暁の明星 宵の流星 ♯176
「ああ、ガラム。最悪の事態になりました。
……いいですね?落ち着いて、今から私の話をよく聞いて下さい…」
混乱した頭で、ガラムはおずおずと顔を上げた。
突然のことでかなり動揺しているのか、焦点定まらない目が揺らいでいる。
セツカは静かに深呼吸をすると、気持ちを落ち着かせながら、ゆっくりと語りかけるように言葉を発した。
「貴方は長の方(おさのかた)の血を引く、代々大樹を守り、ユナを守ってきたユネス家の直系です。
何が起ころうと自分まで取り乱してはならない」
そう前置きしてから、セツカは落胆したような、それでいて諦めにも似たような声で、こう続けた。
「どこかで危惧していた事が、こうもはっきり形になるとは…。
……四年前、もっと早く長の方(おさのかた)の判断を、彼女に届けられていたら、……いや、そうだとしても、もしレツが本当に彼女を手にかけたとしたら…夫婦間の事が原因なれば、どう対処できただろうか…」
呟きにも似たその言葉に、ガラムは正気を戻した。
「どういうこと…。
父さんの…判断って…」
ガラムはさっとセツカを見上げ、眉根を寄せた。
「セツカは何か知っているの?レツも変に含みを持たせた事言っていた。
俺も変だと思っていた…。
何が?一体何があったというんだ」
ガラムに問い詰められ、セツカは苦渋に満ちた表情で目を瞑った。
「言い訳に聞こえるかもしれませんが…。
これは極秘の事で、私には長と約束した守秘義務があります。
……ですが、ジース・ガラム。
こうして確たる証拠が出てしまったなら、長の方の息子である貴方には全てをお伝えしなければなりません。
…貴方の父君も確証が持てた時に、話すようにと言われておりました」
その言葉にガラムの目が険しくなった。
「ということは、父さんはレツの事を最初から疑っていたのか?
よそ者である暁ではなく、最初から……身内を」
「ジース」
「…わかってる…わかってるよ、セツカ。
父さんが何も確信持たずに疑うような…特に自分の身内を…そんなことするような人じゃないってこと…。
だけど、だけどもしそうなら…俺は今まで…」
「ジース・ガラム。……どのような事があの二人にあったかは、本人に聞かないとわかりません。
ただ、あの当時、ロータスについてどうしても口外できなかった事実があるのです。
……ロータスが何故、他人に咎められても、暁をあれほど庇い保護したのか…。
彼女もきっと確信が持てなかった時には、表立って行動に移せなかったに違いない…」
セツカはそこで一息つくと、独り言のようにこう呟いた。
「……やはりもっと早く、宵の君から確証のお言葉を戴くべきだったのか…」
「…それは…どういうこと?」
ガラムの問いにセツカははっとすると、
「とにかく時間がありません。
レツは暁達の居所を把握している。あいつはそこに向かっているはずだ。
…先回りしましょう。」
と言いつつ、セツカは自分の懐から大樹の実を取り出し、何かを感じようとそれを宙に掲げた。
「セツカ、それ」
「はい。、実はこういうこともあろうかと、すでに宵の君に大樹の実を渡してあるのです。
これによって私達の方が、レツよりももっと正確にあの方の居所を把握できる。
宵の君の傍には必ず暁がいる。
……そうです、レツよりも早く彼らに会わなくては…。
会ってこの事態を知らせなくてはなりません」
ガラムは黙って頷いた。こうなると、もう私情云々の話ではない。
自分とて、もうすでにジース(長候補)としての本当の自覚が芽生えつつある。
その責任として、暴走したレツを止め、長が保護すると宣言した対象は必ず護らなくてはならない。
掲げていた実を再び懐に入れながら、セツカはガラムを促した。
「こちらから行きましょう、ジース。…聞いていただきたい事は、移動しながらお話します。さあ」
と、言い終わらないうちに彼は素早く身を翻した。
「わかった」
ガラムは簡潔に返事をすると、セツカに並ぶように自分も走り出す。
すると風に乗って、切ない声がガラムの耳に飛び込んできた。
「ああ、ダン様(長の方)の元へもっと早く、ロータスの密書が届いていたのなら…。
そして私がもっと早く砦に戻っていれば…。時間が間に合っていたら…。
あの当時の事で悔やむ事は沢山あります。
特にジース…。あの悲惨な出来事で、貴方のお心に深く傷を残してしまった。
許してください。
本当の事を貴方にお伝えできなかったのは、我々が推理した内容が、あまりにも衝撃的だからです。
まだ幼かった貴方に、確証のない事で身内に疑いの目を向けさせる事に、長の方並びに側近も躊躇したからです。
それだけ、ユナの結束は固くなくてはならず、できることなら推測が外れていて欲しいとも思っていました…。
不本意ながら、中にはよそ者が犯行に及んだと誤解させたままでいいのでは、という意見も出ました。
ですが、それは決してしてはいけない事でした」
セツカは一旦言葉を区切り、もどかしそうに口を動かした後、呟くようにこう言った。
「…その相手が【暁の明星】アムイ=メイであればなおさらに…」
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漆黒の闇を、もの凄い勢いで駆け抜ける黒い人影があった。
大柄な体躯に張り詰めた気を纏わせ、そして目指す方向をひたすら凝視しているその眼(まなこ)は、激しい感情を抑えつけたような、くすぶった色をしていた。
《まったく、しょうがないわね!どうしていつもそうやって感情を抑え込むの?
昔のレツはそうじゃなかったじゃない。
……いいのよ、私にだけは本音を言っても。何ならどーんと、愚痴だってどうぞ?
だって、私、あなたの妻じゃない》
はきはきとした、だが彼にとっては誰よりも甘く聞こえる声が、何度も何度も頭でこだましていた。
(妻だ)
レツは狂おしく自分の中で繰り返した。
(……だけど、お前は俺のものじゃない…)
その思いが、レツの心を切り裂いていく。
(俺の妻であって…だけど、お前は俺だけのものなんかじゃなかった…)
負けん気が強くて、だけど本当は泣き虫で。
幼い頃から自分の後をついてきては、剣の相手をしろとせがんできた緑の目をした女の子。
最初からいつも目が離せなかった……自分の…たった一人の大切な女の子…。
血にまみれたあの鍵を手にし、彼女のまだ温かい血糊を感じたとき、レツは決めたのだ。
お前はそれほどまでにあの男を想っていたのか。
死を選ぶほどに。
俺以外のユナの男ではなく、あの他所から来た男を。
ならば、ああ、ならば俺がこの手で。
お前の愛する男をお前の元に送ってやろう………。
必ず…。
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「お生まれになりましたよ!ロータス。
元気な弟君ですよ!」
奥の方(おくのかた)であるロータスの母、アニタの部屋付き侍女が、廊下で待っていた彼女に知らせに来たのは、すでにもう日が昇りきった後だった。
「ほんと?赤ちゃん、男の子?」
眠い目を擦りながら、13歳になったばかりのロータスは、嬉しそうな声を上げた。
母が、ユナを治める長の方(おさのかた)の後添えとして、ユナの中枢部にあるこの宮中に輿入れしたのは5年前。ロータスがまだ8歳だった。
宮中に収める魚介類を捕る猟師であったロータスの父親たちは、彼女が6歳の時に、大時化(おおしけ)で漁船が沈没し全員死んでしまった。突然未亡人となってしまった母は、漁村には似つかわしくない艶やかな容姿が災いし、何かとトラブルが絶えず、幼いロータスを連れ、女舎(にょしゃ)の下働きとして細々と暮らしていた。だが、彼女の美貌の噂を聞きつけて、女人(にょにん)地域であるにも拘らず、男が彼女をものにしようと幾人か侵入するという不祥事が発していた。それはいずれも未遂に終わったが。そのとばっちりはもちろん幼いロータスにも及び、こういう環境が彼女を強くさせた。
何かと問題の多かった母が、今こうして落ち着いて奥の方(おくのかた)に収まり、連れ子のロータスまでも安定した生活を送れるのは、全てが長の方(おさのかた)のお陰だった。
ロータスの母アニタが初恋の人だったという現在の長の方は、十年以上前くらいに前の長が亡くなり、急遽跡目を継いだまだ若い長だった。
「ねぇ、母さんと赤ちゃんに会ってもいい?」
「もちろんですとも!もうすでにジース様方は行かれましたよ」
侍女に案内され、ロ-タスは母親譲りの茶色の巻き毛をなびかせ、大樹の若葉のような緑色の目を輝かせながら部屋に入った。
ロータスの顔は漁村一の美女と言われた母似ではなく、父親の方に似ていたが、それでも充分に愛らしい容姿をしていた。
「ロータス」
部屋の奥に備えられている大きな寝台に横になっている母親は、今まで見たこともないような幸福な笑みを浮かべ、ロータスを迎えた。
「ロータス、おいで」
傍らに立っていた長の方…義父のダンが、誇らしげに小さな赤ん坊を抱いたまま、優しくロータスを呼んだ。
彼の足元には、これまた目を輝かせた小さな男の子が二人、行儀よく並んで、父親に抱かれている赤子を見上げていた。
ダンは彼女に見やすいように赤ん坊を差し出すように屈んだ。
「わ、ちっちゃい」
赤ん坊を覗き込んだロータスは、思わず声を上げた。
「かわいい、あ、目開いた!」
「君と同じ、緑色だろう?」
穏やかに言うダンに、寝台の上の母アニタはくすりと笑うと、
「髪と目の色はね。でも、このしかめっつらは貴方かしら」
と軽口を叩いた。
「え、私はそんなにしかめた面(つら)している?」
と、わざとダンは赤ん坊と同じく顔をしかめてこう言い、ロータスも小さな二人の男の子たちも声を上げて笑った。
「ええ、昔はね。今はデレデレ」
ユナの長であるダンにこのような口をきけるのは、肉親以外では彼女だけだった。
それは彼が幼少の頃、彼女が遊び相手の一人だった…つまり幼馴染でもあるからだ。
ただ、彼女は彼より6歳も年上で、早々に女舎に移ってしまったのだけれども。あの時は子供ながら年の差を恨んだものだった。当時からダンは彼女に恋をしていたから。
だからある意味、幼馴染だったアニタには、ダンの孤独な気持ちがわかっていた。
幼い頃から大勢の兄弟の中で競争させられ、ジース(長候補者)として己を律して生きてきた彼を、一番に理解できたのは彼女だった。
確かに今まで、彼女自身波乱な人生を歩んできたが、彼のお陰でこうして幸福な家族を作れた。
…たとえ、一部の周りが彼女の悪口を言おうとも。
「名前は何てつけるの?」
ロータスの言葉に、共に赤ん坊を覗き込んでいた二人の──それは見事な双子の兄弟──小さな男の子が口をそろえてこう言った。
「僕がつけるの!」
抜群のハーモニーに、ロータスは口元が綻んだ。ここまでシンクロする双子は珍しいかもしれない、と思いながら。
双子の兄弟…ジース・シードとジース・リードは、亡くなった先の奥の方が産んだ、ダンの息子だ。
先妻である彼らの母親は、ただでさえ危険とされる双子の出産に臨み、その結果二人を産み落として亡くなってしまった。
だからこそ、ユナの中枢部は、若き長の後添えをすぐに決める必要があったのだ。その理由は後ほどとして、今はやっと恵まれた三番目のジース(長候補者)の誕生に、ユナの島は祝宴ムードだ。
「残念だな、ちっちゃなジース殿。
名前をつけるのは父である私に決まっている」
ニヤッとダンは笑うと、ぶーぶーと文句を言っている双子を尻目に厳かに宣言した。
「今日誕生した我が三番目のジースの名は、ガラム。
五代前の長の方の名を取った」
そして愛しそうな眼差しを赤ん坊に向けると、優しい声でこう言った。
「お前はジース・ガラム、だ。
その名に恥じぬ男に育てよ。ジースとしての誇りを持って、大きくなれ。
……愛しい我が子よ」
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