暁の明星 宵の流星 #198
「何という醜い有様を晒してしまったのか。同じ聖職を営む者として誠に申し訳なく思っております」
深々と皆の前で ──特にずっと下を向いたままのステラに向かって── 頭を下げる大天司に、皆は気まずそうに顔を見合わせた。ただ二人、背の高い美貌の男と女装した美男だけは苛立ちも隠せずにそっぽを向いていたが。
「大天司様、どうか面(おもて)を上げてください。謝るのは叔父である私です…!本当に恥ずかしい…。
あの子は昔から品行方正で正義感の強い優秀な子だったので……、きっと立派な聖職者として貢献するだろうと頼もしく思っていました…。もちろん、大聖堂に渡り、順調に中級聖職者に進んだこともあって安心しきっていました。
……なのに……。あの子の潔癖さと正義感があれほどの偏見に満ちていたとは……!……情けない、本当に情けない!」
温厚、と表するに相応しいこの教会の責任者でもあるフォウ天司は白髪交じりの頭髪を片手で掻き乱すと、嘆きながらテーブルに突っ伏した。
「いえ、完全な私の監督不行き届き…。本当は下の者からリンチー天司の激しいところは耳に入っていたのですが、まさかここまでとは思っていなかったのが私の甘い所でしょう…。様子見として黙していたのも不味かった。彼を助長させることとなってしまいましたから……。
ただ、これからの彼のことを考えると、リンチ-天司の確固たる証拠……というか、本心を知りたかったのは否めません。そのために……」
クライス大天司はちらりとステラの方を見る。彼女はまだ俯いたままだ。
「か弱き女性と少年を傷つけてしまった……」
クライスの苦渋に満ちた声に、ステラはハッとして顔を上げた。
「そうよぉ、大天司さま。アナタやっぱり考え甘いわよ。ツメも悪いし、のんびり構え過ぎ!
同類を大事にしたいのもわかるけどね、詰め込み教義の弊害じゃないのー?あれ。一体どういう聖職者教育をしてんでしょうかね、大聖堂さんも。
しかもあの馬鹿、アナタに叱られたっていうのに、何で怒られたのかわからないのよ?どうして自分が罰せられて、謹慎させられたのかすらも!
ああいうのはね、野放しにしない、理解できるまで底辺で奉仕させる。それ、どこの宗教でも鉄則─…」
「シータったら!」
キイ専用の毒舌が、何故か他の対象にも全開となっている事にぎょっとしたイェンランは、これ以上シータが暴走しないよう、彼の言葉を遮った。が、意外にもクライス大天司は気にすることもなく、いや、何故か上機嫌になって嬉々としてシータに向かって破顔した。
「本当です。私もまだまだ大天司を名乗るまでのレベルではありませんでしたね。でも、これも己の修行として、神から与えられた課題として喜んでさせていただくと致します。
……しかし、本当に貴方には助けられました。素晴らしい啖呵、惚れ惚れしました」
「は?」
「まぁ、さすがに自分もあの時止めなければと口を開いたのですがねー。私よりも素早く対応してくださって、本当に素晴らしい方だと、再確認しました。しかもあの毅然とした怒声、いやぁ、痺れました。貴方は美しいだけではなく、心根がまっすぐで力強い。まるで天界の闘神のようだ」
「そ、そんなお世辞なんかいらないわよっ!聖職者のクセに気持ち悪いわね!」
「お世辞なんてどうしてどうして。もちろん私は聖職者で神に仕える身ですよ?嘘はつけない性分で──。あ、そうかぁ、照れてらっしゃるんですね?何て可愛らしい方だ!ああ、本当、惚れてしまいそうです、レディ」
どこまで本気なのか、にこにことした顔でクライス大天司はシータに臆することもなく言い切った。
「アタシはレディじゃないって言ってるでしょーっ!そんな歯の浮くようなセリフ、爽やかに言い放ってんじゃないわよっ!ああああ、やめてぇ、痒くなるぅぅ」
と全身をバタつかせているシータを、まるで慈愛に満ちたよーに見つめるクライス大天司。
それを生温い目で見るフォウ天司以外の人間達。(フォウ天司はそれどころじゃない状態で全く気が付いていない)
──あのねぇ、シータ。皆にはレディとして扱えっていつも言っていたのは自分じゃない。何でここまで大天司様には否定すんのよ。
イェンランはどっと疲れが押し寄せてきて、大きなため息を零してしまった。
──大天司様も大天司様で、それ、女を口説いている台詞ですから。しかもどうしてさらりと下心もなさそうに言うんですか。
確かにクライス大天司の言っている内容はどこのジゴロ?と思うようであるが、彼が言うとまったくもっていかがわしい感じ、淫靡な臭いがまったくしないのだ。だからなお更彼の真意が測りかねない。何かの意図があるのか、純粋にそう感じているのか……。
(もしかして大天司様って天然?でもまぁ、あんなに嫌がるシータも久々というか…。ちょっと面白いかも)
などとシータが聞いたら絶対怒るであろう不謹慎な事を心の中で思いつつ、イェンランは先程、アムイに抱きかかえられるようにして連れていかれたステラの息子、セイオンの様子が気になった。
震える彼をステラの腕から取り上げ抱きかかえると、皆に頷いてその場を速やかに去って行ったアムイ。
それを黙って見送ったキイ。
「セイオンはアムイに任せよう。大丈夫、あいつなら…」
その後、不安がる母親のステラや、心配する皆に対してキイは憂いた顔でそう言った。
その心中は計り知れないとイェンランは思う。それは偶然にもアムイの記憶を通して知ってしまった二人の過去だった。でも、きっとそれだけではない複雑な思いを抱えているに決まっている。
二人はセイオンのように”忌み子”として蔑まれたことがあるのかもしれない。親を堕天者、大罪人と糾弾されたりもしたかもしれない。
それでもキイは言っていたじゃないか、
『この世に生まれて、意味のない人間なんていない』────────と。
それが事実なら、こうしてこの地に生まれてきたすべての人は、何のためにここで生きているのだろう。楽しみばかりではない、苦しみの方が……この世は多いのだ。天界のように幸せしかないと言われる世界と全く違うこの地を、どうして創造主(絶対神)は造ったのだろう。
その答えを目の前の男──キイは知っているのかもしれない。肝心なことになると口を閉ざしてしまうこの美しい男に、自分はいつか、すべてを曝け出してもらえるほど信頼を得られるのだろうか…?
(だめだよね。男に対する恐怖で自分自身すら相手に全てを見せることができないのに)
イェンランは微かに苦笑して、もう一度、今度は小さな吐息を漏らした。
+ + +
「…で、当のリンチ-天司は結局…」
シュンメイの夫ハロルドの言葉に、クライスはふうっと息を吐いた。
「今のところ初歩から経典をもう一度やり直させているところだが、帰国するまでに教会への体を使った奉仕もさせるつもりだ。その様子で戻ってから処遇を決める」
自分の従兄弟である男に対しては口調も変わるであろう、気安い様子でクライス大天司はそう言いながら肩を竦めて見せた。
「うわ、中級者にはそれきっついな。初心に戻って……か。素直に従えるかが鍵だな」
「いや、私からの命令だから行動はいたって従順……表面的にはね。大事なことは内面だ。彼がどれだけ、この修行に意味を見いだせるか、気づけるか、……それが悟れないようであれば、真の神の代理司(だいりし)と言えない。
────聖職者は清廉潔白であれど、その立場から傲慢になってはならないんだ……。もちろん聖職者とて人間だから間違いはあるが、重要なのはその後どれだけ自分を正せるかだろう?その基本中基本……謙虚な心で真摯な学びをどれだけ自然にできるか……。そしてちゃんと自覚しなければならない、己が生かされているんだという事を……」
最後の方は呟きにも似て、そのままクライスはやるせない風情で呆然と窓の外に視線を向けた。外はちらちらと雨が降り始めている。薄ら寒い、灰色の空が視界を埋め尽くす。彼の心はどんよりと沈んでいる──外の景色と同様に。
クライス・グレイ=ヘイワードは、どんな人間であれ、同じ聖職者として仲間を無下にはできない性分である。
確かにこの屈強で割と派手な見かけから、活動的で外向きな性格に見られるのはいつもの事で、それを無意識に人から期待されるのもいつもの事だった。だが、彼は本来は内向的で慎重で、滅多に怒らない穏やかな男である。元々ひっそりと経典を学び、医療の研究をする方が性に合っていた。
(人を導き教育するという事は難しい……)
なので本当は大聖堂の準最高官の地位である大天司(だいてんし)になど、まだ自分では無理だと神官最高位であるサーディオ最高大天司長からの打診を再三辞退したのだが……。
だが、役職に就いたのだから、そんな言い訳は許されない。どんなに心が痛くても、ここは心を鬼にして後輩を指導していかなくてはならないのだ。……特に、百年前に起きた宗教政争の要因のひとつでもある……オーン教徒の異常なまでの穢れや理想とするもの以外を頑なに拒絶する潔癖さを……それが間違った方向にいっているのを見逃すわけにはいかない。
────こんな時、自分の幼馴染の親友ならば、気持ちいいくらいの英断を下せるのに、とクライスは自嘲する。きびきびと物怖じせず、己の道を切り開いていく、そして清々しいほどの正義感を持つ、自分とは正反対の大切な友人。彼なら何の迷いもなく、人を導いていけるのに……。
クライスは幼い頃からの親友に思いを馳せつつ、ちらりと目の前で不機嫌にしている【宵の流星】という異名を持つ美貌の青年を垣間見る。親友も、そして巫女となった幼馴染も、そして自分も……彼とそっくりな美しい人から異名を頂いた。実物を伴った天女、女神の再来……そうまでも言われたあの御方の……忘れ形見。
クライスはふるりと、もうひとつの自分の使命を思い出して体を微かに震わせた。……しっかりしなくては。
「とにかく、ステラ殿には本当に嫌な思いをさせてしまった…。話は人事の方から報告は貰っている。現役時代の貴女ほど真摯で崇高な聖職者はいなかったと……彼らも嘆いていたほどだ」
「とんでもございません!天花(てんか)大天司様……。わたくしは聖職を剥奪された罪人です。貴方様に頭を下げられる所以はないのです」
「ステラ…!」
涙目でクライス大天司を見やるステラに、隣にいたシュンメイが苦渋の表情で彼女の腕を取った。
「ああ、シュンメイ。違うの。貴女に罪悪感を与えるような言い方をしてごめんなさい…。私は……その、後悔していないって……、こうなってしまっても、今は恨みはないと言いたかったの」
ふんわりと、彼女の笑みは昔と変わらずに慈悲にあふれている。シュンメイは益々眉を下げ、泣き出しそうな顔をした。
二人のやり取りに、その場がしん、と静まり返った。事情を知るものは何と言ったらいいかわからない、知らないものはわけがわからない、という戸惑いの空気の中、ふっと小さく溜息を零したステラが意を決したようにキイやイェンラン達に顔を向けた。
+ + +
『お願いです、王子!それだけは…、ああ、どうかお慈悲を……!』
何度も何度も相手に請うた。絶望の中、最後の砦を守ろうと、恐怖の中必死で説得した。
なのに現実は残酷だった。……聖職者とはいえ、女。神に仕える立場だと言っても、所詮異教徒。
目の前の悪魔は笑って彼女を穢したのだ。──複数で。
『なあ、オーンの女聖職者は生娘だというじゃないか。本当かどうか試してみよう』
+ + +
ステラはその時の恐怖が喉元までせり上がってくるのを感じたが、無理やり飲み込むと、重い口を開いたのだった。
十年前、その時、何が起こったのかを。
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栢ノ守 超。私的通信……更新しました♪
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