暁の明星 宵の流星 #190の①
#190-①
《後悔してる……》
そう
私が後悔している事は
あなたに愛していると、生きているうちに告げなかった事だ───
死んで魂となって初めて知ったあの人の気持ち。 死んだらそこで全て終わるんだと思っていた自分が愚かしい。
見たくなかった。 あの人の悲しみを。
聞きたくなかった。 あの人の激情を。
壊れていくあの人に……私はもう、この手を差し伸べる事すら出来ない。どんなに叫んでも、声すら届かない。
その原因を、自分で作ってしまったのであればなおさらに。
もの凄い後悔の念が 肉体を失ってしまった自分に襲い掛かる。
どうしたら、いい、の?
どうしたら、あの人の闇を……私が作ってしまった闇を……解放する事ができるの??
誰か、ああ、誰か。
この言葉を、思いを、 ──誰か……気付いて!
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祈願夜はもうすぐ明けようとしてる。
彼女を叩いた後、俺は気が狂ったようにその場を逃げ出した。──まだ仄暗い森の中、俺は走った。 ただ闇雲に走った。
彼女から逃げるようにして。
哀しかった。悔しかった。苦しかった。ありとあらゆる感情に翻弄され、吐き出し──それでも彼女への想いが募っていくばかりで。
もちろん、彼女の言葉に絶望した。嫉妬で怒りで我を忘れた。暴走する激情を自分自身に吐き出すだけ吐き出して。
しばらくしてから、自分が発した激しい息遣いをまるでひと事のように感じていた。…いつの間にかその場に立ち竦んでいた事にふと気付く。
「戻ろう……」
もうどうでもよくなった。ユナでの名声も家族への配慮も。──そんなもの、彼女の存在に比べればなんでもない──。彼女がいなければ何の意味もない事だ。
俺は。……こうなってみて初めて自分がどれほど我慢を重ねていたのかを知る。抗う事に笑うしかないほどに。
今も昔も。──自分の中で何一つ、変わらないものがあるじゃないか……。俺にはロータスだけいてくれればいい、と。
そう思うと、覚悟ができた。どんなに彼女が俺を拒否しようとも。他の男を愛していようが───俺は──俺は……。
もう自分の気持ちを曝け出してもいいんじゃないか?
もう充分すぎるほど自分を誤魔化してきたのだから。
ゆっくりと空を仰ぐと、再び正面を見据える。もう迷いはなかった。
そのまま俺は引き返す。夜が明ける前に。──彼女の元へ。
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「最優良を取った女は、成人の儀式で個人を指名できるという事を……どこからか彼女は聞いたんだろう…。今まで花嫁修業のような事に無頓着だった彼女が…たった一年で、難しいとされる最優良を取った。……そして誰を彼女が指名したかは……レツ、お前がよく知っているはずだ」
遠くでセツカが切ない声で説明しているのが聞こえる。
だけど、おかしなことに何も感じない。──まるで心が麻痺してしまっているようだとレツはぼんやりと思う。
あの初めて彼女と触れ合った夜。自制が飛んだ自分の腕の中で子供のように震えていたロータス。
苦しむような痛がる声が甘い吐息に変わっていくのを、自分はどんなに愛しく感じたか。
あの夜を、彼女が、自分から望んだという事ならば……!
きっと。彼女が生きていた時に聞いていたのなら、レツはきっと喜びと幸せに打ち震えていたに違いない。─だけど。
様々に明かされる彼女の真実。
今となっては、だからどうなのだ?という気持ちにしかならない。──彼女のいない、今となっては。
虚しい気持ちでレツはセツカの話を聞いていた。ただ虚ろに。何の感慨も浮かばないのが哀しかった。
無言で大人しく耳を傾けるレツに、セツカは少し安堵していた。彼が話を聞いてくれている事、その姿が冷静さを取り戻したと思ったからだ。
だが、アムイは違った。彼にまとう闇の影に益々神経を尖らせていた。その恐ろしいほどの静寂が、彼が普通の状態ではない事をアムイに知らせていた。それはロータスの悲痛の叫びが自分の耳に響くのを、アムイは成す術もなく感じていたから。
──彼は、壊れている。──それは、ロータスが……自分で……。
レツの異常さを感じていたのはアムイだけではなかった。真実を見ようとするガラムの目にも、今のレツが計り知れなく恐ろしいものに映って見えていた。
レツは、本当は、真実を知らずに暴走して自滅したかったのではないか?
もしかしたら義兄にとってその方がよかったのではないか…?
ガラムは不本意にもそう思ってしまった。──妻を寝取ったと信じ、その相手の男を手にかけようとする名分で。その男が長の保護下の人間であればさらに。……彼はそのまま自滅できる。己の手で自分を殺めずとも。その方が。……その方が彼にとって幸せだったのではないか。怒りのままに自滅したほうが。
まかりなりにもユナの英雄として長い間鎮座していたほどの男である。謀反人として処罰された方が、まだ、ユナの戦士として死んでいける。──亡くなった姉は生前、ユナの戦士であるレツを誇りにしていた。そんなレツを影ながら支えている事に喜びを感じていた。
ガラムは幼い頃からこの二人を見てきたから。英雄である義兄を尊敬を持って見詰める幸せそうな姉。その姉がよくガラムに誇らしげに語っていたレツの活躍。
若いガラムには男女の深いところまでわからなかったけれども、その見える部分だけが二人を繫ぐ唯一のものであったという感じがしてならない。
その唯一のものが、真実を知ってぷっつりと切れたように感じるのは……自分の思い過ごしだろうか。
今のレツには、ユナ族の、宇宙の大樹(そらのたいじゅ)が説く倫理観などどうでもよくなっているように見える。
大樹の教えに背き、長の命令にも背き……死後、自分の魂がどうなってもいい、大樹のもとに戻れなくてもいいと思っているのなら……!
杞憂であればいい、とガラムは願った。
今自分が思いついた事が、ただの思い過ごしであれば、と。
「……わかってくれたか?レツ。
暁の君はロータスと男女の関係でも何でもない。そう判断したから長も勅令を出した。いや、彼が神王の直系の可能性があってこその勅令だったが、ロータスが純粋にこの方を救おうとした事実が見えてきたためでもあると言ってもいい。
……だから、暁の君に危害を加えないで欲しい。そうでなければ、ロータスの死は報われない」
その言葉に、今まで何の感情も見えないレツの表情に変化が見えた。
セツカはそれでも何の返事もしないレツに溜息を吐くと、言い難そうにこう言った。
「なぁ、レツ。頼むから本当のことを言ってくれ。……私が推測した真相──」
そこで一旦呼吸を整えると、意を決して再び口を開いた。
「……ロータスは遺書を残していた。そうなんだろう?」
遺書!
驚いて目を見開いたのはガラムだけだった。
初めはセツカが何を言っているのかわからなかった。だが、ぐるぐると頭に回るその言葉の意味はちゃんと理解している。
姉は……姉の死因は……自殺だというのか?殺されたのではなく。……そんな…。
「隠さないで正直に答えてくれ。──最優良を持つ女である彼女の最後の切り札を……。彼女は“それ”を使ったんだろう?
お前はそれを知っていてどこかに正規の遺書を隠した。──まるで、彼女が誰かに殺されたかのように見せかけて。鍵を手にして。
何故その様にしたかは何となくこの私でもわかる。だが……。
レツ、お前にもわかるだろう?……その遺書があれば、お前の罪は軽くて済む。真実を隠蔽したという罪だけで済むんだ。
──ロータスは、お前に遺書を託したんじゃないのか。お前の将来のために」
無言のままレツの眼差しがゆらゆらと揺らぐ。その様子に伴う無言が肯定していると同じだ。確信したセツカは再び口を開く。
「レツ、私の言っていることは間違っているか……?何故何も言わない?違うというのならば、声に出して答えてくれ!」
* * * * * *
震えるペン先に涙の粒が落ち、それがインクを滲ませ染みになっていく。
レツが飛び出していった後、ロータスは机上で紙にペンを走らせていた。
《女として最優良を取った貴女には、ひとつ、許されている特別待遇があります。
──それは自決の自由、です。
だからといって、これは一度しか使えない事から、当たり前ですが、重要性がない事での使用は許されていません》
自分が最優良を取ったとき、大樹の神官が伝えてきた女としての唯一の切り札──。
その時の内容が再びロータスの記憶に甦る。
《もし、ユナの女としての誇りを穢されそうになった時。
そしてユナの女として自身の誇りと真実を訴える時に。
この恩恵を、自身の我が儘ではなく、生きることからの逃避でもなく、自身の高潔な思いを貫こうとする時にお使いくださる事を切に願います。
もちろん、貴女がどんな思いで自害されるかは、ちゃんとした正式な遺書なくては計り知れません。
ただ、真実は全て、宇宙の大樹(そらのたいじゅ)はご存知であります。
私が最後に言いたい事は、どうか大樹の御心に恥じないような人生を……》
「……大樹の御心に恥じない……人生……」
今までの自分の人生は恥じないものであっただろうか。様々な誤解はあれど、自分自身としては恥じる事など何一つない、とロータスは思い込む。そうでなければこれから実行する事に自分が萎えてしまいそうだった。
あの時、その事を告げた大樹の神官は自分と同じ女性だった。
彼女は恥じない人生を…とロータスに言ったと同時に俯いた。そして視線を下に向けたまま、憂いた声で話を続ける。
《……何故、自殺を良しとしない大樹の教えに唯一、しかも最優良を持つ女だけが死ぬ自由を与えられているのか──疑問に思いましたか?》
そう、ユナの大樹の教えは自殺を認めていない。また再びユナ族として復活するために、祖先である星人(ほしびと)の輪廻の輪から外れないように、魂の転生を大樹の管理に置くためにこの教えを守ってきた。それはこの大地に降りた星人である祖先が自分達の故郷に思いを馳せて、いつしかこの地を離れ、本来の星に帰る時のために、この大地に取り込まれその魂の記憶が薄れてしまわぬように彼らは自分達の子孫に色々な教えを大樹に施した。──彼らは魂にも記憶以外に刻印となるものがあると信じていた。自分達の魂の刻印を忘れていなければまた故郷に戻れると固く信じて。その星人である証の刻印さえあれば、肉体が滅んでも魂だけはその刻印を記憶する大樹の元に帰ることができ、再びユナとして生まれ出ることができると。
ただ、そのシステムは自らを殺めるという行為だけが誤作動を起こしやすいということを祖先は知っていた。
それでも長い年月が過ぎてしまえば本来の内容も正確に伝わるのも難しい。
だから大樹と繋がれる人間が必要だったのだ。もとは星の船だったとされる大樹と通じる人間──それはもとの姿であった船を作った人間だったとされる。その話は神官クラスの大樹管理官しか知らない事実だが、その直系子孫が長の家系だ。その頂天に立つ人物こそ、初代同様の能力を持つと大樹に認識され、ユナの長となる。後は大樹が認めた有能な人物達が神官となって長をサポートする。
長は大樹とやりとりをしながらユナを守ってきた。ユナの民の心の拠り所として大樹を崇め、本来の場所にいつしか戻る時のために。
《本来は、死後魂が宇宙の大樹(そらのたいじゅ)の元に還るために、自らを殺すという行為を禁止しています……。それは最優良を取った女とて同じことです。ですが。
こうして女が少なくなり、体力的にも敵わない女が男社会の下に追いやられているという近年では……様々な不自由、我慢を強いられるのは仕方ありません。そのために壊され狂い死んでいく女が多くなったことは……事実なのです。だからこその多夫一妻制で女を守ろうとしたのです。それでも女は虐げられやすい。道具のように扱われるのも少なくありません……。もちろん、それを悲観して自殺なんて決してしてはならないこと。どんなに今生が苦しく辛くても、それだけはユナであれば許されない。
……最優良を取るということは、並大抵のことではなかったでしょう?
妻として母として、そしてユナの女としての能力を完璧に満たした者など滅多に出ない。
──だからこその大樹の恩恵です。初めての相手を指定できるのはほんの贈り物。本当の恩恵は自決の自由なのです。これから己を殺し、ユナの模範的な女として生きる事を余儀なくされる……そのあなた達に与えられる唯一の自由、です。
女として生きるということは色んな誘惑や陰謀や犯罪に巻き込まれる可能性が多い。
だからこそ最後の切り札として……自決を許すのです。最優良のユナの女の誇りを守るそのために。
──ええ、だからこれからあなたを大樹の元へとお連れします。少しでも、どのような死に方をしても、再び我々の元へ戻れるように……あなたの魂に印を刻むのです。そのような事は大変難しく、かつ大量の力を必要としますので、施せる人間は限られているのですが…》
彼女の説明で先代の長の方(おさのかた)が自決した話を思い出した。
とても立派な最期だったと聞く。
そうして自分は今、自身の潔白と嘆願のためにこの切り札を使おうとしている。
最優良を取ってよかったとも、この時心底思った。実際、模範的な女して過ごすのはかなりの忍耐を強いられていたが。
ああ、もうすぐ祈願夜が終わる。早く書き上げなければ、もう時間がない。
ロータスは簡潔に今の自分の心情を書き綴っていく。
何故、死を選ぶのか。これからの残していく家族への恩情。……そして逃がした男と自分の潔白と、罪もない人間を救いたかったと嘆願し、自分は恥じる事で自決するわけではない、と書き綴る。
自分の心にはやましい事は一切ない。身は穢れたとしても自分の気持ちは潔白である、と。
それを証明する為に自分は自ら死を選んだと。……この遺書をもって証明すると最後に書き記し、ピタリと書く手が止まる。
レツ、に……。
この後に及んでレツに何か言葉を残したいと思う自分が哀しかった。
今更……嫌われた自分が何を残そうというのか。
“愛している”なんて。“昔も、今も……それから死しても、ずっとあなたを愛している”なんて……。
ぱたっと涙が紙の上に落ち、すっと吸い込まれていく。
ばかね、ロータス。そんな事を残してどうなるというの。
彼にとって迷惑でも何でもないじゃない。
……あの人には、他に好きな相手がいるのだから……。
ねぇ、レツ?私が気がついてないとでも思っていた?……あなたには昔から好きで好きで愛しい女がいるって事……シキから聞いて、やっぱりって…私すぐに納得したの。
あなたは昔も今も、ミシルが好きだった……。そんな事、考えなくてもわかっていた事なのに…。
幼い頃からお似合いと皆に噂されていたミシルは、医者の家に嫁いだがそれも5年もしないで離縁となり、身体を壊して流刑島へと渡った。──彼女が身体を壊して…子供を産めない身体になった末の離縁だったからという事を、後から風の便りで知った。でも…彼女が倒れた時、その場にレツがいたというのに…彼は妻である私に何も話してくれなかった──。
それに、とロータスは心に痛みを感じながら思う。……ミシルが、彼女が離縁した後、流刑地に居を構え、女だてらに薬士や助産婦の資格を取り活躍しているのも知っていた。……レツの口から何も聞かされていなかったが、自分が第二子を妊娠した頃から彼が度々流刑地へ赴いている事も……薄々感づいていた。
きっと、彼女の力になりたくて、彼は流刑地に行くのだろう。何も言ってくれないのがロータスには辛かった。夫婦なのに、もちろん口数の少ない夫とわかっても、自分としては本人が何も疚しい事がなければ話してくれると思っていたから尚更だった。
妖精のように華奢で儚げなミシル……。自分は彼女が見せた涙を思い出すたび、敵わないと泣きたくなる。……彼は彼女を…結婚できないまでも一人身になった彼女を放っておけないほど…きっと愛しているのだ。
ロータスはそう思い込んでいたが、レツに問いただせばそんな事はまるっきり彼女の誤解だと彼は憤っただろう。
確かにミシルは医者の家に嫁いで、何度かの流産死産を繰り返し、体を壊して子供が産めないと判断された上での離縁だった。裕福な、由緒正しい医者の家の跡継ぎはどうしても必要だったから、結局彼女は5年も待たずにこういう結果となってしまった。
実は彼女が決定的に子が望めないと診断された流産の最中に、彼女の当時の夫であるリファンからの要請でレツが彼女を助けただけだ。その時自殺しかねない彼女の状態を危惧して、レツはそのままリファンの家にいて彼らを見守っていた。このような他人の家の内情を他所に話すようなレツではなかったから、自分の家族にさえ詳細を語らなかった。
レツにとってミシルは大事な幼馴染の一人だ。恋愛感情もなければもちろん身体の関係なんてありはしない。成人の儀式の相手を務めたただ一回だけ。そう、まるで義務を果たすような一夜だったあの時だけ。
離縁して立ち直るまで、レツは純粋に友人として彼女の傍に居ただけだ。たまに彼女はそういう関係を彼に望んだが、自分はロータス以外の女を抱くつもりなど毛頭なかった。それよりも彼女の元夫だった友人が、離縁してもずっと彼女を思っている事に、心を砕いていた。だからミシルとはレツにとってはただの友人、それだけだった。
ただ、妻の妊娠中にしょっちゅう家を離れ流刑地に行っていたのは、ミシルが少なからず関係あるにしろ、全く違う件でレツは通っていた。
その話こそ、妻であるロータスに話しておけば、妻は不安にならずミシルとの仲を疑う事などなかったのに──。
二人はこのようにして互いの心の内を見せないまま、長い年月を暮らしてきたのだった。
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お詫び。
取り急ぎの投稿で申し訳ございません。
とにかく更新が遅れております。このような形になってすみません。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、一時投稿したものを大きな修正のために引っ込め、再投稿するなどバタバタして申し訳ありませんでした(滝汗)
しかも、もうすでに目次へのリンク貼りが滞っています。重ね重ねお詫びいたします。
もちろん、この3-4日で#190を終えたいと思っています……。
やっとこの章の後半の詳細ができました。後は一気に書くのみ!ですが、まだまだ光輪発動までお時間がかかるかもしれません……(-_-;)
それではまた近いうちに!
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