暁の明星 宵の流星 #163 その①
紺碧の青い海。豊かな漁港。
西の表門、東の裏門と呼ばれるように、ほぼ東の海岸の半分を領土とする荒波州は、西の国ルジャンに次いで海運の発展している州である。東にも大小いくつかの州と村があれど、一番大きい州である風砂(ふうさ)よりも力が強いとされているのは、ひとえに強靭な海軍を持っているからだといわれる。
大陸の表門と称される西のルジャンは、文字通り外大陸に一番近い港と言われるだけあって、他大陸との貿易が盛んな国だ。
裏門と称される荒波は、西の国よりは規模は小さいが、裏門とされるだけあって、大陸の第二の出入り口とも言われ、西ほどの規模ではないが、大陸で外大陸と交易をする船が出入りを許されている港を持っていた。それに加えて強靭な海軍。荒波が大陸でひそかに注目されているのはこういう訳があった。
セドの国が無ければ、実力からして荒波が東の主導権を握るだろう、とも噂されていたほどで、事実、長年東の権力を狙って、幾度もセドを攻撃した州であった。もちろん、この荒波だけがセドを狙っていた訳ではないが、名前の通り、強気で荒くれている、というイメージがあるのは、このせいである。
実際、セドが滅び、東の実権は荒波に移るとも思われたが、かえって、東が混沌とした様になってしまったのは、他州が黙って彼らに従う訳がなく、各地で小競り合いが同時に起こった事にあった。
大陸の中で一番広大な面積を持つ東の多くの州村の中で、まともな政府を持っていたのは、風砂、荒波、緑森(ろくしん)、清流(せいりゅう)という有力な四州くらいだ。そのお陰でこの四州だけが、かろうじて己の州の治安を、各々に保つ事ができたのだった。
だが、他は見るも無残に荒れ果ててしまった。
ここぞとばかりの他国の干渉、流れ者の賊が増え村を襲った。東を統一する以前に、突如として荒れてしまった広大な国を立て直すにはどの州も力が不足していた。己の州だけを守るのに必死で、互いに一つに協力しようとするも、互いが譲らず、結局セドが統治していた以前と同じく内部分裂してしまっていた。
(広大な東の国には、独特の自治権を持つ、聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)や神国オーンなどがあるが、それらは東にあっても、全く別の存在である事から、東の崩壊に影響されなかった稀有な場所であるとされる)
このような状態に陥って東の民は、滅んだセド王国の偉大さを、今更ながらに身を持って知ったのだった。
だからその国の…特に王族、神王の直系が生き残っていた、という事実は、東の民を興奮させるのに充分な話であった。
さて、その東で今一番力が強いとされているのは荒波州であるが、昔からの評判以上に、この数年で益々力をつけてきているのは、十年ほど前に若い知事が、その数年後に同じく若い海軍提督が、荒波の実権を握ったからだと言われている。
この二人の若い有能な統治者が、荒くれたイメージの荒波を打破し、強固たる国づくりを始めているという話は、東のみならず、東の動向を探る他国も注目していた。
特に荒波の提督は、任命されてから一年も経たずに海軍を強化し、次々と伝説を作った男、として、その名を馳せていた。
東の軍神、アベル提督。
その彼がここ、中央国で中立の立場であるゲウラに姿を現すと聞いて、興味を持っている者達が色めき立っていた。
人の噂も人の評判も、意外と実際とは多少異なっていたりするものだ…。
東で散々【暁の明星】と【宵の流星】の噂が尾ひれついて出回っていたのと同様、この軍神アベルの噂も、かなり違った方向で誇張されていた。
冷酷で、惨忍で、まるで鬼神のごとく容赦の無い恐ろしい男…。
それも無理はない。
彼が提督に昇任するきっかけになったのは、東海域のみならず、他国にも害をなす、大陸一凶暴な海賊一団を容赦なく叩き潰したという実績からだった。
自分達の海域から、とことん賊を追い出し、がっちりと海軍を強化し、その上他国からの干渉も攻撃も一切受け付けなくさせたのも、アベル=ジンの功績が大きい。提督となっても、彼の相手に対する容赦ない戦略は相変わらずで、鋼鉄の防波堤、と荒波海軍が称されるには時間がかからなかった。
故に彼の評価は、その恐ろしさばかりが誇張され、やれ残忍だ、冷徹だ、果てはかなり屈強で、威圧感のある強面な大男らしい、などという勝手な解釈をされた噂が、あっという間に全土に広まって行ったのだった。
当の本人は、これも他州他国への牽制になる、と言って面白がっていたが、さすがに中立国ゲウラでは、社交場ということもあり、諸外国の人間を萎縮させるような冷淡な態度にならないよう、愛想くらい振りまいて欲しいなどと、洲知事長や補佐官に懇願されていた。
結果的にそれが、噂が撤回され、周囲の人間の印象を塗り替えるには、充分過ぎるほどの好印象をもたらす事になるのであるが。
残暑も厳しい初秋のある日。あらゆる国の要人が一堂に集まる唯一の場所、中立を保つゲウラの国で、その日はとんでもない人間がとてつもない発表するとかで、会場であるゲウラ元宮殿の大広間はごった返していた。
東の国に関する重要な公式発表とかで、東の国の全ての要人を中心に集められた以外に、希望者だけであるが他国の王侯貴族や要人も、こぞってその場にやって来ていた。
主催する側が東の国ではなく、ここ中立国でその場を設けた事…それはひとえに無駄な争いを避けたかった事に他ならない。各国が互いの身の安全を確保でき、穏便に交渉できる場所、それはこの中立国以外、適した場所がなかったからである。
もちろん盛大な宴と共に、“とてつもない公表”という目玉以外では、各国の社交場と化すのはいつもの事であったが…。
そのような場所に、東の荒波州の知事長と海軍提督の双璧の二人が、就任して初めて姿を現すという事で、他州、他村、各国の要人の興味は、公表というイベントの次に向けられていたのだ。
どんな屈強で恐ろしい男が、あの噂の提督なのだろうか?
人々の怖い者見たさの好奇心は、荒波の双璧が現れた時点で、驚きに変わった。
実際に現れた荒波の双璧は、周囲の空気を一変させるほど、煌びやかな存在であった。
二人ともすらりとして背が高く、身のこなしも上品で、しかも若くてかなりの男前だ。
州知事長という男は、非の打ち所の無い整った顔立ちをして、穏やかに微笑む様(さま)は、まるで慈悲深き聖人のようであった。だが、最初に人々の目が一斉に惹き付けられたのは、もう片方で佇んでいる、金髪の男の圧倒的な存在だった。
東の国には珍しい明るい金髪は一つに束ねられ、隣にいる州知事長よりも整っているというわけではないが、端正な顔に人を惹きつける様な魅力的な表情を浮かべ、特にその中で、まるで宝石のように輝く、これまた東の人間には珍しい真っ青な瞳が、その男の強烈な引力となっていた。州知事長と同じく穏やかな態度を装っていても、男の威圧感は群を抜きんでて、見るからに只者でない雰囲気を醸し出していた。
……まさか、この華やかで魅力的な男が、冷徹で残忍という噂の荒波の軍神、アベル=ジン提督…?
各王侯貴族、要人が、驚きの余り唖然とてしまったのは、無理もない事である。
当のアベルは、提督就任して初めてこのような大掛かりな社交場に出席したという事もあって、珍しく緊張していた。傍目からは全くその様子は窺えないが、昔馴染みであるハウルには、手に取るようにわかっていた。
「リラックスしろ、アベル。笑顔が引きつっている」
隣で笑みを崩さず、小声で囁きながら、ハウルはアベルのわき腹を小突いた。
「…すまん、こういう場は苦手なんだ…」
ポツリと呟くアベルに、ハウルは昔同様、親しみある笑いを含んだ声で答える。
「はは。お前は昔からがちがちの軍人気質(かたぎ)だったからなぁ。こういう社交場が苦手なのは知っているよ。
ま、今日だけは我慢してくれ」
「悪かったな…無骨な人間で…」
実際、見た目が派手で、奔放な所のあるアベルは、軟派で処世術に長けているように一見、見られる。
が、意外とアベルは、戦術や戦略に長けてうまくやることはできても、このような社交術は苦手で、いつも優等生で人当たりのいいハウルに助けてもらっていたのだ。
その事を踏まえれば、この二人ほど互いを補う高相性のパートナーと言っても過言ではなかった。
幼い頃からの仲の良さがいつしか恋となって、その関係が崩れたとしても、今現在、荒波を統治する、という事に限ってになってしまったが、この関係は今でも遺憾なく発揮されている。
二人の目的はもちろん、東に関する驚くべき情報の開示、というその中身を確かめる為だ。
東の果てからやって来たという事もあり、会場に着くのが遅れてしまった二人は、かえって目立った感じとなってしまったが、彼らは一通り、そつなく東や各国の要人達と挨拶や世間話に付き合った後、ひっそりとした目立たぬ一番奥の席に着き、その公表のイベントを待った。
そして…。
とんでもない人間…とてつもない発表。
アベルとハウルは、先ほど公表された衝撃の事実に、今だ興奮が冷め止まなかった。
「…この事実が、東の国にどれほどの影響力があると思う?」
「もちろん、それはわかるだろう?…セドの王子が生きていた。
その事実は東の命運を決める」
東統一の望みが具体的になった瞬間でもあった。国の無い王子でも、セドの、しかも神王の血筋だ。
彼は使える。彼を手にすれば、東の実権を握るのは容易い。
でもそれは、自分達だけでなく、誰しもが考えている事実でもある。
その衝撃の発表後、東の要人のみならず、他国の王侯貴族らも目の色を変えて興奮していたのが確かな証拠だ。
「しかし、あの東の荒くれ者【宵の流星】が、セドの王子だったとは…」
「ここ数年、【恒星の双璧】と称されるならず者が、東で暴れているのは知ってはいたが…。
そのうちの一人が、まさか、セドナダ王家の生き残りだとは思わなかったな。
……だが、現に今、彼は何処にいるんだろう…。
他の州や諸国が、躍起になって彼を捜そうとするのは明白だ」
落ち着いたハウルの言葉に、アベルは頷いた。
「是非、彼を我々が手にしたい所だ。…そうすれば、念願叶って荒波が東を統治できる」
わくわくとしたアベルの様子に、ハウルは眩しそうに目を細めると、ふっと笑った。
「お前には確か妹がいたな。そうか…そうなればジン家が有力か…。
お前が今考えている事を当ててみようか?
妹君をセドの王子の妃に据えて、お前の一族が実権を握ろうと思っているだろう?」
面白がっているハウルに、アベルもつられてニヤリとする。
「当たり前な事を。今度ばかりは俺の家が有利だな。
噂では【宵の流星】は無類の女好きと聞く。ただでさえ、有力者の娘は少ないんだ。
手持ちの駒は大いに活用させてもらうさ」
意気揚々とアベルは酒の入った杯を軽く掲げ、ハウルに片目を瞑ってみせた。
そんなアベルに、ハウルは少し弱々しく笑った。そしてしばらく何かを思い巡らした様子で俯いた後、何か決意ように言葉を発した。
「なあ、アベル。
…お前は…なぜ結婚しないんだ?」
突然、思ってもみない問いかけに、アベルは息を詰まらせた。
「おい…。いきなり何だよ…」
ハウルの暗い表情に何やら不穏めいたものを感じ、先ほどまでアベルを支配していた、懐かしくて甘い、いい気分が潮を引くように失われていく。
ハウルがもっと、世間話のように軽く尋ねてくれたのなら、アベルも笑って適当に答えたかもしれない。
が、質問する声が、緊張で震えていたのを微かに感じ取ったアベルは、真剣に、また慎重に言葉を発しなければならない、と悟った。できれば、もう別れているのだから、こういう個人的な話を、思いつめたような顔で聞いて欲しくはなかった、というのが本音だった。何しろ、当の本人は妻帯者で、家督を継いで彼女と結婚する為に自分と別れたのだから。
と、そこまで感じて、アベルは苦笑した。
何だ、結局自分はその事について、意外と傷が深かったのか…。
あの時、自分の本心は、彼が他の人間のものになって欲しくなかったのだ。
それを、必死で、彼の為だと、将来の為だと、自分を諭していた。
相手は有力者の令嬢で、世継ぎの事を考えれば、仕方のない事、まだ相手が女性だから諦めもつく、と、どれほど自分で自分に言い聞かせてきた事か。
久々にハウルと個人的に話す機会が持てて、アベルは昔の想いが再燃してしまうのではないか、と少々危惧していたが、十年という歳月は、互いの間に上手い具合に距離を作っていた。
それぞれが別の世界で生きているという事を再認でき、自分自身のわだかまりが解けたと、嬉しく思っていたのに…。
ま、ハウルとしては、昔の恋人であった事以前に、幼馴染みでもあり、別れた今では、ただ純粋に友人として自分の事を気にかけている、という所だろうが、その内容はあまりいい気分ではない。
いや、このざわついた気分は、ハウルが言わんとする事を、自分自身、薄々感じて警戒したからかもしれない。
そう…それは…。
「それとも、もう誰か決めた人はいるのか」
探るような、ハウルの声色。
ざわつくような嫌な感じが、アベルの肌を這い上がっていった。
同じように相手の表情を探ろうとして、アベルは彼の顔を見据えた。
そして目の前の男と同じ顔立ちをした一人の青年の顔を思い浮かべ、アベルはゆっくりと噛み締めるように答えた。
「ああ。……結婚は…しないと思うけど…。
大切に思っている相手は…いる」
その言葉にハウルが息を吸い上げた事で、アベルには彼の“言わんとするところ”が何なのかを確信した。
「その相手を、愛しているのか」
ハウルの声に切なさが混じっているのは、自分の気のせいなのだろうか。いや、それとも…。
「できれば生涯、大事にしてやりたい」
思いを込めて呟いたアベルに、ハウルの瞳が揺らいだ。
しばしの沈黙の後、彼の口から出てきた言葉は、アベルの確信をついた内容であった。
「実はライルが隣州の令嬢との縁談を断ったんだ」
ハウルはちらりと神経質そうにアベルの様子を窺いながら、呟くようにそう言った。
やはり、そうか。
アベルはいつかはライルの事で、ハウルと話をしなければならない、という覚悟はあった。
あれだけ自分を慕ってくれる青年に、愛情を抱かないわけがない。
ハウルがどれだけ自分達の関係を知っているかはわからないが、今の自分はライルの一途な思いに答えよう、と心から思っていた。
いつまでも昔の恋の亡霊を引きずって、ふらふらしているのが惨めになっていたのもあるかもしれない。
若き日の元恋人に似た面影の、その彼よりも体当たりで情熱をぶつけてきてくれる男を、アベルが拒めるわけも無かった。
だが、迷いが無かったというのは嘘だ。
いくら可愛いと思っても、その相手が昔の恋人の弟であるという事実が、アベルを迷わせていた。
どうしてもライルの背後に、兄であるハウルの存在を感じてしまう。
確かにハウルへの恋愛感情は、もうすでに納得して手放したつもりだが、まだ心のどこかでくすぶっているかもしれない。できれば忘れてしまいたかったというのが本音だった。
まだ州知事長と提督としての繋がりであれば、割り切って彼と接する事は出来る。
だがそれも、恋愛感情を引き出す事となると話は別だ。
どうしてもライルが相手であると、ハウルを思い出してしまう。そんな自分に嫌気がさしているのは事実だった。
だが、ライルの一途さを思うと、自分は変わらなければならない気がした。
だからこそ公の場にハウルと二人で出席する事が決定した時に、アベルは自分の感情に決着をつけようと決めたのだった。
《君の気持ちは嬉しい。二人のこれからの事を俺は責任持って考えたい。だから、もうしばらく待っていてくれないか》
《…それって…僕の事を受け入れてもいい、と思ってくれているのですか?》
その時のライルの瞳の輝きに、心が揺さぶられないわけがない。
《ああ。そのつもりだ。…自分の気持ちに決着をつけたら…》
《え?》
《いや、俺は…君を受け入れたい、と思っている…》
そう、アベルはライルとの未来に覚悟を決めた筈であった。
その確認として、公務とはいえ、個人的にハウルと二人で行動できるこの機会に臨んだのだ。
まだその時点では、ライルとの関係を、まだハウルは知る由も無い、と思い込んでいた。
だから本当に、自分の気持ちを確認するだけという気持ちで、彼に会った。
まだ、自分はハウルに未練があるのだろうか?
再会して、完全に吹っ切れているのだろうか?
…事実、そのような危惧は、先ほど感じていたように、自分の中にほとんど無くてほっとした。
だがそれも、ハウルの口から結婚などの恋愛に関する事を聞かれるまでの話だった。
できればその話題を、今したくなかったし、聞きたくもなかった。
やっと、彼との関係が自分の中で次の段階に進んだと喜んでいたのに。
まるで古傷をこじ開けられたような、苦い気持ちになろうとは。
彼に対してまだ激しい感情が残っているから、というわけではない。
身を捧げたほどに燃えた恋の結末、終焉の虚無感が、これほど自分の心に深い傷を負わせていた事実に気付いてしまったが故の、苦味と痛みだ。
自分自身を納得させようとして、言い聞かせてきた言葉が、自分の心に影を落としていた事を、アベルははっきりとその時に悟った。
相手の為を考えて、必死で自分の執着や独占欲を抑え続けてきた結果、誰にも執着しないという人間になってしまっていた。
その結果、来る者は拒まないが、自分から我を忘れて相手を欲しがるという情熱が、完全に欠如してしまったのではないだろうか。
そのような自分だからこそ、ハウルと別れてから、長く続いた相手がいなかったのも無理はない。
アベルは自分が情けなくて、口元を歪め、思わず自嘲した。
一方、これから話そうとしている事に、ハウルは緊張を隠せないでいた。
アベルと別れてから、模範的な家長、よき夫として、努力する事に心を砕いてきた。
いい家庭を作る事によって、最愛の人間と別れた意味を見出したかったのである。
だからこそ、たまに耳に入る別れた恋人の浮いた話を、ハウルは無視する事ができた。
本音では、聞きたくなかったから耳を塞いだ、というのが正しかった。
このような別れ方をしたのだから、アベルには幸せになって欲しい、と切に願っているのは嘘ではない。
だけど、アベルの淫らな噂は、ハウルの心に重苦しい暗い影を落とした。ハウルはその正体を無視した。
正面から己のどす黒い感情を見るのが恐かったのだ。
その正体を知ってしまったら、自分は多分崩壊する…。
ハウルはその恐れに目を瞑る事によって、自分を律してきたのだ。
……そのうち、アベルには彼を生涯支えてくれるよき伴侶が現れるだろう。
そうしたらこの暗い感情も、すっきりと晴れるかもしれない…・。
心から彼の幸せを祝ってやれる。
そう信じて十年。
妻は非の打ち所のない理想的な伴侶であり、彼女に対しては何の不満もない。
その上、自分もやっと子供を授かった。まだアベルには話していないけれど、多分風の便りで聞いている筈だ。
念願の州知事長の座だって手に入り、仕事だって充実している。
政(まつりごと)としての相棒と言われる、海軍提督の座に、まさかアベルが就任するなんて思ってもみなかったが、彼の昔からの才能と実力を考えると、至極当たり前であったと、今更ながらに腑に落ちていた。そしてそれが心から嬉しかった。
それだけ並べてみても、自分は何て幸せ者だと思う。果報者過ぎる。
思うからこそ、アベルに感じている贖罪の気持ち…そんなに大げさなものではないが……から、自分と同じように一般的な幸せな家庭を、ハウルは彼にも持って欲しかったのだ。
そうすれば自分が今感じている、仄暗い思いが解消されるような気がする。
自分ばかりが世間的な幸せを享受して はいけないのではないかという、変な罪悪感からも解放されそうな気もする。
そう、彼の隣に、自分と同じような従順で良妻賢母と呼ぶに相応しい女性がいてくれたら理想的だ。
いや、そうじゃなくとも、純粋に彼を生涯支えてくれる人間だったら、きっと自分はこの気持ちに踏ん切りが付くように思うのだ。
ただ、その相手が…。
ハウルはごくん、と唾を飲み込み、意を決したように話を続けた。
「……ライルは…令嬢との婚姻よりも…お前を取ると言っているのは…本当なのか?」
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