暁の明星 宵の流星 #169 その②
「ちょうどいいじゃないですか。早々に荒波に帰るべきです。
海軍提督自身が、わざわざ危険を犯してまで首を突っ込む事ではありません。
そんな事は密偵、もしくは部下にでも任せていればいいんです!」
ライルの思いっきり渋った表情に、彼の考えが表れている。
想定内の言葉が返ってきて、アベルは心の中で溜息を付いた。
もちろんライルの主張も一理ある。
そう、内地は州知事長が治め護るが、荒波海域は海軍提督が治め護りきらなければならない場所。その場を離れてまで、いくら国の重要人が絡んでいるとはいえ、“わざわざ”出向く事もないだろう、という内地の見解は正しいかもしれない。
自分が主張している事は、無謀なだという事も、重々承知している。
しかし。
「……優秀な佐官だと、貴方はさっき仰った。
ならばその優秀な佐官である僕の話こそ聞くべきではないのですか?
荒波の柱でもある貴方が、もうこれ以上、祖国不在のままでは支障が出てきますよ。
州知事長と約束した期間だって、もうとうに過ぎているではないですか。
セドの王子の件は、そこまでして貴方自身の手を煩わせなくてはならない事なのでしょうか」
ライルの生真面目な物言いに、アベルは一呼吸置いてから、きっぱりと言った。
「そうだ、と言ったら?」
それを聞いたライルは、思いっきり不機嫌な表情でアベルを見上げた。
「それは提督の我が儘を通せ、という事なのでしょうか」
辛辣に言い切るライルに、思わずカァラが忍び笑いする。
それに気がついたライルは、馬鹿にされたような気がして、きっとカァラの背中を睨んだ。
「説明…。そう、納得のいく説明をお願いします。
そうでなければ、僕は提督の命令を素直に受ける事は出来ません」
「ライル様!あなたは提督の腹心ですぞ!それこそあなたの…」
「いや、いい。今のライルは州知事長の命でここに来ているのだから。
州知事長の意向は、俺をそろそろ呼び戻そう…という事だろうしな」
レザーの言葉を制ししつつ、アベルは自分の机の引き出しから、分厚い紙束を取り出し、ライルの目の前に突き出した。
「これは…?」
「今までの調査報告書だ」
有無を言わさない威圧感で、アベルはその紙束をライルの手に押し付けた。
ライルは仕方なく手渡された書面をパラパラとめくりながら、その膨大なデーターに絶句した。
「かなりの機密が詳細に記録してある。
ハウル州知事長には、漏洩しても差し支えない程度の報告書は送ってはいたが、この内容の物は決して他のものには知られては困るもの。
……これを見てくれれば、俺が言わんとしている事を、ハウルならわかってくれる筈だ」
「……提督…」
ライルの振り絞るような声に、アベルは畳み掛けるようにして言った。
「このような重要機密、お前のような優秀な腹心でしか預けられない。…お前にしか託せない。
……引き受けてくれるか?」
ライルの眼差しが揺らいだ。
このように言われて、心躍らぬものがいようか?だが、それは提督の腹心としての信頼なのだ。決して他意などありはしない。そのくらいのこと、ライルにだってわかっている。
嬉しい気持ちと、やるせない気持ちがないまぜになって、ライルは口元を歪めた。
その様子を見ながら、アベルは話を続けた。
「俺も初めはハウル州知事長と同じ考えだったのは確かだ。
だが、北の国に来て、こうして【姫胡蝶】と行動を共にして…そのような単純なものではない、と思い始めた。
……これは、東の国だけではない。この大陸全土に影響を及ぼす。
今、我らが追っている、【宵の流星】は、…セド王国の最後の王子…というだけではなく、ここに書かれたようにかなりの重要人物と思われる。その王子を他国が狙っている。そのお力を手に入れようとしている…。
その事実を知ってしまっては、国運をかけて、何とかせねばと思わないか?」
沈黙のまま、書面に目を走らせているライルの眉間に皺が寄った。
「……提督。ここに書いてあることは、事実ですか」
いつになく真剣な表情のライルに、アベルは頷いた。
「ああ。……お前だって知っているだろう?
セドが壊滅してから、幾度となく干渉してきた南の国。……その憎き南の宰相に、近年納まった素性の怪しい気術士。
そいつがかなり裏で関係している」
「ティアン宰相ですか。確かにいけすかない悪党、という感じですよね」
「うん。俺もあいつは大っ嫌いな男の一人だが、今は南にも追われ、裏組織に潜んでいる。
……その男が、昔、セドナダ王家のお抱え術者だった男の一番弟子であったという。
セドが壊滅した辺りの詳細を、よく知る人物のうちの一人だと推測する」
「……本当だったんですか?……その…セド王国の秘宝…というのは…。
ただの噂…伝承ではなかったのですか…?」
ライルの声は上擦り、どうも信じられないという表情で、アベルを見上げた。
「そう。しかもその壊滅した原因の鍵をも握るとされている」
「……神の…力…。本気で…その、セドナダ王家は…そんな大それた事を…」
「俺がここまで調べられたのは、全てここにいる【姫胡蝶】のお陰だ。
ライル、君が個人的に彼をどう思おうが、この件に関しては彼の力がなければ辿り着けなかった」
ちらりとカァラの方を窺うと、彼はまだぶすっとした表情で窓の外を眺めている。
「にわかに信じられない、このような重要な内容だ。
実は俺としても、確証が持てるまでは己だけの胸にだけ秘めて、その神の力というものを我がものにしたい、という欲求を感じていたのは認めよう。そう、あのティアンのように。
それほど、セドの最後の王子である、宵の君が持つとされる神の力は魅力的なのだ。
巷では単なる噂でしかないその力を追い求め、すでに少数の輩が動いているらしい、とも知った。
世間での真実としては、その鍵を握る宵の君の素性が公表された事だけ。
彼が秘宝の鍵を握り、あまつさえ神の力を持つ、オーンの姫巫女の子供だとは、まだ限られた人間しか知らない筈だ」
「オーンの……姫巫女の子…。だからこそ、オーンが激怒しセドに攻め入った…。
そしてその直後の国の壊滅。
父や母も、あれは『神の制裁を受けた結果らしい』と雑談していた事を…思い出しました…。
詳細はわからずとも、セドがオーンに対し、余程の事をしでかしたのだろうと…。
安易に想像がついたのでしょうね。特に母はオーン信徒ですから。
セドの王子がそのような生まれ…!ならば神の力というのも信憑性がある。
しかしこれは…。こうなると…」
「よくよく考えたが、これは単に国だけの利益の問題ではない。
ましてやあの方は我欲の為の存在ではない。
……この、大陸全土の命運を握る事実。あの方は天よりこの地に遣わされた、この大陸の王なのではと……最近、俺は思うようになった」
カァラの肩が、ぴくっとしたのをアベルは見逃さなかった。
もう、自分の考えを彼が聞いてどう思うかなんて、今は考えまいとした。
私情が少しでも混じれば、聡いライルを説得するなどできない。ここはいつものように、己自身の己のみの考えを、しっかりと言わなければならないのだ。それを聞いてカァラが離れていくならば、仕方がないとも思う。だが、そうだとしても、アベルにはさらさらカァラを手離す気はないのだが。
「……この話が真なら、あの方を私利私欲の亡者となっている輩には手渡せない。
神の力を悪のために使わされることは、この大陸が暗黒統治に見舞われる可能性が高い。
……特にその中心が、東を席巻していたセドの神王の血筋の御方であればこそ、我が荒波が、東の先頭を切ってお護りするのが正しい事だとは思えないか?」
「………荒波が…」
「あの方を頂点にいただく事こそ、そしてそれを我が荒波が力添えする事に意味がある。
………それが揺るがない東の統一に繋がると俺は考える。……どうだ?」
ライルはぐっと息を飲み込むと、おもむろに口を開いた。いささか、興奮しているようだった。
「だからこそ、提督はご自分がこの件に強く関わろうとされているのですね」
さすがに長年、自分の配下で采配をふるっていただけある。ライルはアベルの言わんとする心情を察したようだ。
「……うん。今までカァラ…胡蝶の言う通り、彼に動いてもらっていたが、そろそろ俺も直に宵の君に会おうと…いや、会わなくてはならん、と決心したところだ。
その宵の君が、あの小賢しいティアンの手に落ちるなんて事は、決して許してはならないのだ。
できればこの手であの方を東の国にお連れしたいと考えている。
……その為にも、もうしばらく時間が欲しいのだ、ライル」
その言葉に、ライルはじっと何かを考えていたが、意を決したかのようにきっぱりと言った。
「……そして僕がこの機密を持って、兄…州知事長を説得すればよろしい、という事なのですね」
「そのとおりだ」
「……わかりました…」
アベルはほっとしてライルを見た。だが、しばし沈黙した後、ライルは伏せていた目を上げると、いささか言いにくそうにアベルに吐露した。
「提督は……これからも………その……やはり【姫胡蝶】をお傍に置くつもりなのでしょうか…」
「ライル…」
「公の立場として、提督の腹心としては納得しました。
……提督の、セドの王子に対する考えもわかりました。そのお覚悟も。
そしてこの件を遂行するには、どうしても【姫胡蝶】の持つ邪眼が必用だという事も…悔しいけれどわかります。
でもそれは、この件が終わるまでの事なんですよね?」
幾分、女々しいとライル自身も思ったが、どうしても止められなかった。
なにせ先ほど、あれだけ派手にカァラとやりあったのだ。感情が治まっていたわけではない。
それは自分の感情の問題で、勝手な事だと思ったが、せめてすっきりとした気持ちで任務を遂行したかった。
このままでは、時間がないとの理由で、話し合う機会すらなくなってしまうだろう。
この件が片付く日だって、いつになるかもわからない。
だから、ライルはアベルの真の気持ちを探りたかった。
「それは…」
アベルが困った顔をして口を開いたその時、今までふてくされていたカァラが、急に笑い出した。
「あはははっ。やだねぇ、男のヤキモチってさ」
「カァラ!」
アベルの制する声や、ライルの目が憎悪にぎらついても、別に気にした風でなく、カァラは振り向きもせずにそのまま話を進める。窓ガラスに映るその表情には、何の感情も見えないまま。
「安心しなよ。……愛人契約での条件のひとつが、【宵の流星】捜索だからさ。
だから契約切れは、宵の君の件がクリアしたら、ということが最優先。
さすがお宅の大事な提督閣下は馬鹿じゃないだろ?
俺の他の愛人達とは違う、特約での契約だった。今回に限りね」
アベルはそうだったと思い出した。
カァラの言う愛人契約。
確かに渡りに船という感じで、彼の申し出を安易に受けてしまったアベルは、散々州知事長であるハウルに責められたのだ。それで彼を納得させる為、特例での愛人契約、という事をアベルは考え、カァラに申し入れたのだった。
その時点では、まだアベルはカァラと深い仲になろうという気持ちを自制していたので、かなり事務的な契約内容だったと思う。だからこそ、あのハウルが渋々と認めてくれたのだ。
その自制が脆くも崩れてしまったのは、北へ旅立って、二人きりになってすぐであったが。
「だからさ、そんなに目くじら立てんなよ。
俺も宵の君については、荒波の軍事力に恩恵を賜っているからさ。
………ちょっと個人的に思うところがあって、アベルにはそれを協力してもらっているだけだから」
その淡々とした言葉に、アベルの胸がツキッと痛んだ。だが、それを表に出さないようアベルは平静を装う。
そんな二人の表情を交互に見比べ、見極めようとしていたライルだったが、ゆっくりと息を吐くと、アベルの方に向き直った。
「……承知しました。
では、その思うところがおありになる、【姫胡蝶】殿の見解をお聞きしたい。
このように我々にとっては重要な任務を、どのようにお考えあられるか」
取ってつけたようなライルの固い口調での質問に、冷めた目つきでゆっくりとカァラが振り向く。
「おい、ライル?お前…」
アベルの声を遮り、今度はじっとカァラを真正面に見据え、ライルは言葉を続けた。
「提督もお尋ねする所存でしたのでしょう?
これから船を隠し、このまま宵の君を探し、そしてそのティアンめの陰謀を砕く。
そのために【姫胡蝶】殿の力が必要なのはわかります。
しかし、提督の目(邪眼)となっている【姫胡蝶】殿こそ、セドの王子をどうお思いで、どのようにしたいのか、僕は皆目検討つかない。
……貴君は、今の提督のお覚悟を知って、どのように思われる?
我が提督に協力できるのか?…それとも、貴君こそセドの王子に私欲があられるのではないか?」
確かにアベルもカァラの胸の内を聞きたい所だった。
何やら確執のありそうなカァラが、自分が当の相手を保護したいと思っている事をはっきりさせたのを、どう思っているのか。複雑そうな生い立ちであろうカァラ自身、……本心は…語ってくれそうにはないだろうが…。
「どうか、お答えいただきたい。
私欲があるからこそ、我らの力を利用する為に近づいたのか?
……セドの王子というエサをちらつかせ、荒波の提督を使い、果ては貴君そのものが、王子の力を手にしようとしているのでは?」
「ライル…」
アベルが聞けないズバリとした事を、ライルはカァラに投げつけた。
そう、怖くて聞けなかった…カァラの、宵の君に対する思惑…。
「ただ解せないのはそれならば何故に、王子の所存を公表したのか」
ライルはじっとカァラの表情を見詰め、何かしらの感情を読み取ろうとした。が、カァラは怜悧な顔を崩そうとせず、ぶっきらぼうに口を開いた。
「面白いから」
「は?」
思いもかけない言葉が彼の赤い唇から放たれる。
「その方が、あの助平ジジイの鼻を明かしてやれるかなぁって」
「助平ジジイ…?」
「ティアンのことか…」
きょとんとしたライルに、アベルは補足した。
「実は胡蝶は、ティアンの養い子(やしないご)だったんだ。な?」
その言葉に、ライルは驚きの目を益々見開かせた。
「まぁね。…俺の親が指名手配の極悪人というのは、あんたでも噂で知っているかと思うが、まさかあのティアンが俺の親父と繋がっていて、その結果、俺がいるというのは知らねぇだろ?
あいつ、そういう闇の部分を隠すのが上手い奴だったからなぁ。
…ま、あいつが宵の君にご執心なのは、もう知ってのことだろうから?
だから対抗者を増やして邪魔してやろうかなぁって、そんな軽い気持ちだよ」
それが本心なのだろうか、アベルもライルもにわかに信じられなかったが、カァラはそのまま話を進めた。
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