« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月29日 (日)

暁の明星 宵の流星 #167 その①


下卑た笑いを浮かべ、こちらの動向を探るような厭らしい目付き。
小太りの小さい身体を精一杯威嚇するように反り返った、ふてぶてしい態度が鼻につく。

うんざりする…。

内心、嫌気が差したところで、この北の国で一番大きい港を管理する者に、あからさまな嫌悪を向けることもできず、アベルは目の前の男に愛想笑いしながら、今聞いた話を繰り返し尋ねた。
「…で?早々に港を出て行って欲しい、ということですかね?管理官」
アベルのもの柔らかい声に、管理官は益々調子に乗ったかのように顎を上げた。
まぁ、そうでもしなければ、背の高いアベルと話もできないのだが。
「ええ、もうかれこれ契約更新のお時間が迫っているわけですし。
少し早いかと思いましたが、とにかく今の場所をどうしても譲って欲しい、という客人がありましてね…」
「なるほど」

北の国一を誇る巨大な港に、アベル達は船を管理してもらっていた。
船、といっても、大型船であり、また準軍艦とも言っていいほどの装備がされていた。だから尚更、メンテナンスを含め、中型以上の船を管理できる術を持った人間のいる港に、入港しなければならなかった。
もちろん、大型船が停船できるほどの規模の広さを持つところでないと、他では断られる恐れがある。
だからこそこの一番大きな港に、破格の料金で契約した筈ではなかったのか。

「我らとしては、更新料を上乗せするつもりでいたのですがね…。
どうしても、港から出ていかなければなりませんか?
他の場所に移るとか…」
アベルは上面で微笑みながら、管理官に聞いた。
「いやはや、あれほどの装備の船を預かれる場所は、もううちにはないんですよ…」
アベルの紳士的な態度に、管理官は足元を見たのか、下卑た笑いを返すと、こうも言った。
「申し訳ないが、先日入港した客人が、お宅の倍額で是非とも契約したい、とおっしゃってねぇ。
うちとしては、そこまでおっしゃてくれる客人を待たせるわけにもいかないんですよ。
……でも、まぁ、我が港ほど大規模で、最新最高の機能を誇る港もありませんし…。これから他の港に移る、となっても、荒波の提督所有の船を管理できる港なんて、この北には滅多にありませんから、お宅方がこれからお探しになるのも大変でしょう。
どうです?ご帰国なさるつもりがなければ、私の“ツテ”で、港を探して紹介してもよいのですが…」
「それはもちろん…」
管理官はへらりと笑った。
「ええ、もちろん、それ相応の謝礼によりますがね…」


「まったく、何でしょうな!ここの港の役人という奴は!」
港の管理官が去った後で、珍しくあの温厚なレザー大尉が憤慨していた。
アベルはふうっと息を吐くと、仕方ないというように肩を竦めてこう答えた。
「それだけこの北の国の財政が厳しいということだろうよ。……取り立てられるものなら、取り立てようという…ね」
「ですが、アベル提督。あの男はどう見ても、国のためというよりも、個人の欲目に動かされているとしか思えませんぞ!」
吐き捨てるように言うレザーの憤怒の顔を眺めて、苦笑いしたアベルは、机上の書面を整理しながら呟いた。
「かもな」
青筋を立てながらも、落ち着こうと胸を上下させながらレザーは声を絞り出した。
「……で、いかがしましょうか、提督」
「うん、まぁ、…北の国を追い出されそうなのをライルに聞かれちゃまずいかも、って所かなぁ」
「…提督…」
「いやいや、半分冗談だよ。…確かに俺を連れ戻す気でここに来たライルに、いい材料だと思うがね…。
とりあえず紹介の方向で契約日まで待ってもらえる事になったが、あの管理官頼みというのもしゃくに障るなぁ。こちらも別手段で港を探したいところだが」
アベルはつと、手の中にある書面に目を落とし、唐突にレザーに問うた。
「……それよりも、我が荒波の船と同等レベルの大型船…という客人が、一番気にならないか?レザー」 
その問いに眉をしかめたレザーは頷いた。
「は、…確かに、気になりますな。…観光シーズンでもないこの時期に大型船ですか。
しかも、さりげなく伺えば、無国籍らしいではありませんか。
まぁ、表に出さない何処かの王侯貴族かのお忍びの船、とも考えられますが…。法外なほどの契約金を支払える船、ですぞ。…胡散臭くありませんかね」
アベルも頷き、パン、と手元の書類を叩いて、レザーに放った。
「見ろ、レザー。数日前、北の国に放った密偵からの調査資料だ」
急いで書類の束に目を通すレザーをじっと眺めながら、、アベルは腕を組んだ。
「こ、これは…」
「うん、あのティアン宰相が南に捕獲された後、行方をくらませたという一連の内情の詳しい報告書だ」
「ということは、提督…」
「ああ、ティアンには他に仲間がいたようだな。…しかもあの南の帝王に怪我までさせて逃げている。
で、カァラの話では、まだ宵の君は北の国に在国中だ。
……充分、臭うだろ?」
アベルは口の端でニヤリ、とした。
「……これは…もう少し調べてみないとわかりませんな。
州知事長にご報告、相談されてはいかがでしょうか。
このまま荒波に戻るには惜しい気がします。
…このティアンという男が狙っているのは、まかりなりにも東の神王のお血筋の方。
東の命運を握るとされる、大事な御方ですぞ。……やはり、見過ごすわけにはいきませんよ」
「そうだな、俺もそう思う」


《すでにセドの王子と接触できたのなら、もういいではないですか、アベル。
兄だってそこまでセドの王子に固執していたわけではない。将来、その王子が頭角を現したときに、荒波は荒波で正統に対応していけばいいと、僕も兄もそう思っている》

取り乱したライルが口走っていたその言葉も一理あるが、現状はそのような単純なことではなさそうだ。
…そう、初めは他の国の人間と同じように、セドの王子を手に入れることだけしか考えていなかった。
それが東統一の足がかりとなると自分は思っていたからだ。
だが、ハウル州知事長の見解としては、“セドの王子探索は認めよう、しかし、一番の任務は王子と接触し、現状を探る事”であった。
それはあの慎重なハウルらしい考えだ。
とにかく、その噂の王子がどういうつもりであるのか、本人の意向を一番に知りたがったのである。
だが、アベルとしては、そんな悠長な事を言っている時間はないと考え、ある程度強硬手段を取るつもりであった。
荒波を東の中心に据える為、正当な立場を好むハウルの心情もわからなくはないが、この北に来てからわかった事は、そのような甘えた考えでは太刀打ちできないほどの多数の強力なライバルが多く動いている、という事だった。
今は、大まかに南の国と、そのティアンだけが目立つが、あの流浪の民、ゼムカの王ですら、王子を狙っているというのも知った。…細かい所を言うのも何だが、ちらほらと有名な組織や人物が、セドの王子捕獲に本腰を入れ始めている事も耳に入っている。

だから、アベルは自分も尚更セドの王子…【宵の流星】の身柄を確保しなければ、と思っていた。
それは、己の野望…だけでなく、東の国民(くにたみ)としての本能と使命がそう思わせている事に、最近気がついたのだ。
そう、何故かアベルの気持ちに、いつの間にかセドの王子を保護しなければ、という思いが芽生えていた。
カァラのように直接本人に会った事もない自分が、どうしてこう思うのか…。
ただ、気がついたことは、昔から東の実権を握ろうと、幾度となくセドを襲った州ではあったが、その実、荒波は共和国時代、セド王国に一目置いていた事は如実であった。その証に、他国他族がセドを襲った時、何を隠そう一番でセドに援軍を送るのは常に荒波であったからだ。
自分達がセドを掌握するのはいいが、他には絶対に手を出させない。
そのような、まるで意地悪な男子が、苛めている好きな女子に向ける感情のようなものを、荒波はセドに対し持っていたようである。
アベルは内心苦笑した。
その感情が、荒波の人間であるアベルにも、無意識のうちに植え付けられていたわけだ。
(ま、俺も東の国民(くにたみ)、荒波の人間だということよ)

しかし、共に探索に協力してくれているカァラには、まだその事を告げていない。
【宵の流星】との事になると、あの他人には淡白なカァラが異常な拘りを見せる。
最近はその宵の相棒と言われる男、【暁の明星】に対しても、何かしらあったようだが、まだカァラ自身の本当の思惑を推し量れないアベルにとって、【宵の流星】の存在を、東…いや、大陸制覇の為の道具ではなく、東の国の為の保護意識に変わったと言ったら、どう思われてしまうだろうか。
どうしてだか、アベルにはその時のカァラの反応を知るのが不安だった。
(俺は、あいつに、大陸を制覇するというスケールの大きい男だと思われたいのだろうか?見栄なのだろうか?)
自問自答する自分を心の片隅で自嘲しながら、アベルはその時気がついたのだ。
……自分が、いつの間にかあの悪名高い【姫胡蝶】に、どれだけ心を持っていかれていたのかと。
それは心のどこかで、小物だと彼に軽蔑され、自分の元から去って欲しくない、という男のプライドがあるという事に。
今までの自分では考えられない情けない心情に、アベルは呆然とするばかりなのだ。
己の思うとおりに行動したい気持ちと、カァラによく思われたい気持ちがせめぎあって、最近のアベルははっきり言って混乱していた。
だが、荒波州提督のプライドが彼を支え、醜態を晒すこともなく通常の有様を保っているのは、今までの鍛錬のお陰かとも思う。


「とにかく、すぐに密偵を使って、北全域の港を当たらせてくれ。…もしかして、いい条件の港が見つかるかもしれないからな。このまま、あの管理官にいい思いはさせられない」
「そうですな!で、先の胡散臭い船の事ですが」
「ああ、そいつもついでに何か探らせてくれ。…充分気をつけて行動しろ、とね」
「了解しました」
「それから、かえってライルがここにいてくれてよかった。すぐにこれからの事を打ち合わせ、州知事長に報告する任務を任せようと思う」
その言葉に、レザー大尉の眉が曇った。
「これから、ですか?」
「ああ、ちょうどライルは会議室で待っているだろう。あなたも来てくれ」
「そうですが…。提督はライル様と個人的なお話し合いがあるのでは?」
困ったように聞くレザーに、アベルは首に手を置いて唸った。
「うー、わかっているが、この件が先だろう。……ライルとは、その後にゆっくりと話す…。それでいいだろう?」
「……仕方ありませんね。ライル様ももう落ち着かれた頃でしょうし、まかりなりにも提督の補佐官でもありますからね。…こちらを優先するのは、ライル様だってわかっていらっしゃいますとも」

.....................................................................................................................................................................................
.

その提督の補佐官、ライル大佐はほんの少し前、…─アベルらがまだ港の管理官と話している時である─…底なしの苛立ちの中にいた。
それは彼だけではない。目の前にいる美貌の男も、同じく腹に苛立ちを抱えて立っていた。

「なぁ、ちゃんと聞こえている?
そこ、どいてくれないと、この部屋を出て行けないだろ」

ふてぶてしく腕を組み、険しい目つきで自分を見つめる男に、先にこう言われ、ライルは口をむっとさせて身体を反転させた。ちょうどお互い向き合ったような感じになる。

「お前が【姫胡蝶】か」
ライルが侮蔑するような声色でそう言うと、カァラの眉が上がった。
「そうだけど、何か?
…あんたこそ何様だよ。自分から名乗らないくせに俺の確認か。
どうやら、世間知らずのお坊ちゃまらしいな」
辛辣なカァラの口調に、思わずライルはかっとした。
衝動のままに、この女みたいな男を殴ってやりたくなったが、ライルはぐっとこらえ、ジロジロと憎い相手を不躾に眺めた。


悔しいが、自分から見ても、相手は妖艶だった。

噂には聞いてはいたが、こうして実物を見るのは初めてだ。
確かに男とは思えぬ見事な美貌。
零れる絹の茶色の長い髪から覗く白い顔は見事な卵型を描き、整った顔立ちで一番印象的なのは、真っ赤な紅を差した誘うような唇。
男であるとわかっていても、目の前にいるのはどう見てもしどけた妖婦にしか見えない。

その圧倒される姿に、ライルは一瞬思考が停止してしまったくらいだ。

しかし、かえってライルの脳裏に疑問が湧く。

何故?どうして?アベルは、こんな女みたいな男に心を奪われてしまったのだろうか…。
そう考えれば考えるほど、ライルに腹立たしい気持ちが湧き上がってくる。
「お前に名乗るような名前なんてない。この泥棒猫が」
つい、尊大に口調すらもきつくなる。だが、どうしても止められない。
ライルにとってこの目の前の男は、愛する男を誘惑し、堕落させた張本人なのだから。

「へぇ、泥棒猫」
カァラはむっとするどころか、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべると、するりと優雅にライルの傍に寄った。
ふわり、とライルの鼻腔にカァラのつけている甘い香りが広がった。

ライルの眉間に益々深い皺が寄る。
そのあからさまな嫌悪な表情に、カァラはもっと意地悪い気分になった。
「あんた、さぁ」
まるで本物の猫のように、目を光らせてライルに擦り寄ろうとするカァラに、びくっとして思わずライルは飛びのいた。
その様子に、くすくすとカァラは笑うと、無理矢理ライルの懐に自分の身体をねじ込ませた。
「何をする!は、離れろ!」
慌ててカァラを自分から離そうと、ライルは強い力で相手の腕を掴んだ。
だが、そのあまりにもの細い腕にびくっとしたライルは、焦って自分の手を離した。
「何、俺の事、意識してんの?」
ライルの挙動に目を眇めていたカァラは、わざと甘ったるい声を出して、逃げるライルの手を強引に掴んだ。
「!」
その思いもしない手の力に、ライルは初めてカァラに男を感じた。


こいつも、男だ…。


見た目が女、であることに、ライル自身も錯覚していた。心のどこかで侮っていた。
目の前で、こちらを見詰める灰色の刺すような眼力は、確かに男のものである。 

嫌な汗が出る。

……ライルの脳裏に、女の姿を纏った奥に、豪胆な男の姿が浮かんだ。

この自分が気負わされそうになるなんて…。
だが、それがかえってライルの怒りに再び火をつけた。

こいつ、ただの女臭い男じゃない…。

それに気がついたライルは、激しくカァラを憎んだ。
そう、彼の中に、真性の男を見つけてしまったということは……。

「離れろ、この、女男が」
ライルは精一杯、虚勢を張った。わざと貶める言葉を吐こうと必死になった。
それは壁に追い詰められた鼠のように、相手に牙を向けたと同じであった。
「そうやって誰彼と男を誘っているんだろう?この尻軽」

育ちのいい筈のライルの暴言に、カァラは益々面白がった。

本当は、こうやってこの男の前に姿を現すつもりではなかった。
ただ、アベルとこの男の会話を聞いて、益々気分を悪くし、頭痛がしだしたカァラは、薬をもらおうと思ったのだ。
本当ならいつもこの部屋にはアベルがいて、すぐに手配してくれるのだが、今出払っていては自分で調達しなければならない。
顔を合わせたくなかったカァラは、しばらく扉の向こうで、全員が出て行くのを待っていた。
しかし、このライルという男は、一向にこの部屋から出て行きそうな気配がない。結局、痺れを切らしたカァラが、こうして出てきてしまったのだ。
カァラも頭にきていた事もあり、アベルの情人(こいびと)であろう相手の男に、つい意地悪をしたくなったのも無理はなかった。本人の顔を見たら、益々そういう気分になってしまった。
それはどうしてだろうかと一瞬思ったが、あえてカァラは無視した。
無視したのだが、どうも近くで見る、このライルという男の容姿を見ていると何だか苛立ちが増す。

すっきりとした、美青年…。

第一印象はそうだった。細身ではあるが、鍛えられた筋肉質な引き締まった身体と、精悍な面立ち。育ちのよさがにじみ出るような物腰。
……その、自分とは真逆な洗練された貴公子然としたライルに、ほのかな妬みを感じて、カァラは慌ててその気持ちを振り払う。

(何で俺がこいつにそんな気持ちを持たなきゃいけないんだ…)

頭の隅でそう思ったが、カァラはそれを、自分の事を疎んだせいだ、と思うようにした。
だって、今まで自分に堕ちなかった男はいない。あの暁と宵の二人を抜かして…。
これは自分のプライドのためだ。
…カァラはそう自分に言い聞かせていた。だから、ライルが自分に気負わされ、感情をあらわにして崩れていく様を見て、溜飲が下がる気持ちになるのだ、と。

だが、牙を剥き出しにしている相手は、ただでは負けない気迫であった。

にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月22日 (日)

暁の明星 宵の流星 #166 その②

現れた年配の兵士、レザー大尉の言葉にアベルの表情が曇った。
レザーはアベルから離れると、すまなそうな顔で奥で背を向けるライルにこう言った。
「申し訳ございません、少々、提督をお借りしてよろしいでしょうか?
実は、港の管理官がぜひ提督にお会いしたいと申されまして」
「船に何かあったとか?」
ライルは心持ち顔を振り向かせると、努めて平静な声で問うた。己が取り乱している様など、昔馴染みのレザー大尉に見られたくないし、悟られたくもない。
せめてものプライドがライルを奮い立たせ、提督の参謀としての立場に戻ろうとする。


そのレザー大尉は、元はライルの実家であるリッツ家の護衛を務めていた男だった。
幼少の頃のハウルやライル達兄弟を直に護っていた男で、その軍人にしては温厚な性格が、子守役にも適任として、長年彼らに仕えてきた。
リッツ家の子供達が皆成長し、彼らの手が離れたと同時に、代々軍人の家柄だった彼は、アベルの父の勧めで再び軍に戻った。
実は彼はアベルの遠縁でもあり、またあの変わり者の父の数少ない友人の一人でもあった事から、リッツ家の子息達と同様、色々と個人的に懇意になってもらっている間柄であった。特にアベルが海軍のトップに立ってからは、よき理解者、相談役として軍部で支えてくれる事が多い。今回もまた、提督の公私共の補佐役として同行していた。


「…はぁ、それは管理官自らお話ししたいそうで…」
レザー大尉の歯切れの悪い言葉に、ライルとアベルは同時に眉をひそめた。
「わかった…」
しばらくして溜息と共にアベルはそう呟くと、後ろを向いているライルに声をかけた。
「申し訳ない、ライル大佐。……俺は少し席をはずさなくてはならない。だから…」
アベルはちらりと部屋の奥にある扉に視線を走らせた。その扉は自分とカァラの寝室に繋がっている。
ただでさえ不機嫌なカァラが、この状況を面白がる筈などないだろう。
本当は心の中で、レザー大尉が来てくれた事にほっとしていた。
もうこれ以上、ライルとの揉め事を続けていたら、どんな事になるのやら。
カァラの事だ。別に自分とライルの間柄に嫉妬するタイプではないだろうが、騒ぎが続くのはさすがにやばいだろう。
普段と違って今のカァラは、まるで月のものが来ている女性のように些細な事で苛つきを見せ、感情的になっていると言ってもよかった。できればそっとしておきたい。
「悪いが別の部屋で俺を待っていてくれないか?」
カァラが起きてくる前に、できるだけ早くライルをこの部屋から出さないと…。
アベルはそう思いながら引き出しから鍵を取り出すと、優しくライルの手にその鍵を握らせた。
「真向かいの部屋の鍵だ。たまに会議で使っているが、普段は誰も使っていない」
ライルは手渡された鍵をじっと見詰めていたが、ゆっくりと虚ろな顔でアベルを見た。
「すぐにその部屋に行く。だから…」
宥めるような優しい声で、アベルはライルに囁いた。
「いい子だから、大人しくそこにいてくれ」
しばらくぼんやりとアベルの顔を見ていたライルだったが、きゅ、と唇を噛むとゆっくりと頷いた。
「よし、いい子だ」
アベルはつい、昔、子供の頃のライルによくしてあげたように、くしゃっと頭を撫でてにっこりと微笑んだ。
つられてライルも引きつった微笑を返す。
一瞬だったが、まるで過去に遡ったような雰囲気が二人を包んだ。
「提督、お早く」
レザー大尉の声にはっとすると、アベルは彼と共に廊下に通じる扉に向かった。そして去り際に再びライルの方を見ると、「戻ったらゆっくりと話そう」と一言残して部屋を出て行った。


.................................................................................................................................................................

「提督も、何かと心労が耐えませんなぁ」
二人きりになると、レザー大尉が突然砕けた様子でアベルに話してきた。
このような軽口を叩けるのも、部下の中ではレザー大尉くらいなものである。
「……あなたまでこの俺に辛言するのか…」
廊下を歩きながら、アベルはついぼやいてしまった。
何しろこの男は部下とはいえ、父親の親しき友人でもある。しかも自分の子供の頃をよく知っている。
その事が軍隊ではやりにくいというよりも、心強いのが本音であった。だが、今は少々それが気恥ずかしい。
何故なら、右腕となったライルの事も子供の頃からよく知っていて、自分達二人の関係に気付いていた数少ない内の一人だったからである。
言い換えれば、親に二人の恋愛事情を知られている、といったような類の恥ずかしさに似ているかもしれなかった。
だが、レザー大尉の有難いところは、それを臆面に出さない事だった。
遠くから見守ってくれて、何かあると助言してくれる、物分りのいい出来過ぎた大人だと言える。それがいいか悪いかは別として…。
「辛言?何をおっしゃる。私は常に提督閣下の味方ですぞ」
にやっと口の端で笑うレザーに、アベルは肩を落とした。
「あなただって呆れている筈だ。…部下に手を出したこの俺を…大馬鹿だと」
その自虐的な言い方に、レザーはハァっと息を吐いた。
「ほぅ、貴方の気にしているところは“そこ”ですか。
……ライル様を受け入れなかったという事よりも、【姫胡蝶】に夢中になっているという事よりも?」
「レザー…。やっぱり辛辣だ…」
情けない声のアベルに、レザーは片眉を上げた。
いつもの彼なら、個人的な事には自ら首を突っ込まない性質(タチ)なのであるが、どうも今はこの不甲斐ない様子の提督閣下に色々と言いたいらしい。 
「お言葉ですが、アベル?ライル様はただの部下ではございませんでしょう。
………まかりなりにも、現州知事長の弟君で、名家リッツの御曹司であられる…」
「そうだよ、わかっている。俺だって…」
「アベル提督」
レザーは苦笑いしながらこう言った。
「別に私は咎めているわけではないのですよ。…私の言い方に誤解されて、ライル様に手を出さなければよかった、などと思って欲しくない、という事です」
「レザー」
レザーはアベルの背を宥めるように軽く叩いた。
「私はあなたもライル様も大切なのです。
本音を言えば、お二方が一緒になられればそれは嬉しいし、そうでなくてもそれぞれがお幸せであればそれでいいのす。
ライル様の事、ただの遊びの相手として受け入れたわけですか?そうではないでしょう?」
アベルは軽く頷いた。
「一度も遊びだなんて思った事ない。……ライルを受け入れようとするには…実は相当な覚悟がいったから…」
思わず独り言のように呟くアベルを、レザーは慈愛のこもった眼差しで見詰めた。
「…わかっておりますとも。あなたはそのような浮ついたお方ではないですからね。
ただ、恋、というものはままならないもの。
……………人の心もままならないもの。
その事をライル様が受け入れてくださると…いいですねぇ…」
レザーもまた、独り言のように呟いて顎を撫でた。
「あまりご自分を責めないでいただきたい。
周りに何を言われようが、私は今のあなたが好きですよ。
むしろ、前よりも人間臭くて」
レザーはふふっと笑った。
「そうか?」
「ええ」
レザーはきっぱりと断言した。
「それが誰かの影響…と言いませんがね」
彼は再び思わせぶりにニヤリとすると、話題を急に変えた。
「それで、港の管理官の事なのですが…」

レザーはアベルと廊下を歩きながら仕事の話を再開した。だが、彼の胸中は実は複雑でもあった。
アベルにはああいう風に言ったが、本心では大切な二人の青年の行く末が心配だった。

(特にライル様は…。
真面目で、誠実で、努力家で)

ライルは子供の頃から一本気なところがあって、優等生でもある彼は、リッツ家の女主人にとって自慢の息子であった。
ただ、生真面目で固い所が、その女主人…ライルの母親とそっくりで、それはともすると自分の理想を裏切られると深い憎悪を生むであろう可能性が高いとレザーは危惧した。
もっと柔軟に…人生というものはそんな全てが思うとおりにならないものだという事を、そろそろ彼にもわかって欲しい。特に人間相手ともなれば…。
それを思うと、アベルも【己の感情、人生をコントロールする】という似たようなところがあったが、それが今は上手い具合にバランスが取れているようにレザーには見えていた。
人は思いがけない出来事に遭遇しても、それが抗えない大きな力を感じたら、一度素直に受け入れる事も大切なのではないかと、レザーは思っていた。
それが悲しみであれ、苦しみであれ、喜びであれ。……怒りであれ。
腹を括って一度受け入れ、内観する。そうして見えてきたものは、絶対に己の糧となる筈だ。
それからどう行動するかは、その人間の器によるであろうが。


(だからこそ、この件でライル様が成長されることを私は望んでいるのです…)
レザーはそう心の中で呟くと、そっと人知れず目を伏せた。


.................................................................................................................................................................


残されたライルは、しばし呆然と、彼の出て行った扉を見詰めていた。

《すぐにその部屋に行く。だから…》
宥めるような優しい声。
《いい子だから、大人しくそこにいてくれ》
まるで海のような深い青の瞳が揺らぐ。
《よし、いい子だ》
自分の頭をくしゃっと撫でて、昔と同じくにっこりと微笑んでそう言ってくれた…。

ライルはそっと、彼に触れられた自分の髪に手を当てた。じんわりとそこだけが温かい…。


幼い頃、兄達に置いてけぼりにされていつも泣いていた自分に、すぐに気がつくのはいつもアベルだった。
『ほら、泣くな』
そう言っていつも頭を撫でて、構ってくれたのもアベルだ。
アベルの華やかな容姿に見惚れ、思わず泣き止めば、今度は力任せにくしゃくしゃっと人の髪をかき回す。
『ようし、いい子だ!次は笑ってみろ、ライル。ほら』

考えてみれば、兄弟とはいえどこか他人行儀でよそよそしい兄達よりも、他人であったアベルの方がいつも自分に親身になってくれていた。
それが、単に彼の世話好きで子供に優しい性分であったとしても。
沢山の弟達のひとりと思って、放っておけなかったのかもしれないとしても。
ライルにとって、アベルは最も近しい憧れであった。
いつしかそれが恋心になったとしても、仕方のないことだったのかもしれない。
最初は、ただ単に憧れているだけの年上のお兄さんだった。だが思春期にさしかかって、自分の長兄と抱き合っている場面を偶然見てしまってから、彼に対する自分の気持ちに気付いてしまった。
ショックだった。
誰にも言えなかったし、悟られたくなかったから、表面的には何でもないように過ごしていたが、ライルの衝撃は何年も続いていた。
兄と憧れの君の関係以上に、それを知った自分の本心の方がショックだったのだ。
ライルは何年も、実の兄に対する激しい嫉妬と憎悪に苦しんだ。
胸を掻き毟られるほど…。それほど自分の中に激しい感情が潜んでいた事に対する衝撃だ。

そのどす黒いものが、今またライルの奥から湧き起こってくる。
兄が彼と別れ、やっと手に入れる事ができると思った矢先…。

「アベル…。もう、遅いよ…」
だって、もう自分は彼の肌を知ってしまった。
柔らかで魅惑的な唇の味だって知ってしまった。
昔、どれだけ彼と触れ合う兄を羨んだか。その果てにやっと手にした幸せだったのに。
つかの間になってしまった。でも、もう自分は戻れない…。
「昔のような関係には…もう…」
戻れないのではない。戻りたくない、だ。
思わずライルの目の奥から、じわりと温かいものが湧いてくる。

絶対、諦めるものか…。

そう心の中で決心し、アベルから預かった鍵を手の中で握り締めると、意を決してライルは出口の方に進み出て、扉の前に立った。

《戻ったらゆっくりと話そう》

そう最後に言ってくれた。
という事は、自分とじっくり話をしてくれる気持ちが、まだ彼にはあるということだ。

(アベルが部屋に来たら)
ライルの心臓が早まる。
(必ず、説得してみせる。…泣き落としでも、強引に迫ってでも)
途端に嫌な考えが脳裏に浮かぶ。
説得できなかったら…彼を刺して…自分も後を追う…?
発作的に浮かんだその情景に、ライルは背筋がぞっとした。
(馬鹿な、一体僕は何を考えているんだ!)
まだわずかに残っている己の理性が叫んだその時だった。

「なぁ、いつまでそこにいるつもり?出るか残るかどちらかにしてくれる?」

背後で不機嫌な声がして、ライルは弾かれたように後ろを振り向いた。

「扉の前で突っ立ってるの、邪魔なんだけど」
部屋の奥、多分察するにそれは寝室であろう扉がいつの間にか開いていて、そのすぐ脇の壁に腕を組んで寄り掛かる髪の長い人物が、じっと自分を睨みつけている。

ライルの胸がぎゅっと締め付けられた。

緋色のローブを素肌に纏った姿は、一見、女のようだが、その合間に除く白い胸元は完全に男であった。
しかもアベルの部屋の寝室から姿を現したということは…。

「お前…【姫胡蝶】…」
喉から引きつるような声が出た。

にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 7日 (土)

今年もよろしくお願いします

新春を迎え
皆々様の御多幸をお祈りいたします


とうとう2年目に突入してしまいました。

今年の目標は、

春までにこの物語を終えること、
なるべく更新をすること、
新作にとりかかること、

…でしょうか。

今までちゃんとした文章…小説など書いたこともない自分が、ここまで来れたのも、皆様のアクセスのおかげであります。

といいつつ、なかなか上達しませんが、これからもリハビリ続行で、精進したいと思います。

だいたい小説書きの基本すら勉強不足で、勢いでこのブログを立ち上げてしまったものですから、タチが悪い…かも

書き直し、訂正する部分が多くて泣けてきます…。

それでももう最後の方に来てしまったのですから、勢いのまま、完走したいと思います。

それから今年は、なるべく筆が止まらないように、こうしたつぶやきを多くするかもしれません。

やりたいこと、やらなければならないこと。
今年は多くて目眩がしそうですが!
どこまでやれるか、気を引き締めていきたいと思います。

で、やはり自分は映像人間だなぁと思ったのは、目が悪くなってさえも漫画を描きたいという気力が萎えていないことです
だいたい、脳内全て漫画(またはアニメか実写)で妄想しているのを、無理やり文章に直しているのですから、仕方ないことかもしれません…。
つい、ついパソコンで絵が描きたくなって、初めてペンタブ(ペン&タブレット)なんていうものに…。
もちろん、金欠の自分は有名メーカーさんのを買えなくて安物だったんですが、衝動買いしてしまいました。
いつかは絶対Wacom社のものを!

で、新春早々のお目汚しで申し訳ございません。
初、ペンタブでお絵描き……ひ、悲惨…
A00001902691_2

次回はちゃんとしたお絵描きソフトに挑戦します。

なかなか使いこなせないと悲惨でしょうが、好きなことは止められないですね。

本編は今週中にでも再開しようと思っています。
その合間に、他のブログも更新できるといいなぁ。
何せ昨年は、ここばかりに力をいれて他は完全放置でしたので…。


このような自分ではございますが、
今年もどうぞよろしくお願いいたします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »