« 2012年7月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年9月

2012年9月30日 (日)

暁の明星 宵の流星 ♯175 ※再開です

どこまでも続く、真っ青な海岸線。
そして、砦を囲んだ秘密の小さな村。

その村は山の窪みにあって、海の反対側には切り立った崖がそびえている。表立った出入り口は入り江だけで、船以外で出入りできないという場所。
このようなひっそりした場所に住んでいる閉鎖的なユナ人。
ユナの人々は東の果ての島を総ていて、大陸にはその姿を現さない、というのが通説だというのに。
それが何故この大陸に、このような砦を作り、ユナ人の一部がひっそり暮らしているのか?
……それは本来、よそ者には知られてはならない事実だった───。


《早くここから逃げるの》
ユナ族の長(おさ)の義理の娘であるロータス=カルアツヤは、草原のような緑の瞳でアムイを見詰めながら、早口でこう言った。
彼女は呆然としているアムイの腕を強引に引っ張って、無言のままある場所に連れて行く。
それは、屋敷を出て人の通らないような茂みを掻き分け、ちょうど村の背に聳え立つ断崖絶壁の麓に向かってだった。
《ロータス、まさかここは…》
《しっ!》
彼女はいつもの穏やかな風情とは全く違う、険しい表情でアムイを制し、アムイは彼女の緊張感に気負わされ口を閉じた。
しばらくロータスはキョロキョロと辺りを見回していたが、他の気配を感じない事を確信して胸を撫で下ろすと、小声で囁くようにこう言った。
《……やはり、この時を狙ったのは正解だったわ。…周辺には誰もいない…。
アムイ、あなたって本当についている人ね》
振り返った彼女の緊張した顔が緩み、みるみると笑みが戻った。

まるで花が開くようだ…。
このような事態だというのに、彼女の笑顔に釘付けになりながら、アムイはぼんやりと思った。

今、アムイが連れて来られた場所は、憶測するに前にロータスの言っていた、“外界への扉”とか言う、この砦の村唯一の大陸へと通じる道らしかった。
それは一般の戦士でさえその場所を安易に教えられない、ごく上層部の人間のみが知っている唯一の出入り口なのだ。
もちろんその存在を知っていたとしても、暗黙のうちに他言無用。特によそ者であるアムイになど、聞いたとしても誰も教えてなどくれなかった。…ただし、ロータスだけを除いて。
鬱蒼とした茂みを掻き分けた後に現れた、立ちはだかる巨大な壁のごとくの崖の麓に、一箇所だけ、よく見ると木々に覆い隠された洞穴らしい存在があった。
二人はその木々を取り除き、出現した真っ暗な洞穴へと足を進めた。
中は長い廊下のような延々と空洞が続き、所々に置かれているランタンの灯りでかろうじて足元が見えるだけだ。


《ああ、アムイ。あなたはここで死んではいけないの。あなたはまだ若い。早くここから出て行くのよ》
目の前を歩いていたロータスが突然振り向き、アムイの手を取りながらこう言った。
その彼女の様子でアムイは思い出した。そして自分が今一番気なっている事が、突如言葉に突いて出た。
《いいのか?こんな事をして。掟を破るなんて、本当に大丈夫なのか?》
大怪我を負い、数週間ユナ人の世話になって、アムイもこの一族の内情を知らないわけがなかった。
大陸とは違う慣習を持ち、閉鎖的で謎の多い民族であるユナ。
本来であれば、よそ者である自分は見殺しにされるのが当たり前で、助けてくれる事など到底あり得ない話だ。
だからこそ、本当に彼女が言うようにアムイはついている。
最初に瀕死の自分を見つけてくれたのが、ロータスであったのが何よりの奇跡だった。もしも他の人間であったら、今こうして生きてなどいないだろう。
ユナ族の長の義理の娘だという彼女が、その権限を使って、よそ者である自分を救い、手当てしてくれ、しかもまたこうして掟を破ってまでも、アムイを逃がそうと危うい橋を渡ろうとしている。
己のトラウマに囚われ、尚且つ心の支えのキイを失い、自暴自棄になっていたアムイの頑なな心は、受けた身体の傷と共に、彼女によって癒されていた。手負いの獣ような自分を献身的に看護してくれた彼女に、アムイはじょじょに心を開き始めていたのだ。 
そして自分を救ったために、彼女が他のユナ人達の反感を買った事も、立場が悪くなっている事をも知ったアムイは己を酷く恥じた。と同時に彼女に敬服し、心から感謝した。

だからこそ、これ以上彼女に甘えていいのだろうか?とアムイは懸念した。
しかも、これ以上掟を破らせて、彼女の身に危険が生じてしまったら…。アムイはそう考えると気分が悪くなり、暗澹たる気持ちになった。
その思いが顔に出ていたのであろう。…いや、もともとアムイは昔から、キイ以外には感情を表立つことをしない人間であった。彼女に感情を見て取られるくらい、それだけロータスは、短い間にアムイの信用を得ていたのだ。
彼女はアムイの躊躇(ためら)いをさっと見取り、再び歩きながら、相手を安心させるかのように引いた手に力を込めてこう言った。
《いいのよ。私のことなら心配しないで。もしこの事が知れても、ユナ族は女である私を殺しはしないわ。
だから大丈夫、私の事など気にしてはだめよ。あなたはここで人生を終えてはいけない。そんな気がするの》
《…でも、ロータス…。もし、掟を破り、よそ者を逃がしたなんてわかったら、死罪はないにしろ君はどうなるんだ…?》
《……そうね…。もしばれたとしても、その時は…》
アムイは彼女の続きの言葉を待った。
だが、ロータスは言葉を切ったまま、口を噤んだ。
そしてしばらくの沈黙の後、彼女から出てきた言葉は、それに対する答えではなかった。

《もう時間がないわ。さあ、この扉を抜けていくのよ。
これが鍵。
これを持っていないと、この“外界への扉”は開かないの》

アムイは思わず目を見張った。
話しているうちにいつのまにか長い道のりを経て、ひとつの広い部屋についていた。
広間のようなその部屋には窓もなく、灯篭の灯りだけが隅々を照らしている。
手前に長い机と椅子。
他には目立ったものが何もない、閑散とした部屋だ。
彼女が指差す部屋の奥まったところに、よく見れば出入り口と見られる場所がある。
だがその場所には、通常皆が考えるような鉄や木製の扉が備え付けられているのではなかった。
本当のことを言えば、一見すると、そこが出入りできるようにも見えない。
幾重にも重なった緑色の蔦とつると枝のようなものが、人ひとり通れるような大きさでびっしりと壁に埋め込まれている。
気にかけなければ、すでに壁に施されたオブジェのようである。
そして差し出されたもう片方の彼女の手には、何かの木で作られた鍵が乗っていた。
それは小さな、大人の手ですっぽりと隠れてしまうほどの、棒状の鍵だった。
知らない者が見れば、ただの小枝に見えるかもしれない。ただ、よく観察すれば、それは手の込んだ細工がしてあるということがわかる。先端には細やかな彫りが施され、その反対の先端には鎖などを通せるような穴が開けられていた。
《驚いた?》
ロータスは笑った。
《これはユナの命の源、宇宙の大樹(そらのたいじゅ)でできている、特別な扉と鍵なのよ》

昔、その不思議な樹をめぐって、大陸から何度も狙われたという、ユナ族の源。
彼らの力の源は、その宇宙から来た大樹の賜物ではないかと囁かれていた。
この人智を超えた不思議な力を持つ、神のごとくの存在を、大陸の人間が欲しがるのは仕方のないことだ。だが、他国の干渉も、セドナダ初の女(おんな)神王のおかげでピタリと止み、それから数百年、その樹は歴史の影で存在するだけになったのだ。
《この“外界への扉”は宇宙の大樹(そらのたいじゅ)の一部で作られ、同じく宇宙の大樹(そらのたいじゅ)で作られた鍵にしか反応しない。
つまりこの樹の性質…己の存在同士が呼び合う…というのを利用したユナ独特のものなの》
《存在同士が呼び合う…》
《そう。この世にたった一つの存在。それが分かれても、離れたとしても、違う役目を担っていても、元はひとつ。全てが呼応し、通じているのよ》

まるで自分とキイのようだと、アムイは思った。
大元が別れ、それぞれの役目を担っていても、元はひとつ。
呼び合い、互いを必要としている。
それはどんなに遠く離れていようが、問題ではないのだ。
距離も、時間も、時空すら越えて、互いが同じ質から分かれていることを、互いが近くにいた事で痛切に感じている。
今生、こうして同じ時代に生まれたことだけでも、幸運なことであるのに。
それをなぜ、今まで忘れていたというのだろう。
それまで近くにいて当たり前だったキイの存在が消えたというだけで、あんなにも脆く、破滅的になるものなのか。
アムイは前に、ロータスが言っていたことを思い出した。
『本当にあなたの大事な存在は、あなたから消えてしまったの?』と。

その言葉でアムイは目が覚めた。と、同時にどれだけ自分が、互いの“気”だけに依存していたかに気がついた。
人の出す“気”なんていうものは、訳あって封印してしまえば、感じなくて当然なもの。
“気”を感じない、イコール短絡的にその人間の消滅、を意味しているわけではない。
なぜ、そんな基本的な事を自分は忘れていたのか。
キイの“気”が消えてしまったからといって、どうしてああも動揺したのか。
それは彼の“気”を感じなくなった途端、激しい孤独と喪失感に突き落とされてしまったからだ。
“気”さえ感じ取れさえすれば、いつでもすぐにキイの消息を追えると安易に考えていた自分は、何て浅はかだったのか。
気術者によく陥りやすい、なまじ“気”を扱えるが故の落とし穴。それは己の慢心に似た、“気”への依存だ。
修練した者が与えられ、扱える事のできるこの術であるこそ、何もかもすべてが“気”で解決できるなどという錯覚を生みやすい。そのような初歩ともいえる過ちに、若いアムイは知らず知らずにはまっていた。
だからキイの“気”が消滅し、全く感じなくなって、アムイはいきなり目隠しにあったような恐怖を感じたのだ。
それで己がパニックになってしまったわけだが、沈着冷静なキイだったら、絶対そんなものには振り回されはしないだろう。
“気”は魔法ではないのだから。
“気”を扱い使う存在であれ、決して“気”に己が使われてはいけないのである。
きっとキイなら、ははっと笑い飛ばして、いつものようにあのわざと偉そうな口調でこう言うだろう。


『馬鹿だな、アムイ。
大事なのは、結局、目先小手先のものではない。目の前で展開している現象でもない。
ましてや気術では、“気”だからこそ、それにばかり【気】を取られちゃいけねぇんだよ。
…己の感覚、だ。
頭でもなく、気から生じる波動でもなく…魂から湧き上がる己の感覚。
自分自身を信じてやれなくて、どうして相手を信じきる事ができる。
迷ったときには、己を信じるんだ。見えなくなったら己の心を見詰めるんだ。
…魂(たま)が導き出す答えを聞くんだ。
それさえできれば、何かがあったとしても、俺達はいつでも、どこにいようが通じていることができる。
……何故って?
そんなの簡単だろ。
だって俺達は、元はひとつの魂なんだからよ』

聖天風来寺(しょうてんふうらいじ)で修行中、キイが口癖のように言っていた真の意味が、ようやくわかったような気がした。


《さあ、アムイ》
再びぼんやりしているアムイに痺れを切らしたのか、ロータスは真顔でアムイを促した。
《時間がないわ》
アムイはそれでもまだ迷っていた。
彼女をこのまま置いて、ここを出て行ってしまってよいのだろうか、と。
《何を馬鹿な事で迷っているの?》
“外界への扉”の前までアムイを引っ張ってきたロータスは、そう言うなり鍵を緑色の蔦にある中央のくぼみに差し込んだ。
自分を心配してくれるアムイの様子に喜びを感じる反面、彼をどうしても無事に外界に出したかったロータスは、とにかく先を急いだ。
彼がどんなに躊躇したとしても、ずっとここに閉じ込めておくわけにはいかない。アムイを絶対に処刑なんてさせてはならない。
彼女には本当に時間がなかった。
……だからこそ、このユナの祈願夜(きがんや)というチャンスを逃すわけにはいかなかった。

宇宙の大樹(そらのたいじゅ)が実をつけ、その実が熟し、自然に地に落とす時期が年に4回ある。
その4回の時期はユナ族にとって自然からの恩恵を授かる好機の時だ。
特に実を落とす直前の大樹の実には、豊穣と幸運の力が強く宿るとされ、一番パワーが増大していると考えられていた。
だからユナの人々は、ちょうど実を落とす日を予測したその直前の日(特に深夜)、祈願夜と定め、各々宇宙の大樹(そらのたいじゅ)に祈りをささげる風習があった。
それは民にとって強制ではないが、祈りをささげた者には大樹の強い加護を受けられるという信仰があって、ユナ人であれば誰もがその時を待ち望みこそすれ、逃す者などいなかった。
しかもこの時期に祈りと共に瞑想すれば、魔に惑わされ、人道を外れるを防ぐともされて、特にユナを守る戦士は、この時期を逃さずに祈願するのは必須のことであった。特に戦士であれば、祈願夜は己を律し心身を浄化させ、尚且つ大樹の恩恵を賜れる大事な時だ。だから彼らは一般の民とは違い、独特の儀式でもってこの夜を過ごす。

ということは、ほとんどの砦の男達が戦士であることから、この夜、各所が手薄になるのはユナの女であるロータスにはわかってた。
機会は今夜しかない。
アムイを逃がすには…今この時しかないのだ。
そう、実の落ち始める、夜明けが来る前までに。


ロータスに手を引かれたまま、扉の前に来たアムイは、彼女が鍵を中央の蔦のくぼみに差し込んだ途端、目を見張った。
今まで、がっちりと不規則な網の目上に幾重にも組まれていた蔦や枝が、青白く輝き始め、ゆるゆると動き始めた。
そして、あれよあれよという間に、人が一人通れるほどの空間が開き始めた。
《…これ、が、“外界への扉”…》
初めて見る不思議な光景に、アムイも驚きの声が隠せなかった。
今まで侵入者を頑なに拒んでいた蔦たちが鍵に触れた途端、まるで仲間を受け入れるような、そんな感覚で自分達を招き入れているようだった。
《生きているから》
ロータスは目を輝かせてその光景を眺めながらつぶやいた。
《この鍵は大樹によってできているから、これさえ誰かがひとり持っていさえすれば、“外界への扉”は鍵に反応して、外敵ではなくて仲間だと認識して迎え入れようとしてくれるの。
すごいでしょう?
ユナの恩恵は、すべて宇宙の大樹(そらのたいじゅ)にあるの。
大樹の一部は燃やされない限り、本体から離れても、様々なものに姿を変えて生き続け、私達を守ってきてくれたわ。
だから昔からユナ人は、大樹と通じ、その恩恵を授かろうと生きてきた。
まぁ、本当に大樹と繋がる事ができるのは、一部の能力者(大陸で言う神官や巫女の類)やこのユナを治める長ぐらいだけど》
ロータスはそう説明しながら、アムイの手を引いて“外界への扉”の中へと進んだ。
蛍光にぼんやりと光る、その不思議な空間は、意外に長く続いていた。
まるで緑のトンネルのようだと、アムイは感嘆しながら歩を進めた。
しばらくするといきなり前方が開け、星空が目前に飛び込んできた。
どうやら“外界”に出たようだ。少し高台に出たのであろう。眼下には深淵とした闇に彩られた森林が広がっている。
《この丘を下ってまっすぐ森に入ったら、右手を行くのよ。
あなたの足なら夜明け前には小さな村に出れるでしょう。そうすれば馬を借りる事ができる。
そうしたら一気にここから離れなさい》
厳しい口調でそう言うと、ロータスは懐から小さな布袋を取り出した。
《あなたの所持金よ。こういうこともあろうかと、こっそり隠していたの》
彼女はアムイの手にその袋を握らせた。
《ロータス…》
彼女の気遣いが嬉しかった。
見も知らないよそ者であるだけでなく、大陸では無法者と名高い自分に、彼女はどうしてここまでよくしてくれるのだろう。
前も思ったが、彼女の性分か、それともやはり…。
一呼吸置くと、ロータスは素早く自分の背に括り付けていた布にくるんだ荷物を外し、
《それから、これを》
と、言いながらアムイの胸に押し付けた。
《ロータス!》
思いの他、ズシっとくる荷物の重みや細長い形状にはっとして、アムイはその荷の布を手早く取り払い、息を呑んだ。
《……影艶・明星(かげつや・めいせい)の剣…》
出て来たのは、育ての親でもあり恩師でもある竜虎(りゅうこ)から直々に授かった名剣。
(俺の…剣!)
アムイは震えた。そして潤んだ瞳でロータスを見やった。
《ロータス、俺、何ていったら言いか…!
もうすでに自分の所持品は処分されたとばかり…》
《そんなことないわ。だって、見るからに高価そうだもの。絶対金庫に隠していると思って探し出しておいたの。
……あなたにとっては、とても大事なものでしょう?》
《ああ…そうだ。これがないと俺は…》

“キイを護る事ができない”

湧き上がるこの思いに、アムイはぐっと奥歯を噛んだ。
その様子を見ていたロータスは、確認するかのように小さく頷き
《そうね。そうよね。…これで大事な人を護るのよね》
と、誰に言うのでもなく呟いた。
何かの思いを込めているようなその様子に、アムイは思わず彼女に声をかけていた。
《ロータス…?》
アムイの怪訝そうな声にはっと我に返ると、ロータスは苦笑し、いきなりアムイを暗い森の方へと急き立てるように追いやった。
《ロータス!?》
突然身体を突き飛ばされて、アムイは驚きの声を上げた。勢いで坂をよろけるように下った形となったアムイは、戸惑いながら彼女を見上げる。
《さ、今のうちに。早くここから立ち去って、アムイ》
アムイの頭上でロータスは叫んだ。
《だけど、君は…!》
《そんな事考えては駄目!いい?
ここを去ったら、今までの事は忘れなさい。もちろん私の事など綺麗さっぱり忘れるのよ!》
《しかし…》
《それが約束よ、アムイ。ここから出した私との。
ユナの事も、私の事も…忘れて、これからは自分自身の世界に戻り、自分の成すべき事をしてね。
これは私の願いよ》
きっぱりとそう言うと、ロータスは小さく手を振って、アムイを振り返りながら緑の扉へと駆け込んで行く。
《ロータス!》
《約束よ!元気で、アムイ…》
彼女の声がどんどん遠くなり、緑の光が消えていくのを眺めた後、闇の中に取り残されたアムイはさっと身を正し、深く深く頭を下げた。
もちろん、彼女に。そしてこの幸運に。心からの感謝を込めて。
そして彼女の約束を“守った”アムイは、彼女の言うとおりに夜明け前に小さな村で馬を借り、一気にこの土地を離れ、この事を胸の中にしまったのだ。

ただ、もしアムイが、掟を破ったユナの女がどのような罰則を受けるか、その内容を知っていたら、彼女との約束を守れたかどうか定かではなかった。いや、むしろ、このまま彼女を砦に戻さず、共に逃げようとしたかもしれない。
それだけユナの掟は厳格で非道であった。
それでもロータスは、このような危険な振る舞いをしてまでも(最悪、自分が生き地獄を味わう事になるリスクを負ってまでしても)、アムイを逃がす事を決意したのだ。それはアムイと逃避行をするという道を選ばなかった、彼女のある純粋な思いがあった。ただ、彼だけを逃がす事に意味があった。
だからきっと彼女は、もしアムイに共に行こうと請われたとしても、ユナの砦に戻っただろう。
どのような罰を受けてもいい、というほどの覚悟を持っていたことが窺える。

その時の彼女の思惑を、誰もが知る術(すべ)はなく。
何を思い、何を考え、何故こうして身の危険を冒してまで、彼女はよそ者を助けたのか…。
美しいロータスは何者かの手によって命を奪われ、真実は闇へと葬られてしまった。

もちろん、このような結果を知ったアムイは酷く後悔していた。
無理矢理にでも共に逃げた方が、彼女は死なせかったのでは、と様々な思いが浮かぶ。
かといって若造だった自分が彼女に何をしてあげられただろう。
もう失われた時間を戻す事はできないのだ。
ただ今のアムイなら、もしかしたら彼女の隠された真実を聞いてあげる事ができるかもしれない…。
最近、ちらちらとアムイの目の前に現れ、何かを言いたげにこちらを見詰めている、彼女の霊(そんざい)をもの凄く感じるからだ。
今でも自分の目の前…キイの背後で、彼と同じく座して哀しげに俯いている彼女の存在を気にしながら、アムイはキイに一通り、自分がユナの砦で何が会ったのかを話していた。

そしてその夜、彼女がとうとう就寝していたアムイの枕元に立ち、思いの丈を吐露したすぐ後に、突然思いがけない人物が尋ねてきた。
それはまだ人が深い眠りを貪っている渦中、夜がしらじらと明ける手前の時刻であった。

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,


ガッキーン!!!
もの凄い音と共に、弾かれたガラムは勢いよく飛ばされた。
「く…!!」
だが、今のガラムは前とは違う。この状況ですぐに体勢を立て直し、すぐさま自分を追い払ったレツの元へと走る。
「レツ…!待て、レツ!」
凄まじい形相で追いかけてくるガラムに、レツは冷ややかな目を向けた。
そして無言でガラムに向かって剣を振るった。
突然の事にガラムは一瞬息を詰めた。長(おさ)候補…ジースの称号を持つ者…つまり長の息子である自分に刃(やいば)を向けるとは。
これは、確実な謀反と見なされる行為であった。
「レツ!」
青ざめたセツカが、慌ててレツの剣を自分の武器で受け止め、撥ね返した。
「レツ!何て事を!ジースに剣を振り下ろすなど!」
セツカは苦渋の表情で叫んだ。
「こうなってしまったら、もう私はお前を謀反者と認定し、捕らえなければならない。
それを知っての狼藉か」
この場を去ろうとするレツを追いかけ、セツカは彼に攻撃を食らわす。その攻撃を無言で阻止していたレツだったが、目を掠めるとポツリとこう言った。
「無論」
その一言に、ガラムもセツカも凍りついた。
「……な、ぜ…?どうしてそこまで…」
ガラムが涙声で呟いた。
「ねえ、レツ!どうしてそこまで…。何で謀反行為までして暁を?
そんなに暁を憎んでいるの!?」
らしくない。いつものレツらしくない暴挙。
ガラムの背筋に嫌な汗が流れ、改めてレツの中に溢れる闇の深さに戦慄(おのの)いた。
道徳心に溢れ、皆の尊敬を一身に集めていたレツ。
いつもの彼なら、暴走を止める側であって絶対このような無謀な事をする人間ではない。
一体、何が…?
護る対象であっても、決して刃を向けてはならない自分に剣を振り下ろした。
暁を保護するという長の命令をも無視してまで、倒そうとしている。
謀反人となってまで、そうまでして【暁の明星】に深い憎悪を持っている…。
彼の妻である姉のロータスが殺されたというだけではない、何か、もっと彼を深い闇に陥れた何かがあるようにしか思えない…。

混乱しているガラムとは違い、やっとの思いで自制心を取り戻したセツカが、武器を突きつけてこう宣言した。
「レツ=カルアツヤ。
長(おさ)の命に逆らい、その上ジースに刃を向けたからには、謀反人として処罰を受けなければならない。
もちろんこのまま、お前を暁の元へ行かすわけにはいかん」
ガキッ!!
金属の音が闇に響く。
ガラムは自分が凍りついたまま、いつも自分を護り、慈しんでくれた二人の戦いを呆然として見ていた。

さすがに二人の腕は互角だった。
今までこのように真剣に対峙した事がなかったから尚更、二人の戦いは熾烈を極めた。
「レツ!お前に聞きたい事がある」
武器を交差させながら、突如としてセツカはレツに叫んだ。
「……お前、あの四年前の秋の祈願夜の時、どこにいた」
その問いに、レツの気迫が揺らいだ。
「セツカ…?」
ガラムはどうして彼がその様な事を、しかもこんな時に尋ねるのか理解できなかった。
四年前の秋の祈願夜といったら…だってあの日は…。
「そう、ロータスが殺された…あの晩だ」
微かな心の揺れを見逃さまいとして、セツカは緻密にレツの表情を窺った。
「…それが…どうした」
いっそう暗く翳ったレツの瞳に、セツカは再び苦悶の表情を浮かべると、彼の隙を就いて一気に懐に飛び込みもうとした。
はっとしたレツがそれに抵抗し、揉み合う形となってセツカの武器が彼の胸元に引っかかり、偶然にも彼の服を引き裂いた。

破れた服の間から、鎖に繋がれた何かが飛び出した。
それは宙を舞い、ほのかに白く蛍光に光りながらガラムの目の前で落ちた。

揉み合っていた二人も、はっとしてその方向に顔を向ける。
ガラムは震えながら、もうすでに光を失った、その落ちた小さな物体を手に取った。
足元から崩れ落ちそうだった。

それは、血糊を吸って赤黒く変色してはいたが、この自分でも見覚えのある物だった。

「…なんで…」
ガラムはよろけた。
「何で扉の鍵を、レツが持っているんだよ!!!」


その悲痛な叫びに、セツカは暗澹たる思いで唇を噛み締めた。
当のレツは、やはり無表情で、鍵を掲げているガラムを凝視している。


ロータスが死体で見つかった時、ある筈の鍵が見当たらなかった。
だから彼女は暁に殺され、鍵を奪われ、鍵と共に奴が逃げたのでは、と皆に思われたのだ。
だが、その鍵を今までレツが持っていたという事であれば、話が変わってくる。

そう、それは彼女が自分で鍵を持って戻ってきていたという証でもあるのだ。
でなければどうしてよそ者の暁が一人で外界に出られるであろうか。


嫌な仮説がそこで成り立つ。
この血を吸った鍵はどう見てもあの時の物で、それを持っているという事は…。

蒼白になりながら、ガラムはそれを問いただそうと震える足を一歩前へ踏み出した。
「レ…」
レツはいつの間にかセツカから後退り、闇に紛れようとしていた。
「待て、レツ!!」
セツカもはっとして彼を追おうとした。

だが、闇に同化する寸前のレツの哀しげな微笑に、二人の足はそこで止まってしまった。

「レツ…が…。ねぇ、嘘だよね…。レツがまさかレツが」
(姉さんを)と言う言葉を、恐ろしくてガラムは飲み込んだ。
自分の世界が崩れてしまったような感覚が彼を襲った。
動揺しているガラムに、セツカがやってきて彼を抱き締めた。

「ああ、ガラム。最悪の事態になりました。
……いいですね?落ち着いて、今から私の話をよく聞いて下さい…」


にほんブログ村 小説ブログ ファンタジー小説へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 3日 (月)

陳謝

深く深く頭を垂れております。

前回の更新時に、そろそろ始める、と明記したにも拘らず
結局まるひと月も更新できませんでした。

このひと月は、体力・気力、全てがMAX状態で
自分のための(創作の)時間が全くに取れず
おかげで後半は夏風邪もひいてしまい、声が出ない日も…(今でも声が変)

事情というか、言い訳というか…。

本当に申し訳ございません。

仕事に関して言えば、一人欠員(身内ですが)が出てしまったため(しかも長期)その分の埋め合わせとして、通常の倍、やる仕事が増えてしまったのが一番の要因です。
次に家族の世話。
まだまだ子供に手がかかる上、肉体労働で疲れ気味の夫の世話もいつものごとく背負う形。
体力の衰えと共に、無理が効かなくなってしまい、うまい具合に時間を捻出するのに苦労しています。

もっと自由が欲しい。
もっと好きなことしたいよー

結局、愚痴になってしまった…(反省)

このような状態ですので、己の納得するような内容が書けず、結局、長のお休みをいただいている状態となってしまいました。

そういう状態なので、きっと見捨てられている…と恐る恐るカウントを見に行きましたら…。
完全に更新放置状態にもかかわらず、アクセスを毎日のようにちらほらいただいて…。

涙出ました。

いや、、大げさかと笑われてしまいそうですが、
本当、嬉しいのと、自分が情けないのと。

これでも文章の書けない状態の中で、頭のスミではずっと後半の細かいところを修正、構築、妄想していました。
早く続きを書きたくてウズウズしています。

少しでもこの物語の続きを気にしている人がいてくれたらいいなぁ、という気持ちと共に、自分が早く最後まで書きたいという情熱を呼び起こしました。

ちょっと大げさかもしれませんが、いや、本当にこのひと月、現実の問題を消化するだけの毎日でしたので、本当に創作意欲に欠けていたところがありました。
意欲、情熱がないと、なかなか先に進めませんね…。

今月には、再開、したいと思います。

更新するする詐欺にならないよう努力します。


ご訪問下さる方々に、本当に感謝を!


kayan 拝

640_480_001300x225


| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年7月 | トップページ | 2012年10月 »