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2011年10月

2011年10月27日 (木)

暁の明星 宵の流星 #163 その①

紺碧の青い海。豊かな漁港。
西の表門、東の裏門と呼ばれるように、ほぼ東の海岸の半分を領土とする荒波州は、西の国ルジャンに次いで海運の発展している州である。東にも大小いくつかの州と村があれど、一番大きい州である風砂(ふうさ)よりも力が強いとされているのは、ひとえに強靭な海軍を持っているからだといわれる。
大陸の表門と称される西のルジャンは、文字通り外大陸に一番近い港と言われるだけあって、他大陸との貿易が盛んな国だ。
裏門と称される荒波は、西の国よりは規模は小さいが、裏門とされるだけあって、大陸の第二の出入り口とも言われ、西ほどの規模ではないが、大陸で外大陸と交易をする船が出入りを許されている港を持っていた。それに加えて強靭な海軍。荒波が大陸でひそかに注目されているのはこういう訳があった。
セドの国が無ければ、実力からして荒波が東の主導権を握るだろう、とも噂されていたほどで、事実、長年東の権力を狙って、幾度もセドを攻撃した州であった。もちろん、この荒波だけがセドを狙っていた訳ではないが、名前の通り、強気で荒くれている、というイメージがあるのは、このせいである。
実際、セドが滅び、東の実権は荒波に移るとも思われたが、かえって、東が混沌とした様になってしまったのは、他州が黙って彼らに従う訳がなく、各地で小競り合いが同時に起こった事にあった。
大陸の中で一番広大な面積を持つ東の多くの州村の中で、まともな政府を持っていたのは、風砂、荒波、緑森(ろくしん)、清流(せいりゅう)という有力な四州くらいだ。そのお陰でこの四州だけが、かろうじて己の州の治安を、各々に保つ事ができたのだった。
だが、他は見るも無残に荒れ果ててしまった。
ここぞとばかりの他国の干渉、流れ者の賊が増え村を襲った。東を統一する以前に、突如として荒れてしまった広大な国を立て直すにはどの州も力が不足していた。己の州だけを守るのに必死で、互いに一つに協力しようとするも、互いが譲らず、結局セドが統治していた以前と同じく内部分裂してしまっていた。
(広大な東の国には、独特の自治権を持つ、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)や神国オーンなどがあるが、それらは東にあっても、全く別の存在である事から、東の崩壊に影響されなかった稀有な場所であるとされる)
このような状態に陥って東の民は、滅んだセド王国の偉大さを、今更ながらに身を持って知ったのだった。
だからその国の…特に王族、神王の直系が生き残っていた、という事実は、東の民を興奮させるのに充分な話であった。

さて、その東で今一番力が強いとされているのは荒波州であるが、昔からの評判以上に、この数年で益々力をつけてきているのは、十年ほど前に若い知事が、その数年後に同じく若い海軍提督が、荒波の実権を握ったからだと言われている。
この二人の若い有能な統治者が、荒くれたイメージの荒波を打破し、強固たる国づくりを始めているという話は、東のみならず、東の動向を探る他国も注目していた。
特に荒波の提督は、任命されてから一年も経たずに海軍を強化し、次々と伝説を作った男、として、その名を馳せていた。
東の軍神、アベル提督。
その彼がここ、中央国で中立の立場であるゲウラに姿を現すと聞いて、興味を持っている者達が色めき立っていた。

人の噂も人の評判も、意外と実際とは多少異なっていたりするものだ…。

東で散々【暁の明星】と【宵の流星】の噂が尾ひれついて出回っていたのと同様、この軍神アベルの噂も、かなり違った方向で誇張されていた。
冷酷で、惨忍で、まるで鬼神のごとく容赦の無い恐ろしい男…。
それも無理はない。
彼が提督に昇任するきっかけになったのは、東海域のみならず、他国にも害をなす、大陸一凶暴な海賊一団を容赦なく叩き潰したという実績からだった。
自分達の海域から、とことん賊を追い出し、がっちりと海軍を強化し、その上他国からの干渉も攻撃も一切受け付けなくさせたのも、アベル=ジンの功績が大きい。提督となっても、彼の相手に対する容赦ない戦略は相変わらずで、鋼鉄の防波堤、と荒波海軍が称されるには時間がかからなかった。
故に彼の評価は、その恐ろしさばかりが誇張され、やれ残忍だ、冷徹だ、果てはかなり屈強で、威圧感のある強面な大男らしい、などという勝手な解釈をされた噂が、あっという間に全土に広まって行ったのだった。
当の本人は、これも他州他国への牽制になる、と言って面白がっていたが、さすがに中立国ゲウラでは、社交場ということもあり、諸外国の人間を萎縮させるような冷淡な態度にならないよう、愛想くらい振りまいて欲しいなどと、洲知事長や補佐官に懇願されていた。
結果的にそれが、噂が撤回され、周囲の人間の印象を塗り替えるには、充分過ぎるほどの好印象をもたらす事になるのであるが。


残暑も厳しい初秋のある日。あらゆる国の要人が一堂に集まる唯一の場所、中立を保つゲウラの国で、その日はとんでもない人間がとてつもない発表するとかで、会場であるゲウラ元宮殿の大広間はごった返していた。
東の国に関する重要な公式発表とかで、東の国の全ての要人を中心に集められた以外に、希望者だけであるが他国の王侯貴族や要人も、こぞってその場にやって来ていた。
主催する側が東の国ではなく、ここ中立国でその場を設けた事…それはひとえに無駄な争いを避けたかった事に他ならない。各国が互いの身の安全を確保でき、穏便に交渉できる場所、それはこの中立国以外、適した場所がなかったからである。
もちろん盛大な宴と共に、“とてつもない公表”という目玉以外では、各国の社交場と化すのはいつもの事であったが…。

そのような場所に、東の荒波州の知事長と海軍提督の双璧の二人が、就任して初めて姿を現すという事で、他州、他村、各国の要人の興味は、公表というイベントの次に向けられていたのだ。
どんな屈強で恐ろしい男が、あの噂の提督なのだろうか?
人々の怖い者見たさの好奇心は、荒波の双璧が現れた時点で、驚きに変わった。
実際に現れた荒波の双璧は、周囲の空気を一変させるほど、煌びやかな存在であった。
二人ともすらりとして背が高く、身のこなしも上品で、しかも若くてかなりの男前だ。
州知事長という男は、非の打ち所の無い整った顔立ちをして、穏やかに微笑む様(さま)は、まるで慈悲深き聖人のようであった。だが、最初に人々の目が一斉に惹き付けられたのは、もう片方で佇んでいる、金髪の男の圧倒的な存在だった。
東の国には珍しい明るい金髪は一つに束ねられ、隣にいる州知事長よりも整っているというわけではないが、端正な顔に人を惹きつける様な魅力的な表情を浮かべ、特にその中で、まるで宝石のように輝く、これまた東の人間には珍しい真っ青な瞳が、その男の強烈な引力となっていた。州知事長と同じく穏やかな態度を装っていても、男の威圧感は群を抜きんでて、見るからに只者でない雰囲気を醸し出していた。
……まさか、この華やかで魅力的な男が、冷徹で残忍という噂の荒波の軍神、アベル=ジン提督…?
各王侯貴族、要人が、驚きの余り唖然とてしまったのは、無理もない事である。

当のアベルは、提督就任して初めてこのような大掛かりな社交場に出席したという事もあって、珍しく緊張していた。傍目からは全くその様子は窺えないが、昔馴染みであるハウルには、手に取るようにわかっていた。
「リラックスしろ、アベル。笑顔が引きつっている」
隣で笑みを崩さず、小声で囁きながら、ハウルはアベルのわき腹を小突いた。
「…すまん、こういう場は苦手なんだ…」
ポツリと呟くアベルに、ハウルは昔同様、親しみある笑いを含んだ声で答える。
「はは。お前は昔からがちがちの軍人気質(かたぎ)だったからなぁ。こういう社交場が苦手なのは知っているよ。
ま、今日だけは我慢してくれ」
「悪かったな…無骨な人間で…」
実際、見た目が派手で、奔放な所のあるアベルは、軟派で処世術に長けているように一見、見られる。
が、意外とアベルは、戦術や戦略に長けてうまくやることはできても、このような社交術は苦手で、いつも優等生で人当たりのいいハウルに助けてもらっていたのだ。
その事を踏まえれば、この二人ほど互いを補う高相性のパートナーと言っても過言ではなかった。
幼い頃からの仲の良さがいつしか恋となって、その関係が崩れたとしても、今現在、荒波を統治する、という事に限ってになってしまったが、この関係は今でも遺憾なく発揮されている。

二人の目的はもちろん、東に関する驚くべき情報の開示、というその中身を確かめる為だ。
東の果てからやって来たという事もあり、会場に着くのが遅れてしまった二人は、かえって目立った感じとなってしまったが、彼らは一通り、そつなく東や各国の要人達と挨拶や世間話に付き合った後、ひっそりとした目立たぬ一番奥の席に着き、その公表のイベントを待った。
そして…。

とんでもない人間…とてつもない発表。
アベルとハウルは、先ほど公表された衝撃の事実に、今だ興奮が冷め止まなかった。
「…この事実が、東の国にどれほどの影響力があると思う?」
「もちろん、それはわかるだろう?…セドの王子が生きていた。
その事実は東の命運を決める」
東統一の望みが具体的になった瞬間でもあった。国の無い王子でも、セドの、しかも神王の血筋だ。
彼は使える。彼を手にすれば、東の実権を握るのは容易い。
でもそれは、自分達だけでなく、誰しもが考えている事実でもある。
その衝撃の発表後、東の要人のみならず、他国の王侯貴族らも目の色を変えて興奮していたのが確かな証拠だ。
「しかし、あの東の荒くれ者【宵の流星】が、セドの王子だったとは…」
「ここ数年、【恒星の双璧】と称されるならず者が、東で暴れているのは知ってはいたが…。
そのうちの一人が、まさか、セドナダ王家の生き残りだとは思わなかったな。
……だが、現に今、彼は何処にいるんだろう…。
他の州や諸国が、躍起になって彼を捜そうとするのは明白だ」
落ち着いたハウルの言葉に、アベルは頷いた。
「是非、彼を我々が手にしたい所だ。…そうすれば、念願叶って荒波が東を統治できる」
わくわくとしたアベルの様子に、ハウルは眩しそうに目を細めると、ふっと笑った。
「お前には確か妹がいたな。そうか…そうなればジン家が有力か…。
お前が今考えている事を当ててみようか?
妹君をセドの王子の妃に据えて、お前の一族が実権を握ろうと思っているだろう?」
面白がっているハウルに、アベルもつられてニヤリとする。
「当たり前な事を。今度ばかりは俺の家が有利だな。
噂では【宵の流星】は無類の女好きと聞く。ただでさえ、有力者の娘は少ないんだ。
手持ちの駒は大いに活用させてもらうさ」
意気揚々とアベルは酒の入った杯を軽く掲げ、ハウルに片目を瞑ってみせた。
そんなアベルに、ハウルは少し弱々しく笑った。そしてしばらく何かを思い巡らした様子で俯いた後、何か決意ように言葉を発した。
「なあ、アベル。 
…お前は…なぜ結婚しないんだ?」
突然、思ってもみない問いかけに、アベルは息を詰まらせた。
「おい…。いきなり何だよ…」

ハウルの暗い表情に何やら不穏めいたものを感じ、先ほどまでアベルを支配していた、懐かしくて甘い、いい気分が潮を引くように失われていく。
ハウルがもっと、世間話のように軽く尋ねてくれたのなら、アベルも笑って適当に答えたかもしれない。
が、質問する声が、緊張で震えていたのを微かに感じ取ったアベルは、真剣に、また慎重に言葉を発しなければならない、と悟った。できれば、もう別れているのだから、こういう個人的な話を、思いつめたような顔で聞いて欲しくはなかった、というのが本音だった。何しろ、当の本人は妻帯者で、家督を継いで彼女と結婚する為に自分と別れたのだから。
と、そこまで感じて、アベルは苦笑した。
何だ、結局自分はその事について、意外と傷が深かったのか…。
あの時、自分の本心は、彼が他の人間のものになって欲しくなかったのだ。
それを、必死で、彼の為だと、将来の為だと、自分を諭していた。
相手は有力者の令嬢で、世継ぎの事を考えれば、仕方のない事、まだ相手が女性だから諦めもつく、と、どれほど自分で自分に言い聞かせてきた事か。
久々にハウルと個人的に話す機会が持てて、アベルは昔の想いが再燃してしまうのではないか、と少々危惧していたが、十年という歳月は、互いの間に上手い具合に距離を作っていた。
それぞれが別の世界で生きているという事を再認でき、自分自身のわだかまりが解けたと、嬉しく思っていたのに…。
ま、ハウルとしては、昔の恋人であった事以前に、幼馴染みでもあり、別れた今では、ただ純粋に友人として自分の事を気にかけている、という所だろうが、その内容はあまりいい気分ではない。
いや、このざわついた気分は、ハウルが言わんとする事を、自分自身、薄々感じて警戒したからかもしれない。
そう…それは…。

「それとも、もう誰か決めた人はいるのか」
探るような、ハウルの声色。
ざわつくような嫌な感じが、アベルの肌を這い上がっていった。
同じように相手の表情を探ろうとして、アベルは彼の顔を見据えた。
そして目の前の男と同じ顔立ちをした一人の青年の顔を思い浮かべ、アベルはゆっくりと噛み締めるように答えた。
「ああ。……結婚は…しないと思うけど…。
大切に思っている相手は…いる」
その言葉にハウルが息を吸い上げた事で、アベルには彼の“言わんとするところ”が何なのかを確信した。
「その相手を、愛しているのか」
ハウルの声に切なさが混じっているのは、自分の気のせいなのだろうか。いや、それとも…。
「できれば生涯、大事にしてやりたい」
思いを込めて呟いたアベルに、ハウルの瞳が揺らいだ。

しばしの沈黙の後、彼の口から出てきた言葉は、アベルの確信をついた内容であった。

「実はライルが隣州の令嬢との縁談を断ったんだ」
ハウルはちらりと神経質そうにアベルの様子を窺いながら、呟くようにそう言った。

やはり、そうか。

アベルはいつかはライルの事で、ハウルと話をしなければならない、という覚悟はあった。
あれだけ自分を慕ってくれる青年に、愛情を抱かないわけがない。
ハウルがどれだけ自分達の関係を知っているかはわからないが、今の自分はライルの一途な思いに答えよう、と心から思っていた。
いつまでも昔の恋の亡霊を引きずって、ふらふらしているのが惨めになっていたのもあるかもしれない。
若き日の元恋人に似た面影の、その彼よりも体当たりで情熱をぶつけてきてくれる男を、アベルが拒めるわけも無かった。
だが、迷いが無かったというのは嘘だ。
いくら可愛いと思っても、その相手が昔の恋人の弟であるという事実が、アベルを迷わせていた。
どうしてもライルの背後に、兄であるハウルの存在を感じてしまう。
確かにハウルへの恋愛感情は、もうすでに納得して手放したつもりだが、まだ心のどこかでくすぶっているかもしれない。できれば忘れてしまいたかったというのが本音だった。
まだ州知事長と提督としての繋がりであれば、割り切って彼と接する事は出来る。
だがそれも、恋愛感情を引き出す事となると話は別だ。
どうしてもライルが相手であると、ハウルを思い出してしまう。そんな自分に嫌気がさしているのは事実だった。
だが、ライルの一途さを思うと、自分は変わらなければならない気がした。
だからこそ公の場にハウルと二人で出席する事が決定した時に、アベルは自分の感情に決着をつけようと決めたのだった。

《君の気持ちは嬉しい。二人のこれからの事を俺は責任持って考えたい。だから、もうしばらく待っていてくれないか》
《…それって…僕の事を受け入れてもいい、と思ってくれているのですか?》
その時のライルの瞳の輝きに、心が揺さぶられないわけがない。
《ああ。そのつもりだ。…自分の気持ちに決着をつけたら…》
《え?》
《いや、俺は…君を受け入れたい、と思っている…》

そう、アベルはライルとの未来に覚悟を決めた筈であった。
その確認として、公務とはいえ、個人的にハウルと二人で行動できるこの機会に臨んだのだ。
まだその時点では、ライルとの関係を、まだハウルは知る由も無い、と思い込んでいた。
だから本当に、自分の気持ちを確認するだけという気持ちで、彼に会った。
まだ、自分はハウルに未練があるのだろうか?
再会して、完全に吹っ切れているのだろうか?
…事実、そのような危惧は、先ほど感じていたように、自分の中にほとんど無くてほっとした。
だがそれも、ハウルの口から結婚などの恋愛に関する事を聞かれるまでの話だった。
できればその話題を、今したくなかったし、聞きたくもなかった。
やっと、彼との関係が自分の中で次の段階に進んだと喜んでいたのに。
まるで古傷をこじ開けられたような、苦い気持ちになろうとは。
彼に対してまだ激しい感情が残っているから、というわけではない。
身を捧げたほどに燃えた恋の結末、終焉の虚無感が、これほど自分の心に深い傷を負わせていた事実に気付いてしまったが故の、苦味と痛みだ。
自分自身を納得させようとして、言い聞かせてきた言葉が、自分の心に影を落としていた事を、アベルははっきりとその時に悟った。
相手の為を考えて、必死で自分の執着や独占欲を抑え続けてきた結果、誰にも執着しないという人間になってしまっていた。
その結果、来る者は拒まないが、自分から我を忘れて相手を欲しがるという情熱が、完全に欠如してしまったのではないだろうか。
そのような自分だからこそ、ハウルと別れてから、長く続いた相手がいなかったのも無理はない。
アベルは自分が情けなくて、口元を歪め、思わず自嘲した。

一方、これから話そうとしている事に、ハウルは緊張を隠せないでいた。
アベルと別れてから、模範的な家長、よき夫として、努力する事に心を砕いてきた。
いい家庭を作る事によって、最愛の人間と別れた意味を見出したかったのである。
だからこそ、たまに耳に入る別れた恋人の浮いた話を、ハウルは無視する事ができた。
本音では、聞きたくなかったから耳を塞いだ、というのが正しかった。
このような別れ方をしたのだから、アベルには幸せになって欲しい、と切に願っているのは嘘ではない。
だけど、アベルの淫らな噂は、ハウルの心に重苦しい暗い影を落とした。ハウルはその正体を無視した。
正面から己のどす黒い感情を見るのが恐かったのだ。
その正体を知ってしまったら、自分は多分崩壊する…。
ハウルはその恐れに目を瞑る事によって、自分を律してきたのだ。
……そのうち、アベルには彼を生涯支えてくれるよき伴侶が現れるだろう。
そうしたらこの暗い感情も、すっきりと晴れるかもしれない…・。
心から彼の幸せを祝ってやれる。
そう信じて十年。
妻は非の打ち所のない理想的な伴侶であり、彼女に対しては何の不満もない。
その上、自分もやっと子供を授かった。まだアベルには話していないけれど、多分風の便りで聞いている筈だ。
念願の州知事長の座だって手に入り、仕事だって充実している。
政(まつりごと)としての相棒と言われる、海軍提督の座に、まさかアベルが就任するなんて思ってもみなかったが、彼の昔からの才能と実力を考えると、至極当たり前であったと、今更ながらに腑に落ちていた。そしてそれが心から嬉しかった。
それだけ並べてみても、自分は何て幸せ者だと思う。果報者過ぎる。
思うからこそ、アベルに感じている贖罪の気持ち…そんなに大げさなものではないが……から、自分と同じように一般的な幸せな家庭を、ハウルは彼にも持って欲しかったのだ。
そうすれば自分が今感じている、仄暗い思いが解消されるような気がする。
自分ばかりが世間的な幸せを享受して はいけないのではないかという、変な罪悪感からも解放されそうな気もする。
そう、彼の隣に、自分と同じような従順で良妻賢母と呼ぶに相応しい女性がいてくれたら理想的だ。
いや、そうじゃなくとも、純粋に彼を生涯支えてくれる人間だったら、きっと自分はこの気持ちに踏ん切りが付くように思うのだ。 
ただ、その相手が…。

ハウルはごくん、と唾を飲み込み、意を決したように話を続けた。
「……ライルは…令嬢との婚姻よりも…お前を取ると言っているのは…本当なのか?」


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2011年10月21日 (金)

暁の明星 宵の流星 #162 その②

普段は穏やかで、いつも隣で静かに微笑んでいるような…。
そう、彼の兄であるハウル荒波州知事長(あらなみしゅうちじちょう)と同じく温厚な人物に、自分はこういう顔をさせてしまっているのだ…。
その事実がアベルの罪悪感を益々煽り、居た堪れない思いで彼の激昂を無言で受け止めた。
「…貴方と【姫胡蝶】の噂は、隣国ですら広まっていますよ」
ぎりぎりと歯を食いしばった後、ライル大佐は吐き捨てるように言った。
「ま、それがどんな噂だか、おおよそ予想がつくが…。
かなり尾ひれがついているんだろうなぁ、とは思うよ。…噂というものはそういうものだ」
アベルは話が深刻にならないよう、わざと軽い口調で肩を竦めて見せた。
「…そうだとしても、一州の海軍提督が、面白おかしく噂されるのは…州民…いえ、政府とていい気分なものではありません。
…あの鋼鉄の防波堤と称される荒波海軍の…頂点である軍神アベル提督が…【姫胡蝶】の毒牙にまんまとやられ、堕落して骨抜きになっている…などと…」
最後の方は言い難そうだった。ライルの口調からして、きっと本州では…いや、大陸ではもっと卑猥で下衆な言われ方をされているのだろう。真面目で高潔な彼の事だ。どうにかこれ以上酷い言い回しにならぬよう、心を砕いているのが、ひしひしと感じられる。
「あの陥落不能な荒波海軍の提督が、いとも簡単に男の色香に陥落された…か?
そんな噂、勝手に言わせておけばいい。
しかも今は、海軍を放ったらかして、その男妾に入れ込んで蜜月の旅を満喫中、とかね。
かえってそう思わせていた方がこちらとしても都合がいいじゃないか。
俺が荒波を離れた理由は、君だって知っているだろう?」
アベルはちらりとライルの思い詰めたような表情を盗み見た。
あの何事にも冷静な彼の顔に、はっきりと憔悴の色が見て取れて、アベルは心の中で溜息を付いた。
彼の事を嫌いになったわけではない。正直に言えば今でも好ましい。
自分の理想どおりの男に成長した彼を、どうして自分が無下にできようか。
その彼をここまで追い詰めた自分にこそ腹が立つ。
本当のところ、ライルを大事にしたい気持ちが、今でもあるのは否めない。
だが……。
アベルは眉根を寄せた。
「…まさか君…、この俺がその下衆な噂通りなのかを確かめるためにここに来た、なんて陳腐な事は言わないだろうね?」
その言葉にライルの頬がぴくっと動き、みるみるうちに赤くなる。
なるべくアベルは、何の感情も感じさせないよう、いつもの調子で淡々と彼に接しようと思っていた。
だが、次のライルの言葉が、アベルの心を揺さぶった。
「……僕だけではない…。兄が…州知事があなた方の様子を見てくるように、と…。
いや、知事という立場は口実で、兄さんは個人的に貴方を心配して僕を寄こした。
………あのようなあばずれと…本当にそういう関係なのか、と」
「ハウルがそう言ったのか!?」
思わずアベルは立ち上がり、大声を出した。
「ハウルが…?嘘を言うなライル。
あのハウルがそんな理由で君を寄こすなんて…有り得ない…」
アベルの動揺を見て、ライルは腑に落ちたような表情をした。
「有り得ない?
…やはりそうだったんですね…。
……兄さんが…僕と貴方の関係をよく思ってない…。
いや、貴方に僕を諦めるようにと、兄さんが頼んだんでしょう?家のためとか言って。
その反動で…。
貴方が【姫胡蝶】と本当に愛人契約を結ぶと思っていなかったんですよ、兄さんは。
詳しいいきさつは教えてくれなかったけど、その事についてかなり動揺していたようだった。
本当にあの人は救いようが無い。
……ある意味、何でこうまで、いつも自分の都合のいい事ばかり押し付けるんだろうなぁって、思いますよ。
相手がどう思っているかなんて、あの人には本当は関係ないんだ」
「ライル!実の兄さんの事をそんな風に言うもんじゃない。
ハウルは自分の事よりも何よりも、相手の事を考えて行動する奴だぞ。
そうじゃなかったら、荒波の州知事長なんぞなれるものか」
「自分の事よりも相手の事…?ふっ…。
だから兄さんは貴方を捨てて家を取った、という事ですか。大を取るために小を切り捨てるような人だ。
家と母の事だけ考えて、貴方の心をないがしろにしたというのに?
片腹痛いですよ!
昔からあの人は狡かった。自分を押し隠して大事な事は全て人のせいだ。
で、今度は母のためだとか言って、僕を貴方から遠ざけようとした。
……本当はそんなの建前なくせに…。
自分の元恋人が、同じ男で、しかも自分の弟と人生を添い遂げようとするのを許せなかったんだ、あの人は!」
「ライル、落ち着け。そんな事はない。それは君の思い違いだ。
昔から君の兄さんは、公明正大で、いざとなったら自分を犠牲にしても厭わない人間だ。
俺はそういうあいつを今でも尊敬している。
それにあいつは…、ハウルとは本当にもう終わっているんだよ。
互いにあの時、話し合って納得して別れたんだ。
今はもう、同じ荒波を統治する、という目的で互いを高め合う…同士だと俺は思っている。
ハウルだって…」
じっと見透かすように見詰めるライルの瞳に、アベルは言葉を詰まらせた。
「…貴方に対して何の感情も、ない、と?」
「…そうだろう?【姫胡蝶】の件は、州知事長として心配になるのは仕方ない。
まぁ、現にカァラの奴は悪名高いからなぁ…」
ついアベルはニヤリとしながら気安くカァラの事をそう言い、その親密な声色にライルは益々頬を引きつらせた。
「…噂は本当ですね?先ほど部下に聞きました。
貴方とあの【姫胡蝶】がかなり濃密な関係だと…」

その事実を聞いた時の衝撃を、ライルは忘れられない。
まだここに来るまでは、ただの噂だと、自分の愛した人はそんな男ではないと、一縷(いちる)の望みにすがっていた。
ライルとしても、彼が今まで浮名を流してきた男だったと、知らなかったわけでは無い。
そうだとしても、それは彼がそれだけ魅力的だったとういうだけで、過去の事はライルは全然気にならなかった。
近くにいて気がついたが、彼は見た目と行動の派手さと違い、心根では情が深く、誠実で、根っからの軍人肌で意外に固いところがあった。
やれ冷徹だ、残酷だ、胡散臭いなどと巷で恐れられようが、彼自身を知る者は皆、それが誤解だと知る。
もちろん、敵には容赦は無いが、味方にはとことん懐が深い。
そのような提督を、海軍の者は全面的に信頼し、慕っているのが、軍に入ればすぐにわかる。
荒波海軍が東の海域随一の鋼鉄の防波堤とまで言われるくらい強靭になったのは、この若きアベル=ジンが提督になってからだ。彼を中心にして、海軍の団結力は半端なものではない。
それが、たった一人の悪名高き男に、その中枢が崩されている…などと諸外国に噂されるなどで、いつ荒波を攻略せんとする他州から襲われるかわかったものではない。
その危惧も相まって、提督補佐の一人でもあるライルが州知事長の命で様子を窺いに来たのである。
それが第一の目的であり、また、本心を隠す建前である事も、ライルにはわかっていた。
……兄である洲知事長も、自分も、それだけでない事を。
この目の前の男の真意を確認したかったのだという事を。
皮肉な事に、目的の要である【宵の流星】の件が、そのために後回しになっているのは否めない。

本当に、彼とは目的のためだけの手段としての関係だけなのか。
または噂通り、悪名高き魔性の男、【姫胡蝶】の毒牙にかかっているのか。

ライルは兄と対峙した時の事を思い出していた。
そのきっかけは、アベル提督と【姫胡蝶】の聞くも淫らな噂がきっかけだったかもしれない。
ライルはアベルが【姫胡蝶】と同伴し、わずかな部下を引き連れて北の国に向かった理由は、彼自身から説明されて知っていた。残された軍の事をジウ中将と共に任された手前、ライルは不安を抱えながらもアベルに従ったのだ。
それよりもアベルの態度がずっと引っかかっていた。
つい最近までは彼も自分に気を許してくれていて、生涯のパートナーとして一生傍にいたい、いられる、と確信していた。
事実、アベルの方も、相手が昔の恋人の弟で直属の部下という事もあり、ずっと遠慮して悩んでいたのを感じていたのが、何度か肌を重ねて、やっと自分の気持ちを受け入れると言葉にしてくれたばかりだった。
それがあの、【姫胡蝶】が【宵の流星】の出生を公にした衝撃の場で、アベルが久しぶりに兄と会ってからおかしくなったのだ。
《距離を置きたい》
《この間の言葉は忘れてくれ》
それだけ言って彼は、あの男を堕落させ破滅させる男妾と、北に潜伏しているという【宵の流星】の情報を追って、北の国に行ってしまった。その後に流れてくる二人の噂はライルにとって聞くに堪えない内容ばかりだった。
《あの鋼鉄の荒波海軍提督が、魔性の男を囲って骨抜きになっている》
《片時も愛人を離さず、毎夜のごとく淫らな行為に耽っているようだ》…とも。
任務だからと、噂を一笑に付していたライルも、アベルの態度もあって不安が頂点に達していた。
そんな時に兄から呼び出され、この噂は本当なのかと探られた。
反対にライルは今までの疑問を兄にぶつけた。州知事ではなく一人の男として答えて欲しかった。
アベルの態度が変わったのは、絶対に兄が関係していると己の勘が訴えていたからだ。
その時に兄は家の事を持ち出した。母親に心配かけるな、とか、ジン家と自分達の家は違う、とか…。
ライルはピンときたが、結局、兄には色々と誤魔化された。
誤魔化されはしたが、兄は州知事長としてアベルの素行を確認し、羽目をはずさぬよう勧告する所存だと明らかにした。
ライルは「ならば自分で確かめてくる!」と啖呵を切ってここまで来たのだ。
最初に自分を、あれほどアベルから遠ざけようという態度が見え見えだった兄が、州知事長の勅命という文書を出すのに、躊躇うのではと思っていた。だが、兄のハウルはあっさりと勅書にサインをした。その手が微かに震えていた事を、弟である自分が見過ごすわけなどなかったが。
…結局、今ではライルが提督としてのアベルに一番近しい人間なのだ。州知事長という提督と対等の立場であれど、ただそれだけの関係なんだという事実を、今更ながらにハウルは痛感したらしかった。
どんなに家督であるハウルやリッツ家の人間が、ライルをアベルから引き離そうと策略しても、今の彼は提督補佐官。
…この位置まで来るのに、どれほど苦労したのか。兄も皆も、ライルの覚悟を見くびり過ぎている。

……そう、彼を追って10年以上、だ。兄とアベルが付き合っているときから…。

それほどライルの思いは深かった。

アベルがどうハウルの事を思っていようが、実の血を分けた兄に関しては、弟である自分の方がよくわかっているつもりだ。
本当は自分をいつも押し隠して、自己完結するような小心者。
欲しいものを欲しい、と言えない、臆病者のくそ真面目な男。
……確かに洲知事長として優秀で適任なのは、若くして頂点に立った実績から、誰もが認める事だ。
有能な指導者。理想の家長。模範的な夫。自慢に値する息子。…きっと兄ならまるで判を押したような完璧な父親にもなるだろう。
………話し合って、納得して別れただって?
長い年月がそう思わせるんだろう、とライルは意地悪く思う。
兄は世間の正論を振りかざして、恋人を追い詰めたに違いない。
どういう話が二人の間にあったかは知らない。だが、その時のアベルの悲嘆な有様を、偶然目撃してしまったライルには、その言葉が虚偽に聞こえる。
兄も泣いていたが、その後、一人取り残されたアベルの嗚咽を堪えて泣き崩れている姿に、少年だったライルは心をえぐられる様な痛みを感じていた。
青年の頃のアベルは明るくて屈託も無い、きらきらと輝く金色の髪と同様、周りを照らす太陽のような人だった。その彼をライルはいつも眩しく見詰めていた。
その彼に陰鬱な空気が纏わり出したのは、やはりハウルと別れてからだ。
だからどうしても、ライルは身内という事も相まって、兄を良く思えなかった。
それ以上にアベルの口から、兄の良さなんか聞きたくも無かった。

ライルは目の前の恋しい相手に目を向けた。
自分でも呆れるくらい、この男に恋焦がれている。
ライルの夢は、ただアベルの恋人になるだけでなく、彼の手となり足となり、公私ともに彼を支える唯一の人間になる事だった。身体だけでない、魂からの深い結びつきを、生涯持ちたいと切に願ってきた。
ここまで懸命に追いかけ、やっとこの手にする事が出来ると思っていた矢先…。
ライルはぎゅ、と強く目を瞑った。
怒りが全身を駆け巡る。
なのに、たったひと月前にあったばかりの…しかも悪評高いふしだらな男と…!

彼の苦悩する悲痛な表情を、アベルは複雑な思いで見入っていた。
ライルに対する申し訳なさを感じながら、面立ちの似ている彼に、どうしても若き日のハウルと重ねてしまい、そんな自分に嫌気を感じていた。


そう、10年前のあの時も…。
ハウルは辛そうに目を固く閉じていた。
懸命に、湧き上がる感情を押し殺そうと戦っているかのように。
《お前の気持ちは…変わらないんだな?この俺が、結婚してもこのまま関係を続けたい、と望んでも》
その言葉で、堪えていた彼の目は見開かれ、大粒の涙が溢れた。
自分の行き場の無い感情を、どうしても抑え切れなくなった自分は、わざとそういう意地の悪い言い方をして…すぐに後悔した。
彼の澄んだ茶色を帯びた黒い瞳からはらはらと綺麗な涙が零れ落ちる。
アベルは我慢できなくて、つい、いつものように彼の頬から涙を掬い取るように指を走らせた。
幼い頃から共に過ごしてきたアベルにはわかり切っていた事だったのに。
結婚しても…関係を続ける事が出来るほど、ハウルは不誠実でも要領のいい奴でもない。
その真面目で、真っ直ぐな気質が好きだった。
派手な外見とは違って、意外に気難しくて無骨な自分をいつもサポートしてくれた。羽目を外す事が多い自分を、いつも優しく包んでくれる…。そんなハウルをアベルは幼い頃から愛してきたのだ。
嫡男のハウルが家督を継ぐ事は、初めからわかっていた事実だった。
恋に盲目だった二人だったが、今思うとどこかしらでいつかはこうして離れなければならない事を覚悟していたような気がする。
……責任感の強いハウルが、家や母親を捨ててまで、自分についてきてはくれないだろう、という思いも少なからずあった。
それ以上にハウルには、州知事長になる、とういう長年の夢があった。
荒波の頂点である州知事長と海軍提督。
この双璧の地位は、代々リッツ家、ゴツラ家、ジン家、という荒波三大豪族が奪い合ってきたものだ。
決定権は政府中枢の名誉役員達にあるが、その選定方法はあらゆる面で公平に、また本人の実力を元に選定されるのだ。
文字通り、選び抜かれた超エリートである、というのは誰しもが認めるところだ。
そうでなければ東で2番目に大きい荒波州を任せる事はできない。
もちろん、過去にその3大豪族以外に優れた人材がいれば、ただの官僚でも選ばれる事もある。だが、ほとんどはこの3大豪族の人間の誰かが選ばれるというのが多かった。
ハウルは、祖父の代からその地位を、他豪族に奪われていた事もあり、並々ならぬ執念があったのだ。

その為にハウルが血反吐を吐くほどの努力をしてきた事を、アベルはずっと知っていた。
彼が州知事長になる事…。それがいつしか、アベルの夢にもなっていたのだ。
その為にはきちんとした家庭を持ち、模範的な家督の長であった方が有利である事もわかっていた。

アベルは沈痛な面持ちで、ライルの顔から視線を外した。
ライルはハウルとの事をどう思っているのかわからないが、これは互いに自分達の未来の為に決めた事なのだ。
感情ではどんなに辛くても、アベルにはハウルの夢も将来も壊す考えはさらさらなかった。
それが正しかったと思ったのは、別れて一年も経たないうちに、彼が念願叶って史上最低年齢で洲知事長に任命された事を聞かされた時だった。
……もちろん、彼が他の人間と結婚して、自分がもう彼の傍にいる事ができないという虚無感は、実際に何年も引きずってはいたけれど。

アベルは考え込むようにして腕を組み、そのまま何気なく窓の外の景色を眺めた。
外はもうすでに薄暗くなってきていて、空にはちらほら星の姿が見え始めている。
そしてひと月前に久しぶりに会った、昔の恋人の事を思い出してみる。
事務的な事で書面や言葉を交わすのは多くても、個人的に話をしたのは、あの時が本当に何年かぶりだった。
…懐かしい痛み。
でも感傷はそれだけで、話せば昔の気安さがすぐに戻ってきたのに驚いた。
別れてからの長い年月は、いい意味で関係の変化をもたらしている、とアベルは解釈した。
それに元々が互いをよく知る幼馴染でもあったのだ。
互いに嫌いで別れたわけでもない。
州知事長と海軍提督。その双璧の立場で互いを支えあえる事で、彼との恋愛は昇華したという気すらしてくる。
彼との会話はただ懐かしくて、心地いいものだった。

ただ、その会話がライルの話題となってから、二人の間に流れる空気が怪しくなってきた。
それでも互いにいい大人であった二人は、それを押し隠し、常に冷静に話を続けていたのだが…。
結局、半ば彼と言い合いにもなって、アベルは思ってもみない行動を取る事になってしまったのだった。
それは彼への意地か、あてつけか。
それとも別の感情が働いたのか。
いつも沈着冷静に事を運ぶこの自分が、かなり感情的になっていたのは否定できない。
衝動的にあんな事をした自分が信じられなかった。

結果、悪名高き【姫胡蝶】が次の愛人として自分を選ぶとも…その時までは、全く思いもしなかった…。


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2011年10月12日 (水)

言い訳は次の日に…

ずびません…

本当にスミマセン…。

すぴぱるの方では、昨日のうちに言い訳する…とつぶやいておきながら、結局日付が変わってしまったぁぁぁ

何か体調不良と共に、忙しくて頭がところてんのようになっている今日このごろです…。
本日も、娘の運動会、頑張ってキマス…。(今年は平日なのよね…)

という訳で、♯162-①で、重大なミスを犯してしまったのは、頭がふにゃらけになっているせいかと…(恥)

ライル大佐を、ラウルとか中佐とか、間違えて書いていたあたり、ほんっとうに申し訳ありませんでした!
しかも文章の言い回しも(いつも酷いけど)今回は何故か輪をかけて酷すぎました…。
即効に手直しさせていただきましたが、まだ自分が気がつかない、変な所があるかもしれません。

くぅぅ…。もうすぐ2年経とうというのに、全く成長していない自分に嫌気が

そしてまたまた、お詫びをもうひとつ。
話が長くなる要因に、他キャラの描写が詳細過ぎる、というのは、自分でもわかっておりました。
多分、普通では本当に簡略して、数十行で済む場面を、回想とか諸々で、話を膨らませて書いております。(だから長くなる)
それが主格級のキャラだけでなく(かえって少ないかも)関わり合うキャラの方が多いような気がします。
本当は、それこそシンプルに、主格の二人を中心に物語を紡ぐ予定でありました。
だから目標は一年で完結、だったのです。

本来は、まずざっとしたプロットを立て、構成を組み立て、余分なものを削ぎ落とし、練りに練ってお話を書くのが普通です。主題は?何が言いたいか?わかり易いか?このエピは必要か?などなど…。全てはこうして公にする前に、自分の中で確立しておくものだと思います。
それを全て組み立てから、自分は作画という作業に取りかかるのがいつものパターンだったわけで、こうしてぶっつけに小説を書いていく作業自体、初めてのことでした。(散々言い訳しておりますが)
確かに公にする前の孤独な作業が長すぎて(やり直し練り直しばかりで)結局、満足にひとつの作品を完成させることがほとんどなかった、という所を、どうしても打破したかった…。
なので、こういう無謀な事を始めてしまったのですが、これによって書くのが楽しい、という気持ちになれたのは収穫でした。もちろん、それと同じくらいの苦しみもございますが…。

当初からお付き合いいただけている方々には多分、重々承知だと思いますが、このような経緯があって、こうし書かせていただいている事に感謝すると同時に、最後までこのような形で書かせていただきますことを、どうかお許しください。
…作品としては、完成度が低いものかもしれません。
暴走して話がそれてしまうことも度々あるでしょう…。
文章力だって整合性だって…ないかもしれませんが
それでも構想を立てた通りに完成させる、という目的のため、まだまだ続きそうなこのブログを、これからもよろしくお願い致します。
……本当は、この物語が終わったら、ココログをやめようかな、と思っていたのですけれど…。
一応今は、まだまだ、ここにいたいなぁ、と思っています。


それで、今書いている♯162、なんですけれど…。

実は、♯162-①で、トータル記事数、200になりました!

呟きなども入れて、こんな遠くまで来てしまったのですね…(遠い目)

もう最初の方の記事を探すのが辛くなってしまいましたよ。
ここまで自分が続くとは思ってもみなかったぁ。
あと、どのくらいで終わるのでしょうか。
最終パートを迎えようとしているのに、自分でもまだ検討つきません(…って!これってどうでしょ

実は、自分にとって山となる話があと二つくらい控えていて、それを書ききらねばこの章が終わらないのです。
そのため、この章は今までよりも、もっとも長い章になるであろうと推測されます。

……読んでくださっている方々には、長くなって本当にすみません……。
一年完結予定はどこに行ったんだ、という感じですが。


で、今ちょうど姫胡蝶カァラと荒波州提督アベルの話に突入しております。
本当は、アベルの過去なんて、本編で詳しく書くつもりはありませんでした。
いつか番外編でも…と思った内容ですが、そもそも、そんな彼らの背景を直前まで何も考えてもいなくて、このまま物語を進めようと思っていたのですが。
……何故か、このような展開になってしまいました…。
話を進めるうちに妄想が膨らんで、どうしても書きたくなってしまって。
これはセドの太陽編と同じなのですが、本編にとても関わりがあるけれど、省略しても大差ない、かもしれない話、だけど書きたい…。という独断だけで、急遽、荒波州のアベルのエピが入り込んでしまいました。
実際、スピンオフで書こうと思った内容です。
それをかいつまんで、本編に入れさせていただくことを、どうかお許しください。
CDでいえば、ボーナストラック?のようなもの、とお考えくだされば…。

このようにして、それぞれの登場人物にはあらゆる背景があって、似たシチュエーション もあるかもしれないですが、こうして人は生きている…というのが描ければなぁ、と。(そしてどんどん長くなる…)

それにしても、今気がつきましたが、……年の差カップルが多過ぎるんでは…と。
これって年上の男性に対する、自分の理想とあこがれ、が露呈したのでしょうか。うーん…。


ということで、ひさびさの落書き。
荒波州の人々


_convert_20111012002236


カァラとアベルのイメージがうまく描けません本当はカァラは歳相応に大人な姿なんですが…どうも自分が描くと十代に見える…。

上記のイラストは最初に描いたものなので、ライルとハウルのイメージも頭の中で全然違います。
どちらかというと、下のイラストの方が、イメージに近いです。

_convert_20111012002824


続きである次回は、そのアベル提督の過去話を少し書きます。

また色々と人物が増えて申し訳ありません。

早く別館も充実させたいと思っています…。


それから、先日からすぴぱる、というブログパーツにて、近況やらお知らせ(簡単なもの)をたまにつぶやかせていただいています。
そちらもよろしくお願いします。


kayan

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2011年10月10日 (月)

暁の明星 宵の流星 #162 その①


14.混沌


  おぼえているか?
  すべてはひとつだった。

  あらゆるものが混ざり合い
  入り込んで溶け合っている。

  形を成す前のこの状態は
  天地が開ける前の
  不分明であったこの世界と同じ。

  その果てで

  ……一体それは何になるのだろう…。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

ティアン元宰相が、南のガーフィン大帝を傷つけて逃走した話を聞いてから二日。

リンガ王女一行は、北の中央都市王都(ここは北の王宮がある首都である)にある、王宮ご用達の一番大きな宿に、その負傷している兄帝を見舞いに豪華な寝室の中にいた。
「よかった。兄君が思いの他、お元気そうで」
心底ほっとしたようにリンガは胸を撫で下ろした。
「まったく。大丈夫だからあれほど知らせぬようにと言ったのに」
と、機嫌悪そうに答えるガーフィンだが、内心嬉しそうだ。
「何を言っているの、兄君。知らせてくれなかったらわたくし恨んでいたところよ」
この目で確かめないうちは、気が動転して何も手につかなかいから、とリンガがそう言うと彼は珍しく笑った。
「ま、お前の顔を見たからか、熱は下がったし、あとしばらくしたら国にも帰れそうだ。
あまり主(あるじ)が留守になるのもよくないからな。
─ところで暁の件はどうだ?」
そこでリンガの代わりにモンゴネウラが、逐一大帝に今までの事を説明した。
もちろん、暁の明星─アムイの出生についても。
その話を聞くや、リンガが思っていたようにガーフィンは顔をしかめた。
「そうか。これは厄介な」
ガーフィンはそう呟くと、深く溜息をついた。
「我が国では宮司などが子を生(な)す事は認められてはいるが、それでも跡継ぎが必要な高位の者だけだ。
神職を営む者の子供は大陸では珍しくもないが、それが聖職者の子、となると随分…いや、かなり印象が違う。
子を生(な)すこと事態、大聖堂(オーン神教)では禁忌だからな。というか、神に操を捧げるという教義があるからには、男女、同性関わらず性の営み全てが聖職者にとって罪悪、だ。
修行に妨げになるから性交渉を自ら戒める、という大らかな他の大陸宗教、宗派とは根本的に意味が違う。……そのため聖職者というものは清廉高潔な存在という印象が大陸にある。
僧侶や神宮司には感じないが、一般に聖職者が人と通じること事態に背徳や嫌悪を持つ風潮すらある。
その子供となると…。贖罪を背負って生まれたという印象は拭えぬだろうな」
ガーフィンの話に一同声もなく頷いたが、しばらくしてドワーニが恐る恐る口を開いた。
「…という事は大帝、暁が贖罪の子として疎まれる存在とすれば、巫女の子と思われる宵の君はいかがなものでしょうか。
姫巫女、といったらオーン神教にとって、大げさに言えば神と等しい。
その巫女が人と通じ、その結果生まれた子というのは…」
ドワーニの問いにガーフィンはしばらく何かを考えていたが、モンゴネウラと目を合わせて微かに頷くと、ドワーニに顔を向けた。
「とにかく今までそんな前例はないし、他宗教の話だ。私とて判断に苦しむ所だが…。
ただ、言える事は、同じく背徳をもって生まれたとしても、巫女…しかも最高位姫巫女の子、となると存在は微妙なものだな」
「微妙」
「そうだ。確かに聖職者の子である暁も微妙といえばそうだが、それも大聖堂側がどう判断するかにも大きく関わる。が、最高位姫巫女の腹から生まれた子とは、かなり差があると思っていい。姫巫女の子は必然的に神の子である、と教義付けられる可能性があるからだ。
つまり、それだけ姫巫女という存在は大きい。彼女の言葉は神の言葉であり、紡がれ出づる言の葉は、神の子供同様であるとされる。彼女が生み出すものは全てが神の存在である…」
「だからその姫巫女から生まれたという事は…教義からすれば神に等しい存在と考えられても不思議じゃない」
大帝の言葉を受けて、モンゴネウラがそう説明した。
「神の子…」
呆然と呟くドワーニに、ガーフィン大帝はさらに付け加えた。
「しかも恐ろしい事に、種がただの人間ではないのがミソだ。神の子孫とされる神王の直系筋とはな。
それが世間にどう受け入れられるか。
大聖堂とて無下にできぬだろうし、単純に贖罪の子とできるわけもない。
天から使わされた神の化身、と思われたって仕方ない。その過程が神を裏切り、侮る行為の末に出来た結果だとしても、だ」
そこでガーフィンはひとつ溜息を付くと、感慨深げに呟いた。

「【宵の流星】…セド王国最後の秘宝の鍵を握るに相応しいほどの驚愕な生まれとはな。
あのティアンが何十年も執拗に追いかけている理由の一つがわかったような気がする」


結局リンガ達はその足で再びアムイ達の行方を追う事にした。
リンガも、供として付いてきているモンゴネウラとドワーニの二人も、当初より少しずつ気持ちが変化していた。
初めはリンガの私情で、アムイを手にするだけの気持ちでここまで来ていた。
が、今はそれだけでない。
段々と明らかになる暁と宵の二人の真実に、リンガも今までのように単純な気持ちだけでいられなくなっていた。
……これは、自分の身だけでなく、大陸全土も揺るがす事実。
神にも等しい存在であるという事は、宵が天下を取る可能性が高い事を意味する。
兄大帝やモンゴネウラの見解通り、宵が力を蓄える前に、早くから己のものにしたがるティアンの思惑同様、こぞって彼を今のうちに手に入れようとする輩が数多出てくるであろう。…多分、暁はその宵を守るためにずっと幼い頃から寄り添っていたのだと考えられる。ならば、リンガはどうしたらよいだろうか?
もうこれは個人の恋慕の話だけでなくなってきている。
自分が南の王女だという立場が、これからの二人の動向によって大きく揺るがされる可能性も出てきたのだ。
薄々は感じていたけれど…。
馬を走らせながらリンガは暗澹たる気持ちで唇を噛んだ。
初めて出会ったときに彼女を魅了した、惹き込まれそうなアムイの黒い瞳が脳裏に甦り、リンガの胸を締め付けた。
心に傷を負って、懸命にそれを隠して生きているように見えた、一人の若い男。
威嚇して人を寄せ付けない様(さま)に、リンガの何かが呼び起こされた。
自分の思い通りにならない苛立ち?それとも母性本能からくる構いたい気持ち?
最初はそうだったかもしれない。ソデにされたという意地もあったと思う。
でも久しぶりに会ったアムイは、自分が思った以上に大人の男に成長していて、その寡黙で人を寄せ付けない様が、かえって彼を官能的に見せているのに衝撃を受けた。しかも自分以外の女と通じていたという事実に、リンガははっきりと自分の気持ちが今までと違うものであると気が付いた。
今は形振り構わずアムイが欲しい。この激情が何処から来るのか、リンガには計り知れない。
何故なら、こんな気持ちになる事は初めての事だったからだ。
翻弄される自分にも苦笑するが、いわく的な因縁のある相手だったという事にも、彼の生まれも、リンガにとって初めての衝撃だった。ここは気を引き締めて取り組まないと、本当に身を滅ぼしかねない。
その上、もうすでに引く事ができないところまできていた。
自分の気持ちに折り合いをつけるまでは、リンガはアムイを追い続けるだろう。


後方で彼女を見守る二人の護衛は、彼女を守る使命と別に、大帝から宵と暁の動向で気になった事を逐一報告するようにと命じられていた。できれば宵の君への接触も含め、ティアンの手に渡る前に、南と何かしらの繋がりを持てれば、という思惑だ。ティアンのように無理にでも【宵の流星】を強奪しようとすればできなくないが、このような出生の秘密を聞いた後では、慎重に事を運ばざるを得なくなったのである。
特に南の国は東の南端にあるオーンの島と近しい。オーンの天空飛来大聖堂とできれば不味い関係にはできればなりたくなかった。
モンゴネウラは王女と南の国の行く末を懸念し、ドワーニは今は無き東のセド王国…特にその時の王子と彼を命掛けで守護していた東の将軍に思いを馳せていた。
気が付くと、あれから20年以上の時が経っていた。ドワーニは今更ながら、時の流れの早さに胸を詰まらせる。

それぞれの思いが交差しつつ、三人は隠密と示し合わせた村の宿まで、一心不乱に馬を走らせていた。

.........................................................................................................................................................


一方、アムイとのやり取りで不本意に逃げ帰ってきたカァラは、ずっと苛立ったまま、普段の彼とは全く違う振る舞いで周りを驚かせていた。
いつもなら優雅で微笑を絶やさず、余裕のある振る舞いで周囲を魅了している彼だったのだが、明け方に宿に戻ってくるなり、苛立つ様子を隠す事も無く部屋に閉じ篭った。
乱暴な言葉と態度で周囲に当り散らす様は、よほど彼が動揺し、憤っているという事がわかる。
周りの者ですら驚いたのだから、彼の主人でもある東の荒波州海軍提督アベルも、いつもと違うカァラの様子に面食らっていた。
だが、そこは海軍提督。一通りカァラと話をした後、自分の懸念をぐっと収め、アベルはまたいつもと変わらぬ態度に戻り、一人通常通りに応接間で机上の仕事をこなしていた。
いくら’東統一の鍵を追う‘という名目があるとはいえ、州知事長と同位の提督が、ずっと本州を離れているのは無謀でもあった。
たとえ自分の腹心の部下でもある士官に任せてきたとしても、重要機密に関する事だけは、提督である自分がしなければならなかった。
これ幸い、定期的に送られる書類に没頭すれば、皮肉な事に、自分を翻弄するカァラの挙動すらも忘れる事ができた。

その当のカァラはよほどの事があったらしく、食欲も無く、ずっと寝所で臥せってばかりだ。
アベルが何度問いただしても、宥めても、彼の苛立ちは納まらないようで、仕方なくアベルは彼から離れなければならなかった。
初めて見るカァラの激情に駆られている姿に、アベル自身の中で、不思議な感情が芽生えている事に気が付いた。
身体だけの繋がりではない、何か。
いつの間にか、カァラにこれほどまでの影響を受けている自分に、アベルは少々呆然としていた。
冷徹だと囁かれるほど、今まで自分の意のままにコントロールして人生を送ってきたこの自分が。
いや、とアベルはかぶりを振った。
昔、若い頃に一つだけ、自分が思うとおりにならなかった事実があったのを思い出した。
それを含めると2度目の心境だな、とアベルは自嘲した。
【姫胡蝶】と呼ばれている男に対する気持ちが、まやかしなのか真実なのか…。
自分自身がわからなくなるなんて、と、苦い面持ちで舌打ちする。このような感情に陥ること事態、彼には珍しい事だ。


…暁と宵の間で、何があったのだろうか…。
その件もあって、提督としても早急にカァラに問いたださなくてはいけないというのに…。

だが、今のアベルはそういう心境に何故かなれず、カァラが自分を取り戻すまで、そっとしておいてあげたい気持ちが大きかった。今までの自分ならば、そのようなまだるっこしい事など絶対にしなかったのに。

もう少し様子を見るか…。

そうアベルが小さく溜息を付いた時だ。
「提督閣下」
突然扉を叩く音がして、部下が自分を呼んだ。
「どうした?何かあったか」
その声に部下である軍曹が恭しく部屋に入ると、敬礼しながらアベルに告げた。
「実は、ライル大佐がいらっしゃいまして…」
「何だと?」
思わぬ名前に、アベルの声が珍しく大きくなった。
「本州に何かあったのか?
ライルには本州に残してきた将官の補佐をしろと命じていた筈だ。
…職務を離れてこの俺に会いに来るとは…」
アベルの困惑を隠しきれないままに、その当のライル大佐という若い男が、本人の応対を待たずして部屋に入ってきた。
「お久しぶりです、提督閣下」
凛とした声と佇まい。すっきりとして細身ではあるが筋肉質な体躯と、精悍な男らしい顔立ち。
短い赤味がかった茶髪は、綺麗になで上げられ、隙の無い身のこなしは彼の育ちの良さを露呈している。
アベルとはまた違った美男将校に、扉を開けた軍曹も見惚れている。
彼は無表情ではあったが、その目に苛立ちの色が見て取れて、アベルは眉間にしわを寄せた。
「緊急の用か、ライル。お前がわざわざこんな北の地まで来るなんて…」
「僕が来たら、何か不都合でもおありでしょうか」
彼の言葉に棘があるのを感じて、アベルは吐息を漏らして自分の椅子に腰を下ろした。
「そんな事はないが、俺が本州を離れている間は、俺の佐官(右腕)であるお前とジウ中将に任せてきたのだ。
…連絡もなしに現れれば、何か緊急の用だと思うだろう」
内心苛付いてはいたが、いつものようにアベルは淡々と言った。
ライルはピクリと片眉を上げると、形ばかりの敬礼をするとこう言った。
「本州の事はご心配なきように。
これは州知事長の意向もあって、僕が直々提督に会いに来ただけです」
「ハウル…いや、州知事が?」
これまた久しぶりな人物の名を聞いて、アベルの胸に小さな鈍い痛みが走った。
最後に会ったのはいつだったろう。ほとんどが海の上での生活が多かったアベルは、陸での政(まつりごと)は若き州知事長に全て任せきりだった。
ああ、そうか。最後に会ったのは…【宵の流星】キイ・ルセイの存在が明かされた日だ。
久方に見る彼の優しい瞳と、艶やかな黒い髪を思い出して一瞬心が震えた。
だが、それだけだった。彼とはすでに終わってしまった、甘美で苦い…若き日の思い出の幻想に過ぎない。
心の変化は一瞬の事で、すぐに感情を押し込め、何事もなかったように事務的にアベルは話を進めた。
「これは、どういう事かな?軍事的な部分はこの俺が任されている筈だが、何かそれに関する政(まつりごと)で困った事でもあったか、それとも…」
挑むようなラウルの視線を受け止めながら、アベルはゆっくりと問うた。
「個人的なお咎めか?」
その言葉に、ライルは息を吸った。
身に覚えがあるアベルにしてみれば、いつかはこの事で、州の方から牽制がくるであろうと思っていた。
やはり、とアベルは溜息を付きながら、荒波州知事長であるハウル=リッサの物憂げで美しい横顔を再び思い出していた。
「…それもございますが、まず、祝事から。
州知事にご嫡男が誕生されました。…ですから我が本州は今は祝祭ムードで、何も問題はありません」
探るようなライルの瞳に苦笑しながらも、そうか、と小さく呟き、気持ちを入れ替えて目の前の男に満面の笑顔を見せた。
「それはよかった。お前も甥が出来てさぞかし嬉しいだろう」
アベルとしては、本心で言った言葉であったが、ライルはいぶかしんで目を細めた。
それが何を意図しているかは、アベルにはわかりきっていた事だった。
ライル大佐の、その何か言いたそうな顔が、ハウル現州知事長とよく似ていた。やはりこの二人は兄弟なんだと、今更ながらにアベルは実感した。ハウルの若い頃の面差しを持つ目の前の青年将校に、アベルの胸中に再び甘い痛みが襲った。

……若い頃、これ以上ない、というほどの激しい恋だった…。
しかもハウルと自分の偲んだ恋は、ハウルの弟であるライルにはばれていて、彼は幼少から自分達をずっと近くで見て知っていた。
そのうちハウルの父君が亡くなって、彼が妻を娶り、家督を継がなくてはならなくなった時、互いに話し合って綺麗に別れたのだ。
今まで自分の欲しいものを難なく手にしてきたアベルが、人生で唯一思うようにならなかった事、それはの若き日のハウルとの恋愛だった。
そこでアベルは自分の気持ちと折り合いをつける、という事を学んだ気がする。
彼と別れ、しばらく自由奔放な恋に身を任せていたのはその反動だった。
決して恋に溺れない。相手に執着を見せない。…そうといっても、アベルの性格上、そのような付き合いでも相手には誠意を持って接していた。が、提督に任命されてからは益々多忙を極め、一晩限りの付き合いが多くなり、いつの間にか再び一人の相手とじっくり恋愛するのがおっくうな年齢になっていた。
そんな時、昔の恋人の面影を宿したライルが、立派な青年となって海軍に入り、自分の目の前に現れたのだ。

アベルは複雑な思いで精悍なライルの顔を正面から見据えた。
実は彼にわずかな罪悪感がある…。
それは、一度は彼と人生を共にしてもいいと思っていた時期があったからだった。

大人になったライルはアベルの理想のパートナーに見合うほどに成長していた。
後からこっそりと、自分に釣り合うため、血が滲むほどの努力をしたと聞かされた時には、彼の容貌も相まって、愛しい気持ちになったものだ。
もちろん、部下である彼に手を出す事は、提督としての倫理が問われると悩んだが、彼が自分の右腕としてなくてはならない存在になるにつれ、そして彼の情熱に押し切られるような形で一線を越えた付き合いを数回してしまった、という経緯があった。
アベルとしては、多数と不毛な関係を続けるよりは、年貢の納め時として、生涯のパートナーとしてライルを受け入れようか、と思い悩んでいた矢先だった。 
不覚にも元恋人の弟ではあったが、彼は一生自分についていく、と可愛い事も言ってくれていた。
……だが……。

「もうひとつは、忠告に参りました、閣下」
ライルの引き締まった口元から、思い詰めたような言葉が洩れた。
(来たか)
アベルも気持ちを引き締める。
「……州知事長もご心配されております、その…」
「胡蝶の事だろ?」
ライルが言うよりも先に、アベルはズバリと言った。
その名にライルはぐっと言葉を飲み込んだ。
「…帰って知事にお伝えしろ。…心配するような事はございません、と」
そのアベルの言葉に、ラウルは思わずかっとして叫んだ。
「心配するような事が、ない、と!?
本当にそう言い切れますか、閣下!」
そう憤るライルの目に悔し涙が光っているのを、アベルは沈痛な思いで見詰めていた。


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2011年10月 2日 (日)

暁の明星 宵の流星 #161 その②

夜通し山をあちこちとさすらい、夜も空けて鳥が鳴き始める頃、やっと四人は下山し、麓に着いた。
そこで半日歩いた宿場町で、昂老人とリシュオン達と合流し、今、やっと小さな宿に身を潜められたのだ。
だが次の潜伏先を準備しに、リシュオンと彼の兵士達はここには泊まらず、一足先に宿を出て行く事になった。
「大丈夫か?こんな強行軍で」
心配したアムイが、馬に乗ろうとするリシュオンにこう言った。
「大丈夫。気にしないで、今晩はゆっくり寝台で休んでください。
アムイは少しでも養生した方がいい」
全く疲れを感じさせない爽やかな笑みを向けて、彼はそのまま兵を引き連れて去って行った。
心苦しさをキイとアムイは彼に向けてはいたけれど、当のリシュオンは将来この大陸を背負う事になるかもしれない重要人物の力になれる事に、心が躍っていた。
自分のできることなら何でもしよう…。
リシュオンは久々に、自分が燃えているのを実感していた。
見かけによらず、彼は根っからの開拓精神の塊だったようである。
 

疲れた身体を休めるために、それぞれ部屋に入って夜半。
キイとアムイは同室で、久々の寝台には目もくれず、ずっと床に腰を下ろし、それぞれの話に夢中になっていた。
互いに離れていた頃の、互いの話。
尽きる事のない、二人の空白を埋めるがごとくの時間。
アムイが獄界での、うっすらとした記憶の糸を手繰り、父アマトの霊との交流をキイに話し始めた時だった。

「本当、化け物の弟はやっぱり化け物だったわ」
半ば感心しながら、突然シータはアムイとキイのいる部屋にやってきた。
「何だ、その化け物ってーのは」
アムイがぶすっとして、入ってくるシータに口を尖らせた。
どうやらアムイも少し調子が戻ってきたらしい。文句を言うアムイに、シータはそっと笑みを漏らした。
それでもたまに心あらず、というように、ぼうっとする事も度々あり、そういう時はまだ向こうの世界に心が行ってしまっている様で、周囲を不安にさせてはいたが、体力的には問題ない感じだ。
「だってねぇ。キイもそうだったけど、アンタなんかひと月近くも臥せっていて、しかも昨日まで仮死状態だったのよ?一度死んだも同然じゃん。なのに、どうしてそう簡単に立って歩いちゃうわけよ?しかも山を早足で下りるなんて芸当、よくできるわねぇ。
……やっぱ、化け物の弟は化け物だ、としか言いようないじゃないの」
シータは腰に手をやって、わざとツン、と顎を突き出して言った。
「化け物って…。そりゃ俺のことかよ、おっかさん」
こめかみをピクピクさせて、キイは睨み上げるようにしてシータに振り向いた。
「誰がおっかさん…」
対するシータも頬をひくつかせながら、床に胡坐をかいて頭から湯気を出している男を見下ろした。
「まぁまぁ、んな小さな事で争わない、争わない。
そっ、それよりもシータは何か用があって来たんだろ?」
昔からこうやって、些細な事でよくキイとシータのいがみ合いを見てきたアムイにとっては、つい、条件反射に流れを変えようとする癖が出てしまう。ついさっきまで自分もシータに文句を言っていたとしてもだ。長年培われた習性はなかなか抜けきれない。
案外もっと食い下がるかと思ったが、意外とシータはコロッと態度を変えた。
「うん、アムイ、実はアンタに…」
突如、神妙な面持ちになったシータに、アムイは首をかしげるように彼を見上げた。
シータはするっとアムイとキイが座っている床に同じように両膝を付くと、懐から白い布にくるまれた小さな包みを取り出した。
「それは…?」
アムイが不思議そうにシータを見る。
その包みを見て、キイが息を詰めた。
シータは大事そうにその包みをアムイに差し出す。
アムイは思わずその包みを手に取った。
「…これ、アンタが復活したら、渡そうと思っていたの」
シータはそう言って目を伏せた。思わずちらりとキイのほうを見ると、やはりキイも同じような表情で俯いていた。
何かがアムイの胸をざわめかせた。
「…サクちゃんの遺品よ…」
多分そうであろう、と推察したとおりの言葉がシータから発せられて、アムイは息を吸い込んだ。
掌に乗るくらいの、小さな包み。
アムイは震える手で、その白い布を開いていく。

……布の上には、小さな白い小瓶と、片方だけの耳飾りが乗っていた。
「サクヤ…」
思わずその名を声に出す。辛くても、彼の最期の場面が甦る。
切ない思いが交差する。
やはり生きて傍にいて欲しかった。
血肉の通う存在として、共に生きる事ができたなら。
そうしたらあいつと、色んな場所に行って、様々な物を一緒に見よう。
約束した雪。
もう一度桜花に行って見事な桜を堪能してもいい。
生きていたら自分が身に付けた全ての技を伝授して…。
だがもう、それは叶う事のない夢である。
「…キイから聞いていると思うけど、毒素が酷くて、骨も残せなかったの…。
だからせめて、灰だけでもと思って」
アムイは小さな白い瓶を手でそっと触れた。
「その灰は俺が浄化した。…そうしないと、基本穢れ人の遺品を人の手には渡せないからな…。
ほら、その片方の…」
キイがそう言い終わらぬうちに、アムイは耳飾りを手にした。
「これもキイが浄化してくれたのか?」
「ああ」
そっと震える指で、その小さい耳飾りをつまんでじっと見詰める。
銀の土台に珍しい輝石…。セドの守護石“女神の涙”が指の間で小さく煌いた。
「ありがとう」
アムイはそう言うのが精一杯だった。
彼はおもむろに白い包みを床に置くと、空いた手で左耳から自分の耳飾りをはずし、代わりにサクヤの形見をその耳に取り付けた。
その滑らかな一連の動作を、キイとシータは黙って見守っていた。
二人の沈痛な面持ちに気が付いて、アムイはふっと笑った。
「…これを残してくれて本当にありがとう…。これでいつでもあいつと話せる。
…おい、二人とも、そんな顔するなよ。俺は大丈夫だから」
「アムイ…」
シータは何か言いかけて止めた。思いのほかアムイの顔が晴々していたからだ。
「そう…。お前達には話しておこうと思ったんだけど」
アムイは二人に獄界でサクヤに助けてもらった事を語り出した。
そして、彼が自分のために今も世界の結び目で、見張り役を買って出てくれている事も説明した。
「そうか…!サクヤが境目の門番となってくれているのか!」
キイは驚きを隠せないでそう言った。
「そうなの!…よかったね。そう、サクちゃんが死後アンタの守護にまわってくれたんだ…。
アタシも薄々感じていたけど、アンタあっちの世界から戻ってから、かなりそういうのと繋がりやすくなっていない?
気を抜くと悪しきものにやられやしないか、実の所、心配していたのよ」
「うん、感じやすいのはいいが、あまりあちらと通じやすくなるのも良し悪しだからな。
特に今生、やらねばならない事が多いのに、それに邪魔されちゃかなわない。
サクヤが境目でその見張りをしてくれているのなら、安心だ」
安堵で微笑む二人の顔を見て、アムイもほっとして頷いた。
確かに向こうの世界から戻ってきて、アムイはそういう目に見えない世界と通じやすくなって、その存在を感じやすくなっていた。だからたまにあちらの世界と繋がってしまい、ぼうっとしてしまうのは、まだ抜けきっていないからだと思っていた。
だが、時間が経ってその感覚が少なくなるにつれ、代わりに別の感覚がはっきりとしてきた。
自分は守られている、という感覚。
その中にサクヤの気配がある事を、アムイは気が付いていた。
生前サクヤが思い入れていた品を身に着けている事で、彼の存在を確かなものにできる。
「……そうか、彼はいつもお前と共にいるんだな…。多分、お前がこの世を去るまで」
「………」
しんみりとした沈黙が三人を包んだ。
そうしてしばらくの間彼らは、一人別世界に旅立った仲間を想って目を閉じた。


........................................................................................................................................................................


「爺さん、本当に感謝する。…サクヤの荼毘(だび)といい、俺の身体の管理といい、色々と世話になっちまって」
次の目的地である港町に向かう道すがら、アムイは昂老人と肩を並べながら彼に感謝の意を述べた。
ほぼ時間を押しての強行軍な為に、まだゆっくり昂老人と話をする機会に恵まれていなかったのだ。
「いやいや、礼には及ばんよ。
それよりも、わしの作った滋養の薬はなかなか効いた様じゃな」
「ああ。お陰様でこうして動いても力が落ちない。
仮死状態だった俺がこうして普通にできるのも、全て爺さんの処置のお陰さ」
実はアムイが仮死状態に陥った時、万が一、何か起こってもすぐに動けるようにと、目が覚めても筋力が普通の状態でいられるよう、昂老人が配合した秘薬を身体に施しておいてくれていたのだ。
シータは大げさにアムイを化け物とか言っていたが、何のことはない、こういう年長の知恵と技術に助けられて、アムイの回復が早まっただけである。本当にこのご老人が傍にいてくれて良かった。
言葉では言い尽くせないほどの恩義を感じてやまないくらいだ。
アムイは幼い頃、この老人と会った事があるらしいが、不思議と忘れていた。
ただ、最近、昂老人の傍にいると、育ての親であった竜虎様と一緒にいるような懐かしさを感じて、胸が切なくなる時がある。昂老人と竜虎様は、無二の親友だったと聞く。
キイと二人、どれだけ彼らの世話になってきたか、アムイはしみじみそう思いめぐらした。

一行は地味なマントに身を包み、乗っている馬を西に向かって走らせていた。
リシュオンの停船している港は、少し進行方向逆に戻った所にあった。
港町に着いても、船に乗るまでは慎重に行動しなければならない。
すでに強い海軍を持つ、東の荒波州提督の愛妾であるカァラに、アムイの存在を確認されてしまっている。
彼らは注意深く、目的地に進まざるを得なかった。
とにかく船の準備が整うまで、数日は港町で足止めされるのを覚悟しなければならない。
その最初の停泊場所として、今、リシュオンは港町に入る手前で潜伏できるような宿を用意しに行ったのだった。
これから細かく移動しながら、準備整い次第に船に乗り込み、一気に北を脱出する計画だった。

船に無事、乗り込めれば…。

誰もがそう考えていた。

だが、アムイ達はまだ知らない。
あのティアンがもの凄い執念でもって、彼らを追い込もうとしているなどと。

実はリシュオンの船がある港から、東寄りにあるかなり大きな港には、無国籍風の大型船が着港しようとしていた。
見るからに最新型の船。一見、豪華な王侯貴族仕様の船であるが、実はそれは表の姿であった。
実際は最新型の戦闘装備がされている軍艦だ。
だが、それはどの国のものとは明確にされていない、完全な私設軍隊の戦艦だった。
これなら何処の領域でも、いざとなったら無敵であろう。
その船がティアンの持ち物であるとは、誰もが想像していない事であった。
「ティアン様」
今その船が入港しようとするのを、波止場で見守るティアンに声をかける者がいた。
「ご苦労だったな、ロディ。やっと長年の計画を実行できる」
ロディと呼ばれた男は、紺色の長いマントに身を包み、年齢は見るからに若そうだった。
風になびく肩までの黒い髪が、その若い男の整った能面のような顔を引き立てていた。切れ長の双眸は無表情で、本当に血の通った人間なのかと疑いそうだ。
「ロディ、ゴルバ、本当によくやった。
あの南軍からよくぞ私を救い出してくれたもんだ」
満足そうにティアンは笑うと、後方に控える二人に振り向いた。
ロディ、という若い男と、ゴルバと呼ばれた老齢の大男だ。
老齢といっても、彼の姿には見るからに百戦錬磨のつわものという証が顔だけでなく、体中に刻まれている。
「我々はこの時をずっと待ち望んでおりました。やっと動けて嬉しい限りです」
ゴルバがそう言うと、淡々とした口調でロディが言った。
「南の大帝軍というから、覚悟していましたけどね、我が私設軍の敵ではありませんでした」
隣のゴルバが彼の言葉に不敵な笑を浮かべると、船を見上げて話を変えた。
「では、この船に宵の君をご招待すればよろしいわけですね。
…難色を示されたとしても、力づくでもお迎えせねばなりますまい」
ゴルバの有無を言わさぬ声色に、ロディは口の端だけを上げた。どうやら笑っているらしい。
「楽しみです、ティアン様。やっと神の力を目の当たりにできるチャンスがやってきたのですね」
ロディの言葉に、ティアンも口元を緩ませる。
「そう、だ。この美麗な船にはあの美しい宵がよく似合う。その様に設計した。
この船こそ、これから私の組織の真の拠点となろう。
…その為に、長年研究し、人と金を集め、長い間準備してきたのだ。
この私と、美しい宵。神の力を制し、大陸を凌駕する為に」
うっとりと船を見上げるティアンの隣で、側近のチモンの興奮したような声が響く。
「ああ…、何て待ち遠しい事でしょうか!
ようやく神の力をこの手にする事ができる。
ティアン様がその力を充分に発揮される所を、早く見たいものでございます。
ねぇ、ロディ様!やっと我々の念願が叶う時がきたのでございますねぇ」
ティアンに向けていた、恍惚とした眼差しをそのまま後ろのロディに向ける。
「まだ油断は禁物だ、チモン。最後まで気を抜いてはいけない」
ロディの硬い声に、チモンは赤くなって俯いた。
「確かにそうだ、チモン。ロディの言うとおり、まだ気を緩めてはならぬ。
キイをこの手にしてこそ、だ」
と、ティアンは目を細め、ニヤリとしながらロディの顔を見詰めた。
「ロディよ、さすが我が甥だ。お前には幼い頃から私の気術の全てを叩き込んでおる。
お前の働き、楽しみにしておるぞ」
「ええ。お任せ下さい」
ロディは再び、端正な顔を能面のようにして、深々とティアンに頭を下げた。

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