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2014年5月 8日 (木)

暁の明星 宵の流星 #199-①

今でもあの時の事を思い出すと恐怖で自分が壊れてしまいそうになる──。
女だというだけで、ああも人格も肉体も傷つけられ、全てを一瞬で粉々にされてしまうとは。

あの日をもって、聖職者ステラ=リードは破壊された。
男たちは本能のままに彼女を虐げ、弄んだ。それはあたかも清純なものに自分の跡をつけ、汚して遊ぶ子供のように。

だが、しかし、彼女の心までは壊れはしなかった。
聖職を失ったとしても、確かに心に深い傷は残ったかもしれないが、命は残った。しかも幸か不幸か、彼女は真の敬虔なオーン信徒であった。
彼女を救ったのは、このような地獄を見てもなお、揺るがなかった絶大なる神への信仰心と、新たな命、──それを心から支えてくれた人々のお蔭だ──。

+++

ステラ=リードは最高大天司長の末の妹であるリザベル姫に仕える騎士、ハロルド=ヘイワードと共に北の国モウラに出向いた天空代理司(聖職者)の一人である。ハロルドは天司ではないが、敬虔な神教徒であり、リザベルが北の国に輿入れするために必要なオーン教会の体制を整えるという目的もあって数名の聖職者に混じって北の国入りした。
元々異教徒にオーンの貴族の姫君が嫁ぐ、などというのはかつてなかった事で、この婚儀を整えるいくつかの取り決めの中に、リザベル姫の改宗を認めない、というのがあったためである。
宗教戦争後、宗教の自由が認められ、宗教間の垣根が低くなったこともあり、夫婦それぞれが違う信仰を持つ事も当たり前としてなっていた昨今、由緒正しいオーン神教徒の一族は当たり前のようにそれを求めてきた。
北の王家は北天星寺院が国教でもあって、王家は始祖からもちろんそれを信仰としてきたから、輿入れの相手が異教徒であるというのは前代未聞でもあったわけで、周囲も戸惑い、拒否感もあった。しかし、今の世の中の流れに逆らえない、と最終的には渋々認めたのである。
リザベルに恋をしていた当のミンガン王は、彼女のためなら何でもするという勢いで、北に嫁いで不憫な思いをしないようにと、オーン教を国教の次に厚遇することに決めていた。そのために彼女の近しいオーンの人間を呼び寄せ、より良い環境を整えようとしていたのだ。

ステラは当時、初級から中級に上がったばかりで、リザベルと年齢も近いという事もあり、彼女の生家からの要望でリザベル付きの聖職者となった。その時に彼女の護衛でもある騎士ハロルドと親しくなる。
そして自然にその流れでシュンメイとも知り合った。
あの堅物で、リザベル姫以外の女性に笑顔すら見せたことのない男が、異国の美しい女性を気にかけている姿を見て、ステラは微笑ましく思っていた。傍から見て二人が惹かれ合っているのもわかっていた。シュンメイも気持ちのよい娘で、彼女よりも年上のステラは、いつしか妹のように思うようになっていた。
だから、どうしても輿入れの準備で一時ハロルドが帰国しなければならなくなった時、ステラは快く彼の代わりに北の国に残ったのだ。シュンメイは王宮の第一王子に狙われていて、それを心配しているハロルドの代わりに彼女を守ると誓ったのだ。ハロルドは『感謝するが、決して無理するな。すぐに戻る』という言葉を残して後ろ髪を引かれる思いで帰国した。
だが、やはりというか、姑息な第一王子はハロルドの一時帰国という隙をついてきたのだ。
同じくシュンメイを守ろうと動いている第二王子マオハンは床に伏していたし、第三王子シャイエィの力は弱い。それでも彼女を守ろうという計画はうまくいっていたのだ。だが。

シュンメイの身を安全な場所に隠そうとする直前に事は起こってしまった。
彼女が目的地に向かうために宮殿の外に出た途端、多勢の男たちに襲われあっという間に拉致されてしまった。表向きは盗賊の仕業と思わせて、実は第一王子が雇ったゴロツキが金に目がくらんでやった事だった。それはあまりにも手際よすぎて、彼女につけられた護衛が間に合わなかったほどだ。
シュンメイは第一王子の隠れ家の一室に監禁された。
もちろん、ミャオロゥ第一王子は念願の女を手に入れたと、上機嫌で部屋に入った。だが、彼がそこで見たのは、目当ての女と似ても似つかない、痩せた地味な女だった。


念のために。
と、ステラは地毛である金茶の長い髪をきつく一つに纏め、上からすっぽりとシュンメイが異母兄から贈られたベールをかぶった。彼女の今の姿は、北の国の一般女性の出で立ちで、灰色の目を伏せれば、どこを見てもこの国の女に見れる。しかもシュンメイよりも華奢ではあるが、ステラは異国の女で、ある程度背丈はあった。この国の一般男性くらいの身長は。だからすんなりとシュンメイの代わりになろうと思ったのだ。
『私が彼らの目を引くから、貴女はその隙に目的の場所へ行って』
『だめよ、ステラ。そんな危険なこと、させられないわ!』
シュンメイはものすごく反対した。実はその前にも自分が囮になる…という計画を第二王子達の前で提案したのだが却下されていたのだった。理由はシュンメイと同じ。いくら護衛がついていても危険すぎる、と。特に第三王子シャイエィが一番に立って。
だけど、彼女は譲らなった。彼らに内緒でシュンメイと服を交換したのだ。彼女に聖職者の振りをしてと言い含めて。

自分は崇高なる聖職者だと、ステラは自負していたのだ。どのような相手であろうがそれを曲げられないし、屈伏するわけもいかない。中級となった自分はそれまで経典を司る教育司官(きょういくしかん)という聖職者教育・教典管理を担う機関に属していた。だから彼女は何かあった場合、神の道を説いて相手を導く覚悟をしていた。
だが、話の通じない相手もいるんだという事を、まだ年若かった彼女には計り知れず、特に神の庇護のもと、大聖堂という安穏とした箱庭で育った彼女は、ある意味世間の恐ろしさを知らなかったともいえる。
シュンメイ本人ではない、と知ったミャオロゥの怒りは半端でなく、彼の激昂にステラは恐怖に支配された。しかも、女一人に多勢の男。ざっと五-六人はいたであろう。
その異様な空気に、ステラの女としての防衛本能が沸き起こったが、もうすでに遅かった。
『お前が代わりになれ』
と、ミャオロゥはこともなげに言い放った。
彼には相手が聖職者であろうと、所詮異教徒であるために、何の躊躇もない。神の怒りなどどこ吹く風だ。
まさか、と。ステラはまさか神に仕える自分に、このような暴挙に出るとは思いもしていなかった。いや、そういう事例があるとは知っていたし、堕天した聖職者も目の当たりしていた。だが、これは彼女の傲慢さゆえか、自分はならないという変な根拠が常にあったのは否めない。自分は神に庇護されている。だから、大丈夫なのだ……という、驕り…が。

『なあ、オーンの女聖職者は生娘だというじゃないか。本当かどうか試してみよう』
そう嘲笑って、男達は彼女を欲望のはけ口にしたのだ。

そこには愛も何もない。ただ暴力だけがあった。

+++


────── 一度堕天してしまうと、二度と普通の世界に戻れなくなるのよ。 ──────

慰安のために訪れた町で、彼女はかつての仲間に会った。しかも場末の酒場で。
自分よりも年上の彼女は、数年前まで聖職者としてオーンの島にいた。
明るくて誰よりも奉仕熱心で、島民らからも慕われていた模範的な中級天司。神に近い位置にいる事を、あんなに誇りにしていたのに。
それがあっけなく崩れてしまったのは、奉仕の一環として行われていた一般人との相談日に、遠方から訪れた男のせいだった。男は彼女の優しさや同情心に付け込み、縋り、誘惑した。言葉通り、悪魔の誘(いざない)い、だ。
無垢だった乙女は知らないうちに心を絡め取られ、一線を越えてしまった。聖職者としての禁忌を犯してしまった。そして彼女はそのまま男の手管に翻弄され、肉欲の渦に捕えられて……堕落した。罪人、として聖域を追放されたのだ。
彼女のその後を知らなかったステラは、偶然の再開に愕然とした。
あれだけ神の御許で輝かしい日々を送っていた清らかだった彼女が、目の前で男を誘うような胸元の開いた服を纏い、真っ赤に爪を染め、派手な化粧、乱れた髪を気怠くかき上げている。信じられなかった。彼女の廃れた現状を。
結局彼女を陥れた男はあきたのか重かったのか、すぐに彼女を捨てた。堕天し、罪人となった彼女の行く末は惨めなものだった。彼女も男との快楽が忘れられず、しかも自分を堕天させボロボロに捨てた男への憎しみに支配されている。
『下界の男なんてみな悪魔よ。女を欲の対象としか見ていないの。まんまと食われるだけなんて割に合わないわ。私が男を食い物にしてやるのよ』と彼女は鼻で笑う。
そこには神を崇め、平穏で愛に溢れた昔の彼女の姿はない。植えつけられた快楽と全ての男達への憤りを、己を身売りするという事でぶつけているのだ。それは無意識にも自分自身に罰を与えているように見える。本人は気が付いていないようだが……。
『一度堕ちたら、底辺から這い上がるなんて、どれだけ厳しいものか。……ううん、違うわ。一度穢れたら上に行くのは出来ないのよ。……無意味よ、無意味!堕天した女に信仰心なんて無意味なの。神は正直だし冷たいわ…。それがわかったのよ、心底』
そう口元を歪める彼女の瞳は底のない沼のようにどんよりと濁り、暗闇に揺れていた。
その痛烈な表情に、ステラは恐怖を感じたものだった──。


+++

だから純潔を失う事は、ステラにとって恐怖以外のものではない。聖職者としての自分の死を意味する。 
下肢の激しい痛みと共に、堕天した彼女の言葉がぐるぐると回り続ける。

────一度堕天してしまうと、二度と……

それがたとえ、不可抗力だったとしても。
神の加護が無くなった時点で自分は敬愛する神に見捨てられたのだ。
…………救いはなかった。その時はそう思い込んでいた。
全てが終わったその時に、ステラは絶望の海に沈んでいた。いっそこのまま命を絶てば、神の慈悲が貰えるのではないか……という考えに支配されながら。

だが、それすらも天は許さなかった。生きる、という事を彼女に突き付けた。

それは茫然自失していた彼女を救い出してくれた友人達や…自分を泣きながら抱きしめてくれたあの人が…底なし沼から自分を引きずり出し、今生に留まるように心を尽くしてくれたからだ。
それでもまだ神への罪悪を感じていた自分に、気を取り直させる事態が起こる。
自分の中に小さな命が芽生えていた。その事を知ったあの人が黙って手を握り締めてくれたあの時に、ステラは生きようと思ったのだ。
彼女の絶望は、底辺ではなかった。凌辱の果ての結果だったとしても、子供は神の贈り物である。不思議なことに、ステラはそれが神からの啓示のように思えたのだ。この命は神の意志。この命を授かったという事は、自決を神から拒否されたと解釈した。

授かれし尊きものを守り、産み育てよ────それがお前の贖罪でもあり一条の光であるのだ────

我が子を苦しみぬいて難産で迎えた時、ステラはその言葉を聞いた気がした。
それは出産を終えて朦朧としていた時に目に映った、あの人の微笑みがそう思わせたのかもしれない。

ステラは思う。確かにあの時自分は地獄に突き落とされた。だけど、周囲の愛で心だけは死なずに済んだ。どれだけ体は穢れていようが、信仰を忘れなかった自分は幸せだったと思う。

────そう言ったら怒られたけど、あの人に。

《貴女は穢れていません。その純粋な心と同様に──。傷つけられたとしても、何ら変わりはない────。》

+++


ステラは締め付けられる胸を押さえ俯いた。全てを話し終えたその時に、彼女の頬を伝って一粒の雫が床に落ちた。
シュンメイは目元を真っ赤にして泣いている。それを隣にいた夫のハロルドが鎮痛の思いで彼女の肩を抱いていた。キイは目を瞑り、天を仰いだ。クライスは憂いた顔でそっと目を伏せた。イェンランは壮絶な話に己を重ね、憤怒の胸中にいた。

……許せない…。イェンランは唇を噛んだ。
わかっている。自分もキイやアムイ、リシュオン達のお蔭で、そういう男ばかりではないという事を知っている。だからここ最近は彼ら限定で接近しても、拒否反応は出ないくらいには立ち直っている。それでも、ステラの話を聞いて、イェンランは多勢の男に襲われた事をまざまざと思い出してしまい、吐き気を覚えた。欲望でぎらぎらとした目。荒い息遣い。気持ち悪い手と舌の感触────。

震えそうになる指を、いつの間にか隣に来ていたシータの手にそっと包まれてはっとしたイェンランは、反射的に彼の顔を振り仰いだ。そこには心配そうに見下ろす茶色の瞳がある。
ふっとイェンランは力を抜いた。指先から伝わるシータの優しさに、徐々に心が落ち着いていく。
彼はいつもそうだ。
華やかで派手な出で立ちと、ちょっと上から目線な女言葉で、人当たりがきつそうな印象を与えるが…事実本当に怖い所のある人だけど(だってあの華奢で柔に見える姿で複数の男らをあっさりと蹴散らすくらい強いし)、でもその内情は本当に優しい人だと思うのだ。特に弱い者に対する庇護欲は半端ないとイェンランは感じたことがある。母性……に近い父性というのか、文字通り強きを挫き弱きを助ける、それをさりげなくやってのける。
彼の持つ中性的な透明感と気さくな人柄にどれだけ助けられてきたことだろう。
その彼が、たまに見せる意外な一面──。彼もキイと同じく捉えどころのない男(ひと)だ。

「……真の信仰心をお持ちの貴女を、誰が責められようか……。悲しくも不幸な出来事に見舞われたにも拘らず、貴女の心に灯る愛の火は消える事はなかった…。聖職を負われたとしても、それでも神の御心にそって日常を懸命に生きている貴女を私は尊敬します」
そうクライス大天司はステラに向かってはっきり言うと、深々とお辞儀した。慌てたのは当の本人である。
「大天司様!おやめください、こんな私に頭をさげるなどと!」
「こんな…とは?貴女は人としても女性としても素晴らしい人ですよ。きっと神もそう思っておられる。恥じることなど何もない……お辛かったでしょうが、その分心に深みが増した。お会いしてなおさら確信しました。だから大丈夫、正々堂々と前を向いて生きなさい」
「天花(てんか)大天司様……」
ステラはその言葉に思わず両手で顔を覆った。信じられなかった。まさか上級大天司にこのような言葉をかけてもらえるなんて。

嗚咽を堪えるステラを見下ろすクライス大天司はまるで聖堂に飾られた聖人そのものであった。
崇高で、この慈悲深い表情……話しには聞いていた、これが真の聖職者の姿なのだろうと、イェンランは思った。


* * *

申し訳ありません。今回長くなりまして、このままだとなかなか更新できないと踏んで、前半だけ先に投稿させていただきました(汗)近いうちに②を更新します。予定では、その後の#200(おお!)でこの章を終わらせるつもりです。いつも間隔を空けすぎてすみません。詳細は活動報告にて!

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