暁の明星 宵の流星 #167 その①
下卑た笑いを浮かべ、こちらの動向を探るような厭らしい目付き。
小太りの小さい身体を精一杯威嚇するように反り返った、ふてぶてしい態度が鼻につく。
うんざりする…。
内心、嫌気が差したところで、この北の国で一番大きい港を管理する者に、あからさまな嫌悪を向けることもできず、アベルは目の前の男に愛想笑いしながら、今聞いた話を繰り返し尋ねた。
「…で?早々に港を出て行って欲しい、ということですかね?管理官」
アベルのもの柔らかい声に、管理官は益々調子に乗ったかのように顎を上げた。
まぁ、そうでもしなければ、背の高いアベルと話もできないのだが。
「ええ、もうかれこれ契約更新のお時間が迫っているわけですし。
少し早いかと思いましたが、とにかく今の場所をどうしても譲って欲しい、という客人がありましてね…」
「なるほど」
北の国一を誇る巨大な港に、アベル達は船を管理してもらっていた。
船、といっても、大型船であり、また準軍艦とも言っていいほどの装備がされていた。だから尚更、メンテナンスを含め、中型以上の船を管理できる術を持った人間のいる港に、入港しなければならなかった。
もちろん、大型船が停船できるほどの規模の広さを持つところでないと、他では断られる恐れがある。
だからこそこの一番大きな港に、破格の料金で契約した筈ではなかったのか。
「我らとしては、更新料を上乗せするつもりでいたのですがね…。
どうしても、港から出ていかなければなりませんか?
他の場所に移るとか…」
アベルは上面で微笑みながら、管理官に聞いた。
「いやはや、あれほどの装備の船を預かれる場所は、もううちにはないんですよ…」
アベルの紳士的な態度に、管理官は足元を見たのか、下卑た笑いを返すと、こうも言った。
「申し訳ないが、先日入港した客人が、お宅の倍額で是非とも契約したい、とおっしゃってねぇ。
うちとしては、そこまでおっしゃてくれる客人を待たせるわけにもいかないんですよ。
……でも、まぁ、我が港ほど大規模で、最新最高の機能を誇る港もありませんし…。これから他の港に移る、となっても、荒波の提督所有の船を管理できる港なんて、この北には滅多にありませんから、お宅方がこれからお探しになるのも大変でしょう。
どうです?ご帰国なさるつもりがなければ、私の“ツテ”で、港を探して紹介してもよいのですが…」
「それはもちろん…」
管理官はへらりと笑った。
「ええ、もちろん、それ相応の謝礼によりますがね…」
「まったく、何でしょうな!ここの港の役人という奴は!」
港の管理官が去った後で、珍しくあの温厚なレザー大尉が憤慨していた。
アベルはふうっと息を吐くと、仕方ないというように肩を竦めてこう答えた。
「それだけこの北の国の財政が厳しいということだろうよ。……取り立てられるものなら、取り立てようという…ね」
「ですが、アベル提督。あの男はどう見ても、国のためというよりも、個人の欲目に動かされているとしか思えませんぞ!」
吐き捨てるように言うレザーの憤怒の顔を眺めて、苦笑いしたアベルは、机上の書面を整理しながら呟いた。
「かもな」
青筋を立てながらも、落ち着こうと胸を上下させながらレザーは声を絞り出した。
「……で、いかがしましょうか、提督」
「うん、まぁ、…北の国を追い出されそうなのをライルに聞かれちゃまずいかも、って所かなぁ」
「…提督…」
「いやいや、半分冗談だよ。…確かに俺を連れ戻す気でここに来たライルに、いい材料だと思うがね…。
とりあえず紹介の方向で契約日まで待ってもらえる事になったが、あの管理官頼みというのもしゃくに障るなぁ。こちらも別手段で港を探したいところだが」
アベルはつと、手の中にある書面に目を落とし、唐突にレザーに問うた。
「……それよりも、我が荒波の船と同等レベルの大型船…という客人が、一番気にならないか?レザー」
その問いに眉をしかめたレザーは頷いた。
「は、…確かに、気になりますな。…観光シーズンでもないこの時期に大型船ですか。
しかも、さりげなく伺えば、無国籍らしいではありませんか。
まぁ、表に出さない何処かの王侯貴族かのお忍びの船、とも考えられますが…。法外なほどの契約金を支払える船、ですぞ。…胡散臭くありませんかね」
アベルも頷き、パン、と手元の書類を叩いて、レザーに放った。
「見ろ、レザー。数日前、北の国に放った密偵からの調査資料だ」
急いで書類の束に目を通すレザーをじっと眺めながら、、アベルは腕を組んだ。
「こ、これは…」
「うん、あのティアン宰相が南に捕獲された後、行方をくらませたという一連の内情の詳しい報告書だ」
「ということは、提督…」
「ああ、ティアンには他に仲間がいたようだな。…しかもあの南の帝王に怪我までさせて逃げている。
で、カァラの話では、まだ宵の君は北の国に在国中だ。
……充分、臭うだろ?」
アベルは口の端でニヤリ、とした。
「……これは…もう少し調べてみないとわかりませんな。
州知事長にご報告、相談されてはいかがでしょうか。
このまま荒波に戻るには惜しい気がします。
…このティアンという男が狙っているのは、まかりなりにも東の神王のお血筋の方。
東の命運を握るとされる、大事な御方ですぞ。……やはり、見過ごすわけにはいきませんよ」
「そうだな、俺もそう思う」
《すでにセドの王子と接触できたのなら、もういいではないですか、アベル。
兄だってそこまでセドの王子に固執していたわけではない。将来、その王子が頭角を現したときに、荒波は荒波で正統に対応していけばいいと、僕も兄もそう思っている》
取り乱したライルが口走っていたその言葉も一理あるが、現状はそのような単純なことではなさそうだ。
…そう、初めは他の国の人間と同じように、セドの王子を手に入れることだけしか考えていなかった。
それが東統一の足がかりとなると自分は思っていたからだ。
だが、ハウル州知事長の見解としては、“セドの王子探索は認めよう、しかし、一番の任務は王子と接触し、現状を探る事”であった。
それはあの慎重なハウルらしい考えだ。
とにかく、その噂の王子がどういうつもりであるのか、本人の意向を一番に知りたがったのである。
だが、アベルとしては、そんな悠長な事を言っている時間はないと考え、ある程度強硬手段を取るつもりであった。
荒波を東の中心に据える為、正当な立場を好むハウルの心情もわからなくはないが、この北に来てからわかった事は、そのような甘えた考えでは太刀打ちできないほどの多数の強力なライバルが多く動いている、という事だった。
今は、大まかに南の国と、そのティアンだけが目立つが、あの流浪の民、ゼムカの王ですら、王子を狙っているというのも知った。…細かい所を言うのも何だが、ちらほらと有名な組織や人物が、セドの王子捕獲に本腰を入れ始めている事も耳に入っている。
だから、アベルは自分も尚更セドの王子…【宵の流星】の身柄を確保しなければ、と思っていた。
それは、己の野望…だけでなく、東の国民(くにたみ)としての本能と使命がそう思わせている事に、最近気がついたのだ。
そう、何故かアベルの気持ちに、いつの間にかセドの王子を保護しなければ、という思いが芽生えていた。
カァラのように直接本人に会った事もない自分が、どうしてこう思うのか…。
ただ、気がついたことは、昔から東の実権を握ろうと、幾度となくセドを襲った州ではあったが、その実、荒波は共和国時代、セド王国に一目置いていた事は如実であった。その証に、他国他族がセドを襲った時、何を隠そう一番でセドに援軍を送るのは常に荒波であったからだ。
自分達がセドを掌握するのはいいが、他には絶対に手を出させない。
そのような、まるで意地悪な男子が、苛めている好きな女子に向ける感情のようなものを、荒波はセドに対し持っていたようである。
アベルは内心苦笑した。
その感情が、荒波の人間であるアベルにも、無意識のうちに植え付けられていたわけだ。
(ま、俺も東の国民(くにたみ)、荒波の人間だということよ)
しかし、共に探索に協力してくれているカァラには、まだその事を告げていない。
【宵の流星】との事になると、あの他人には淡白なカァラが異常な拘りを見せる。
最近はその宵の相棒と言われる男、【暁の明星】に対しても、何かしらあったようだが、まだカァラ自身の本当の思惑を推し量れないアベルにとって、【宵の流星】の存在を、東…いや、大陸制覇の為の道具ではなく、東の国の為の保護意識に変わったと言ったら、どう思われてしまうだろうか。
どうしてだか、アベルにはその時のカァラの反応を知るのが不安だった。
(俺は、あいつに、大陸を制覇するというスケールの大きい男だと思われたいのだろうか?見栄なのだろうか?)
自問自答する自分を心の片隅で自嘲しながら、アベルはその時気がついたのだ。
……自分が、いつの間にかあの悪名高い【姫胡蝶】に、どれだけ心を持っていかれていたのかと。
それは心のどこかで、小物だと彼に軽蔑され、自分の元から去って欲しくない、という男のプライドがあるという事に。
今までの自分では考えられない情けない心情に、アベルは呆然とするばかりなのだ。
己の思うとおりに行動したい気持ちと、カァラによく思われたい気持ちがせめぎあって、最近のアベルははっきり言って混乱していた。
だが、荒波州提督のプライドが彼を支え、醜態を晒すこともなく通常の有様を保っているのは、今までの鍛錬のお陰かとも思う。
「とにかく、すぐに密偵を使って、北全域の港を当たらせてくれ。…もしかして、いい条件の港が見つかるかもしれないからな。このまま、あの管理官にいい思いはさせられない」
「そうですな!で、先の胡散臭い船の事ですが」
「ああ、そいつもついでに何か探らせてくれ。…充分気をつけて行動しろ、とね」
「了解しました」
「それから、かえってライルがここにいてくれてよかった。すぐにこれからの事を打ち合わせ、州知事長に報告する任務を任せようと思う」
その言葉に、レザー大尉の眉が曇った。
「これから、ですか?」
「ああ、ちょうどライルは会議室で待っているだろう。あなたも来てくれ」
「そうですが…。提督はライル様と個人的なお話し合いがあるのでは?」
困ったように聞くレザーに、アベルは首に手を置いて唸った。
「うー、わかっているが、この件が先だろう。……ライルとは、その後にゆっくりと話す…。それでいいだろう?」
「……仕方ありませんね。ライル様ももう落ち着かれた頃でしょうし、まかりなりにも提督の補佐官でもありますからね。…こちらを優先するのは、ライル様だってわかっていらっしゃいますとも」
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その提督の補佐官、ライル大佐はほんの少し前、…─アベルらがまだ港の管理官と話している時である─…底なしの苛立ちの中にいた。
それは彼だけではない。目の前にいる美貌の男も、同じく腹に苛立ちを抱えて立っていた。
「なぁ、ちゃんと聞こえている?
そこ、どいてくれないと、この部屋を出て行けないだろ」
ふてぶてしく腕を組み、険しい目つきで自分を見つめる男に、先にこう言われ、ライルは口をむっとさせて身体を反転させた。ちょうどお互い向き合ったような感じになる。
「お前が【姫胡蝶】か」
ライルが侮蔑するような声色でそう言うと、カァラの眉が上がった。
「そうだけど、何か?
…あんたこそ何様だよ。自分から名乗らないくせに俺の確認か。
どうやら、世間知らずのお坊ちゃまらしいな」
辛辣なカァラの口調に、思わずライルはかっとした。
衝動のままに、この女みたいな男を殴ってやりたくなったが、ライルはぐっとこらえ、ジロジロと憎い相手を不躾に眺めた。
悔しいが、自分から見ても、相手は妖艶だった。
噂には聞いてはいたが、こうして実物を見るのは初めてだ。
確かに男とは思えぬ見事な美貌。
零れる絹の茶色の長い髪から覗く白い顔は見事な卵型を描き、整った顔立ちで一番印象的なのは、真っ赤な紅を差した誘うような唇。
男であるとわかっていても、目の前にいるのはどう見てもしどけた妖婦にしか見えない。
その圧倒される姿に、ライルは一瞬思考が停止してしまったくらいだ。
しかし、かえってライルの脳裏に疑問が湧く。
何故?どうして?アベルは、こんな女みたいな男に心を奪われてしまったのだろうか…。
そう考えれば考えるほど、ライルに腹立たしい気持ちが湧き上がってくる。
「お前に名乗るような名前なんてない。この泥棒猫が」
つい、尊大に口調すらもきつくなる。だが、どうしても止められない。
ライルにとってこの目の前の男は、愛する男を誘惑し、堕落させた張本人なのだから。
「へぇ、泥棒猫」
カァラはむっとするどころか、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべると、するりと優雅にライルの傍に寄った。
ふわり、とライルの鼻腔にカァラのつけている甘い香りが広がった。
ライルの眉間に益々深い皺が寄る。
そのあからさまな嫌悪な表情に、カァラはもっと意地悪い気分になった。
「あんた、さぁ」
まるで本物の猫のように、目を光らせてライルに擦り寄ろうとするカァラに、びくっとして思わずライルは飛びのいた。
その様子に、くすくすとカァラは笑うと、無理矢理ライルの懐に自分の身体をねじ込ませた。
「何をする!は、離れろ!」
慌ててカァラを自分から離そうと、ライルは強い力で相手の腕を掴んだ。
だが、そのあまりにもの細い腕にびくっとしたライルは、焦って自分の手を離した。
「何、俺の事、意識してんの?」
ライルの挙動に目を眇めていたカァラは、わざと甘ったるい声を出して、逃げるライルの手を強引に掴んだ。
「!」
その思いもしない手の力に、ライルは初めてカァラに男を感じた。
こいつも、男だ…。
見た目が女、であることに、ライル自身も錯覚していた。心のどこかで侮っていた。
目の前で、こちらを見詰める灰色の刺すような眼力は、確かに男のものである。
嫌な汗が出る。
……ライルの脳裏に、女の姿を纏った奥に、豪胆な男の姿が浮かんだ。
この自分が気負わされそうになるなんて…。
だが、それがかえってライルの怒りに再び火をつけた。
こいつ、ただの女臭い男じゃない…。
それに気がついたライルは、激しくカァラを憎んだ。
そう、彼の中に、真性の男を見つけてしまったということは……。
「離れろ、この、女男が」
ライルは精一杯、虚勢を張った。わざと貶める言葉を吐こうと必死になった。
それは壁に追い詰められた鼠のように、相手に牙を向けたと同じであった。
「そうやって誰彼と男を誘っているんだろう?この尻軽」
育ちのいい筈のライルの暴言に、カァラは益々面白がった。
本当は、こうやってこの男の前に姿を現すつもりではなかった。
ただ、アベルとこの男の会話を聞いて、益々気分を悪くし、頭痛がしだしたカァラは、薬をもらおうと思ったのだ。
本当ならいつもこの部屋にはアベルがいて、すぐに手配してくれるのだが、今出払っていては自分で調達しなければならない。
顔を合わせたくなかったカァラは、しばらく扉の向こうで、全員が出て行くのを待っていた。
しかし、このライルという男は、一向にこの部屋から出て行きそうな気配がない。結局、痺れを切らしたカァラが、こうして出てきてしまったのだ。
カァラも頭にきていた事もあり、アベルの情人(こいびと)であろう相手の男に、つい意地悪をしたくなったのも無理はなかった。本人の顔を見たら、益々そういう気分になってしまった。
それはどうしてだろうかと一瞬思ったが、あえてカァラは無視した。
無視したのだが、どうも近くで見る、このライルという男の容姿を見ていると何だか苛立ちが増す。
すっきりとした、美青年…。
第一印象はそうだった。細身ではあるが、鍛えられた筋肉質な引き締まった身体と、精悍な面立ち。育ちのよさがにじみ出るような物腰。
……その、自分とは真逆な洗練された貴公子然としたライルに、ほのかな妬みを感じて、カァラは慌ててその気持ちを振り払う。
(何で俺がこいつにそんな気持ちを持たなきゃいけないんだ…)
頭の隅でそう思ったが、カァラはそれを、自分の事を疎んだせいだ、と思うようにした。
だって、今まで自分に堕ちなかった男はいない。あの暁と宵の二人を抜かして…。
これは自分のプライドのためだ。
…カァラはそう自分に言い聞かせていた。だから、ライルが自分に気負わされ、感情をあらわにして崩れていく様を見て、溜飲が下がる気持ちになるのだ、と。
だが、牙を剥き出しにしている相手は、ただでは負けない気迫であった。
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