暁の明星 宵の流星 #196-②
オーン教会で世話になる事三日間、アムイとキイの二人はは念のために偽名を使いながらも、教会で運営されている孤児院の子供たちや教会で働く人々に世話になりつつ、積極的に彼らの中に入り、いつの間にやら馴染んでいた。もちろん共にいるイェンランとシータも、ここを提供してくれたシュンメイを手伝いながら、教会の雑務に積極的に勤しんでいる。
「まぁ、あれね。世話になってて何もしない、というのもねぇ」
シータは山のような洗い物を抱え、にっこりとイェンランに笑いかけた。
「ふふ。何か久しぶりに普通に生活しているって感じがするー。皆優しいし、子供たちはかわいいし」
同じく両手に洗い物を抱えたイェンランも久しぶりに屈託のない笑顔を見せる。ずっと緊張した日々が続いたのだ。気を緩めてはならないと頭の隅で思ってはいても、今の状況を楽しんだっていい。
「それよりかあの二人、すっかり子供たちに懐かれて、いい保育士さんになってるのが、何かおかしい」
イェンランはクスクス笑いながら、ちらりと教会前で子供らと戯れている背丈の大きい二人の男に視線を投げた。
「キイは絶対、女の子に人気あるとは思ったけど、意外とアムイって子供受けするのねぇ。いつも仏頂面で怖い表情(かお)なのに」
「子供は本能で嗅ぎ取るからね。いい人かそうでないか」
よいしょ、とシータは洗い物の入った籠を抱え直すとそうポツリと言った。
「あれでもねぇ、同年代やそれよりも上の人間は苦手だったけど、下の子たちには慕われてたのよ」
「アムイ?」
「うん」
ふ、とまつ毛を伏せるシータの横顔に、昔を思い出しているという表情が浮かぶ。
「あの当時、どんなにを人を拒んでいても、アイツの何かを感じ取って傾倒する存在は必ずいたの。それがうんと幼い子供だったり、野生の獣だったり」
「ふぅん…」
「いくら本人がぶっきらぼうだったり冷たくしても、アイツを慕う子は結構いたのよね、不思議なんだけど」
+ + +
「ねー、ルーさぁん!こっち来てお花一緒に摘んでーー」
「いやぁっ!ルーさんはあたしと川にいくのよぉ」
「ちょっと!ルーさんに迷惑かけないの!ごめんなさい、みんなわがままばかりで。……その、のど乾きませんかっ?中でお茶でも飲みましょうよ!」
「メルねーちゃん、ずるぅい~。ダメ、絶対だめ!ルーさんを独り占め絶対、禁止!」
「こらこら、お姫様たち、喧嘩はダメだよ。みんな仲良くね♪」
目の前の超絶美形が方目を瞑ってふんわりと微笑む。その破壊力にまだ経験値のない少女たちははぅぅっと熱い吐息を零し、うっとりと彼を見上げる。
+ + +
「あらら。子供相手にちょっと刺激強過ぎじゃない、あの馬鹿」
シータはけっと小さく毒吐くと「ちっちゃくっても女は女なのねー」と苦笑した。
「……なんかキイって…ずるい」
「お嬢?」
「普通にしてても人を惹きつけるのに、あんな笑顔を無防備に晒して、女なら誰にでも愛想振りまくって……」
「だから言ったじゃない、生粋の女タラシだって」
「うー」
「ま、あれはしょうがないわねぇ。生まれつきだから」
けけけっと意地悪く笑うと、シータはずんずんと先に行ってしまった。
「あーん、待ってよ、シータぁ」
少女たちに囲まれているキイの方に気持ちが向いてしまっていたが、早く仕事を片付けるのが先決だと、イェンランは後方を振り切ってシータの後を追った。
+ + +
「ねぇ、レイお兄ちゃん、剣を教えて。ボク、強くなりたいの」
キイはもう一つの名ルセイから「ルー」。アムイは苗字の「レイ」をそのまま名乗っている。
そして今、年齢の割には拙い言い方の少年がアムイの目の前で手を組んで懇願していた。
「セイオン、どうしたんだ?急に」
不思議な顔でアムイは目の前の少年の顔を覗き込んだ。見るからに小柄で華奢な子供だ。知らなければ7歳くらいに見える。だが、彼は今年10歳になる。彼の母親からは、生まれる時にトラブルがあり、その後遺症で全体的に発育が遅れている、と聞いていた。
母親譲りの金茶の髪が、日差しを受けてきらきらと輝く。大人しくて温厚で、だけどそのせいで苛められることが多いせいか、おどおどとした印象を受ける。
「お兄ちゃんは武人さんなんでしょう?ボク、お兄ちゃんが立派な剣を持っているの、お部屋で見ちゃった。……だから、教えてほしいの」
「強くなりたいって…」
「うん。強くなって、お母さんを護るの!」
きらきらと黒い瞳を輝かせ、一生懸命訴える子供を無下にはできない。
アムイと鬼ごっこしようと集まっていた他の子供たちが口々に不満を口にするのを抑えてから、アムイはこきこきと肩を回してこう言った。
「よし。男はみんな俺が稽古つけてやる」
わぁっと男の子たちは歓声をあげるとアムイの傍に駆け寄った。
* * *
「…あの、レイさん、ありがとうございました。息子がわがまま言ったみたいで」
夕食の後、片づけをしに行こうとするアムイに、セイオンの母親が声をかけた。
彼女はこの教会に住み込みで働いている女性だ。主に孤児たちの面倒をみているようだ。
「いや、わがままどころか…。お母さんが好きなんだな、あの子。お母さんを護るために強くなりたいって」
「あの子が…そんな事を?」
アムイが無言で頷くと、彼女の灰色の目にうっすらと涙が溜まる。
セイオンの母、ステラは痩せ形の大陸では平均的な身丈の女性で、長い金茶の髪を一つに纏め、その容貌から北の国の人間でないことが推し量れた。出会ってからそんなに経ってはいないが、彼女がとても真面目で誠実な人間だと誰もが感じている。
年のころはキイよりも少し上だろうか、彼女の振る舞いはとても落ち着いたものだった。
「あの子は……セイオンは滅多に他の人に自分から話しかけたりしないのに…。レイさんって不思議な人ですね。あの子の笑顔、久しぶりに見ました」
「いや、俺は何も……。でも、セイオンは素直な優しい良い子だ。剣術を習って少しでも自信につながれば、もっと強く生きられると思う」
「……ありがとうございます…。あの…私たちの事、シュンメイさんからどのくらい聞いておられますか?」
その言葉にアムイの片眉が上がった。
「いや、詳しいことは…。ただ、自分のせいで巻き込んでしまって人生を狂わせた人がいる…と。それが貴女の事だという事しか……」
「そうですか」
困ったように、それでいてホッとしたような彼女の表情に、アムイは何か引っかかるものを感じた。
「今でも。私達に罪悪感を持ってらっしゃるんですわ、あの方は。……これも運命、もう過ぎたことだというのに……」
「ステラ……さん?」
アムイの訝しむような目にはっとしたステラは、無理やり微笑みを顔に張り付かせた。
「いいえ、何でもありませんわ。……とにかく、本当に感謝します。息子に温かい手を差し伸べて下さって」
ステラは深々とお辞儀をすると、そのまま厨房の方へと入ってしまった。
アムイはそれ以上、セイオンとステラ親子の事を考えるのを止め、今晩王都から情報を持ってくるであろう人物に思考を移した。自分達以上に心待ちしていると思われるシュンメイの話によると、遅くとも深夜にはここに着くらしい。彼女からはその時に紹介すると言い、その彼女は今日、何度も屋敷と教会を行ったり来たりしていた。
そして皮肉にも、ステラ親子がどうしてここにいるのか、その後、王都からやって来た主人(あるじ)と客人らによって明るみになることになる。
それはシュンメイがアムイ達に話そうとして話を濁してしまった、ある事件に関係するのだが、その事実に、アムイとキイ、自分達の生まれの現実をまざまざと突き付けられるとは、この時の二人は思いもしなかった。
そのお目当ての人間はその日の夜半、二人の客人を伴って教会にやって来た。
ちょうど部屋にはシュンメイ親子の他にアムイとキイの二人がいた。シュンメイからは王都へ偵察に行ってくれた人物がここに来ると言われたからだ。
「とーちゃ!とぉーちゃぁぁんっ!おかえりぃぃ」
弾丸のように飛び出して、部屋の扉を開けた大きな男に飛びついたシュンメイの息子のリージィンは半べそを掻いていた。
「おい、リー。子供がこんな遅くまで起きていちゃよくないだろ」
「だってぇ、だってっ。なかなか帰ってこなかったじゃん。とーちゃ、俺の誕生日までには帰るって言ってたのにっ」
「ごめんごめん。どうしても帰れない事情があったんだ。……シュンメイ」
ハロルド=ヘイワードは自分の妻を呼んだ。彼はシュンメイ=リアンの夫であり、神国オーン出身の敬虔なオーン神教徒である。3年前に亡くなった妃、リザベル・フローラ=ルシファマール付きの騎士であった。彼女亡き後、母国に帰ったとされていたが、実はずっと北の国モウラに彼はいた。それは一部の王族に内緒でこの国の女と結婚し、子を儲けたからである。
立派な体躯、短い薄茶色の髪、若草のような緑色の瞳。初めて会った時から全く変わっていない。あれからもう十年経って、子供が3人もいるのに。
「お帰りなさい、ハロルド。こら、リージィン、お父さんが帰ったらすぐベットに行くって言ってたでしょ?こっちにいらっしゃい」
そう言いつつ息子を夫から離すと、後方に佇む二人の人影に目をやって驚いた顔をする。
「まぁ…。お客様?」
「ああ、今回どうしてもという事でお連れした」
「……まさかその法衣…。大天司(だいてんし)……様?」
シュンメイのその言葉で、部屋の空気がピンと張りつめた。
大天司…って…。最高位の神官…?滅多に神殿から出ないという位の人間が、こんな辺鄙な極北の田舎に?
「夜分、申し訳ありません」
涼やかな美声がして、がっしりした男がハロルドに続いて部屋に入って来た。
立派な体躯、短い銀髪、そして空色の瞳。夜色のマントから除く衣服は、神官でも高位の者が着る白の法衣だ。そして圧倒的な“気”が彼から放たれているのが、武人であるアムイやキイにはよくわかった。
その彼の纏う気高いオーラに息を呑んだアムイたちは、誰一人彼から目を離すことはできなかった。
「私はクライス・グレイ=ヘイワード。大聖堂の神官をしています」
人当たりの良い優しい表情で、堂々と彼は名乗った。
「それから彼は私の下で修行しているリンチ-天司。この教会の責任者であるフォウ天司の甥だというので、今回私についてきてもらいました」
ぺこり、とクライスの後ろにいた細くて神経質そうな男が頭を下げる。
「ええっ!貴方がクライス大天司、いえ、今は聖典大天司(せいてんだいてんし)様……ですよね…あの…」
シュンメイが驚きの表情のままにクライスを見る。彼はハロルドと顔を見合わせると、ふわっと表情を崩し、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「そうです。初めましてシュンメイ。従兄弟のハロルドが大変世話になっています」
※栢ノ守 超。私的通信……更新
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