暁の明星 宵の流星 #169 その③
「あの石板…セドナダ王家の家系図だけど、本当に手に入ったのは偶然だったんだ。
あの時こそ、珍しく神に感謝した事はなかったよ」
そう。
本当にその時はただの偶然。何とも幸運な事よ、と思っていた。
ただの腹いせ。これであのむかつく男に一泡吹かせてやれる。
いつも傍観を決め込み、他人の出来事にはせせら笑って眺めているのが性に合っている筈の自分だったが、事実そうして気持ちが晴れたのは確かだ。
だが、最近。
いや、あの運命の二人、宵と暁に出会ってから、言い知れぬ何かを感じ、こう思うようになっていた。
あの石板が自分の手に渡ったのは、偶然ではないのかもしれない、と。
…邪眼を持つ自分に引かれたのか、はたまた大きな見えない力が動いて、石板が手に入り、それを公にするように何かが自分に働きかけたのではないかと。
……人ではない、何か、が。
事実、あれ以来自分の運命が急展開した。
東の国の有力州のトップとの出会い。
宵の君の存在感。……そして、【暁の明星】の波動に触れた。
今までの自分を根本から揺るがす出会いを、この短期間で立て続けに遭遇した。
まるで何かに導かれるがごとく微細な流れに流されて、気がついた時には一本の大きな河に合流しているような。
運命、とそれを人は呼ぶのかもしれない。
この公表が、宵と暁の二人にとってひとつの波紋を投じたと同じように、また、己自身も渦巻く波紋に巻き込まれている。……全ては巧妙にして繊細なる運命の仕組み。
この波紋がこれから、どのように形を変え、どのように広がり、どのようにこの世界に影響を与えていくのか。
………カァラは己自身が変化していきそうな恐れと共に、激しい好奇心をも覚えていた。
その好奇心が、カァラを雄弁にさせた。
先程とは打って変わって意気揚々と語るカァラに、アベルは不思議そうな顔で眺めた。
「でも、肝心なところが削られたていたけどね。…何処だと思う?」
カァラの問いかけに、その場にいたアベルやライル、そしてレザーは頭(かぶり)を振った。
「宵の君…キイ・ルセイ=セドナダ…。
彼の父親がアマト第5王子というだけで、母親の名前が完全に消されていた。
きっと、その石板を手にしたオーン神教の大聖堂が抹消したに違いない。
それだけ、王子の母親の素性が世に知られるのを懸念したという事だよ」
「……天空飛来大聖堂(てんくうひらいだいせいどう)の…巫女の頂点…姫巫女…?」
ライルの呟きに、カァラはにやりとした。
「俺が推察するには、セドナダ王家はそれを全面に押して、この王子を持ち上げる気満々だったようだけどな。
さすがにこの生き残りの王子が、巫女を陵辱した果てに生まれたなどというのは体裁が悪そうだけど、そんなことも構ってられないほど、セドナダ王家って追い詰められていたみたいだ。
今でも王家が存続していたら、この背徳の王子について、どうとでも言い逃れしていたとか思うと、面白いと思わねぇ?多分それまでも色々と自分達に都合よく脚色してきたんだろうけどよ。
例えば、巫女様自身が望んで神の子孫である王子と恋に落ちた、とか、結婚したとか。はたまた手を出した王子に全ての罪を被せたりとかさ…。
まかりなりにも、巫女様のお子だぜ。しかも種は神王の直系だ。
いくら大聖堂がお怒りになっても、この事実を正当に美談にし、宵の君を奉る気満々だったってことだ。
どんな事をしても、セドナダ王家はこの背徳の王子を…いや、この王子の神の力を欲していたようだもの。
そこのとこは、同じ東の国民である、荒波さんがお詳しいのではないの?」
「いや…。そのような込み入った内情は、きっと機密部分だったろうから、洩れてくる事がほとんどなかったと思う。
ただ、あの当時、前任の提督の話では、国の情勢は芳しくなかった、と聞いている。
東の国、全体でのこと。つまり、その中枢であるセド自体が衰退していた、ということだ」
答えたアベルは、前髪をかき上げると、自分も近くのソファに腰を下ろした。
「当時のセドの国勢は、かなり危ぶまれていた、と聞いている。
それまでも、元々少ない国民(くにたみ)…民族であり、この数百年とも言われる、ゆるやかな女性の減少。それに拍車をかけての近親婚が続いた事もあり、太古と違って、神王たる王の質が衰えていた、と。
だからこそ当時の荒波は、セドの中枢の座を度々狙っていた。それが東の存続にも繋がると、荒波なりの正義があった。…まぁ、荒くれ州と称されるだけあって、その手段はかなり強引なものだったらしいが。
……だが、オーン神教と同じく、その兄弟ともいえるセド王家のプライドも限りなく高い。
彼らが自分達の存続を焦って、何かしら無茶をしたというのも、わからない話ではない。
それだからとて、巫女に神王の血筋を生ませるなどという、そんな大それた事…」
アベルの話を聞いていたライルが、ふと呟くように話し始めた。
「あの大聖堂の大神官、サーディオ様の姉君であられる、亡き姫巫女様は、歴代の巫女様の中でも、最高にして純粋で清廉、しかも癒しの力を持つ、有難き女神様のごとき姫巫女、と聞いた事がある。
……それが、いつの間にか退位され、亡くなった…と。
でも世間の噂では、神を裏切り、駆け落ちし、しかもその相手がセドの王子で、その後、神の裁きを受けてまもなく病死されたと。
だけど当時、母はその噂を聞いて凄く立腹して…。そのような下賎なデマを聞くな、信じるな、と大層な剣幕だったと、兄達が話していた事を…思い出した。
あれって本当の事だったんだ…」
ライルはつと顔を上げて、挑むように佇むカァラを見据えると、低い声で話かけた。
「だが、お前こそ、よくそんな詳しい事を知っているな。
……東の…民でもないくせに」
「だから言ったじゃん。
その内情に詳しかろうティアンが俺の養父だったって。
………俺はね、あのティアンご執心の宵の君の事は、生まれたときから嫌というほど聞いてきたんだぜ。
あいつは…俺の…」
と、カァラは言いかけて、やめた。
このようなこと、他人には言いたくないし、言うような事でもないと思ったからだ。
自分が宵の君の代わりに…いや、ティアンらの実験対象として、母を陵辱し自分が産まされたなどと。
「ま、こんな俺でも全て知っていたわけじゃない。
……段々と明らかかになってきたのは、こうしてアベルと宵の君捜索に出かけてからさ。
邪眼はね、意外と厄介で、対象が近くないと力は弱いし、近くても波動が合わないと発動しないものなんだ。それを合わせてもいいが、俺の気分が乗らねぇとな。
それでも、結構、お蔭さんで色々とよーくわかったよ。……セドナダ王家の生き残り……最後の王子の事を」
アベルは話しているカァラの様子をじっと観察していた。
ここまで雄弁なカァラは初めてだ。しかし、一番自分が知りたいこと…カァラ自身のことは意図的に隠しているように見える。…最初は宵の君の情報を知るだけで胸が躍ったものだが、今は、それだけでは足りなくなっている。
それ以上にカァラの情報を知りたいという衝動に気付き、アベルは複雑な心境になった。……ということは、つまり。
アベルは観念したように、ふっと表情を崩した。
ずっと、自分の中で自問自答していた答えを、はっきりと知ったような気分だった。
カァラを…この魔性といわれる男に、自分は…やはり恋している。
自分ではっきりと自覚したのなら、ここは潔く認めるしかないではないか。
密かにアベルの顔色を窺っていたライルは、彼の急な表情の変化にはっとした。
そして、陰欝な気持ちで俯いた。膝の上で組んでいた両手の指が、微かに震えだす。
あの、【姫胡蝶】を見るアベルの瞳。
紛れもないあの輝きを目の当たりにしても尚、認められない、認めたくない自分がいた。
だが、それを今、表に出す事をライルはかろうじて押し止めた。
今は個人的な話し合いをしているわけじゃない。今はセドの王子の話だ。
己に残されている、アベルの右腕というわずかな希望が、感情に抑制をかけてくれている。
ライルは自分の気持ちを悟られないよう、淡々とした声でカァラに問うた。
「貴君が、かなりセドの王子に心を入れ込んでおられるのは、よくわかりました。
では、これからどうするおつもりか?【姫胡蝶】殿。
我が提督は、貴君の王子を荒波に保護するおつもりです。…貴君はそれで構わないと?」
アベルはその問いに微かに緊張した。
カァラの宵の君への思いを、怖くてはっきりと聞いていない自分に情けなさを感じると共に、このようなことでビクつく自分に苦笑した。しかし、これはこれから同じ人物を追うもの同士として、はっきりとさせないといけないことであろう。
カァラは、一体宵の君をどうしたいのか。どうするつもりなのか…。それとも…。
カァラはライルのその問いに、面倒臭そうに溜息をつくと、きっぱりとこう言った。
「お宅らの事情なんて、俺には関係ねぇし、興味もないね。
ただ、目指す興味の対象が一致したってだけさ。
その影を追うのに、俺はあんたらの武力や調査能力を欲していたし、あんたらは俺の邪眼と情報を当てにしたんだろう?
利害の一致って奴で、最終的に宵の君をどうこうしたい、何て事は、今回の契約にはないと思うがね」
そう。それは表向きの事情ってやつで、実際、個人的に二人の間では、セドの王子を手にし、天下を狙うという話も出ていた。男としての浪漫を刺激され、最初のうちはその気だったアベルも、様々な情勢が彼を冷静に引き戻した。カァラとて、その話にどこまで本気だったか…。今考えるとお互いを昂らせる為の単なる睦言の延長だったような気もする。
それゆえに、今のカァラの冷ややかなその言い方が、アベルの胸の内に冷たいものを走らせるのには充分だった。
いけないな、このようなカァラの正当な言葉で、感情が乱れてしまうなんて。
アベルは自嘲しながらも、努めて平静を装い、周りを見渡し口を開いた。
「確かにそうだな。
……ならば、宵の君の件は、これからゆっくりと話そうか、胡蝶。
ライル、君ももういいだろう?
とにかく俺はもうしばらく胡蝶と行動を共にして、宵の君自らと接見し、彼の考えを聞き出すつもりだ。
俺としても、実際にキイ・ルセイ=セドナダ王子に会って、その人となりを確かめたい。彼がどのような男であるのか、どのような思惑を持っているのか、果たして頂点と立てるような器であるのか。
だから我々も彼をどうするかなんて事は、ご本人に会ってからの話だと思う。
自分のこの目で確認した上で、正直な見解を荒波政府に届けるとしよう。
そのために、君は君の兄であるハウル州知事長に説明をし、対策を煉っていて欲しい。
なるべく細かに情報は密偵で知らせるが。
……頼まれてくれるかい?」
しばらくライルはアベルの顔を見詰めていたが、意を決したように頷いた。
「……それが貴方のお望みならば」
そう呟くように言うと、ライルは立ち上がった。
「それではすぐに、僕は行動に移した方がよろしいですね?
…こうしている間に、あのティアンの方が先に、セドの王子を手にするかもしれない…」
「ああ。一刻を争う、と俺は思っているが…。
とにかく、ティアンめの動向も、別口で調べてはいる。出来る限り、荒波州としての政策を固めていて欲しい、と告げてくれ」
「わかりました」
ライルはそう言うと、ちらりとカァラを横目で見ると、目を伏せてこう言った。
「では、【姫胡蝶】殿との契約が無効になるまで、僕はお二人の件に関しては口出しするのを自重しようと思います。もちろん、兄にも…。ハウル州知事長にもその事を説明いたします。ですが…」
ギリッと力強い目で、ライルはアベルの顔を見据える。
「これはあくまで、佐官として任務を遂行する一環である、という事をお忘れないように。
……個人的に…ゆっくりとお話できる機会を、僕は…僕は…ずっとお待ちしております」
哀しげな眼差しを、つい、とアベルに向けると、ライルは出口に向かって歩き出した。
「ライル…」
アベルの呼びかけには答えず、扉に手をかけたライルは、一瞬立ち止まり、背を向けたまま独り言のように呟いた。
「ここまで…ずっと待ち続けて来たんです…。それがまた長くなったというだけ。
僕にとっては…どうってことのない事だ…」
その切ない呟きに、アベルも、そして顔には出さなかったが、カァラまでもが胸を締め付けられた。
「お、お待ち下さい、ライル様!」
出て行こうとするライルに、レザー大尉が急いで引きとめる。
「でしたらこれからこの任務について、提督と打ち合わせをしないとなりませぬ。
お一人の身では、何かと不都合と思います。
もっと詳細な打ち合わせを…」
「そうだ、ライル。まだ待ってくれないか?レザーの言うとおりだ。
これからお前に何人かの部下をつけようとも考えている。
それだけその機密を運ぶのに、念には念をいれておきたい。
頼む」
アベルの言葉に、ライルの動きが止まり、ゆっくりと振り返った。
その顔は平静を保っているようだったが、揺らぐ眼差しは嘘をつけなかった。
どんなに、辛い思いをさせてしまったんだろうか…。
アベルはこの時思い知らされ、暗澹たる気持ちになった。だとしても、どうしてやれるだろう?
アベルはライルに対し、自信を失いつつあり、どのように接したらいいかもわからなくなっていた。
しかし、そんな気持ちは押し隠す。皆の手前があるからだ。
「ほら、戻って座れ、ライル大佐」
いつもと変わらぬ態度でそう促した時、ずっと無言でこの様子を見ていたカァラが、不機嫌な調子で口を挟んだ。
「じゃあ、俺への用事はもう済んだんだろ?
いい加減行ってもいいかなぁ。
俺、頭痛いんだよ。悪いけど、先に寝させてもらうわ」
自分のこめかみを手で押さえながら、カァラはむっつりとして寝室に続く扉へと向かった。
「カァ…【姫胡蝶】…」
呼び止めようとしたアベルに、カァラはふん、と鼻を鳴らした。
「これ以上、俺に用なんてないだろう?
アベルの用件だって、結局は今の状況を俺に確認させたかった事だろうし。
安心しなよ、“海軍提督閣下”殿。
契約は目的までとりあえず有効だからさ。
前にも約束したとおり、あんたを必ず宵の君に会わせてやる。…それまで協力してやるからよ」
「カァラ…」
思わず本名で呼んでしまったアベルは、皆の手前、慌てて口を噤んだ。
「だから言ったじゃん。
俺はティアンの助平ジジイに一泡吹かせられればいいって。
こうなりゃ、あいつの野望を潰すのも面白そうだ。
あいつがずっと追い求めていた…セドの王子も神の力も、……こうして徐々に明るみに出始めたんだしね」
投げ捨てるように言うと、カァラはアベルの答えを待たずに勢いよく寝室へと退場した。
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宵の流星…。
その異名を持つ者が、いつの頃かセドの秘宝の鍵を握る人物であるかも、と東の国で噂されたのは、宵と暁、二人の聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)出身きっての猛者が、名と共にその武勇伝を世に轟かせた頃からであろうと推測される。
その噂を、誰が広めたかわからない。
ある王家に詳しい者が生き延びて、ある事ない事を言いふらしているとも言われていた。
ただ、伝承では、王家はすでに絶えていて、まさかその噂の鍵となる人物が、生き延びた王族であるという話は、全く聞こえてこなかった。……当時は生き残りの王族がいるのでは、と詮索していた学者もいたらしいが、いつの間にかそれも自然と消えていた。
だから宵の流星は、何かしらセドの滅亡した事を知っている何者かの縁者である、という説が世間では有力視されていた。
大陸では、あのようにして一夜のうちに壊滅したセドの国。その謎や秘宝に浪漫を感じている者は、少なからずいたが、これがどこまで真実なのかは、結局噂の範疇で終わっていた。
……そう、一部の一握りの人間達を残して。
宵闇に輝く、煌びやかなる流星よ。
それは大地に使わされた天の福音か。
はたまたこれから起こりうる、戦という災いの予兆であるのか。
かの存在は人知では意図できぬ、大陸の脅威となる者か。
神の力を持って生まれし巫女の子よ。
その強大な力を世に示し足る時こそ、大地の夜明けが見えてくる。
それが人に幸となるか否かを知るには
まだ遠き段階を踏まねばなぬ。
神の宝の鍵を握って大地に現われし流星の
全てを握る鍵は暁星ぞ。
大河の流れに気付く者。
着々と流れる意識の果て。
耳を澄ませ、心を澄ませ。
久遠の叡智に今、思いを馳せよ。
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