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2013年5月 5日 (日)

暁の明星 宵の流星 #191

「セツカは下がれ、これは私の責務だ」

一瞬、セツカは誰の言葉かと戸惑い、前を遮った少年を凝視する。その隙を突いて、ガラムは身を翻し、セツカの手から彼の武器である棒を引っ手繰ると勢いよくレツの足元へと投げつけた。
無抵抗なアムイに今にでも斬りつけようと向かうレツは、地面に突き刺さった棒のせいで足止めを食う。
「ジース・ガラム!」
セツカの驚いた声と、レツの舌打ちが同時に闇夜に響き渡った次の瞬間、もうすでにガラムの身体はレツの近くにあり、これ以上レツが前に進まないよう、己の剣をレツの背に突きつけていた。
「……ジース……」
レツの背中にちりっと突き刺さるガラムの剣に迷いがない。ユナの英雄である彼の懐にいつの間にか入り込んでいたガラムの俊敏さに、レツは嬉しさが込み上がってくるのにほくそえんだ。……その事を不思議に思いながら、レツはああ、と心の中で頷いた。
闇に囚われている自分に、まだこんな喜びの感情があるのか…と、その時のレツは人事のように思い、やはり自分は生粋のユナ人だったと苦笑した。

──だって、こんなにまでも殺気を伴って自分に刃先を向ける彼が誇らしくてたまらない。

あの、小さかった彼が。成人を迎えたといってもまだあどけなくて、気持ちは充分あっても、ジースとしてまだ頼りなげだったあの少年が。
今、自分のために私情を捨て、ジースとしてユナの戦士として他を圧倒させる気迫を持って……自分に向かって来てくれているのだ。

その"彼のジース”は何の感情もなく言い放つ。全てを終わらせるため、この謀反人である自分のために……宣言を。

「ユナ近衛副隊長、レツ=カルアツヤ。
長の命を翻し、セドナダの王子の命を狙い、あまつさえその御方に傷を負わせた。
その罪は重く、謀反と断定し、ジースの名のもとに制裁を下す」

揺るがないその声に、レツはゆっくりと微笑した。──歓喜のあまりに。

次期長(じきおさ)がまだいない今、長の次に高位なのはジース(次期長候補)である。
ユナの戦士としてこれ以上の喜びはあるだろうか。──頂点である長の代理と等しいジース自らの手で、制裁を下されるという……その身に余るような光栄を。……この、重罪を犯した謀反人の最期に、多大なる恩情を与えてもらえるとは。
義理とはいえ、身内をこの手にかけなくてはならないという事態を、あの優しくて甘えたな彼がよく自ら決心してくれたとレツは嬉しさで全身が震えた。

もう、いい。──これだけで、自分は……救われたような気がする。

自分の止められない闇の激流。
妻を死のきっかけを作った目の前の男への殺意。
目的を達するまで昇華できないと思い込んでいた自分に、明かされた妻の真意。
本当は魂の片隅で揺らいでいた。彼女の真の行動を知って。
ロータスは、そういう女だった。昔から。──彼女はいつだって広い世界を知りたがっていた。
ほとんどのユナの女性のように狭い世界だけしか見ない、そんな人物ではないという事は、レツだって幼い頃からわかっていたはずなのに。
もし彼女の立場だったら、自分だって同じようにしただろう──。彼女の行動はユナの人間として充分誇れるものであったのに。

そう理解している自分もいるのに、男としての自分はもうすでに暴走していて、最悪な方向へと激流は流れていく。そしてそれを止められない。────少しだけ残っていた理性が、そんな自分を恥じていた。だけど激しくうねった闇の奔流は彼のその小さな理性を飲み込んで、出口に向かおうとして勢いよく放流する。
それを誰かが、この流れを止めてくれる事を願っている自分が──いた。そのもう一つの願いを妻によく似た髪と瞳を持つこの若きジースが叶えてくれようとは。

「ジース・ガラム」
自分の声は、ちゃんとこの若き未来の長に届くだろうか。最期にユナの戦士として旅立つ事を許してくれたこの方に。
「……慈悲を……感謝します」
ピクリとガラムの剣先が震えたような気がし、レツは大人しく目を閉じた。その時だけ、義兄を慕う少年の表情が覗いたが、すぐにガラムは威厳のある顔に戻る。
「(どうか……)次期長の地位を揺るぎない御心で御掴みください」
「レツ」
「将来、貴方を長と迎えたユナが…益々の繁栄を大樹に与えられんが事を」
「覚悟を」

レツの返事を待たずに、ガラムの刃(やいば)はレツの背を貫いた。躊躇いも見せず、一思いに。

ぐらりと傾くレツの身体から剣を引き抜いたガラムは、容赦なくそのまま彼の首をかき切った。
大量の鮮血が首筋から噴出す。
大男であるレツが、小柄なガラムの前方に崩れ落ち、皆はそれを呆然と眺めていた。

失血し、すでに息絶えているレツの顔は安らぎさえ見られ、すべてを終わらせたガラムはしばらく俯く顔を上げられなかった。ぽたりと地面に吸い込まれていく雫が、己の涙と気付き、これ以上零れないよう奥歯を噛み締めた。

駄目だ。泣くな。──俺にはまだやらねばならない事がある。


ガラムはレツの相反する心に気が付いていた。そして彼の魂の救いは、もうすでにユナの戦士として死なせる道しかないと思った。
ならば、それを実行するのは、次期長候補である自分だ。長の次に高位である自分が決断し、おのずから手を下すのが最期の餞(せんべつ)だった。
レツの闇は嵐となってアムイを殺せと吹き荒れていながら、わずかに残った良心は最悪な状態を止めたがっていた。そしてそれを誰かが止めてくれる事を無意識のうちに望んでいた。
きっと。その事を見抜いてレツの刃(やいば)を黙って受け入れてくれた、この目の前に立つセドナダの王子も。

──レツの苦しみを知って、抵抗しなかったんだ……。

ガラムはきゅ、と唇を噛み締めた。そしてすっと顔を上げ、アムイの姿を見詰めると、すぐに彼の目の前に赴き、片膝を付いて頭を垂れた。

しん、とあたりは静まり返る。この若きジースの行動を、皆は固唾を呑んで見守っている。

「此度の身内の者の狼藉を心からお詫び致します、セドナダの王子」

凛、とした声が闇夜に響く。その声を、アムイは神妙な面持ちで受け止めていた。左のこめかみから流れる血を気にもせず、跪くガラムの頭頂をじっと見詰めている。
ガラムの口上にはっとしたセツカも、慌ててガラムの後方に回り、同じように膝を付き頭を下げた。
俯きながらセツカは、今までとは違う威厳あるガラムの態度に感情を昂ぶらせていた。ジースとして、将来の次期長としての覚悟をひしひしと感じる。
(ああ、ジース・ガラム…。よくぞ立派になられた。よくぞ覚悟を決められた。……レツを…ありがとうございます)
じわり、とセツカの目頭が熱くなる。だが、今はまだ泣いてはいけない。あの感情に素直なこの少年が、己を抑えて自分の立場を貫いているのだ。彼が涙していないのに、補佐である自分が泣くわけにはいかない。
ガラムは後ろのセツカの思いも知らず、淡々とアムイに侘びを続ける。

「貴君を傷つけた失態は、生涯、消せるはずもないし、許される事でもない。本来ならば我が命を差し出し、許しを請うのが筋というもの」
「いや、ガラム」
アムイの慌てた声を、ガラムは一旦顔を上げて手で制し、再び頭を下げるとはっきりと告げた。
「ですが、それでは何の贖罪もなさない。特に貴君は、己を消そうとする罪深き男の心情を汲み取り、受け入れようとする気持ちを見せていただいた。──そして多分、受け入れながらも貴君は自らの手を汚すおつもりであったと見受けられる」
ひゅっとアムイが息を吸うのがガラムの耳に届いた。それだけで、自分が思っていた事に間違いない、と確信したガラムは言葉を続ける。
「あの男の闇を御身で持って解消し、そしてその貴い手で冥府へと送ろうとする……その慈悲に、我らは感謝しなければならない」

きっぱりと明言するガラムに、周囲は驚きを隠せなかった。アムイを見れば、彼の言っている事は当たっていたのだろう、言い当てられて困ったような表情が浮かんでいた。
アムイが無抵抗だったのは、一度レツの激情や憎悪を受け止める為だった。
殺意を向けられながら、アムイにはレツの闇と葛藤する小さな良心の姿が見えていた。闇を、アムイ自身を滅したいという欲望と、己を止めて欲しいという二つの相反する願いをアムイは両方とも叶えようと覚悟したのだ。だから彼の刃(やいば)を受け止め、激流を塞き止めてから反撃するつもりであった。だが、最期はガラムによって幕は閉じられた。レツにとって、憎い相手であるアムイよりも数倍幸せな事だったろう。
自分の真意を汲み取ってくれたガラムに、アムイは感嘆した。今、目の前に跪く彼は、感情のままに自分を追求していた面影が全くない。深々と頭を下げ、淀みなく凛とした声が、彼の成長を物語っていた。

「この贖罪と感謝の意を、私は私自身で貴君に捧げたいと思う」

ガラムの言葉に、え?とセツカが思わず頭を上げた。何を彼は言おうとしているのだろう。贖罪と感謝の意?

「セドナダの、神王の直系である【暁の明星】よ。これから私自身は貴君のものである。
このガラム、暁の君専属の隠密となりましょう。──何か、必要ならばいつでもお申し付け下さい。私のできる限りの手を使い、貴君に心からお仕え致します事を、大樹に誓います」

「ジース!」
驚愕したセツカは思わず叫んでいた。周囲も驚きを隠せない。ジースとはいえ、将来は次期長に、いやユナの頂点に立つかもしれない人物。それが個人的にアムイ一人の下につくというのだ。ユナ族として、ではない、個人的にだ。それがどんな事であるか、ユナ族ではない他の皆も容易に想像がつく。それは最高の力を手にしたと同じ。ガラムが長となれば、その契約はユナ全体のものともなる。それを見越しての提案だった。
「セツカ、異論はないな?我らが暁の君にした数々の無礼を思えば、このような事だけでは足りぬものではあるが…」
ちらりと後ろを振り向くガラムの瞳に迷いは全くない。それに彼の取った決断は最高のものである。それこそセツカが口出す権利がない。セツカはユナの頂点を支え補佐する人間なのだから、長の子であるガラムの判断に何の不服があろうか。
「御意。私も異論はございません」
セツカはもう一度頭を下げてはっきりと言った。
驚いたのは言われた当の本人である。まさか、このような話の展開になるとは思っていなかったアムイは動揺した。
「待ってくれ、そんな大袈裟な。俺は……」
「暁の君!」
ガラムは顔を上げてアムイをじっと見た。その瞳は有無を言わせないという力強い光がある。アムイはその気迫に息を呑み、ぐっと気持ちを抑え、彼の覚悟に同じように覚悟を決めた。──ガラムの思いを受け止める、という事を。
「どうか我が誠意を御受け取りいただきたい。この申し出を確固するために一度ユナの地にいらしていただき、大樹の前で契約を交わしていただかないとなりませんが……。
それまではこの大樹の実を貴君にお預けいたしましょう。──何か困った事がありましたらこの実を手に握り、念じて下さい。私の名を」
そう言うと、ガラムはすっと立ち上がり、懐から小さな蛍光に輝く緑の実をアムイの手に握らせた。
「ガラム……」
万感の思いを込めてアムイはガラムを見る。あの可憐な女性と同じ緑色の瞳が揺るぎない力で自分を見詰めている。
「それから」
と、ガラムはふっと目線を下に逸らすと、意を決したようにまたアムイの顔にその目を向ける。
「これは私個人のお願いです」
と、ガラムは抑えつけていた感情を少し解放した。
「願い?」
「はい」
先程までの作られた表情ではない、まだあどけなさの残る歳相応の顔だ。微妙に泣き笑い、という顔をすると、ガラムは震える唇でこう告げた。

「……どうか。私の姉が命をかけて守りましたその御命、──どうか、どうか大切になさってください。
もう貴方だけの命ではない事を、自分の命の重さを、どうか自覚され御心に留めると約束してください。
──姉の気持ちを、死を、無駄にしないで……」

とうとう、ほろりとガラムの目じりから涙が零れてしまった。今まで懸命に堪えてきたのに、とガラムは自分に苦笑する。
対してそれを聞いたアムイの表情は愕然としていた。私情を挟み過ぎたか、とガラムが後悔したすぐ後に、アムイは神妙な顔つきとなってこう言った。
「……わかった。肝に命じる」
その肯定の意を聞いて、ガラムはほっとした笑みを浮かべた。
愛する姉の死を、無駄にしたくない。たった一人の弟としての私情だった。それを受け入れてくれたアムイに、もう、前のようなわだかまりは一切ない。
「あ、ありがとう……ございます」
ジースの立場としてではなく、ガラム本人として素直に出た言葉だった。涙目になるガラムに、アムイは手を差し出す。その手をガラムは力強く握った。

サクヤもきっと喜んでいる。と、アムイの黒い瞳が語った様な気がした。
ガラムはもう一度深く礼をしてアムイの手を離した。

「アムイ」
いつの間にかイェンランが近くに来ていた。そしておずおずと手にしている手ぬぐいをアムイに差し出す。
アムイは頷くと、それでまだ血糊の乾かないこめかみを押さえた。
一息吐くとガラムとセツカは二人揃って並び、再び礼を取る。
「寛大な御心、ありがとうございます。──謀反人とはいえ、一族の人間。近くの海に埋葬したいと思います」
今まで何も言葉を発しなかったセツカが静かな声でそう告げると、隣のガラムも同じように静かに言葉を続ける。
「……きっと、姉の霊も義兄を迎えてくれるでしょう……」


ガラムがレツの遺体の処理をしている間に、セツカはアムイの後方で佇んでいたキイに気付いた。素早く彼はキイの元へと近づくと、恭しく頭を下げた。
「宵の君。──色々とご迷惑をおかけしました…」
「こちらこそ、色々と協力してくれてありがとうな」
「いいえ、それは任務の一つでしたから」
「ふぅん…。なあ、それでお前達の任務はもう終わったのか?」
「はい。今後の事はユナに戻り、長の方に報告してからとなりますが、レツに関しては本当にお世話になりました…」
「いや、俺ではなく、それはアムイに言ってくれ。俺は何もしてねぇよ」
セツカは黙って頷いた。
「これでお前達はユナに戻るんだろ?」
「はい。レツとロータスの件、暁の君の身元確認、そして神王の王子との接見と協力……。
レツの最期で全てを終えました。一度戻らなくてはなりませんので、これからしばしのお別れとなります、宵の君」
「そうだな、俺は神王でも神王太子でもないしな」
ニヤッとキイはわざと笑った。セツカも苦笑して先を続ける。
「それでも我らにとって大切な御方である事は事実ですよ。
また改めて接見いたします、宵の君。もちろん、暁の君にも。──その時には長から長いお話があるかもしれませんが」
「ああ、いつかはユナに行こう。その時にでも」
「いいえ」
セツカは優しく微笑み、キイに頭(かぶり)を振って見せた。
「その前に、先に長があなた方に会いに行く事でしょう」


ユナの二人は、互いに協力しながらレツの大きな身体を抱え、ゆっくりと海の方向へと去って行った。「ユナの地で本契約が出来る日を楽しみにしています」と言葉を残して。
海は島国であるユナには大樹の次に神聖なものだ。ユナの地へ連れて帰れないのならば、せめて海に沈めてあげたい、と思ったのだろう。

彼らが去った屋敷の庭園は、嵐が去った後のようにひっそりとしていた。呆然と見送るアムイの横にキイが並んだ。
「傷を見せてみろ」
その声にアムイははっとする。気がつけば、自分の周りに心配そうな面持ちでシータとイェンランもいた。
傷口に手を伸ばそうとするキイの手首を掴むと、アムイは首を横に振った。
「アムイ…?」
「キイ、この傷は治さないでいいから」
「………」
頑ななアムイの表情に何かを感じたのか、キイは素直にその手を下げた。
その相棒の行動に感謝しつつ、アムイは言う。
「この傷は……自分の戒めのために。己の弱さを……そして自分の覚悟を忘れないために、俺は」
「その傷だとしっかりと痕が残るぞ」
「だからだよ」
キイに頷くとアムイは彼らの去った方向を切ない表情で眺めた。うっすらと垣間見える水平線が朝日を迎えるためにほんのりと橙色に染まっている。
「……なあ、キイ。俺はあのガラムを見て自分を凄く恥じたんだよ」
ぽつりぽつりと話し始めるアムイに、キイは黙って耳を傾ける。
「自分の血筋に対して、背負う覚悟のある目だった……」
キイの息を呑む音が近くで聞こえたが、アムイは構わずその先を進める。
「お前さあ、いつから自覚していたんだ?俺達が神王の直系だという事実に」
その問いにキイはふうっと息を吐くと、淡々とこう答えた。
「…多分、俺がセドを滅ぼしてから。だけど、それにずっと反発していたのは確かだし、お前も知っている事だと思う。
ただ、その事実を背負う覚悟ができたのは、聖天風来寺(しょうてんふううらいじ)を出てからだけどな」

覚悟か……。
そんなもの俺の寿命が分かった時からしていた事だ。
自分に課せられた命が…時間がもうないと知って、やっと自覚したという愚かなものだっだが。

キイがそんな事をうっすらと思っていると、アムイが小さく呟いた。
「そうか」
「消そうと思って、消せる事じゃない」
きっぱりとキイは断言する。そう、それは逃れのない宿命。そのために生まれた自分達を否定などできない。
「……ああ。──今の東では……その事実を抹消する事は許されないのだろうな…」
そう独り言のように言いながら何やら考え込んだアムイに、キイは彼の背中を軽く叩いてからそっと肩に手を置いた。
「この命を、尊い命をかけてまで守られたのだと……それを知って逃げるのは卑怯だ」
「そうだな、アムイ」
「……生まれの事実は消せる事はできない。だからといって自分に何ができるかなんてまだはっきりしない。
それでも、俺はもう逃げるつもりはない。事実は事実として受け止め……それが罪を背負った聖職者の腹から生まれた命だとしても、俺は」
アムイの瞳に決意の光が力強く籠もる。
「この命が何かの役に立つのなら、俺はそれで本望なんだと気がついた。
──俺はずっと、自分がこの大地で生きている意味をずっと探してきたような気がする。それが、何なのか…まだはっきりしていないけど」
「うん」
「俺はお前がこの先を踏まえて考えているであろう計画を、協力し実現する覚悟を決めたよ。それが、どういう内容であろうと」
「アムイ…」
「いくら苦しくても俺はもう今生から逃げない」
「ああ…」
キイはその言葉に感動して、思わず俯いた。自分の今の顔を誰にも見られたくなかった。きっと歓喜と切なさがない交ぜになっている事だろう。恥ずかしいだろ、そんなの。まるで子供のように、感極まった顔を他人に見られるなんて。

「なあ、アムイよ。俺は苦しむために生まれた訳じゃない」
突然、隣でそんな事を言われたアムイは、驚いて横に顔を向けた。そのキイはアムイの方を見ず、ずっと視線は地面に落ちているままだ。
「俺がこの地に生まれたのはやりたいことや、やらなければならないことをするためだ。
そのためにすべて整えて俺は地に降りたのだ。
──それを悟ったのは、すべての事を真正面から立ち向かう覚悟ができてからだよ」
「キイ…」
「とうとう、お前にも覚悟ができたか。嬉しいよ、ここまで…長かった……」
「うん……」

アムイもキイも、それ以上言葉を交わさなかった。互いに触れる温もりだけで、全てを理解した二人は、水平線が明るくなっていくのをしばし眺めていた。


* * *


レツの遺体を海に沈めたセツカとガラムも、無言のまま朝日が昇るのを見詰めていた。
その沈黙を破り、セツカは隣に佇むガラムを促した。
「帰りましょう、ジース」
「セツカ」
「はい」
「……俺は必ずユナの長となる」
「……はい」
「長となってもう一度ユナの掟を見直すつもりだ。……もう姉や義兄のような人間を出したくない」
「それは…」
「わかっている。そんな簡単で生易しい事ではないことぐらい。……だけど、誰かがそれを目指さなければ、変わっていかないものだろう?」
セツカは彼の威厳のある横顔に見惚れた。辛い状況を乗り越え、そこには確かに次を担う指導者の顔があった。
この旅が、彼を数倍大人にした。──きっと長の方はお喜びになるに違いない。
「どうしたらよいのか。それはこれから…いや、今すぐ考える。セツカ、また最初から俺をしごいてくれ。あらゆる情勢と雛形を俺に教えて欲しい。──ユナの頂点に立つに相応しい知識と経験と実力が必要なんだ。それを次期長を決める時までに全て叩き込む」
「はい、ジース」
彼の成長に喜びを押し隠し、有能な長の側近としてセツカは同意した。
「これから大陸は今以上に乱れ、荒れるだろう。神王の直系の生き残りがいたわけだから。──あの方々が表に立つその時まで、我々はユナの内部をいっそう強化し、準備を怠わないようにするには、時間が足りないと俺は思う。それを踏まえて帰島後、ジースとして長に進言するつもりだ。お前も今まで見て聞いて感じた事を長に伝えて欲しい」
そこまで言って、ガラムは恥ずかしそうに俯いた。
「……俺は頂点に立つ事の本当の覚悟を知らなかった……。辛い事が多かったが、俺は後悔していない。……大陸に無理に出て来てよかった」
「ジース、大丈夫です。遅い事などありません……。これからです。
貴方も、セドナダの王子達も」

二人はしばらく少し覗き始めた朝日を拝むと、島に帰る手はずを整える為にこの場を後にした。
様々な思いを胸に秘めて。

* * *


一難去ってまた一難。

ユナの件が片付いたと同時に、アムイ達は窮地に立たされていた。

「それ、本当なのか」
アムイの唸るような声が部屋に響く。
その声に反応してキイがぼりぼりと困ったように頭を掻いた。
「爺さんがいつの間にかここから姿を消していたと思ったら、そんな事態になっていたとは」

そうなのだ。結局待てども昂老人(こうろうじん)がイェンランの元に戻る事はなかった。痺れを切らした彼女とキイは、仕方なく外に出て、アムイ達の様子を見守る事になったのだが…。

夜明けと共に、血相を変えてリシュオンが屋敷に飛び込んできた事で疑問が晴れた。
「迎えに来ました!」
と、唐突に叫ぶ西のリシュオン王子に、一同目が丸くなったのは仕方がない。
リシュオンは昂老人の使いとしてここに来たと説明した。
彼の説明によると、手洗いに立った昂の元に、突然北の国の王家の隠密が現れ、彼らから驚く内容を知って一足先に中央の王宮に向かったらしい。その時、昂は素早く密書をしたため、秘密の波止場で船の準備を敢行していたりシュオンに渡すよう、隠密に頼んだというのだ。
「何で近くにいたアタシ達に何も言わないで」
半ば呆れたように頭を横に振るシータに、リシュオンは苦笑して説明をする。
「いや、先に私に連絡を頂いて正解です。お陰で早く迎える事ができた」
「でもまさか、こんな事になるなんて」
イェンランがぶるりと身体を振るわせた。
そう、本当なら準備はあと二日ほどで全て整い、乗船出来るはずだった。だが……。

「まさか北の第一王子がクーデターを起すなんてな」
キイが吐き捨てるようにこう言うと、一同皆眉間に皺を寄せた。

そうなのだ。あの捕らえられたという、南と密通していた第一王子ミャオロウが、外部からの協力者と共にあっという間に宮殿を占拠したというのだ。しかも肝心のミンガン王が大陸五国会議で中央のゲウラ国に赴いていた矢先に。
残っていた第三王子は反対に捕らえられ、宮殿の一室に幽閉されてしまったという。

「まったくこんな時に!」
髪を掻き毟りながら悔しがるキイに、アムイは溜息混じりに言った。
「こんな時、だからだろう。…第一王子は強行手段に出たという事だ。余程切羽詰っていたとしか思えないが」
「そうですね。捕らわれたとしても、多分あの王子の事だ、虎視眈々とチャンスを窺っていたんでしょう」
「一筋縄ではいかない…王子(ヤロー)だ」
リシュオンの言葉にキイはむっとして呟くと、ふうっと息を吐いた。
「で、何処へ移動する?王宮があの王子に占拠されているという事は、俺らにとって拙い事態だという事だよな」
「そうです。現にもう戒厳令が布(し)かれたのですが…それが全て第一王子の元に寝返った。それがどういう事だかわかりますか?」

戒厳令とは一時的に統治権を軍隊に移行する事である。通常の市民の権利も制限を受け、クーデータなどで通常の統治機構が機能しなくなった時に発動されるのが通常なのだが。
ミンガン王の中央軍と統治権発動後に何らかの取引があったのだろう。中央軍は全て第一王子の傘下に入った。となればその権限は軍を動かすミャオロウのもの。

「短時間ではまだ地方までは手が及んでないとしても、中央を占拠した軍の包囲網が北の国全土に行き渡るのは時間の問題でしょう。
……事実、大きな港はすでに軍が占拠し、他国へ続く門は全て監視に置かれました。国境もすべて軍人が配置されている。……一時、身を隠すしかなくなった、という事です」
「くそ!何てこった!もう少しで北を出られると思ったのに!」
イライラとキイは己の長い髪を掻き上げた。形の良い額があらわになり、その中央にはめ込まれた小さな黄色い玉が、彼の力を押さえ込んでいるという事実を思い出させる。
アムイの傍にいるから、キイの"気”の暴走は抑えられている。かといってこのままでいい訳がない。第2封印のせいで奥まって凝縮された"光輪の気”は、一つの封印が解かれたとしても肝心な"気”は封じられているまま。行き場のないその"気”が、今も圧縮されて溜まっているのは、力の大きさを知る二人にとって脅威にしかならないのに。
いつその限界を超えるか、キイ自身でさえもわからない。そして封印によって圧縮された光輪は、こうしている間にも着々と溜まっていくのだ。その強大なる力を、今のアムイには受け止める自信がない。まだ、あの時の真っ白な閃光に囚われている。

「それでこれからどこへ?」
おずおずとイェンランがリシュオンに訊いた。
彼は彼女を安心させるように優しく微笑むと、悠然としてこう答えた。
「これからある方の屋敷に向かいます。まだ軍の手が薄いうちに早く移動しましょう」

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