暁の明星 宵の流星 #195
ああ思いっきり殴りたい。
などと思ったとしても、王族にそのような振る舞いをすれば、己の命に係わる。悔しいがそれが常識だ。
亡くなった母親から、王族に血を分けた兄がいるという事は幼い頃から教えられていた。
何せ、村一番の美女と謳われた母が王に見初められ、まるで奪われるように王都に連れていかれ王子を産んだのは誰もが知るところだ。結局母は王妃に第一王子が生まれたため、泣く泣く村に返された。自分の産んだ子を王宮に取り上げられて。
そして母を心底愛していただろう王は、彼女の行く末を心配し、彼女の未来を守るために村一番の土地持ちでもある地主の男に嫁がせた。──それがシュンメイの父親であるが、温厚で真面目な男は本当に母を大事にしてくれた。母親もそんな父に次第に心を開き、心の傷を癒してくれる彼を慕うようになるのは時間の問題だった。夫婦仲はとてもよく、間もなく二人に娘が生まれると益々絆が深まった。
シュンメイは本当に穏やかで愛の溢れる家庭に育ったのだ。
ただ、亡くなるまで常に母は王宮にいる自分の息子を気にかけていた。王都の噂はその隣にある自分の村にもすぐ届く。
……そう、不遇な第二王子の様子も…。
自分達の家庭が幸せであればあるほど、病気がちで王妃側に疎まれて暮らしている息子を心配しない母親がいるだろうか?
それでも二度と会うな、と王妃側に釘を刺されていた手前、母はその思いを懸命に押し隠していた。
ただ、自分の娘にだけはポロリと本音を漏らすことはあったが。
シュンメイも体の弱い半分血の繋がった兄に会ってみたいという気持ちがあった。
だから王妃が亡くなって間もなく、王自身から異父兄(あに)に会って欲しいと願われたら遠慮する理由はないだろう。シュンメイは喜びと共に堂々と半分血の繋がった異父兄に会いに行ったのだ。
……それが。何でこんな面倒くさいことに。
やっと会えた異父兄マオハンは、母の面差しが色濃くあった。といういことは、母似であると評判のシュンメイと彼は誰が見ても血の繋がりがあるのは一目瞭然である。
ただ兄妹といってもさすがマオハンは王族として育てられたせいか、物腰にも気品があって気高かった。そして聡明で心優しい理想の王子様そのもので、シュンメイは兄を誇らしく思った。
彼の欠けていたものは健康だけであって、体が弱いため日の半分は床に就いてはいたが、無理をしなければ普通に出歩くことはできていた。その限られている時間で、彼は極秘で港に軍事施設を作ろうとしていたようだ。
そして王の計らいでシュンメイは王宮に優遇されるような形で出入りを許され、ともすれば孤立しがちなマオハンの話し相手としてその日から通うようになったのだった。
そんな彼女に、平民ではあるが王宮から特別にマオハン直々の侍女にならないか、と申し出があった。
北の国の女性減少は中央都にまで徐々におよび、なるべく王宮に回している女手が、ここ昨今は希薄になっていた。昔のように王族に係わる侍女は貴族の娘…という時代ではなくなった。何せ貴族にも娘が少ない。その補充は王家にとっても悩むところであったのだ。そこで平民にも範囲を広げた。ただ貴族の娘と違うところは、王宮に入るにはかなりの審査と条件があるということだ。素行、知性(可能性)、従順さ、ある一定の実家の財力、そして容姿だ。
それら全て、シュンメイは条件を満たしていた。しかも王族に関わりのある娘。そういう話が彼女の家に正式にくるのは至極当たり前であった。
シュンメイは短時間ではあるがすでにマオハンと打ち解け、尊敬までしている異父兄の傍に居られる喜びと、大きな農場の一人娘であるという事で、侍女としての教育と経験が良縁を呼ぶのでは、という父親の希望で近々正式に王宮に入ることになっていた……のだ。
マオハンに会いに行く途中で、第一王子ミャオロゥとばったり遭遇しなければ。
いや、今考えるとその出会いも仕組まれたものだったかもしれないが。
とにかく彼女は出会った瞬間からミャオロゥ王子の標的になったのだ。
何度待ち伏せされ、何度言い寄られ、隙あれば何度個室に連れ込まれそうになったことか。
まだ当時初心な少女だったシュンメイは、言い寄られていることに恥ずかしさと嫌悪を感じて、誰にも相談できなかった。ただ自分が王子よりも少しばかり背が高くて、巷の女の子よりも力が強く、護身のために父親から体術をある程度教わっていた、という事実が、彼女に変な自信を持たせてしまった。王子の魔の手から逃げられる、という……。
だから優しくて王宮での微妙な立場である異父兄には絶対に知らせなかった。自分のことで煩わせたくない、これ以上立場を悪くさせたくない、という思いで気丈に振る舞っていた。
だが、そんなのは思慮浅い生娘の考えだったと、今のシュンメイは思う。
あの日、さすがに油断していたのだ。
今まで王宮内でしか接触してこなかったミャオロゥ王子がしびれを切らしたのか、シュンメイがマオハンのために花を庭師から貰おうと園庭に足を運んだところで捕まり、有無を言わさず庭より外れた木々が生い茂る人のいない場所に連れ込まれ、先程の会話となる。
彼女の気分は憤りのため、恐怖というのはなかったが、まさか本気になった男の腕が、こんなにも強いとは思わなかった。がっちりと手首を掴まれ、胸に引き込まれ……といっても相手の方が背が低いので顔と顔を向け合うような体制になっていたが。かえってそれが口づけに容易い距離になってしまったことに、シュンメイは焦った。
思わず抵抗を試みるシュンメイに、色々な下卑た台詞を吐いたあと、ミャオロゥは嬉々として彼女を木陰に押し倒した。声を張り上げようとして、いきなりミャオロゥの口が彼女の唇に押し当てられる。
気持ち悪さとショックで彼女は断固として男の力に抵抗する。だが、安易にミャオロゥの手が自分のスカートの中に忍び込み、太腿を撫で上げられて恐怖が一気になだれ込んできた。
さすがに何人もの女をものにしてきた男の動きである。悪寒に突き動かされたシュンメイは、もう形振り構わず暴れ出した。それによって塞がれた口が外れ、彼女は大きく喚いた。
が、そんなことは慣れているのか、ミャオロゥは馬鹿にしたように笑っただけだった。
「こんな辺鄙な場所に人なんか来ない。ま、お前の声を聞いたとしても、いつものこと、男女のお忍びだろうと野暮なことをする者などいないぞ」
その言い方で、この男がこの場所で何回もこうした淫らな行いをしているということが安易に想像できた。
シュンメイは唇を噛んだ。この男は自分のテリトリーに近づくのを待っていたに違いなかった。何も知らず、警戒すらしないでまんまと引っかかった己自身を呪った。
「これもお前の兄が悪いのだ」
ミャオロゥの言った意味がわからない。
「お前の兄が生まれたせいで母君は嫉妬に狂い、完全に後宮制度や王が愛人を娶る自由を廃止したのだ。表向きは女の減少がどうのとお綺麗な事を言っていたようだが。
だから今独り身の自由な時に好きなことをしても罰は当たるまい?お前も王族と完全なつながりができて名誉なことと思うがよい。私を楽しませればそれ相応にいい思いもさせてやるぞ?」
「離して!そんな名誉、いらない!いい思いなんてない!」
諦めずに暴れるシュンメイに、ミャオォロウは頬を張り倒した。
「うるさい!黙れ!この卑しい女め」
「卑しいのは貴方ではないかな?」
突然、二人の背後から低い、だが凛とした男の声がした。
「なっ、何をっ!?」
カッとして振り仰いだミャオロゥの目が声の主を認めた途端、顔面が蒼白となった。
何事が起ったのかわからないまま茫然としたシュンメイに、その声の主は固まっているミャオロゥを無言のまま彼女の上から引き剥がすと、ゆっくりと手を差し伸べた。
「大丈夫か」
声の主はシュンメイを立ち上がらせると、優しい手つきで赤くなった彼女の頬に触れた。
「こんな美しい肌に、何て酷いことを」
その慈愛溢れる手の温もりよりも、シュンメイは目の前の男の姿に釘付けになっていた。
声の主……男は驚くほど背が高かった。この国で背が高いと言われる自分よりも頭一つ分以上あるのではないだろうか。しかも身体は鍛え上げたように筋骨隆々だ。まるで戦士のような体躯であるが、目の前の顔は、整っていて鼻梁が高く、品のある甘い顔立ちをしている。シュンメイを労わるように見つめるアーモンド形の双眸に光る瞳の色は優しい緑色だった。それが彼の短く刈った薄茶色の髪の毛によく映えていた。
どう見ても、この国の人間ではない。
──では、いったい誰?
ふと彼の肩越しに見るミャオロゥの動揺した姿が映る。
この国の第一王子に、こんな顔をさせる人物って、いったい……。
シュンメイは初めて彼と会ったときを思い出し、思わず口元が綻んだ。
思えば、恥ずかしい出会いだった。
王子に無理やり手籠めにされそうだったところを助けてもらった……のが、縁、なんて。
人生どう転ぶか、本当にわからないものね、とシュンメイはそっと溜息をつく。
* * *
彼女助けてくれたのは、神国オーンの特命大使。
しかも此度、北の王家との縁組のために、相手側の家から視察に来られたと囁かれる、姫君の忠実なる騎士だという。
初め、オーンしかいない“騎士”という存在にシュンメイは戸惑ったが、あの優しい笑顔で「要人を守る護衛官と思っていいですよ」と言われたのを思い出す。ただそれがオーン神国では宗教上、神の命に乗っ取って、主に生涯の忠誠を誓うのだとか。だからどの国よりも浪漫を感じるのだ、と初心なシュンメイはその時思ったものだった。
当時、国を立て直そうと必死だったミンガン王は、神国オーンからの縁談話に目を丸くしていた。
何故、このような安定しない国に?
聞けば相手は神国でも由緒ある貴族の末の姫君。しかも昔から、大聖堂の神官や巫女を輩出していると言われる名家中の名家だった。
ざっと見渡せば、姫君に見合う年頃の高位の人間は数多いるではないか。男はあふれているのだ。もっと条件のいい相手など掃いて捨てるほどいるだろうに。
だが、王家を驚かせたのは申し出以上にその理由だった。
──その理由。
それは末娘の縁談について神託が下ろされたのだという。
北のモウラ国の王家に嫁げ、と。
神国であるオーンの貴族らしい理由と言ってしまえばそうだというような内容。
国家、大陸を見渡す姫巫女の神託は、なかなか個人には下りるものではないが、姫巫女を支える補助の巫女達に、信者のためであれば個人的に神託を下しても許されるという権限を持っている。
特に聖職者を多く出しているルシファマール家は特に専門の巫女がいるくらいだ。
そしてその家の節目などに、神の許しがあれば、その巫女に神託が下りるというのだ。
だいたいはその家の人間の進路に下りることが多いという。
それは長女ラスターベルの巫女入り然り、次男のサーディオの大聖堂入りも、そして他の兄弟の進路も。そしてもちろん末の娘の嫁ぎ先さえも。
敬虔な信徒であるルシファマールの人間は何の疑いもなくその神の言葉に従う。そのような家系なのだ。どんな結果となったとしても、尊い神の言葉は絶対なのであるから。
ただ、“王家に嫁げ”とだけで、誰に嫁げとは明言されていなかったらしい。
だから、姫君の忠実なる騎士が率先して特使を請け負い、彼自身の目で王家を視察しに来たというのだ。そう言えば、とシュンメイは思い出した。
異国の、異教の大使が王宮に滞在しているとこの間兄から聞いたばかりだった。
そのせいで、ここ2-3日、宮廷内にピリピリとした空気が漂っていたのか。
という事は、愚かしい失態を晒したミャオロゥ王子は完全に候補から消えたも同然。シュンメイはほくそ笑んだが、事態はそんな悠長な方向には行っていなかった。かえって女癖の悪さが露見して開き直ったのか、それ以来、第一王子が執拗にシュンメイを追い回すことが多くなった。相手も意地になっていたのだろう。
王命で王宮内に世話になっているシュンメイが勝手に実家に戻れるわけがない。益々激しくなるミャオロゥの魔の手に、救いの手を差し伸べてくれたのは、あのオーンの騎士だった。彼は彼女を見守っているのか、襲われそうになるたびに、どこともなく現れ、さりげなく助けてくれた。困り果てた彼女に異父兄に助けを求めなさいと助言したのは、もう彼の滞在日数が終わる頃だった。
そしてやっとシュンメイは兄に泣きついた。特に最近は巧妙で狡猾な手でくるために、そして守ってくれていた神国の騎士が帰国すると知って、シュンメイは洗いざらい異父兄に今までのことを話した。
マオハンは激怒、ミャオロゥの実の弟ではあるが、自分と密かに懇意にしている異母弟のシャイエイ王子に相談し、シュンメイの身を隠すことにしたのだ。
だが、それもアダとなる。
プライドを傷つけられ、思うようにならないミャオロゥの苛立ちは極限まできていて、どんな手を使っても女をものにすると、柄の悪い男達に協力を仰いでいた。そう、たとえ暴力を使ってまでも、密かにシュンメイをさらい、監禁するために……。
そんな第一王子の悪計を知らないシュンメイは、帰国してしまったオーンの騎士に心を奪われたままだった。寝ても覚めても、彼の優しい翡翠の瞳が思い出される。これが恋だと気づいたのは、彼がいなくなってすぐだった。
今まで牽制してくれていた彼がいなくなったのに、彼のことばかりに思い煩っていて、シュンメイはミャオロゥに対する警戒を怠っていたのかもしれない。それに異父兄が彼女を隠す計画も順調にいっていた。それにまさかこの国の王子がまさかそこまで考えているとは思っていなかった。まかりなりにも一国の王子、だ。
だが、それは甘かったと後にシュンメイは思い知る。
そして事件は起こったのだ。
* * * * *
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