自作小説

2014年11月24日 (月)

暁の明星 宵の流星 #204


気がつけば、秋口だったあの頃からひとつ季節を越え、寒さの凍みいる冬を迎えていた。
初めは意気込んで想い人の影をひたすらに追った。必ず彼の傍に行くんだという熱意の元で。
だが、しばらくしてそれが無謀な事だったという考えが自分を苛め始めた。

ルランは自嘲する。
自分は幼い頃からずっと、ゼムカの、一族の守護の下に生きてきた人間ではないか。ゼムカは身内の人間にはとても甘い。特に強さを持たない庇護を要する自分のような男には。
その庇護の下を飛び出し、世間の荒波に飛び込むなんて無謀であると、あんなに幼馴染のシモンが言っていたのに。

それでもルランは自分の行動に後悔など微塵も感じてはいない。ただ、世間知らずで経験不足の自分に呆れ、苛立つばかりだった。


思えばルランの父親は前々王ジリオンの命知らずの特攻隊長とも言われたほどの猛者だった。過激で獰猛、繊細なルランとは全く似ていない厳つい風貌。
そんな父に似ていれば、ルランは小姓などしていなかっただろう。ザイゼムの隣で彼を全力で護っていたはず。……あの美しくも強い宵の君みたいにザイゼムと並び、共に戦い、共に生きれる唯一にだってなれたかもしれないのだ。だが、見た目も力も弱い自分にはそれは無理だった。

ルランは完全に母親似であった。それは小姓になる前、11歳の頃、生き別れた双子の姉に母の絵姿を見せられてわかった。
姉も自分と同じ顔をしていて、その造形は絵の中の母親にそっくりで、ただ姉は父親と同じ黒い瞳だったが、自分は母親の真っ青な瞳を受け継いでいた。母の髪は柔らかな薄い茶色の巻き毛で、若かりし頃に描かれたと思われるその絵では、少し幼さの残る容貌で微笑んでいた。

姉のディディは女の子なのにまるで自分と同じ男の格好で現れた。母親が亡くなったので、父親である男に会いに来たと、群がる屈強な男達に臆することなくはっきりとした声で告げた。
同じ姿なのに、性別が違うのに、姉はルランとは違い意志の強そうな力のある眼差しを持っていた。……後にルランの父が、姉のディディが男であったら…と嘆く姿を見るに、女だてらに逞しく世間を歩いて来ていたようだ。姉の束の間の滞在の時にも、自分が男であったら弟や父と離れなくても良かった、ゼムカの人間になりたかったと繰り返し言っていた。
今は女狩人として生計を立てている姉の様子を風の便りで聞くたびに、自分と性別を入れ替えた方がよかったのではないかという思いが湧いてくる。だが、それだとゼムカに拒絶され、心酔するザイゼムの傍にだって近寄れなかった。
しかも姉の、『女という性がこの世界では生きにくい』という嘆きも聞いて、つくづく自分は男でよかったと思う。

だけど、こうして自分だけの身で世間に飛び出して、現実の厳しさを味わうと、もう少し父や姉のような逞しさが己にあったら、などという焦燥に駆られてしまう。もちろん、そんな自分が嫌だった。


それからしばらくしてルランは南の国の王女一行を見つけた。意外と彼女達は姿を隠す事もなく、堂々と滞在していたので、宵の君やザイゼムを捜すよりも簡単に辿り着けた。
これ幸い、とルランはつかず離れず彼女らの後を追った。何故なら彼女らの目的もまた、人物は違えど同じだったからだ。
そうすればきっと彼女らは目当ての人間の元へ行く。そうすればその近くにいる宵の君を見つけられる。……そうなれば、同じく宵を追ってくるザイゼムと会える、筈、だった。

ところがそんなに甘くないとルランが悟ったのは、そのリンガ王女一行が【姫胡蝶】という東の荒波州提督の愛人を追って行ったのを、自分も馬で懸命に追いかけていた時の事。
突然、ルランは馬を一人の男に止められた。しかも、彼はルランを殺そうとする勢いで馬から引きずりおろし、首に刃を充てた。

「お前は何者だ。何故あの方々を追いかける」

小柄で若い男はどうやら南の大帝の隠密だったようだ。確かに高貴な人間には見えない護衛はつきものだが、ルランはその事を全く失念していた。きっと拙い彼の尾行なんて全てお見通しであったろう。だが、これでもルランはひ弱な部類とはいえ狩猟民族を祖とする戦士の一族の人間である。攻撃は駄目でも防御は身内から嫌というほど叩き込まれていた。無我夢中で相手の刃先を逃れ、必死に闇の森の中を走った。
だが、さすが敵は隠密。あっという間にルランは追い付かれ、崖の近くでもみ合いとなった。隠密の手を振り祓ったその結果、ルランは足を滑らせ崖から転落してしまった。
もちろん、隠密も使命を抱えていて暇じゃない。落ちたルランを一瞥すると執拗には追わず、そのまま放って去って行った。
暗闇でわからなかったが、幸いにも落ちた場所は鬱蒼と柔らかい苔が生えていた。お蔭でルランは軽い打撲で済んだが、夜が明けるまでその場から動けなかった。獰猛な獣のいる森でなくてよかったとルランはしみじみ思ったが、結局彼は王女一行を見失ってしまった。
不思議と彼女らは何処へ行ったのか、何の情報もないままルランはその後数週間も彷徨う事となる。

そして今。

彼は偶然立ち寄った小さな村で出会った二人の男と共にいる。

初めは全身緑色の布で覆われた、見るからに感染患者とおぼしき男とそれを支える若い男に、正直関わりたくないと思った。だが、村人達から恐れられ、疎まれ、暴言を吐かれている姿に、元々心根の優しいルランは放っておけなくなったのだ。つい、彼らに持っていた食料を分けようと声をかけようとした時、感染患者の男から漏れた言葉に耳を疑った。
『宵の君』──と。

────それから互いの事情を話して、双方とも驚愕したのは他でもない。
何故だか、ほとんど正気を失っている緑色の男…南軍のミカエル少将を支える彼の直属の部下だという青年ラファの誠実で真摯な態度に接していると、他国の人間に警戒しがちな自分が素直になっていくのにルランは驚く。
そんな魅力のある青年…ラファから【宵の流星】に関する話と、どうしてこうなってしまったかの事情を聞いて、ルランも隠さず自分がゼムカの人間で、宵の君を追うある人物を捜しているという事を説明した。
互いに感情の種類に違いはあれど、慕っている相手を大切に思う気持ちは一緒で、それが二人の共感を生んだ。
しかもこの穢れ人(けがれびと)であるミカエルという人物は、このような状態となっていても優れた気術士であり、【暁の明星】の“気”を僅かでも感じる事ができるらしい。しかもその執念は、彼の五感をも研ぎ澄まし、相手が“気”を封印していたとしても、感情開放や出血などで微量に漏れる“気”を察知できるようになったらしい。
まるで発作のようにその暁の微量の“気”に反応し、彼は取り乱す。そして無意識のうちにそれを求めて徘徊するのだ。
ミカエルが本当に求めているのは、その近くに存在する【宵の流星】の神気であるという事実に、ルランはとても驚いた。そして、その事を知っているのか、知っていたとしてザイゼムの胸中を思うと居たたまれない思いが駆け巡った。

神の力を持つ、セド神王の血を引く者。

その重い存在にルランは眩暈がした。まさかあの宵の君が……。

最初から敵わぬ相手であったのだ。一介の小姓と神王の王子と。

それでも、とルランは思う。見届けなければ、そして自分の想いを全うしなくては……。それがどのような結果になろうとも、自分はもう、元の場所には戻る事はないだろう。
それほどルランにはザイゼムしかいないのだ。
他の誰かでは駄目なのだ。
肉体的に結ばれた夜、ルランは嫌というほど思い知らされてしまった。
思い出になんてできるはずもない。今でも彼の人の体温を思い出しては焦がれ、求めている自分がここにいるのだから。

結局、ルランはミカエルの“鼻”に賭ける事にした。
暁の傍に必ず宵の君はいる。……宵の君に辿り着けば必ずザイゼムに会える。
そう確信して。

ルランは海の方角を気にするミカエルを眺めながら、大きく息を吐いた。


* * *

「で、どういう事よ!見失うなんて!」
「王女、声が大きいですぞ?少し落ち着き……」
「これが落ち着けって?お兄様の隠密は優秀じゃなかったの?何でいきなり足跡が途絶えるのよ。おかしいわよ」
「仕方ないですよ……突然第一王子が王都を占拠したと思ったら、私設軍の反撃とかで大きな戦闘になってしまって……王都が滅茶苦茶です。幸いなことに大帝が国にお戻りになった後で本当によかったですが…ま、その余波で周辺の村が巻き添え食って大変な事になりましたが」

南の国大将ドワーニはそう言って肩を竦めた。その横では頭を抱えている王女付きのモンゴネウラがいる。そして彼らの目の前には真っ赤な髪と同じく怒りで頬を紅潮させて仁王立ちしている南の王女、リー・リンガがいた。

彼ら3人は中央王都から急いで隠密のいる村に無事辿り着き、彼らから暁達のいる場所を確認し、その目当ての村へと急いだ筈、なのだ。ところが辿り着いた村にはもうすでに彼らの姿はなく、別の所へ移動したと報告を受けた。
その時点ですでに王都は混乱の渦にあり、地方ながらも中央軍の介入が始まったせいでリンガ達もその場を動けなくなってしまったのだ。それに加えて優秀な筈の隠密が暁達一行を途中で見失うという失態を犯した。
何分、ぷっつりとある村で彼らの消息が絶ってしまった。その村は公表こそされてはいなかったが、北の王家に関係する土地だったようだ。簡単に探るのが難しいほど、謎の多い村でもあった。
そしてやっと中央軍の縛りが解放されて、ようやくその場から動けるようになった彼女らは、消息を絶ってしまった暁一行を思って憔悴した。
特にリンガは始終機嫌が悪く、ちょっとしたことで癇癪を起す。慣れているモンゴネウラでさえも、すでにお手上げ状態である。

「とにかく王女、今隠密も色々と当たっています。だから我々もようやく中央軍の戒厳令が解けて動けるようになったのですから、冷静に対処していかないとなりません。すぐにでも動けるように、準備だけはいたしましょう」
モンゴネウラは痛むこめかみを手で押さえながら溜息交じりにそう言った。
「そうです!苛立つのはわかりますが、ここが正念場です。諦めて帰るわけにはいかんでしょう?」
ドワーニも眉間に皺を寄せながら大げさに両手を広げた。
「……う、うう。わかってるわよっ。……諦めるわけないじゃない」

リンガも顔をしかめて拳を震わせる。
まだまだ前途多難な予感がするのを、そうして彼女はその拳で思いっきり握りつぶした。

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2014年11月 5日 (水)

暁の明星 宵の流星 #203

※再開です※


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「それでは私も正直に言おう、宵の君」

今までの穏和な表情が消え去ったクライス天花大天司(てんかだいてんし)に皆は固唾を呑んで彼の次の言葉を待った。一体、彼は何を言うつもりだろう?いつになく、緊張した空気が張りつめる。

「君の期待を裏切って悪いと思うが、私は誰の指図もなく北の国に入ったんだ。本当は古い友人を尋ねて東の国へ行く予定だったんだが……君が北の国にいるという情報をある筋からいただいてね。その事を確認するために聖職者特権を使ってごたごたの渦中だった北の王都に潜入したんだよ。……もちろん、宗教間での連絡網を使って、この件に深く関わっているという昂極大法師(こうきょくだいほうし)と接触を図るつもりでね」
「では最初から……お前は宵の君目当てで…?昂極様に偶然頼まれたから…ではなく」
従兄弟のハロルドが呆然とした表情でクライスを見る。偶然にしては出来過ぎていた昂極大法師と天花大天司(てんかだいてんし)のつながり。確かに変だと思っていた。

ハロルドが無事昂極大法師と接触できたのは、実はこの従兄弟であるクライスのお蔭だった。
昂からの依頼を受けた妻シュンメイの願いで混沌とする中央王都に密かに出向き、情報収集しながらも、占拠された城内では昂極大法師本人を見つけるのは無理だと覚悟していたハロルドは、集めた情報を持って兵士を避けながら王都から出ようと、都の境目にある異教徒を保護する多宗教地区に足を踏み入れた。そこで偶然、表向きは信者の安否確保を名目として、同伴者とこっそり北の国に潜り込んでいた従兄弟とかち合ったのだ。しかも驚くことに、その時彼らと一緒に捜していた昂極大法師がいた。その時は偶然だという二人の話に納得したが、実はそうではなかったらしい。
クライスが昂極大法師からの手紙を手渡すという名目でハロルドについて教会に訪れたのは、聖職者としての聖務でも大法師の依頼でもなく、真に【宵の流星】個人に会うためだったのか。

それは暗にセド王家と大聖堂の確執を裏付けているといっていい。
何せ、当時セドを攻め入った総大将……今は大聖堂の頂点であるサーディオ最高大天司長(さいこうだいてんしちょう)と共に聖戦士としてその場にいた大勢の中の一人……が、このクライスでもある。
セドが壊滅した時、何かしらその場にいた彼らは見たはずだ、聞いたはずだ。当時の状況を見知っているのに今も頑なに沈黙を守っている、その謎めいた集団のうちの一人がこの大天司だったことを教会の者は今更ながらに思い出した。

──そう、当時を知る稀有な生き証人なのだ、彼は……。


ハロルド達がそう思いを巡らせていると、軽く嘆息したクライスが話を再開し、皆は慌てて彼の言葉に意識を向けた。
「そう、私個人の見解でだ。“あの方”は一切関知していないければ関与もしていない。
ついでに説明するが、北に行くと決まった時にモウラ(北の国)出身だというリンチ-天司が案内役を買ってくれただけで、彼も私の思惑など知らなかったはずだ」
「ふぅん。──で、それを信じろと?……まぁ、いっか。ならばいったいどういった思惑で俺らの様子を窺いに来た」
じろりと険しい眼差しを向けてくるキイに、クライスは何の感情もこもらぬ瞳で視線を返し、質問に答える代りに淡々としてこう言った。
「……宵の君、あの方はずっと……あの日から沈黙を守ったままなのだ…」

しん、とその場が凍ったように静まり返った。クライスの零した人物に心当たりがある者は、その含みのある言い方に皆複雑な顔色をしている。
唯一表情を変えないキイに気遣う眼差しを向けたのはアムイだけだった。

あの方……。

キイの実の叔父であるサーディオ大天司長に対するキイの怒りはずっと共にいたアムイには痛いほど伝わっていた。ただ、それが、父親であるアマトとは違った意味での反抗心のように感じて、アムイはいつも心が軋む。
母親の実弟で聖職者である彼に、キイは今、どんな思いを抱えているのだろう。多分、神の名により己を消そうとした男への、消せない身内へのジレンマ──。
しかもその彼は何もなかったかのように今日この日までずっと沈黙を守り、キイに対しても光輪の力に対しても無関心を装っているといってもいいくらいなのだ。
あまりにも自分に対して何もない、無関心なその様子に、アムイはキイが半分落胆したように感じた。
確かに表面では苛立ちを隠してはいない。それは父であるアマトに対しても同様ではあるが、いかんせん、もうすでに父はこの世にはいない。それに母親の実家も知らないアムイには、わかっている他の血縁が誰もいないが、キイは違う。彼には怒りを直接ぶつけられる身内が存在している。……そう、キイにとって母の弟である彼だけなのだ。……そして他にもキイが己の生まれを明かせば母方の親族だっている。──西に嫁いだ北の国の姫君、アイリンだってキイの血縁だ。
ただ、今の段階ではキイが姫巫女の産んだ子だという事は世間に伏せておかなければならない。だからこそその存在を知っていて無視を続けているサーディオ大天司にキイが捨て置かれていると感じてアムイはたまらなくなる。
キイだって内情は複雑だろう。無視したくても出来ない存在、それがまったく何の干渉もしてこないというのは……。

事実、キイはそんな叔父の態度に戸惑いも感じていた。さっぱり彼の思惑が測れない。オーン神教の最高位としても、実の叔父としても……。

「大天司長が何も指示していないというのなら、こっちは自由にやっていいと汲んでいいわけだ。──俺の力も…本当の素性も」
キイの言葉にクライスはピクリと頬をひきつらせた。
「この場にいる人間は信用できるんだろ?何しろ敬虔なオーン信徒様ばかりだ。ここで聞いたことは神に誓って口外しないだろうよ」
挑発するようなキイの物言いに、アムイは微かに眉を顰めた。


* * *


「やっと雨が上がったな……」
ひんやりとした湿った冷たい海風に、ゼムカ族の前王ザイゼムは小さくぶるっと震えると、フードを耳元まで被りなおした。
先程、異母弟であるメガンを村境まで見送ってきて、すぐさま港町へと移動した。自分の勘を信じるならば、目当ての相手は海の方へと向かう筈だ。
突如として激変した北の国の状況に戸惑いはしても、かえって規制が緩んだこの混沌とした隙をあの男が…いや、”彼ら”が見逃すはずなどないという考えに支配されていた。
キイが意識を失う前に過ごした穏やかな日々で、ザイゼムは彼の性質をだいたい理解したつもりであったし、思いのほか自分と似たような考え方や行動パターンをする、という事に気づいていた。
だからこそ、これはザイゼムにとって賭けでもあったのだが、大陸ではなく海に出る、という懸念をどうしても捨てきれないでいたのだ。もちろん、その裏をかかれるという思いもちらと脳裏によぎりはしたが、己の野生の勘に従う方が、今までの経験上正しい方が多い。


今、ザイゼムは見渡しのいい高台に建つ飲食店の剥き出したテラスで、眼下に踊る港のごった返している様を冷ややかな眼差しで眺めていた。彼は中央王都の混乱で金持ちやら貴族たちがこぞって外国へと一時避難するために込み合う波止場に見知った顔がないかと凝視する。
「ザイゼム様、今のところそれらしいような団体や人物は乗船名簿にはありませんでした。 特に東回り行きを中心に調べましたが、東の国は治安が悪く、確かに乗客は少なかったのですが、全て身元のはっきりした貴族だけでした。今、西回りの船を当たっています。もうしばらくお待ちくだされば……」
ザイゼムについて来てくれていた護衛であり、従者のひとりが背後から忍び寄り、小声で彼にそう囁いた。
「そうか」
ザイゼムは眉間を親指と人差し指できつく揉みこむと、ふーっと息を吐いた。
「……正攻法ではやって来るわけがないとわかっていても、まぁ、念のためだ。すまないが、しばらくは乗客の照査を極秘に続けてくれ。……それから、ついでに他に停泊している船の中で、怪しいものがないかも調べてくれるといい。私はこれから乗員の方を探ろうと思う。……頼むな 」
「はい、お任せください」
従者は深く頷くと、速やかに音もなく立ち去った。
ザイゼムはしばらく眼下にうごめく群衆を見下ろしていたが、軽く息を吐くと店内へと続く大きなガラス戸に向かおうとして、何か小さな気配を感じて彼は目線を足元に下げた。

ミャー……

そこにはどこからやって来たのか、彼の足元にすり寄る黒い子猫の姿があった。真黒な艶やかな毛並みと、首に巻かれた赤いリボンが野良ではないという事を主張しているその猫と目が合ったとき、ザイゼムは胸の奥にツキン、と刺さるような痛みを覚えた。
「……お前…どこの猫(こ)だ?」
気付いたらザイゼムはそう囁いて小さな黒い体を引き寄せ、胸に抱いていた。子猫はよほど人馴れしているのか、屈強とした彼の腕の中で大人しくも喉を鳴らしながらくりっとした目を彼に向けている。

子猫の目は覚めるような青色だった。通常、この地方での黒猫だと琥珀色の目色が主なので、かなり珍しい取り合わせともいえた。
だからなのか、その姿にザイゼムは一人の少年の面影を見たのだ。

「黒い毛並みに真っ青な瞳……か。お前はまるで私の癒し子とよく似ている。……従順で優しく、真摯で愛らしい……」

≪──もし、ルランが兄上の前に現れたのなら、どうか私に教えて下さい。そして伝えて欲しいのです、彼に。──私はまだ諦めていない……と──≫

キイを執拗に追い求めているザイゼムの心に付いた一滴の滲み。……それが気づかないうちに意外と広がっているのに、まだ彼は気づいていない。ざわざわとする思いを振り祓うようにして、彼はそっと子猫を下ろすと鳴き声を無視して店内に入った。
ふわっとした暖かな空気が彼にまとわり付く。中は結構暖房が利いているようだ。
カウンターに着くと彼は店員に一杯の酒を頼む。こんな気分の時は飲まないとやっていられない。
焼けつくようなのど越しを堪能しながら、ザイゼムは思わず呟いていた。
「馬鹿な奴だ。……一体、お前は何処にいる?」

まさかあのルランが自分を追ってゼムカを出奔するとは全く思ってもいなかった。
男だけの国であるから、確かに力の差によって各々役割が振り分けられている。非力であっても疎まれず、力の強いものを支えるという役割によって庇護を受ける……そういう関係は、一民族として、また女を持たない国として、結びつきを強くするのに必要な事だ。
結局、ゼムカにとって女というのは所詮よそ者である。
一族の男は、どんな男でも身内であれば疎んじたり捨て置くことはしない。本人の意思で国を離れる以外は、ゼムカはゼムカの男を守る義務がある。
……特にルランのような、庇護欲を掻き立てるような存在は顕著に。
だからザイゼムは弟のメガンに彼を託したのだ。弟ならきっとルランを守り、幸せにしてくれると信じて。

だが。

無意識のうちに笑い声が喉元をくすぐっていたようだ。一度ごほっと咳をすると、ザイゼムはもう一口酒を喉に押し込む。

あれもゼムカの男だったか。
豪胆で野性的な、荒くれた魂の狩猟民族の先祖を持つ我らが国の。

少し誇らしい気持が湧いたザイゼムだったが、いくらなんでも、やはりあのように見目の良い、そして非力に見える少年が一人、この治安が不安定な北の国でどうしているか、不安にならないわけがない。

「お前は俺に辿り着くか?……それとも……」

ザイゼムはじわじわと広がる嫌な感情を持て余し、彼の従者が戻ってくるまで半ば途方に暮れていた。


* * *


そこは半壊とも等しい様のあばら家だった。
人里から離れて、少し森林を入った所にあるその場所は、人が近寄るような雰囲気がまるでない。これが闇夜であれば、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住んでいると思われても仕方のないくらいだ。
そんな場所に、全身を黒のマントに深いフードを被った人影が現れた。
決して大きくもない、かと言ってそんなに小柄でもない、ただ、すらりとした印象のある姿のその人影は、軽々と瓦礫を渡り歩いて家の中に吸い込まれるようにして入っていく。
そのあばら家の中、奥まった一室に入った人影は、その部屋にいる人間に懐から出した包みを差し出した。
「こんなものしかなかったけど、大丈夫か?」
フードを目深に被った奥から少年の声がした。
「…あ、ああ。本当にありがとう。これで当分はこの場でしのげる……」
黒いフードの人物から手渡された荷物をほどきながら、礼を言う人物は中肉中背の若い男だ。全身ボロボロで煤けて汚れきった姿でまるで浮浪者のような風体だが、よく見ると鍛えたような屈強な体躯をしていて、どこかの兵隊か戦士であると思わせた。
その彼の目の先にはおんぼろの寝台があって、そこにかき集めたような衣類や布団が積まれ、そこに緑色の布を全身ぐるぐる巻きにされ、その上に清潔そうな長めのシャツを着せられた人間が横たわっていた。その人間は髪や目元、口元、だけ晒してはいるが、ほとんど見えうる皮膚に緑色の布が巻かれ、物々しい雰囲気に包まれていた。眠っているのかと思えば、口元からぶつぶつと、息切れと共に何かを呟く声が漏れていて、まるで呪詛のようだとフードの少年は気味悪く思った。だが、目の前の青年はそんな重々しい空気には不似合いの明るい表情で、彼の持って来たわずかばかりの食料と薬に目を輝かせている。

青年はラファと名乗った。
出会ってまだ一週間ではあるが、少年が彼らの世話を手伝い、己の目的を話したら、彼もまた自分達の事情を話してくれた。……一時、目的を見失ってしまった少年にとって、この出会いはある意味幸運な事であった。だから、その目的を果たすために少年はこの二人と行動を共にしようと思ったのだ。ある意味、身体に障る危険がないともいえないこの状態で、少年は一縷の望みを彼らに賭けた。
「……どうですか、彼の具合は…。大丈夫そうでしたら、僕が馬を用意しますよ」
「ありがとう。君が何とか手に入れてくれた薬で様子を見たら……お願いする」
「ええ」
少年はちらりと寝台の上の人間を見る。痩せ衰えたような印象があるが、元の骨格はかなりがっしりした感じの中年くらいの男であろう。……まだ口をもごもごとさせ、何かを呟いているのに背筋に冷たいものが走った。
執念……。
ふと、その言葉が浮かんだ少年の耳に、その男のはっきりとした声が部屋に響いた。
「宵の君!」
突然何がきっかけで興奮状態になったのかわからないが、寝台の男は両手を天井に伸ばし、大声で喚き始めた。
「宵の君!宵の君!お助けください!宵の流星!!」
「少将っ」
ラファは咄嗟に緑色の布を頭から被ると、手袋をしたままの手で寝台の男を宥めるように押さえつけた。
「あああ…宵の君……どこにおられる、私を……私を救いたまえ……ああ…あ」
「大丈夫です、少将……ミカエル様!絶対宵の君を見つけて、神のお力でミカエル様を治してもらいましょう…」
ラファの目にうっすらと光るものがある。その二人の姿を見ていられなくて、少年は息を詰めたまま部屋から出た。うっすらと暮れゆく森林に、そろそろ火を焚く時間だと思い、彼は足元に散らばる木枝や廃材を拾い始めた。
しばらくすると、中の騒動が収まったのか、溜息を吐きながらラファが部屋から出て少年の近くに寄った。
「すまない……。きっと、何かしらの気配を感じて興奮したんだと思う……その……」
「……宵の君に関係する“誰か”の気配ですか?」
ラファはフード越しに除く、少年の白い顔に少々見惚れながら頷いた。何て綺麗な青なんだろう……。自国の人間にも同じような色の瞳はたくさんいるが、きっと彼だから尚更美しく煌めいているのだろうな、とラファは心の中で独り言ちる。
「……そうですか。ならばやはり近い所に宵の君が……」
少年の硬い表情よりも笑ったところが見たいと思ってしまう自分を罵りながら、ラファは力強く頷いた。
「ああ。ミカエル様はこれでも優秀な気術士だ。だから絶対に一度知った“気”を間違えない。…その“誰か”の傍に必ず宵の君はおられる。私達は宵様のお力を借りたいだけだ。……その後は君の好きにすればいい、────ルラン」


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2014年8月10日 (日)

暁の明星 宵の流星 #202

思惑……か。

何の思うところなく、どうしてわざわざ内乱の起きた国に足を向けるだろう。

今頃当たり前のことを尋ねられては、どう答えてよいか苦笑がもれるだけだ。

「いけませんね、“宵の君”。恩人である昂極(こうきょく)大法師殿の事をおっさん呼ばわりするとは」
「ふざけんじゃねぇよ、誰が昂じいちゃんのことを言ったよ。……わかってんだろ?あんた達聖職者が一番敬っている立場のあのおっさんのことだよ!」
怒りの滲む目を向けられて、クライス天花大天司(てんかだいてんし)は困ったように笑うだけだったが、皆はキイの言わんとする人物を推察して眉間に皺を寄せる。だが驚きで顔が青ざめたのはハロルド達の方だった。

やはり、大聖堂とセド王家は何かしら確執があったのか──。

そうでなければ、生き残りのセドの王子が、何故に大聖堂の最高位神官の存在を匂わせるような事を言う?
特に今の最高大天司長(さいこうだいてんしちょう)サーディオは、セドを攻め入った時の最高司令官でもあった。
彼らの怪訝な表情をちらりと盗み見しながら、クライスは変な笑いがこみ上げてくるのを無理やり自制した。


我ら大聖堂の頂点として、最高位の神官であるあの方を軽々しくおっさん呼ばわり……。これが彼以外の人間が言うのならば、問答無用に制裁を加えなければいけない事だが。

ああ、しかし。

彼の険しい顔立ちは、若き頃のあの方をこんなにも髣髴させ、いや、それ以上に優美に弧を描くふくよかな唇、大き目な切れ長の美しい瞳はどちらかというとあの方よりも彼を産んだ生母の方によく似ている……。

大陸一、美しいと称賛された女神のごときあの女性に。

+ + +

『あなた方に神託が許されたました。異名を私が授ける事を、了承してくれますか?』

まだ遊び盛りでもある8歳の少年少女だった3人の子供達は、昨年聖職に入った幼子の中でも取り分けて優秀な子達だった。
遊びよりも熱心に聖職の道を学び始めた彼らに、突然、雲の上と思う人より声がかかる。
突如として連れて行かれた神殿の中で、一際光彩を放つ美しい巫女にそう言われた彼らは驚きで目をきょときょとさせた。
緊張している子達に、彼女はにっこりと天女のごとき笑みを向けてそう言ったのだ……。

それがどんなに名誉なことか、まだ入ったばかりのひよっこ達でも十分すぎるほどに理解できていた。
そう、目の前で微笑んでいる美貌の乙女は、この神殿の頂点である姫巫女だと知っていたから。


幼い頃から神殿入りをした姫巫女は、世俗の辛酸も知らず無垢そのものに成長した。
歌う事や花が好きで、特に子供が大好きな彼女は、聖職ゆえに自らの子を持てないことを残念に思いつつ、こうして10歳以下の聖職者である天空童子たちと戯れるのが楽しみだった。
特に今年、入ってきた天空童子の中でこの3人は、極めてそれぞれの分野でかなりの優秀さを見せ、神童という称号を与えられて然るべき、と大聖堂に認定されたのだった。そのために、彼らに神殿から異名を与えられることになった。
それがまさか、神殿の姫巫女直々から名を賜るとは。
その時の彼らの驚きは半端ではなかっただろう。

『あなた達に私が好きなお花に関する名前をつけてもいい?一目見た時からそう感じたの。……私が異名の名付け親となるわけだから、緊張しないで今日は一日私と過ごしましょうね』

本人に合う異名をつけるため、天啓だけでない納得できる名を付けたがった神殿の姫巫女は、本人たちと一日過ごすことを希望したのだ。
後から、ただ単に子供達と遊びたかっただけのようですよ、とクスクス笑いながら彼女の警護をしていた月光天司という名の中級天司にそうこっそり教わったけれど。

3人の少年少女にとって夢のような時間だったのは間違いない。

『大人しそうに見えて激しいものを持っているあなたは花影(かえい)。知ってる?月の光などによってできる花の影のことをいうの。特に桜の花の影なんですって。あなたのその姿は愛らしいだけじゃない……本質は月が照らす花の影にあると感じたわ。だからあなたの異名は花影』
隣にいた友人の頭に触れながらそう言った姫巫女に驚きを隠せない。
確かに彼は見かけの愛らしさに反して中身はふわふわとしてはいない。複雑に絡み合った何かを彼の内面に感じていたのは事実だ。
闇夜を照らす月が作る花の影。まだ幼いクライスでも、意味がわからないままもそのイメージは友人と重なり、ストンと落ち着くものがあった。
その証拠に名を与えられた友人は、じっと何かを思いめぐらしながら俯いている。その表情は相手に対し隠し事のできない諦めにも見え、何だか神に観念した聖獣のようで、子供心に面白がったのは大人になった今でも本人には秘密だ。(何せ、怒らせると怖い親友である)

それよりもさすが神の声を聞く姫巫女の観点だ。
彼女の付ける名は相手の本質を突いている。

『あなたは花冠(かかん)。花びら全体の事だけど、花の冠という意味も持つの。女の子であるあなたの頭に、香しい花の冠が乗っているのが見えるわ。……天に愛されているという印ね。あなたと繋がりたくて天神がうずうずしている様子が私には見える。その象徴である名前をあなたに授けて欲しいと天から直々に言われたの。驚いた?』

そう言われたもう一人の友人である彼女はびっくりした表情のまま、ぽかんと姫巫女の顔を見ている。
華奢で年齢よりも小柄な彼女は、足先よりも長く垂らした銅色の髪をいつも引き摺って、まるで羽が生えれば妖精ではないかと思うくらいに不思議な感じのする子だった。つぶらな瞳は青みがかかった深い緑色のまるで森林を思い起こさせる色合いで、目立たぬ質素な顔立ちで普段は無表情なのが、笑うと花が綻ぶように愛らしくなる少女だった。

──花冠──…と異名を賜ったもう一人の親友は、それがきっかけでただの聖職から神殿の巫女へと位上がり、姫巫女の元でその能力を開花させた。巫女としての才能を姫巫女自身で見抜かれた彼女は、母とも慕う姫巫女の不幸後、その後釜として神殿の最高位に今はいる。 

そして自分──クライス・グレイ=ヘイワードは最後にこの名を頂戴した。
《雪》という意味を持つこの異名を。

『──天花(てんか)』
『え?』
『あなたは天花ね。……物知りのあなたにはわかるでしょう?その意味を』
そう告げられた途端、クライスの脳裏に真っ白な雪景色が浮かんだ。
真っ白な世界に淡い水色を抱え込んだ雪がしんしんと降り積もっていく。
亡くなった母の故郷だ。
幼い頃何度も遊びに行ったことのある、懐かしい風景。
『どうして』
そうつぶやくクライスの声は震えて、眦には涙が浮かんでいた。
『あなたの本質は天界から降る雪よ。静かで、そして冷たいようで本当は温かい浄化の象徴……。天花はてんげとも言うわ。天界の花という意味でもある。見かけは大柄で屈強だけど、本当は繊細で知性的。穏やかで優しくて…天の雪は包み込むような慈愛もあれば、全てを凍らせる悲壮さも持つ。あなたそのものだと、私は思うわ』

姫巫女はそれ以上語らなかったが、クライスには十分だった。

白に近い銀髪、水のように爽やかな青い瞳は北西出身である母親から譲られたものだ。
今はもう西の国に吸収されてしまって地名の変わってしまった母の故郷。北と西の境にあった小さな領土は、結局北の国の経済破たんによりその余波を受け、裕福な西に取り込まれてなくなってしまった。
西でも北の方にある亡き母の故郷──その民族は、クライスと同様、美しい銀糸の髪と濃淡はあれど美しい青い瞳を持っていた。冬になると雪に埋もれるその地域に似合う、雪の精霊と呼ばれるほど色素の薄い一族として有名でもあった。
だが、クライスが聖職者になる直前に、その母の故郷は無くなってしまった。雪の精のように透明感があるとまで謳われた母の死と共に。
母を深く愛していた父は、きっと耐えきれなかったのであろう。彼女と同じ色を持つ幼い一人息子をすぐさま大聖堂に放り込み、自分はどこかへと消えてしまった。父の兄が家督を務めるヘイワード家に何も相談せずに。
伯父の考えでは、父は愛する女の面影を追って母の故郷だった土地に向かったのではないかという事だった。それでもクライスには真実を知りたい、父の行方を捜したいという気持ちはなかった。
幼いながらも聡かった彼は、父の多情さも知っていたからだ。
父は母を一筋に愛する夫ではあったが、それは心だけの話であって内情は貞操観念が呆れるほどにゆるい男であった。男でも女でも来るもの拒まず、またそれを悪い事だと全く思っていないその夫の態度が母を追い詰めていたのを幼いクライスは知っていた。
何度も嫉妬で泣く母を、嬉しそうに抱きしめている父の姿が、子供ながらに吐き気がするほど嫌だった。

《愛しているのは君だけだ、他はただの体だけの付き合いで気持ちはない。ばかだね、やきもち焼いたの?そんなに僕が好きなんだ。僕も君が好きだよ》

大人になった今なら想像つく。父は愛していると言いながら他の人間と体の関係をもって、それを母に見せつけ、母の気持ちを試していた。それは愛ゆえからの不安からか、それとも嫉妬が愛の証と思っていたのか…。父は間違った方向で母を愛した。それが母を壊していったとも気づかずに。

年に数回、親戚がいる母の故郷に遊びに行っていたのも、全て父の浮気が原因で気持ちの整理をするための自分を連れての帰省だった。その心の拠り所であった故郷が無くなったと知ったと同時に、父と母の友人との情事を目の当たりにした母は完全に壊れてしまった。

様子がおかしい母を追った自分の目の前で、彼女は衝動的に崖から海へと身を投じた。まだ小さかったクライスにはどうしようもなかった。同じように母を追いかけてきて間に合わなかった父が傍らで慟哭しながら地面に額をこすり付けていようと、クライスの気持ちは父への怒りでいっぱいだったのだ。
それを境に、クライスと父の親子関係も切れた。

幼い気持ちに傷を負いながら、クライスは自ら進んで大聖堂入りした。それは生前の母と約束したからだ。
敬虔なオーン信徒の家に生まれた父は、それに反発するように信徒らしかぬ振る舞いをして本家に疎まれていた。その父を助けるために母はクライスを立派な聖職者としたかったのだ。父のためというのが気に食わないクライスだったが、博識な本家の伯父と根は真面目な従兄弟のハロルドの影響で、いつしか経典に興味を持っていた。それ以上にどこか歪んでいる自分の家から逃げ出すためにオーン教にのめり込んだと言ってもいい。最終的にはクライスは自分の意志で聖職者になる道を選んだのだ。

雪。それは母のイメージそのものだった。
まるで見透かしたような天空姫巫女のもの柔らかい琥珀色の瞳が、母と同じく慈愛に揺れる。

(お母さん)

今でもクライスは鮮明に思い出す。母と母の故郷で雪と戯れ、何もかも忘れて二人で夢中になって遊んだことを。彼にとって唯一の癒しだったあの日々を。

姫巫女はそれを知らないはずなのに、自分に天界の雪という異名を与えてくれた。
そしてそれ以降、名付け親だからと彼女は時間のある時に自分達3人を呼んで、彼女が愛でている天空の神殿の外に広がる花園へと招き、親子のように過ごしてくれた。時には教師のように教義に話しを深め、またある時には子供のようになって彼女は皆と花園で遊んだ。

『あなた達は私の癒しなの』
そう言ってほほ笑む彼女は本当に聖母と無垢な童女を併せ持つ天空の女神だった。

+ + +

その女神と同じ顔立ちで、だけど眼差しは男の力強い鋭さを放って自分の目の前に母とも姉とも慕った女性の忘れ形見が立っている。

聖職だから自分の子は持てないの、と屈託なく笑っていた……彼女が背徳を抱えて産み落とした運命の王子。巫女が産んだ……神の御子。

複雑な胸中を隠しつつ、クライスはゆっくりと息を吐き、今まで浮かべていた笑みを全て取り去った。
突然硬い表情を見せたクライス天花大天司の変貌に、キイ以外の周囲は驚いて息を呑んだ。


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2014年7月13日 (日)

暁の明星 宵の流星 #201

その15.光輪発動~解放~
   

光輪(こうりん)は降臨
すべては天との光の柱で繋がれる

天空の扉は今開かれ
浄化の光が刃(やいば)となって
禊(みそぎ)のごとく 地を祓(はら)う

◇◆◇◆◇◆◇◆


動かぬ個体に動という力を与えてみる。
それを人は命を吹き込むと言うんだ。
人も獣も植物も皆、動力の火を与えられて目まぐるしく動く。
それが生きるということならば、絶え間なく動くその細胞、巡る血液、これらを動かす力というものが必要であるとわかるね?

動かす力がなければ全てのシステムは停止し、それをこの世界では“死”と呼ぶのだよ。

ほら、意外とこの世界は簡単で単純にできているだろう?

だから、そんなに考え込まなくていいんだ。
そんなに悩まなくていいんだ。

お前の持つ力とはそういうものだ。

神が地を造った時に使った力。人では手に余るというその力。

何故、今こうして地にもたらされたのかという意味を、生涯に渡って考えればいい。


思考だけは自由自在だ。肉体という物体に押し込まれてこの世では不自由かもしれないが、時間をかけて工夫をし、自力と他力をうまく使えばこの世に顕現することだって可能だよ。ただし、この世の法則にのっていればという、基本的なルールはあるかもしれないが。


だから、キイ。もう少お前は天を信頼しろ。
お前の魂(たま)は、宗教にどっぷりとつかっている人間なんかよりも、はるか自然に天界の近しい所にあるのだ。

お前は天に繋がる者なのだから───。


──自分達を育ててくれた前聖天師長・竜虎の言葉が胸に響く。
キイはふと隣に佇む自分の片割れを見た。あの頃と比べて彼は一回りも大きくなって自分と同じ位置に追いつこうとしている。

あともう少しだ。

キイの予感は迫りくる新たな段階を察知し、胸を躍らせていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆


北の国で一番大きな港・水甲(すいこう)がある中央王都の次に大きな都ウーエン。

そこはミンガン王の異母弟イアン公の領土でもある。彼の手腕でただの港は貿易の門として発展し、それに伴って町は潤い、都となった。そういうところも、イアン公は北の民(たみ)の尊敬と人望を一身に受けていた。

その都ウーエンの中心を賑わす繁華街では、かなりの人がごった返していた。
何故なら、国の中枢でもあり王宮が存在する中央王都が戦闘状態であるからだ。死に物狂いで逃げてきた人々が中央からどっとこの地に流れ込んできた。もちろん、繁華街を通り抜け、彼らが目指すのは水甲の港である。

だいたいこちらに流れてくるのはかなりの富裕層と見てもいい。貧乏人は王都からウーエンまで来る費用はないし、彼らのように船を使って一時国を脱出しようなどという事までは考えまい。

中央都で繰り広げられていた、中央軍と私設軍(オウ・チューン家とイアン公共同の軍であるが、それを一般人に公表されたのは戦いが鎮静してしばらくしてだ)の激しい戦闘のために、貴族や平民の金持ちの半数以上が持てるだけの財産を持ってウーエンを目指した。国が落ち着くまで国外脱出を試みようとする人間達で都は大変な状態になっている。

イアン公が中央軍に連行され、同じく彼の屋敷で人質となっていた家族と対面してから二日。ミャオロゥ王子の後見となるようにという中央軍の説得に、まるで時間稼ぎのようにのらりくらりしていたイアン公が、王都襲撃、ミャオロゥ王子逃亡の報告(しらせ)に態度が一変。密かにに待機させていた私設軍の小隊を使い、屋敷内の中央軍を反対に抑え込んだ。ミャオロゥの母方の血縁であるミンチェ准将以下部下達は抵抗むなしくあっという間に捕えられた。
「残念だったな、ミンチェ准将」
普段温厚な表情見せるイアン公だが、今は思いっきり意地悪く顔を歪め、嘲笑って見せた。
「わしはねぇ、あのミャオロゥにだけは王位を継がせたくないんだよ。それはミンガン王も同じ気持ちだと思ってね。…で、少しばかり手を貸してみたという事だ」
「そのために……オウ・チューン家と手を組んだのか……。しかも私設軍を密かに作っていたとは!」
「ハクオウ家はやり過ぎたんだよ。北の御三家にずっと女が生まれなかったのが、やっとハクオウに年相応の娘ができて、さぞかし天下を取った思いだったろう。無理やり異母兄(あに)の正妃に迎えさせた上に、事実を曲げて長子を儲けて……。わしが何も知らないと高をくくっていただろう?王の本当の長子は亡くなったマオハン王子だとある筋から知ってから、いつかはこんな時も来るかもと準備を進めていたのは正解だった。お前達が祭り上げていたミャオロゥがもう少しマシであったらな!ははははは…」

表面はいつも穏やかで、人当たりの良いお人好しという印象があるイアン公の裏面を見た思いがする。ミンチェ准将は歯噛みした。とんでもない伏兵は他の二家ではなく、早々と王宮を去ったはずの先代王の妾腹の王弟であった。
御しやすいと思わせて、実は水面下でこんな野心を抱えていたとは。
「モ・ラウ家も今までのように、本人の素行やら能力を無視したような、長子崇拝や母方の血筋を重んじる後継者選びを廃止するべきなのだよ。これからの国の事を考えて、最も王に相応しい人間がこの国の頂点に立たなければ、我が国は滅びるだろう。……だからこそ長子とはいえ偽りであるミャオロゥは排除するべきなのだ。傍系であってもね、これからは王族の血を引いていて素質のある者なら、王となっても誰も文句出ない世の中になる──。しかも幸いな事にミンガン王は姫君を授かった。なあ、ミンチェ殿、ここまで言えばわしが何を言いたいかわかるかね?」

初めて見るイアン公の冷ややかな顔にミンチェはぞっとした。
そして彼は若き日のイアン公の有能さと高潔さを思い出した。はっきり言ってしまえば、当時の彼は現王であるミンガンよりも優秀だった記憶がある。それが生母の生まれやら次男である事で、ミンガン側の人間らに激しく疎まれていて、成人を迎えるころには目立つような行動を取らなくなった。しかもミンガンの即位後は気持ちよいほどにあっさりと王家を出て行った。
人々は王家が荒れるのを憂いたイアン公の潔さに感服し、それに伴って異母兄(あに)であるミンガン王との関係も良好で、しばらくは王家も安泰であったのだ。──ハクオウ家が力をつけ、王宮にはびこるようになるまでは……。
元々正義感が強く、国を思う気持ちのある人物だった。彼が心の内で今の王宮の行く末を憂いでいないわけがなかったのだ。

イアン公とて王家がしっかりしていれば何も口を出すつもりはなかった。
だが、ミャオロゥ王子の悪評、そしてその弟王子シャイエイの事情で彼の気持ちが揺れる。そしてとうとう、ミャオロゥと南の国の癒着問題で彼は切れた。本当にこのままでは貧しいだけでなく、国の存続自体が危うい。そう追い込まれたイアン公が、自分がどうにかしなければと密かに動いたとして誰が咎めようか。

+++

実に三日天下。(実質は六日間であるが)

実弟と対峙し、彼を斬って臣下と逃亡しミャオロゥ王子は、争いで受けた傷を庇いながら必死に水甲を目指していた。
そこは彼が今一番頼りにしている人物、ティアンの船が停泊しているからだ。中央軍の話では、かのティアンは水甲近くに大きな屋敷を借り、そこに滞在しているという。
恥ずかしい事だが、もうミャオロゥが縋れるのは異国のこの男だけになってしまった。
「いいか。王宮の金品、持ってこれるだけの財産を全てティアン殿に差し上げるのだ。あの方なら、起死回生の手を打ってくださる!私を救ってくださる!」

そう信じて疑わないミャオロゥであるが、果たして。

──国の実権を手にした時の昂揚感。ミャオロゥはずっとその時を待っていたのだと痛切に感じた。
長子であるのに、正妃の子であるのに、実子であるのに。父王の仕打ちはミャオロゥを鬱屈の海に沈めた。国も王家も全てが自分のものになるはずなのに、それをどうしても与えない父。
ミャオロゥは己を正当化する。
自分はただ、与えられる権利を主張し、それを取り戻したに過ぎぬ、と。
実の父親である王が、第一王子である彼を王太子に据える事を躊躇するのか、その本当の意味を理解しないまま、ミャオロゥはそう傲慢に思い続けている。
周囲の思惑にも無頓着で結局独りよがりである彼は、只々自分の味方と信じる者の居場所を目指している。再び自分にとっての正当な権利を手にするために。
その場所が、己を嫌いそして己を追いやったオウ・チューン私設軍の、真の元締めである叔父の領地であってもだ。
この時点で自分を襲ったのが叔父のイアン公だと知らないミャオロゥは、運が良ければその叔父にも味方してもらおうと都合よく簡単に考えていた。

行きつく先が終焉の場であるとも知らず、彼は必死に足を動かしていた。


* * *


目まぐるしく変わる北の国の情勢、それに振り回されている人間達。
それはこの国の人間や他国の人間だけでなく、この国を脱出しようと目論んでいる自分達もだとアムイは思う。

キイを追いかけて北の国へ入った時は、まさかこんなに長くこの国に留まるとは思ってはいなかった。
もう、前のように自分だけという単独行動はできない。キイを取り戻してもなお、今のアムイには自分の傍で、共に行動してくれている人達がいる。


「こうなってしまったら、はっきりと申し上げます、宵の君」

一同はフォウ天司誘導の元、彼の自室に招かれていた。あまり広いとはいえないが、密談するというのなら最適な場所だとフォウ天司自ら提供してくれた。教会の中でも教会司祭のプライベートエリアに部外者は滅多に入れないからだ。
部屋に入って開口一番、そうキイに向かって言ったのはシュンメイの夫であるハロルドである。
今この部屋にいるのはキイとアムイ、そしてシータ、イェンラン、リシュオン。彼ら以外にはシュンメイとハロルド、フォウ天司自身、それに何故かクライス天花(てんか)聖典大天司が彼らより少し離れて堂々とした居ずまいで窓際に立っていた。

「昨晩も申し上げましたが、私が中央王都を偵察していた時に運よく昂極(こうきょく)大法師様とお会いする事ができまして、従兄弟であり聖職者のクライスが同時に大法師様からの文をお預かりしたという縁で、彼を伴い報告も兼ねてこちらに戻ってきました」

昂極大法師……昂老人の最初の打診はシュンメイ直々に届いた。彼は隠密から王都の一大事を聞くや否や、アムイ達の事を全て懇意にしていたシュンメイに託したのだった。その後、偵察に行ったハロルドと接触し、再び王宮に戻ったという。

政治には関われないという宗教組織の元最高峰の位にあった昂極大法師であるが、元々北の北天星寺院は王家の家教であり、王家専属の相談役という務めを創国から任されているという事情で、政治的決定権はなくとも政(まつりごと)の関与は他国の宗教よりも許されていた。だから国家の、そして王家の一大事には必ず北天星寺院が動くのだ。
……ということで、いくら引退したという昂老人ではあるが、王家に何かあればこうして何かと駆り出されるのは仕方ない。特に現王であるミンガンとシュンメイの異母兄であるマオハンの名付け親ともなれば、個人的にも協力せざる得なかった。
その繋がりで昂老人はシュンメイ達とも交流があり、彼らは北の中でも特に信頼のおける存在であった。故に今自分が関わっているセドの王子達を託す事を即決し、シュンメイ達もその信頼に気持ちよく答えてくれたのだった。
味方はなるべく多い方がいい。
下手をすれば、今渦中のセド王家の生き残りという爆弾を抱えて危険に巻き込まれる可能性だってあるにも拘らず、事情を知った彼女らは率先してアムイ達を匿ってくれた。

アムイ達のいる場所が、ある意味昂老人の本拠地ともいえる北の国で幸いした。
自分達がこうして身を隠しながら移動できるのも全て、大法師であり賢者という称号を持つ人好きする老人のお蔭なのである。


そして今、オーン人のハロルドは全ての事情を理解した上で、こうしてキイとアムイに向かって話を進める。

「先程も西の国の王子が仰っていたように、動くのは今だと私も思います。この国を出て東の国に行くには」
ハロルドの思慮深い目がキイに向けられる。
「それとも王宮が安定した今、ミンガン王に保護されますか?そうすれば時間はかかるかもしれませんが、安全に希望の地へ向かう事ができます」
「さて、それはどうかな」
キイは顎に手をやって首を捻った。
「どう…とは。五大国首脳会議の決議をお知らせしたではありませんか。貴方を保護するという方向に決まったと。私としてはその方が危険は少ないと思いますが」
「保護されたとして。その後の俺の身の振り方が自由意思に基づく決定がなされるかどうかという保証はねぇよ。……一時ゲウラに身柄拘束、としか俺には思えねぇな。……何せ、女神の子孫というだけで珍獣扱いを世間からされてるんだ。そうでなければ、もう何年も前に滅んだ国家の王族になんぞ、誰が興味を示すんだっていうの。……悪いが俺は他国に保護されようと思っちゃいないんでね」
「宵の君……」
「それに俺には時間がない」
その言葉にアムイは大きく狼狽えた。……時間が、ない。
それはずっと前に昂老人との会話でなされたキイの寿命を思い出させ、アムイを深い沈鬱の沼に引きずり込ませようとしたが、次の言葉で違う意味だったと知って我に返る。
「もうそろそろ限界が来ている」
と、キイは自分の額を指差したからだ。

額の中心に鎮座する小さな球体。それは“光輪”という神の力を封印する存在だ。

そうだった。今の彼は危険ともいえる状態だった。

アムイ自身、自分が彼の傍にいる事で、彼の“気”が一応安定していたから気が緩んでいた。誰よりも、いや本人よりも自分が把握していなければならないのに。

「それは?」

セドの王族としか伝え聞かされてないハロルド達には、それだけでは意味が通じないであろう。まさか、単なる噂、伝承だと気にも留めていなかった“王家の秘宝”に関係するなどとは。
「キイ、いいのか?」
アムイの心配をよそに、キイはくくっと笑った。
「もうここまで来るとな、俺らの本当の事情とやらを理解してもらわねぇと、こっちが動き辛いってことだ。それに、もう隠し通せるものでもないだろう。いつ暴発するかわからない」
そう言って顔を上げるキイの目は険しかった。その険呑さにハロルド達は息を呑む。
「だが、だからこそ今他国……いや、世間に俺の秘密を知られてはまずい。できればこの封印が解かれるまでは。
今の俺は急所を掴まれた獣のようなものだよ」
「秘密……?一体…」

訝しげな彼らの中、関係者以外でただ一人、涼しい顔をした男にキイは苦笑する。
「それはあんたがよく知っているんじゃないのか?──天花大天司(てんかだいてんし)さまよ」
キイの言葉にアムイを筆頭として、皆がざっと窓際に立つクライス大天司に視線を集中させる。
「何のことかな」
薄笑いを浮かべ、余裕の口調の彼にキイは片眉を上げた。
「あんたは俺の素性を全て知ってここに来たんだろう?俺を…俺達の様子を窺うために。なぁ、あのおっさんはあんたに何を頼んだの」
「……キイ?」
「おい、クライス。どういう事なんだ、お前……昂極様に頼まれて文を預かったからと…。その他にお前、何か思惑があって俺とここに来たのか?」

◇◆◇

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2014年5月22日 (木)

暁の明星 宵の流星 #200

時は多少遡(さかのぼ)る。

まだ王宮がミャオロゥ王子側に占拠され、息のかかった中央軍が国境封鎖を遂行している頃である。
アムイとキイ達がシュンメイに匿われ、教会に大人しく潜んでいる時、彼らの知らない所で周囲は目まぐるしく動いていた──。

◇◆◇◇◆◇

「本当にご協力を感謝します、ティアン殿。ミャオロゥ殿下はそれはそれはもう、心から貴殿に感謝しております。
──もちろん、殿下が即位し、この北のモウラを治めた暁には、ティアン殿を最高の待遇でお迎えするように、と仰せられております……」
「いや、有難い事ですがそのようなお気遣いは結構です。
私はただ、北の国の国境全ての封鎖と港の閉鎖、それを望んで今回はミャオロゥ王子にご協力したに過ぎない。
……まぁ、南の大帝が出てくるまでは、私達は良好な関係を結んでいたのですから、王子のお味方をするのは当たり前の事ですよ」

内面の焦燥を押し隠すように口元だけ微笑んだ鋭い眼差しの男は、南の国リドンと決別したその国の宰相だった。
実際、この男が南の国で宰相の仕事をきちんとしていたかどうかは定かではない。
元々南のガーフィン大帝には前大帝時代からの有能な宰相がついていた。だが彼は高齢で、その補佐としてこの男を呼び込んだに過ぎなかったのだが、滅亡したセド王国の秘宝の鍵を握る者として大帝に優遇され、いつの間にかよそ者のこの男が宰相の地位にどっかりと居座っていた、というのが真相だ。
現在、彼が大帝の怒りを買い、捕らえられたが逃亡。元々持っていた自分の組織に戻って早数ヶ月。南の国の宰相には前々の有能だった宰相の孫が今は納まっているらしいが、当の男にはどうでもいい事だ。

そう。この男──ティアンにとって南の大帝は自分の野望のための踏み台にしかならなかった。

北の国第一王子ミャオロゥの使者だという軍部の男(話によると親戚だとか言っていた)が帰っていった後、ティアンは先程と違って険しくも鋭い目を窓の外に向けた。
視界には悠々と灰色に染まる冬の海が広がっている。本格的な冬の訪れだ。
他の国に比べ、北に一番近いこの国の冬は厳しい。この国が凍りつく前に、何としても目当てのものを手にする必要がある。

「……この国から出すものか、キイ……」

この男が″彼“の事を異名ではなく、本名(ほんな)で呼ぶのはここ久方ぶりだ。″彼”がこの世に生まれた落ちた時から知っているという事を世間から誤魔化すため、異名で呼んで何年経ったのか。……もう少しで。ようやく追い求め続けていものが手に入る。

ギリギリと口元をゆがめた後、無意識のうちにティアンは呟いていた。
「誰が何と言おうとも、お前はこの私のモノなのだ。──この世に現れた時から」

"神の気を持つ子供”の話を師匠であったマダキから聞いてから、そしてこの目で本人を一目見てから、セドの王子であるキイ・ルセイをティアン欲した。
キイがセドの王子だからではない。
性別がどうであれ、純粋に彼の美貌と持って生まれたその力に引き寄せられた。
まるで、自分のためにだけ生まれてきたような人間──。
気術を極めようとする自分にとって、神の気"光輪”を持つキイは絶対になくてはならない存在なのだ。

ティアンにとって、元養い子だったカァラの取った所業は、皆が思っているよりもかなり手痛い事だった。
よりのよってよくもこのタイミングで、キイの素性を証明する王家の名簿が刻まれた石板が、あのカァラの手に渡り、公表されてしまうとは。
あと、もう一息だったのに。
できればキイがセドの王子だということを世間に認識されたくなかった。彼が王子と認められてしまったら、自分が思うように動けなくなる。絶対に各国が大騒ぎするに違いない。実際、ほら見ろと彼らはキイを保護する方向に話が進んだではないか。

(早めに察知してミャオロゥの奴を利用させてもらって正解だった。国内の紛争という事でこの国を封鎖すれば、簡単に他の国の奴らが入り込んでくる可能性も少なくなるし、それにキイをこの国に閉じ込めておける)
もちろんティアンだってこの状態が長く続くとは思ってはいない。なにせ指揮を取っているのがあの愚鈍なミャオロゥだ。いつ形勢逆転されるかわからない。この好機に一気に彼を見つけ出し、全てを己のものにするのだ。

そう、キイの真の価値を知られてしまう前に、早急に彼を見つけ出し、この手にしなくてはならない。

特にあの執拗なゼムカのザイゼムが、こうしている間にもキイの行方を突き止めているかもしれないと思うと、焦燥に身が焦がれる。
それ以上にキイの傍にくっついている余計な人間達を早く排除したい。特に相方と豪語している"金環の気”の使い手であるアムイをも。

"金環の気”がキイの持つ"光輪の気”に呼応するのを知った時から、ティアンは着々と準備を進めていた。
己の"金環の気”をキイの"光輪”と同調させる研究のために、吸気士であったカァラの実父シヴァを使って、大陸に10人といない"金環の気”の持ち主からサンプルを収集し、その後こっそりと刺客を放って彼ら次々と抹殺した。
全ては己が"光輪”を制する唯一の"金環”の持ち主になりたいが為である。

──そして残った"金環の気”の持ち主は、とうとうあの忌々しい昂極大法師(こうきょくだいほうし)とアムイだけになった。

だが、キイの相方と名乗るアムイの抹殺はことごとく不発に終わり、二人が離れていた好機も逃し、今のティアンは精神的に追い込まれていると言ってもよい。そんな時にキイの素性の暴露だ。
これ以上、不利な種を増やしたくないティアンは、こうして強硬な手段に出たのだった。

「ティアン様っ!ティアンさまぁ!」

物思いに耽っていると、側近であり己の研究助手でもあるチモンが、興奮した様子でティアンのいる部屋に飛び込んできた。今まで客人をもてなすために傍に待機していた、護衛を任されているティアンの甥、ロディはあからさまに嫌な表情を浮かべる。ロディはチモンが嫌いだからだ。

「おお、どうしたチモン」

叔父でもあり、この組織の頂点であるティアンの優しげで甘ったるい声に、ロディは内心舌打ちした。
この叔父の二面性は昔から知ってはいるが、こうまでしてこの研究助手を手懐けたいのかと、悪態をつく。
ほら、言わんこっちゃない。──急いで飛び込んできて息も上がっているこの男は、その声に益々息を荒げ、茹でたこのように真っ赤になっている。相手を心酔しきっているあの目。
滑稽だ、とロディは思う。
叔父は確かに気術に関してはもの凄い才能を持っている人間だ。だが、人間性に関して言えば首を捻らざるを得ない。そんなの、幼い頃からわかりきっている。気術の才能があっただけで、実の姉から幼かった甥を略奪するような男だ。
己の野望のためには手段を選ばない、自分にとって役に立たない他人には心底冷酷になれる。そんな面を近くで嫌というほど見てきた。
ロディはやはり幼い頃から共にこの男に仕えてきた青年を苦々しい思いで眺める。ほとんど無表情であるロディだから、彼が内心自分を疎ましく思っているとは全く気付かないチモンは、ちらりと彼を見ると得意そうに笑った。

もう二十歳(はたち)を越えているだろうに、童顔と小柄な体躯のせいでチモンは今でも見た目は幼さい感じが抜けない。そういうところもティアンのお気に入りなのだろうが、それ以上に気術研究者としての才はロディよりもはるかに上だった。チモン本人はある程度の"気”を使えても、実践するにはお粗末な程度だ。が、理論や扱いに関してはティアンと肩を並べるくらいと言っていい。
だからあの叔父が何年もこのチモンを傍に置きたがるのだ。単純で、研究以外は愚鈍なチモンには甘すぎるほどのエサを与えればいい。あの鬼畜な叔父が、チモンに対してだけは非道な扱いをした事がない。褒めて伸び、萎縮させると潰れるという繊細なチモンの性質を見抜いているのか、とかく甘く甘くなりがちな叔父に、ロディはやり切れなさを感じている。
あの南の大帝に捕らえられたときも、拷問の恐怖に耐え切れず早々に内情を暴露したにも関わらず、ティアンはあっさりと彼を許した。ティアンにとってはそれ以上にチモンの助手としての働きの方が大事だったと言うわけだが、ロディは今でも釈然としない……。

──気術の実践に関しては、まるで兵士のように厳しく訓練され、泣いてもすがっても突き放され、それなのに第二次成長期までは夜伽を強要させられた。叔父としてさえの愛情を微塵にも与えられず、苦渋を舐めさせられてきた自分を思うと、目の前に繰り広げられる(ある意味)師匠と弟子の馴れ合いが空々しい。

「そうか!やっとそこまで融合したか!」
ティアンはチモンの持ってきたデーターを食い入るように見ると、先程までの鬱屈さを払拭したかのように満面の笑みを浮かべた。
「はい!これでティアン様の思うとおりに事が運ぶことでしょう」
対するチモンも誇らしげに胸を張っている。ああ、褒めて褒めてと尻尾を振っているのが目に見えるようだ。
「でかしたぞ、チモン。さすが私の弟子だ。……おお、これでようやく…」
「ティアン様!」
何やらティアンの究極の研究が形になったようだ。……彼の目的である【宵の流星】に関しての。
うんざりしたロディは、手を取り合ってはしゃぎあっている二人を残して部屋を出た。

「…馬鹿馬鹿しい…」

ぼそりと零した言葉に、ロディはハッとすると辺りを見回した。
鉄仮面、と周囲から言われるほどの無表情の自分。いつから表に己の感情を映す事ができなくなったのだろう。……顔に出ていなくても、ロディの心は雄弁だ。
見た目がこうだから、自分の事を冷静で何も感情がないティアンの人形と称されているが、実際の内面は激しいくらいにドロドロとしている。──それを表に出さないよう、必死で抑え込んで来た。出せば叔父の激昂に触れる。
幼い頃から己の保身を貫くために、叔父の人形と化して生きてきた。従順な僕(しもべ)──そうしていれば叔父はすこぶる機嫌がいい。こうして生きてきたロディは、今更叔父に逆らう気概はなく、今の境遇も敢えて反発するつもりもない。……が。
どうもチモンと己の格差を見せつけられると、今まで奥底にしまって蓋をしていたドロドロとした蠢くものが外に出ようと暴れ出す。だからロディはこういう時、チモンを無視するか傍を離れるのだ。いくら彼の、自分に対する思慕に気がついていても。いや、だからこそロディはチモンを排除するのだ。徹底的に。それが自分の加虐性を刺激し、悦に導くと自覚しつつ。

「俺って結構屈折してる」
誰もいないと確認してから忍び笑いし、本音を漏らす自分は、本当に歪んでいる。
ロディは再び能面のような顔に戻ると、誰もいない廊下を機敏に歩き始めた。

国境の封鎖、研究の成功──。
こうして意気揚々としていたティアンが再び焦燥を味わうのはわずか数日後の事である。

◇◆◇◇◆◇


ミャオロゥ第一王子が、父王であるミンガンの不在に謀反を起こし、王宮と王都を占拠した。
もちろん、それと同時に国境封鎖のために郊外各地にも中央軍の手が伸びた。もちろん、北の国一番大きい港街、水甲(すいこう)もまた然り。
特にこの水甲は、ミンガン王の異母弟であるイアン公が領地している場所だ。しかも北の玄関とも言われ、貿易が盛んで、外国からの船の出入りが激しい。
ミャオロゥ率いる中央軍が一番初めに占拠の動きをするのは当たり前だろう。
あっという間にイアン公の屋敷諸共、港町は占拠されてしまった。
だが、幸か不幸か、イアン公の屋敷には奥方と息子たち数名しかいなかった。一番拘束し、協力を仰ぎたい当のイアン公が不在では、中央軍を新たに率いる事となったミャオロゥ王子の母方の実家、ハクオウ家縁者である中央軍准将ミンチェも一瞬、頭を悩ませた。
中央軍が水甲を占拠したとき、イアン公は二人の息子を連れて、隣町周辺の会合に出掛けてしまっていたのだ。イアン達は思いのほか議論が生じて、本当なら夕刻には戻る算段が翌朝にまで延びてしまったという。それを知ったミンチェ准将はすぐさま、屋敷の人間(主に妻子)を人質にし、すぐさま戻るようにと使者を出した。もちろん、こちらに協力するのなら何も手荒な事はしない、と丁重に文書をしたためて。
ミンチェもとよりミャオロゥの最大の恐れはイアン公が自分達の敵になる事だ。身分の低い妃が生んだとはいえ、先代王の血を引く人間であり、しかも王家を出た身でありながら水甲を豊かに治め、近隣の町や村からも尊重され絶大な人望がある人物である。──ミャオロゥが北の国の王になるためには、この叔父を味方に引き込むのが一番安泰なのである。ただ痛いところだが、ミャオロゥとて、この叔父に嫌われていると知っていた。だからこそ、無理やりでも意に沿ってもらうため、安易に武力を行使する道を選んだのだった。


「……はっ!まったく脅してくるとは、この私も舐められたものだな」
と、イアン公はつい先ほど隣町で宿泊中の宿に乗り込んできた中央軍兵士から渡された手紙の内容を、一目見るなり無造作に投げ捨てた。
兵士たちはこのままイアン公を連行する勢いで宿の玄関で待機している。さすがに元王弟には手荒な真似をするのは忍びないらしい。手紙は兵士自らの手渡しではなく、まずはイアン公の従者に渡された。そこはやはり、高貴な人物を迎えるという事なので、罪人を捕えるような荒っぽい真似は上官から固く禁じられているからだ。まず最初に、悪い印象を与えないよう、真摯に丁寧に、恭しく、目当ての人物を手中にしたい。手荒くするのは本人が抵抗してからだ。と、上官は部下に言い含めていた。まあ、すでに妻子を人質に取っておいて何を言っているのか、と傍で思うが。

「父上、兵士はあと5分で支度をしなければ、強制的に連れていくと宣言していますが…どうしますか?」
イアン公は、自分の数名の従者の他に、三男と末の息子を連れて来ていた。屋敷には妻と、今は自分の代理を任されている長男、そして4人の息子達が残っている。
末の息子であるシーランは、父親に尋ねる兄とその父の顔を不安そうな面持ちで交互に見やった。
しばらくして、父であるイアン公はこう口を開く。
「行くしかあるまい。……家族が取られてしまっては」
「父上!」
「だが、行くのは私とラオ(三男の名)だけだ」
その言葉に、え?と二人の息子は顔を見合わせた。
イアンはニヤリと笑うと、声を落としてシーランにこう言った。
「後はラオに任せて、お前は昨日からそのまま友人の家に行ったと誤魔化す。いいな、シーラン、時間がないから手短に指示するぞ」
ごくり、とシーランの喉が鳴る。父は一体、何を自分にさせようというのか。

「今すぐこの裏手にある隠し扉から脱出し、急いでオウク村に行き、オウ・チューンの協力を仰げ」
「まさか、オウ・チューン家を頼る、と?」
二人の息子は驚いた。オウ・チューン家といえば、北の御三家として有名な一族の一つだ。確かにミャオロゥの母方の実家であるシウ・ハクオウ家と並ぶ有力貴族であるが、最近は北東地域に引きこもって、王都や王宮から遠ざかっている。理由はハクオウ家の娘が正妃に納まり王子を産み、ハクオウ家の実権が強くなったからと言われている。
ここ数年、影が薄いくらいに大人しくなったというオウ・チューン家に、父は何を考えているのか。
「いや、単純な話だよ、シーラン。ここ数年、土地柄にも近いという事もあって、私はオウ・チューンの当主と懇意にしていてな。……それはお前だってわかっているだろう?当主の後継者であるジンとお前は学友で、かなり親しくしてもらっていたしな。で、……彼の持っているものは何だ?」
シーランは自分の学友でもあり、幼馴染でもある、ジン=オウ・チューンの姿を思い浮かべた。
少年の頃から武芸に秀で、鍛え抜かれた体をしているが、決して屈強というわけでもなく、細身の、竹のようにしなやかな肉体を持つ青年。そして一番記憶に残るのは、彼の整った怜悧な顔。切れ長の鋭い目は、敵ならば絶対に容赦しないと物語っている。いつも、どこかしら緊張を孕んだオーラを持つ青年だ。 
彼の持つもの……それは…。
「ジン、というよりも、彼の父が自警団を持っています。……あ、そういえば二十歳(はたち)の誕生日にそれらを父親から譲られたと……まさか、父上!」
「ふふ、面白くなってきたなぁ」
イアン公は不敵に笑い、懐から小さな袋を取り出すとシーランに持たせる。「これは」
「これを当主のワンに渡しなさい。そうすれば全て彼が上手く動いてくれる」
「父上」
「さ、早く行け。いいな、誰にも見つからないように。これはお前の力量と運を試す第一歩だ。わかったな」
イアン公は彼に従者の一人をつけさせ、二人を隠し扉の方に誘導するよう近くの者に支持をする。少しばかりの不安と、戸惑いの表情をのせて、シーランは父親の言うとおりに急いで外に出て行った。父親の、″私達は大丈夫”という言葉を耳に。

「父上……、私設軍をオウ・チューン家と共に作っているというのは…本当でしたか」
「これで私はミンガンに恩を売る」
「!」
はっと顔を上げる三男のラオに、イアン公は厳しい眼を前方の扉に向けた。時間が迫ったのだろう、扉の向こう側でざわざわと慌ただしい物音が大きくなっていく。
これから拘束されるだろうに、イアン公の瞳には愉悦すら浮かんでいる。これから起こすことは、強いて言えばこの北の国…モウラのためである。
イアン公は密やかな声で、目の前に佇む息子に意気揚々としてこう宣言する。
「あのミャオロゥなんぞにこの国を任せられるわけないじゃないか。……こういう時のために、私はワン=オウ・チューンと共に自分達で動かせる軍隊を密かに作り、強化させたのだ。今、この時にこの切り札を使わなくてどうする?しかもその先導するのはワンの子息であり……同じく私の息子のシーランだ。
今、弱っている王宮とミンガンを救ってに恩を売り、ゆくゆく将来はシーランを次代の王にする」
「まさか!」
驚く息子にイアン公は声を出すなと手で制しながら、彼にしか聞こえないほどの声で自分の考えを暴露した。
「こうなって私も覚悟を決めた。そう、私はシーランをこの国の王にする。今ではないぞ。もう少し外堀を埋めていく必要があるが……。とにかく、当分はまだミンガンに王位を死守してもらおう。何せ、もうあれには跡を継ぐ息子がいない。ミャオロゥは運よくこれで終わるだろうし、シャイエイは……はっ、お前も事情を知っていると思うが話にもならん。という事は、王家の血を引く男子というのは、結局私の息子達だけだ。……そして、ミンガンの一人娘とかろうじて年も近い方、優秀で誰もが認める人間といったら、シーランしかいないだろう?そのシーランが、伯父である王を救うんだ。王家の血を引き、将来は王家の姫君と縁組めば……誰も文句ないだろう!これはなラオ、シーランを次代の王にするための布石なのだ。……ふふふ、あの馬鹿王子め、いい所で失態をかましてくれたものだ」


そして数日後、イアン公の思惑通りに挙兵した私設軍は、オウ・チューン家の御曹司ジンとイアン公の末息子であるシーランが指揮を取り、瞬く間に王都になだれ込み、王宮を中央軍から取り戻した。

その激しい戦いの中、色々なことがあったが、ミャオロゥが実弟シャイエイを斬って逃亡した時点で、私設軍の勝利となったのだった。

ただ、中央軍の残党が意外にも抵抗が激しく、王都の戦闘が鎮まったのは、王宮からミャオロゥが逃げ出してから丸二日もかかってしまい、王都の復興が懸念された。
しかし、それもミンガン王を助けた異母弟イアン公の好意で、全ての復興の手助けを受ける事となった結果、イアン公とその子息への絶大なる人気が高まったのは言うまでもない。

そしてイアン公の思惑通り、彼の息子シーランがこの北の国を治めるには、それから8年ほどの歳月が必要となる──。もちろん、彼の隣には西の国から奪うようにして取り戻した従兄弟姫、アイリンが妃として迎えられる。だが、それはまだもっと先の、別の話となる──。 


* * *

「それで、動くならこの混乱した時がいいのではと思い、こうして急いでやってきました。もう中央軍から私設軍……の方に実権が移っていますので、この地方も私設軍が中央軍を制しにやってきます。中央の話ではミャオロゥ王が港側に逃亡したという情報もありますので、それまでに行動した方がいいかと提案をしにきました」

西の王子リシュオンの声が部屋に響く。彼はアムイ達をシュンメイに託した後、再び船の整備のために小さな漁港に舞い戻っていた。だが、昂老人の一報で、急きょこうしてアムイ達の前にやって来たのだ。
そして今、彼はキイにいくつかの選択を促している。

この北の国の混乱に乗じ、一気にこの国を出るか、それとも────。

これからの彼らの動き──それは。

全てはセド王家生き残りと認定されてしまった、最後の王子キイ・ルセイ=セドナダ、彼の考えひとつにあるのだ。


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2014年5月16日 (金)

暁の明星 宵の流星 #199-②

「結局、乱暴を働いた奴らはどうなったんだ」

キイの憤りを抑えたような低い声が皆を緊張に走らせた。今まで何も話さず、ただ黙してじっと耳を傾けてばかりいた彼の初めての言葉に、その場の空気が張りつめたようになった。それほどキイの美声はいつもより低音で掠れていた。声色に怒りが含んでいるのは、誰の耳にも明らかだ。
一瞬、戸惑うような空気の後、言いにくそうにシュンメイが答えた。
「……結局、何もありません……。複数の男達はすぐにどこかへ逃げてしまったし、主犯の男は……」
言いよどむシュンメイに引き継いで、夫のハロルドが無念そうに口を開く。
「この国の大事な第一王子だからね。……王子の母親の実家が上手く裏から手を回して……聖職者を凌辱した主犯だという事は抹消された。父親であるこの国の王ですら、その事は耳に入っていない。当時、彼の母親の実家の力が強くて、我々も…王に訴えるような状況じゃなかった。そうすればシュンメイも…ステラも、もっと危険な目にあわされていたから。────それでなくとも、この大陸では男が女を奪う事に関して、何の法の規制もない。…暴行が罪という意識がない。俺はそれこそ問題だと思う。傷つけられた女たちは…すべてが泣き寝入りだ」
「……そんな…!」
イェンランの言葉に、悔しそうに顔を歪めたシュンメイは、ふるふると頭を横に振る。
「これが今の大陸の現実なのです。事実、ステラの場合、異国で野党に襲われた事になっていました。大聖堂の方にも、そのような報告がなされていたと思います…。私、悔しくて」
「シュンメイ」
ハロルドは妻の震える肩をそっと撫でた。
本来ならば、傷を受けていたのは自分の妻だった。ステラへの申し訳なさと、救ってやれなかった後悔が、ずっとハロルドを苛んでいた。自分達の幸せはステラの犠牲によって成り立っている。一生、自分達夫婦は彼女を、彼女の子供を守る…そう決意して共に暮らしてきたのだ。この、オーンの教会で。
「一番、怒り狂っていたのは第三王子のシャイエィ様でした。あの方は普段温厚で、気の弱いところがある御方なのですけれど、…あの方が面と向かって長兄である第一王子に立ち向かったのは初めてだったんではないでしょうか…。あの方が二度とミャオロゥ王子と接触できないように図ってくれたのです。ステラの事は元聖職者という事で、世間の悪意から守るために完全に隠してくださいました。その代り、私を取り合い、シャイエィ様の愛人となったという話が世間に広まって驚きましたが、その方が都合がいいと思って、否定しませんでした。ミャオロゥ王子から私を守るためにシャイエィ様が異母兄(あに)のマオハン王子に頼まれて、身柄を隠したという事はミンガン王もご存知です。私はその後、二度と王宮を訪れるなと遺言され、その異母兄(あに)が亡くなっても、葬儀にも参列を許されなかった。…どこでミャオロゥ王子と顔を合わせるかわかりませんから」

シュンメイはそっと息を吐いた。
生きる屍同然だったステラを皆で支え、無事にセイオンを産んだ後、ひっそりと教会の協力を得て共に暮らしてきた。シュンメイは異母兄(あに)の残してくれた軍事基地と教会に身を隠しながら、リザベル妃と共に北の国にやって来たハロルドと密かに逢瀬を重ね、人知れずに教会で結婚の誓いを立てた。その時に証人となってくれたステラと、祝辞を授けてくれた教会の主であるフォウ天司には感謝してもしきれない。そのあとすぐに双子を身籠り、そして間もなくリザベル妃も懐妊されて、夫のハロルドとは長い間別居婚になってしまったが、産後の肥立ちがあまりよくなかったリザベル妃の療養のため、教会の近くの離宮にしばらく住まう事となって、ようやく夫とも暮らせるようになった。その縁でシュンメイは(一応)名を変えてリザベル妃の世話と姫君の乳母としてひと時暮らすことになる。
あの好色な第一王子のリザベル妃を見る視線に懸念した王が、一時期妃を王宮から遠ざけたという理由もある。──そして彼女の死後、ハロルドは妻子のためにオーンには戻らず、ただの一市民としてこの国に残った────。

「女が少ないというのに、何故、皆大事にしない?──このままでは本当にこの大陸の未来はない」
大きな声ではなかった。先程よりも怒りを抑えたような声で、抑揚なく言い切ったキイに、皆は苦渋の面持ちで目線を下げるしかなかった。
「……男は暴走すると手がつけれなくなる事もあるからね。特にその攻撃的な気の流れが多すぎるのよ、この大陸は。だから誰かが何とかしないといけないんでしょ…。やり方はどうかと思うけど、中央のゲウラが秩序を持たせるためにと苦肉の策で国営娼館…今はほとんど自治区だけど…を作ったのも、女に対する仕打ちが酷くなったため。──それでも男性本位のやり方だと思うけど、当時はそれしか女を守れる手段はなかったというのだから、世も末よね」
「そうだったんだ…」
シータの言葉にイェンランはそっと呟く。彼女は桜花楼という世界を忌み嫌っていたから、そういう事情でできたとは知らなかった。というか知ろうとする気持ちすらなかった。
女を守るといっても、男を満足させ、暴走させないために作った男による男のための秩序だ。その守り方は金銭と肉欲が絡み、決して女の人権を尊重したものではない。
「数が多い方が支配色が強くなる。特に陽の気を持つ外向気質の男はそれによって殊更支配欲が増す。……それが勘違いを生むんだ。女は自分達と同じ感情を持つ人間ではなく、道具であり支配し庇護される存在で、だから何をしてもどんな風に扱ってもいい……と」
キイはそこまで言うと、何かを振り祓うように頭をぶんぶんと振った。
そのうちもっと数が減れば、絶命危惧種の扱いを女は受けるだろう。完全な男の支配と管理下に置かれ、情もない交配、欲を解消するためだけの扱い……。闇だ。考えただけでも吐き気がする。きっとそれを彼らは何の疑いもなく、世のためだと慢心して行い続けるだろう…。そんな世界が近いうちにやって来そうで、キイも、いやこの場にいる女性達もぞくりと身を震え上がらせた。

「とにかくわかった。この国の第一王子が糞だっていう事がね」と、大げさにフン、と偉そうにふんぞり返るキイ。それを受けて、首を捻りながらクライス大天司がおもむろに口を開く。
「それでも因果応報……。巡り巡って己で放ったものは己に返る。善を放てば善が返り、悪行を為せば悪行の報いを受ける──。確か、聖天風来寺での教えにそういうのがあったはず……。ですよね?」
彼の意を含んだような眼差しを受けて、キイは押し黙った。
「そうよ。だからきっとあの王子にはそれ相応の報いはあるわ。──人は善行を天に貯金しているというから、その貯蓄を失い、マイナスとなった時に、それを戻そうと報いがくるのよ。……そう考えると天はある意味公平なの。それを意識して人は生きるべきなのよ」
キイの代わりにすらすらと説くシータを、クライスは面白そうに見やると、にやっと小さく笑った。
「ずいぶん、お詳しいのですねぇ?なるほど、貴方は聖天教(しょうてんきょう)にかなり精通しているとお見受けしました。今度二人で互いの教義に対する見解を述べてみませんか?」
「ご遠慮します」
「即答かよ」
思わずぷぷっと噴出したキイを、シータは横目でぎろりと睨む。その様子に笑いをこらえながらキイはクライス大天司に視線を向けた。
「聖天教なら、俺もそのシータも門下で学んだからな。こいつがダメなら、この俺があんたの相手、してやってもいいぜ」
「キイ!……じゃない、ルー……」
「シータ、今更だろ?この大天司さんの顔、見てみ。俺らの事情を知っているという顔だ。……どこまでご存じかは……これからの話次第だけどな」
「キイ、アンタ」
シータは眉根をぎゅっと寄せた。その二人の様子にクライスはふっと気を緩めた。
「……では、あとで。夕食後にお伺いします。──もちろん、貴方の″大切な相棒″もぜひご一緒に」
その言葉にキイはひくりと頬を歪ませ、シータは溜息を吐くと、もう勝手にして、と言うように片手を左右に振った。

しばらくして、シュンメイがステラを落ち着かせるために、皆にお茶を淹れようとその場を離れ、それをきっかけにシータとイェンランも子供達の世話をするとして、彼女と共に部屋を出た。
二人はすぐに廊下でシュンメイとは別れ、子供達のいる場所に向かう途中、ステラの息子を黙って連れ出したアムイが気にかかり、ついでとばかりに彼らの姿を探し始めた。

教会内にいる気配がないので、彼らは庭にいるのではないかというシータの言葉を受けて、イェンランは彼と共に教会の裏手にあるテラスから外に出る。
いつの間にかどんよりと曇っていた空は晴れ渡り、清々しい空気が肌を潤していく。
「雨、酷くならないうちに止んだみたいね。庭のお花に水滴がついてキラキラしてる」
庭に咲く花の美しさに心から感動しているイェンランを斜め後ろで眺めていたシータは、憂いた顔でそっと彼女に近づくと、「大丈夫?」と囁いた。
イェンランは驚きながら振り向き、シータの瞳に心痛な色を見つけると、困ったような笑みを反した。
「……うん。ちょっとあの時の事、思い出しちゃったけどね……」
「そっか」
「けど、あのステラさんって素晴らしい人だよね。心にどれだけ傷を負ったんだろう…。でも芯の部分は綺麗なままで…子供に愛情を持って…」
「……そうね、彼女は立派たわ。悪いのはその彼女を表面だけ見て糾弾した馬鹿だけどね。それが神に仕える身だなんて、まったくの笑止!」
シータはリンチ-天司の暴言暴挙を思い出したのか、美麗な顔を思いっきり顰めている。イェンランはふふっと小さく笑った。きっとステラに対するだけではなく、自分にも投げかけられた科白を思い出しているのだろう。
「でも、あの時のシータ、かっこよかった!やっぱりシータも男の人なんだな、って思ったよ。大天司様じゃないけど、あの啖呵、身震いするほどしびれちゃった」
途端、シータの顔がみるみる赤くなる。おや、珍しいとイェンランはにやにやとする。滅多に見られない彼の姿に、何か彼の素を垣間見たようで嬉しくなった。
「そ、そぉ?……ちょっとガラが悪かったかしら…?」
気まずいのか照れているのか、戸惑っているシータに、イェンランはううん、と首を振った。
「とんでもない、言ってくれてスッとしたし…。ただ、いつもレディなシータが男言葉だったのが新鮮だっただけ」
「もぉっ!イェンったらやめて!お願いだからもう忘れてちょうだいっ」
自分の頬を両手で押さえ、いやいやと首を振るシータのしぐさが異様に可愛らしくて、イェンランは男前だったあの時の彼とのギャップに、我慢できずに声を出して笑った。 


* * *

教会はなだらかな丘の上にあって、門を出ると広々とした草原が目の前に広がる。
アムイはその門から数歩出たところの大きな木に背を預けるようにして景色を眺めていた。胡坐をかいている足の間には小柄な少年がすっぽりと収まっている。

あの時何も言わず、この子を抱き上げ連れてきてしまった。

我慢できなかったのだ。酷い事を言われ、そして母親を庇おうと泣きじゃくる彼に、いつしかアムイは己の姿を重ねていた。

《忌み子(いみご)》

その蔑みの言葉はオーン神教独特のもので、堕天者(だてんもの)もまた然り。アムイはオーン教と関わりなく育てられたので、今のセイオンと同じで、その言葉がどういう意味を持っているのかは幼い自分は知らなかった。
……だが、アムイの人生の中でその言葉が数回、自分の心を切り裂いたことがあったのを、あのリンチ-天司によって思い出したのだ。

+++

『この子が堕天者が産んだという、忌み子ですか』

十八年前──。
ちょうどミカ神王大妃(しんおうたいひ)に些細なことで殴られて、必死に逃げていた時の頃だった。あの運命の日が近いある日の事で、すでにいわれのない虐待を幼い身に受けていたアムイは、何故黙っていたのかとキイに叱られ、キイの伯母(この時はそう教えられていたが、アムイにとってもれっきとした義理の伯母だ)の自分に対する扱いに不信を持ち始めていた。
──しかも、自分の父親の大罪を知ってしまった矢先の事でもある。
確かに幼いながらも、伯母であるミカ大妃の口から、最近自分に対して父親の名前が出る事が多くなって、尋常ではない何かを感じていたのだろう。
彼女を避け始めたアムイに苛立ちを募らせたミカ大妃の、自分への扱いがエスカレートしていく現実に耐えられなくなって逃げ出したアムイは、キイを捜していたその時、偶然宮中に参じていた聖職者と出会う。彼は神王代理として政(まつりごと)をしていたシロン摂政の客だった。
この当時、オーンとセド王国は緊迫した関係にあった。もちろん、それはアムイの父が起こした大罪が要因である。それでもまだこの頃は、真実を隠し持っていたのはセド王家だけで、オーンの方は疑惑の目だけを向けていた時であった。だからたまにこうして視察という名目で、オーンが聖職者をセドに寄越すのだ。その時だけ、摂政シロンはキイを隠す。だからアムイが懸命にキイを捜しても、見つからないのは当たり前である。青痣を作っているアムイの顔を一瞥すると、その聖職者はまるで汚物をみるような目でそう吐き捨てたのだ。
言われたアムイはもちろん意味も分からずきょとん、とした。だが、その次の瞬間、シロンがアムイの小さな体を突き飛ばしたのだ。
『そうですよ。さっき話していた身持ちの悪い女聖職者の子どもです。──どうなのですかね?大聖堂ではこういう忌み嫌われた汚らわしい子に対し、どういう制裁を加えてらっしゃるのか』
『堕天した者は悪魔に身も心も売ったも同然、その証である子も当然悪魔の子ですよ。一番、神に毛嫌いされる存在だ。こんな子供をどうしてセドの王宮に住まわせているのか……我らとて信じられません』

当時、オーンの疑惑を何とか誤魔化そうとしていた王家の者のあがきが子供のアムイにわかるわけもなかった。当時のアムイは、昔の父アマト同様、王家の利益のために生贄と捧げられたようなものだ。
『この子はお恥ずかしながら身内の血を引いてましてね…。昨今の女聖職者は己の利のために我が王家の血を欲するのも構わないようですね。王家の血を引いた子を産めば、罪が軽くなるかとも思ったのでしょうかね。騙された身内が不憫ですよ』
『……それは…恥ずかしい事です…。やはり女聖職者を廃止するべきかもしれません。そうすれば、このような不幸な子は生まれないですむ』
その時向けられた刃物のような鋭い眼差し。内容はわからなくても、大人になった時にその意味を知り、怒りが噴出したが。
結局気まずくなった聖職者は、セド王家の思惑通り早々と帰って行った。もちろん、ご丁寧にそういう忌み子の処遇の相談をいつでも乗ると言って。
アムイが不憫だったのは実はそれ以降だった。それを見聞きしていた亡くなった先代神王の妾腹腹である王子達が、面白おかしくアムイを貶めるために好んで使ったからだ。
『忌み子!』『堕天の子』……と。

《知っているかアムイ、忌み子ってなぁ、本来はオーンの国に行ったら、一生牢獄から出られないらしいぜ》
《そうそう、何せ禁忌の…悪魔の子だからなぁー。穢れるのを恐れてるんじゃないの?オーンはさ》
《つまりお前も生まれながら罪を背負っているってことだ。畜生よりも下ってことだよ!ほら、服脱げよ。悪魔の子なんだから、人間様の格好するなんて図々しい》

事実、オーン神教によって大陸の数か所にそのような子供を集めた施設があるとは聞いたことがある。それも周囲からの差別や敵視から子供を守るために大聖堂が率先して作ったというのが発端らしいが、中には一部の潔癖すぎるともいえる聖職者の、制裁という名の虐待の場と化しているところもあるという。その実情は大聖堂でも完全に把握できていないらしいが、それが元でオーンには忌み子を隔離し、無料奉仕する人材として一生拘束するという噂が流れている。
当時のセドの王子達は、それを聞きかじっての発言かと思うが、何も知らないアムイを恐怖に陥れるには十分すぎるほどだった。

アムイはさっきまで泣いていたセイオンが落ち着きを取り戻し、話ができるまで気分が上向きになったことに心底ほっとしていた。

産まれる時のトラブルで脳に小さな障害を持つセイオンは、年齢よりも幼くて大人の込み入った難しい話を理解できないでいる。今回はそれが彼にとってよかった。素直で心根の優しいこの子に、自分と同じような思いをさせたくない。あんな人を貶める意味など一生知らなくていい。
アムイは溢れそうになる思いを胸に、セイオンに「もう平気か」と、ぽつりと話しかけた。
「うん、もう平気。だってぶつかっちゃったボクが悪いんだもん。……お母さんも怒られちゃった…。お母さん、大丈夫かなぁ……」
セイオンの母を心配する声に、アムイは居たたまれなくなって、そっと彼の頭を撫でた。嬉しそうに目を細める彼は、まるで子猫が喉を鳴らしているような愛らしさがある。
「お前は優しいな。……もう少ししたらお母さんの所に戻ろう。きっと心配している」
「へへ。それにボク、ああいうの慣れてるの。だから平気」
「慣れてるって……。お前いじめられてるのか?」
「うん。でもね、リー(シュンメイの末の息子)みたいにいつも優しくしてくれる子はいるよ。だけど、仕方ないんだ。きっとボクにはお父さんっていう人がいないから」
親がいないのはセイオンだけじゃないだろう。どうしてか彼の頭の中では、他人が自分に冷たくする理由を、そのように解釈しているようだった。
「どうしてそう思うんだ?」
「……だって、施設の子たちがみんなゆってた。親に捨てられたから、いらない子だから、嫌われるんだって。……この教会お父さんお母さんがいるのはリーだけだもん、誰もがリーには優しいし」
複雑な人の思惑を読み取れない彼は、思うままを受け止め、簡単に納得してしまうのだろう。だからといってその境遇を怨むわけでなく、ありのままに受け入れている。自分が思っている理由がまがっていると理解しないままに。
「でも、ね。ボクはまだいい方なんだよ!だってお母さんがいるもん。だから何を言われても大丈夫。それに、いつもシャイ王子様が言うもん。気にするな、ここにはお前のお父さんの代わりはたくさんいるって……。リーのお父さんや天司さまや……それに、シャイ王子様だって」
「シャイ王子?」
それはきっと北の国の第三王子シャイエィの事だろう。
「うんっ!とっても優しいの!お母さんにも優しいよ。ううん、誰にも優しい」
シャイエィ王子の話になると、セイオンの顔がぱぁっと明るくなる。
「この国の王子様だけど、えばったところなんてないんだよ?いつも来るとボクを優しく抱っこしてくれるの。レイさんみたいにいい子いい子してくれるんだぁー」
「そうか!それはよかったな。いい人なんだね」
「…うんっ。王子様がボクのお父さんだったらいいなって…いつも思ってるんだけど、そう言うとお母さんが泣くんだ。だから…」

その時だった。
丘の下方から地響きがし、不穏な気を察したアムイはセイオンを抱きかかえたまま反射的に立ち上がった。
「レイさん?」
「しっ」
アムイは目を眇めて下方を見やると、そこから土煙を立てて、勢いよく教会目指して駆けあがってくる馬の集団が目に入った。
「誰か来る」
怯えるセイオンをぎゅっと抱きしめると、その場を去ろうと踵を反そうとしたアムイは、先頭を走る馬上の人物の声で引き止められた。

「アムイ!」
その馬上の人物は大声を張り裂けながら、スピードをあげ、あっという間に彼らの前に滑り込むようにして近寄ると、さっと馬から飛び降りた。
「リシュオン!」
目の前に現れた人物、それは西の国の第五王子リシュオンであった。
彼ははぁはぁと息を切らしてアムイの目の前にいる。彼の後方からは従者と思われる者の馬が数頭追いかけるようにやってくる。
「……どうした。何かあったか」
尋常でない顔色のリシュオンに、アムイは嫌なものを感じたが、それは珍しくリシュオンが焦っているせいだと気が付いた。彼が若干取り乱しているのは、余程の事だと察知したアムイに緊張が走る。
「ええ。宵さ…いえ、キイは中ですか?緊急です。王宮での状況が急変しました」
「急変?」
「はい!王都は現在戦闘状態です。先程、王宮も多大な被害が出て──」


* * *

「おかあさぁぁぁーん!!」

子どもの悲痛な泣き声が庭を劈(つんざ)き、のんびりとしていた空気が破られたイェンランとシータは何事かと声の方を振り向いた。
わぁぁーと大泣きしながらセイオンが教会に駆け込んでいく。その後を慌てた様子でアムイらが追いかける。
「……え?リシュオン?」
アムイの後ろにいた人物に気が付いたイェンランは目を見開いた。尋常ではないと悟ったシータの表情がきつくなる。
「何かあったみたいね。イェン、行きましょう」
「う、うん…」
イェンランは促されるようにして彼らを追って教会の中に入った。

* * *

ちょうどその時、キイ達はシュンメイの淹れてくれたお茶を堪能していたところだった。涙が止まらなかったステラもようやく落ち着いて、和やかに話ができる状態になった時、突然バタバタと子供の足音と共に、「お母さん!」と泣きじゃくる子供が部屋に突入してきて一同は驚いた。セイオンは母親の姿を見つけると、大泣きしながらその胸に飛び込んだ。
「まあ、どうしたのセイオン」
我が子を宥めようとしたステラは、その後から勢いよく飛び込んできた男二人の表情を見て絶句した。
「どうした」
キイの声もいささか固い。それほど部屋に入ってきたアムイ達の顔が緊張で強張っていたのだ。
「キイ、王都の情勢が変わった」
「何?」
「今、王宮は戦火に見舞われて半壊滅状態らしい。──形勢逆転だ。私設軍がミャオロゥ率いる中央軍から王宮を奪還した。だが、かなりやり合って酷い状況らしい」
「なんだって?」
「ええ。昂極大法師のお伝えでは、私設軍が王宮に攻め込んで、シャイエィ王子を救出。そこまではよかったんですが、かなり中央軍が抵抗して、多大な被害が出た模様です。ただ、残念ながら肝心のミャオロゥ王子を逃してしまったようですが……」
「お母さん!どうしよう、シャイ様が死んじゃったらどうしよう!」
リシュオンの説明を遮って、セイオンが泣き叫んだ。
「どういうこと?」
「けっ、怪我って……シャイ様……」
「えっ!ちゃんと説明してセイオン!王宮ではシャイエィ様の身柄は安全だって……それがどうして!」
ステラの顔色が変わった。縋る息子を引き離して話を促そうとするが、彼は嫌々と頭を振って益々彼女にしがみつく。
「セイオン!」「うわぁぁーん」
泣きじゃくってばかりのセイオンに代わってリシュオンが痛ましそうに答えた。
「シャイエィ王子がミャオロゥ王子と対峙されたそうです。その時、かなりの戦闘となったらしく……。結果、ミャオロゥ王子は実の弟君を切り捨て、王宮を従者と共に脱出したと」
「本当か!それでシャイエィ王子の様子は」
ハロルドが蒼白となってリシュオンに問いただすが、彼はふるりと頭を振る。
「とにかく混乱していて、現状はそれしか情報がきていないのです。昂極様も今渦中におられて…。ただ、今の情報では負傷したということなので、お命には別状ないかと。ただ、かなり激しくやり合ったそうで、その程度は計り知れません」
「シャイエィ様……何てことだ!」
数日前に幽閉されたシャイエィ王子を思いながら何とか王都を抜け出たというハロルドは苦悶し、シュンメイは今にも崩れそうなステラ親子を支えるために傍に寄った。
「ああ…どうしましょう、シュンメイ。あの人が…あの人が」
(死んでしまったら)という不吉な言葉をステラは飲み込む。あってはならない。あの優しい人が、この世を去る何てこと。

《すまない。本当にすまない。君を助けてあげられなかった。もっと早く、間に合っていたら、君をこんな目にあわせなくて済んだ。君を神から遠ざけさせてしまったのは、私が不甲斐ないせいだ》
そう言って、汚されて茫然自失だった自分をきつく抱きしめ、泣いてくれたあの人。

──ああ、どうかご自分を責めないで。貴方のせいじゃない。貴方は何も──

《どうか自分を卑下しないでほしい。貴女はとても立派だ。新たな命をこの世に送り出した偉大な人だ。オーンではどうか私は知らないが、北星天では命がけでこの世に命を産み出す母という存在は天神に等しいのだよ。これからはひとりの母として、北の国で胸を張って生きて欲しい』

──貴方がいてくれたから……息子を実の子のように慈しんでくれたから……私はこうしてちゃんと2本の足で大地を立っていられたの……貴方が…支えてくれたから……──

「しっかりして、ステラ。まだそうとは決まっていないのよ。貴女がしっかりしなくてどうするの!シャイエィ様は大丈夫。絶対貴女たち親子を残して死ぬ何てこと、絶対ないから」
シュンメイは二人に覆いかぶさると、ぎゅっと抱きしめた。シャイエィ王子には昔から、彼が不在の時にはステラ親子を守るように頼まれている。
本当に彼が隠したかったもの。世間の謂れのない目や偏見や、そして自分の兄の脅威から、本当に彼が守りたかったのは、元聖職者であったこの女性だ。

「とにかくわかった。もっと詳しい話を聞かせてくれ、リシュオン。それと、どういう見解かも」
厳しい顔つきでキイがそう言い、場所を変えようと提案した。
確かにまだ教会の食堂に彼らはいた。ここでは誰が入って来てもおかしくないし、落ち着かない。甥の事で沈んでいたフォウ天司を促して、キイ達は教会の応接間の方に場所を移動したのである。

これからの事を話し合うために。


◇◆◇

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2014年5月 8日 (木)

暁の明星 宵の流星 #199-①

今でもあの時の事を思い出すと恐怖で自分が壊れてしまいそうになる──。
女だというだけで、ああも人格も肉体も傷つけられ、全てを一瞬で粉々にされてしまうとは。

あの日をもって、聖職者ステラ=リードは破壊された。
男たちは本能のままに彼女を虐げ、弄んだ。それはあたかも清純なものに自分の跡をつけ、汚して遊ぶ子供のように。

だが、しかし、彼女の心までは壊れはしなかった。
聖職を失ったとしても、確かに心に深い傷は残ったかもしれないが、命は残った。しかも幸か不幸か、彼女は真の敬虔なオーン信徒であった。
彼女を救ったのは、このような地獄を見てもなお、揺るがなかった絶大なる神への信仰心と、新たな命、──それを心から支えてくれた人々のお蔭だ──。

+++

ステラ=リードは最高大天司長の末の妹であるリザベル姫に仕える騎士、ハロルド=ヘイワードと共に北の国モウラに出向いた天空代理司(聖職者)の一人である。ハロルドは天司ではないが、敬虔な神教徒であり、リザベルが北の国に輿入れするために必要なオーン教会の体制を整えるという目的もあって数名の聖職者に混じって北の国入りした。
元々異教徒にオーンの貴族の姫君が嫁ぐ、などというのはかつてなかった事で、この婚儀を整えるいくつかの取り決めの中に、リザベル姫の改宗を認めない、というのがあったためである。
宗教戦争後、宗教の自由が認められ、宗教間の垣根が低くなったこともあり、夫婦それぞれが違う信仰を持つ事も当たり前としてなっていた昨今、由緒正しいオーン神教徒の一族は当たり前のようにそれを求めてきた。
北の王家は北天星寺院が国教でもあって、王家は始祖からもちろんそれを信仰としてきたから、輿入れの相手が異教徒であるというのは前代未聞でもあったわけで、周囲も戸惑い、拒否感もあった。しかし、今の世の中の流れに逆らえない、と最終的には渋々認めたのである。
リザベルに恋をしていた当のミンガン王は、彼女のためなら何でもするという勢いで、北に嫁いで不憫な思いをしないようにと、オーン教を国教の次に厚遇することに決めていた。そのために彼女の近しいオーンの人間を呼び寄せ、より良い環境を整えようとしていたのだ。

ステラは当時、初級から中級に上がったばかりで、リザベルと年齢も近いという事もあり、彼女の生家からの要望でリザベル付きの聖職者となった。その時に彼女の護衛でもある騎士ハロルドと親しくなる。
そして自然にその流れでシュンメイとも知り合った。
あの堅物で、リザベル姫以外の女性に笑顔すら見せたことのない男が、異国の美しい女性を気にかけている姿を見て、ステラは微笑ましく思っていた。傍から見て二人が惹かれ合っているのもわかっていた。シュンメイも気持ちのよい娘で、彼女よりも年上のステラは、いつしか妹のように思うようになっていた。
だから、どうしても輿入れの準備で一時ハロルドが帰国しなければならなくなった時、ステラは快く彼の代わりに北の国に残ったのだ。シュンメイは王宮の第一王子に狙われていて、それを心配しているハロルドの代わりに彼女を守ると誓ったのだ。ハロルドは『感謝するが、決して無理するな。すぐに戻る』という言葉を残して後ろ髪を引かれる思いで帰国した。
だが、やはりというか、姑息な第一王子はハロルドの一時帰国という隙をついてきたのだ。
同じくシュンメイを守ろうと動いている第二王子マオハンは床に伏していたし、第三王子シャイエィの力は弱い。それでも彼女を守ろうという計画はうまくいっていたのだ。だが。

シュンメイの身を安全な場所に隠そうとする直前に事は起こってしまった。
彼女が目的地に向かうために宮殿の外に出た途端、多勢の男たちに襲われあっという間に拉致されてしまった。表向きは盗賊の仕業と思わせて、実は第一王子が雇ったゴロツキが金に目がくらんでやった事だった。それはあまりにも手際よすぎて、彼女につけられた護衛が間に合わなかったほどだ。
シュンメイは第一王子の隠れ家の一室に監禁された。
もちろん、ミャオロゥ第一王子は念願の女を手に入れたと、上機嫌で部屋に入った。だが、彼がそこで見たのは、目当ての女と似ても似つかない、痩せた地味な女だった。


念のために。
と、ステラは地毛である金茶の長い髪をきつく一つに纏め、上からすっぽりとシュンメイが異母兄から贈られたベールをかぶった。彼女の今の姿は、北の国の一般女性の出で立ちで、灰色の目を伏せれば、どこを見てもこの国の女に見れる。しかもシュンメイよりも華奢ではあるが、ステラは異国の女で、ある程度背丈はあった。この国の一般男性くらいの身長は。だからすんなりとシュンメイの代わりになろうと思ったのだ。
『私が彼らの目を引くから、貴女はその隙に目的の場所へ行って』
『だめよ、ステラ。そんな危険なこと、させられないわ!』
シュンメイはものすごく反対した。実はその前にも自分が囮になる…という計画を第二王子達の前で提案したのだが却下されていたのだった。理由はシュンメイと同じ。いくら護衛がついていても危険すぎる、と。特に第三王子シャイエィが一番に立って。
だけど、彼女は譲らなった。彼らに内緒でシュンメイと服を交換したのだ。彼女に聖職者の振りをしてと言い含めて。

自分は崇高なる聖職者だと、ステラは自負していたのだ。どのような相手であろうがそれを曲げられないし、屈伏するわけもいかない。中級となった自分はそれまで経典を司る教育司官(きょういくしかん)という聖職者教育・教典管理を担う機関に属していた。だから彼女は何かあった場合、神の道を説いて相手を導く覚悟をしていた。
だが、話の通じない相手もいるんだという事を、まだ年若かった彼女には計り知れず、特に神の庇護のもと、大聖堂という安穏とした箱庭で育った彼女は、ある意味世間の恐ろしさを知らなかったともいえる。
シュンメイ本人ではない、と知ったミャオロゥの怒りは半端でなく、彼の激昂にステラは恐怖に支配された。しかも、女一人に多勢の男。ざっと五-六人はいたであろう。
その異様な空気に、ステラの女としての防衛本能が沸き起こったが、もうすでに遅かった。
『お前が代わりになれ』
と、ミャオロゥはこともなげに言い放った。
彼には相手が聖職者であろうと、所詮異教徒であるために、何の躊躇もない。神の怒りなどどこ吹く風だ。
まさか、と。ステラはまさか神に仕える自分に、このような暴挙に出るとは思いもしていなかった。いや、そういう事例があるとは知っていたし、堕天した聖職者も目の当たりしていた。だが、これは彼女の傲慢さゆえか、自分はならないという変な根拠が常にあったのは否めない。自分は神に庇護されている。だから、大丈夫なのだ……という、驕り…が。

『なあ、オーンの女聖職者は生娘だというじゃないか。本当かどうか試してみよう』
そう嘲笑って、男達は彼女を欲望のはけ口にしたのだ。

そこには愛も何もない。ただ暴力だけがあった。

+++


────── 一度堕天してしまうと、二度と普通の世界に戻れなくなるのよ。 ──────

慰安のために訪れた町で、彼女はかつての仲間に会った。しかも場末の酒場で。
自分よりも年上の彼女は、数年前まで聖職者としてオーンの島にいた。
明るくて誰よりも奉仕熱心で、島民らからも慕われていた模範的な中級天司。神に近い位置にいる事を、あんなに誇りにしていたのに。
それがあっけなく崩れてしまったのは、奉仕の一環として行われていた一般人との相談日に、遠方から訪れた男のせいだった。男は彼女の優しさや同情心に付け込み、縋り、誘惑した。言葉通り、悪魔の誘(いざない)い、だ。
無垢だった乙女は知らないうちに心を絡め取られ、一線を越えてしまった。聖職者としての禁忌を犯してしまった。そして彼女はそのまま男の手管に翻弄され、肉欲の渦に捕えられて……堕落した。罪人、として聖域を追放されたのだ。
彼女のその後を知らなかったステラは、偶然の再開に愕然とした。
あれだけ神の御許で輝かしい日々を送っていた清らかだった彼女が、目の前で男を誘うような胸元の開いた服を纏い、真っ赤に爪を染め、派手な化粧、乱れた髪を気怠くかき上げている。信じられなかった。彼女の廃れた現状を。
結局彼女を陥れた男はあきたのか重かったのか、すぐに彼女を捨てた。堕天し、罪人となった彼女の行く末は惨めなものだった。彼女も男との快楽が忘れられず、しかも自分を堕天させボロボロに捨てた男への憎しみに支配されている。
『下界の男なんてみな悪魔よ。女を欲の対象としか見ていないの。まんまと食われるだけなんて割に合わないわ。私が男を食い物にしてやるのよ』と彼女は鼻で笑う。
そこには神を崇め、平穏で愛に溢れた昔の彼女の姿はない。植えつけられた快楽と全ての男達への憤りを、己を身売りするという事でぶつけているのだ。それは無意識にも自分自身に罰を与えているように見える。本人は気が付いていないようだが……。
『一度堕ちたら、底辺から這い上がるなんて、どれだけ厳しいものか。……ううん、違うわ。一度穢れたら上に行くのは出来ないのよ。……無意味よ、無意味!堕天した女に信仰心なんて無意味なの。神は正直だし冷たいわ…。それがわかったのよ、心底』
そう口元を歪める彼女の瞳は底のない沼のようにどんよりと濁り、暗闇に揺れていた。
その痛烈な表情に、ステラは恐怖を感じたものだった──。


+++

だから純潔を失う事は、ステラにとって恐怖以外のものではない。聖職者としての自分の死を意味する。 
下肢の激しい痛みと共に、堕天した彼女の言葉がぐるぐると回り続ける。

────一度堕天してしまうと、二度と……

それがたとえ、不可抗力だったとしても。
神の加護が無くなった時点で自分は敬愛する神に見捨てられたのだ。
…………救いはなかった。その時はそう思い込んでいた。
全てが終わったその時に、ステラは絶望の海に沈んでいた。いっそこのまま命を絶てば、神の慈悲が貰えるのではないか……という考えに支配されながら。

だが、それすらも天は許さなかった。生きる、という事を彼女に突き付けた。

それは茫然自失していた彼女を救い出してくれた友人達や…自分を泣きながら抱きしめてくれたあの人が…底なし沼から自分を引きずり出し、今生に留まるように心を尽くしてくれたからだ。
それでもまだ神への罪悪を感じていた自分に、気を取り直させる事態が起こる。
自分の中に小さな命が芽生えていた。その事を知ったあの人が黙って手を握り締めてくれたあの時に、ステラは生きようと思ったのだ。
彼女の絶望は、底辺ではなかった。凌辱の果ての結果だったとしても、子供は神の贈り物である。不思議なことに、ステラはそれが神からの啓示のように思えたのだ。この命は神の意志。この命を授かったという事は、自決を神から拒否されたと解釈した。

授かれし尊きものを守り、産み育てよ────それがお前の贖罪でもあり一条の光であるのだ────

我が子を苦しみぬいて難産で迎えた時、ステラはその言葉を聞いた気がした。
それは出産を終えて朦朧としていた時に目に映った、あの人の微笑みがそう思わせたのかもしれない。

ステラは思う。確かにあの時自分は地獄に突き落とされた。だけど、周囲の愛で心だけは死なずに済んだ。どれだけ体は穢れていようが、信仰を忘れなかった自分は幸せだったと思う。

────そう言ったら怒られたけど、あの人に。

《貴女は穢れていません。その純粋な心と同様に──。傷つけられたとしても、何ら変わりはない────。》

+++


ステラは締め付けられる胸を押さえ俯いた。全てを話し終えたその時に、彼女の頬を伝って一粒の雫が床に落ちた。
シュンメイは目元を真っ赤にして泣いている。それを隣にいた夫のハロルドが鎮痛の思いで彼女の肩を抱いていた。キイは目を瞑り、天を仰いだ。クライスは憂いた顔でそっと目を伏せた。イェンランは壮絶な話に己を重ね、憤怒の胸中にいた。

……許せない…。イェンランは唇を噛んだ。
わかっている。自分もキイやアムイ、リシュオン達のお蔭で、そういう男ばかりではないという事を知っている。だからここ最近は彼ら限定で接近しても、拒否反応は出ないくらいには立ち直っている。それでも、ステラの話を聞いて、イェンランは多勢の男に襲われた事をまざまざと思い出してしまい、吐き気を覚えた。欲望でぎらぎらとした目。荒い息遣い。気持ち悪い手と舌の感触────。

震えそうになる指を、いつの間にか隣に来ていたシータの手にそっと包まれてはっとしたイェンランは、反射的に彼の顔を振り仰いだ。そこには心配そうに見下ろす茶色の瞳がある。
ふっとイェンランは力を抜いた。指先から伝わるシータの優しさに、徐々に心が落ち着いていく。
彼はいつもそうだ。
華やかで派手な出で立ちと、ちょっと上から目線な女言葉で、人当たりがきつそうな印象を与えるが…事実本当に怖い所のある人だけど(だってあの華奢で柔に見える姿で複数の男らをあっさりと蹴散らすくらい強いし)、でもその内情は本当に優しい人だと思うのだ。特に弱い者に対する庇護欲は半端ないとイェンランは感じたことがある。母性……に近い父性というのか、文字通り強きを挫き弱きを助ける、それをさりげなくやってのける。
彼の持つ中性的な透明感と気さくな人柄にどれだけ助けられてきたことだろう。
その彼が、たまに見せる意外な一面──。彼もキイと同じく捉えどころのない男(ひと)だ。

「……真の信仰心をお持ちの貴女を、誰が責められようか……。悲しくも不幸な出来事に見舞われたにも拘らず、貴女の心に灯る愛の火は消える事はなかった…。聖職を負われたとしても、それでも神の御心にそって日常を懸命に生きている貴女を私は尊敬します」
そうクライス大天司はステラに向かってはっきり言うと、深々とお辞儀した。慌てたのは当の本人である。
「大天司様!おやめください、こんな私に頭をさげるなどと!」
「こんな…とは?貴女は人としても女性としても素晴らしい人ですよ。きっと神もそう思っておられる。恥じることなど何もない……お辛かったでしょうが、その分心に深みが増した。お会いしてなおさら確信しました。だから大丈夫、正々堂々と前を向いて生きなさい」
「天花(てんか)大天司様……」
ステラはその言葉に思わず両手で顔を覆った。信じられなかった。まさか上級大天司にこのような言葉をかけてもらえるなんて。

嗚咽を堪えるステラを見下ろすクライス大天司はまるで聖堂に飾られた聖人そのものであった。
崇高で、この慈悲深い表情……話しには聞いていた、これが真の聖職者の姿なのだろうと、イェンランは思った。


* * *

申し訳ありません。今回長くなりまして、このままだとなかなか更新できないと踏んで、前半だけ先に投稿させていただきました(汗)近いうちに②を更新します。予定では、その後の#200(おお!)でこの章を終わらせるつもりです。いつも間隔を空けすぎてすみません。詳細は活動報告にて!

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2014年4月28日 (月)

暁の明星 宵の流星 #198

「何という醜い有様を晒してしまったのか。同じ聖職を営む者として誠に申し訳なく思っております」

深々と皆の前で ──特にずっと下を向いたままのステラに向かって── 頭を下げる大天司に、皆は気まずそうに顔を見合わせた。ただ二人、背の高い美貌の男と女装した美男だけは苛立ちも隠せずにそっぽを向いていたが。

「大天司様、どうか面(おもて)を上げてください。謝るのは叔父である私です…!本当に恥ずかしい…。
あの子は昔から品行方正で正義感の強い優秀な子だったので……、きっと立派な聖職者として貢献するだろうと頼もしく思っていました…。もちろん、大聖堂に渡り、順調に中級聖職者に進んだこともあって安心しきっていました。
……なのに……。あの子の潔癖さと正義感があれほどの偏見に満ちていたとは……!……情けない、本当に情けない!」
温厚、と表するに相応しいこの教会の責任者でもあるフォウ天司は白髪交じりの頭髪を片手で掻き乱すと、嘆きながらテーブルに突っ伏した。

「いえ、完全な私の監督不行き届き…。本当は下の者からリンチー天司の激しいところは耳に入っていたのですが、まさかここまでとは思っていなかったのが私の甘い所でしょう…。様子見として黙していたのも不味かった。彼を助長させることとなってしまいましたから……。
ただ、これからの彼のことを考えると、リンチ-天司の確固たる証拠……というか、本心を知りたかったのは否めません。そのために……」
クライス大天司はちらりとステラの方を見る。彼女はまだ俯いたままだ。
「か弱き女性と少年を傷つけてしまった……」
クライスの苦渋に満ちた声に、ステラはハッとして顔を上げた。

「そうよぉ、大天司さま。アナタやっぱり考え甘いわよ。ツメも悪いし、のんびり構え過ぎ!
同類を大事にしたいのもわかるけどね、詰め込み教義の弊害じゃないのー?あれ。一体どういう聖職者教育をしてんでしょうかね、大聖堂さんも。
しかもあの馬鹿、アナタに叱られたっていうのに、何で怒られたのかわからないのよ?どうして自分が罰せられて、謹慎させられたのかすらも!
ああいうのはね、野放しにしない、理解できるまで底辺で奉仕させる。それ、どこの宗教でも鉄則─…」
「シータったら!」

キイ専用の毒舌が、何故か他の対象にも全開となっている事にぎょっとしたイェンランは、これ以上シータが暴走しないよう、彼の言葉を遮った。が、意外にもクライス大天司は気にすることもなく、いや、何故か上機嫌になって嬉々としてシータに向かって破顔した。

「本当です。私もまだまだ大天司を名乗るまでのレベルではありませんでしたね。でも、これも己の修行として、神から与えられた課題として喜んでさせていただくと致します。
……しかし、本当に貴方には助けられました。素晴らしい啖呵、惚れ惚れしました」
「は?」
「まぁ、さすがに自分もあの時止めなければと口を開いたのですがねー。私よりも素早く対応してくださって、本当に素晴らしい方だと、再確認しました。しかもあの毅然とした怒声、いやぁ、痺れました。貴方は美しいだけではなく、心根がまっすぐで力強い。まるで天界の闘神のようだ」
「そ、そんなお世辞なんかいらないわよっ!聖職者のクセに気持ち悪いわね!」
「お世辞なんてどうしてどうして。もちろん私は聖職者で神に仕える身ですよ?嘘はつけない性分で──。あ、そうかぁ、照れてらっしゃるんですね?何て可愛らしい方だ!ああ、本当、惚れてしまいそうです、レディ」
どこまで本気なのか、にこにことした顔でクライス大天司はシータに臆することもなく言い切った。
「アタシはレディじゃないって言ってるでしょーっ!そんな歯の浮くようなセリフ、爽やかに言い放ってんじゃないわよっ!ああああ、やめてぇ、痒くなるぅぅ」
と全身をバタつかせているシータを、まるで慈愛に満ちたよーに見つめるクライス大天司。
それを生温い目で見るフォウ天司以外の人間達。(フォウ天司はそれどころじゃない状態で全く気が付いていない)


──あのねぇ、シータ。皆にはレディとして扱えっていつも言っていたのは自分じゃない。何でここまで大天司様には否定すんのよ。

イェンランはどっと疲れが押し寄せてきて、大きなため息を零してしまった。

──大天司様も大天司様で、それ、女を口説いている台詞ですから。しかもどうしてさらりと下心もなさそうに言うんですか。

確かにクライス大天司の言っている内容はどこのジゴロ?と思うようであるが、彼が言うとまったくもっていかがわしい感じ、淫靡な臭いがまったくしないのだ。だからなお更彼の真意が測りかねない。何かの意図があるのか、純粋にそう感じているのか……。

(もしかして大天司様って天然?でもまぁ、あんなに嫌がるシータも久々というか…。ちょっと面白いかも)
などとシータが聞いたら絶対怒るであろう不謹慎な事を心の中で思いつつ、イェンランは先程、アムイに抱きかかえられるようにして連れていかれたステラの息子、セイオンの様子が気になった。

震える彼をステラの腕から取り上げ抱きかかえると、皆に頷いてその場を速やかに去って行ったアムイ。 
それを黙って見送ったキイ。

「セイオンはアムイに任せよう。大丈夫、あいつなら…」
その後、不安がる母親のステラや、心配する皆に対してキイは憂いた顔でそう言った。

その心中は計り知れないとイェンランは思う。それは偶然にもアムイの記憶を通して知ってしまった二人の過去だった。でも、きっとそれだけではない複雑な思いを抱えているに決まっている。
二人はセイオンのように”忌み子”として蔑まれたことがあるのかもしれない。親を堕天者、大罪人と糾弾されたりもしたかもしれない。
それでもキイは言っていたじゃないか、
『この世に生まれて、意味のない人間なんていない』────────と。      

それが事実なら、こうしてこの地に生まれてきたすべての人は、何のためにここで生きているのだろう。楽しみばかりではない、苦しみの方が……この世は多いのだ。天界のように幸せしかないと言われる世界と全く違うこの地を、どうして創造主(絶対神)は造ったのだろう。

その答えを目の前の男──キイは知っているのかもしれない。肝心なことになると口を閉ざしてしまうこの美しい男に、自分はいつか、すべてを曝け出してもらえるほど信頼を得られるのだろうか…?

(だめだよね。男に対する恐怖で自分自身すら相手に全てを見せることができないのに)
イェンランは微かに苦笑して、もう一度、今度は小さな吐息を漏らした。


+ + +


「…で、当のリンチ-天司は結局…」
シュンメイの夫ハロルドの言葉に、クライスはふうっと息を吐いた。
「今のところ初歩から経典をもう一度やり直させているところだが、帰国するまでに教会への体を使った奉仕もさせるつもりだ。その様子で戻ってから処遇を決める」
自分の従兄弟である男に対しては口調も変わるであろう、気安い様子でクライス大天司はそう言いながら肩を竦めて見せた。
「うわ、中級者にはそれきっついな。初心に戻って……か。素直に従えるかが鍵だな」
「いや、私からの命令だから行動はいたって従順……表面的にはね。大事なことは内面だ。彼がどれだけ、この修行に意味を見いだせるか、気づけるか、……それが悟れないようであれば、真の神の代理司(だいりし)と言えない。
────聖職者は清廉潔白であれど、その立場から傲慢になってはならないんだ……。もちろん聖職者とて人間だから間違いはあるが、重要なのはその後どれだけ自分を正せるかだろう?その基本中基本……謙虚な心で真摯な学びをどれだけ自然にできるか……。そしてちゃんと自覚しなければならない、己が生かされているんだという事を……」

最後の方は呟きにも似て、そのままクライスはやるせない風情で呆然と窓の外に視線を向けた。外はちらちらと雨が降り始めている。薄ら寒い、灰色の空が視界を埋め尽くす。彼の心はどんよりと沈んでいる──外の景色と同様に。

クライス・グレイ=ヘイワードは、どんな人間であれ、同じ聖職者として仲間を無下にはできない性分である。
確かにこの屈強で割と派手な見かけから、活動的で外向きな性格に見られるのはいつもの事で、それを無意識に人から期待されるのもいつもの事だった。だが、彼は本来は内向的で慎重で、滅多に怒らない穏やかな男である。元々ひっそりと経典を学び、医療の研究をする方が性に合っていた。
(人を導き教育するという事は難しい……)
なので本当は大聖堂の準最高官の地位である大天司(だいてんし)になど、まだ自分では無理だと神官最高位であるサーディオ最高大天司長からの打診を再三辞退したのだが……。
だが、役職に就いたのだから、そんな言い訳は許されない。どんなに心が痛くても、ここは心を鬼にして後輩を指導していかなくてはならないのだ。……特に、百年前に起きた宗教政争の要因のひとつでもある……オーン教徒の異常なまでの穢れや理想とするもの以外を頑なに拒絶する潔癖さを……それが間違った方向にいっているのを見逃すわけにはいかない。
────こんな時、自分の幼馴染の親友ならば、気持ちいいくらいの英断を下せるのに、とクライスは自嘲する。きびきびと物怖じせず、己の道を切り開いていく、そして清々しいほどの正義感を持つ、自分とは正反対の大切な友人。彼なら何の迷いもなく、人を導いていけるのに……。
クライスは幼い頃からの親友に思いを馳せつつ、ちらりと目の前で不機嫌にしている【宵の流星】という異名を持つ美貌の青年を垣間見る。親友も、そして巫女となった幼馴染も、そして自分も……彼とそっくりな美しい人から異名を頂いた。実物を伴った天女、女神の再来……そうまでも言われたあの御方の……忘れ形見。

クライスはふるりと、もうひとつの自分の使命を思い出して体を微かに震わせた。……しっかりしなくては。


「とにかく、ステラ殿には本当に嫌な思いをさせてしまった…。話は人事の方から報告は貰っている。現役時代の貴女ほど真摯で崇高な聖職者はいなかったと……彼らも嘆いていたほどだ」
「とんでもございません!天花(てんか)大天司様……。わたくしは聖職を剥奪された罪人です。貴方様に頭を下げられる所以はないのです」
「ステラ…!」
涙目でクライス大天司を見やるステラに、隣にいたシュンメイが苦渋の表情で彼女の腕を取った。
「ああ、シュンメイ。違うの。貴女に罪悪感を与えるような言い方をしてごめんなさい…。私は……その、後悔していないって……、こうなってしまっても、今は恨みはないと言いたかったの」
ふんわりと、彼女の笑みは昔と変わらずに慈悲にあふれている。シュンメイは益々眉を下げ、泣き出しそうな顔をした。
二人のやり取りに、その場がしん、と静まり返った。事情を知るものは何と言ったらいいかわからない、知らないものはわけがわからない、という戸惑いの空気の中、ふっと小さく溜息を零したステラが意を決したようにキイやイェンラン達に顔を向けた。

+ + +  


『お願いです、王子!それだけは…、ああ、どうかお慈悲を……!』
何度も何度も相手に請うた。絶望の中、最後の砦を守ろうと、恐怖の中必死で説得した。
なのに現実は残酷だった。……聖職者とはいえ、女。神に仕える立場だと言っても、所詮異教徒。
目の前の悪魔は笑って彼女を穢したのだ。──複数で。

『なあ、オーンの女聖職者は生娘だというじゃないか。本当かどうか試してみよう』


+ + +

ステラはその時の恐怖が喉元までせり上がってくるのを感じたが、無理やり飲み込むと、重い口を開いたのだった。

十年前、その時、何が起こったのかを。


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2014年3月22日 (土)

暁の明星 宵の流星 #197

ええっと……。一体どうしてこんな気まずい空気になったんだっけ……。

イェンランは先程まで噛み締めていた朝食のパンを飲み込むと、小さく吐息を漏らした。

それはもちろん、夜半に現れた三人の人物によってもたらされたものと分かっている。ただ、ただ…ねぇ……。


ここは教会の食堂である。信徒が多くは入れるようにと数十人も人が余裕に入れるほどの広間で、長いテーブルに木の椅子が向かい合っている。10人掛けのそのテーブルが平行に3列ほどあって、その窓側の一列にイェンラン達が向かい合って座っている。

窓側にアムイ達一行──アムイ、キイ、イェンラン……そしてシータとシュンメイ。その向かいにシュンメイの夫であるハロルド、彼の従兄弟だというクライス聖典大天司、教会の責任者であるフォウ天司とその甥であるリンチ-天司が並ぶ。
隣の中央のテーブルではシュンメイの子や教会で暮らす孤児達が賑やかしく朝食をとっている。
普通なら和やかな食事風景なのだ、“普通”ならば。

もちろん子供達のテーブルは普段通り明るい声が聞こえてくるが、対照的に大人達が陣取るテーブルでは誰も一声も発することもなく、ビリビリとした険呑な空気が漂っている。

そう、この嫌ーな空気。別に昨夜現れた彼らが持ってきた中央王都の情報のせいではない。決してない。──だって後からやって来たイェンランとシータが聞いても、あ、やはりね?と思うような情報しかなかった。
なのに、どうしてこんな雰囲気になっているかというと────。

イェンランはちらりと目の前で食事をする四名の聖職者達を窺った。
特に銀髪の美丈夫と隣の隣で機嫌悪そうに野菜を口に運ぶ顔色の悪い神経質そうな若い男。
この二人のせいだ。絶対そう!
と、イェンランは見えないところで拳を握った。

直接の原因は刺々しい反応を隠さなかった、教会のフォウ天司の甥という中級聖職者のリンチ-だと思う。
いやいや、聖職者のくせにあんな態度を取った大天司様が発端だ。
彼があんな、俗っぽい反応をしなければ、潔癖が顔に張り付いているようなリンチ-天司がああも露骨な態度には出なかったであろう。

うん。そうだ。

やはり実際の元凶はこの麗しいほどに神々しい、俗世と全く関係ありません、というすかした顔をした(イェンラン目線)クライス大天司サマだ!


* * *

昨晩。
教会の宿舎で子供達の世話を手伝っていたイェンランとシータは、思いのほか仕事がてこずってしまい、今夜訪れるという王都の情報を持つ人物が待つ応接間に向かうのが遅れてしまった。
まあ、キイとアムイが出迎えているはずだから、少しも心配などしていないけれど。
それでも王都の状況は把握したい気持ちに変わりなく、特に只今絶賛音信不通となっている昂老人の安否が一番気にかかる。いくら賢者衆きってのつわものとはいえ、(推定)80は超えているご老人だ。
「お爺さん、無事よね?シータ」
「そうね……。といっても、今どういう状態なのかもわからないし…。老師の事だからきっと上手く切り抜けているとおもうのだけど」
二人は逸る気持ちを抑えつつ、教会の廊下を早足で渡る。目指す部屋へと迫った時、扉越しに中での話が聞こえてきた。

『ということは、 昂極(こうきょく)大法師は無事なんですね?』
『ええ、かの方から文を預かっています。』

優しげなうっとりするほどの美声が聞こえる。だが、それよりも昂老人の無事、という言葉にイェンランは気が急いてノックもせずに扉を開けてしまった。
「お爺さん、無事だったの?」
「イェンラン!いきなり入っちゃダメでしょ?」
後ろでシータが慌てて彼女を制するも間に合わず、突如入って来た少女に驚いて部屋の中にいた客人が彼女らを振り向いて固まった。

何故かそのまま数分、相対した感じで互いに見つめ合い、奇妙な沈黙が流れる。

見知った顔の他に三人、初めて見る顔が目を丸くして飛び込んできた自分達を凝視している。一人は薄茶の髪に緑色の目の旅装した男で、他の二人は聖職者とはっきりわかる衣装を着ている。そのうちの一人は神経質そうな痩せている長い黒髪の男。そしてその後ろにいるのがなかなかの美丈夫。銀色の髪が灯篭の光を受けてきらきらしているなぁと、イェンランはぼんやり思っていた。

と、その奇妙な沈黙が突如としてぶった切られたのは、思わず彼女が見惚れてしまっていた銀髪の聖職者の反応だった。
「うわっ……」
と、いきなり変な声を発した次の瞬間、かぁっと真っ赤になったかと思うと、挙動不審に目を泳がせた。
「大天司?」
反対に険しい表情になったのはその様子に気が付いた黒髪の聖職者リンチ-天司だ。
「い、いや……そ、その……。ええと…」
「どうした?クライス。その…珍しいなお前」

懸命に平静を取り戻そうと焦っている彼の様子に、従兄弟でもあるシュンメイの夫ハロルドは、まるで初めて見たかのように呆気にとられている。いや、子供時分から知ってはいるが、普段平静さを失わず、常に微笑みを絶やさない従兄弟に、 こいつは生まれながらの聖人だといつも感心していたのだが。……なのに何だ?この俗っぽい反応は…。
完全に周りも怪しい態度の大天司に驚いた顔をしている。
ハロルドも首を傾げながら、彼…クライスが反応したであろう原因を探ろうと、今部屋に入って来た人物をこっそりと観察する。

飛び込んできたのは黒髪で小柄な…かなりの美少女だ。普通の男なら彼女に反応したと思うのだろうが、クライスは普通の男ではなかった。しかも清廉潔白な聖職者である従兄弟が反応したと思われるのは、…そう、多分、黒髪の少女の後ろにいる……すらりと細身で…何というかすべてがキラキラとした…目が痛いほどの艶っぽく派手な美女である。薄い金髪をゆるく頭の上で纏め、ジャラジャラとした髪飾りが華やかに揺れ、琥珀に近い色の瞳と真っ赤な唇は扇情的に男の目には映るだろう。
もちろん、この場にいる人間の中で美貌という事であれば、ルーと呼ばれるキイという男が一番だが、クライスは全く動じていなかった。まあ、仮にも彼は男だし、そういう対象ではないからかもしれないが────。

…………ええ? いや、でも、まさか……ということは、あの反応は…。
(まるで一目惚れしてしまってその動揺を隠そうとしている……かのように見える。見えるぞ、クライス!いいの?それっていいのか?!聖職者なのに…それ、まずくない??しかもあんな派手な……ごにょごにょ)

変な汗が出て来そうになるのを抑え、平静に努めようとするのは、クライスの隣にいるリンチ-天司が益々険呑さが増してきたからだ。このまだ年若いリンチ-という中級聖職者はかなり潔癖な所があると見た。というか、理想が高いと言うのか聖職者たる者の気高く清らかな姿を目指しているという感じで、俗っぽい、もしくは不浄なものを拒絶しているという感じに見える。…まあ、高みを目指す若い聖職者にありがちな感情なのだが。
ハロルドが心配すればするほど、リンチ-天司の顔が恐ろしいほどに強張っていく。どうにかしろぉぉと悶絶寸前までいきそうになるハロルドをよそに、クライス大天司は黙っていればいいものを、何をとち狂ったのか思いっきり爆弾を落としたのだ。しかも、もうこれ確定でしょ?というような態度で、しっかりと黒髪の少女を通り越し、例の金髪の美女にしっかりと視線を合わせて(ガン見しているとハロルドには映った)それでも懸命に感情を抑え込もうとしながらこう言ったのである。

「い、いやぁ…。こんなに美しい方を見たことが……そ、そのなかったもので…。ごほっ。……へっ、変な態度を取って申し訳ない、です。れ、レディに…その……。うく。しっ失礼でした」

おいっ!全く感情を隠しきってないぞクライス!
なんでお前、そんな真っ赤な顔している。言葉もなんかおかしいし、完全に動揺してるじゃないかぁぁぁー。

ハロルドが心の中で雄たけびを上げた次の瞬間、むすっとした美女から発せられた感情のない言葉にその場(特にリンチ-天司)が凍り付く。(いや、周囲はリンチ-の空気に凍り付いていたのだが)

「いえ。何で謝られているのわかりませんけど。──それにアタシ、レディじゃないしこれでもれっきとした
 お・と・こ なんで、謝罪などいりませんわー」

その後が大変だった。大変だったのは周囲の人間達で、当の本人はシータを前にしてずっと挙動不審が治らず、しかもこの煌びやかな格好の美女が、美女ならぬ女装した美男だったことから、リンチ-天司の心証を思いっきり悪くし、とうとう最後まで友好な会話が成り立たなくなってしまい、早々にお開きとなった。
翌朝になれば、気持ちも新たにリセットされると儚い希望を抱きつつ……。いや、今朝の食事時の雰囲気を察すれば誰もがそんなの無理だとわかるが…。

* * *

で。イェンランの心の中の溜息が昨夜での出来事のせいなのは明白なのだが、もっと頭が痛いところは、自分の隣でお茶を啜る天下の美人、シータ=シリングの不機嫌さなのだ。怒ると怖い、という定評の彼は、昨夜からこのピリピリした態度を隠そうともしない。それもそうかとイェンランはこっそりと同情した。それと同時にこの件で当事者にならなかった自分にホッともしていたけど。(だって面倒はイヤ)

これも全て目の前の聖人君主さながらの大天司が、彼を見て顔を赤くして狼狽えたのが発端であり、それに対して彼に怒りと侮蔑の視線を隠そうともしない隣の中級天司のせいなのだ。
特にこのリンチ-天司。それぞれが部屋に戻るとなった時に、他の人間にわからないようにこっそりと二人の元へやって来て、それはもうネチネチと嫌味と牽制の言葉を投げかけたのには呆気に取られた。イェンランでさえそうなのだから、面と向かって酷い言葉をかけられたシータの心中は如何ばかりか。
『恥ずかしくないのか?男のくせにそのような格好で』
『男に媚売る男娼か?』
『そんな不浄な姿を我々(聖職者)の前に見せるな』
『あの方を惑わす悪魔か』          ────云々。
イェンランだって思わずかっとくるような物言いに、シータは冷たい眼差しをリンチ-に向けているだけだった。そして一言、「よくわかったわ」と彼に言い放ち、そのまま踵を反してその場を後にした。残されたイェンランは、忌々しげに舌打ちしたリンチ-にびくっとして、慌ててシータの後を追う。その時の彼の表情から性的対象となる存在を汚らわしいと思っているのがありありと浮かんでいた。
……ということで、イェンランはいわれのない憤りと、偏見な目で物事を上から見るこの若い聖職者を好きになれなかった。いや、それ以前に関わりたくない人間のナンバーワンだ。
彼の事をどう思っているのか、意外にシータは何も言わない。ただ、昨夜からトゲトゲしたオーラが彼の周りに纏わりついている。──結構…いや、かなり怖い。
それなのにその要因であるクラウス大天司といえば、そんな空気を知ってか知らないか、昨日よりも落ち着いたのか今日は始終にこにことしている。(イェンランにとっては、“わざと“へらへらと能天気に笑っているとしか見えないのであるが)

「……それはそうと、リンチ-…どこか具合が悪いのかね?先程から何も話さないが……」
困惑しているのは昨晩の様子を知らない叔父であるフォウ天司だけだ。先程からちらちらと周りを窺いながら首をひねっている。自分の知っている甥のリンチ-は理屈っぽいところはあるが、普段は穏やかなタイプの人間だ。それが誰に対しても険呑な態度を隠そうともしないのは珍しい事だと叔父として感じていた。やはり身内。しかも自分に憧れて聖職者になった人間である彼の、失礼ともいえる態度でも、良いように捉えるのは当たり前だろう。

同席しているアムイもキイも我関せずで始終無言。この状況から早く逃げ出そうとしているのが見え見えだ。戸惑っているのはシュンメイとその夫のハロルド。特に可哀相なのは何とかこの場を取り繕うとするシュンメイの引き攣った笑顔だ。
やっとの事でその空気が破られたのは、何という事ではない、食事を終えたリンチ-が真っ先に立ち上がったからだ。彼らと一緒の食卓に着きたくないという様子があからさまの、無礼な態度のまま無言で盆を持って厨房近くのカウンターまで持って行こうとする。
「お、おい、リンチ-……」
甥の態度にフォウ天司も眉間に皺が寄る。シータは目の前で悠々とお茶を飲もうとしているクライス大天司を思いっきりギリギリと睨み付ける。 周囲はそれを内心頭抱えながら見ていたのだが……。

リンチ-が顰めた顔のまま隣の子供達がいるテーブルに近づいた時、ちょうど食事を終えたセイオンがはしゃいだまま席を立って、隣のテーブルにいるアムイの方に駈け出した。
「レイさんっ、あのね、あのねっ」
「あ、セイオンの馬鹿!食べたら大人しく食器を持ってい……」
隣の席のリージィンが慌てて止めようとしたが遅かった。
勢いよく飛び出したセイオンはそのままリンチ-に突っ込み、派手な音を立ててリンチ-の盆は床に落ち、食器がばらまかれた。セイオンはそのまますっ転んでリンチ-の体に弾かれ、彼の足元で尻餅を着いた。
「あー、だからダメだって……」
「危ないだろ!!」
リージィンの困った声と共に、普段なら声を荒げないリンチ-がカッとして足元にいる子供に怒鳴りつけた。
「ごっ…、ごめんなさ……」
すでに半泣きのセイオンを助け起こそうとしてアムイが立ち上がろうとしたそれよりも早く、厨房から騒ぎを聞きつけた母親のステラが慌ててセイオンの所に駆け寄り、我が子を抱き寄せ、リンチ-に頭を下げながら許しを乞うた。
「申し訳ありません!息子が大変失礼なことを。お怪我はございませんか?今すぐに片付けます……の…で」
「お、まえ?」
顔を見て謝罪しようと面を上げたステラに、リンチ-天司が驚愕の表情で彼女の顔を見下ろす。
「……あ、の…」
途端に真っ青になって震えだステラ。それを不思議そうに見上げるセイオン。リンチ-は信じられない、という顔のまま、ステラとセイオン親子の顔を交互に凝視した。
「……ステラ?ステラ=リード?」
びくり、とステラの体が萎縮する。その様子を嫌悪感丸出しの眼差しに変化させたリンチ-天司は、そのまま彼女に抱き込まれている子供に冷たい視線を投げた。
「堕天者(だてんもの)が…!!」
そう忌々しく小さな声でつぶやくと、リンチ-は振り返って自分の叔父に大声で問いかけた。
「叔父さ…いえ、フォウ天司!何故ここに堕天者がいるんです!?大聖堂を追われた汚らわしい女がどうして神聖な教会にっ……!!」

リンチ-の激しい怒声はその場を険悪なものに一瞬で変えた。
「リンチ-!」
問われたフォウ天司は青くなって席を立ち、ハロルドとシュンメイは強張った表情で体を硬直させている。子供達はどうしたのかと戸惑うばかりだ。

「堕天者……?」

聞き慣れない言葉にイェンランは首を捻った。ふと隣を見ると、シータが怖い顔してじっとリンチ-天司を睨み付けている。いや、シータだけではない、キイも、そして特にアムイも鬼気迫るような険しい顔を彼らに向けていた。──その原因が、リンチ-の放った言葉ではないかとイェンランは思えてならなかった。……その、意味を、きっと自分以外は知っているだからだろうと憶測できた。

「リンチ-、向こうで説明するから……」
「今説明ください!この事を大聖堂は知っているのですか?この女は神を裏切り男と交わった罪人ですよ?そんな汚らわしい身で羞恥もなく神聖な教会にいるなんて……!」
激昂したリンチ-は止まらない。これまで積もり積もった憤りが限界を越えてステラをきっかけに溢れ出てくる。
「ステラ=リード、かつては私と同じ大聖堂で仕えた神聖なる聖職者だったくせに、異性と交わり堕天した筈。なのにどうして性懲りもなく神の御許にいるのだ?…しかも」
リンチ-は彼女の懐で震えている子供に刺すような視線をぶつける。
「その証を堂々とこの世に送り出し、のうのうとしているなんて、なんて面の皮が厚い女だ。
女の聖職者は問題ばかり起こす。だから、廃止すればいいのに……」
最後は独り言のようにつぶやいたリンチ-だが、きっと彼が日頃思っていたことだろう、傍で聞いているステラの顔色は可哀相なほど真っ白になっている。

昨今、リンチ-天司だけでなく、女が少なくなってから女聖職者に対する偏見と差別は大陸中否応なく大きくなっていた。特に生涯純潔を守らなければならない聖職者に女がなるというのは、子を産む性が減るという事でもある。中には男性に対する嫌悪と恐怖心で聖職者になる娘も少なくなく、一時問題視されたくらいだ。大聖堂の方も、女がこのまま大陸で減り続ければ、聖職者でも女であれば狙われる危険も増え、それに伴って罪人……つまり堕天者(聖職を剥奪される)を増やす危惧に悩まされている。いっその事、女聖職者は保護の強い神殿…つまりそこで護られる巫女のみにしたらどうかという話すら出ている。
だが、まだまだ問題は議論の渦中であり、安易に決着がつきそうにもない。
そして根深いのいは、たとえ聖職者が無理やり襲われたとしても、神の加護が尽きたとしてすべての責任が女に行くという事だ。──つまり、本意でなくとも、穢れた女の方が悪いとされる。理不尽でも。

「ご、ごめんなさいっ、ぼく…」
母親が責められていると察し、謝罪の言葉を発したセイオンに、蔑むような嫌悪丸出しの表情でリンチ-は言い放った。
「話しかけるな、忌み子(いみご)め……」
「いみ…ご……?」

その瞬間、シュンメイが弾かれるようにステラ親子に駆け寄った。
「天司!いい加減になさってください!そんな言い方をして、自分が恥ずかしくないのですかっ!」
「恥ずかしい?そんな事あるものか。私は事実を言っているまでの事だ」そこまで言って、リンチ-ははっとしたような顔をした。
「ステラ?もしかしたら皆に隠して神に縋っているんではないだろうな?いくら縋ろうとも裏切ったお前を神は許しはしないだろう。特にこの世の罪を背負って生まれた忌み子など……産むなんて最大の裏切りだ!」

とんでもない暴言に、イェンランは思わずアムイとキイの顔を見てしまった。

話の内容からすると、何で彼らが険しい顔をしているか、わかったからだ。

忌み子────。

それはアムイ、そしてキイが背負った呼び名であった。堕天者は彼らの親に与えられた呼称。

大聖堂での彼らの位置は、今のリンチ-が暴露した感情が主立っているだろう。
嫌悪。侮蔑。忌避。
────全ての聖職者がそうでないといい。二人のためにイェンランは泣きそうになりながら祈るように膝の上で手を組んだ。
だがそれでもリンチ-の暴言は止まらなかった。

「堕天者も忌み子も、神に許しを乞うても無理だ。とっととここ(教会)から失せるがいい」
「リンチ-!何てことを!」
「フォウ天司、説明できないのならば黙ってください。知っていて堕天者を、しかも忌み子まで教会で世話していたなんていう醜聞を抱えていいと思っているのですか?」
その言葉に切れたアムイが立ち上がろうとする直前に、激しく椅子を蹴って勢いよく立ち上がったのは、キイでもなく、何とシータだった。

「黙れ!」

腹の底からのシータの怒声は、広い食堂をビリビリと揺るがした。
ぎらぎらとした怒りの火を瞳にくすぶらせ、敵を前にした時よりも数倍迫力を増している。イェンランは首を竦めた。
いや、コワい。いつも思うけど美人が怒るとほんっとうに怖い。子供達だって怯えてるよー…。

ドキドキしているイェンラン達をよそに、シータは騒ぎの二人の傍まで大股で歩いてくると、くるりとステラを背にして庇うようにリンチ-の前に立った。そしていつもよりも低く、唸るように、ドスの利いた声で一喝した。

「聖職者、なめんじゃねーぞ、おい。人を傷つけるような潔癖さなんて一番必要ないものだ。それよりも人を蔑む心根を恥じれ!何を勘違いしてるのかしらんが、聖職者だからって自分が特別だと思うなよ?神の庇護に胡坐をかいて、人を見下して聖者面してる自分が一番滑稽だという事を、気づかなければお前は屑だ。それこそ神に対する冒涜だと知れ!」

シータの事を女かぶれした男に媚売って生きているように思っていたリンチ-は、思いも寄らない彼の乱暴な言葉と気迫に一瞬呑まれた。が、聖職者として無駄にプライドのある彼は、かえって自分が軽蔑するような対象から叱責されたという事実だけで、頭にかぁっと血が昇った。

「お前こそ恥を知るがいい!聖職者でない者が偉そうな口を利くな!」

彼に自分の意思が通じないと見たシータは、ぶすっとしたまま息を大きく吸うと、ため息交じりに仕方なく直接彼の上司であろう大天司に話を振った。
「ねーぇ、そこで偉そうにしている大天司さんも何とか言ったらどう?アンタの監督不行き届きでしょうが!こんな馬鹿放置してるんじゃないわよ!」
「なっ、なんだと!なんていう口の利き方をするんだ!この男娼風情が……」

「リンチ-天司」

クライス大天司の険しい声でリンチ-ははっとした。物凄い重い空気に自分も言い過ぎた事を悟ったが、もう遅い。恐る恐る憧れの大天司を見やると、案の定ひっと喉を詰まらせた。

自分の上司でもある(しかも教育係でもあった)クライス聖典大天司(せいてんだいてんし)は、今まで見たこともない冷たい顔をしてリンチ-を睨み付けていたからである。


◇◆◇


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2014年1月25日 (土)

暁の明星 宵の流星 #196-②

オーン教会で世話になる事三日間、アムイとキイの二人はは念のために偽名を使いながらも、教会で運営されている孤児院の子供たちや教会で働く人々に世話になりつつ、積極的に彼らの中に入り、いつの間にやら馴染んでいた。もちろん共にいるイェンランとシータも、ここを提供してくれたシュンメイを手伝いながら、教会の雑務に積極的に勤しんでいる。

「まぁ、あれね。世話になってて何もしない、というのもねぇ」
シータは山のような洗い物を抱え、にっこりとイェンランに笑いかけた。
「ふふ。何か久しぶりに普通に生活しているって感じがするー。皆優しいし、子供たちはかわいいし」
同じく両手に洗い物を抱えたイェンランも久しぶりに屈託のない笑顔を見せる。ずっと緊張した日々が続いたのだ。気を緩めてはならないと頭の隅で思ってはいても、今の状況を楽しんだっていい。
「それよりかあの二人、すっかり子供たちに懐かれて、いい保育士さんになってるのが、何かおかしい」
イェンランはクスクス笑いながら、ちらりと教会前で子供らと戯れている背丈の大きい二人の男に視線を投げた。
「キイは絶対、女の子に人気あるとは思ったけど、意外とアムイって子供受けするのねぇ。いつも仏頂面で怖い表情(かお)なのに」
「子供は本能で嗅ぎ取るからね。いい人かそうでないか」
よいしょ、とシータは洗い物の入った籠を抱え直すとそうポツリと言った。
「あれでもねぇ、同年代やそれよりも上の人間は苦手だったけど、下の子たちには慕われてたのよ」
「アムイ?」
「うん」
ふ、とまつ毛を伏せるシータの横顔に、昔を思い出しているという表情が浮かぶ。
「あの当時、どんなにを人を拒んでいても、アイツの何かを感じ取って傾倒する存在は必ずいたの。それがうんと幼い子供だったり、野生の獣だったり」
「ふぅん…」
「いくら本人がぶっきらぼうだったり冷たくしても、アイツを慕う子は結構いたのよね、不思議なんだけど」


+ + +


「ねー、ルーさぁん!こっち来てお花一緒に摘んでーー」
「いやぁっ!ルーさんはあたしと川にいくのよぉ」
「ちょっと!ルーさんに迷惑かけないの!ごめんなさい、みんなわがままばかりで。……その、のど乾きませんかっ?中でお茶でも飲みましょうよ!」
「メルねーちゃん、ずるぅい~。ダメ、絶対だめ!ルーさんを独り占め絶対、禁止!」

「こらこら、お姫様たち、喧嘩はダメだよ。みんな仲良くね♪」

目の前の超絶美形が方目を瞑ってふんわりと微笑む。その破壊力にまだ経験値のない少女たちははぅぅっと熱い吐息を零し、うっとりと彼を見上げる。

+ + +

「あらら。子供相手にちょっと刺激強過ぎじゃない、あの馬鹿」
シータはけっと小さく毒吐くと「ちっちゃくっても女は女なのねー」と苦笑した。
「……なんかキイって…ずるい」
「お嬢?」
「普通にしてても人を惹きつけるのに、あんな笑顔を無防備に晒して、女なら誰にでも愛想振りまくって……」
「だから言ったじゃない、生粋の女タラシだって」
「うー」
「ま、あれはしょうがないわねぇ。生まれつきだから」
けけけっと意地悪く笑うと、シータはずんずんと先に行ってしまった。
「あーん、待ってよ、シータぁ」
少女たちに囲まれているキイの方に気持ちが向いてしまっていたが、早く仕事を片付けるのが先決だと、イェンランは後方を振り切ってシータの後を追った。

+ + +

「ねぇ、レイお兄ちゃん、剣を教えて。ボク、強くなりたいの」

キイはもう一つの名ルセイから「ルー」。アムイは苗字の「レイ」をそのまま名乗っている。 

そして今、年齢の割には拙い言い方の少年がアムイの目の前で手を組んで懇願していた。
「セイオン、どうしたんだ?急に」
不思議な顔でアムイは目の前の少年の顔を覗き込んだ。見るからに小柄で華奢な子供だ。知らなければ7歳くらいに見える。だが、彼は今年10歳になる。彼の母親からは、生まれる時にトラブルがあり、その後遺症で全体的に発育が遅れている、と聞いていた。
母親譲りの金茶の髪が、日差しを受けてきらきらと輝く。大人しくて温厚で、だけどそのせいで苛められることが多いせいか、おどおどとした印象を受ける。
「お兄ちゃんは武人さんなんでしょう?ボク、お兄ちゃんが立派な剣を持っているの、お部屋で見ちゃった。……だから、教えてほしいの」
「強くなりたいって…」
「うん。強くなって、お母さんを護るの!」

きらきらと黒い瞳を輝かせ、一生懸命訴える子供を無下にはできない。
アムイと鬼ごっこしようと集まっていた他の子供たちが口々に不満を口にするのを抑えてから、アムイはこきこきと肩を回してこう言った。
「よし。男はみんな俺が稽古つけてやる」
わぁっと男の子たちは歓声をあげるとアムイの傍に駆け寄った。


* * *

「…あの、レイさん、ありがとうございました。息子がわがまま言ったみたいで」
夕食の後、片づけをしに行こうとするアムイに、セイオンの母親が声をかけた。
彼女はこの教会に住み込みで働いている女性だ。主に孤児たちの面倒をみているようだ。
「いや、わがままどころか…。お母さんが好きなんだな、あの子。お母さんを護るために強くなりたいって」
「あの子が…そんな事を?」
アムイが無言で頷くと、彼女の灰色の目にうっすらと涙が溜まる。
セイオンの母、ステラは痩せ形の大陸では平均的な身丈の女性で、長い金茶の髪を一つに纏め、その容貌から北の国の人間でないことが推し量れた。出会ってからそんなに経ってはいないが、彼女がとても真面目で誠実な人間だと誰もが感じている。
年のころはキイよりも少し上だろうか、彼女の振る舞いはとても落ち着いたものだった。
「あの子は……セイオンは滅多に他の人に自分から話しかけたりしないのに…。レイさんって不思議な人ですね。あの子の笑顔、久しぶりに見ました」
「いや、俺は何も……。でも、セイオンは素直な優しい良い子だ。剣術を習って少しでも自信につながれば、もっと強く生きられると思う」
「……ありがとうございます…。あの…私たちの事、シュンメイさんからどのくらい聞いておられますか?」
その言葉にアムイの片眉が上がった。
「いや、詳しいことは…。ただ、自分のせいで巻き込んでしまって人生を狂わせた人がいる…と。それが貴女の事だという事しか……」
「そうですか」
困ったように、それでいてホッとしたような彼女の表情に、アムイは何か引っかかるものを感じた。
「今でも。私達に罪悪感を持ってらっしゃるんですわ、あの方は。……これも運命、もう過ぎたことだというのに……」
「ステラ……さん?」
アムイの訝しむような目にはっとしたステラは、無理やり微笑みを顔に張り付かせた。
「いいえ、何でもありませんわ。……とにかく、本当に感謝します。息子に温かい手を差し伸べて下さって」
ステラは深々とお辞儀をすると、そのまま厨房の方へと入ってしまった。

アムイはそれ以上、セイオンとステラ親子の事を考えるのを止め、今晩王都から情報を持ってくるであろう人物に思考を移した。自分達以上に心待ちしていると思われるシュンメイの話によると、遅くとも深夜にはここに着くらしい。彼女からはその時に紹介すると言い、その彼女は今日、何度も屋敷と教会を行ったり来たりしていた。


そして皮肉にも、ステラ親子がどうしてここにいるのか、その後、王都からやって来た主人(あるじ)と客人らによって明るみになることになる。
それはシュンメイがアムイ達に話そうとして話を濁してしまった、ある事件に関係するのだが、その事実に、アムイとキイ、自分達の生まれの現実をまざまざと突き付けられるとは、この時の二人は思いもしなかった。


そのお目当ての人間はその日の夜半、二人の客人を伴って教会にやって来た。
ちょうど部屋にはシュンメイ親子の他にアムイとキイの二人がいた。シュンメイからは王都へ偵察に行ってくれた人物がここに来ると言われたからだ。

「とーちゃ!とぉーちゃぁぁんっ!おかえりぃぃ」
弾丸のように飛び出して、部屋の扉を開けた大きな男に飛びついたシュンメイの息子のリージィンは半べそを掻いていた。
「おい、リー。子供がこんな遅くまで起きていちゃよくないだろ」
「だってぇ、だってっ。なかなか帰ってこなかったじゃん。とーちゃ、俺の誕生日までには帰るって言ってたのにっ」
「ごめんごめん。どうしても帰れない事情があったんだ。……シュンメイ」

ハロルド=ヘイワードは自分の妻を呼んだ。彼はシュンメイ=リアンの夫であり、神国オーン出身の敬虔なオーン神教徒である。3年前に亡くなった妃、リザベル・フローラ=ルシファマール付きの騎士であった。彼女亡き後、母国に帰ったとされていたが、実はずっと北の国モウラに彼はいた。それは一部の王族に内緒でこの国の女と結婚し、子を儲けたからである。
立派な体躯、短い薄茶色の髪、若草のような緑色の瞳。初めて会った時から全く変わっていない。あれからもう十年経って、子供が3人もいるのに。


「お帰りなさい、ハロルド。こら、リージィン、お父さんが帰ったらすぐベットに行くって言ってたでしょ?こっちにいらっしゃい」
そう言いつつ息子を夫から離すと、後方に佇む二人の人影に目をやって驚いた顔をする。
「まぁ…。お客様?」
「ああ、今回どうしてもという事でお連れした」
「……まさかその法衣…。大天司(だいてんし)……様?」

シュンメイのその言葉で、部屋の空気がピンと張りつめた。

大天司…って…。最高位の神官…?滅多に神殿から出ないという位の人間が、こんな辺鄙な極北の田舎に?

「夜分、申し訳ありません」
涼やかな美声がして、がっしりした男がハロルドに続いて部屋に入って来た。

立派な体躯、短い銀髪、そして空色の瞳。夜色のマントから除く衣服は、神官でも高位の者が着る白の法衣だ。そして圧倒的な“気”が彼から放たれているのが、武人であるアムイやキイにはよくわかった。

その彼の纏う気高いオーラに息を呑んだアムイたちは、誰一人彼から目を離すことはできなかった。

「私はクライス・グレイ=ヘイワード。大聖堂の神官をしています」
人当たりの良い優しい表情で、堂々と彼は名乗った。
「それから彼は私の下で修行しているリンチ-天司。この教会の責任者であるフォウ天司の甥だというので、今回私についてきてもらいました」
ぺこり、とクライスの後ろにいた細くて神経質そうな男が頭を下げる。

「ええっ!貴方がクライス大天司、いえ、今は聖典大天司(せいてんだいてんし)様……ですよね…あの…」
シュンメイが驚きの表情のままにクライスを見る。彼はハロルドと顔を見合わせると、ふわっと表情を崩し、満面の笑みを浮かべてこう言った。

「そうです。初めましてシュンメイ。従兄弟のハロルドが大変世話になっています」


栢ノ守 超。私的通信……更新



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