激しい雨の中。
元、南の宰相であった男と密談してきた、北の国第一皇子ミャオロウの身内でもある中央軍准将ミンチェは、はぁっと大きな息を吐き、ぐっしょりと濡れたマントを体から剥がした。
「かなりお疲れですね」
部下が気遣わしげに大判のタオルをミンチェに手渡す。
「悪いがすぐに着替えたい。詳しい話は後にする」
神経質そうに眉をひそめる上官に、部下は黙って頭を下げた。
ミンチェは部屋に入るとすぐに濡れた服を着替え、長椅子にどかりとその屈強な体を沈めた。
「ティアン……か」
思わず口に漏れたその名前の男は、噂に違わず胡散臭い人物だった。
本人はうまく隠しているようだったが、ずっと中央軍で諜報部員として暗躍していた彼には、相手の底意地の悪さと人を手玉に取るような性分が見て取れて、正直げんなりしていた。
あんな男に心酔し、完全に信じ切っている第一王子に微かな不安を感じているが、いや、結局はあの愚鈍な王子が王となっても所詮はお飾りだ。
……そう、陰ながら北の王族、モ・ラウ家を支えてきたのは、北の国でも名門ともいえるハクオウ家だ。
ミンチェはそこの当主の外孫であったが、その当主の娘が第一王子と第三王子の母親であり、ミンガン王の亡くなった正妃だ。
実質、ハクオウ家は他の豪族や貴族達を引き離す勢いで北の権力を手にできる位置にいる。
それは代々、王家に縁続きに力を入れてきた結果ではあるが、当主に娘が生まれ、それが正妃におさまった時点で揺るがない地位を確立した……はずだった。
ミンガン王が、あからさまに嫡男であろうミャオロゥに王位を譲るのを躊躇しているそぶりに、ハクオウ家は苛立っていた。
高齢のくせに、王子がすでに成人しているにもかかわらず、王は王太子を据えないでいる。今でも。
しかも当てつけのように外国から妃をもらい、他に後継ぎを作るつもりのような態度だった。
生まれた子が女でほっとしたものだが、この国は長子優遇が基本なのだ。
……ミャオロゥがだめなら第三王子に…という声もあったが、第三王子はミンガン王寄りでハクオウ家を毛嫌いしている。ハクオウ家が将来北の国を牛耳るためには、どこを見てもミャオロゥが適任だった。
だから王不在を狙って、強硬手段に出たのだが、それも先ほど会ってきた男ティアンからの申し出だった。
単純なミャオロゥは、自分を助けてくれたと感激して益々あの男に傾倒していったようだが、ミンチェにはそうは思えなかった。
──狙いは北の封鎖か。
ミャオロゥの話だと、今話題のセドの王子がこの国に潜伏しているという。
あの男とミャオロゥは水面下で彼を手に入れようとしているらしい。
詳しいことをまったく話さないミャオロゥにミンチェは憤慨しているが、セドの王子の存在が明るみになる前から、ティアンと共謀していたのは確かだ。
その王子について話し合われるだろう五大国会議が開かれるという情報が流れてすぐに、ティアンの側近がハクオウ家に接触してきたのだ。
きっと、セドの王子が大陸全土での保護対象となるだろうとすでに予想しての行動だとしか思えない。
そのために、潜伏していると思われるセドの王子をこの国に囲い、逃げ出せなくさせるのが、第一の目的なのだろう。
……そうだとしても。
完全にティアンという男に利用させられているミャオロゥに溜息が止まらない。
だが、それでもこの際いいのであろうと思う。
所詮第一王子はハクオウ家が天下を取るための道具なのだから。
そんなことをつらつらと感じながら、ミンチェはこれから先のことを頭の片隅で構築し始めた。
* * *
「……爺さんが帰ってこない…」
眉をしかめるアムイに、イェンランは不安そうな目を向けた。
「そうなの。老師を迎えに来たのは、確かに北の王家の人間と老師のお弟子の方だったって。
それが王宮に向かうという話になって、それ以降音信が途絶えたって……」
同じく眉間に皺を寄せて、考え込むような姿勢をしながらシータが説明した。
今、彼らは迎えに来た西の国のリシュオン王子らと共に、ある屋敷に世話になっていた。
それは昂老人(こうろうじん)の指示通り、モ・ラウ王家に所縁のある家で……。
「とにかく、連絡を待ちましょう。だって“あの”昂極大法師(こうきょくだいほうし)様よ?
何かあっても大丈夫でしょ」
そんな呑気な声が、彼らのいる部屋に響いた。
三人が振り向くと、そこには長身の女性が入口に立っている。
割と小柄な体型の多い北の国にあって、まるで南や西の国のように大柄な女性は珍しい。
かといって、厳つい感じではない。すらりとしたプロポーションは、外国の女性に引けを取らない見事なものだった。それでも比較的長身なアムイよりも背は低く、シータよりも少し高いくらいだが。
「シュンメイさん」
イェンランがそう呼ぶと、彼女はにっこりと人のよい顔で笑った。
すっきりとした美人……。
そう形容するにぴったりの彼女は、この屋敷の女主人である。
────そう。
彼女こそ、この物語に度々登場していた、王子二人が取り合っていたと噂されている、北の国第二王子の異母妹シュンメイ=リアン。
……実はあのアイリン姫の乳母であり、乳兄弟である双子の少年、フェイとレンの……母であった。
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