほどとは打って変わったような、無邪気な子供のような振る舞い…。
どれが本当の彼だろうか、南の二人の武将は混乱した。
相変わらず己の感情に正直な奴…。
アムイはそういうキイを愛しく思った。
大の男が、周囲を気にせず声を出して泣くなんて、これっぽちも恥ずかしい事だなんて思っていない。
感極まって泣く、その正直で素直な感情の吐露こそ、キイの魅力でもあるのだ。
かといって全てが明け透けではなく、真に知られたくない内情や思考は、決して表に出さず、相手に読まれる事はない。
喜怒哀楽に素直なくせに、何を考えているのかわからない、と思わせる相反したところが、キイを神秘的に見せ、益々周囲を魅了する。
誰もが焦がれ、己のものにしたいと願う…俺のキイ。
もう二度と、誰にもお前を渡すものか。特にお前を狙い、利用しようとする奴らには。
そのような不埒な奴らから、俺は絶対にお前を守ってみせる…。
「ホラホラ、いい大人が声出して泣いてるんじゃないわよ」
思わずアムイもキイにつられて泣きそうになったその時、いつの間にやって来ていたのか、シータがイェンランを伴って二人の前に現れた。
「だってさぁぁ」
「とにかくここを移動しましょ。アムイが復活してくれて嬉しいんだけど、派手に“気”を空間に洩れさせちゃって、目立って仕方ないわよ。…アタシでさえ目が覚めちゃったくらいなんですからね」
その言葉にアムイが真顔になった。
「…そうだな、確かに。…おい、キイ、早くここから移動しよう」
アムイの硬い声に促され、キイは引きずられる様にしてその場を後にし、四人は洞窟の方とは反対方向に早足で歩き出した。わけのわからないという表情のイェンランの背を押しながら、シータは皆に言った。
「気がついていたでしょ?」
「ああ」
ちらっと後ろを目で確認しながら、アムイは言った。
「誰かが他にもいたな」
「えっ!そうなの?」
イェンランがびっくりして目を大きく見開いた。
「確かに、ここまで無防備に気配を晒せば、その場にいたどこかの誰かさん以外にも、気付く輩はいるだろうな」
キイもさらっとそう答えると、額にかかる髪を書き上げ、益々歩を速めた。
「今、老師(昂老人)が皆を起こして北東の方に連れ出してくれてる。アタシ達はちょと回り道して合流しましょう。
…確実に、居場所を知らせてしまったようなものだからね」
「すまない」
アムイの謝罪に、シータはにこっと微笑んだ。
「謝らなくてもいいわよ。だって、獄界から戻ってきたばかりなんでしょ?
そりゃまだ無防備に意識が曖昧でも仕方ないものね。
……それより、アンタ凄いじゃない。あの妖艶な姫胡蝶(ひめこちょう)の誘惑に動じないなんて!」
はたしてシータはどこから見ていたのだろうか。
「誘惑…?ああ、あれか」
「俺も驚いた。よく我慢したよな」
そう言うキイも全く動じなかったくせに、と、イェンランは心の中で呟いた。
ま、キイの場合、男と見抜いた時点で、範疇になかったのだろうが。
そうだとしても、傍から見て男だろうがあのカァラの色気は半端ではなかった。
女であるイェンランでさえも、ゾクゾクっとするほどだった。
それに全く反応しないで彼と対峙したアムイは……凄い、というのだろうか?
「ははっ!不能とかまで言われちゃってたなぁ」
面白がってキイはからかったが、当のアムイはきょとんとしてこう答えた。
「だって普通、子供に欲情はしないだろう」
当たり前だ、というようにきっぱりと言い放ったアムイに、皆一瞬黙った。
…子供?…あの見るからにフェロモン丸出しの…姫胡蝶が?
何かの冗談…と皆はアムイを盗み見たが、本人はいたって真面目だった。
「あれは傷ついた子供だ」
真顔で呟いたアムイに、キイとシータは合点がいった。
「そう、アムイにはそう見えるのね」
「……心眼開き、か。正体を見破られちゃ、あの姫胡蝶とて動揺して逃げ出すわな」
イェンランには何故二人が納得しているのか、よくわからなかったが、話の内容でアムイにはカァラの別の姿を見ていた、というのは何となく理解した。
アムイの心の目には、どんなにカァラの表面が色気振り撒く大人の姿であろうが、きっと小さな子供に映っていたに違いない。だからこそ、彼の振る舞いにも動ぜず、まるで親が子を慈しむような態度で、彼を翻弄したのであろう。
昔からアムイは人と同調しやすい部分を持っていた。なまじ相手の気持ちがわかってしまうために引きずられ、取り込まれてしまうのも少なくなかった。わかってしまうからこそ、自分がどう対処したらいいかわからなくなって混乱し、本来の心根の優しさも相俟って、そのまま相手の意のままになってしまうのだ。
だが、どうよ?今のアムイは。
どっしりと自分の中央に芯が通って、真実を見極める眼が前よりも鋭く、相手に翻弄されず、かえって相手に多大な影響を与える存在になっている。
キイは今まで自分が耐えてきた事が、報われた気持ちで一杯だった。
だが、荒療治とはいえ、大きい犠牲を払って手に入れたのだという事は、キイも重々わかっている。
何かを得る為には、何かを失う、とはよく聞く話だが、失ったものの大きさには、誰も何も代わりなどない。
そうだとしても、今生きている者は、これからもまだ前を見て、進んでいかなくてはならないのだ。
今生を生ききる為に。
キイは黄泉の国にいるサクヤに、そっと感謝を捧げた。
まだこの時には、アムイがサクヤと生と死の境目で契りを交わしていたとは知らなかったが、サクヤの存在がアムイに影響し、甦らせたのは明白で、その彼を今生失った事が、アムイに悪影響を及ぼさないかと不安になった。
(……このような運命であったとしても、彼には生きていて欲しかったなぁ…)
生きて、共に天の計画を遂行したかった。
キイは歩きながら、じっとサクヤを思って黙祷した。
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一方、木陰に隠れていた南のリンガ王女一行であったが、アムイ達がこの場を去ろうとしたのに慌てて、自分達も追いかけようとしていた。
だが、それも一人の隠密の出現によって中断された。
「お待ち下さい、リンガ王女」
小柄な若い隠密は、厳かに、だが切羽詰った様子で行こうとしていた三人の後方から声をかけた。
「お前…?」
いぶかしむリンガに、すぐに察したモンゴネウラが隠密に答えた。
「大帝の隠密だな?どうかしたのか。何かあったのか?」
「すぐさま北の中央都市にお越し下さい」
「どういうことだ?」
隣のドワーニも、その隠密の様子に不穏なものを感じ取っていた。
「……大帝がお怪我をされて…」
「兄君が!?」
リンガは青ざめた。
「それはどういう事だ、詳しく話せ」
モンゴネウラの厳しい声が森の静寂を破った。
「はい。実はティアンが大帝に怪我を負わせて逃亡しました」
その言葉に三人は固まった。
「どういうことなの!ティアンは兄君の軍隊に捕らえられて…もう国に戻ったかと思ってたわ」
「そうだ。大帝を守護する屈強な精鋭達が集う部隊だぞ!?
あんな男に簡単にやられるわけが…」
ドワーニが信じられない、といった様子で言葉を続ける。
「しかも我が大帝に傷をつけるなどと…!」
「…あの男には他に仲間がいたのでございます」
隠密の言葉に、二人の武将は青ざめた。
「仲間だと?」
「はい。ティアンの闇組織の者らしいです。
南の宰相として我が国に来る前から密かに結成していた組織だったらしく…。
私が調べた所、本拠は中央国ゲウラに潜伏していたようです」
「何てことだ!」
ドワーニは怒りで全身を震わせた。
「あの男、我が大帝の恩も無にして…」
ギリギリと歯軋りするドワーニを押しのけ、リンガは隠密に詰め寄った。
「それで!?兄君様の怪我は!?」
「はい、幸い命には別状ございませんでしたが…。かなり争われ、深く右肩を斬りつけられました」
「重傷なの?」
「……今だお熱が下がりませんので…」
リンガはくらっと眩暈を起こしそうになった。
それを力強くモンゴネウラが彼女を支える。
「意識ははっきりしているから、大帝様はこのような事で王女を煩わすな、と…。ですが」
「わかった。すぐに大帝の元に伺おう。
お前達隠密は、悪いがこのまま暁達を見失わないでくれ。頼む」
「承知しました」
力の抜けたリンガを抱えると、モンゴネウラは優しくこう言った。
「大丈夫ですよ、王女。我が君がこのような事で潰れるわけがない。
大帝も貴女のお顔を見れば、回復なさります」
「…そう…、そうよね、モンゴネウラ…。
わたくしがしっかりしないと…」
「そうですとも」
こうしてリンガ王女達は、アムイの行方を気にしつつも、北の首都でもある中央都市へと向かったのである。
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