暁の明星 宵の流星 #194
お国美人と噂の通り、この屋敷の女主人であるシュンメイ=リアンは北の国でいう美女の条件をほぼ満たしていた。
象牙のようななめらかな肌や、漆黒のクセのない長い髪や、切れ長の涼しげな目元を覆う長い睫だとか。
笑うと目がすっと線のようになって、気持ちよさそうな猫のような印象になるとか。
それだけを見ると、典型的なモウラ(北国)美人だ。
ただその身長だけが、北の国の女性にしては規格外であった。
当たり前だがそれぞれの国では男が女に求めるものが変化する。特に北の国では小柄な女性がよしとされるお国柄である。まぁ、男の平均身長も他の国より低い、という事情もあるのだろうが、とにかく小さくて華奢であるというのが、北の国モウラにおける美人の要素のひとつである。
だが、彼女はそんな事は全く気にならないようで、背の高さを生かすかのごとくピンと背筋を伸ばしている。その潔くも優雅な美しさに気負わされるほどだ。
……そして性格もその姿勢そのものに潔く、まったく物怖じのしない人物であるというのは、ここ数日接してみてわかったことだ。かと言って、男勝りというわけではない。女性としての柔らかさを持ちながら、周囲に流されない意志の強さを感じる。
イェンランにとって理想とする女性の姿がそこにあった。
「王家の……恥をお話しするのもためらいますが」
と、言いながらも皆のお茶を淹れる彼女の表情は柔らかい。
「ほんっと、噂とはいい加減なものでしょう?でも、そのお蔭でこうして真実を隠してしまえる」
「ということは、──シュンメイさんは……」
イェンランの問いに彼女はくすりと笑ってこう答えた。
「ご存じのとおり、私はただの第二王子の異父妹であって、第三王子の愛人ではありません、残念ですが。……ま、あの第一王子に言い寄られたのは確かですけど、周りが助けてくれたから、今こうしていられるんです」
彼女の屋敷に移動して、すでに三日が経っていた。
北の国で一番大きな港町を持ち、ミンガン王の異母弟であるイアン公の治める領地より数キロ西に下がった小さな村。そこを通って海寄りに行くと、第二王子が志半ばで断念したという軍事港のあるチガンである。
シュンメイはその隠された要塞跡地のすぐ傍に普段は住んでいるらしいが、緊急の要請で近隣村にあるその別荘へと移り、アムイ達を招き入れてくれたのだった。
間接的に指示してきたのは国教である北星天寺院の隠居した大僧侶、昂極大法師(こうきょくだいほうし)……つまり昂老人。
そしてそれを直接実行したのが、今はお忍びで来ている西の国ルジャン第四王子リシュオンである。
そのリシュオン王子は、中央都に向かったまま音信不通となった昂老人を捜索に行こうとして止められた。今この状態で西の国の王子が動くのはまずいとキイとアムイの判断だ。
それならば、とシュンメイが「適任がいるからその者に頼んでみる」と、半日姿を見せなかったのがつい先ほどのこと。
今は質素ではあるが居心地の良い居間で全員顔を向き合わせ、彼女の淹れてくれたお茶に一息ついているところだった。
「王都までの距離を考えると、明後日には何かわかると思います。
……それよりも、幽閉されているというシャイエイ王子が心配です。まぁ、実のご兄弟だから、ミャオロゥ王子も酷いことをなさらないと思うのですが……」
心優しく聡明であるが、気の弱さから強く出られないという噂の第三王子…シャイエイは面差しは父王であるミンガンの方に似ている。穏やかなミンガン王をさらに温厚にさせて影を薄くすれば……。いや、それはいくらなんでもシャイエイ王子に失礼であろう。
人が良く、平和主義の王子とて愚かではない。彼は彼なりに王家を思い、国を思っている。だが、どうしても王族としての力が足りない。特に強引で我儘を絵に描いた長兄(ミャオロゥ)に常に抑え込まれている印象が強い。……事実、成人するまではミャオロゥ王子の言いなりと評判だった末の王子である。
20代半ばのいい大人である今でも第一王子に強く出られると萎縮してしまうその第三王子が、初めて脅威である兄に立ち向かったのが、この目の前にいる第二王子の異母妹であるシュンメイとの件である。
実際には色々と複雑な状況が重なり合っていたが、傍から見て二人の王子が一人の平民の女を取り合った事件と思われている。
「まあ、そこのところはかなり真実も混じっているわけですが」
言いにくそうに笑顔を歪める彼女に、その場にいた者は黙り込む。
「自国の王家の醜聞をできるだけ隠したい、そう仰ったのは…シャイエイ様です。
あの方は本当に思慮深く、お優しいお方なのですが、今のモウラ(北の国)を統率し安泰に導くお力がどうしても足りない……。あの方に第一王子のような大きな後ろ盾があればよろしかったでしょうが……残念でなりません」
苦笑しつつ、シュンメイはどこか遠くを見るような眼差しで、その王家の内情をアムイ達に語り始めた。
目の前にいるのは、シャイエイ王子自身と王家を陰ながら見守ってくれている昂極大法師(こうきょくだいほうし)から直接預かった大事な客人だ。もちろん、西の国ルジャンの王子リシュオンまでも出てきて関わっている事も相成って、アイリン姫の乳母だった彼女には、協力を仰ぐために全てアムイやキイの事情は知らされている。
だからこそ複雑な北の王家の内情を説明する必要があった。ある意味、自分達の立場を理解してもらい、この切羽詰まった状況で何ができるかを模索するためにも。
何せシュンメイが今匿っているのは、東の滅んだ王国の王族である。
情報通である自分の夫からの話によると、あの馬鹿王子が南と手を組んで国民を売るような真似をし、セド王国の最後の秘宝などという話に目がくらんでいるというのは前から耳に入っていた。だが、その後にシャイエイ王子直々に自分達に助けを求めてきて、その内容に驚愕したのはつい最近のことだ。
(まさか本当にセド王家の直系が生き残っていたとは)
しかもその王家の人間を狙っているのが、城を乗っ取ったあの馬鹿王子と南の国(リドン)の元宰相だった男。
シュンメイが己の身の危険を顧みず、即答でシャイエイ王子の頼みを受け入れたのは、これ以上ミャオロゥ王子に国をかき回してほしくない、ただそれだけだ。
「ご存じのとおり、私は今は亡き第二王子マオハン=モ・ラウの異父妹(いもうと)です」
そうしてシュンメイは当時の事を語り始めた。
◆ ◇ ◆
北の国モウラは代々モ・ラウ家が治めてきた大国である。
王族として長く北を統治してきたモ・ラウ家だが、それを中心に取り巻くように強力な影響力を持つ3つの名門貴族が存在する。
一つは第一王子と第三王子の生母の実家であるシウ・ハクオウ家。
そして国教である北星天寺院の近くを居とする北西のソン・ス家。
最後は現在の王ミンガンの異母弟イアン公が治める港町に近い北東を守る、優秀な自警団を持つオウ・チューン家。
彼らは北の御三家と呼ばれ、王族と共に北の国モウラの統治に影響を少なからず与え続けてきた。
そして王族を守るため三家は協力し合ってきたが、北の国の国勢悪化と共に、そのバランスが徐々に崩れ……ハクオウ家に娘が生まれ、彼女が正妃に納まった時点で徹底打となる。
衰弱しつつあるモ・ラウ家に侵食し、政治の実権を水面下で握ろうとし始めたからである。いや、もうすでに彼らの中では決定事項であったろう。三家の中でどこが正妃を出すかで小競り合ってたのは確かだ。表向きでは友好関係である他の二家も、ハクオウ家同様、裏では虎視眈々と国の実権を狙っているに違いなかった。だが、運命はハクオウ家に微笑んだ。ミンガン王(当時王太子)と年回りの近しい娘が生まれたのだから。高貴な家柄の姫君が正妃となるのは当然である。
思惑通り、ハクオウ家の姫は次代の王妃となり、やっとの思いで跡継ぎも儲けた。
事実、その跡継ぎである第一王子を担ぎ上げて、正妃亡き後も色々と口を出している。
思惑が外れたのは意外なほどに頑ななミンガン王の態度だった。
元々寡黙で感情の起伏のないミンガン王が、心の中で何を考え思うのか、判りにくいことも相成って、ハクオウ家と王との関係は決して良いとは言えるものではなかった。
ただ、今の脆弱な王家を陰ながら支えているという現実が、王としてはハクオウ家を蔑ろにできない事情となっている。
だからといって王は言いなりになるような人間ではなかった。平民の娘と子を作ったり、ずっと王太子も据えず、他国から後添いを儲けたりなど、ハクオウ家としたら煮え湯を飲まされるような日々を突き付けられていた。
……高齢であり、近年体調のよろしくない王をいつか追いやる機会を窺(うかが)っていた彼らに、傀儡である第一王子の拘束は痛いところだった。だが、それが一発逆転の展開となるとは。
王不在に一気に囚われていた王子を救出し、王宮を支配した。そして言葉巧みに利益をチラつかせて中央軍を味方に引き込んだ。
たとえそれがよその人間からの提案だったとしても、このチャンスを逃すわけにはいかなかったのだ。
そのハクオウ家に担がれている第一王子ミャオロゥ。
色々と言われているが、決して無能ではない。さすがに賢王と言われているミンガンの息子である。仕事はできるうちに入るであろう。王宮内で頼りにされているだけの。ただ、そのやり方が狡猾で悪どい。しかもそれを表には出さない。裏で非道な事を平気でやっていたとしても、絶対に自分は正しいと思っているような傲慢な男だ。
それは女に対しても同様で、当時20も後半になろうというのに身を固めずふらふらし、女癖が悪くあちこちに愛人を作っているのも、誰にも憚れることなく恋愛を謳歌しているだけだと開き直っていた。
王族としていつかは正妃を娶わなくてはならないと知っているが、女の数が減ったのと後宮の廃止で、数多の女を所有することが叶わなくなった事が彼にとっては不服だったらしい。
結婚してしまえば愛人を持つことを許されなくなった今の王家に反発するように、自由恋愛を唱えながら好き勝手に女と遊び戯れる。……こんな調子であれば、いくら実の息子であれど不信になるのは仕方ないだろう。
第一王子にしっかりとした名家の女性を娶わせれば落ち着くのではないかと、最初は王達も彼に花嫁を与えようと懸命であったが、結局、第二王子の異父妹であるシュンメイを追い掛け回した件で父王ミンガンの怒りに触れ、当初は第一王子にときた神国オーンの貴族の姫君との縁談が王自身のものとなったのは、周りの誰もが驚いた。
事実、オーンの姫君とミンガン王は親子とも年の差があった。
だがその婚姻が有効になったのは、第一王子の女癖の悪さと、長子なのに王太子に据えられていない事、そして何より姫君を一目見て王自身が年甲斐もなく恋に落ちてしまったからだ。
……当時、自分に宛がわれる筈だった花嫁を見て、そのあまりにもの美しさにミャオロゥ王子が歯噛みして悔しがり、父王に憎悪すら抱いたというのは事実である。
そしてミャオロゥ王子が次第に私腹を肥やし始め、南と手を組み人身売買に手を貸すようになったのはこの頃からだと言われている……。
◆ ◇ ◆
その厭らしい手を離してはくれないだろうか。
シュンメイ=リアンが怒りを抑えた目で見下ろしているのは、この国の第一王子だ。残念ながら自分より小指の長さほど背が低い。
それなのに、王族のくせして下卑た笑いを浮かべ、自分の右手首を掴み、もう片方の手でさわさわと右肩を撫で回している。
「お前がマオハンの異父妹(いもうと)か。ほぅ、なかなか豊満で厭らしい身体をしているではないか」
あんたの方が数倍厭らしいわよ。何よその気色悪い手の動きは。
「お戯れを王子様。いくら何でも簡単にただの農民の娘に手をお出しになるべきではありませんわ」
「ほう?お前がそれを言うのか。私の父君なんかその農民に種を撒いてお前の兄をこさえたぞ。父がよくて私がダメとは……どういう了見かな?」
「……」
「お前やマオハンを見て思うよ。父君が手をつけた農民の娘はかなりいい女だったんだろうなぁ、と。
お前はマオハンと血がつながっているだろうが、私とは何のつながりもない。…私も父君がお前の母にしたように王族の種を仕込んでやるぞ?」
そう言いながらミャオロゥは肩に置いていた手をするりとシュンメイの腹部まで下ろす。
「…・っ!」
ぞわ、とした悪寒がシュンメイの背中を駆け上る。
「ここに私の高貴な種が入るんだ。単なる平民にとって、これ程の名誉なこともあるまい?」
そう蔑むように笑うこの国の第一王子に対し、シュンメイの温厚な人柄が崩壊したとして誰も責めることは出来ないであろう。
王様。この王子、一度殴り飛ばしてもいいですか?
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