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2012年11月 4日 (日)

暁の明星 宵の流星 ♯178

(レツ…)

ロータスは彼の名前を心の中で呟いた。
セツカと呼ばれた青年の肩越しに覗く彼は無表情だったが、瞳の奥がきらりと光ったのはロータスの思い過ごしだろうか。

その背の高い少年は名門カルアツヤ家の次男であるレツだ。
ロータスとは4歳違いで、すでに成人を迎え、この歳若さでユナではエリートとされる長(おさ)直属の近衛隊に配属され、将来を有望されている少年だ。
ロータスとは幼い頃の宮中での遊び相手。昔からよく知る優しいお兄さんだった。


「いくらジス殿でも、宮中で、しかもジースご誕生のおめでたい日に、このようなお言葉は感心しませんね」
その言葉でロータスは我に返り、彼女を守るように進み出た青年を呆然と眺めた。
物言いは柔らかいが、双子の叔母であり乳母でもあるジスを見る目つきは氷のように冷たい。
彼は長の方(おさのかた)ダンの一番の側近中の側近、宮中総合護衛官であり一級戦士のセツカ=ロゥワである。
名家の出でもあり、しかも若くして長の側近となっている彼には、彼女も頭が上がらないようだ。
「それに、あの事故の真相ははっきりしていませんよ。
だからこそ、憶測で決め付けるなんて愚かしい事だと思いませんか?」
セツカの言葉にジスは顔を歪めると、
「別にそんなつもりでは…」
と、誤魔化しながら、そそくさとその場から退散していってしまった。

ジスが去ってほっとしたロータスは、セツカに向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、セツカ。
……それと、見苦しい所を見せて…本当に申し訳ありません…」
恐縮がっているロータスを見下ろすと、セツカはふっと笑って彼女の肩を叩いた。
「いや、君のせいじゃないよ。
本当にあの方には困ったものだ。
でもいいね?宮中のほとんどの人間は、君の母君を悪くは思っていない。
宮中に嫁いで5年の間、彼女は奥の方(おくのかた)として立派な働きをしている。
最初、あらぬ事を言う者達がいたが、そのほとんどが今は君の母君を尊敬しているよ」
「セツカ…」
思わず涙ぐみそうになって、ロータスは口元に手をやった。その様子を見ていたセツカは、話題を変えるようにこう言った。
「それよりも女らしくなったね、ロータス」
「え?」
「ここにいた時は、男の格好を好んでしていたから」
その言葉にロータスは赤くなった。
確かに、女を意識する格好を避けてきたのは事実だった。
それは母が女らしすぎる容姿を持っているという反動だったかもしれない。
それに女が少ない宮中では、女である自分が浮いて見えたようで、そのつど周りからのからかいにどれほど傷ついたか。だから意地で女らしさを拒否していたのかもしれない。何よりも自分が男だったら、母を守れたと強く思う事もあった。
女だから、という無言の男達の視線…いや、多分ユナ一の妖艶さを持つ母親の娘だという邪な目を避けたかったのかもしれない。
ロータスはちらりとセツカの後ろにいるレツを盗み見た。
彼だけは宮中の遊び相手の中で違った。
自分を一人の人間として見てくれた。
何かと問題があるたびに真っ先に駆けつけて助けてくれた。
それは自分だけではなく、誰に対してもそうなのだけど。
そう思うとちょっと落ち込む自分を発見し、ロータスは胸のうちで苦笑した。
いつのまにか幼馴染の優しいお兄さんから、憧れの人になっていた。彼に追いつきたくて、無理に剣の相手をねだった事もあった。彼と、ユナの歴史や政治の話をするのが好きだった。
幼い自分を疎まず、同等に扱ってくれる懐の深さが好きだった。
……でも、彼は成人を迎えてすぐに男舎(だんしゃ)に移ってしまった。ロータスの心に小さな痛みを残して。

「君が女舎(にょしゃ)に移ってしまって、この宮中も寂しくなってしまった。
君の威勢のいい声は、実に気持ちよかったからね。
それが…見違えたように綺麗になったなぁ」
セツカの呟きに、ロータスは宮中では絶対に着た事のなかった長いスカートの裾を、照れくさそうに叩(はた)いた。
確かに子供の頃と比べ、胸も膨らみ、ずっと女らしい体型に変わっていた。それがユナの女達が着る、体の線を際立たせる衣装とよく合っている。
上は胸を強調させるようなぴったりとしたブラウスのような衣服。細腰を強調するようなコルセット風の幅広の帯の下から、ふわりと広がる柔らかな生地のスカートはくるぶしまでの長さで、それがちょうど彼女の細い足首惜しげもなく覗かせている。
「まだ、その…着慣れなくて。女舎ではずっとこの格好なの」
「いいね、でも似合ってる」
女ならば誰でも見惚れるであろう笑顔をセツカに向けられて、ロータスは益々赤くなった。
だがそれ以上にロータスの意識はセツカの後ろの少年にいってしまう。

久々に会った彼の目に、自分はどのように映っているのだろうか。

セツカの話よりも何故かそちらの方が気になった。
特に自分が初潮を迎え、女舎に移ってからはほとんどレツに会っていなかった。
レツも男舎に移り、そこから宮中に出入りしているとはいえ、ばったりと出くわす確立はかなり低い。
それでもちらちらと姿を見る機会があったが。
なので、こうしてちゃんと出会うのは、2年ぶりともいってよかった。
(少しでも、女らしく映っているかな…)
そんな事をつい思ってしまう自分にロータスは舌打ちした。
(今更レツに女をアピールしたいだなんて、どうしちゃったの、私…)
内心ドキドキしながら、ロータスは彼に再び目を合わせた。
だが、レツはいつもと変わらないように見える。
元々口数の少ない、落ち着いた少年だったから、あまり何を考えているのかわからない所があったので仕方ない。

「………ということで……、って、聞いている?ロータス?」
はっとしてロータスは意識をセツカに戻した。
「えっと、…ごめんなさい。何だっけ…」
「大丈夫かい?…だから、これから私達が君を女舎に送る、って言っているんだけど…」
「え?でも、私一人のために、近衛隊が護衛?
そんな、いくらなんでも…」
要人であるまいに、と慌てるロータスに、セツカはにっこりとすると、
「いや、まぁちょうど女舎のある方向に用事があるので、ついででもあるけど…。
実は長の方に頼まれてね。大事な娘を無事女舎まで連れて行ってくれ、と」
「長の方ったら!」
ロータスは困ったような嬉しいような複雑な顔をした。
「長の方にとって、君は幼い頃から育てた娘同然。確かに義理の娘であるし。
だからこそ大事な娘が帰途で何かあってはと、心もとないからだろう」
「大げさね。まだ日は高いのに」
とは言ったものの、さすがに一民族の島国であるため、治安の面では大陸なんかよりもはるかにいいが、やはりこの数年の女減少により、若い娘が一人で島を出歩く事には特に注意を必要とした。特に日が落ちる頃は要注意で、邪(よこしま)な気になっている男達が襲ってこないとは言い切れない現状だ。
特に年頃の女を預かる未婚の女子を集めた女舎では、政府が選んだ屈強な戦士で守りを固め、不埒な男達の侵入を許さないほどだった。それほどユナには女が少なかった。
それはどこでも同じ問題ではあったが、島国単一民族で、しかもよそ者を受け入れないユナにとっては他よりも深刻かもしれなかった。
「確かにぞろぞろと部下を引き連れて行くので、君には居心地が悪いかもしれないけど」
と片目を瞑ると、セツカは有無を言わさずロータスの腕を取った。
「ん…もう、セツカ!」
ぷっと膨れるロータスに、後ろからついて行く戦士達の中に紛れたレツが、ひっそりと微笑んだ。
そのまま引きずられて行ったロータスには、惜しい事にその顔を見る事ができなかったけれど…。

颯爽とした近衛隊をぞろぞろと引き連れて、女舎に戻っってきたロータスを待ち構えていたのは、その様子を見ていた同じ年頃の娘達の羨望の眼差しだった。
だがそれだけではない、ロータスが広間に戻ると、少女達が大騒ぎになって彼女を迎えた。

「きゃぁああっ!ロータス、ロ-タス!!」
ロータスと相部屋で、同い年のチエルが彼女の元へ息を弾ませて走ってくる。
「な、何?ど、どうして皆興奮してるの?」
薄々その理由はわかっているけれど、ロータスはちょっととぼけてこう言ってみた。
「当たり前よ!これが騒がずにいられますか!
あああ、さすがに長の方の義理の娘!羨ましい!」
これまた同い年のランが目を輝かせてロータスに突進してくる。
「ちょっと、待って…」
ロータスは苦笑しながらランの身体を受け止めた途端、次々とやってくる少女達にもみくちゃにされてしまった。
「ロータス!私はじめて見たわ!あれが長の方の近衛隊でしょ!」
「あ~ん、やっぱりみんなカッコイイ~~」
「すごいわ、ロータス!あんなエリートに送ってももらえてぇ~~~」
「いえ、そんな…。たまたま方向が一緒だったってだけで…」

ということは、みんな自分が彼らに連れられて来た所を、しっかりと見ていたのか。

特にここは年頃の独身女性を集めた舎であり、いい年頃の男性には滅多にお目にかかれるわけがない。なので、彼女達の反応は健全とも言える。その上、見目も腕も選りすぐられた長の方直属の戦士達だ。もちろんそんな上等な男達を見られる、もしくは出会える機会は滅多になく、彼女たちが過剰反応するのは仕方がなかった。
ただ、幾分まだ余裕を見せているのは、帰っていく彼らをベランダの方で熱い眼差しを送り続けている、成人を迎えている女性達だ。
彼女達はすでに成人の儀式も済んでおり、男に対しての免疫もあった。
少なからず成人していない者たちよりも、男性とコミュニケーションを取る場を設けられているので、そのような大騒ぎをする行為は、子供っぽくてみっともないと自覚していた。自分が男性にどういう印象をもたれるのか、成人の独身女性はそれが一番だったからだ。
そう、なるべく男性に好意を持ってもらい、自分がなるべくいい家へ嫁ぐ為に、この女舎で彼女達は色々と教えられる。
だが、それでも最高の男達を目にして、浮ついているのは彼女達も同様だ。

「あっ!あの赤毛の人、私の方を見たわ」
「違うわよ、私よ」
「見て見て、彼、近衛隊所属だったのね。ほら、この前の催しで…あなたと踊った…」
「ああ、もっと彼に身体を押し付けておくんだったわ!」
庭を横切り去っていく彼らも、二階のベランダから手を振る華やかな女性達に、まんざらでもないようだ。
中には上司に隠れて彼女達にウインクする者もいた。

「ああ~、でもセツカ様、素敵…。さすがに長の側近中の側近で、しかも腹心の友、でしょう?」
別の女性達の熱い視線の先には、先頭を仕切って歩いているセツカがいた。
「本当ねぇ…。でも無理よ。あの方にはもう奥方がいらっしゃるじゃない。
しかも家柄は名門中の名門でしょ?庶民の自分じゃ違いすぎる…」
「あら、そんなのとっくに承知よ!
でも、素敵な方は素敵だもの…。羨ましいわ、あの方の奥様」
「だけど聞いたところによると、セツカ様は末子だから、形だけの奥様みたいよ。
もうすでに跡継ぎのお子様達がいるから、セツカ様は家を出て生涯を長の方の傍にいることを選んだみたい。
……もったいないわぁ、あんなに美しい方なのに」
「あら、そうだとしてもあの方だって男だもの。あちらの方(ほう)は奥方か…どこかで、絶対によろしくやっているわよ」
まだ成人に満たない少女達が聞いてもわからないような会話をさらりとするのが彼女達である。
「…あ~あ、できれば結婚前に一度お相手してみたかったなぁ…。だって嫁ぎ先が決まれば不倫は重罪になっちゃうしね…」
「無理無理。あのような方と知り合うには、何かツテがなきゃ…。
ううん、ツテがあっても、よほどの事がなければ相手してもらえないわよ。
それに婚家が決まる前に許可なく深い仲になった男がいたと知れたら、いい所へ嫁に行く機会がなくなるわ。
そういうところ、ユナの男達は厳しいのよね…」
溜息と共に、彼女達は名残惜しそうに去って行くセツカに視線を送っている。


未成人の少女達からやっと抜け出せたロータスは、空気を吸おうとしてベランダに出た。
眼下に去っていく彼らが見える。
その中に黒髪の背の高い少年を見つけて、胸が騒いだ。
結局、彼とは一言も話せなかった。
『元気?』とか
『久しぶり』とか、何で言えなかったんだろう。
と、ロータスが気落ちした時だった。

「ねぇねぇ、あれ、レツじゃない?」
突然、彼の名前が出て、ロータスは内心慌てた。
「本当!やはり格好いいよねぇ、彼」
何故かドキドキする胸を抑えて、ロータスはついつい、彼女らの会話に聞き耳を立てる。
レツの話を始めた彼女らは、ロータスの右側にあるテラスに寄り掛かって近衛隊を見下ろしていた。
ロータスは隅の方にいたので、彼女らからは見えない位置にいる。だが、話し声だけは風に乗ってよく聞こえる。
「この間の春の聖誕祭でね」
まっすぐな黒い髪を払いのけながら、その中の一人が切なそうに話し始める。
「もの凄い覚悟でレツを誘ったのよ」
その言葉にロータスの心臓が跳ね上がった。
「え?本当?彼、どうだった?」
「どうって…少し話して…。でも、あまり相手にされなかったわ。悔しいけど」
彼女の気落ちした声に、ロータスは何故かほっとして胸を撫で下ろした。
「でも!」
と、彼女は夢見るように言った。
「あの時初めて間近で見たけど、本当に彼って素敵よ!
背は高いし、肌なんか他の男達よりも断然綺麗で、目なんかすっごい澄んでいるの!
もう引き込まれそうなくらい」
他の少女達のほうっという溜息と共に、ロータスの胸はちくちくと痛んだ。

私だって、そんな事よく知ってるわ。
ううん、あなたの知らない事だってもっともっとあるんだから!

そう言葉に出掛かりそうになるのを、ロータスは必死で我慢した。
「でね、とても礼儀正しくて紳士的で。話す声も落ち着いていてうっとりしちゃう…」
まだまだ彼女のレツへの賞賛は続く。
「それにねぇ、男らしい大きな手をしているのぉ。あの手に触ってもらったら気持ちよさそー、なんて」

そんなの子供の頃、よく撫でてくれたわよ。
あなたの言うその大きな手で私の…頭を。

「彼、私達と同い年だっけ?」
「そう、17歳。なのに同じ歳の男達よりも、何もかもが大人よね、彼は…。はぁぁ…」
「あなた、狙っているわね。カルアツヤ家」
「う…」
「そうね、確かそろそろあの家の三男坊が成人するんじゃなかった?
そうすればあの有名なカルアツヤ兄弟も嫁募集が始まるわけじゃん。チャンスよ!」

カルアツヤの三男坊…レツのすぐ下の弟、シキの事だ。
子供の頃、散々私をからかっては何かと意地悪してきたあいつ…。
ロータスは嫌な事を思い出したかのように、頭をぶんぶんと振った。

「でも狙っている人、かなり多いわよ」
「わかってるわよ」
「だってあのユナきっての勇者、ベン=カルアツヤの息子達でしょう?
……いくら庶民が頑張ったって、宮中に出入りできるくらいのコネがないと…。
ちょっと高嶺の花過ぎない?」

彼の父親の一人、長父(ちょうふ※長男である父親の意・妻側から見れば長夫)であるベン=カルアツヤは、先代長(せんだいおさ)の側近の中の一人であり、一族きっての豪傑である。誰も知らない者がいないというほど、レツの父親の名前は広く知れ渡っていた。
彼らの五人の子供達の中でも、特にレツの容姿と武術の才がベンに似ていた事もあり、本人の意思に関わらず、自然に誰もがレツに対して多大な期待を寄せるようになっていた。

ベン=カルアツヤの再来。
ベン=カルアツヤの真の跡取り。

自分達の長(おさ)を競い合いで決める伝統はあれ、まだまだ一般には長子優遇の名残があって、家長は暗黙の了承で長男が担っていた。それにも拘らず、長男のルオゥよりも次男のレツの方になまじ才能があったために何かと注目を浴びていた。しかもユナ一の勇猛果敢な最高戦士のベンと見た目が似ていたとあれば、それも仕方がないことだろう。
事実、豪傑ベン=カルアツヤはその評判と同様、私生活でも厳格で、家長に相応しい威圧感を持ち、他にも彼の兄弟が三人いたが、一家に君臨し、全ての権限を持っていた。
周囲に尊敬されているベンではあるが、ロータスの印象ではかなり我が強くて、幼心にも自分本意な人と映っていた。
厳格で強情で、意外に人の話──特に自分よりも下の者─の話に聞く耳を持たないという印象だ。
だが、レツは違う。唯一ベンと違う所を挙げよ、と言うのなら、彼の優しさをロータスは一番に挙げる。
母が再婚し、まだなれない宮中暮らしで馴染めなかった彼女を、何かと気にかけ、面倒を見てくれたのはレツだった。
レツは5人兄弟の2番目であったが、他の兄弟達はあまりロータスに興味がなく、特に彼女と歳の近い三男のシキは彼女の事をチビ、ブスと言っては、何かと意地悪した。
それでよく取っ組み合いの喧嘩をしたが、いつも飛んできて止めてくれたのはやはりレツだった。


「でもまだ20歳には時間があるもの。それまでにどうにか彼と近づいて…ううん、彼の兄弟の誰かでも知り合いになれば、もしかしたら花嫁候補に挙げてくれるかもしれないわ」
黒髪の少女は赤くなって力説している。
ユナの民の詳しい結婚制度については、後ほど説明するとして、とにかくこの成人女性達の憧れの嫁ぎ先が、レツの家だという事はわかった。

……私だって…。

思いもしない考えがロータスの頭に浮び、慌てて振り払った。
(馬鹿、ね。何を考えてるの、私ってば!)
こんな気持ち、一緒にいたときには思いもしなかった感情だった。
そらそうだ。
だって、いつも会いたい時にはいつだって会えた。

彼が成人を迎えるまで。

そして自分もあと二年したら彼と同じく成人を迎える。

彼女らが言う、三男のシキが成人したら…というのは、兄弟の半数が成人であれば、妻を娶れるという制度の事だ。
だからといって、どこの家もすぐに妻を娶るとは限らない。できる、とだけで強制ではないからだ。
ならば、シキが来年15になって成人となり、その一年後には自分だって成人になれば……。
おのずと彼らの花嫁候補と成り得る、と、ロータスはぼんやりと思った。
それまでに、どうかレツの家にお嫁さんが来ませんように…。
そう考えてロータスははっとしてまた頭を振った。

何だろう。

どうしてこんなにレツの事が気になるのだろう。


「でも、さぁ。あなた知ってる?」
今まであまり会話に加わっていない一人がぼそりと言った。
まだ彼女達の話は続いているのだ。
段々と頭の痛くなったロータスは、そっとこの場から離れようとしたが、また初耳な話題が彼女をその場に釘付けにした。
「レツ=カルアツヤの思い人よ」
ロータスの心臓がどきりと音を立てる。
「え~?何それ!」
「ミシル=カイト。ほら、彼女よ」
「え~!?うそぉ!それじゃもう勝ち目ないじゃん!」
黒髪の彼女は泣きそうだった。

ミシル?
って、あのミシル?

ロータスも衝撃を受けて固まった。

「あの医者一族のカイト家のお嬢様よ。…ミシルって、昔からレツにお熱だって、私の兄さんが言ってたもの。
兄さん、ミシルに憧れているから、すっごくショックだったみたい」

知っている。
父親が宮中の医療官だから、彼女も幼い頃宮中の保育施設によく来ていた。
自分とは違って小さくて華奢で、色の白い、男の子達が讃えるように本当に妖精のような人だ。
ふわふわと流れるような亜麻色の腰までの髪に、煌く藍色の瞳に縁取る長くて濃い黒い睫が印象的だ。
お人形みたい、と初めて彼女を見たロータスは感嘆したほどだ。
しかも容姿だけではない、性格も穏やかで誰にも優しかったし、それだからといって、ちゃんと自分を持っている人だった。

「レツだってまんざらでもないみたいよ。だって、あんな綺麗な娘に思われて、嫌がる男、いると思う?」

そりゃいないだろう…。

思わずロータスも彼女らと同じく同意した。

確かに彼女はレツとよく仲睦まじく話をしていた事を思い出した。
あの時は、彼女の事を優しいお姉さん、という目でしか見ていなかったから、無邪気に何とも思っていなかったし、たまに会えば普通に慕っていたと思う。
彼女はレツとは一つしか違わなく、早々に女舎に移っていたから、そんなに親しい、というほど知っているわけでもなかったが。
そうか、二人はそういう関係にあったのか。
でも、いつ頃から?

「それにね…」
それまでの声をワン・トーン落として、彼女は続けた。
「これ、ミシルの同室の人から聞いちゃったんだけど…。絶対黙っててくれる?」
「何々?」
興味津々の言葉の後に、また声を落として彼女が話し出す。
いけないと思いながらもつい、ロータスは耳を傍立ててしまう。
「ミシルの成人の儀式の相手、レツだったんだって!」
「うっそぉ!」
「何それ!羨ましすぎる!」
「しっ!声を落として!」
思わず大声を出した子達を戒めると、きょろきょろと辺りを見回し、誰もいない事を確認してからこそこそとまた話し始めた。
柱の影に隠れていたロータスは、かろうじて彼女らに見つからなくてほっとした。
当の彼女らは顔をつき合わせて小声で何か話し合っている。先程よりも余程聞かれては拙い内容なのだろうか。
ロータスの耳には彼女らの話はもう聞こえてこない。

(成人の…儀式の"相手”?)

初めて聞く言葉に、ロータスは首を傾げたが、益々頭痛が酷くなってきたので、とにかく早くそこから離れ、部屋に戻った。


一年後、成人の儀式を学ぶ過程で、ロータスはその時年上の彼女らの言っていた言葉の意味を理解する事となる。

その内容が、ロータスを愕然とさせ、暗澹たる気持ちにさせる事になろうとは、この時の彼女は全く思いもしなかった。

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