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2012年3月22日 (木)

暁の明星 宵の流星 #170

カァラが部屋を出て行った後、気まずい雰囲気がしばらく流れた。
その張り詰めた空気を最初に破ったのは、明るいレザー大尉の声だった。
「では、提督。早速ですが、どの者をライル様におつけしましょうか。
あまり人数が多くても、かえって怪しまれるでしょうから…」
「あ、ああ、そうだな。…二人ぐらいがいいだろう。人選は君らに任せる。
重要なのは…」
半ばほっとして、アベルは話を進めた。
機転の利くレザーに、心底感謝していた。
それはライルも同じだった。
互いを知る、良識のある大人。
彼の存在が、どれだけ自分達に恩恵をもたらしていたかなんて、普段気がつかない分、こうしていざとなると本当に身に染みる。
細かな事を取り決めながら、アベルはふと、カァラの言葉を思い出していた。

《ああ、そうだ。偉そうに愛を語るお前こそわからないだろうよ!
温かな人の庇護を受けるのが当たり前に育った、恵まれている奴になんか!》

突然耳に飛び込んできたカァラの悲鳴のような声。
アベルはカァラの口から放たれる心の叫びに心臓を掴まされ、思わずその場に立ち竦んでしまった。
立ち聞きなどいけない、と思いながら、アベルは凍りついたまま彼の言葉を胸に受けていた。

《愛だって?そんなもので腹が膨れるのか!》

《毎日が必死だった!
生きるか死ぬか、毎日が戦いだったんだよ!!》

《ガキが、自分の力だけで生きていく為には、どんだけの事をしてきたか。
その日の食いもんを手にする為に、どんだけ手を汚さなくちゃならねぇか!!》

アベルの胸に、その言葉が刃(やいば)のように突き刺さっていった。

今まで、どういう人生を彼は送ってきたんだ…。

その狂おしいまでのその時の痛みに支配されそうになったアベルは、レザーの穏やかな声にはっとした。
「…で、よろしいですよね?提督」
「あ、ああ…。うん、それで任せよう…」
優しく頷くレザーを見やりながら、アベルは切ない思いに疼いていた。

自分達の周りには、こうした大人達が何人もいてくれて、何かと庇護してくれていた。
そしてそれを当たり前のように受けてきたのだ。
カァラには…そのような大人がいなかったのだろうか?
一人も?

《父は極悪人、母は狂人だ!養い親だって名ばかりで俺を毎日弄んだ。
守ってくれる大人なんて、俺にはいやしなかった。皆が俺を物扱いした。
皆、俺を人間として扱った奴なんていやしねぇ!!
だから俺は一人で生きていくって決めたんだ》


アベルはカァラの気持ちを思って苦しくなった。
同情?
いや、それでもその範疇を越えている。
好奇心から?
いや、この切ないまでの感情は、ただの好奇心と済まされるものではなかった。

彼の激情に駆られての告白は、とても演技と思えない。
あれは彼の、本音…。心からの叫びであると、アベルは受け止めた。

もし…。
幼いカァラの傍に、レザーのような大人が一人でもいてくれていたら…。
いいや、自分こそ、その時彼の傍にいられたのなら…。

アベルはこのような感情に揺れ動きながらも、努めて平静さを装いながらその場にいた。
本心では、今すぐにでもカァラの傍に飛んでいきたかった。
飛んでいって、力強く彼をこの手で抱きしめたかった。
目の前にいるライルの気持ちを思えば、申し訳なさが込み上げてくるが、どうしようもない程にカァラの事が頭から離れない。


……全く…。
俺、幾つだよ…。


沈着冷静を絵にしたような奴、とよく学生時代ハウルにからかわれていたこの俺が。
アベルは自虐的に心の中で笑うと、自分の中に隠し持ってきた、熱く吹き出そうな熱に身を包まれそうになっていく快感に浸っていた。
それは、少年時代に燃え上がったと同じ情熱。
あのハウルと別れてから、もう自分には枯れて無くなってしまっていると思っていたその熱が、再び自分に湧き上がってくる衝撃に、戸惑いながらも歓喜していた。

自分にはまだ、人を激しく思う気持ちが残されていたんだ、と。

それに気付かせてくれたのは、カァラである。
たとえ、彼が巷で噂されるような、魔性の力で男を魅了し、しまいには堕落させるという危険人物だろうとも。
彼の魔性で自分が誑(たぶら)かされ、利用されていようとも。
誰が何と言おうとも。

この感情は本物だ。

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「では、重々お気を付けて、ライル様」
レザー大尉の思いやりのある言葉に、ライルはバツの悪そうな顔をしながらマントを被り直した。
「ありがとう。大尉には心労をかけてしまったようだね…。
醜い醜態を晒して迷惑をかけた。本当に申し訳ないと思っているよ…」
素直に頭を下げるライルに、レザーは明るくはっはっと笑うと、ポンポンと彼の腕を軽く叩いた。
「どうしても、これからすぐに出発なされるのですか?もう結構な遅い時間帯ですぞ。
提督の言うように明け方を待ってからの方がよかったのでは…」
「いや、時間が迫っている。できるだけ早く荒波に戻りたいからね」
快活にレザーの前ではこう言ったが、本当はここに泊まりたくなかったのだ。
アベルがあの【姫胡蝶】と部屋を同じにしていると思うだけで、きっと自分は心騒いで眠れない。
いくらアベルが気を使って、その時だけ別室に就寝したとしても、それはその場の事だけだろう。
彼らが寝所を共にしている事など、嫌というほど自分が懇意にしている部下から聞いている。
彼らが同じ屋根の下で暮らしているというだけでも血が昇るのに、しかもこれから重要な任務を背負う事となった以上、ライルの神経は持ちそうになかったのだ。
ならばできるだけ早く、この任務を片付けてしまいたい。
その衝動に駆られているライルは、引き止めるアベルとレザーに、無理言って支度を早めてもらったのだ。
「何でもお見通しのレザーには、隠せるわけもないから、正直に言っておきたい。
知っての通り、僕はあの【姫胡蝶】と派手にやり合ってしまったよ」
苦笑いするライルに、レザーは包み込むような笑顔を向けた。
「……僕はあいつが、ただの色仕掛けが得意な男妾と侮っていた。
自分の浅はかさに…いや、違うな。
嫉妬で目が眩んで何も見えていなかった自分が、とてつもなく惨めだったよ」
そう呟くと、ライルは怖いくらいに真剣な面持ちになった。
「あれは確かに魔性だね。…色仕掛けの事じゃない。
あの女のような姿形に誰もが魅了され、騙されるが…。そんなに甘いものじゃない。
レザーだってわかるんじゃないか?この僕よりも、あの男と接している時間が多いんだろうから。
あれは兎の皮を被った魔物だね。
あいつの本質はとてつもなく強靭で、鋭利な刃物。まるで近づく者を滅ぼす凶器のようだ。違う?」
ライルの淡々とした分析に、レザーは声もなく聞いていた。
さすがにあの、若くして州知事長の座に登りつめた方の弟君。
あれだけ感情をあらわにし、我を忘れていたというのに、ちゃんと見るところは見ているのだな、と、我ながら感嘆した。
「悔しいが、アベルが心を奪われた理由がわかったよ。……さすがはアベルだね。
外見でなく、本質で相手に惹かれたってところが」
それもきっと無意識に、だ。
無意識に、ヤツの見た目ではない“男(オス)”の部分を本能で感知した。
そうでなければ、絶対にアベルが相手にするような人間ではない。
その事にライルは激しい妬みを感じずにはいられない。そして、その事がわかってしまう自分自身が憎い。
………悔しさが、全身を駆け巡る。だが、今はそんな事に囚われている場合ではないのだ。
そのくらいの事ぐらい、ライルだって子供じゃない。わかりきっている事だ。
だが。

「それだって僕は、希望を捨てたりしないよ、レザー。
今はこうしてゆっくりとアベルと話し合う事ができないから、仕方なく一旦引くけどね。
でも長い人生で、この二人が上手くいくなんて事、あると思うかい?
アベルだって、今は同じ目標があるだろうからいいけれど、将来必ず気がつくと思う。
互いに住む世界が違うって事をさ」
ライルの言葉に、レザーは微かに眉を曇らせた。
「その時こそ、一番近くにいるのは僕だ、レザー。
傷ついた彼を慰められるのも僕だけだ。
………だから今は、アベルの優秀な腹心のまま、ずっと傍で仕えてみせるよ。
きっと僕の存在を、彼の人生の中でなくてはならないものにしてみせる」
思いつめたようなライルの決意に、口を挟もうとしたレザーは思いとどまった。
今、彼に何を言っても、耳を貸すような状態ではない事を、幼い頃から彼を知るレザーには、哀しいほどわかっていたからだ。
「そうだ。あんなぽっと出てきたような奴が、僕のアベルの何がわかるっていうんだ…。
彼に必要とされる人間はあいつなんかじゃない。……この僕なんだ」
ぶつぶつと口の中でそう呟くライルに、レザーの表情は益々曇っていった。

そうこうしているうちに、馬の手配を終えたアベルと二人の部下が戻ってきた。
「待たせてすまない、ライル。君の方の支度は大丈夫か?」
息を切らしながらそう言う様で、アベルがライルのために出来る限り急いで準備を整えたという事がわかる。
(ああ、僕の愛しい君)
ライルは心で切なく呟くと、アベルの前ではできる限りの虚勢を張って姿勢を正し、こう言った。
「では、提督閣下。必ずや任務を遂行致します」
「ああ、幸運を祈る」
「……私も貴方のご武運をお祈りしております。
早く目的を遂行され、凱旋なさりますように」
まるで戦に向かうような物言いに、アベルは微かに苦笑した。

…そうだな。もしかしたら、宵の君を巡って戦う事もあるかもしれない。

感慨深げにライルの目を見詰めると、ライルもまたアベルの瞳を見返した。
そして力強く頷くと、供をする二人の兵士と共に、各自馬乗するや、そのまま勢いよく馬を走らせ、一度も振り返ることなく闇夜の果てへと駆け込んでいく。

その遠ざかる影が闇に紛れて見えなくなるのを眺めつつ、レザーは心の中でライルに向けてこう呟いていた。

(ライル様…。
貴方には申し訳ないと思うが、このレザー…。
提督と【姫胡蝶】殿に言い知れぬ縁を感じておるのです。
……今は…、今は何と言ったらよいのかわからないので、口にできませんでしたが…)
そうしてついっとレザーは隣のアベルを盗み見る。
(…あの方と出会われてから、アベル様にいい変化が見受けられている事など、長年親しい知人でもある私にしかわからぬ事でしょう…)
再びライルの去っていた方向を複雑そうに眺めると、レザーはおもむろに目を閉じた。


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