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2011年11月13日 (日)

暁の明星 宵の流星 #164 その②

何度も繰り返すようだが、品行方正なリッツ家と違って、よく常識を超えている、と言われるジン家である。
が、まだ本家はそれでもマシな方だ。
本当にぶっ飛んでいるのは、アベルの実家である分家の方である。

本家にはアベルの父親デュークの長兄が家を継いでいたが、残念な事に伯父貴夫婦に子供ができなかった。
外に妾を囲っても、その間にも子供がいないので、多分原因は伯父の方にあったかと思われる。
結局子沢山であった弟の子供を養子に迎える事になって、アベルの2番目の兄テリーに白羽の矢が立ち、本家の家督を継ぐ事になった。もちろん、アベルの家は長男が継いで、今では小さな甥や姪に恵まれて、幸せに暮らしている。
弟達も独立し、それぞれ好きな道を歩んでいるし、未成年である末っ子の妹だけは、女子学校の寮に入っているので面倒な事はない。
だからアベルはそのような気楽な分家の三男として生まれ、これまた自由にさせて貰っているのは、天や家族に感謝しなければならない身の上だ。
自由な家風とされるジン家であるが、その中で特にアベルの父親であるデュークが、一番常識を逸脱した強烈な個性の持ち主で有名だった。現在彼は長男に家長を譲り隠居の身となっているが、まだまだ精力的だ。

他国や外大陸相手に身ひとつで貿易商を営み、今や大きな成功を収めているデュークは、かなりの富豪でもあり、とにかく派手な男だった。新し物好き、好奇心旺盛、情熱的で、商才に長けていた父は、もしかすると本家の人間よりも豊かな人生を歩んでいるのではないだろうか。
もうすでに60の齢も半分過ぎているだろうに、気持ちの若さだけは誰にも負けない。
家を長男に押し付けてからは、ずっと海に出てるか、世界を飛び回っていて、家に居つく暇もない。もちろん、最愛の妻同伴で、だ。
そのアベルの母はというと、先ほど話が出たように、もちろん荒波州の模範的な良家出身ののご令嬢ではない。
彼女は東でも南の国に近い、キサラ、という島国の一族の踊り子だった。
大陸では、南から西に向けて、美しい金髪と碧眼を持つ人種が多く存在する。
東と北には黒い髪と黒い瞳の人種が多く、確かに東ではそのような髪と目の色をした人間は目立つし、珍しい。
特に東でも、その南寄りのキサラ族は、西か外大陸から流れてきた少数の人種が、最後に流れ着いた島だという伝えもあって、たまに目を見張るほどの色素の華やかな人間が存在する。
そのキサラ族の島に行商に行った若き日のアベルの父が、まだ14歳だった踊り子の少女に心を奪われ、半ばさらう様にして故郷に連れ帰り、結婚した。
華やかな金髪に、海のように鮮やかな青い瞳。派手なのは容姿だけでなく、陽気で賑やかで、天真爛漫。身分を見ても、どこを取っても、豪族の奥方となるには不釣合いな少女だった。
他の豪族の偏見な目や、周囲の不評な反応に対して、何とジン本家はこの結婚をあっさりと許した。
それだけアベルの父親が彼女を溺愛し、妻に出来ないなら死ぬとまで、親族一同に脅しをかけたからだ。
元々常識に囚われぬジン一族は、半分困りながらも、だが半分は面白がって二人の結婚を許した。

ほとんど世界を飛び回って、たまにしか荒波に戻って来ない人間なら、騒ぎもそんなに起こすまい。
意外と踊り子の嫁も変わっていて、退屈しないかもしれない。
それ以上に、女が少ない大陸において、もう選り好みできるような状況ではないのではないか。
とにかく本人達が愛し合っているのだから、引き裂く方が無粋というもの。
本家はそのように納得して、二人を認めたのだ。

世間ではそのうち飽きて破局するだろうと誰しも思っていたが、予想に反してこの夫婦は絆が深く、七人の子供を儲けても、その子供達が成人に達しようが、ずっと蜜月が続いているという、珍しい熟年夫婦となった。
その夫が今でも、ぞっこんになっているその妻の容姿を、幸か不幸か、七人兄弟の中で完全に受け継いでいるのがアベルだけである。
輝く黄金の髪、深くて青い瞳。顔立ちはどちらかと言うと、放蕩貴公子と呼ばれた祖父に似ていたが、ぱっと見の派手な印象は母だった。そのおかげでアベルはかなり苦労した。見かけと違って、意外と硬派だったからである。
つまりある意味、熟年となってもその華やかさの衰えない母が、実はアベルの鬼門でもあった。

沢山子供を作っておきながら、彼女はいつも夫中心に動いていた。夫が仕事で他国や外大陸に行こうともなれば、必ずや自分がついて行った。というよりも、 若い妻を娶った夫の方が、ことのほか妻を離したがらず、手許に置きたがった。
夫中心に回る生活を、アベルの母は文句一つもなく、いや、かえって楽しんでいたともいえる。
そういう感じなので、どうしたって子供の事は、全て後回しで他人任せになってしまう。でも、それは育児放棄という意識はなく、多分に愛情が夫の方に流れていってしまった結果だろう。基本的には子供を思う優しい母親だった。
しかし、従来の派手で軽薄な行動が災いし、何かとトラブルメーカーだったのも、実は彼女だ。
それにとばっちりを食らうのは近くにいた子供達の常で、当の母親はけろっとしているし、頼りになる父親はいつも面白がってそれを見ていた。
アベル達にとって頭の痛い存在でもあるが、世間もよくわからない歳で結婚してしまって、今でも万年少女みたいな邪気のない彼女を、結局誰もが憎めず愛している。
ただ、母親というよりも、女である方が比重の高い彼女に、アべルは幼少から振り回され毒気に当てられていた。彼が女、というものが苦手となった発端が、彼女にあると言えるのは仕方のない事である。

唯一、彼女に救いがあるといったら、それは見た目と違って貞淑で、ずっと父親一筋である事だった。あれだけ軽薄で派手な美人で色気もある彼女なら、浮気の一つでも二つでのしそうな感じだが、この件に関しては一切ない。もちろん父の監視の目が光っている事もそうだが、雰囲気で誤解してよってくる男達の誘惑にも頑としてなびかず、徹底して追い払っていた。
だから女が苦手なアベルも、女という存在を嫌悪しなくて済んだ。いつも女全開で、子供の前でもセクシーな服装をし、化粧を塗ったくって、媚びるような甘ったるい声を出していても、、結局全てそれは父の為である事を、家族は皆わかっているのだ。

まぁ、女が苦手になったきっかけが彼女だったかもしれないが、アベルが男性を好きだと言う事実はまた別の話だ。

身近な女性がこの奔放な母だったという不運の上に、周りはほとんど男だった。
たまに母の友人や身の回りの世話をする女中やらいたが、アベルとはほとんど接点がなかった。というよりも、大声で笑い、化粧の匂いをさせて、やたらとでべたべた自分に触ってくる彼女らを、幼い頃からアベルは本能的に避けてきたからだと言ってよい。それも彼が幼少の頃から、女の子のような愛らしい容姿だった事も災いしていた。
もちろん、年上の男達も同じように構ってくるが、まだアベルには我慢できた。というよりも、男の中にいる方が安心したし、居心地が良かった。
思えば初恋も父に雇われた貿易船の若い船員だったし、その大人の彼に、全部ではないが恋の手ほどきを教えてもらった。アベルが早熟だったのは、そのせいもある。
ハウルはその事を知らなかったが、そういう経緯もあって、アベル自身、男の中での恋愛は至極当たり前の事だったのだ。

だからこそハウルのお節介な心配事については、アベル本人にとって、本当に大きなお世話でもあるわけだ。

ハウルと付き合っていた当初は、アベルもその事については己の気持ちのままに過ごしていたので、何の疑問もなかったのだが、彼が女性と結婚してしまった事実は、思ったよりもアベルにダメージを与えていたらしい。
ハウルから勧められていたからではなく、世間一般の事情、として自分から意識して女性とも付き合ってみた…が、結局自分自身の性癖が露呈してしまう事となった。
これでは完全に女性との恋愛は無理だし、結婚するとしても、自分にとって政略結婚か、もしくは偽装結婚でしかない。
そう思った時、アベルの中で恋愛や結婚についての意識が薄れてしまった。

その経緯を知らないハウルに、当たり前のように女性との結婚を勧められても、アベルは苛付くばかりである。

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なかなか顔を向けてくれない彼に、再度ハウルはアベルの名を呼んだ。
「アベル…」
自分でも情けない声になってしまった、とハウルは思う。
昔の事を思い出してしまったせいか、じわじわとある感情が湧き上がってきて、それが突如として自分を襲ったのだ。
「すまない…」
突然、意気消沈したようなハウルの声とその言葉に、アベルは驚いて彼の顔を見た。
「何を謝る?」
アベルは話の流れからいって、ハウルは自分に無理矢理女性との結婚を強いた事に後悔して、謝罪の言葉を投げかけたのかと思った。しかし、それが全くの見当違いだった事に、アベルは驚きのあまり目を見開く事になる。
「…何をって…。
お前が私と…男と付き合っていたのが長かったから…。
多感な思春期だった頃に、私と深い付き合いをしていたせいで…。
だから…お前が女性に親しめないのは、私の責任かもしれない。
お前が昔から女性に馴染めない所があると知っていて、結局何もできなかった私のせいだ」
「おい、ハウル…」
半ばアベルは絶句して、信じられないような顔で、目の前にいる昔の恋人を凝視した。
「だってそうだろう?
お前がこのようになってしまったのは私のせいだろう?
多感な時期に男と親密な交際をしていたせいで、元々苦手だった女性を、益々遠ざけてしまう結果となって…。
だから結婚にも支障がきてしまったんだ」
アベルと付き合っていた当時、ハウルは好奇心から女の子や年上の女性と遊んだ事もあった。
だが、反対にアベルは女性との交流を、ことごとく拒絶していた。

ハウルにとっては、男と女は別物という意識があって、とりわけオーン教徒の母親の影響で、将来は“女と家庭を作る”のが基本として育てられてきた。だから普通に女性を受け入れられた。
それ以上に、この大陸では自分の子を産んでくれる女は貴重だ。
多数の女を囲う事ができるのは、王侯貴族でも力の強い者だけである。
それは弱肉強食の今の大陸では常識ではあるが、そのシワ寄せが少なからずきている事は、世間一般では痛切な問題ともなっている。
そのせいだけではないが、女が少ない地方では、一人の女を多数の男と共有しなければならなかったり、あぶれた男同士がくっつかざるを得ないという、状況が確かに増えてきている。
動物の世界でさえも、オスばかりになると、オスがメス化…表面的にメスの代わりをする事例だってある。それは自然な流れでもあり、切実な事だ。つまり今の大陸は、これに近い現象が起こっているというのはわけだ。
女が少ない上に、しかも一人の女が産む子供の数だって限りがある。
ハウルは一州の長として、子孫の繁栄にも力を注がなければならない。
その件もあって、一般常識としてなるべく、女性との結婚を望む事が当たり前なのだ、という意識が強かった。

だからアベルの意識が自分とは違うという事に、理解しづらい部分があったのかもしれない。いや、理解しようとしなかったかもしれない。それが普通の事だとハウルは思っていたから、きっとアベルも同じであろう、と思い込んでいた。

「…ハウル…お前、俺の相手が、男であるお前の弟だったと知って、そんなに衝撃だったのか?
──俺がずっと男であるお前と付き合ってきたから、女に馴染めなくて…結婚できないでいる。しかも生涯の相手に、お前の弟を選んでいた…。
それをまさか、全て自分のせいだと、責任を感じているとでも?」
アベルの方がショックだった。まさか、ハウルが自分に対して、そのような負い目を感じているとは思わなかった。
あれだけ愛し合い、長く付き合って、互いを理解していたつもりだったのに。
いや、互いに夢中だったから、目が眩んで見えていなかった部分があったという事か。
自分が愛した人間だ。別れたとしても惹かれる部分は変わらないし、今でも彼を尊敬している。だからこそ、アベルは落胆と虚しさを感じながら、ふつふつと憤りが心の底から湧いてくるのを感じていた。

「責任…?そうかもしれない。
だけど、荒波の州知事長として、昔の恋人として、お前を心配する気持ちは嘘じゃない。
お節介かもしれないが、私はお前に普通の結婚をして欲しいんだ。
女性が苦手なのが私のせいなら、できるだけ協力する」
「協力?」
アベルは思わずむっとする。嫌な予感がする。
「ああ、女性に慣れれば、きっとうまくいく。さっきも言ったが、今からでも遅くはない。
お前の花嫁候補を何人か私の方で手配しよう。
なるべくお前が拒否反応を起こさないような、慎ましやかな淑女を。
慣れればお前だって、情くらい湧くだろう?男と添い遂げるよりも、その方が有意義だと私は思う」
「待てよハウル!俺の気持ちはどうなんだよ。そんな勝手に」
「頼むよ、アベル。何人か女性と会ってくれ。その中の一人と結婚して欲しい。
そうすれば弟だって、完全にお前を諦める」
「ハウル!!」
怒りのあまり、アベルは大声を出して席を蹴って立ち上がった。

「どうかされましたか?」
そのあまりにもの剣幕に、近くで給仕をしていた世話係が、驚いて傍に寄ってきた。
「あ…いや、何でもない」
アベルは気まずそうにその世話係に苦笑して、すとんと再び席に座った。
「そうですか。…お飲み物がなくなりそうですが、お持ちいたしましょうか?
それとも何かお口直しに、甘い物でもいかがでしょうか」
「ああ、ありがとう。…じゃあ、何か果物でも持ってきてくれないか?できればさっぱりした物を」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げた彼の肩越しに、偶然に大勢の人間が一箇所に集まっているのが目に入った。
アベル達がいるテーブルからかなり離れた、簡単な仕切りを立てたその場所に、はみ出るようにして数十人という男性達が群がって、時折、騒がしい声を上げている。会場の隅の席で、会話に夢中になっていたアベル達は、全く気が付いてなかった。
「あれは?やけに騒がしいね」
アベルは興味深そうに目を向けて、世話係りに聞いた。
彼はちらりとその場を見やると、「ああ」と小さく頷いて、興味津々なアベルに答えた。
「あれは姫胡蝶様のおられるブースです。いやぁ、殿方様が色めき立って賑やかでしょう?
…私も噂に聞いておりましたが、あれほど美しい方だとは…。
あ、申し訳ございません。つい…」
つい、個人的な感想を漏らしてしまった事に、世話係りは苦笑し、再びお辞儀をするとその場を離れた。

(姫胡蝶か…)
アベルは先ほど宴会場の奥のホールで、中央国ゲウラの役人と共にセドの王子の存在を明かしていた、髪の長い人物を思い起こした。かなりの遠方で見たので、その姿の細かい部分はよくわからなかったが、それでも彼が纏っていたオーラは妖しく輝いていた。長くて柔らかな薄紫色のローブに、花の刺繍を施した女性用のドレスに身を包み、どう見ても青年には見えないほどの艶やかさだった。
男が多い大陸において、好んで女性の格好をする男が多いのは珍しい事ではない。ただ単にその格好が好きなだけとか、女になりたいとか、様々な理由はあれど、ほとんどが彼のように女装し女の代わりをして、男に媚びて利益を得ようとする者が多い。
特に悪名高き姫胡蝶の、完全に女性のようなその有様。中身が男性だとわかっていても、それが鼻についていたアベルには、いくら周囲の男どもが大騒ぎしても、何の興味も湧かなかい存在だ。


「お前が怒るのも無理ないと、私だって思うよ」
ハウルの言葉でアベルは我に返った。そうだ、今ハウルと揉めていたんだっけ。
「思うなら何故、俺の気持ちも聞かないで、押し付けるように話を進めるんだ」
アベルは憤りも隠せず、唸るようにしてそう言った。
「そう…そうだね。その通りだ…」
打って変わったハウルの沈んだ態度に、続く反論の言葉が詰まった。
気落ちする風情が何とも儚げで、どうもアベルは昔からその様子に弱い。
「だけどね?アベルが女性と温かな家庭を作れば、弟のライルだって目が覚めると思うんだ…。
お前には強引に話を進めて、気分が悪いのは重々承知として、あえてお願いする。
私には、家と、荒波を守るという使命がある」
結局、そこか。
アベルは飲み込んだ言葉を溜息に変えた。だが、どうしてだか苛立ちは全く消えない。
「だから、その…。これは個人的な頼みというよりも、州知事長としての嘆願だと思ってくれないだろうか。
双璧の片方である荒波海軍提督に、相応しい妻を娶ってもらうのは、誰が聞いても正しい判断だと思うだろうし」

駄目だ。
もう我慢できない。

アベルの深くて青い瞳に、憤慨の色が色濃く現れた。
「ああ、そうですか。双璧である荒波海軍提督が、同じ軍の、しかも自分の部下で側近の男を、番(つがい)にしているというのは、そんなに体裁が悪いという事なのですね、州知事長殿」
「アベル」
ハウルは、冷や水をかけられたようにはっとした。
このような彼の冷酷ながらも、猛々しい態度を、滅多に向けられた事のなかったハウルは、内心しまった、と蒼くなった。
恋人として底なしに甘かったこの男は、今ではまかりなりにも、あの荒くれた海賊を打ちのめした、激しい闘志を持つ軍神とも讃えられる男であった。
相対する者に関して、場合によっては情け容赦ない人間だ、という事を忘れていた。
ハウルは内心冷や汗を掻き、珍しく慌てた。
もしかしたらこの男を、取り返しの付かないほどに怒らせてしまったのではないだろうか?
おそらく自分は少し自惚れていた。
アベルが昔と変わらず自分に友好的だったという事に、昔の気分で、気安く彼に踏み込み過ぎたのかもしれない。
ハウルは初めてアベルに対して恐れを感じた。
その青い瞳が、穏やかな海の青ではなく、氷のように凍るほどの冷たい青に変化していくのを、ハウルは血の気の引く思いで見詰めていた。初めて自分に向けられる、その冷たい眼差し。
慄きと共に、何故だろう、という疑問。恐ろしいのに、何でこんなに自分は、彼の瞳から目が離せないのか…。

一方、ハウルの恐れを知ってか知らないか、アベルの口調はどんどん険しさが増してくる。
「わかった。州知事長がそう仰るのなら、自分も考えるとしよう」
アベルはそう言って、苦虫を潰したような顔で、席から立ち上がった。
「アベル…?」
ハウルは彼の様子に慌てて、自分も席を立った。
「だけど悪いが、俺はどうしても女が苦手だ」
「アベル」
ハウルが止めようとするのを押しのけて、アベルは席から離れた。
どうしようもなく、どうにでもなれという捨て鉢な気持ちだった。
「アベル!どうしたんだ?一体、どこへ…」
アベルは自分を掴もうとするハウルの手を振り払いながら、ずんずんと会場の中央に進む。
その態度に、ハウルは益々不安を募らせ、彼が何をするつもりか見当もつかずに追いかけた。
「なあ、私が怒らせたのなら謝るよ。さっき言った事も、撤回してもいい。だから…」
「撤回?そんなに州知事長殿は、自分の考えを簡単に曲げられる方なのか?
貴方にとって、州と家が一番大切な事なのでしょう?
なら、この海軍提督にも、断固とした信念を貫いたらどうか」
まるで他人行儀な、冷たい言い回し。
ハウルは必死になってアベルを宥めようとするが…。
アベルが歩いて行く先々で、数少ない御婦人方の溜息が洩れる。その羨望の混じった眼差しを意に介する様子もなく、アベルは中央の先で群がる男達の集団に向かって行く。
ハウルは息を呑んだ。だってその男達の先にあるのは…。

「おい、どこに行こうって言うんだ、アベル!」
ハウルは思い余ってアベルの肩を掴んで振り向かせた。
「どこにって?決まっているじゃないか。
これから天下の姫胡蝶様に接見しようと思っているんだよ」
「何だって?」
先ほどまで考えてもいなかった行動に、アベルは無性に駆られていた。
「かの有名人に、挨拶しなければならないだろう?仮にも有意義な情報を東にもたらしてくれた御方だ。
荒波州提督として、礼の一つも言わねばなるまい?」
「何を言っているんだ、アベル。どうして突然そんな事を…。
姫胡蝶は、男を惑わすという魔性の存在だという噂じゃないか。
それにあれは男だ。いくら女のような格好をしているからといって…」
「だから都合がいいんじゃないか」
「は?」
「悪名高き、一国を滅ぼしたとも言われる美貌の持ち主だぞ、姫胡蝶は。
男のくせに、300年前に実在した、王をたぶらかして国を滅ぼした寵姫、【胡蝶蘭貴妃(こちょうらんきひ)】の再来、とも言われ、寵愛を賜った小国の王に、そこから異名を戴いたというではないか。
先ほど遠めで見かけたが、なるほど、そこらの女性より女らしい風情だった」
ハウルはアベルが何を意図しているのか、まだよくわからないでいたが、ずっと嫌な予感はしていた。
「だから…?」
おずおずと尋ねるハウルに、アベルは思い切りニヤリと意地悪く笑ってみせた。
「好都合だと思ったのさ。お前があんまり女と付き合えと煩いから、俺も模索してみたんだ。
いきなり本物の女をあてがわれて拒否反応を起こすより、とりあえず中身は男だが、見た目はまるっきし女である彼に慣らされれば、少しは俺の化粧嫌いも、女に対する拒絶も緩和されるんじゃないか?
その方が、せっかく女を紹介してくれるお前の顔も潰さなくて済むだろう?」
ハウルは唖然とした。
「つまりお前は、その……女性を克服する為に…」
「そう、その前に彼と接して、女の臭いに免疫をつけようと思う。
まだ男である彼の方が、すんなりと馴染めそうだからな」
そう言ってハウルの手を自分の肩から外し、再び歩き始める。
呆然としていたハウルは、はっとすると、また慌ててアベルを追いかけた。
「何を考えているんだ、アベル。
噂ではあの男と寝たら、生涯女を抱く気が失せるとまで囁かれているほどの魔性の男だぞ。
お前…まかり間違ってそんな男の毒牙にかかってでもしたら…」
「はっ、生涯女を抱けなくなる?」
アベルの口から乾いた笑いが洩れる。自分にとって、そんな事恐れるに足らない事だ。かえって好都合な話じゃないか。
だが、どうしても妻子を持って欲しいハウルとしては、最悪な事であろう。
自虐的な笑いが、アベルを支配していた。
彼は心の中で嘲りながら、もっともらしい考えをハウルに投げかける。
「いいじゃないか。別に、向こうだって簡単に取って食おうとはしないだろ?
それよりも、魔性の男、姫胡蝶は邪眼の持ち主だという話もあるな。
どちらかというと、そっちの方が気にならないか?」
「え?それってどういう…」
「彼の邪眼に協力してもらう、というのもいい案じゃないか。
俺達…いや、ここにいる人間全て、セドの王子を手に入れたいと思っているだろう?
だからこそ、彼に協力を仰げるいい機会だと思うわけだ。
…セドの王子を、その邪眼で捜してもらう為にね…」
ハウルは絶句した。まさかアベルがそこまで考えていたとは思わなかった。

アベルとしては、まさにその場の思い付きだったのだが、言葉をなくしているハウルの様子を見て、少し溜飲が下がったような気がした。
「ということで、俺は彼に挨拶してくるよ」

少し気分を良くしたアベルは、呆然と立っているハウルに片手をひらひらさせると、意気揚々と大勢の輪の中に入って行った。
 

 

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