暁の明星 宵の流星 #190の③
#190-③
彼は、自分を愛しているからそう言うのではない。いや、家族としての愛情を彼はたくさん与えてくれた。──こんな自分のために全てを捨てて……。
でも、それは絶対しちゃいけないことなの。
あなたにこんな裏の人生を……、命を完全に狙われるような暗い選択をさせてはいけないの。
私のせいで、あなたが落ちていくなんて、絶対に嫌!!
ああ、レツ。
同情でもそう言ってくれて、嬉しかった。
最後に夢を見せてくれてありがとう。
だからって、私はあなたの申し出を受け入れる事は絶対にできない。
……あなたを子供の頃から愛している、という思いを抱いたまま……伝えずに私はこの世を去った方がいい。
これ以上、あなたを巻き込みたくない。
だから……だから……。
+ + +
レツは呆然と流れ出る血を見ていた。
『触らないで!』
確かに、最後、……ロータスははっきりと言った。
レツに対してはっきりと……。
『もう、私に触らないで!あなたに触れられたくない!』
まるで自分を汚いものでも見るように、顔を嫌悪で歪め、自分の腕から抜け出すロータス。
まるで自分のことを夫ではなく、彼女を無理矢理陵辱しようとしている男に対するような……侮蔑と激しい、拒否。
今まで彼女からこんな態度をされた事のなかったレツは怯んだ。だから反応が遅くなった。その一瞬の隙で、彼女が机に置いてあった護身用の剣を取り上げたのを許してしまった。
『ロー……』
『来ないでぇぇっ!!』
それはロータスの最大の強がりで、演技で。彼を完全拒否する為には自分が彼を嫌わなければならないほどに。そうでもしなければまた再び、レツの温もりを求めてしまう。彼に触れてしまえば、その逞しい胸に抱かれたくて何も考えたくなくなる。……それが、怖かった。
これはレツのためだから……、と何度も自分を奮い立たせる。だから私のできる事は。
『もう、私に触れないで!もう、私のことは忘れて!!』
『何を?──っ、ロータス!』
『もう、誰も私に触れて欲しくない!』
怖かったから。ただ怖かったから。あなたの存在が私の決心を鈍らせる事が恐ろしかったから。
だから酷い事を言った。そして酷い仕打ちをした。
あなたの目の前で、私は完全にあなたを拒否した。──己の胸を一思いに、躊躇なく突いて。
それが、あなたのためだと……私は本当に思っていたのよ……。
+ + +
崩れ落ちた彼女の死体を、レツはそっと仰向けに寝かせ直した。その目の色に何の色も見えない。
剣を握り締めていた彼女の手を、硬直する前にはずしてやる。血はその胸からじわじわと流れ、彼女の身体の下に血溜まりを作っていく。
もう何も言わない唇に、レツは最後の口付けを落とした。
触らないで、と言われたが、レツはその最期の彼女の叫びを無視した。
男として愛されているなどとは思ってはいなかったが、最後の彼女の態度にレツは何かが砕け散った気分だった。
それでも彼女を愛しているという事実は消えてはなくならない。それ以上に──。
彼女の胸元をまさぐると、扉の鍵が手に触れた。血糊のついたその鍵を、レツは無言で自分の懐に忍ばせた。
そして彼は無表情のまま、先程自分が破った彼女の遺書を握りつぶしながら"外界への扉”のある部屋を後にした。
これで。彼女が何者かに襲われ、殺されたと思われるだろうと確信して。
それで彼女の一番庇い続けた男が真っ先に疑われようが、レツにはどうでもよかった。
遺書にはその男の行く末と処遇に心を砕き、命乞いの部分では相手への思いが溢れていた。だから破った。
長と、大樹の管理官に宛てたその正規の遺書は、宮仕えの長いレツにはどのくらい重要なものか熟知していた。だけど、あえて無視する。
──彼女は……夫である自分ではなく…よそ者の男を取ったというその事実に打ちのめされていたから。
あの男に、そんなに操を立てていたのか。夫である自分を死ぬまで拒むほどに。
男に愛された身体を、そこまでして自分に触れて欲しくなかったのか…。そうとしか思えなかったレツは暗い眼差しのまま森を抜け、海に出た。夜が明けるまでに血のついた服を処分し、海水で簡単に身体を洗う。
波止場につけていた小船には、自分の荷物が置いたままだった。彼はその小船で必死の思いでこの砦に帰ってきたのだった。
レツは薄明かりに変わりそうになる水平線を感情のない目で眺めながら、新しい服に着替えた。そして無表情のまま自分の部屋に戻る。──何もなかったような顔をして。
本当は絶望と怒りと虚無感がないまぜに混ざり合い、レツの心を徐々に蝕んでいた。
彼女の存在が彼の様々な真っ黒な感情を今まで抑えていてくれた。だが、もうその彼女はこの世にはいない。
誰も、レツの心の闇を抑える者がいない。唯一の、彼の良心は死んでしまった。──もう、涙さえ出ない。
彼を動かしているのは、ただ一つ、彼女を死まで誘ったよそ者の男をこの手にかける望みだけだ。
許せない、とレツは思った。彼女は死んだ。なのに彼女が命をかけて救った男が何食わない顔でのうのうと生きている事が許せなかった。彼女の思いを知っているのなら、何故共に死ななかった、と。
それよりも何故彼女をユナに戻した。何故……どうして彼女と共に生きてくれなかった……。
だからレツは自分の目的を実行するまで、この世にいようと思った。彼女のいないこんな世界にいたくもなかったが、何もせずに死にたくなかった。
レツにとって、死に方なんてどうでもよかった。ガラムが危惧していた自殺を避ける為に謀反人となって咎を受けるという事は気持ちの中に少ししかない。ガラムがどう感じていようが、レツの最終目的はアムイの死だ。それさえ叶えれば後はどのような形で死んでもよかったのだ 。──ユナにとって屈辱的で─大樹からしては反逆的行為とされる自殺でも、何でも。例えそれでユナの源に戻れない魂となっても、彼女の魂に会えなくても、それでもいいとレツは思った。彼女だって、約束を守らなかった自分を軽蔑するだろうから。
──彼女に嫌悪の目で再び見られたくない───。
+ + +
レツはゆっくりと微笑を口元に浮かべた。
先ほどまで何も見ていなかった目は、今、じっとアムイの顔にしっかりと焦点が定まっている。
誰もが息を呑んだ。この静寂が何故だか恐ろしい。二人の間にある緊迫した空気は、恐ろしいほどに膨れ上がり、今にでも破裂しそうだった。
「なあ、暁よ。真実がどうであれ、俺は何も感じない──」
それを破ったのはレツの言葉だった。その声は、まるで血の通った人間のものではない。ただ淡々と自分の心情を告げている。
一方、アムイの悲痛な表情は変わらない。彼はこの場から逃げる様子もなく、ただ黙ってレツの言葉を受け止めていた。もう、何もレツに対して反論するつもりも言い訳するつもりもないようだった。
「お前がどこの誰であれ、神王の直系だろうが、──お前がロータスを死に追いやった事実は消せないだろう…?」
「レツ!それはっ」
反論しようとするセツカを、アムイは手で制した。何を言ってもそれは言い訳に過ぎない。直接手を下してなくても、そのつもりがなかったとしても、アムイが彼女を窮地に追い詰めたのは……確かだから。
「お前が砦に現れなければ、ロータスはお前を助けずに済んだ」
「ああ」
「お前を庇って……罪人として……卑怯な男に辱めを受けずに済んだし、自決することもなかった……」
「そうだ」
「お前が彼女の目の前に現れた事、いくら彼女と周りがお前を守ろうとしても、俺は許せない……。それが……」
レツは言葉を飲み込んだ。
(……運命だったとしても──)
アムイは目を閉じた。
ひしひしと、レツの悲しみが迫ってくる。
彼だって、アムイ自身が彼女を殺したのではないとわかっている。ユナ人として立派な事をしたという事だってわかっている。
彼自身、ユナの人間として誇りを持って生きてきたのだから、彼女がアムイに対してした事が結局は正当だと言う事も理解していた。
だが、感情はそれを許さなかった。──結果、彼女は死んでしまった。その事がレツを狂気に向かわせた。
レツには、真実を知ったからといって、皆の様に彼女の行動を受け止める事ができない。
「お前がロータスの前に現れなければ!!」
悲鳴にも似た叫びと共に、レツは握っていた剣をアムイに向けて振り下ろした。
それはあまりにも突然な事で、周囲の反応が遅れ、その剣先は微動だにしないアムイの左のこめかみに見事に命中した。
ばぁっと血飛沫が周囲に舞い、剣の衝撃でアムイは頭を斜め横に俯けた。
だらりとアムイの左側の顔から血が溢れ、ぽたりとその血は地面に落ちた。
一瞬、皆は驚愕で動けなかった。
斬られた当のアムイでさえも、そのまま動かず、じっと滴る自分の血が地面に吸い込まれていくのを見つめていた。
「レツ!!」
その状態で一番最初に動いたのはセツカだった。
再びレツが抵抗しようともしないアムイに剣を突きつけようとしたのを真っ先に感知したから。
セツカはレツを止めようと、自分の武器を手に走る。
彼の上司として、親しい仲間として、……そして、長の側近として。セツカはレツを手にかけてでも阻止しなければならないと覚悟を決めた。神王の、大事な生き残りに傷を負わせ、尚且つ長の勅令を無視した謀反人として。
だが、セツカはレツの傍まで行く事ができなかった。
何故なら、セツカは行く手を遮られた。
大きな決意を固めた表情のガラムに。
※※つぶやき※
更新が遅れて申し訳ありません。
次回でロータスの話は終わります。(やっと)
なるべく近いうちに更新します。
その後、簡単なまとめをしてから次の話に移行します。これから正念場なので、気合を入れます(苦笑)
実は今まで忙しすぎて、じっくり物語と向き合えなくなって、現実逃避をしていました……_| ̄|○
これが終われば暁と宵中心の話に戻ります。カァラやロータスの話はいつか番外編として書こうと思っています。アムイに影響受けた二つのカップル、ということで、本編の流れでもどうしても必要な部分でした。ただ、自分の欲目でそれぞれを詳しく書きすぎてしまった……。だから時間が掛かりすぎました。
本当に長きに渡り、申し訳ありませんでした。
これからはラストまで、二人の話が中心です。
やっと、最後まで行けそう。……なるべく早く更新できるよう、頑張ります。
kayan(此花かやん)
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