暁の明星 宵の流星 ♯189
草原のような緑の瞳からみるみると涙が溢れ、彼女の頬に伝っていく。
『……ロータス…』
彼女の首には今しがた自分がつけた手の跡がある。
その乱れた姿にレツは、今まで抑え付けてきた真っ黒な感情が自身から湧きあがってくるのを感じていた。
それは怒り、などという生易しい単純なものではない、絶望を含んだ凶悪な感情だった。
妻は、自分以外の男と、それもよそ者と……!
何をしていたかが歴然としている彼女の姿。その彼女の手に握られている扉の鍵。消えた男。
『あいつを逃がしたのか』
いつも自分が敵を追い詰めるような声を、愛する女に発してしまっている己の醜さ。
びく、と全身を震わす彼女に、自分はかつてないほどの汚い感情を晒してしまっている。
『……それで何故お前は戻ってきた?』
ロータスの目が苦痛に揺らぐ。
『あの男と逃げずに、……なぜユナの地に戻ってきた?しかもそんな淫らな格好で』
ぐ!と彼女の喉が詰まったような音を立てる。
『……何故、帰れば罪人扱いを受けるとわかってて、この地に戻ってきたんだ!』
それは、罪人になる覚悟で戻ってきたという他、考えられないのもレツはわかりきっていた。
女はどんな罪を犯しても死は免れる。免れるけれどその行き着く先は生きた地獄が待っている。
それを覚悟で戻るという事は、……男と逃げて刺客を動かされるよりも、死罪のない女だけが戻れば相手の男の死は免れるから……。
そう思い当たったと同時に、レツは深い絶望の海に突き落とされた。
彼女は、自分の身よりも、相手の命を取ったのだ────。
それは相手の男への深い愛情を見せ付けられたと同意である。レツにとって。自分よりも、男の命を優先させたという事実。
もちろん刺客がついて男が死に、彼女が連れ戻されたとしても罪は罪だが、……それを選ばなかったという時点で彼女の男への愛の深さを思い知らされた。
ただ、この時他の理由があるなどとは、レツは全く考えも思いもしなかった。
怒りと相手の男への憎悪と嫉妬でおかしくなっていたから。
もう少し、いつもの冷静さが残っていたのなら…彼女を責めずに事情を問いただせていたら…。
いや、それでもロータスは隠すだろう。
目の前にいる男と、逃がした男のために。
この時ロータスは己の運命を覚悟した。
……誰でもない、愛する男にこの酷い姿を見られてしまった。いくら無理矢理された行為とはいえ、夫達以外の男とそういう関係になったという事が明白なのだから。……もう、完全に流刑送りは避けられない。
自分が戻ってきた理由も、全ては長の方や中枢部にこの件を報告するためと、恩情を請う為もある。もちろんアムイに刺客をつけられるのも困る以上に、残される家族が心配だったからだ。
名門でもあるカルアツヤ家の嫁が、このような醜聞を晒し、男と、それもよそ者と逃げたとされたら、それは婚家にも育ててくれた祖母にまでも多大な迷惑をかける。かけるどころじゃない、逃亡の罪は家族にまでも及ぶ。監督不行き届きとして。
まだ潔く本人が罪人として残る方が、その罪は個人だけとされ家族は切り離して考えてもらえる。罪状決定前に離縁すれば、もちろん醜聞は残るだろうが罪は犯した者だけで、他人は関係ないとされる。──ロータスは、カルアツヤの家を守りたかった。
自分を受け入れてくれた夫達、可愛い二人の小さな息子、……そして、そして自分が一番愛する目の前の男。
守りたかった。本当に守りたかったのは、……彼らだった。
『鍵を渡せ』
もう止まらない。この激しくも真っ黒な感情は、今に始まった事じゃない。知らないうちに少しづつ積もっていき、気がつかないうちに溢れ出そうになっていた。
自覚は、あった。それをずっと、理性が、常識が、良心が。全てを総動員して抑え込んできたものだ。
自分は、本当は、こんな激情に駆られるただの男、だ……。目の前の女が絡むと。
レツの瞳が狂気に揺らぐ。
いつの間にか。自分を蝕んでいた悋気(りんき)、執着。この浅ましい独占欲を、今まで自分は見てみない振りをし続けた。
何故なら、それが彼女を妻にすると決定した時に覚悟し、妻となった彼女との生活を維持するために封印した感情だから。
兄のルォウの決定に、歓喜以上に支配した恐れ。
《僕はロータス以外、妻に迎えたくない》
あの女に対して淡白なルォウが珍しく欲したのが…ロータス。
もし彼女が妻となったら、自分以外の男と同じ屋根の下で抱かれるのを、自分は我慢できるのだろうか…?
その葛藤にあえて目を瞑ればいい。そうすれば、事実上彼女は自分の妻となる。例え他に夫がいても、それは自分の兄弟だから。赤の他人ではないから。それさえ考えなければ……この手で、再び彼女をこの手にする事ができる……。
その誘惑に抗えない自分も確かにいたわけで。
自分のこの彼女に対する激しい思いに蓋をすれば、きっとみんなと上手くいく。──そう自分に言い聞かせてきて…。
『なぜ……?』
か細い声。自分の耳朶にいつも優しく絡む彼女の声は、緊張のために今は掠れ、それが男に劣情を抱かせるとは知らない。レツの嗜虐心がじりじりと燃え燻っていく。
『何故、だって?当たり前だ。あの男を追う。追ってここに連れ戻す……抵抗するならその場で斬って首だけを持ち帰れば砦も納得するだろう。……お前は何も言わなくていい。いや、すぐに部屋に戻れ。お前は何も知らなかった、それで済む』
『……できないわ……もう…』
そう、だってもうすでにロータスのした事は砦の最高責任者に知れている……。
あの男は自分が家族を捨てられないのもわかっている。だから事が済んで彼女にこのままでいろと言ったのだ。
大事な家族に逃亡者を出した責を取らさせたくないだろう?まだお前の不貞で流刑地送りになった方が、お前の家族は傷を被らない。ま、しばらくは醜聞に晒されるだろうが、罪はお前一人で背負う事になるのだから、新しい嫁がくればそんな噂も表立つ事もなくなるだろう。カルアツヤほどの名家なら、後妻を斡旋するくらい簡単だ。なんなら自分が口添えするぞ、とまで言って……。
もうすぐ祈願夜が終わる。そうすればロータスと男が部屋にいないのもすぐに知れる。……何もかも把握している長官は、嬉々としてこの外界への扉の部屋にやってくるだろう。幾人かの部下を引き連れて。自分に罪状を突きつけるために。
婚家や実家に…特に母は奥の方であり…迷惑かけたくなかったら逃げるなよ、と薄笑いして出て行った男。
でもまさか、さすがの砦の長官も、自分と同じく祈願夜に行動する者がいたとは思ってみなったのだろう。カルアツヤは戦士の家系。その家の者である彼らが、全ての福恩を受けるとされる祈願夜をないがしろにするとは微塵にも考えなかったはずだ。
だが、こうして今その家で一番戦士として優秀な男が大事な祈願夜にここにいた。妻を捜して外界の扉の部屋に。
『できない!?』
妻の言葉に彼は激昂した。どす黒い感情はこの聖なる夜に似合わずに飛散していく。止められない、もう。
『……わ、私、いいの。罪を甘んじて受ける……覚悟はできてるから』
バシッ!
静寂を引き裂くように高らかな音を立ててロータスの頬はレツの手で叩かれた。
『…お前は!』
頬を手で押さえたロータスは決意を込めた瞳でレツを振り仰ぐ。叩かれた衝撃で、彼女の心にまだ巣食っていた迷いが完全に吹っ切れた。もう、皆に……彼に迷惑をかけてはいけない。最悪な状況を見られたくない人に見られ、侮蔑されたなら、もう、いいではないか。ただ、彼が…英雄とまで讃えられた彼が、大事な夜ではなく自分を優先したという事に、彼女は仄暗い喜びを感じていたのも事実。それが例え家のための責任感からだとしても、……形だけの妻を守るためだろうとしても。妹のように可愛がっていた幼馴染みの為だとしても。
──レツは……自分を捜しに来てくれた……。
『これ以上、皆に迷惑をかけるつもりか』
思ったとおりの言葉を聞かせれて、ロータスは心の中で苦笑する。そんなの、わかっている。だから私は決めたのだ。──最後の切り札を使う事に。
『俺の言う事を聞け。今ならまだ間に合う。……鍵を寄こせ、ロータス』
『お、お願い、そ、そんなことしたら』
貴方が……!という言葉を飲み込む。彼を共犯にしていけない。こんな事が生涯隠し通せるわけがない。特にあの卑劣なリガル長官がもうすでに知っている。もう、自分にできる事は、皆の名誉と…セドナダ王家の直系の存在と…目の前にいる愛しい男の輝かしい未来を、守るだけだ。
この時、すでにロータスは、最優良の特権である恩情にすがる覚悟を決めていた。
それを知らないレツの激昂が部屋に轟く。
『あの男がそんなに大事か!』
『レツ!』
『お前が戻ってきたのも鍵を俺に渡さないのも、全てあの男のためなんだな!』
ロータスは震えた。こんなレツは初めて見る。……そう、初めて彼を恐ろしいと思った。
『……なおさらあいつをこのまま無事に逃がすわけには…』
『お願い、やめて!』
戦士として勇敢で、敵に対しては非情に冷酷になると聞いていたその姿が今目の前にある。やると決めたら絶対やり遂げようとする……目。怯んだロータスは自分がなにを言っているのかわからないほど動揺した。レツに、レツに彼を殺させてはならない!
『どうか、レツ、あの人を追わないで。このまま見逃して。最初で最後のお願いだから!』
目の前が怒りで真っ赤になった。
聞きたくなかった、そんな言葉。願って欲しくなかった、自分に。……お前をこんなに愛している自分に。
本当は心が泣き叫んでいた。その心がぱっくりと傷が開いてどくどくと血が流れる感覚に眩暈がする。
『私は、いい、の、…か、覚悟を決めている……からっ』
ロータスは泣きながらすがりつく。本当に死に物狂いで。
『か、彼を殺さないでっ。追わないで…』
それがレツの手を汚さない為に必死だったとしても、そんなのはレツ本人にわかるはずもない。彼にはアムイの命を乞うための訴えとしか受け取れなず、完全に火に油を注いでしまった。
『お前はっ…!』
すがりつくロータスの肩を両手でがしっと掴むと、レツは怒鳴った。
『罪人になるという事を!こうして他の男と通じたお前は、もう完全に流刑地送りだと、良妻のお前はわかってやった事なんだろう!?流刑送りの暁には、どういう処遇となる事も、全てわかってお前はそう言うんだな!』
レツは震えていた。男を救うために、愛する女は生き地獄を選んだ。その事に対してもレツは愕然とし、絶望した。
罪人になる覚悟……という事は、不特定多数……いや一度に何人もの素性の知れぬ男達に強姦されても文句の言えない環境に身を置く、という事だ。
ユナの女は死罪はない。だが、命を保障されるとしても、刑は過酷だ。もちろん死ぬまで、男達の慰み者として生き続けなければならない。もちろんそれだけではなく、過酷な労働もついてまわるが、その延長上にそれらの行為が入っていると思っていい。
──そんな恐ろしい所に愛する女を向かわせて、誰が正気でいられるか?
『お願い、聞いてレツ……。私、わたしは…』
ロータスは泣きながらレツの手に自分の手を重ねた。その柔らかさに、レツははっとする。
この手は、いつも自分を慰め労わってくれた。夫婦だけの時間、愛しそうに自分をまさぐるこの手に、もしかして自分は男として愛されているのかもという、わずかな望みにすがっていた愚かな日々が甦る。
……もう、何も聞きたくない…!!!
その瞬間、レツは彼女を突き放し、部屋を飛び出していた。
***
ガラムは汗でじっとりとした手を何回か握り締めては広げた。
そう、姉の死の事実を義兄である彼から聞かないとならない。
本来、それは自分の仕事ではないか、とこの時点でやっと思いつく。
ある程度の真実は、長である父の側近であるセツカが手にしているようだが、姉が死んだ夜に義兄である彼がいたという疑惑に、ガラムはジース……長候補として、自ら率先し立ち向かわなければいけない立場ではないかと冷静に考える。
どうも今まで気がつかないうちにできのいい彼らに甘えていたようだ。こうなってやっと気がついた自分は何て愚かなのか。
頂点に立つ覚悟すら、姉の死に囚われて自分は全く持ってなどいなかったのである。何度セツカ達に苦言をもたらされていても、わかったわかったと返していた自分に苦笑する。それは頭で納得していた事で、本当は心まで染みてはいなかった。魂までわかってはいなかった。──本当に一族の長になるという立場の覚悟を。
成人を迎えたからといって、本当の大人になったわけではなかった。今までの子供じみた己の考えや行動に、ガラムはもの凄い羞恥を覚えた。……こんな自分が、敬愛する父の跡を継げるのか。まだ沈着冷静で余裕のある兄達の方が適任ではないか。
そんな自嘲が湧き上がってくるのを、ガラムは瞬時に戒めた。
ここで自分が変わらなければ、ジースとして恥じぬ行動をしなければ……将来、次期長という地位を勝ち取る事はできないだろう。
やっと現実を見る事ができたのかもしれない。今まで夢を見ているだけの自分ではユナの頂点には立つことはできない、という現実を。
《ならばお確かめください。貴方の目と耳で、そして心で。個人ではなく、上に立つ者として。
……それが将来、貴方にとって一族の頂点となるための礎となりましょう》
先程シータに諭された言葉がガラムの胸に染み渡っていく。
覚悟。
自分に足りなかったのは覚悟、だ。
長になる、その覚悟。島の一族全員をまとめ、宇宙の大樹(そらのたいじゅ)の示す場所へと大勢の人間を導く。背負うものの大きさをしっかりと把握し、上に立つものとしての覚悟を軸として……自分は将来、長となる。
ならば。ならば今自分がするべき事は……。
***
「レツ……お願いだ。どうか剣を…セドナダの王子に向ける刃を収めてくれ。……もし、このままお前がセドナダの直系に傷をつけてしまったら、もう、取り返しのつかない事になる。……長の命に背いた謀反人として…お前を処罰しなければならない…。
わかってくれるよな?レツ。お前はユナの英雄なんだ。ユナの民の希望の星でもあるんだ。──もし、私が推測した事が正しければ、お前は重い罪には問われない。
今ならまだ引き返せる。──多分、ロータスもそう願っているはずだ。……違うか?」
セツカの口から放たれたロータスの名に、レツはびくりと肩を揺らした。
「……何だ、推測って…。ロータスの願いって…。
──はっきり言ったらどうだ?俺は扉の鍵を持っていた。しかも血まみれの、あの夜になくなった鍵を、だ。
俺が彼女を殺した犯人だとどうして思わない?」
セツカはその言葉に苦悶の表情になる。
「……それは…お前はロータスを殺せないと…いや、ロータスがそうさせないと…確信してるからだ」
ガラムは弾かれたようにセツカを見た。姉を殺したのが義兄ではない?そのはっきりとした考えはどこからくるものなのか。
「何故」
「……彼女がお前を愛しているからだ」
しん、と一瞬その場が静まり返り、何とも言えない重い空気が漂った。
だがそれもレツの乾いた笑いで破られる。
「はは、馬鹿な事を」
嘲るように言い放つレツに、セツカは何の意も返さずに淡々とこう告げる。
「昔からロータスは、、レツ、お前ただ一人を愛していた」
驚愕に目が見開かれる。レツのその目に、動揺の影が揺らいだ。
「そんな…何故、そんな嘘を言う?お前も…暁も…そんなに俺を謀りたいのか」
「嘘でこんな事を言うものか。もちろん……暁の君の先程の言葉だって真実だ」
はっきりそう断言した事で、セツカがその証拠となるものを掌握しているという事実が判明する。
「何故そう断言……」
「断言できるかって?……それは様々な証言が取れた結果だ。
彼女を助けられなかった我々ができるせめてもの事だった。よそ者と通じたのではないか、という不名誉をかけられたままの彼女の真実を取り戻す。──だから、人の家庭でのプライバシーに関わる問題だからこそ、こんなにも時間がかかってしまったのだが」
「……証言?家庭でのプライバシー……?どういう意味だ、それは」
セツカは哀しげにこう言った。
「レツ、どうか本当に剣を収めてくれ。そして、我々が知った真実をちゃんと聞いて欲しい。──その後で、外界の扉の部屋でお前とロータスの間に何があったのかを知りたい」
彼の直属の上司でもあり、公私共に信頼していた男であるセツカの真摯な言葉は、普段の冷静なレツを呼び戻すのに功を成した。ただ、それは一時的なものかもしれない。聞く内容によっては、レツの感情が再び荒れ、乱心する可能性がないとは言い切れない。
セツカは慎重に言葉を選びながら、自分が知っている全ての情報を彼に伝えようと、重くなりがちな口を開いた。
「……まず初めにお前に謝らなければならない……お前の兄の、ルォウの事で」
***
ロータスは耳を疑った。
いきなり、彼の長兄であるルォウの言葉に。
『……君をお嫁さんにしてあげるよ』
それは、それって……。
『レツの事が好きなんでしょう?だから協力するって言っているんだ。……わからないとでも思った?君のレツを見る目…。僕と同じだから。……だから、だからお願いだロータス。君をカルアツヤの嫁にするから…この事を誰にも言わないで』
そう言って目を伏せるルォウの艶かしさに、ロータスは口を噤んだ。……これは…互いの協定だ。そう、この結婚は互いの秘密を守る為の。
ロータスは気がつくと肯定の頷きを返していた。そして彼女と兄のルォウは秘密の恋という共通点でこの結婚を決めたのだ。
彼女が偶然見てしまったのは、誰もいない森の奥での……ルォウとある青年戦士との決定的な逢引の現場だった。
***
「…謝る?何を?」
眉をしかめるレツは、結局剣を収める事もなく、それを握ったままだらんと手を下に下ろしている。それを内心苦笑して見ながら、セツカは言いにくそうにこう告白した。
「……ルォウがロータスを妻に希望したのは、純粋に彼女が気に入ったからじゃない」
「え?」
「彼女に、自分がある人間と恋仲になっている現場を目撃されたからだ」
「……まさか…兄が…?」
解せないという表情でレツは頭を振った。…何で…?ルォウはロータスを好きだから結婚相手に所望したのではなかったのか?しかも兄には別に恋仲になっている相手がいると。ならどうしてその相手と…?いや、そんなの聞いて明白じゃないか。“結婚できない”相手だからだ。……という事は。
「……相手は私の息子のケリーだ。すまない、レツ。そういう事で彼らから事情を訊くのにかなりの時間がかかってしまった」
セツカの息子、と言っても、名ばかりの息子だというのは誰もが知っている事実だ。彼はまだセツカが未成年の時に生まれている。つまり生物学的には甥である。
その話にはガラムも驚きを隠せない。
確かに、女の数が減って、男性同士が恋仲になる話は少なからずあるのはガラムだって知っている。……性的欲求の激しい時期に男だけの集団にいるわけだから、そういう事は普通にガラムの身近にもあった。けれど、それはやはりユナとしては公に認められていないというか、同性愛なるものを頭に置いていないというか、大陸のように表に出さないだけで…。
……特に長男であるルォウの立場は絶対に知られてはならない関係、という事になる。
「彼女が亡くなって、……ルォウもシキも……お前の状態が変だと…。それで我々が大陸へ出る前に彼らが私に相談した事で…事情が明るみになった」
セツカは疲れたような溜息を吐いた。
「特にルォウはお前の狂気を感じ取って、追い詰められていた。……ケリーと一緒に、今まで隠していた関係と共に自分達の結婚の真実を告白しに来たんだ。もしかしたら自分達が平穏に暮らす為に隠していた事実を知らないお前が、彼女の気持ちを推し量れずに暴走しているのではないか、と」
「…まさか…そんな…」
「その時はっきりとルォウはロータスの気持ちを聞いている。お前の事を、幼い頃から愛してきた事を」
「違う…そんな筈は」
「それからシキ。……あいつも彼女が死んで、そしてお前がこうなって後悔しているみたいだった」
「シキが?何で」
「お前がロータスを愛していると知っていて、彼女を独占しようとした事をだ」
***
『そうか、やはりそうだったんだ。ロータスはレツ兄貴が好きで、結婚したいからルォウ兄さんを利用したわけだ』
随分意地の悪い言い方をしている、とシキは自嘲した。だが、もう抑える事はできそうにもない。蒼白となって、小刻みに震える彼女に、自分の被虐心が煽られる。……この時になって、またレツ、だ。優等生のレツ。人気者のレツ。ベン親父のお気に入りのレツ。
レツ、レツ、レツ……。
ああ、もううんざりだ。
目の前の幼馴染の彼女は、驚くほど魅力的に成長していた。結婚したのにしばらく遠方に行っていた自分が、彼女をこの手に抱く事を凄く待ち望んでいたほどに。
──すでに兄のルォウとレツ、二人と新婚の契りを交わしているであろう愛らしい新妻は、シキを夢中にさせるほどに具合がよかった。それに、とシキは思い浮かべる。自分との初夜の時に微妙に揺れていたあのレツの瞳。懸命に自分の気持ちを隠せていると思っているだろうが、だてに何年も兄弟をしていたわけじゃない。甘いんだよ、レツ。
──そう、あの時、シキ自身気がついてしまった。
レツの、ロータスへの激しい思いを。
そして諜報部員としての自分の勘が働いて、ロータスとルォウの秘密も手にする事ができた。
シキは彼らを支配できる優越に酔っていたといってもいい。
(かき回してやる)
それからシキの、あからさまな態度が横行した。レツの前でロータスを弄り甘やかす。もちろん彼女を脅して自分の言う事を聞かせる。その度にあの男の崩れない顔で、唯一揺らぐ目の奥の炎を確認しては暗い喜びを感じた。
最初は当て付けているだけだった。
……それがいつしか彼女のレツへの思いの強さを感じて、それに対して焦燥を感じるようになっていた。……純粋に彼女を手に入れたいと思い始めたのはこの頃かもしれない。
だから、彼女に酷い事をした。他の夫よりも自分を優先させるように仕向け、……計画的に自分だけの子を欲しがった。そう、彼女と自分の。
……だって知ってしまった。ルォウは女を抱けない。だから自分が長期出張で家にいない間に出来た子供は……必然的にレツの子だ。弟達はまだ成人になっていないのだから可能性はない。
それが悔しかった。自分と彼女の繋がりの証を求めたとしても悪くはないだろう。そう傲慢に考えて、わざとレツを仕事で遠ざけさせている間に、シキは彼女を独占した。長兄と弟を薬で毎晩眠らせて、嫌がる彼女と無理矢理夜毎繋がった。……その甲斐あって彼女はほどなく妊娠した。──自分の子供を。
もちろん良妻であるロータスは、この事実を隠し通し、子供は分け隔てなく育てるという条件を突きつけたけれど、自分は満足だった。
──彼女の苦しみを知らないで。いや、知っていた。
なのに自分は無理に目を瞑って。耳を塞いで。
あの最中に、無意識に彼女が憐れに呟くレツの名前に気がつかないフリをして。
だからシキはこの事件について確信していることがあった。──それは助けた男との間に男女の情はなかった、と。
いや、男と女の間の事だ、恋に落ちるのだって時間は関係ないだろう。
もしそうだとしても、あのロータスが簡単に兄のレツを(気持ち的に)捨てられる筈がないとシキは思った
。
同時にあの事件以来、危険なものを感じさせる兄に脅威を感じたのは否定できない。
何かのきっかけで脆くも崩れそうな、そんな危うい状態……。ガラムと共に【暁の明星】を追うと知って、シキはやっと自分の気持ちを奮い立たした。──自分なりにこの件を調べよう、と。
***
「シキは私がジースとお前のお目付けで同行する代わりに彼女の調査を続行してくれた。……この報告書も、お前の弟自ら作ったものだ、レツ」
セツカは、無言のままこちらを見ているレツの瞳に戸惑いの色を見つけ、最後の後押しをした。
「……お前や一般の男は知らない事だが、彼女がお前の最初の男であったのは、覚えているだろう?成人の儀式の相手として選んだんだよレツ。彼女の意思で。──彼女はそのためだけに必死になって勉強し、最優良を取ったんだよ」
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