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2011年10月10日 (月)

暁の明星 宵の流星 #162 その①


14.混沌


  おぼえているか?
  すべてはひとつだった。

  あらゆるものが混ざり合い
  入り込んで溶け合っている。

  形を成す前のこの状態は
  天地が開ける前の
  不分明であったこの世界と同じ。

  その果てで

  ……一体それは何になるのだろう…。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

ティアン元宰相が、南のガーフィン大帝を傷つけて逃走した話を聞いてから二日。

リンガ王女一行は、北の中央都市王都(ここは北の王宮がある首都である)にある、王宮ご用達の一番大きな宿に、その負傷している兄帝を見舞いに豪華な寝室の中にいた。
「よかった。兄君が思いの他、お元気そうで」
心底ほっとしたようにリンガは胸を撫で下ろした。
「まったく。大丈夫だからあれほど知らせぬようにと言ったのに」
と、機嫌悪そうに答えるガーフィンだが、内心嬉しそうだ。
「何を言っているの、兄君。知らせてくれなかったらわたくし恨んでいたところよ」
この目で確かめないうちは、気が動転して何も手につかなかいから、とリンガがそう言うと彼は珍しく笑った。
「ま、お前の顔を見たからか、熱は下がったし、あとしばらくしたら国にも帰れそうだ。
あまり主(あるじ)が留守になるのもよくないからな。
─ところで暁の件はどうだ?」
そこでリンガの代わりにモンゴネウラが、逐一大帝に今までの事を説明した。
もちろん、暁の明星─アムイの出生についても。
その話を聞くや、リンガが思っていたようにガーフィンは顔をしかめた。
「そうか。これは厄介な」
ガーフィンはそう呟くと、深く溜息をついた。
「我が国では宮司などが子を生(な)す事は認められてはいるが、それでも跡継ぎが必要な高位の者だけだ。
神職を営む者の子供は大陸では珍しくもないが、それが聖職者の子、となると随分…いや、かなり印象が違う。
子を生(な)すこと事態、大聖堂(オーン神教)では禁忌だからな。というか、神に操を捧げるという教義があるからには、男女、同性関わらず性の営み全てが聖職者にとって罪悪、だ。
修行に妨げになるから性交渉を自ら戒める、という大らかな他の大陸宗教、宗派とは根本的に意味が違う。……そのため聖職者というものは清廉高潔な存在という印象が大陸にある。
僧侶や神宮司には感じないが、一般に聖職者が人と通じること事態に背徳や嫌悪を持つ風潮すらある。
その子供となると…。贖罪を背負って生まれたという印象は拭えぬだろうな」
ガーフィンの話に一同声もなく頷いたが、しばらくしてドワーニが恐る恐る口を開いた。
「…という事は大帝、暁が贖罪の子として疎まれる存在とすれば、巫女の子と思われる宵の君はいかがなものでしょうか。
姫巫女、といったらオーン神教にとって、大げさに言えば神と等しい。
その巫女が人と通じ、その結果生まれた子というのは…」
ドワーニの問いにガーフィンはしばらく何かを考えていたが、モンゴネウラと目を合わせて微かに頷くと、ドワーニに顔を向けた。
「とにかく今までそんな前例はないし、他宗教の話だ。私とて判断に苦しむ所だが…。
ただ、言える事は、同じく背徳をもって生まれたとしても、巫女…しかも最高位姫巫女の子、となると存在は微妙なものだな」
「微妙」
「そうだ。確かに聖職者の子である暁も微妙といえばそうだが、それも大聖堂側がどう判断するかにも大きく関わる。が、最高位姫巫女の腹から生まれた子とは、かなり差があると思っていい。姫巫女の子は必然的に神の子である、と教義付けられる可能性があるからだ。
つまり、それだけ姫巫女という存在は大きい。彼女の言葉は神の言葉であり、紡がれ出づる言の葉は、神の子供同様であるとされる。彼女が生み出すものは全てが神の存在である…」
「だからその姫巫女から生まれたという事は…教義からすれば神に等しい存在と考えられても不思議じゃない」
大帝の言葉を受けて、モンゴネウラがそう説明した。
「神の子…」
呆然と呟くドワーニに、ガーフィン大帝はさらに付け加えた。
「しかも恐ろしい事に、種がただの人間ではないのがミソだ。神の子孫とされる神王の直系筋とはな。
それが世間にどう受け入れられるか。
大聖堂とて無下にできぬだろうし、単純に贖罪の子とできるわけもない。
天から使わされた神の化身、と思われたって仕方ない。その過程が神を裏切り、侮る行為の末に出来た結果だとしても、だ」
そこでガーフィンはひとつ溜息を付くと、感慨深げに呟いた。

「【宵の流星】…セド王国最後の秘宝の鍵を握るに相応しいほどの驚愕な生まれとはな。
あのティアンが何十年も執拗に追いかけている理由の一つがわかったような気がする」


結局リンガ達はその足で再びアムイ達の行方を追う事にした。
リンガも、供として付いてきているモンゴネウラとドワーニの二人も、当初より少しずつ気持ちが変化していた。
初めはリンガの私情で、アムイを手にするだけの気持ちでここまで来ていた。
が、今はそれだけでない。
段々と明らかになる暁と宵の二人の真実に、リンガも今までのように単純な気持ちだけでいられなくなっていた。
……これは、自分の身だけでなく、大陸全土も揺るがす事実。
神にも等しい存在であるという事は、宵が天下を取る可能性が高い事を意味する。
兄大帝やモンゴネウラの見解通り、宵が力を蓄える前に、早くから己のものにしたがるティアンの思惑同様、こぞって彼を今のうちに手に入れようとする輩が数多出てくるであろう。…多分、暁はその宵を守るためにずっと幼い頃から寄り添っていたのだと考えられる。ならば、リンガはどうしたらよいだろうか?
もうこれは個人の恋慕の話だけでなくなってきている。
自分が南の王女だという立場が、これからの二人の動向によって大きく揺るがされる可能性も出てきたのだ。
薄々は感じていたけれど…。
馬を走らせながらリンガは暗澹たる気持ちで唇を噛んだ。
初めて出会ったときに彼女を魅了した、惹き込まれそうなアムイの黒い瞳が脳裏に甦り、リンガの胸を締め付けた。
心に傷を負って、懸命にそれを隠して生きているように見えた、一人の若い男。
威嚇して人を寄せ付けない様(さま)に、リンガの何かが呼び起こされた。
自分の思い通りにならない苛立ち?それとも母性本能からくる構いたい気持ち?
最初はそうだったかもしれない。ソデにされたという意地もあったと思う。
でも久しぶりに会ったアムイは、自分が思った以上に大人の男に成長していて、その寡黙で人を寄せ付けない様が、かえって彼を官能的に見せているのに衝撃を受けた。しかも自分以外の女と通じていたという事実に、リンガははっきりと自分の気持ちが今までと違うものであると気が付いた。
今は形振り構わずアムイが欲しい。この激情が何処から来るのか、リンガには計り知れない。
何故なら、こんな気持ちになる事は初めての事だったからだ。
翻弄される自分にも苦笑するが、いわく的な因縁のある相手だったという事にも、彼の生まれも、リンガにとって初めての衝撃だった。ここは気を引き締めて取り組まないと、本当に身を滅ぼしかねない。
その上、もうすでに引く事ができないところまできていた。
自分の気持ちに折り合いをつけるまでは、リンガはアムイを追い続けるだろう。


後方で彼女を見守る二人の護衛は、彼女を守る使命と別に、大帝から宵と暁の動向で気になった事を逐一報告するようにと命じられていた。できれば宵の君への接触も含め、ティアンの手に渡る前に、南と何かしらの繋がりを持てれば、という思惑だ。ティアンのように無理にでも【宵の流星】を強奪しようとすればできなくないが、このような出生の秘密を聞いた後では、慎重に事を運ばざるを得なくなったのである。
特に南の国は東の南端にあるオーンの島と近しい。オーンの天空飛来大聖堂とできれば不味い関係にはできればなりたくなかった。
モンゴネウラは王女と南の国の行く末を懸念し、ドワーニは今は無き東のセド王国…特にその時の王子と彼を命掛けで守護していた東の将軍に思いを馳せていた。
気が付くと、あれから20年以上の時が経っていた。ドワーニは今更ながら、時の流れの早さに胸を詰まらせる。

それぞれの思いが交差しつつ、三人は隠密と示し合わせた村の宿まで、一心不乱に馬を走らせていた。

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一方、アムイとのやり取りで不本意に逃げ帰ってきたカァラは、ずっと苛立ったまま、普段の彼とは全く違う振る舞いで周りを驚かせていた。
いつもなら優雅で微笑を絶やさず、余裕のある振る舞いで周囲を魅了している彼だったのだが、明け方に宿に戻ってくるなり、苛立つ様子を隠す事も無く部屋に閉じ篭った。
乱暴な言葉と態度で周囲に当り散らす様は、よほど彼が動揺し、憤っているという事がわかる。
周りの者ですら驚いたのだから、彼の主人でもある東の荒波州海軍提督アベルも、いつもと違うカァラの様子に面食らっていた。
だが、そこは海軍提督。一通りカァラと話をした後、自分の懸念をぐっと収め、アベルはまたいつもと変わらぬ態度に戻り、一人通常通りに応接間で机上の仕事をこなしていた。
いくら’東統一の鍵を追う‘という名目があるとはいえ、州知事長と同位の提督が、ずっと本州を離れているのは無謀でもあった。
たとえ自分の腹心の部下でもある士官に任せてきたとしても、重要機密に関する事だけは、提督である自分がしなければならなかった。
これ幸い、定期的に送られる書類に没頭すれば、皮肉な事に、自分を翻弄するカァラの挙動すらも忘れる事ができた。

その当のカァラはよほどの事があったらしく、食欲も無く、ずっと寝所で臥せってばかりだ。
アベルが何度問いただしても、宥めても、彼の苛立ちは納まらないようで、仕方なくアベルは彼から離れなければならなかった。
初めて見るカァラの激情に駆られている姿に、アベル自身の中で、不思議な感情が芽生えている事に気が付いた。
身体だけの繋がりではない、何か。
いつの間にか、カァラにこれほどまでの影響を受けている自分に、アベルは少々呆然としていた。
冷徹だと囁かれるほど、今まで自分の意のままにコントロールして人生を送ってきたこの自分が。
いや、とアベルはかぶりを振った。
昔、若い頃に一つだけ、自分が思うとおりにならなかった事実があったのを思い出した。
それを含めると2度目の心境だな、とアベルは自嘲した。
【姫胡蝶】と呼ばれている男に対する気持ちが、まやかしなのか真実なのか…。
自分自身がわからなくなるなんて、と、苦い面持ちで舌打ちする。このような感情に陥ること事態、彼には珍しい事だ。


…暁と宵の間で、何があったのだろうか…。
その件もあって、提督としても早急にカァラに問いたださなくてはいけないというのに…。

だが、今のアベルはそういう心境に何故かなれず、カァラが自分を取り戻すまで、そっとしておいてあげたい気持ちが大きかった。今までの自分ならば、そのようなまだるっこしい事など絶対にしなかったのに。

もう少し様子を見るか…。

そうアベルが小さく溜息を付いた時だ。
「提督閣下」
突然扉を叩く音がして、部下が自分を呼んだ。
「どうした?何かあったか」
その声に部下である軍曹が恭しく部屋に入ると、敬礼しながらアベルに告げた。
「実は、ライル大佐がいらっしゃいまして…」
「何だと?」
思わぬ名前に、アベルの声が珍しく大きくなった。
「本州に何かあったのか?
ライルには本州に残してきた将官の補佐をしろと命じていた筈だ。
…職務を離れてこの俺に会いに来るとは…」
アベルの困惑を隠しきれないままに、その当のライル大佐という若い男が、本人の応対を待たずして部屋に入ってきた。
「お久しぶりです、提督閣下」
凛とした声と佇まい。すっきりとして細身ではあるが筋肉質な体躯と、精悍な男らしい顔立ち。
短い赤味がかった茶髪は、綺麗になで上げられ、隙の無い身のこなしは彼の育ちの良さを露呈している。
アベルとはまた違った美男将校に、扉を開けた軍曹も見惚れている。
彼は無表情ではあったが、その目に苛立ちの色が見て取れて、アベルは眉間にしわを寄せた。
「緊急の用か、ライル。お前がわざわざこんな北の地まで来るなんて…」
「僕が来たら、何か不都合でもおありでしょうか」
彼の言葉に棘があるのを感じて、アベルは吐息を漏らして自分の椅子に腰を下ろした。
「そんな事はないが、俺が本州を離れている間は、俺の佐官(右腕)であるお前とジウ中将に任せてきたのだ。
…連絡もなしに現れれば、何か緊急の用だと思うだろう」
内心苛付いてはいたが、いつものようにアベルは淡々と言った。
ライルはピクリと片眉を上げると、形ばかりの敬礼をするとこう言った。
「本州の事はご心配なきように。
これは州知事長の意向もあって、僕が直々提督に会いに来ただけです」
「ハウル…いや、州知事が?」
これまた久しぶりな人物の名を聞いて、アベルの胸に小さな鈍い痛みが走った。
最後に会ったのはいつだったろう。ほとんどが海の上での生活が多かったアベルは、陸での政(まつりごと)は若き州知事長に全て任せきりだった。
ああ、そうか。最後に会ったのは…【宵の流星】キイ・ルセイの存在が明かされた日だ。
久方に見る彼の優しい瞳と、艶やかな黒い髪を思い出して一瞬心が震えた。
だが、それだけだった。彼とはすでに終わってしまった、甘美で苦い…若き日の思い出の幻想に過ぎない。
心の変化は一瞬の事で、すぐに感情を押し込め、何事もなかったように事務的にアベルは話を進めた。
「これは、どういう事かな?軍事的な部分はこの俺が任されている筈だが、何かそれに関する政(まつりごと)で困った事でもあったか、それとも…」
挑むようなラウルの視線を受け止めながら、アベルはゆっくりと問うた。
「個人的なお咎めか?」
その言葉に、ライルは息を吸った。
身に覚えがあるアベルにしてみれば、いつかはこの事で、州の方から牽制がくるであろうと思っていた。
やはり、とアベルは溜息を付きながら、荒波州知事長であるハウル=リッサの物憂げで美しい横顔を再び思い出していた。
「…それもございますが、まず、祝事から。
州知事にご嫡男が誕生されました。…ですから我が本州は今は祝祭ムードで、何も問題はありません」
探るようなライルの瞳に苦笑しながらも、そうか、と小さく呟き、気持ちを入れ替えて目の前の男に満面の笑顔を見せた。
「それはよかった。お前も甥が出来てさぞかし嬉しいだろう」
アベルとしては、本心で言った言葉であったが、ライルはいぶかしんで目を細めた。
それが何を意図しているかは、アベルにはわかりきっていた事だった。
ライル大佐の、その何か言いたそうな顔が、ハウル現州知事長とよく似ていた。やはりこの二人は兄弟なんだと、今更ながらにアベルは実感した。ハウルの若い頃の面差しを持つ目の前の青年将校に、アベルの胸中に再び甘い痛みが襲った。

……若い頃、これ以上ない、というほどの激しい恋だった…。
しかもハウルと自分の偲んだ恋は、ハウルの弟であるライルにはばれていて、彼は幼少から自分達をずっと近くで見て知っていた。
そのうちハウルの父君が亡くなって、彼が妻を娶り、家督を継がなくてはならなくなった時、互いに話し合って綺麗に別れたのだ。
今まで自分の欲しいものを難なく手にしてきたアベルが、人生で唯一思うようにならなかった事、それはの若き日のハウルとの恋愛だった。
そこでアベルは自分の気持ちと折り合いをつける、という事を学んだ気がする。
彼と別れ、しばらく自由奔放な恋に身を任せていたのはその反動だった。
決して恋に溺れない。相手に執着を見せない。…そうといっても、アベルの性格上、そのような付き合いでも相手には誠意を持って接していた。が、提督に任命されてからは益々多忙を極め、一晩限りの付き合いが多くなり、いつの間にか再び一人の相手とじっくり恋愛するのがおっくうな年齢になっていた。
そんな時、昔の恋人の面影を宿したライルが、立派な青年となって海軍に入り、自分の目の前に現れたのだ。

アベルは複雑な思いで精悍なライルの顔を正面から見据えた。
実は彼にわずかな罪悪感がある…。
それは、一度は彼と人生を共にしてもいいと思っていた時期があったからだった。

大人になったライルはアベルの理想のパートナーに見合うほどに成長していた。
後からこっそりと、自分に釣り合うため、血が滲むほどの努力をしたと聞かされた時には、彼の容貌も相まって、愛しい気持ちになったものだ。
もちろん、部下である彼に手を出す事は、提督としての倫理が問われると悩んだが、彼が自分の右腕としてなくてはならない存在になるにつれ、そして彼の情熱に押し切られるような形で一線を越えた付き合いを数回してしまった、という経緯があった。
アベルとしては、多数と不毛な関係を続けるよりは、年貢の納め時として、生涯のパートナーとしてライルを受け入れようか、と思い悩んでいた矢先だった。 
不覚にも元恋人の弟ではあったが、彼は一生自分についていく、と可愛い事も言ってくれていた。
……だが……。

「もうひとつは、忠告に参りました、閣下」
ライルの引き締まった口元から、思い詰めたような言葉が洩れた。
(来たか)
アベルも気持ちを引き締める。
「……州知事長もご心配されております、その…」
「胡蝶の事だろ?」
ライルが言うよりも先に、アベルはズバリと言った。
その名にライルはぐっと言葉を飲み込んだ。
「…帰って知事にお伝えしろ。…心配するような事はございません、と」
そのアベルの言葉に、ラウルは思わずかっとして叫んだ。
「心配するような事が、ない、と!?
本当にそう言い切れますか、閣下!」
そう憤るライルの目に悔し涙が光っているのを、アベルは沈痛な思いで見詰めていた。


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