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2014年11月

2014年11月24日 (月)

暁の明星 宵の流星 #204


気がつけば、秋口だったあの頃からひとつ季節を越え、寒さの凍みいる冬を迎えていた。
初めは意気込んで想い人の影をひたすらに追った。必ず彼の傍に行くんだという熱意の元で。
だが、しばらくしてそれが無謀な事だったという考えが自分を苛め始めた。

ルランは自嘲する。
自分は幼い頃からずっと、ゼムカの、一族の守護の下に生きてきた人間ではないか。ゼムカは身内の人間にはとても甘い。特に強さを持たない庇護を要する自分のような男には。
その庇護の下を飛び出し、世間の荒波に飛び込むなんて無謀であると、あんなに幼馴染のシモンが言っていたのに。

それでもルランは自分の行動に後悔など微塵も感じてはいない。ただ、世間知らずで経験不足の自分に呆れ、苛立つばかりだった。


思えばルランの父親は前々王ジリオンの命知らずの特攻隊長とも言われたほどの猛者だった。過激で獰猛、繊細なルランとは全く似ていない厳つい風貌。
そんな父に似ていれば、ルランは小姓などしていなかっただろう。ザイゼムの隣で彼を全力で護っていたはず。……あの美しくも強い宵の君みたいにザイゼムと並び、共に戦い、共に生きれる唯一にだってなれたかもしれないのだ。だが、見た目も力も弱い自分にはそれは無理だった。

ルランは完全に母親似であった。それは小姓になる前、11歳の頃、生き別れた双子の姉に母の絵姿を見せられてわかった。
姉も自分と同じ顔をしていて、その造形は絵の中の母親にそっくりで、ただ姉は父親と同じ黒い瞳だったが、自分は母親の真っ青な瞳を受け継いでいた。母の髪は柔らかな薄い茶色の巻き毛で、若かりし頃に描かれたと思われるその絵では、少し幼さの残る容貌で微笑んでいた。

姉のディディは女の子なのにまるで自分と同じ男の格好で現れた。母親が亡くなったので、父親である男に会いに来たと、群がる屈強な男達に臆することなくはっきりとした声で告げた。
同じ姿なのに、性別が違うのに、姉はルランとは違い意志の強そうな力のある眼差しを持っていた。……後にルランの父が、姉のディディが男であったら…と嘆く姿を見るに、女だてらに逞しく世間を歩いて来ていたようだ。姉の束の間の滞在の時にも、自分が男であったら弟や父と離れなくても良かった、ゼムカの人間になりたかったと繰り返し言っていた。
今は女狩人として生計を立てている姉の様子を風の便りで聞くたびに、自分と性別を入れ替えた方がよかったのではないかという思いが湧いてくる。だが、それだとゼムカに拒絶され、心酔するザイゼムの傍にだって近寄れなかった。
しかも姉の、『女という性がこの世界では生きにくい』という嘆きも聞いて、つくづく自分は男でよかったと思う。

だけど、こうして自分だけの身で世間に飛び出して、現実の厳しさを味わうと、もう少し父や姉のような逞しさが己にあったら、などという焦燥に駆られてしまう。もちろん、そんな自分が嫌だった。


それからしばらくしてルランは南の国の王女一行を見つけた。意外と彼女達は姿を隠す事もなく、堂々と滞在していたので、宵の君やザイゼムを捜すよりも簡単に辿り着けた。
これ幸い、とルランはつかず離れず彼女らの後を追った。何故なら彼女らの目的もまた、人物は違えど同じだったからだ。
そうすればきっと彼女らは目当ての人間の元へ行く。そうすればその近くにいる宵の君を見つけられる。……そうなれば、同じく宵を追ってくるザイゼムと会える、筈、だった。

ところがそんなに甘くないとルランが悟ったのは、そのリンガ王女一行が【姫胡蝶】という東の荒波州提督の愛人を追って行ったのを、自分も馬で懸命に追いかけていた時の事。
突然、ルランは馬を一人の男に止められた。しかも、彼はルランを殺そうとする勢いで馬から引きずりおろし、首に刃を充てた。

「お前は何者だ。何故あの方々を追いかける」

小柄で若い男はどうやら南の大帝の隠密だったようだ。確かに高貴な人間には見えない護衛はつきものだが、ルランはその事を全く失念していた。きっと拙い彼の尾行なんて全てお見通しであったろう。だが、これでもルランはひ弱な部類とはいえ狩猟民族を祖とする戦士の一族の人間である。攻撃は駄目でも防御は身内から嫌というほど叩き込まれていた。無我夢中で相手の刃先を逃れ、必死に闇の森の中を走った。
だが、さすが敵は隠密。あっという間にルランは追い付かれ、崖の近くでもみ合いとなった。隠密の手を振り祓ったその結果、ルランは足を滑らせ崖から転落してしまった。
もちろん、隠密も使命を抱えていて暇じゃない。落ちたルランを一瞥すると執拗には追わず、そのまま放って去って行った。
暗闇でわからなかったが、幸いにも落ちた場所は鬱蒼と柔らかい苔が生えていた。お蔭でルランは軽い打撲で済んだが、夜が明けるまでその場から動けなかった。獰猛な獣のいる森でなくてよかったとルランはしみじみ思ったが、結局彼は王女一行を見失ってしまった。
不思議と彼女らは何処へ行ったのか、何の情報もないままルランはその後数週間も彷徨う事となる。

そして今。

彼は偶然立ち寄った小さな村で出会った二人の男と共にいる。

初めは全身緑色の布で覆われた、見るからに感染患者とおぼしき男とそれを支える若い男に、正直関わりたくないと思った。だが、村人達から恐れられ、疎まれ、暴言を吐かれている姿に、元々心根の優しいルランは放っておけなくなったのだ。つい、彼らに持っていた食料を分けようと声をかけようとした時、感染患者の男から漏れた言葉に耳を疑った。
『宵の君』──と。

────それから互いの事情を話して、双方とも驚愕したのは他でもない。
何故だか、ほとんど正気を失っている緑色の男…南軍のミカエル少将を支える彼の直属の部下だという青年ラファの誠実で真摯な態度に接していると、他国の人間に警戒しがちな自分が素直になっていくのにルランは驚く。
そんな魅力のある青年…ラファから【宵の流星】に関する話と、どうしてこうなってしまったかの事情を聞いて、ルランも隠さず自分がゼムカの人間で、宵の君を追うある人物を捜しているという事を説明した。
互いに感情の種類に違いはあれど、慕っている相手を大切に思う気持ちは一緒で、それが二人の共感を生んだ。
しかもこの穢れ人(けがれびと)であるミカエルという人物は、このような状態となっていても優れた気術士であり、【暁の明星】の“気”を僅かでも感じる事ができるらしい。しかもその執念は、彼の五感をも研ぎ澄まし、相手が“気”を封印していたとしても、感情開放や出血などで微量に漏れる“気”を察知できるようになったらしい。
まるで発作のようにその暁の微量の“気”に反応し、彼は取り乱す。そして無意識のうちにそれを求めて徘徊するのだ。
ミカエルが本当に求めているのは、その近くに存在する【宵の流星】の神気であるという事実に、ルランはとても驚いた。そして、その事を知っているのか、知っていたとしてザイゼムの胸中を思うと居たたまれない思いが駆け巡った。

神の力を持つ、セド神王の血を引く者。

その重い存在にルランは眩暈がした。まさかあの宵の君が……。

最初から敵わぬ相手であったのだ。一介の小姓と神王の王子と。

それでも、とルランは思う。見届けなければ、そして自分の想いを全うしなくては……。それがどのような結果になろうとも、自分はもう、元の場所には戻る事はないだろう。
それほどルランにはザイゼムしかいないのだ。
他の誰かでは駄目なのだ。
肉体的に結ばれた夜、ルランは嫌というほど思い知らされてしまった。
思い出になんてできるはずもない。今でも彼の人の体温を思い出しては焦がれ、求めている自分がここにいるのだから。

結局、ルランはミカエルの“鼻”に賭ける事にした。
暁の傍に必ず宵の君はいる。……宵の君に辿り着けば必ずザイゼムに会える。
そう確信して。

ルランは海の方角を気にするミカエルを眺めながら、大きく息を吐いた。


* * *

「で、どういう事よ!見失うなんて!」
「王女、声が大きいですぞ?少し落ち着き……」
「これが落ち着けって?お兄様の隠密は優秀じゃなかったの?何でいきなり足跡が途絶えるのよ。おかしいわよ」
「仕方ないですよ……突然第一王子が王都を占拠したと思ったら、私設軍の反撃とかで大きな戦闘になってしまって……王都が滅茶苦茶です。幸いなことに大帝が国にお戻りになった後で本当によかったですが…ま、その余波で周辺の村が巻き添え食って大変な事になりましたが」

南の国大将ドワーニはそう言って肩を竦めた。その横では頭を抱えている王女付きのモンゴネウラがいる。そして彼らの目の前には真っ赤な髪と同じく怒りで頬を紅潮させて仁王立ちしている南の王女、リー・リンガがいた。

彼ら3人は中央王都から急いで隠密のいる村に無事辿り着き、彼らから暁達のいる場所を確認し、その目当ての村へと急いだ筈、なのだ。ところが辿り着いた村にはもうすでに彼らの姿はなく、別の所へ移動したと報告を受けた。
その時点ですでに王都は混乱の渦にあり、地方ながらも中央軍の介入が始まったせいでリンガ達もその場を動けなくなってしまったのだ。それに加えて優秀な筈の隠密が暁達一行を途中で見失うという失態を犯した。
何分、ぷっつりとある村で彼らの消息が絶ってしまった。その村は公表こそされてはいなかったが、北の王家に関係する土地だったようだ。簡単に探るのが難しいほど、謎の多い村でもあった。
そしてやっと中央軍の縛りが解放されて、ようやくその場から動けるようになった彼女らは、消息を絶ってしまった暁一行を思って憔悴した。
特にリンガは始終機嫌が悪く、ちょっとしたことで癇癪を起す。慣れているモンゴネウラでさえも、すでにお手上げ状態である。

「とにかく王女、今隠密も色々と当たっています。だから我々もようやく中央軍の戒厳令が解けて動けるようになったのですから、冷静に対処していかないとなりません。すぐにでも動けるように、準備だけはいたしましょう」
モンゴネウラは痛むこめかみを手で押さえながら溜息交じりにそう言った。
「そうです!苛立つのはわかりますが、ここが正念場です。諦めて帰るわけにはいかんでしょう?」
ドワーニも眉間に皺を寄せながら大げさに両手を広げた。
「……う、うう。わかってるわよっ。……諦めるわけないじゃない」

リンガも顔をしかめて拳を震わせる。
まだまだ前途多難な予感がするのを、そうして彼女はその拳で思いっきり握りつぶした。

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2014年11月 5日 (水)

暁の明星 宵の流星 #203

※再開です※


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「それでは私も正直に言おう、宵の君」

今までの穏和な表情が消え去ったクライス天花大天司(てんかだいてんし)に皆は固唾を呑んで彼の次の言葉を待った。一体、彼は何を言うつもりだろう?いつになく、緊張した空気が張りつめる。

「君の期待を裏切って悪いと思うが、私は誰の指図もなく北の国に入ったんだ。本当は古い友人を尋ねて東の国へ行く予定だったんだが……君が北の国にいるという情報をある筋からいただいてね。その事を確認するために聖職者特権を使ってごたごたの渦中だった北の王都に潜入したんだよ。……もちろん、宗教間での連絡網を使って、この件に深く関わっているという昂極大法師(こうきょくだいほうし)と接触を図るつもりでね」
「では最初から……お前は宵の君目当てで…?昂極様に偶然頼まれたから…ではなく」
従兄弟のハロルドが呆然とした表情でクライスを見る。偶然にしては出来過ぎていた昂極大法師と天花大天司(てんかだいてんし)のつながり。確かに変だと思っていた。

ハロルドが無事昂極大法師と接触できたのは、実はこの従兄弟であるクライスのお蔭だった。
昂からの依頼を受けた妻シュンメイの願いで混沌とする中央王都に密かに出向き、情報収集しながらも、占拠された城内では昂極大法師本人を見つけるのは無理だと覚悟していたハロルドは、集めた情報を持って兵士を避けながら王都から出ようと、都の境目にある異教徒を保護する多宗教地区に足を踏み入れた。そこで偶然、表向きは信者の安否確保を名目として、同伴者とこっそり北の国に潜り込んでいた従兄弟とかち合ったのだ。しかも驚くことに、その時彼らと一緒に捜していた昂極大法師がいた。その時は偶然だという二人の話に納得したが、実はそうではなかったらしい。
クライスが昂極大法師からの手紙を手渡すという名目でハロルドについて教会に訪れたのは、聖職者としての聖務でも大法師の依頼でもなく、真に【宵の流星】個人に会うためだったのか。

それは暗にセド王家と大聖堂の確執を裏付けているといっていい。
何せ、当時セドを攻め入った総大将……今は大聖堂の頂点であるサーディオ最高大天司長(さいこうだいてんしちょう)と共に聖戦士としてその場にいた大勢の中の一人……が、このクライスでもある。
セドが壊滅した時、何かしらその場にいた彼らは見たはずだ、聞いたはずだ。当時の状況を見知っているのに今も頑なに沈黙を守っている、その謎めいた集団のうちの一人がこの大天司だったことを教会の者は今更ながらに思い出した。

──そう、当時を知る稀有な生き証人なのだ、彼は……。


ハロルド達がそう思いを巡らせていると、軽く嘆息したクライスが話を再開し、皆は慌てて彼の言葉に意識を向けた。
「そう、私個人の見解でだ。“あの方”は一切関知していないければ関与もしていない。
ついでに説明するが、北に行くと決まった時にモウラ(北の国)出身だというリンチ-天司が案内役を買ってくれただけで、彼も私の思惑など知らなかったはずだ」
「ふぅん。──で、それを信じろと?……まぁ、いっか。ならばいったいどういった思惑で俺らの様子を窺いに来た」
じろりと険しい眼差しを向けてくるキイに、クライスは何の感情もこもらぬ瞳で視線を返し、質問に答える代りに淡々としてこう言った。
「……宵の君、あの方はずっと……あの日から沈黙を守ったままなのだ…」

しん、とその場が凍ったように静まり返った。クライスの零した人物に心当たりがある者は、その含みのある言い方に皆複雑な顔色をしている。
唯一表情を変えないキイに気遣う眼差しを向けたのはアムイだけだった。

あの方……。

キイの実の叔父であるサーディオ大天司長に対するキイの怒りはずっと共にいたアムイには痛いほど伝わっていた。ただ、それが、父親であるアマトとは違った意味での反抗心のように感じて、アムイはいつも心が軋む。
母親の実弟で聖職者である彼に、キイは今、どんな思いを抱えているのだろう。多分、神の名により己を消そうとした男への、消せない身内へのジレンマ──。
しかもその彼は何もなかったかのように今日この日までずっと沈黙を守り、キイに対しても光輪の力に対しても無関心を装っているといってもいいくらいなのだ。
あまりにも自分に対して何もない、無関心なその様子に、アムイはキイが半分落胆したように感じた。
確かに表面では苛立ちを隠してはいない。それは父であるアマトに対しても同様ではあるが、いかんせん、もうすでに父はこの世にはいない。それに母親の実家も知らないアムイには、わかっている他の血縁が誰もいないが、キイは違う。彼には怒りを直接ぶつけられる身内が存在している。……そう、キイにとって母の弟である彼だけなのだ。……そして他にもキイが己の生まれを明かせば母方の親族だっている。──西に嫁いだ北の国の姫君、アイリンだってキイの血縁だ。
ただ、今の段階ではキイが姫巫女の産んだ子だという事は世間に伏せておかなければならない。だからこそその存在を知っていて無視を続けているサーディオ大天司にキイが捨て置かれていると感じてアムイはたまらなくなる。
キイだって内情は複雑だろう。無視したくても出来ない存在、それがまったく何の干渉もしてこないというのは……。

事実、キイはそんな叔父の態度に戸惑いも感じていた。さっぱり彼の思惑が測れない。オーン神教の最高位としても、実の叔父としても……。

「大天司長が何も指示していないというのなら、こっちは自由にやっていいと汲んでいいわけだ。──俺の力も…本当の素性も」
キイの言葉にクライスはピクリと頬をひきつらせた。
「この場にいる人間は信用できるんだろ?何しろ敬虔なオーン信徒様ばかりだ。ここで聞いたことは神に誓って口外しないだろうよ」
挑発するようなキイの物言いに、アムイは微かに眉を顰めた。


* * *


「やっと雨が上がったな……」
ひんやりとした湿った冷たい海風に、ゼムカ族の前王ザイゼムは小さくぶるっと震えると、フードを耳元まで被りなおした。
先程、異母弟であるメガンを村境まで見送ってきて、すぐさま港町へと移動した。自分の勘を信じるならば、目当ての相手は海の方へと向かう筈だ。
突如として激変した北の国の状況に戸惑いはしても、かえって規制が緩んだこの混沌とした隙をあの男が…いや、”彼ら”が見逃すはずなどないという考えに支配されていた。
キイが意識を失う前に過ごした穏やかな日々で、ザイゼムは彼の性質をだいたい理解したつもりであったし、思いのほか自分と似たような考え方や行動パターンをする、という事に気づいていた。
だからこそ、これはザイゼムにとって賭けでもあったのだが、大陸ではなく海に出る、という懸念をどうしても捨てきれないでいたのだ。もちろん、その裏をかかれるという思いもちらと脳裏によぎりはしたが、己の野生の勘に従う方が、今までの経験上正しい方が多い。


今、ザイゼムは見渡しのいい高台に建つ飲食店の剥き出したテラスで、眼下に踊る港のごった返している様を冷ややかな眼差しで眺めていた。彼は中央王都の混乱で金持ちやら貴族たちがこぞって外国へと一時避難するために込み合う波止場に見知った顔がないかと凝視する。
「ザイゼム様、今のところそれらしいような団体や人物は乗船名簿にはありませんでした。 特に東回り行きを中心に調べましたが、東の国は治安が悪く、確かに乗客は少なかったのですが、全て身元のはっきりした貴族だけでした。今、西回りの船を当たっています。もうしばらくお待ちくだされば……」
ザイゼムについて来てくれていた護衛であり、従者のひとりが背後から忍び寄り、小声で彼にそう囁いた。
「そうか」
ザイゼムは眉間を親指と人差し指できつく揉みこむと、ふーっと息を吐いた。
「……正攻法ではやって来るわけがないとわかっていても、まぁ、念のためだ。すまないが、しばらくは乗客の照査を極秘に続けてくれ。……それから、ついでに他に停泊している船の中で、怪しいものがないかも調べてくれるといい。私はこれから乗員の方を探ろうと思う。……頼むな 」
「はい、お任せください」
従者は深く頷くと、速やかに音もなく立ち去った。
ザイゼムはしばらく眼下にうごめく群衆を見下ろしていたが、軽く息を吐くと店内へと続く大きなガラス戸に向かおうとして、何か小さな気配を感じて彼は目線を足元に下げた。

ミャー……

そこにはどこからやって来たのか、彼の足元にすり寄る黒い子猫の姿があった。真黒な艶やかな毛並みと、首に巻かれた赤いリボンが野良ではないという事を主張しているその猫と目が合ったとき、ザイゼムは胸の奥にツキン、と刺さるような痛みを覚えた。
「……お前…どこの猫(こ)だ?」
気付いたらザイゼムはそう囁いて小さな黒い体を引き寄せ、胸に抱いていた。子猫はよほど人馴れしているのか、屈強とした彼の腕の中で大人しくも喉を鳴らしながらくりっとした目を彼に向けている。

子猫の目は覚めるような青色だった。通常、この地方での黒猫だと琥珀色の目色が主なので、かなり珍しい取り合わせともいえた。
だからなのか、その姿にザイゼムは一人の少年の面影を見たのだ。

「黒い毛並みに真っ青な瞳……か。お前はまるで私の癒し子とよく似ている。……従順で優しく、真摯で愛らしい……」

≪──もし、ルランが兄上の前に現れたのなら、どうか私に教えて下さい。そして伝えて欲しいのです、彼に。──私はまだ諦めていない……と──≫

キイを執拗に追い求めているザイゼムの心に付いた一滴の滲み。……それが気づかないうちに意外と広がっているのに、まだ彼は気づいていない。ざわざわとする思いを振り祓うようにして、彼はそっと子猫を下ろすと鳴き声を無視して店内に入った。
ふわっとした暖かな空気が彼にまとわり付く。中は結構暖房が利いているようだ。
カウンターに着くと彼は店員に一杯の酒を頼む。こんな気分の時は飲まないとやっていられない。
焼けつくようなのど越しを堪能しながら、ザイゼムは思わず呟いていた。
「馬鹿な奴だ。……一体、お前は何処にいる?」

まさかあのルランが自分を追ってゼムカを出奔するとは全く思ってもいなかった。
男だけの国であるから、確かに力の差によって各々役割が振り分けられている。非力であっても疎まれず、力の強いものを支えるという役割によって庇護を受ける……そういう関係は、一民族として、また女を持たない国として、結びつきを強くするのに必要な事だ。
結局、ゼムカにとって女というのは所詮よそ者である。
一族の男は、どんな男でも身内であれば疎んじたり捨て置くことはしない。本人の意思で国を離れる以外は、ゼムカはゼムカの男を守る義務がある。
……特にルランのような、庇護欲を掻き立てるような存在は顕著に。
だからザイゼムは弟のメガンに彼を託したのだ。弟ならきっとルランを守り、幸せにしてくれると信じて。

だが。

無意識のうちに笑い声が喉元をくすぐっていたようだ。一度ごほっと咳をすると、ザイゼムはもう一口酒を喉に押し込む。

あれもゼムカの男だったか。
豪胆で野性的な、荒くれた魂の狩猟民族の先祖を持つ我らが国の。

少し誇らしい気持が湧いたザイゼムだったが、いくらなんでも、やはりあのように見目の良い、そして非力に見える少年が一人、この治安が不安定な北の国でどうしているか、不安にならないわけがない。

「お前は俺に辿り着くか?……それとも……」

ザイゼムはじわじわと広がる嫌な感情を持て余し、彼の従者が戻ってくるまで半ば途方に暮れていた。


* * *


そこは半壊とも等しい様のあばら家だった。
人里から離れて、少し森林を入った所にあるその場所は、人が近寄るような雰囲気がまるでない。これが闇夜であれば、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住んでいると思われても仕方のないくらいだ。
そんな場所に、全身を黒のマントに深いフードを被った人影が現れた。
決して大きくもない、かと言ってそんなに小柄でもない、ただ、すらりとした印象のある姿のその人影は、軽々と瓦礫を渡り歩いて家の中に吸い込まれるようにして入っていく。
そのあばら家の中、奥まった一室に入った人影は、その部屋にいる人間に懐から出した包みを差し出した。
「こんなものしかなかったけど、大丈夫か?」
フードを目深に被った奥から少年の声がした。
「…あ、ああ。本当にありがとう。これで当分はこの場でしのげる……」
黒いフードの人物から手渡された荷物をほどきながら、礼を言う人物は中肉中背の若い男だ。全身ボロボロで煤けて汚れきった姿でまるで浮浪者のような風体だが、よく見ると鍛えたような屈強な体躯をしていて、どこかの兵隊か戦士であると思わせた。
その彼の目の先にはおんぼろの寝台があって、そこにかき集めたような衣類や布団が積まれ、そこに緑色の布を全身ぐるぐる巻きにされ、その上に清潔そうな長めのシャツを着せられた人間が横たわっていた。その人間は髪や目元、口元、だけ晒してはいるが、ほとんど見えうる皮膚に緑色の布が巻かれ、物々しい雰囲気に包まれていた。眠っているのかと思えば、口元からぶつぶつと、息切れと共に何かを呟く声が漏れていて、まるで呪詛のようだとフードの少年は気味悪く思った。だが、目の前の青年はそんな重々しい空気には不似合いの明るい表情で、彼の持って来たわずかばかりの食料と薬に目を輝かせている。

青年はラファと名乗った。
出会ってまだ一週間ではあるが、少年が彼らの世話を手伝い、己の目的を話したら、彼もまた自分達の事情を話してくれた。……一時、目的を見失ってしまった少年にとって、この出会いはある意味幸運な事であった。だから、その目的を果たすために少年はこの二人と行動を共にしようと思ったのだ。ある意味、身体に障る危険がないともいえないこの状態で、少年は一縷の望みを彼らに賭けた。
「……どうですか、彼の具合は…。大丈夫そうでしたら、僕が馬を用意しますよ」
「ありがとう。君が何とか手に入れてくれた薬で様子を見たら……お願いする」
「ええ」
少年はちらりと寝台の上の人間を見る。痩せ衰えたような印象があるが、元の骨格はかなりがっしりした感じの中年くらいの男であろう。……まだ口をもごもごとさせ、何かを呟いているのに背筋に冷たいものが走った。
執念……。
ふと、その言葉が浮かんだ少年の耳に、その男のはっきりとした声が部屋に響いた。
「宵の君!」
突然何がきっかけで興奮状態になったのかわからないが、寝台の男は両手を天井に伸ばし、大声で喚き始めた。
「宵の君!宵の君!お助けください!宵の流星!!」
「少将っ」
ラファは咄嗟に緑色の布を頭から被ると、手袋をしたままの手で寝台の男を宥めるように押さえつけた。
「あああ…宵の君……どこにおられる、私を……私を救いたまえ……ああ…あ」
「大丈夫です、少将……ミカエル様!絶対宵の君を見つけて、神のお力でミカエル様を治してもらいましょう…」
ラファの目にうっすらと光るものがある。その二人の姿を見ていられなくて、少年は息を詰めたまま部屋から出た。うっすらと暮れゆく森林に、そろそろ火を焚く時間だと思い、彼は足元に散らばる木枝や廃材を拾い始めた。
しばらくすると、中の騒動が収まったのか、溜息を吐きながらラファが部屋から出て少年の近くに寄った。
「すまない……。きっと、何かしらの気配を感じて興奮したんだと思う……その……」
「……宵の君に関係する“誰か”の気配ですか?」
ラファはフード越しに除く、少年の白い顔に少々見惚れながら頷いた。何て綺麗な青なんだろう……。自国の人間にも同じような色の瞳はたくさんいるが、きっと彼だから尚更美しく煌めいているのだろうな、とラファは心の中で独り言ちる。
「……そうですか。ならばやはり近い所に宵の君が……」
少年の硬い表情よりも笑ったところが見たいと思ってしまう自分を罵りながら、ラファは力強く頷いた。
「ああ。ミカエル様はこれでも優秀な気術士だ。だから絶対に一度知った“気”を間違えない。…その“誰か”の傍に必ず宵の君はおられる。私達は宵様のお力を借りたいだけだ。……その後は君の好きにすればいい、────ルラン」


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